2007年11月9日金曜日

注射と痛みの妄想

昨日はインフルエンザの予防接種で注射を打った.
今日は血液検査のために,針を腕に刺した.
一体全体,私は注射が嫌いである.

針の現実の痛さが問題なのではない.
妄想する痛さが嫌なのだ.

自分の皮膚に針が刺さっていく瞬間,
恐怖で身体がこわばる.
看護師さんが,"大丈夫ですか"と尋ねてくれるが,
答える余裕はない.
そんなことを訊くくらいなら早く終了してくれと願う.

針が刺さる寸前まで,いろいろな痛さを妄想する.

血管に突き刺さる針を想像する.
血管を突き抜けたらどうなるのだろう?
筋肉に突き刺さったら痛くないのか?
針が折れることはないのか?

どんどんと妄想が膨らんでいき,
その大きさにつぶされてしまう.

針が刺さってしまえば,こうした妄想は消えていくのだけれど,
それまでがいけない.

特に血を見ると,その妄想は輪をかけて広がる.
血が抜かれているのを見ると,気分が悪くなったりする.
一度,採血のときに貧血を起こして倒れたこともある.
以来,体調の悪いときはベッドに横になって,
採血をしてもらったりしているのだ.
男として情けない限りである...

高校時代,交通事故にあった.
事故のあと,自分の命があることを確認してほっとすると,
生暖かいものが顔を伝わるのがわかった.
手で顔を触ってみると手が鮮血で朱色に染まった.
それをみて貧血気味になり地面に座り込んでしまった.
それ以来,血が怖くなってしまったのかもしれない.

自分の血を見ても相当気分が悪くなるのだけれど,
他人の血を見るともっと背筋がぞっとする.
他人が血を流しているのをみると,
その痛みをやはり妄想してしまうのだ.

映画などでナイフで皮膚を切りつけられるシーンがある.
私はその痛みを想像する.
車に人が飛ばされるシーンを見る.
腰に鈍痛を想像し,いたたまれない気持ちになる.

実を言うと,妄想の発端は,血だけではない.
毎日報道される事故や火災のニュース.
これらも妄想の始まりとなる.
被害者の方が,最後にどのような痛みを感じていたのか,
想像してしまうのである.
そしてその無念さに思いを巡らせてしまう.

こうして過剰な反応をしてしまう私は,
毎日を結構"痛く"過ごしている.
Negativeな反応は心身によろしくないことはわかるのだけれど,
そうした痛みを想像することも忘れたくないと思う.

でも,注射くらいは恐れずに受けられるようになりたいと思う.

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