2007年6月12日火曜日

努力せずしてどうする

「目標が達成されなくても、努力している姿勢が好きなんで。
(中略)
達成したから偉いわけでもなく、できなかったからダメなわけでもない」

先日ついに夢のメジャーリーグ(ML)デビューを果たした
桑田投手の言葉である。

実は桑田,清原は私と同学年で(たぶん今年度40歳),
彼らがPL学園として甲子園で大活躍をしているころから
彼らのファンなのである(当然私は巨人ファン)。

特に桑田投手は,少しダークヒーローのイメージもあって(すみません),
大好きな選手なのだ。
以前巨人のキャッチャーの山倉選手が,
球を受けていて一番すごいと思ったのは江川投手でなく,
桑田投手だとコメントしていたのをよく覚えている。
こうして幾多の苦難を乗り越え,
とにもかくにもMLのグラウンドに立つことができたのだから,
本当に素晴らしいと思う。
同世代としてもうれしいし,励まされる。

冒頭の言葉は,彼の野球に対する姿勢を表している。
結果ではなく努力するということが,彼にとっては大切なことなのだ。
今回の結果は,その努力に対する野球の神様からのプレゼントでしかない。
達成できても,できなくても,どちらでも良い,と彼は言っている。
もちろん,彼のその努力があってこそのこの結果なのだけれど。

残念ながら社会に出ると努力だけではどうにもならないことが多い。
しかし,何かを達成するためには努力することが必要条件なのは間違いがない。

現代の若者には,どうも楽してそこそこ稼げればいい,
などという価値観が広がっているようだが,
はっきりといえば,そんな甘いことはほとんどない。
一生懸命努力してなんとかやっていくか,
それとも少しでも手を抜いてしまい取り残されていくか。
その両極端しか今の世の中許されていないような気がする。

現在は,その努力する場さえ
十分に与えられるかどうかという厳しい状況だ。

そんな世の中なのに,小学生のアンケートでは,
5人に1人が「がんばりたくない」と答えたそうである。
努力することは美徳という時代はどこにいったのだろう。
「勤労は美徳」という価値観は,
もはや廃れてしまったかもしれない。
馬鹿にする人すらいる。

しかし,努力しないでなんの楽しみがあるのだろうかと思う。
たとえば練習をしないで(あるいは適当にして)
参加するスポーツは楽しいのだろうか。
本当の楽しみを知るためには,
それ相当の努力が必要なのではないだろうか。
努力なしでも得ることができる楽しみなど底が浅い。

勤労も研究もつらいけど楽しみでもあってほしい。
そしてその楽しみを知るために,
学生の皆さんにも努力してほしい。
桑田投手の活躍はそうした人たちの
背中を少し後押ししてくれるはずだ。

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