2008年1月31日木曜日

Categorize me!

Googleをはじめとして,
検索ツールなしでは仕事ができない,
というところまで現代の私たちは来てしまった.

特に研究分野においては,
過去の研究のサーベイ,現在の市場調査,
世界の装置のリストアップなど,
もう検索ツールの便利さ無しでは,
考えられない状況である.

こうした状況は,15年くらい前までは,
およそ想像できないものであり,
検索という概念は,仕事のやり方を
ずいぶんと変えてしまった.

検索という概念自体が新しいのだけれども,
私はAND検索,OR検索といった機能が
また新しい価値を生み出しているのではないかと思う.

検索の欄に,"A B"と書くと,A AND Bという積集合が
検索結果の中に現れる.
たったこの1作業で,積集合が抽出できるのである.
これが素晴らしい価値を占めていると思う.

と書いてみると堅苦しいけど,
例えば自分を検索してみる.

名前を「三浦友史」と入力すれば,
何人かの「三浦友史」さんが自分を含めてヒットする.
自分を識別するために「三浦友史」という
情報だけでは不十分であるということがわかる.

例えば,「大阪大学 パワーエレクトロニクス 准教授」で
検索する,
どうだろう,私にたどり着けるだろうか.

つまりは,このようにすることによって
私という存在が,いくつかの集合のAND,
すなわち積集合として識別できるということになる.

そこで今度は自分はどんなキーワードを用いれば
識別できることになるのだろうと,興味が湧いてくる.

「パワーエレクトロニクス 合気道 大学」ではどうだろう.
あるいは「合気道 クラシック 村上春樹」では?
ちょっとありふれていそうなので,
「合気道 クラシック 村上春樹 ポール・オースター」
いや,まだだめかも.
ガルシア・マルケスぐらいまであげれば,私にたどり着くかもしれない.
(このブログではない,たぶん別の個人的なブログに)

とにかく,こうした作業は自分がどのようにして
他人と識別できるかということ,
すなわち自分が何者か,ということを探る作業に他ならない.
これが面白く感じるのである.

自分は,どのような複数の集合の積集合であらわされるのか.
たとえば3つのキーワードで自分が日本の中から特定される.
それって,すごいことだと思わないだろうか.

2008年1月30日水曜日

追い出し稽古という通過儀礼

先日,私の武道の先生よりお葉書をいただいた.
(大学時代からとなるから,なんと22年も
ご指導いただいている先生なのである)
私が所属していた大学の合氣道部で,
恒例の「追い出し稽古」を無事終了できた,
と書かれてあった.
今年は女子部員2名だったのだという.
大丈夫だったのかと心配しつつ,
少し,私がこの稽古をした際のことを思い出した.

「追い出し稽古」とは,
4年生が部の現役を卒業するのを,
現役とOBが集まって祝福するための稽古である.

祝福といっても,実は一年の中で
最も過酷な荒稽古なのである.
現役部員とOBが集まるとおよそ40~50名となる.
まず4年生が数人道場に散らばって立つ.
あとは45分間,ひたすらでかかってくる現役とOBを
正面打ち呼吸投げという技で投げ続けるのである.

一種類の技,それも正面打ちというところがミソである.
相手の打ちを正面から受けてしまうと,
腰が砕けるほどの衝撃を受ける.
あるいは吹き飛ばされる.
逃げ場がない.

そしてこの稽古のときばかりは
現役よりもOBの数の方がずっと多い.
OBの打ち込みは容赦がない.
相手が一発で吹き飛ばされる.
あるいは畳の上につぶされる.

4年生の腕はすぐに丸太のように内出血で膨れ上がり,
目も腫れ,鼻血や口からの出血は当たり前.
途中で足がつったり,倒れたりする者も出る.

倒れるとOBがやってきて,立たせて
また輪の中に押し込む.
すぐにまた誰かが打ち込んでいく.
こうして45分が過ぎさったときには,
見るも無残な状態となって倒れ込んだ
4年生が道場に転がることになる.

私も関東に住んでいたころは,
毎年のように参加させていただいた.
まぁ,私の場合はこちらの体力がもたないので,
4年生ひとりにつき3~4回くらいしか
打ち込んでいなかったけれど.

こうして無事,追い出し稽古を終えた4年生は
晴れてOBと認められるのである.
合氣道部は4年生の5月に幹部を交代する.
それ以降はやはり研究が忙しくなって
稽古量が格段に減少する.
(まぁ,私は9年間,あまり稽古量は
変わらなかったのだけれど)
そうした休止期間を経て,1月にいきなり
この荒稽古である.
本当にしんどい.

でもだからこそ価値がある.
こうした荒稽古や猛練習を卒業時に行うという
武道系やスポーツの部はたくさんある.
それはこうした荒稽古が新しい人生への
通過儀礼として重要な意味を持つからである.
過酷な試練をそれを乗り越えることで,
自分がOBと呼ばれるにふさわしいと認めてもらう.
いや,自分で自分をそう認識できる.
そのための儀式なのだ.
自分に新しい価値を認めるためには
それにふさわしい試練がなければならない.


ちなみに私の場合は,稽古終了時には
右目がお岩さんのように腫れあがり,
腕は真っ赤に膨れ上がっていて
机の上に手を置くこともままならなかった.
その後の追い出しコンパにおいて飲んだ酒に
全然味を感じなかったのを覚えている.
そして翌日.
実はある企業の修士課程における奨学金の面接があった.
ぼろぼろの顔で会場に向かったことを覚えている.
電車に乗るのもつらかった.
しかしその顔だったからこそ,
審査員に覚えてもらったのかもしれないと,
今では思う.

2008年1月29日火曜日

ビハインドからのスタート,その2

昨日は,留学生を相手に
"Electrical Engineering in the 21st Century"
というクラスで,
"Power Electronics and Electrical Energy II"
というタイトルで講義をする.
(Part Iは,伊瀬先生によってすでに行われている)

11名の受講生のリストを見ると,文系の学生も多い.
そこで,パワーエレクトロニクスを使うとなぜ省エネになるのか,
太陽光発電,風力発電になぜパワーエレクトロニクスが必要なのか,
そして,マイクログリッド,品質別電力供給などの
21世紀の電力システムについて,概論的に話した.

私の英語の能力も自慢できたものではないので,
どれだけのことを伝えることができたのか.
しかし,少人数なので質問を繰り返しながら,
ワイワイと楽しく講義を進めることができた.

講義の枕として,
「昨年のノーベル平和賞受賞者は誰か?」という
質問から始めたのだけれど,なんと11名の学生,
誰もがわからなかった(正確にいうと忘れていた?).
ちょっと,ショックである.
正解は,IPCCとアル・ゴアである.
「不都合な真実」という映画のタイトルを聞いて,
ようやくみな思い出したようである.
省エネ,CO2削減とは言っているものの,
一般にはこんなくらいなのかもしれない.
これで大丈夫かと少し不安になる.

そして京都議定書について,
日本は1990年レベルに対して-6%の温室効果ガスの
削減をしなければならず,現状では,
-13.8%の削減が必要なのであるとの話をした.
達成にはかなり厳しい努力をしなければならない,とは
以前にもこのブログに書いた.

この話をしていて,私は
自分のダイエットのことを思い出していた.
私は,血液に脂質が多いと診断されていて
(つまりは高コレステロール)
医者から指導を受けている.
それもあってダイエットを始め,
昨年の9月から12月にかけて,5~6kgの体重減少に成功した.
私がトライしたダイエット法は,
岡田斗司夫氏による「レコーディング・ダイエット」である.
(簡単にいえば,メモをとることによって
自分の摂取カロリーを把握し,食事制限をするダイエット)

そして1月の診断.
12月の血液検査の結果はそのためか改善傾向が見られた.
医者も喜んで,もう少し頑張りましょう,といってくれた.
しかし,次回まで(2ヶ月後)にあと1kgくらい,痩せてきてください,
と言われてはっとした.
年末の飲み会の連続と正月によって私の体重は2kgほど
12月の血液検査の時点より増加していたのだ...
1kgの減量といっているのは12月レベルに対してであり,
現状からは3kgの減量...
まさに温室効果ガスの削減と同じ,
ビハインドからの出発なのである.
やはり努力は厳しい...

というようなことを,
昨日の講義のときに思ったりしていたわけなのである.
次回検診まであと1.5か月.
なんとかカロリーを制限しなければ.
体重は,CO2と違って排出権売買できないのがつらい.
しかたがない.地道な努力をするだけである.

#ちなみに私のBMIは23程度で,
そんなに太っているわけではありません

2008年1月28日月曜日

合同研究会の意味は

先週末は,神戸大学深江地区(旧 神戸商船大学)において,
パワーエレクトロニクス学会共催の
電気学会半導体電力変換研究会と.
同じく電気学会の電力技術研究会・電力系統技術研究会の
合同研究会が開かれた.

雪がちらつく中の開催で,ずいぶん浜風が冷たかった.
しかし,相変わらず,これらの研究会は議論が熱く,
大変刺激になった.

だいたい3つの研究会+1学会が関西に集まって
合同研究会を二つ開くというところが素晴らしい.
今回も,分散電源やマイクログリッドなどをキーワードに,
クロスオーバーな議論があった.
研究者というのはどうしてもタコつぼに陥りやすいので,
こうした機会は良いのではないかと思う.

特に夜の懇親会は楽しい.
あちらこちらのグループを渡り歩き,
いろいろな議論をし,情報を交換したりする.
メーカの人とも話すし,他大学の先生や,
参加している学生などとも話す.

学生たちにとってみれば,企業の第一線で働く人たちと
酒をかわしながらいろいろとお話が聞ける
大変貴重な機会ではないだろうか.

今回も,"他社の方がよく見えたことはありませんか?"とか,
"会社を辞めようと思ったことはありますか?"などの
とても就職活動では尋ねることができない質問も飛び出し,
大いに盛り上がった.

私としては,こうした学生たちから,
学会でお会いする他大学の先生方の
日常に関する話を聞くことができるのが,結構楽しい.
今回もひとはみかけによらない,と改めて思ったりした.
(いい意味です)

とにかく,懇親会は重要なのかな,と最近思う.
特にこうして分野を越えた人たちが集まったときこそ,
こうした機会を大切にしたい.

決して,お酒だけが目的ではなく.

2008年1月24日木曜日

1/25,26

研究会のため不在です.

理想の仕事はどこにある

吹田キャンパスでも今日は小雪が舞っている.
とにかく寒い.
午前中の講義のために,生協で貼るタイプの
携帯カイロを購入した.
腰に貼って講義に臨む.
学生のみなさんには寒さなど全然堪えていないよ,
と平気な顔を見せながら,
なんとか半年間の電気機器の講義を終える.
みんなどれだけ理解してくれただろう.
試験結果が楽しみである.

さて,昨日は関西のある大手電機メーカの工場を
見学させていただいた.
世界を相手に戦っている会社の勢いと覚悟を感じて,
こちらもよ~し,と大いに発奮させられた.
頑張っていこう!

そのメーカには昨年の4月に就職した,
この研究室出身の新人がいて,
昨日も私たちを案内をしてくれた.
まだ初々しさが残るけれど,
ずいぶんと頼もしさを感じるようにもなっていた.
いや,感激.

おとといは,電鉄会社に3年前に就職した卒業生が,
リクルートのため研究室を訪問してくれた.
3年も経つからだろうか,ずいぶんと社会人らしい.
学生時代とは異なり,責任ある大人といった雰囲気であった.
彼も職場で鍛えられたのだろう.
(ところで私は何をみて「責任ある大人」という
印象を受けるのだろうか.
外見が大きく変わったようには見えないのだが.
いつかよく考えてみたい)

こうして変わった二人の卒業生を目にすると,
環境が人間に与える影響の大きさを考えずにはいられない.
彼らの人間性だけが変わったわけではないのだろう.
職場も少し変ったに違いない.
職場との相互作用によって人は変わっていく.

人も職場も変わるというのであれば,
就職活動の考え方も少し変るのではないか.
すなわち職場は与えられるだけのものではなく,
変わる,いや変えることができる可能性もあるのでは
ないかと思う.

私はつねづね「自分にぴったりの理想の仕事がある」
というのは,幻想にすぎないと思っている.
仕事に就いて,自分も職場も変わりながら,
自分の理想に近づいていくというのが本当ではないのか.
それを今の学生は最初から理想の職場があると
考えて行動しているように見える.
答えが自分を最初から待っている,
そんな都合のいい話はないであろう.

仕事は,自分が理想に近づけていくものである.
就職活動とは,その努力をする覚悟ができる仕事を
見つけることなのだろう.

ついでにいうと,理想の恋人,というのも幻想である.
最近読んだ小説に「愛も習うもの」という言葉があった.
そのとおりだと思う.

2008年1月23日水曜日

1/23

不在です.すみません.

2008年1月22日火曜日

ビハインドからのスタート,7分の1の削減

今年は京都議定書COP3の実行の初年度にあたる.
チーム―6%という言葉もずいぶんと一般化した.
(残念ながら最近はあまり話題になっていないけれど)

省エネとCO2削減の一対策として,
私が関連するパワーエレクトロニクス技術(以下,パワエレ)が
期待されている.
毎年世界では17000TWhの電力が使用されているという.
(ちなみに日本における電気代は1kWhあたり二十数円である.
皆さんが払っている電気代から想像するとすごい量であることが
わかるでしょう.ちなみにT(テラ)という単位は10の12乗,
すなわちゼロが17000のあとに12個つく量である)

しかし,そのほんの数%とにしか
パワエレは使われていないのだという.
パワエレを使うとどれだけの電気が節約できるか,
10年前のエアコンと現在のエアコンの消費電力の差をみれば
一目瞭然であろう(昔の6割くらいまで減っている).

実はインバータエアコンの普及率は日本では90%以上に達しているが,
アメリカではなんと家庭用においては90%程度,
業務用を入れても70~80%程度は
インバータエアコンではないというのである.
アメリカのすべてのエアコンがインバータ化されたら,
いったいどれだけの電気量が節約できるか...
これが全世界となると...

もちろんパワエレの応用はエアコンだけではない.
これからも最も有望視されているのは,
ハイブリッド自動車,電気自動車である.
実はこうした電気を駆動力に用いた自動車は,
パワエレ技術のかたまりなのである.
トヨタのプリウスの燃費を考えれば,
それらがどれだけ効果的か理解できるだろう.

ただ,実際問題日本で-6%の削減はかなり厳しい.
日本は省エネ大国で,これ以上の省エネ,CO2削減は
乾いたぞうきんを絞るようなものだといわれている.

-6%というのも実は実態と違っていて,
1990年時点での排出量に対して-6%であって,
現在では,およそ14%程度の削減が必要だという.
(だいたいGDPの伸びに比例してCO2排出量は増えるらしい)
-8%,ビハインドからのスタートなのである.

14%といえばおよそ7分の1である.
一週間の生産活動を平均化すれば,
一週間のうち,丸一日何もしない日が必要なことになる.
(その日はガソリン,電気,何ひとつ使ってはいけない)
実際にはウィークデーが週5日とすると,
平日の1日を仕事を休むくらいの意気込みがなければ
達成できない数字ということになる.

個人的にはその方がずいぶん嬉しいが,
それによって月給が下がるのは困る.
国としても約7分の1の商業活動が無くなってしまっては
ずいぶんと困ることだろう.

できれば生産性を今に比べて16%程度向上できればよいのだが...
(短い労働時間で同様の成果を生むことができる)

この問題は本当に難しい.
結局のところ,夜間の商業活動を控えるとか,
テレビ放送をやめるとか,
そうした政府が介入した措置がいずれ必要になるのだろうと思う.
ビハインドからのスタート.
かなり厳しい問題なのである.

2008年1月21日月曜日

彼らはラーメンを食べるときもそうするのか

先週末はセンター試験だった.
受験生のみなさん(ってこのブログを読んでいる人はいないか),
ご苦労様でした.

初日の土曜日は,私も大学教員のひとりとして,
試験監督に借り出された.
受験生の皆さんも緊張するだろうが,
試験監督も実はかなり緊張する.

事前に説明会が開かれる.
そこで渡されるマニュアルが2冊.
白と緑でそれぞれがかなり厚い.
それとは別に小冊子が1綴り.
そこには詳細に試験時に話さなければならないセリフや,
いろいろな事態に対応するためのマニュアルが
まとめられている.
一応,すべてのページに目を通す.
これだけでも結構な時間を要した.

もちろん受験生が気持ちよく試験を受けることができるよう
私たち試験監督者も努力するのだが,
間違いが起こらないとも限らない.
そうすれば全国紙のニュースとなるのである.
だから私たちも必死である.

特に土曜日は英語のリスニング試験があった.
全国で約50万人がリスニング試験を受験したという.
ひとりひとりがICレコーダを耳につけて,
解答を行うのである.

普通に考えれば,50万個の製品があって
一個も不良品が無いというのは考えにくい.
工業製品であれば,ある確率で不良品が存在するのは
当たり前のことなのである.
また受験生が50万人もいれば,
そのうちの何人かは操作を誤るだろう.
不良品か,誤操作か,
そのどちらかが起こる確率はそれほど低くないことは
容易に理解できる.
そしてそれが自分の監督している会場で
起こらないとは限らないのだ.

だから無事に終了したときには本当にほっとした.
各会場から試験監督者が集まってきたときも,
口々に自分たちの幸運を喜んだ.
今日は,祝杯をあげよう,と.

ところで,私が監督した会場には30名の男子がいた.
そこで驚いたのが,試験を受けるために,
ヘヤピンやカチューシャをつけている男子が
何人かいたこと.
髪が前に垂れるのが嫌なのだろう.
前髪を横に留めるためにヘヤアクセサリをつけているのだ.

合理的だと感心したけど,
男がそうしたものをつけるのは
恥ずかしくないのだろうかとも思った.
私は昔から髪を長く伸ばしたことはないのだけれど
(武術的に不利だし,なによりもシャンプー代がかさむ!)
もし自分が長髪だったとしても,
そんなアクセサリはつけないのではないかと思う.
やっぱり恥ずかしい.

しかし,最近の若者はそうではないらしい.
それは,ヘヤピンやカチューシャをつけている受験生が
複数見受けられたことでもわかる.
そうした髪型がカッコいいと思っている男たちは,
ヘヤピンをつけることなどが恥ずかしいことだとは
思わないものだろう.
(若い人の感覚はもう私にはわからない)

私は生理的にダメである.
特に理由はないので,「生理的に」ということである.
だが,そうした受験生を見て私の感覚が
ずいぶんとずれてきているのだということだけは
実感することができた.

だが,私たちは彼らに問いたい.
君たちはラーメンを食べるときも,
ヘヤピンで髪を留めるのか,と.
やっぱりそれはかっこ悪いと思うのだけど.

2008年1月18日金曜日

齢をとってからこそ輝くもの

今日は珍しく曲の紹介を.

今朝,通勤途中に車の中で聴いた(NHK FM)

フランク,バイオリンソナタ イ長調

これが紹介するのが恥ずかしいほど
ロマンチックな名曲なのである.
私が一番好きなバイオリンソナタではあるが,
一般にあまり知られていないようなので
(クラシックファンはもちろん知っているだろうけど)
ここで紹介したい.

作曲家のフランクが,バイオリニストとピアニストである
イザイ夫妻の結婚のお祝いに贈った曲だという.
全編を通じて,幸福なメロディにあふれている.
(初演のときも心温まるエピソードがある)

私の印象ではこの曲は,「みずみずしい青春の輝き」,
という感じなのだけれど,
実はフランクがこの曲を作曲したのは
60歳もとうに過ぎたころである.
私はそれを知って驚きもしたけれど,納得もした.
なぜなら,本当に青春真っ只中のときには,
とても青春の賛歌などは書けないだろうから.

作曲者は「青春」などというキーワードは
意図しなかったかもしれないが,
イザイ夫妻の結婚に彼が寄せたこの温かい想いには,
そうしたイメージが反映されているのだと私は思う.

年をとってからこそ,青春時代は輝くものだと,
今日はこの名曲を聴きながら思ったのである.

今日の放送は,
(vn)オリヴィエ・シャリエ,(p)ジャン・ユボー
のコンビによるものだったけれど,私の愛聴盤は,
(vn)キョンファ・チョン,(p)ラドゥ・ルプー
のものである.バイオリンのみずみずしさが印象に残る.

2008年1月17日木曜日

13年前の今日

今朝は雪が舞っていた.
講義中も講義室の外に目をやると,
めずらしく白いものがちらちらと見て取れた.
真冬の寒波を実感する.

今日は1月17日.
13年前に阪神・淡路大震災が起こった日である.
当日何をしていたかは,今でもよく覚えている.

1995年1月17日,私はまだ博士課程の学生で,
東京大学の弥生会館で開催された
核融合のシンポジウムに参加していた.

当日は風邪で具合がずいぶん悪く,
寒気に耐えながら会場へ赴いたのを覚えている.

シンポジウムが始まったが,
核融合科学研究所のM先生他のみなさんが
到着していないことがわかった.
司会の方が,「大きな地震が関西の方であったようで,
新幹線が遅れているみたいです」と申し訳なさそうに話されていた.

私は体調も悪かったため,ぎりぎりまで寝ていて,
ほとんどテレビのニュースを見ずに下宿を飛び出していたので,
たぶんそれが初めて震災を知ったきっかけだったように思う.

シンポジウムのプログラムは変更されて
午前中の部が終了.
私は,具合がずいぶんと悪くなり,
指導教官のS先生にお断りして会場をあとにした.

そのまま大学近くの東急病院に向かう.
フラフラになって待合室にたどり着くと,
テレビが信じられない光景を映し出していた.
火と煙に巻かれた関西の街.
ヘリコプターからの映像だった.

情報が錯綜していて,被害がどれだけのものか,
だれも把握できていなかった.
テレビを見ていても,どうなっているのかよくわからない.
ただ,これまでに見たこともないほどの
大きな災害であることだけはすぐにわかった.

風邪薬をもらって家には帰らず,大学の研究室へと行く.
研究室の学生にも震災のことを知らない人がまだいた.
みなで,テレビやラジオからの情報に釘付けになった.

実は,そこからの記憶は無い.
だがその後次々と入ってくる被災の状況に
本当に怖くなったことだけは覚えている.

私の前の職場の同僚に大阪大学出身の人がいた.
彼は当日学校に泊まっていたのだという.
(修士論文のため,研究室にしばらく寝泊りしていたのだとか)
研究室もずいぶん揺れたらしいけど,
とりあえず自分の身は安全だった.
しかし,アパートに戻ってみるとアパートはつぶれていたらしい.
そんな話をよく聞く.

家まで何十kmをあるいて帰ったとか,
一週間頭を洗わずにいてかゆかったとか,
度合は違えども多くの方が被災された.

東京の大学にはいたけれど,
ちょうどその時期に大阪に家族だけが実家に戻られていて,
妻と子を亡くされた方などの話を聞くと,
今でも胸が痛くなってしまう.

実際に私は経験していないので,
生々しい印象はない.
しかし,その3月に九州で学会があり,
JRで移動した途中の長田の光景は忘れられない.
少々の残骸はあったけれど,
広大な更地が広がっていた.
高速道路の脚の上部もなかった.
よく災害のつめ跡というが,
本当に化け物が町を蹂躙したあとかと思った.

実際に被災された方にとっては,
決して忘れることのできない出来事であろうが,
私の中ではやはりどうしても記憶は薄らいでいく.
その忘れいく記憶を少しでもつなぎとめるために,
今日は当時の思い出を書き残しておく.

2008年1月16日水曜日

品質別電力供給システム in 仙台市

今日は仙台市の「品質別電力供給システム」の
実証研究プロジェクトを見学してきた.
電気学会の調査専門委員会主催の見学会である.
(珍しく今日は飛行機で出張したので
時間に余裕があり,このブログも更新できた)

このプロジェクトはNEDOからNTTファシリティーズや
仙台市,東北福祉大学等が委託を受けて,
多品質の電力を同時に供給しようとするものである.
私は以前にも見学をしており,これで3回目.
前回については,このブログにおいても
少し紹介した覚えがある.

さて電力の品質とは何か.
まずは電圧と周波数が定められた範囲内にあること,
ということになる.

電圧というのは,例えば100Vであれば,
95Vから107Vの間で供給されることであり,
周波数であれば,+/-0.2Hz(あるいは0.3Hz)の
間に制御されることである.
(周波数の値は電力会社が決めている値)
これがこの範囲を越えると品質が悪いということになる.

次に電圧に高調波が含まれているのも具合が悪い.
本来電圧波形は,滑らかな正弦波であるはずだが,
系統に接続されたパワーエレクトロニクス機器を中心とした
負荷によって,歪んでいたりする.
これが他の電力機器に悪い影響を及ぼすことがある.
高調波が含まれている率が低いこと.
これも電力品質の指標のひとつである.

そして最後に,供給の信頼性も問題だ.
簡単に言ってしまえば,停電がないことがこれにあたる.
日本では停電が非常に少ないことは,
誰もがある程度実感している.
私が子供の頃はもっと停電が発生したように思う.
(実は,マレーシアなどは日本よりも停電が少ないらしいけど)

しかし,停電とは行かないまでも,
短時間において(10ms~1秒とか)
電圧の値が90%とか,70%くらい低下するようなことならば,
しばしば生じているのである.
これを瞬時電圧低下(略して「瞬低」)と呼ぶ.

嵐が来ているときなど,たまに蛍光灯が「チカッ」と
一瞬だけ暗くなることがある.
これが瞬低である.
日本においてはこの原因の多くは落雷である.
台風の到来時などは連続して発生することも多い.

蛍光灯であれば,一瞬暗くなるだけで済むけれど,
半導体工場などではこの一瞬の電圧低下によって,
サーボモータなどが停止してしまい,
工場がストップしてしまう.
あるいは製品である半導体などの品質が落ちてしまうなどの問題がでる.
その被害額は,一回で一億円とも二億円とも言われている.
0.2秒(まばたき程度)の瞬低でこの被害である.

もちろん,情報管理のための
サーバもこうした被害を受けやすい.
壊れないように自動的に止まるようになっているのだが,
復旧には労力・時間がかかってしまう.
そのために損益が生じてしまうのだ.
だからこの対策に,そうした業界はやっきになっている.

そこで,瞬低対策装置とかUPS(無停電電源)などが
これらの対策装置として研究開発されてきた.
しかし,これらの装置は一般的に高価である.
年に数回しかこないであろう瞬低のために,
それらを全ての機械,全てのサーバに設置するのか,というと,
当然もう少し安くならないか,という話になる,
それを実現しようとするのが,今回見学した
「品質別電力供給システム」である.

つまりは,品質の高い電力を送るための装置
(瞬低対策装置やUPS)の集約化をはかり,
高品質の電力の供給を実現しつつも
コスト低減を目的とするのが
この「品質別電力供給システム」なのである.

一方,電力品質も,瞬低も停電も補償する品質や,
瞬低だけしか補償しない品質など,いろいろ考えられる.
そうした複数の電力品質を需要家の要求に応じて(負荷に応じて)
供給できればよい.
しかし,高品質の電力供給は,その品質が高くなればなるほど
新たに装置の設備投資が必要になるため,
課金を高くせざるを得ない.
これをどうするかということが問題となっている.
少なくとも各需要家が個別にUPSなどを設置するよりは
安価にそうした高品質の電力を得ることができなければ
市場には普及しないだろう.

このプロジェクトではとりあえず技術的な問題は解決できた.
複数の品質の電力を同一地域で同時に供給できることが実証された.
今後は,コスト,効率,CO2削減などいろいろな指標によって
このシステムのメリットを評価していくことが重要である.
それが将来の「品質別電力供給」の社会受容性を決める.

折りしも大寒波の中の見学となり,
太陽電池パネルの下に張った氷を見て
うらめしく思ったりもしたが,
紹介された数々の実験結果は,
このプロジェクトの成功を示すのに
十分なものばかりであった.
本当に素晴らしいと思う.
あとはこの先,どのようにこの技術を育てていくか.
省エネ,CO2削減など社会情勢を鑑みながら
戦略を練っていくことになるのだろう.

2008年1月15日火曜日

バブルへGO!! ~ 学生時代の思い出 ~

先日,久しぶりにTVで映画を観た.

「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」
監督:馬場康夫,出演:広末涼子,阿倍寛,薬師丸ひろ子


2007年の経済が閉塞しきった現代から,主人公(広末)が
1990年のバブルの時代にタイムトラベルし,
バブル崩壊を食い止めようというコメディーである.

監督は,「気まぐれコンセプト」で有名な(?)
ホイチョイ・プロダクションの馬場康夫である.
私もこの監督には,ずいぶんと踊らされた(笑)ものである.
毎シーズン,スキーに行くようになったのは,
「私をスキーに連れてって」という映画の影響であったし.

バブルの時代.
それは私の学生時代である.
映画の中はちょっと脚色が過ぎたところもあったけれど,
だいたいがその当時の雰囲気をよく表わしていて,
ずいぶん懐かしく思った.

映画をみて思い出したのは,まずはポケベルが全盛期だったこと.
あのころポケベルのCMをやっていたのが,
この映画の主役である,
当時まだ幼かった広末涼子だったのだから,
時が流れたことを実感する.

次に,タクシーのシーン.
あのころ,タクシーを止めるのに
ただ手をあげるだけでは止まってくれないものだから,
手に1万円札をもってヒラヒラとさせていたものである.
六本木では札束をビラビラとさせていたとか.
映画の中でもそうしたシーンがあった.
(残念ながら私はタクシーなんて乗ったこともなかったが)

六本木では,BMW(あの頃はまだベームベーと呼ばれていたけど)が
「六本木カローラ」などと呼ばれ,ベンツやポルシェ,フェラーリでなければ,
高級車と認めてもらえなかった.

そして,映画でもパーティーのシーンがあったが,
学生主催のパーティーがあちらこちらで開かれ,
船上カクテルパーティーなんていうのも,ちょくちょくあった.
今のシーズンだとスケートリンク貸切でパーティーとか.
とにかく「バブル」だった.

そうした時代はやっぱりどこかおかしかったように思う.
今,この映画を見ても笑い話のようにしか思えないのがその証拠だ.
当時は,経済の力で日本は世界の盟主になれるのではないか,などと思う人もいた.
(アメリカの有名なビルをどんどん買収していたころだった)

異常な時代はやはり長くは続かなかった.
幻想はことごとく打ち砕かれ,そして失われた10年が訪れた.

バブルのころの笑い話ならば,ごまんとできる.
(残念ながら私はそれを外から眺めるだけであったけど)
このブログでも当時の昔話をときどきしていきたいものである.
きっと,今の学生はとても信じられない話ばかりだろうけど,
まぁ,そんな時代があったということは知っておいても損はないかな.

2008年1月11日金曜日

すきま時間を埋める

今年は,沢山の本を読む.
それが目標である.

しかし,相変わらず時間はない.
ではいつ読むのか.

私が最も読書に浸ることのできる時間は,
風呂の中である.それも平日だけ.

平日,私が帰宅するとだいたい家族は
もう就寝している.
それからおもむろに本を一冊手に取り,
風呂に向かうのだ.
(その前に体重の計量・記録という儀式があるが)

湯船につかって,ゆっくりとページをめくる.
一日の中でも至福を感じるひとときである.

しかし,風呂で本を読むことには不便が付きまとう.
額からは汗が流れおちるし,
ページは湿気でふわふわになるし,
最悪居眠りなどしそうになるときには,
本を湯船に落としたりもする.

だからさすがにハードカバーの本を持ち込むのはやめている.
ほとんどが新書や文庫本である.
こうなると,ちょっと物足りなくなる.
やはりハードカバーの本も読みたい.
(すべての本が文庫化されるわけではないのだ.
ビジネス書などはいつまでたってもハードカバーのままである)

それではお風呂で読まずして,
どこで読むのかということになる.
一番簡単なのがベッドの中(布団だけれど)で読むことだ.
しかし,私が人に誇れることのひとつに寝つきの良さがある.
布団の中に潜り込むと,あっというまに睡魔に襲われて
夢の中へ入ってしまう.
ほとんど本を読むことなど不可能なのである.

電車通勤であれば,電車の中などが考えられるが,
残念ながら私は自動車通勤なのである.
(自動車の中でAudio Bookを聴くという手はあるが)

そこで現在は,とにかく本を持ち歩き,
ちょっとした時間の合間(すきま時間)に
2行でも3行でも読み進めることにしている.

これがなかなか具合が良い.
そもそも人間というのは集中力を持続することは,
難しいのだろう.
私のように落ち着きのない人間は,
時間が少し過ぎるとすぐにいろんなことに
思いが散ってしまうことになる.

このすきま時間の読書は短時間だからこそ,
集中して読むことができる.
そのうち,時間が許せば本を読み続けるので,
集中力も持続するようになってきた.

そして何よりすぐに集中する状態に
入ることができるようになってきた.
いままで行っていた思考から離れて,
すぐに読書の世界に入り込む.
この転換が,うまくいくようになってきた.

今後はすきま時間の仕事というものも
増やしていきたいと思っている.
どうせもうこの現代の生活において
ゆっくり腰を落ち着けてなにかをするなんてことは,
到底望めないのだ.
あとはすきま時間で少しでも仕事を進めて,
細切れの仕事をあとで結合するしかない.
(まるで分割ファイルを結合するように)
研究などでは,逆にテーマから離れる時間がとれるので,
良い影響を生むかもしれない.

あとは1秒後に100mを全力疾走するような
集中力の立ち上がりを身につけるだけだ.
それが今年の目標である.

2008年1月10日木曜日

敬語は心を伝えるための文法

以前,学生の意見を述べる機会において,
男子学生が「俺は...」と話しだしたのをみて
驚いたことがある.
私の世代においては,当然「私は」であり,
「僕は」ということさえも憚られたものである.

彼は率直な意見を述べたから,
それはそれで素晴らしかったのだが,
社会的にはそれでは今後困難にあうだろうと思った.

敬語は礼儀作法の基本であり,
やはり少しは気を使ってほしいと思う.

礼儀というものは,古い因習としてやり玉にあがることが多い.
しかし,もともとは相手を思いやって行うことである.
最近は,心なくして礼儀にのっとっただけの振る舞いも多いけれど,
本来は,相手を思いやる心を伝えるための作法である.

敬語はその基本中の基本といえるだろう.
日常で私たちが触れる機会が最も多い礼儀といえるだろう.
敬語が時代とともに変遷していくのは当然のことと思うが,
その重要性は昔とあまり変わらないのではないかと思う.
そして,形は変わりつつはあるけれど,
敬語も,礼儀作法における「型」なのである.

礼儀作法において,古くから伝わる「型」というのは,
もともと,相手を思いやる心を間違いなく伝えるために
作られたものなのである.

いくら相手を思いやる心があっても,
それが相手に伝わらないとしたら,
あるいは間違って伝わってしまったら,
それは無駄どころか相手にとって失礼になってしまう.
もともとの意図とは全く逆の結果を生んでしまう.

そういう場合は,とりあえず「型」に従えば,
まずは失敗が少なくなる.
それで足りないと思う場合には,
自分でさらに工夫すればよいのだ.
(この工夫具合が難しいのだけれど)

礼儀作法における失敗は,相手との信頼関係の危機を招く.
まして初対面の相手においては,なおさらである.
こうしたときに「型」が用意されていると便利なのである.

以前,このブログにおいても書いたけれど,
礼儀というのは自分を守るためのものなのである.
武士の時代,礼を失することは,
名誉を失することに通じ,非常に恥とされた.
そしてときには,自分の命,
あるいは家名の問題となった.
そうした問題も,とりあえず「型」を踏襲することによって
防げたのである.

逆に「型」なくして,自分の思いをちゃんと伝えることは
実は難しいのではないか.
礼儀作法とは,こういう所作をしたならば,
相手はこういう思いを伝えようとしていますよ,という
共通認識,約束事,いわゆる文法なのである.
その文法を誤ったら,誤解を招くのは仕方がない.

正しい文法にのっとって,自分の気持ちを伝えていく.
敬語はそのための実は非常に便利なツールなのである.

2008年1月9日水曜日

ピンチはチャンス

今年は洞爺湖サミットも予定されているし,
京都COP3の約束期間初年でもある.
省エネやCO2削減について
注目がますます高まることは間違いない.

私が関係しているエネルギー,パワーエレクトロニクス,
電力などの分野については,それに対する要求が
ますます厳しくなってきている.
事業者,メーカなどは,その対応に苦慮しているところである.

そもそも日本は省エネ大国である.
今の状態から,さらに省エネをしろ,
CO2削減をしろ,といわれても,
それはまるで乾いたタオルを絞るようなものである.
本当に難しい.

以前にもこのブログに書いたけれど,
変換器の効率が1%上がったからといって,
いったいどれだけの効果があがるだろうか.
そう考えると,暗くなってしまうのだが,
それでも,この問題については
解決法のホームランはなさそうである.
シングルヒットをつないで得点につなげていくような,
地道な努力の積み上げに頼るしかない.
そうであれば,私もまた本当に微力ではあるけれど,
貢献していきたいと思う.

ただこうした厳しい要求は単にピンチというわけではない.
必要は発明の母,というわけではないが,
要求があれば,そこに注目が集まる.
そして,うまくいけばリソースが投入される可能性もある.
こうしたときこそ,新しい技術の芽が生まれるのではないか.
ピンチ転じてチャンスとしたいものである.

昨年の夏は,柏崎の地震による原発停止で,
ずいぶんと電力不足が話題に上った.
大変な状況であったけれど,
多くの人が電力の重要性について再認識したのではないだろうか.

そしていま,原油価格が高騰し,
一方で京都COP3の目標達成を迫られている.
だれもが省エネ,CO2削減について注目するようになった.
今こそが,コンセンサスを得やすい時機なのである.
この追い風に乗った国の施策にぜひ期待したい.

2008年1月8日火曜日

忘れるということ

今年はとにかく多くの情報に触れることを目標としている.
だから本も多く読もうと思っている.

そしてもう一つの目標は(というのもおかしいのだけど)
「忘れること」である.

最近,もの忘れがひどい.
昔は要らぬことなら覚えていた.
だが,最近は,その「要らぬこと」さえも
忘れてしまうようだ.

だから,今年はもう開き直って,
「忘れること」を目標にする.
沢山の本を読んでも忘れてしまおう.
沢山の映画を観ても忘れてしまおう.
そして沢山の音楽を聴いても忘れてしまうのだ.

忘れることをくよくよ後悔しない.
多くのことを忘れて,
それでも身体に残った知識がどのようなものになるのか,
それを確かめてみたいと思っている.

今年は,とにかく「忘れる」.
どれだけ多くの情報がこの身体の中を
通り抜けていくことになるのだろうか.
そして,何が残るのだろうか.
どんな結果になるのか,今から楽しみである.

2008年1月7日月曜日

読書のコツ - 偏らずに読む

今年は多くの本を読もうと思う.
とにかく質より量だ.
どれだけの本を読めるか.
専門書も小説も.
40歳の今年,どこまでできるかトライアルである.

読書に関して最近思ったことをひとつ.
あるテーマについて知りたいと思い本を読むことにする.
このときに,ただ1冊だけを読んで
テーマを把握したと思うのは危うい.
3冊程度読むことをお勧めする.

だいたいにおいて本は著者の
希望的な意見が含まれているものである.
まぁ,それがそれぞれの本の個性となって,
いくつもの本が出ることになるのだから,
それはそれで大切なことではある.

しかし,そこに書かれていることが
すべて正しいとは限らないのだ.
今の風潮は,本に書いてあるから正しいのだと,
容易に受け入れてしまうような気がする.
しかし,それでは危うい.
他の意見を求めて,本を複数読むことをお勧めする.
それでぐっと偏った意見に染まるリスクは低くなる.

教科書でさえ疑うべきである.
教科書も何種類か読むとわかるが,
それぞれにおいて,
重点を置いている範囲が異なるものである.
比較してみると面白い.
(教科書だったら図書館にいけば,
同様のテーマについて書かれたものが山ほど見つかる)
複数の教科書を読んでいくうちに,
繰り返し重要だと記述されている項目に気づく.
その項目こそ重要点であると判断しても
そう間違いはないだろう.
一方,教科書によっては
全く触れられない項目もあったりする.
なぜそうなのか,そのウラを探るのも良い勉強になる.

理工系の教科書でさえこうなのである.
一般のテーマについて書かれたものであれば,
その相違点はさらに明らかになるだろう.
だからこそ同テーマ,異著者の本を
複数冊読む必要が大きくなる.

実はこれは本だけに限らない.
テレビ,新聞,雑誌.
こうしたメディアに載っている情報は,
意識的,あるいは無意識的に加工されていることに
注意する必要がある.

新聞にある事柄について
二人の専門家の意見が掲載されていた.
それは同等のスペースを有した記事となっており,
新聞はなるほど公平性を尊重しているように見える.

だがしかし,その専門家のコミュニティにおいては
一方の意見がその大半を占め,
他方が少数で異端である可能性もあるのだ.
少数意見を尊重して耳を貸すべきだという意見もあるだろう.
基本的には私もそうした考えを持っている.

学会において,特に理工系の学会において
常識とされていることについて,
見当違いな根拠によって反対意見を述べている場合もあるのだ.
実際,そうした意見が新聞に取り上げられることも多い.
だが,それは「おかしい」意見であったりする.

新聞において,そうしたおかしな意見が,
常識的な意見と同等のスペースをもって紹介された場合には,
ときにやっかいな問題が起こる.
専門家ではない人たちが,
その新聞の異端の意見をもって良しとするのだ.
だいたい,そうした考えは,
人々や社会に媚びを売っているようなものが多いので,
人気が出やすいのだ.

新聞では,その意見の多数・少数については
述べられることが少ない.
だから読者は勝手に50%-50%のような勘違いをしてしまう.
新聞としては,対立する意見を掲載して,
自分が公平性を保っているようなイメージを得る.
そして紙面も面白くなる.

しかし,これは実はかなり問題なのである.
(以前,これで本当に困った経験がある)

つまりは,本も含むメディアによって運ばれる情報は,
加工されていることを忘れてはいけないのだと思う.
もちろん,そうしたメディアを通さなければ,
入手できない情報がほとんどであるから,
それに頼らざるを得ない.
しかし,それは玉石混合,公正さを欠く情報であったりする.
結局のところ,私たちはなるべく多くのソースから情報を得て,
自分たちで判断しなければならない.
私たちが賢くならなければならないのだ.

2008年1月4日金曜日

【電気機器アンケート回答1】講義で使用したスライドをどこかにUPしてください.

あけましておめでとうございます.
今年もよろしくお願いいたします.

さて,今年第1回目の記事は,昨年行った電気機器の講義に関するアンケートについて一部回答したいと思います.

【要望1】講義中に使用したスライドをどこかにUPしてDownloadできるようにしてください.

【回答1】
基本的にスライドをどこかにUPすることはしないつもりです.スライドはあくまでも講義の補助資料です.著作権の問題もあります.教育の使用については一部著作権の例外が認められるという話もありますが,どこかにUPしてDownloadして配布するとなると話は別です.しかし,実際問題,著作権の問題でUPしないわけではありません.

私の基本的な考えとしては,教科書には習得すべき事項は十分に載っていると思っています.教科書を理解できれば私の要求するレベル(単位を取得するレベル)は十分に満たすことができます.

ならばなぜ講義をするのでしょうか?

私は,講義は,教科書に著された知識に,物語性を与えてヴィヴィッドな知恵として皆さんの血肉となるようにすることが目的であると考えています.やる気さえあれば教科書だけでも独習することは可能です.最近の教科書は読者の理解を促すように非常に工夫されていて,十分に独学できるようにできています.それはすでに感心するレベルにあります.

それでも講義を行う意味は,その教科書に書かれている知識をより,生き生きとした知恵とするためであると思っています.知識と知恵の違いは,おそらく説明するのに難しく,また稿を改める必要があるのでしょうが,ここでは知識というのは現象をあらわす骨であって,そこにはそれを楽しむための血肉がないのだと考えます.一方,知恵というのは,そこに味わうべき血肉があり,自分の考えでその知識を適用できるレベルまで昇華したものであると考えています.知識から知恵への昇華こそが講義の目的であると思います.
ただし,限られた時間のなかでは,知識を自在に活用するというレベル,それこそ融通無碍な知恵の獲得というレベルには到底たどり着くことができないでしょう.それは私も痛感しています.だから,せめてその知恵の入り口を見せるところまでには,なんとかたどり着きたい,それが私の講義の目的です.

ですから,私が講義で使用するスライドは,あくまでも教科書を理解する,知識を知恵に昇華する,そのための補助資料でしかありません.それがなくても,教科書が理解できればいいのだと思います.

ですからわざわざスライドを公開しようということは考えていません.スライドは,講義に来た人たちへのサービスと考えてください.またスライドを単独に見ても私の意図どおりに理解されるか保証はありません.逆に誤解を生む可能性も大きいと思います.なので,スライドを公開するつもりは現在のところありません.


【要望2】講義中のスライドの進行が早く,ノートをとる時間がありません.もっとゆっくり進行するようお願いします.

【回答2】
ここでも繰り返しますが,基本的にはスライドは補助資料です.教科書に書いてあることで十分です.ノートをとる必要はあまりありません.逆に,この部分は教科書に記されておらず,ノートを取ってほしいときには,その旨を講義中に説明して,重要なスライドを長く映しています.そうしていない場合のスライドは,あくまでも補助資料であり,教科書をあとで読んでもらえればOKだと思っています.

そもそも講義中のノートがどれだけ役に立っているのでしょうか?私の講義の場合,教科書を見ればノートを取らなくても重要なことは理解できます.私の講義はあくまでも知識にストーリーを与えて,ヴィヴィッドな知恵に変えるということが目的です.ですから,講義内容はきっちりとメモを取らなくてもOKで,むしろ講義に集中して,その論理や展開,応用先などの話(つまりストーリー)に注目してください.ノートをって欲しい時には,こちらからそれを明らかに説明して,その後スライドを長く表示しておきますので,そのときはノートをしっかり取ってください.

ノートをとるよりも,なぜその式が導出されたのか,どのようにこの知識が応用されるのか,そうしたことに注目して講義を聴いてもらえるとうれしいです.それさえ理解できれば,細かいところは教科書で十分にあとでチェックして理解できるはずです.

残念ながら,半年間で電気機器である,磁気回路,直流機,同期機,変圧器,誘導機のすべてを講義しなければならず,講義中にすべての項目について詳細に説明することは大変困難です.将来,皆さんが,こうした電気機器を「製作する」のではなく,「応用する」のに必要な知識を身につけてもらうことを目的に講義をしています.時間は限られているので,各自,教科書の例題等で勉強して,不足している部分は補ってほしいと思います.そして,わからない点がでてきたら,遠慮なく質問してください.電子メールでもOKです.時間はかかるかもしれませんが,なんとか回答していきたいと思っています.

みなさんからの質問,要望をお待ちしています.
(アンケートにあった他の要望については,また記事を別にして回答したいと思います)
では,また.