2007年10月29日月曜日

昔と今はちがう

先週末は,先生方と三木市で合宿して研修.
どのようにしたらより良い教育,
そして運営ができるか,議論し合う.

みなさん,驚くほど学生のことを考えている.
私などは,とてもとても...
でもそんなことは言っていられないので,
いろいろな先生方のお話をうかがう.

話題のひとつの挙がったのは,
学生の気質が私たちのころとは大きく違う,ということ.
なぜここまで消極的なのだろう.
どうやったら講義内容に興味を持ってもらえるのだろう.
昔の自分を想定して考えても解は出ない.
残念ながらそこまで大きく離れている.

昔の授業ではこんな講義もあった.
教授が教室にやってきて板書をはじめる.
あとは黒板相手にずっと話して,
学生たちの方に向くのは最初と最後だけ.
そんな講義でも私たちはなんとか勉強したものである.

今,そんな講義をしたら誰も勉強してくれないだろう.
パワーポイントを多用した,アニメーションを交えた講義.
そんなものが当たり前となっている.
(私もそのような講義スタイルだ)
しかし,これが本当に学生たちにとって良いことなのだろうか.

ビジュアル世代の学生たちには,
そうした動画を利用した講義が効果的なのはよくわかる.
しかし,昔はその足りない部分を想像しなければいけなかった.
その努力が実は理解を促していたということもあったのではないか.
今は何となくわかった気持ちにはなれるかもしれないが,
真に理解できているかどうかは疑問である.

今の学生には,講義がテレビと同じようになっている.
興味があるならば,ぼーっと眺めている.
そうでなければ,居眠りをする.
テレビと同じように提供されるサービス次第で
見るか見ないかを決定する.
講義もサービス次第なのだ.
そしてテレビと同じように内容を忘れていく.
一時的な興味でしかない.

努力するという姿勢が講義には必要だ.
昔の学生は退屈な講義でもなんとか理解しようという気持ちがあった.
今の学生は退屈な講義は先生のせいだから,
理解しなくてもよい,というような考えを持っているようだ.

もちろん退屈な講義でなくなるよう,私たちは努力しており,
それは今回の合宿でもひしひしと感じられたのだが,
その努力が実らないはがゆさもまた強くなった.

どうにか学生たちと,
勉強するというその一点だけでも
わかりあえないか,と思う.

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