2007年12月10日月曜日

卒業生の成長に驚く

金曜日には,研究室の卒業生が遊びに来た.
リクルート活動かと尋ねると,そうでもないという.
それでもいろいろと就職の話をしていく.
そうした時期が既に始まっている.

彼は着慣れないスーツを着ていたけれど
(会社でもスーツはあまり着ていないらしい)
そしてちょっと見,全然変わっていないように見えたけど,
ちょっと話しただけで,彼の成長ぶりは良く分かった.
相手の論点を即時に理解し,適切な回答を行う.
うむ,うむ.職場で鍛えられているな,と感心する.

彼は,意識的にそうした能力を磨こうと
していたわけではないのかもしれない.
しかし,職場の人たちとコミュニケーションをとることによって
(それはほとんど目上の人とのものになるだろう)
彼は無意識的ではあるかもしれないが,
そうした能力を獲得してきたと思われる.

現代の仕事はほとんどがグループで行われる.
コミュニケーション力なくして仕事はできない.
ジェネレーションギャップがあったとしても,
相手の意図することを理解し,その先に行動する.
こうしたことができてこそ「社会人としての大人」なのである.

学生時代,少し彼に感じた頼りなさは影をひそめ,
地に足がついている感じがする.
こうした印象が彼に今後もプラスに働いていくだろうことは,
容易に想像できる.
この獲得した能力は隠すことはできない.
敏感な人には,すぐに察知されるのである.

しかし,環境が変わるということの大きさを改めて知る.
適応力にすぐれた若者は,別人のように成長を遂げる.
まさに,「男子三日会わざれば刮目して見よ」である.

教育とは,そうした環境を整えることこそが
目的なのかもしれない,とも思う.

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