2007年11月5日月曜日

日本人の英語のプレゼンは

先週末は,リーガロイヤルホテル大阪で開かれた
電力に関する国際シンポジウムCIGREに参加してきた.

CIGREに参加するのは今回が初めてなので,
どのようなものなのかずいぶん楽しみにしていた.

内容は,電力会社,重電メーカ,
ケーブルメーカなどを中心とした
最近の技術情報の交換がメインで,
プラクティカルな技術に関する報告が
いろいろと行われていた.
私が聞いても興味深い内容も多く,
なかなか楽しむことができた.

しかし,日本人のプレゼンを見て,
少し考えるところがあった.

第1に,発表時に発表原稿を読むのはいかがなものかと思う.
以前このブログにも書いたけれど,
発表においては,聴衆とのコミュニケーションが大切である.
アイコンタクトや会場の雰囲気を感じることは
良いプレゼンを行うために欠かしてはならないことである.
発表原稿を読み上げるだけのプレゼンでは,
これらの要素を切り捨てることになる.

発表内容に正確を期するために
原稿を読むのはわかるのだけれど,
やはり会場受けはかなり悪い.
心配であるならば原稿を覚えるまで
練習をして発表に臨むべきである.

第2に,質疑応答がうまくいくように努力すべきである.
英語での質疑応答は,非常にストレスフルである.
だいたい質問は早口だし,
ネイティブなイングリッシュ・スピーカであるとは限らない.
だから発音もアクセントもまちまちで,
質問の内容を把握するのも一苦労である.
(おまけに壇上であがっているし)

しかし,それでも相手の質問を理解しようと
しなければならない.
何を言っているかわからなくて四苦八苦していても,
チェアマンや会場の誰かが手を貸してくれることもある.
(ときには日本語に訳してくれたりする)
まずはそこまで頑張らなければならない.

次に,簡潔にその質問に答える努力をすべきである.
「未検討です」
「考えがありません」
「あとで話し合いましょう」
などと即答するのは最低である.

発表者は,発表内容については
少なくても会場の誰よりも詳しいはずである.
自信をもって発表内容については説明すればよい.
意見を求められたときには,
意見を堂々と述べればよい.
多少偏った意見でも,質疑応答の場では
言った者勝ちである(ちょっと言い過ぎかな)

第3に,自分の話す内容の論理・ストーリーを
はっきりさせるべきである.
日本人の発表は自分で行ったことを
すべて紹介するようなものがあったりする.
聴衆はどこに議論が向かっているのかわかりづらくなる.
論理性を明瞭に示すべきであると思う.
AだからB,BだからC,
したがって,AならばC,のような三段論法でOKなのだ.
逆に論理性が不十分であれば反論も当然起こる.

残念ながら論理性が不明瞭なために,
一体なにが言いたかったのかわからないプレゼンもある.
結論は何なのか.
それを説明するために,明瞭な論理構成とデータを示すことが
特に海外の会議におけるプレゼンには重要なのだ.

さらに論理性がはっきりしていれば,
多少英語に難があったとしても相手には理解してもらえる.
質疑応答であってもデータと仮説から導き出される結論について
英語は下手であっても丁寧に説明していけば,
とりあえずわかってもらえるのである.

ただし,この論理性という問題,
英語のプレゼンだけに限る問題ではない.
日本語においても全く同じことがいえる.
海外ではこうした論理の進め方に関する授業が存在する.
あるいは論文の書き方に関する講義がある.
残念ながら日本においてはこうした講義の必要性が
十分に認識されていないようである.
しかし,訓練されていないのだから仕方がない,
では済まないのである.
自分の弱点を認識したら,それを克服するよう努力をしよう.

その他,Breakのときに,ある大学の先生が
「英語の発音が良いと,おっ,聴こうかな,って思うよね」
とおっしゃっていた.
確かにその通り.そうなればかっこがいい.
しかし,それ以前の問題が山積しているのである.

ただ,ここで述べたことは残念ながら私にも反省すべき点が多い.
まさに「自分のことは棚にあげて」という話だ.
しかし,そうだからといって避けてはいられない.
これからも修行である.

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