2007年12月19日水曜日

考えることを要求する工学

昨日,ある企業の方とお話しする機会があった.
エネルギーに関わる企業の方たちで,
最近のエネルギー問題,CO2排出問題など,
いろいろな話題が出た.

まず,研究者・技術者がこうした問題に対して
何ができるかということ.
電力蓄積技術や省エネ技術の開発など,
人類がとりうるオプションの幅を広げることが,
研究者・技術者の役割と私は考えているが,
最近,その限界も感じ始めている.

もちろん鋭意努力することには,
なんのためらいもないけれど,
インバータの効率が1%上がったところで,
世界ではどれだけのCO2が低減できるのだろうか.
インバータ化率の高い日本であれば,
原発数基くらいの省電力になるのかもしれないが,
インバータ化が進んでいない国がほとんどを占める
世界を考えると,その効果は限定的になるのだろうと思う.

では,世界を救うためにはどうすればよいのか.

世界を救うのは研究者・技術者ではなく,
偉大な政治家,哲学者,宗教家なのかもしれないとも思う.

だが研究者・技術者としても,
もっとやるべきことはあるのではないかと思う.
情報発信と選択肢の提供だけではなく,
もっと人々の生活に影響を与えるような
ソフトあるいはハードの開発ができないものか.
人々が便利に・安全に暮らすためだけの技術だけでなく,
もっと人々に考えることを要求するようなことが
できないものであろうか.

ちょっと危険な感じもするけれど,
もう少し工学の可能性について考えてみてはどうだろうか.

とはいえ,現状できることは目の前の研究開発である.
たとえその研究者としての努力が
"ハチドリの一滴"だとしても,
やはりやらなければならない.
そのことは重々承知しているのだけれど.

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