2007年9月19日水曜日

私の言葉は女っぽい?

大阪に来てよりたまに言われるのが,
私の話し方が女っぽく感じる,というもの.

もちろん,一部の方が用いる「おねえ」言葉を使っているわけではない.
私は,いわゆる標準語に近い話し方をしている(と思っている)のだが,
それが気に障る人がときどきいるらしい.
講義の際にも気になるという話を聞いたことがある.
どうも大阪の人は私の言葉遣いに違和感を感じるらしい.
(地方出身の学生はあまりそういうことを言わない)

確かに私なども,初めて大阪に来たときには,
大人から子供まで,誰でも私にケンカを売っているのかと
思った覚えがある.
やはり大阪弁はけたたましく感じられる.

茨城県で務めていた時もそうだった.
地元の人に,言葉遣いが優しすぎて,
女っぽく感じるなどといわれた.
茨城弁というのも高音がきつい堅い感じの言葉なのである.

ただ,私もそう言われても困ってしまうのである.
無理やりに下手な大阪弁を話したところで,
ますます違和感を感じてしまうことだろう.

確かに土地土地の方言には,きつい口調として感じられるものもある.
いわゆる標準語(東京弁とは異なるものだと思っているが)は,
こうした角を取り,誰にでも優しく聞こえる言葉遣いとして
成立してきたのではないだろうか.

私自身は新潟の出身である.
では新潟弁はないのか,といわれると,ちゃんとある.
ただ,私はそれがうまくしゃべれないのである.

小さいころ新潟市から長岡市に引っ越したことに
その原因があるのではないかと自分では思っている.
同じ新潟でも,その地方によって方言が大きく異なるのだ.
幼いころに二つの異なる方言に触れた結果,
どちらも話せないということになった.
今となっては,少しさびしく思う.

生粋の新潟人である母が話しているのを聞いていても,
ときどき理解不能な言葉がある.
新潟弁も大阪弁,茨城弁に負けず劣らずDeepなのである.

私はもう新潟を離れて20年以上になる.
自分にとって新潟弁がずいぶん遠くなってしまったのを感じる.
(とはいえ,新潟市内でもめっきり方言の濃度が
薄くなってきたようだけれど)

方言というのは,その土地に根ざした文化のひとつである.
それが私にはないというのがさびしい.
それが根付いた土地においては私はいつになっても
異邦人なのかもしれないとときどき思う.

とはいえ,自分が関西弁を話している姿は
全く想像できないのだけれど.

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