2007年3月9日金曜日

単位数の賭けに敗れたものは

3月になった。
卒業が決定した皆さん,おめでとう。
私もいくぶん肩の荷が下りて,少しホッとしている。

2月になると学生たちの間で
単位数のことが話題にのぼる。
卒業に単位数が足りているかどうかということが話題の焦点だ。
2月も末の本当に4年生の卒業研究も終わる時点で,
まだそんなことに肝を冷やしている学生がいるのだ。

学部生で単位数がギリギリという人が多いが,
大学院生でも問題になる人もいる。
こうした学生は,受けた講義の試験の出来が悪いと
担当の先生のところに何とか救済をと懇願に来る。

卒業がかかっています。
なんとか単位をもらえるようになりませんでしょうか
?」

今年も何人かが私のところに来た。
私の単位ひとつで彼の卒業がフイになるかもしれないと思うと,
やはりレポートなどによる救済措置を考えてしまう。
今回も何人かがそれでなんとか単位を取得していった。

しかし,教員の会議などで情報を集めると,
そうした学生は私のところだけに来たのではないようだ。
複数の先生に懇願に行っているらしい。

これには正直腹が立った。
彼らには,試験で単位を取る努力が最初から欠けているのだ。

卒業研究が忙しいので,試験勉強ができませんでした」だと?

そんな言い訳は通用しない。
単位が足りなければ大変なことになるというのは,
入学したときから分かっていたはずだ。
結局のところ,本人が本気で勉強していなかったということに過ぎない。


修士でも卒業のための単位が問題になる人がいる。
こちらの方は,単位数の数え間違いによることが多い。
しかし,私は思う。
なぜそうしたリスクを回避するために,
余裕をもって多くの単位を取得しないのかと。

最小単位数ギリギリで卒業するのがカッコいいと思っているのだろう。
それはそれでいい。
個人の価値観の問題だ。
しかし,そこには,数え間違いなどによる単位数不足のリスクを
背負っているということを忘れてはいけない。

2月になって単位数が足りない。
そういう結果になったというのであれば,
それは最小単位数ギリギリで卒業できるかどうかという賭けに敗れたのだ。
その時点で先生に懇願してジタバタすべきではない。
結果を素直に受け入れるべきだ。
そのリスクを承知の上での賭けだったのではないか。

私は教育において「自己責任をとる」という言葉は好きではないが,
この場合は別だ。自ら望んで賭けをし,それに敗れたのだから。
素直に負けを認めて,卒業をあきらめるべきだ。

4年生の単位数不足も,結局は自己責任なのだ。
よほど特別の理由がある場合は別にして,
少なくとも4年前から,
単位数が不足する場合は卒業できないということを知っていたはずだ。
また,今年度の始めに,講義の履修届を出す際にも,
単位数が足りないということがどういう結果をもたらすか,
理解していたはずである。
卒業研究が大変なのも昨年4月の時点でわかっていたはず。
それを予め承知して,しっかり準備をして試験に臨んでいれば,
問題はなかったはずなのである。
やはり本人の努力不足なのだ。

はっきりいって大学生はいいオトナなのである。
賭けをするのも自由なのだが,
賭けに敗れたらその責任もしっかりとるべきだ。

私は今年の状況にかなり腹を立てた。
もう救済措置はよほどの理由がない限り行わないと決意した
そしてその救済措置も再試験である。
それで合格点に満たなければ単位をあきらめてもらう。
もしそれに卒業がかかっているのならば,
卒業をあきらめてもらおう。

私はここに決意したのである。
学生の皆さん,覚悟しておくように。

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