2007年11月1日木曜日

二分法の思考からの脱却

どうも世の中,簡単なものいいが要求される.
ある物事をなるべく正確に伝えようとして,
多面的にいろいろと説明する.
そして,聞いてくれた人は最後にこんなことをいう.

「で,一言でいうとどうなんですか」

う~ん,参ったという感じである.
一言で言えないから,さまざまな言葉を尽くして
説明するというのに.
結局,その物事の複雑さ(それは往々にして魅力なのだが)を
わかってくれない.

自分の説明が悪いのだろうかとも思うのだが,
世の中にあふれるメディアからの情報は,
そう言われてみると,
どうも単純化の一途をたどっているような気がする.
複雑な思考を避けようとしているような風潮がある.

最近の”お笑いを見ていても,
短時間で笑うことができる音と形で表現したものが多い.
そんなに今の人は単純思考を好むのだろうか.

また議論もすべからく二分法で考えようとする.
賛成か,反対か.
許容か,拒否か.
善か悪か.
好きか嫌いか.
これではデジタルの0か1かと同じになってしまう.
常に対立軸が意識される.
一体,中間はどこにあるのだろうか.

議論が複雑であればあるほど,
単純に白黒つけることができないのは
みんな重々わかっている.
だから複雑な問題なのだ.

しかし,その複雑さを引き受けようとする
覚悟がなくなってきているような気がする.
複雑さを引き受けるということは,
自分の中で混沌を引き受けるということである.
自分の中に多面的な考え方を
育んでいこうとするものである.

そうした考えかたの多様性を育てることこそが,
人生を豊かにするのではないかと思う.

ちょっと陳腐な言い回しだったので,
大人になるということではないかと思う,
と言い直そう.

とにかく物事を単純化し,
二分法で括らない.
そうした態度こそが大人ではないだろうか.

そうすれば過剰な反応はしなくて済む.
いまはメディアが議論を単純化しすぎるために,
対立が激しくなってしまうのではないか.
思考が単一化の方向へ向かい,
意見が合わなければ憎しみあい,
逆ならば過剰に仲間意識をもつ.

そして仲間外れにされないように,
その組織はわかりやすい価値観,思想が
支配するようになる.

どうもあんまり良くはない.

世の中は複雑なんだから,
複雑のままでいいんじゃないの.
私はそう開き直っている.
その方が自分の考え方も柔軟になるような気がする.

解があるとは限らないんだから,
無理に解を求める必要もないんじゃないの.
断言することは思考を止めることだし.

みんないい加減さを許さなくなったら,
この世の中,ずいぶん住みにくくなると思うのだけれど.

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