2007年5月22日火曜日

その課題に答えはない

先日,特別講義で関西電力のO部長の講義を
学生に交じり聴かせていただく機会があった。

昨年のヨーロッパで発生した停電や
電力自由化の流れなど,
最新のトピックについて紹介されており,
大変勉強させていただいた。

そしてo部長は講義の最後で
学生たちにレポートを課したのだが,
そこでのお話が印象に残った。

「これらのレポート課題には答えがありません。
したがって,みなさんの考えを書いてください。
ただし,私を説得するように書いてください」


「これから会社に入っても答えのある課題などありません。
必要なのは自分の考えとそれを誰かに説得できる力です」


大学には,この説得力を磨く機会がずいぶんと少ない。
研究室に入ったあとも,
他人を説得しなければならないという機会はほとんどない。
いや,学生たちは意識的にそうした機会を
避けているように思われる。

しかし,社会に出てしまうと,
上司や同僚を説得できなければ,
自分の仕事を進めることができないのである。
説得力はビジネスにおいて必要不可欠なスキルなのである。

説得のためには,論理的なストーリーの組み立て,
そして,客観的なエビデンスを示す必要がある。


しかし,学生たちは,たとえば締め切りを守れず叱られたとしても

「次は締め切りに間に合うようにします」

などと答えることが多い。理由を示さない。

「どうして締め切りに間に合うといえるの?」

と尋ねると,

「根性で」とか「心を入れ替えて」などと答える。

短気な私はもう腹が立って仕方がない。

だれもその学生の性格更正の話をしているのではない。
どうして次の締め切りに間に合うのか,
客観的なエビデンスを交えて,
論理的に説明することを求めているのである。

自分の心を入れかえるから実現できるなどというのは
なんて自分勝手な理由なのだろうと思う。
それで納得できると思っているのか。

社会に出る前の大学においてでも,
こうした言い訳はしないでほしい。
誰でも説得できる論理的な説明力を
身につけるよう努力してほしい。

研究室においてこそ,こうした力を身につけて欲しい。
先生だからといって遠慮する必要はないのである。
堂々と私たちを説得できるような
プレゼンをすれば良いではないか。

それが実現した上でようやく
私たちは同じ土俵の上で
自由闊達な議論ができるというものだと思う。
心から学生の皆さんの発奮を期待する。

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