2007年3月23日金曜日

「π型人間」を目指せ

大阪大学工学教育シンポジウムに参加してきた。
そこで何度か話題になったのが
幅広い知識の上に立って工学研究を進める重要性である。

もちろん,専門性が欠けていては,
それは研究者・技術者ではなくなってしまうので,
深い専門知識・技術は不可欠である。

深い専門知識・技術をもつ人間を「I型」人間と呼ぶ。
それに対し,深い専門知識に加え幅広い知識をもつ「T型」人間の必要性が
創造性の開発という観点強く言われるようになってきた。

さらに最近では,異分野の深い専門知識をもつ「π型」人間が注目されているとのお話が, 毎日新聞記者の元村さんよりあった。
創造性が求められる今の時代,自分の専門分野だけではだめなのである。

研究者というのは,どうしてもI型になりやすく,タコツボにはまりやすい。
その結果,自分の専門分野については興味もないし,議論もできなくなってしまう。
日本人の博士課程の学生は,
他国の学生に比べてこの点が非常に見劣りする,といわれている。
融通が利かない頭でっかちの評論家タイプ。
そんな研究者・技術者は社会に必要とされていないのである。

私は研究所に勤めてからは,超伝導コイルの開発に携わった。
コイルを設計するためには,電気回路の知識だけでは全く不十分であった。
電磁気学,伝熱学,超伝導工学,材料力学,放射線遮蔽の知識など,
幅広い知識が要求される。
どれひとつが欠けても,満足なコイルは設計・製作できないのである。
これはどの分野のプロダクトにおいてもいえるはずだ。


学生の皆さんには,まずは専門バカにならないよう
幅広い知識を身につけて欲しい。
(まぁ,バカ専門よりはましなのだけれど)
大学の教育は,そうした目的にぴったりと合う。
講義にさえ出れば(そして意欲さえあれば),
基礎から最先端の知識までを身につけることができる。
社会に出てから同様の知識を身につけようとすれば,
どれだけ大変な努力を要することか,
ちょっと考えるだけでわかるだろう。

そして研究室に配属されたら,深い専門知識と研究能力を身につけよう。
しかし,それでも隣の研究室でどんな研究をやっているのかくらいは
わかるようにしておこう。
身近なところから,周囲に気を配っておく。
それがいつかきっと役に立つ。

社会が要求する人材は,
しっかりと基礎力のついた応用力のある「π型」人間なのである
「π型」人間は別にスーパーマンではない。
ちょっとした努力でなれるはずのものである。
私もまた怠らず努力をしていきたいものである。

2007年3月20日火曜日

学会に行こう!

先週は富山大学で開催された
電気学会全国大会に参加してきた。

学会で多くの発表を聴くことによって
大いに刺激を受けてきた。
そして多くの人に会い,
またインスパイアされた。


そして,最新の成果,研究動向というものは,
学会の発表の中にばかりあるものではないと
今回も強く思った。

もちろん,発表においては
最新の研究成果が紹介され,
それに対して熱い議論が交わされる。
それが学会の醍醐味である。

しかし,熱い議論が交わされるのは,
発表のセッションばかりではない。
セッションが終わったあとの食事の場で,
いやもっと言えば,夜の酒席の場でこそ,
最も新しい研究成果について議論がされる。

「最近,こんなことを考えているんだよ」

「いや,最近こんな失敗しちゃってさ」

「今度こういうこと考えているんだけど,
協力してもらえる?」

こんな話が聞けるのはそうした場においてなのである。

別に酒の力で口があまくなってしまうからというわけではない。
学会で発表する成果というのは,
すでに一段落しているものである。
もちろん研究が走っている途中経過の報告もあるが,
ひとつのまとまりがついたものが成果として報告されるのだ。

一方,本当に現在注力しているものについては,学会では発表されない。
いや,成果がまとまっていないから発表できないのだ。
だからこそ,その内容については
セッションの発表の場ではなく,
食事やお酒の場で話をすることになる。
また,それは研究としてまとまっているとは限らないから,
当然議論も盛り上がる。
そして,大いに刺激を受け,俄然競争心も湧いてくる。
私も今回,大いにやる気になって帰ってきた。

研究者・技術者たちの交流
これが学会に参加する大きな意義のひとつではないか。
ひとつの町に1500人以上もの研究者が集まって,
数日間にわたり最先端の話題について議論しあう。
それは,ほんの十数分程度の発表の時間の中で終わるものではない。
その後の時間も費やして,議論はずっと続けられるのだ。

学生のみなさんは,学会と聞くと尻込みをする人が多い。
発表するとなると,その準備の苦労が思いやられるからだろう。
しかし学会に参加することは,
そんな苦労がすぐに報われるほど効用がある。
発表される内容が一部しか理解できなくても,
この業界で今どんな話題がホットなのか,
どんな人たちがこの話題に首を突っ込んでいるのか,
一体今はなにが問題なのか,
そんなことが一日も参加すればおおよそつかめてくる。

学会に参加できるチャンスがあるならば
ぜひ参加してみよう。
そして,その業界の最先端に触れてみよう。
なにか得るものがあるかもしれない。

一流のものに触れることによって,
自分の境界線を拡大させていく効果を
エッジエフェクトと呼ぶ。
学会参加は,まさにその好機会なのである。

2007年3月9日金曜日

単位数の賭けに敗れたものは

3月になった。
卒業が決定した皆さん,おめでとう。
私もいくぶん肩の荷が下りて,少しホッとしている。

2月になると学生たちの間で
単位数のことが話題にのぼる。
卒業に単位数が足りているかどうかということが話題の焦点だ。
2月も末の本当に4年生の卒業研究も終わる時点で,
まだそんなことに肝を冷やしている学生がいるのだ。

学部生で単位数がギリギリという人が多いが,
大学院生でも問題になる人もいる。
こうした学生は,受けた講義の試験の出来が悪いと
担当の先生のところに何とか救済をと懇願に来る。

卒業がかかっています。
なんとか単位をもらえるようになりませんでしょうか
?」

今年も何人かが私のところに来た。
私の単位ひとつで彼の卒業がフイになるかもしれないと思うと,
やはりレポートなどによる救済措置を考えてしまう。
今回も何人かがそれでなんとか単位を取得していった。

しかし,教員の会議などで情報を集めると,
そうした学生は私のところだけに来たのではないようだ。
複数の先生に懇願に行っているらしい。

これには正直腹が立った。
彼らには,試験で単位を取る努力が最初から欠けているのだ。

卒業研究が忙しいので,試験勉強ができませんでした」だと?

そんな言い訳は通用しない。
単位が足りなければ大変なことになるというのは,
入学したときから分かっていたはずだ。
結局のところ,本人が本気で勉強していなかったということに過ぎない。


修士でも卒業のための単位が問題になる人がいる。
こちらの方は,単位数の数え間違いによることが多い。
しかし,私は思う。
なぜそうしたリスクを回避するために,
余裕をもって多くの単位を取得しないのかと。

最小単位数ギリギリで卒業するのがカッコいいと思っているのだろう。
それはそれでいい。
個人の価値観の問題だ。
しかし,そこには,数え間違いなどによる単位数不足のリスクを
背負っているということを忘れてはいけない。

2月になって単位数が足りない。
そういう結果になったというのであれば,
それは最小単位数ギリギリで卒業できるかどうかという賭けに敗れたのだ。
その時点で先生に懇願してジタバタすべきではない。
結果を素直に受け入れるべきだ。
そのリスクを承知の上での賭けだったのではないか。

私は教育において「自己責任をとる」という言葉は好きではないが,
この場合は別だ。自ら望んで賭けをし,それに敗れたのだから。
素直に負けを認めて,卒業をあきらめるべきだ。

4年生の単位数不足も,結局は自己責任なのだ。
よほど特別の理由がある場合は別にして,
少なくとも4年前から,
単位数が不足する場合は卒業できないということを知っていたはずだ。
また,今年度の始めに,講義の履修届を出す際にも,
単位数が足りないということがどういう結果をもたらすか,
理解していたはずである。
卒業研究が大変なのも昨年4月の時点でわかっていたはず。
それを予め承知して,しっかり準備をして試験に臨んでいれば,
問題はなかったはずなのである。
やはり本人の努力不足なのだ。

はっきりいって大学生はいいオトナなのである。
賭けをするのも自由なのだが,
賭けに敗れたらその責任もしっかりとるべきだ。

私は今年の状況にかなり腹を立てた。
もう救済措置はよほどの理由がない限り行わないと決意した
そしてその救済措置も再試験である。
それで合格点に満たなければ単位をあきらめてもらう。
もしそれに卒業がかかっているのならば,
卒業をあきらめてもらおう。

私はここに決意したのである。
学生の皆さん,覚悟しておくように。