2008年2月28日木曜日

わかりやすく伝える努力

今日は,修士(博士前期課程)の研究発表・試問会があった.
朝9:30から始まって,終了するのは夕方4:30.
全部で23名の発表を聴いた.
みなさんご苦労様でした.
研究に対する努力の大きさをうかがうことができました.

しかし,今日の発表を聴いていて思ったのは,
まだまだ人に伝えるという努力が足りないな,
ということである.

本日発表を聴いていたのは,もちろん
全員教育スタッフで,電気の専門家ではあるけれど,
修士の研究ともなると,みなその分野の最先端であるため,
すべてを理解できるというわけではない.
しかし,そうした人たちにも,
ある程度研究のストーリーと成果を理解してもらう,
ということが重要なのである.

決して専門用語を連発し,
独りよがりの発表となってはいけない.
研究で苦労したことを伝えたいと思うのは良くわかるけれど,
それでは,みなの理解を得られない.

わかりやすく,ストーリーを組み立てて,
できるだけ専門用語の多用に終始せず,
研究の意義と成果を説明しなければならない.

本日の発表者は,そこまでちゃんと考えていただろうか.
残念ながら,そのようには見えなかった.
もっと努力・工夫をすべきである.

社会に出てからこそ,そうした技術は必要となる.
クライアントに自分たちの専門分野を伝える.
あるいは一般の人たちにわかりやすく伝える.
伝わらなければ結局コミュニケーションは失敗なのである.
そのことをよくよく考えてみなければならない.

理工系の人気がない原因のひとつには,
私たちがこうした努力を怠ってきたことがあるだろう.
もっともっと社会に対して説明責任を果たしていく必要がある.
技術が専門化し,ブラックボックス化しているいまだからこそ,
よりわかりやすく説明することがさらに求められている.

発表者の皆さんは,本日を始まりとして,
さらに精進されることを望みます.

2008年2月27日水曜日

いつの頃からそうなってしまうのか

大学に入ると学生は勤勉さを失い,
功利的な行動しかとらなくなる,
と昨日書いた話の続き.

勤勉さを失うのは明らかに大学入学後であるが,
功利主義に支配されるのは,
良く考えると大学以前の
もっと早い段階ではないかと気づく.

以前からもこのブログでも書いているのだけれど,
現在は,小学校のころから
功利的な考え方に支配されてしまうような
システムになっているのではないかと思う.

例えば学業に限っても,
いかに効率よく(短時間で正確に)問題を解くか,
ということに終始している.
小学校の塾からしてそうである.
確かに現在の公立の学校の教育には不満が多い.
(私も小学生の親としてそう思う)

ゆとり教育にしても,別に勉強以外のことを
やれというのではあるまい.
授業で習うことの背景や広がりについて,
じっくり考える時間を持つということが
本来の目的ではなかったのだろうか.

今の若者世代はいかに効率よく利益を
得るかということに終始しすぎている.
そして親の世代がバブルだったために,
世の中の尺度をお金というフラットなものに
求めやすくなっている.
「いかにお金を貯めて,贅沢をするか,楽をするか」
そればかりを考えている.

また若者たちは自分たちの評価に非常にこだわる.
仕事についても分業を望み,
自分の成果が,他人と区別されて
明らかにならないような仕事は大変いやがる.
「こんな仕事をしたって何の得にもならない」と.

しかし世の中はそんな風に動いていないのである.
会社という組織で働く限り,
自分ばかりの功利を追求していては,
やっていけないのである.
それがわからない若者は仕事をやめてしまう.
明確に自分の成果を区別することができるのは,
例えばデザイナーなどの個人職だけであろう.
(それだって,周囲の協力がなければならない)

そして,そのうちに出てくるのが,
「自分の気持ち第一主義」である.
私はこの若者に蔓延している
傲慢な考え方が大っ嫌いなのである.

若い人たちが功利的な考え方に染まるのは,
社会システムがそのようになっているからに他ならない.
彼らばかりを責めるわけにはいかない.
根は深い.
しかし,なんとかならないものかと切に思う.

2008年2月26日火曜日

どこかでなにかが

昨日,今日と大学の二次試験が行われている.
受験生のみなさんは,これまでの努力が実ると
いいですね.

そして研究室では,卒業研究の最後の追い込みをしている.
4年生も修士2年生も,必死で論文の作成に追われている.
研究室に泊まる学生も多い.
こうした時期は一種の通過儀礼なのだ.
これを終えることによって,
なんとか大学を卒業,
あるいは大学院を修了したと認められるのだ.

しかし,学生たちにとっては,
受験生からここまで4年,あるいは6年の
年月が流れている.

たぶん受験生の頃は,毎日勉強するのが
それほど苦ではなかったに違いない.
それが,大学生活のうちに,
どこかでなにかが失われてしまう.

高校時代までの勤勉さは消失し,
単位と学位だけを追求する
功利的な行動をとるようになる.
いったい何のために大学に入るのか.
その大事なところがわからなくなってしまっている.

私も大学時代は勉強した方ではないけれど,
今の学生よりはちょっとマシなのではないかと思う.
もっと大学での勉強に目的があった.
また楽しくて勉強する講義もあった.
(もちろん,全部ではなかったけれど)

現在の学生は,就職のために「卒業」とか
「修士号」を必要としている.
だから単位だけあればいい,
卒業さえできればいいと思う.

講義が面白くない,という批判は甘んじて受けよう.
しかし,たとえ講義が面白くなくても,
自分で勉強したっていいじゃないか.
専門書を自分で何冊も開いてもいいんじゃないか.
そもそも勉強は自分の知識を
広げるためにあるのではないだろうか.

大学に入る目的が単に単位を揃えて,
卒業するというだけでは,
この4年間あるいは6年間の価値は,
一体どれほどのものになるだろう.

大学時代に,受験生の頃の志が失われてしまうのであれば,
私たちは,その原因を考えてみなければならない.

2008年2月25日月曜日

遠くをみて仕事をする

仕事が山積みである.
どうしてこういう状況になるのか.

毎日,目の前の仕事をこなすだけで
精一杯の生活が続いている.

これは明らかにマズイ.
今年の目標に挙げた20%のリソースを
自分のために使うということが,
全く実現されていない.

人はどうしても目の前の仕事を片付けることに
終始してしまう.
そこには達成感も得やすい.
しかし,本当に大切なのは
遠くを見据えた自分のための仕事である.
それができない.

他の時間を削ればできるだろう.
たとえば睡眠時間や家族との休日を減らせば.
だがそれはそれでワークライフバランスの観点から
どうも良い解のように思えない.
あとはどう効率よく仕事をするかということか.

日々の雑務をこなしながら,
なんとか遠くの目標に近づくための
努力をしたい.

しかし,まずは目の前の締め切りを
過ぎた仕事をしなければ.

こうしてまた同じことの繰り返しなのだ.

2008年2月22日金曜日

PCが入るバックパックが欲しい

最近欲しいもののひとつに,
NOTE PCを持ち運ぶことができる
バックパックがある.

NOTE PCもずいぶん軽くなったとは言うけれど,
私の愛用しているDynabookは1.5kg以上ある.
これにACアダプタや,もちろん会議の書類,
手帳に筆箱,そして資料などをかばんに詰め込むと,
かなりの重さになってしまう.

今は手提げ(肩がけ付)かばんを
使用しているのだけれど,
肩がけのひもが食い込んで,
肩が千切れそうになる.
出張のたびにこうした思いをしていると,
やはりバックパックで後ろに背負って
持ち運びをしたくなる.

しかし,なかなか良いものが見つからない.
条件としては,
まずNOTE PC用のポケットがあって欲しい.
ポケットはソフトケース代わりになるよう,
クッションが必要だ.
また,ポケットの口にはPCが飛び出さないように
ベロクロがついたベルトが不可欠である.
この条件だけで,選択肢がぐっと狭まる.
単なるアウトドア用のバックパックでは困るのだ.

次に,外見がおとなしいこと.
私も少しは見た目に気を遣う.
バックパックがあまりにもゴツいデザインだと
やっぱり恥ずかしい.
アウトドア用にありがちな
へビィ・デューティ仕様は不要なのだ.
いや,そうした目立つデザインは絶対嫌だ.
だから色使いは渋めがいい.
ペットボトルを差し込めるようなネットも要らない.
"Keep a low profile"である.

その次の条件は,
アウトドア風のデザインでなくても
頑丈であること.
やっぱり使っていてすぐに壊れてしまうようでは困る.
有名なブランドのYカバンのラインナップには,
PCが持ち運べるバックパックがあるのだけれど,
ブログ等で調べてみると,
ちょっと強度に不安が残るような記事が見られる.
実際にモノをみたのだけれど,
確かにちょっと不安なところがあるかもしれない.
まぁ,Yカバンの場合にはそれ以上に,
デザインがちょっと若者向けすぎるのと,
値段の問題があるのだけれど.
最後はやっぱり価格なのである.
無い袖は振れない.

こうして条件を絞ると,本当に見つからない.
どこかに大人っぽいデザインで,
頑丈で,
そしてそこそこ安いバックパックないのかな.

実は今日も東京に出かけていたのだけれど,
街を歩いていてかばんの重さに泣きたくなった.
若い頃は,このくらいの重さなんて,
全然気にもならなかっただろうけど...

2008年2月21日木曜日

早く歩く

今週の月曜日は,東京に出張した.

用件も終了したので,夕方ではあったけれど
行きたいお店があったので,原宿へ向かう.

竹下通りを歩いたのは何年振りだろう.
10年以上は前である.
もうすっかりと暗くなっていて,
街並みはよく見えなかったけれど,
相変わらずモードな店がある反面,
昔入ったお店が今もあるのを見て,
ちょっとだけ安心したりもした.

思えば,私が中学1年のころ一人で東京に来た時も,
この竹下通りを歩いたのだった.
歩道橋の上から見た風景をぼんやりと覚えている.

しかし,それよりも初めて焼きサンドウィッチを
食べたのが,この竹下通りだった.
東京の親戚に連れられてその喫茶店に入ったのだけれど,
トーストされたサンドウィッチを口に頬張ったときの
ゆで卵の温かさが今でも懐かしく思える.

そのあとに食べたプリンアラモードも,
初体験だったなぁ.
あの頃からすでに原宿は流行の先端にあった.

今回,ぶらりと歩いてみて思ったのは,
街ゆく人の歩く速度が遅い,ということ.
こちらがいらいらするくらい
ゆっくりと歩いている.
なにか街並みを楽しんで歩いている風でもない.
単純に歩くスピードが遅いのである.

ちょっとおしゃれな若い男性などが,
ふわふわと歩いているのを見ると,
こちらは,いらついてしまう(心の修行不足).
いつの間にか,私も関西人の歩くスピードに
なれてしまったのか,竹下通りの人波の
移動するスピードに同調できない.

だから私は,その中をスタスタと歩いた.
はたから見れば,変なオヤジと思われたかもしれない.
だが私はいつもシャキシャキと歩いていたい.
歩く姿は,その人の生きる姿勢を表している(と思う).

早く,のびのびと歩く.
スピードが速ければ,それだけ遠くまで行けるはず.

2008年2月20日水曜日

福井大学訪問

このブログには,私の活動の記録も少し残していこうと思う.

先週末は,福井大学を訪問した.
(助教のK先生と一緒)
私も参加している文部科学省グローバルCOE「次世代電子デバイス教育研究開発拠点」の一環で,
次世代パワーデバイスであるGaN素子のセミナーを
聴講する目的である.

福井はあいにく大雪で,JRの特急「サンダーバード」にも
遅れが出た列車もあったようである.

私はもともと新潟の生まれなので,
福井の雪の多さくらいでは驚かないのだけれど,
それでも湿った雪のにおいを嗅ぐと,
あぁ,雪国に来たのだな,としみじみ思った.
(革靴はびしょびしょになったけど)

せっかくの福井大学訪問の機会であったので,
セミナーの他にも二つの研究室を見学させていただいた.

ひとつは,電気・電子工学科 電力システム研究室
(松木教授,林准教授,川崎助教)である.
こちらの研究室は,実際の配電系統を模擬できる
素晴らしい実験設備を所有している.
配電系統の構造もスイッチを使って自由に切り替えられるし,
負荷もあらかじめプログラムされたとおりに,
抵抗などが接続され,意図した負荷曲線を再現することができる.

素直にうらやましく感じた.
どのようにしてこの設備を活かしていったらよいのか,
それはなかなか大変なのだろうと思うけど,
設備があれば,アイデアも生まれる.
いつか私たちも,ぜひ変換器を接続して実験しに来たいものである.

もう一つは,電子デバイス研究室
(葛原教授,塩島准教授)である.
こちらは,GaNなどの次世代のデバイスの開発を行っている
研究室で,物性系らしい測定器や顕微鏡のようなものなどが
机の上に並んでいた.
共通設備ではあるが,電子ビームスパッタ装置や,
クリーンルーム内の設備もあって,こちらもその充実ぶりに
感心するところしきりだった.

この二つの研究室で共通に思ったのは,
対応してくれた学生たちが,大変しっかりしていること.
私たちの質問に対しても的確に答えてくれる.
これは,研究室における指導が
素晴らしいものであるにちがいない,と
簡単に想像できる.
いやいや,こちらも頑張らねば.

研究室を見学させていただいた後,
古川電工の方のセミナーを聴講する.
SiCもいいけれど,GaNの未来も期待できるゾ.

そんな感想を持ちながら,
駅前の食堂でソースかつ丼を食べながら
K先生とビール・日本酒を飲む.

こうして,頑張っている研究者仲間の姿を見ると,
大いにやる気が湧いてくる.
負けてはいられないなぁ.

2008年2月19日火曜日

自己紹介と「カキフライ理論」

そろそろ修士1年生のみなさんは,就職が気になってくる.
最近はずいぶん就職活動を始めるのが早くなっているようだ.
大学としてはずいぶん困るのだけれど,
企業としても必死なのだろうということもわかる.
なんとかうまくいかないものか.

私が学生の頃は就職なんて,
大学の決めた枠を争って,1日や2日で相談や,
じゃんけんをして会社を決めていたのだから,
今から比べるとずいぶん適当なものである.
(4年生や修士のころはバブルだったし)

最近はまず会社にエントリーというものをするらしい.
もうそれだけで大変そうである.

ここで提出するエントリーシートというものがクセモノである.
自己紹介や未来の自分,学生時代に頑張ったものなどを
書かされるわけである.

学生たちは受験生だったころと同じように,
対策本を読んで,こうした自己紹介などを書く.
私もそうした対策本を研究室の学生に見せてもらったのだけれど,
これが吹き出すほどにおかしい.
例文などを読むと,まるで小学生か中学生の作文である.
たとえば「最近怒ったこと」などの例題の回答を読むと,
ドラマ仕立てに,席をゆずらない若者に怒ったことなどが
書かれている.
なんというか,なまじストーリがあるために,
本当に陳腐な作文になっている.
これを例文として書く学生の文章などは,
いったいどんなものになるのだろうと,
このブログでこんな稚拙な文章を書いている私でさえ,
心配してしまうほどである.

あれを読んで,人事の人のこころが動くのだろうか?
はなはだ疑問である.

では,どうすれば良いかと言われると困ってしまう.
私も自己紹介文を書けと言われれば,
陳腐な文章で埋め尽くしてしまうのかもしれない.

そんなときにヒントになるのが「カキフライ理論」である.
これは作家の村上春樹氏が柴田元幸氏との共著,
「翻訳夜話」の中で紹介している話である.

村上氏に,原稿用紙3枚で自己紹介を書けといわれた場合に
どうしたらよいか,という相談があった.
確かに原稿用紙3枚では何もかけない.
それで,村上氏は「好きなカキフライ」について
書いてはどうかというのである.
(別に揚げものでなくてもいいそうである)

自分について書けと言われると
どうしても煮詰まってしまう.
そして,自分について書いた文章は
どうも説得力がない.

そこでカキフライについて書く.
カキフライについて書くことは自分を書くことと同じ.
カキフライと自分との距離を書くことによって,
自分を表現できる,ということ,だったと思う.

つまりは,自分について書くときには
別の視点をもってくるということが有効らしい.

こうしたテクニックが本当にエントリーシートに
役に立つかどうかはわからない.
しかし,対策本にあるような例文よりは
ずっとましな文章になることは間違いない.

2008年2月14日木曜日

2/15, 2/18

不在です.

動画投稿サイトの可能性

昨日の朝もNHKのニュースで動画投稿サイトの話題が
取り上げられていたけれど,
相変わらず動画投稿サイトの周辺は騒がしい.

私もよくYouTubeなどは見るのだけれど,
確かにいろいろ問題はあると思う.
しかし,それ以上に素晴らしい可能性があることも
間違いないと思う.

最近驚いたのは,
"Foo Fighters Presenter,
My Grammy Moment"
とタイトルがついた動画が非常に多く投稿されていたこと.

そのそれぞれが,Foo Fightersの"Presenter"という
曲を,思い思いの楽器で演奏した約1分間の動画となっている.
バイオリン,チェロ,トランペット,ホルンなど,
いろいろな楽器で演奏されているし,
またもちろん,演奏する人の個性が表れていて,
私も数多くの動画を見てしまった.

どういうわけなのだろうと調べてみると,
グラミー賞授賞式でFoo Fightersが演奏することに
なっているのだけれど,その演奏のエキストラの
募集のオーディションがYouTubeを通じて行われていたのだ.

オーディションを行っていたのはアメリカ大手TV局のCBS.
Google-YouTubeと提携していたはずである.

YouTubeには,当日の模様も投稿されていて,
Winnerとして中国系のバイオリニストが発表されていた.
(私も彼女のオーディション用の動画を見たけれど,
やっぱりなにか惹かれるものがあった.
けれど,彼女はプロらしい.
それも動画で演奏会のものを見つけて知ったのだけど)
そして,Foo Fightersとの共演.
(その他,オーディションで受かった複数の人たちも
舞台に上がっていた.トランペットなども)

こうした試みこそが動画投稿サイトの可能性を示すもの
ではないだろうかと思う.
CBSの社長は,確か「もはや我々はBroadcasterではない,
Contentscasterなのだ」みたいな発言をしていたと思うのだけれど,
そこに比べると日本のTV局というのは
なんと器量が小さいことか,と思う.

動画投稿サイトでは,著作権の問題が,
真っ先にやり玉にあがるけれど,
(私もそれは大切だと思うけれど)
某局の健康番組がデータ捏造で問題になったときに,
スポンサーが1億円も払っているのに,
番組制作会社には900万円も渡っていなかった
などという報道があったのを見ると,
TV局が守りたいものは結局は
自分たちの権益だけではないのだろうかと
勘ぐってしまう.

アメリカという国は,
こうした問題がある場合,大体において,
オープンな方に動いていく.
YouTubeみたいなものも,
より活かしていくためにはどうしたらよいか,
という視点で動いていく.
そこが素晴らしい国だと思う.
公明正大を大義名分にしている国だけある.

日本は,今後どうなるかはわからないけど,
TV局の既得権益を守るためだけに,
規制を厳しくして,日本がこうした
コンテンツビジネスの世界において
国際的に遅れをとることにならないよう
祈るばかりである.

(今日は珍しく話が大きくなってしまった)

2008年2月13日水曜日

違う状態の脳ならば

私は兵庫の山奥に住んでいるので,
今朝はすっかり雪景色であった.
今年は雪が積もることが多いなぁと思う.

白く覆われた町を運転していると,
気分がいつもと違ってくる.
ちょっとした環境の変化で,
ずいぶんと気持ちの持ちようが
変わってくるものだと思う.

玄関を出るときには,
今日済ませようと思っている仕事の量の多さに
いくぶんブルーになっていたけれど,
雪が車の窓ガラスに向かってくるのを
見ているうちに,ずいぶんと気分も良くなった.

昨晩,帰宅してTVを見ると,
NHKで爆笑問題のみなさんが大学の先生を訪問するという
番組をやっていて(「爆笑問題のニッポンの教養」という
番組らしい),最後の10分ほどを見ることができた.

昨日は東大の合原先生という方が紹介されていて,
脳にカオス理論を応用して脳の数理モデルを
作ろうとされているそうである.

番組の大部分は見ることができなかったので,
よくはわからないのだけれど,
最後に合原先生は
「違った脳の状態であれば発想もまた変わるかもしれない,
そう思って,二日酔いのときなどに論文を書いたりする」
などという発言をされていた(詳細うろ覚え).

カオスなのだとすれば,
ほんの少しの初期条件の違いによって,
大きく異なるOUPUTが生まれる可能性があるということだろう.
まぁ,二日酔いの時はなかなかそうはいかない,とも
話されていたけれど.

今朝,雪景色の中を通勤したことによって,
少しは脳の初期状態が変わったかもしれない.
ちょっと今日は違う発想ができるかも...

そう考えてみれば,毎日違った脳の状態になる,
すなわち気分を変えるというのも,
意外に効果があるかもしれない.

気分を変える方策を
明日から考えてみようかな.

2008年2月12日火曜日

「運命」はダイアモンド

今朝,運転中にNHK-FMから流れてきたのは,
ベートーベン作曲交響曲第5番だった.

第3楽章の途中から聴いたのだけれど,
ついつい演奏に引き込まれてしまう.

演奏自体は,どうも昔のマエストロ風の仰々しいもので,
私としては好きなものではなかったけれど,
曲自体の魅力に惹かれて,
じっと耳を澄ましてしまう.

最近読んだ「ベートーベンの交響曲」
(金聖響+玉木正之,講談社現代新書)にも
書いてあったのだけれど,
この曲はそれ自体の完成度が非常に高く,
指揮者の技量がある程度あれば,
どんな風に振っても曲を聴かせることができる,
そんな作品なのだと私も思う.

いろいろな演奏を録音で聞くけれど
(録音になっている時点で,
ある程度のレベルは保証されているわけだけど)
どの演奏を聴いていても,それなりに集中してしまう.
もちろん,演奏の好き嫌いはあるけれど,
それなりの感動が味わえてしまう.
そんな稀有な曲が,この交響曲5番なのである.

石に例えるならば,ダイアモンド.
(これも誰か言っていたっけ...)
ギュッと詰まった内容は,
その硬度が最も高いと言われるダイアモンドを
イメージする.
曲のどの部分を聴いても,
密度の濃さを感じてしまうのだ.

昔,若きバーンスタインが白黒の映像で,
この5番をピアノを弾きながら解説しているものを
観たことがある.
(たぶん,"Young people's concert"だと思う)

ベートーベンは,何度も何度もこの曲を書きなおしている.
その稿を追ってバーンスタインはピアノで主題を弾きながら
解説していく.
以前の稿では,曲が走っていかない.
主題が立ち止っているような印象を与える.
そして次の稿.
少し進んでいくような気がする.
こうして何度も何度も推敲を重ねているうちに,
現在の寸分の狂いのない,まさに精密大型機械のような
曲が完成したのである.
そのことをバーンスタインは力説していた.

この話は,よくモーツァルトの伝説と比べられる.
だがベートーベンという人間が努力を積み重ねて
この大作を完成したということ自体に感動する.

ベートーベンは天才には違いないけれど,
モーツァルトとは異なる天才である.
努力の果ての勝利という第5番の主題そのものが
ベートーベンの人生なのだな,と
あらためて思う.
(こんな話,誰もが何度もしているのだろうけど)

今朝の演奏はティーレマンのものだった.
大げさな感じがして,私は好まない.
でも,逆にお気に入りの録音といわれても,
すぐには思い当たらない.

まぁ,強いてあげるとすると,
カルロス・クライバーか,
カラヤンの60年代の録音あたりかな.

2008年2月8日金曜日

新しい単位: 「徒歩5分圏内」

昨日は,「1文庫本」という私個人の単位を紹介した.
私が払うお金に対してどれだけの満足度が得られるか,
という指標である.

こうした新しい単位というのは,私だけではないらしい.
昔,そういえばこんな単位をテーマにした
TV番組もあったような気がする.

脳科学者の茂木健一郎先生は,
「ノーベル」という単位を紹介していた.
これは茂木先生が作った単位で,
その研究をするとノーベル賞が貰えるくらいの
研究の難しさを1ノーベルというとのこと.
茂木先生が取り組まれている脳と意識の問題の
難しさは100~200ノーベルだと話されていた.
それもまた面白い単位である.

尺度というものは,私たちが実感できるものがいい.
感覚でわかる.
そうしたことに単位というものは役立つ.

今日紹介する単位は「徒歩?分圏内」とうもの.
これは研究室の女子学生が使っているのを聞いて知った.
何の単位か...

実は,女の子の可愛さを表す単位なのである.
すなわち,「徒歩5分圏内」ということであれば,
歩いて5分の距離を探せば,
それと同じくらいの可愛い女の子が見つかる,
というくらいの可愛さ,ということらしい.
ちょっと道徳的に問題があるような気もするが,
面白い観点で決まっている単位だと思う.
(私が言ったのではなく,
あくまでも研究室の学生の話です)

この単位は,どこで使うかによって,
その広さが変わってしまうのが泣き所.
(女性の密度に強く依存する)

ということで,
これ以上この話を続けると怖いので,
新しい単位の話はこれでおしまい.

新しい単位があれば,ぜひ私まで(笑).

2008年2月7日木曜日

新しい単位:「1 文庫本 (BB)」

先日,ある会議において,省エネ効果を測る指標として,
これまで通りの原油換算単位でいいのだろうかという
議論があった.

またエネルギーにも質があり,
例えば電力であれば,同じ1 MWでも,
低電圧で供給される電力もあれば,
高電圧で供給されるもののある.
基本的には,高電圧で供給される方が
利用がしやすい(損失も低い).
その他,安定度,周波数などの品質があるだろう.

最も計量しやすい電力量でさえ,
こうしていろいろ議論が起こる.
まして,化学や建築や,その他もろもろの省エネ効果を
すべて同じ尺度で表そうというのだから,
もともと無理がある話なのである.

まぁ,それはそれとして,
私も個人的な支出(つまりは出費)を最近は別単位に換算している.

それは,「文庫本 (以下BBとする)」という単位である.

単純におよそ500円に等しいのだけれど.
例えば,高級喫茶店のコーヒー一杯が1 BB.
一回の飲み代が3000円であれば,6 BBということになる.

なぜこうした新たな単位を用いるか.
それは「円」という単位があまりにフラット過ぎて,
その価値が実感できづらいという理由による.

金額で表すよりも,その同じ金額を用いて,
どれだけの満足を得ることができるのか,
それを感覚的に把握するために新しい単位を用いるのである.

喫茶店でコーヒー一杯で粘れるのは,
せいぜい30分であろう.
それに比べ,文庫本が1冊あれば,
私の場合数日間は十分に楽しめる.
それを天秤にかけて,コーヒーを飲むか飲まないかを決めるのである.
(なんて涙ぐましい節約法...)

満足度を測る尺度として「文庫本」という単位は
私にとっては非常にわかりやすいものになっている.
「単位」というものは,考えると
なかなか奥深いものなのである.

#このまえ学生から,
面白い単位を聞いた.
その話は,また別の記事に.

2008年2月6日水曜日

実験レポートを読んで

今学期は,3年生の学生実験を担当した.
2年前まで担当していたのだけれど,
昨年から別の先生にお願いしていた.
しかし,その先生が豊中キャンパスで同じ時間に
1年生の学生実験を担当しなければならなくなったので
(各学科で順番に担当するらしい)
私が代わりに,再び担当したのである.
(ただし,今学期だけ)

実験内容は,高電圧発生装置
(マルクス・ジェネレータ)を用いた
放電実験である.
簡単に言うと,実験室内で雷を発生させる実験である.
雷(アーク)が電極間に発生するわけだが,
その特性が,電極間距離や電極形状,
その正負極性などによってどのように変化するかを
実験によって確かめるものである.

今学期は,この実験を主に情報コースと通信コースの学生が行う.
(電気コースの学生は第1学期に終えている)
彼らにとってみれば200kVを越える電圧なんて,
この先の人生,扱うことはそうそうないだろうということで,
確かに貴重な体験である.

アークが発生すれば,「バーンッ」という爆裂音がする.
だから実験を開始すると,たいていの学生たちはビビる.
放電を起こすトリガースイッチを押すのも
ビクビクしている.

しかし,放電はもともと確率現象である.
その特性データを取得するためには,
数多くの放電を試行する必要がある.
具体的には200回以上の放電を繰り返す.
だから学生たちがビクビクしているのは最初のうちだけで
放電を数十回も繰り返せば,当然慣れてくることになる.
そうした状況になってようやく実験の意味を
理解し始めるという感じである.
まぁ,目の前でアークを見るのは
ファンタスティックな体験であることには変わりないが.

実験終了後は1週間のうちにレポートを
提出することが求められる.
そして,今日,今学期分のレポートの採点をまとめた.

しかし,毎年,学生たちの実験レポートを読むと
腹がだんだん立ってくる.
今年も変わらずそうであった.

なぜ,そんなに私が怒るのか.
それは,多くのレポートが,友達のレポートからの
あるいはWeb上のページからのCopy & Pasteで
成り立っているからである.

だからいくつもレポートを読んでいると,
全く同じ記述に何度も出くわすことになる.
教員を馬鹿にしているのだろうか.
明らかにばれることを了解してCopyしているのだから,
確信犯には違いない.

最近は,学生といえど,
実験レポートはPCを使って作成されることが多い.
だからCopyは本当にやりやすくなっている.

また,Wikipediaをはじめとしてネット上には
情報があふれていて,それを引用(正確にはCopy)することも
非常に易しい.
だから学生に似つかわしくない専門的な記述が
レポート用紙を埋めることになる.

だが,それらの情報をCopyしたからといって,
その学生のスキルや知識が向上するだろうか.
当然のことながら,そんなことはあるわけがない.
少なくても,それらを参考に自分の頭で考えなおし,
自分の言葉で語りなおす必要があるのではないだろうか.
自分の頭というプロセッサで,
自分に役に立つ情報に加工しなければ意味がない.
Copy & Pasteでは,自分の知識に変わりようがない.

一番信じられないのは,
学生たちはそれらの行為が悪いと思っていながら,
そして,それらがバレるのをわかっていながら,
平気でCopy & Pasteを繰り返すことである.
良心のかけらもない.
こちらは悲しくなってしまう.

だから私は,書いてあることが立派でなくても,
自分の言葉で書こうと努力しているレポートに
高得点をつける.

他人のレポートからの明らかなCopyは許さない.
また,とてもこの学生が書いているとは思えない
文章に出会った場合には,WikipediaやGoogleで検索をかける.
だいたいどこかで見つかることになる.

そうした情報を参考にするのは許すけれど
(基本的に私は,ネット上の情報をあまり信用できないのだけれど)
Copyは許さない.
発覚したら低得点にする.
本当に教員をだませると思っているのだろうが,
そうはいかない.

レポートは,内容が立派であることが第一義ではない.
学生がどのような思考過程によって,
実験から結論を導き出すか,それを知るために
提出させるのである.

オリジナリティやセンスの無いレポートを読むことほど,
苦痛なことは無い.

2008年2月5日火曜日

断水!

なんと昨日の夕方から,私の居室がある建物周辺で,
断水となっている.
どうも近くの水道管が破損したらしい.
この建物ばかりでなく,周辺の建物はすべて断水.
生協の食堂もお休みとなってしまった.

トイレがまず大変である.
断水であれば使うことはできない.
したがって,別の建物のトイレまで行く.
寒い中,トイレを我慢して
外を歩くのだから堪らない.
自然足取りは速くなる.
誰か膀胱炎になるのではないのかしらん.

そして私は,歳のせいか,かなりトイレが近い.
というよりも,私の水分摂取量はかなり多い.
たぶん1日に2リットル以上.
朝はフルーツジュース.
大学についたらコーヒー(残念ながらインスタント).
そして紅茶,緑茶とがぶがぶと飲む.
日になんどもお湯を沸かしたポットのある場所へ行く.
それが気分転換になっている.

仕事が一段落して,また次の仕事を始めるとき,
そんなときにお茶を飲む.
それはまさにRefreshmentである.
飲むだけではなく,
ポットまでの少しの距離を歩くということが
生活の中のアクセントになっている.

だから,今回の断水は困ってしまう.
水のペットボトルを今日は持参したのだけれど,
単にカップに水を注いで飲むだけでは,
どうもいま一つ効力が少ないような気がする.
気分転換にならない.
それは,やはり歩かないからだろう.

まぁ,飲めば飲むほどトイレが近くなるのだから,
この2,3日は我慢するとしようか.

実は,家に帰っても麦茶をがぶがぶと飲む.
一日に2リットルの水が私の身体を通り抜けていく.
年間に700リットル以上の水が
私の身体のなかで入れ替わる.

こう考えると,私の身体は小さな濾過器にすぎない.
そして,そのフィルタに残ったものが今の私を構成している.

2008年2月4日月曜日

床屋へ通うということ

週末に髪を切った.
約1.5ヵ月周期である.
だからずいぶんと髪が増える
(長くなるのではなく,増える)

だから私はずいぶん髪を短くする.
GIカットかソフトモヒカンというくらいまで,
髪を短くする.
そうすれば,髪の手入れが楽だし
(髪はすぐに乾くし,シャンプーの量も減る),
なにより頭の働きが良くなるような気がする.
とくにサイドを短くするとスキッとする.
そして,床屋に行く周期が長くなって,床屋代が浮く(笑).
そんなわけで私の髪は歳をとるにつれ,
どんどん短くなってきている.

私は髪を切るのは床屋と決めている.
美容室では切らない.
ここらへんは,こだわってしまう.
男子たるもの,やはり床屋なのではないだろうか.

関西に来てから3回ほど引っ越しをした.
こうして新しい場所に引っ越すと困るのが床屋である.

初めて入る床屋は,かなりドキドキする.
床屋の雰囲気,おじさんの人柄や腕,
これらがすべてそろわないと,
床屋はリラックスする雰囲気にはならない.
お気に入りの床屋を見つけることができる人は幸いである.

そして,次に問題となるのは,自分の希望の髪型を
うまく伝えられるかどうかということ.

私は見てのとおり人相が悪い.
これで髪を短くすると,角刈りとなって,
本当に見た目から怖い人になってしまう.
そこで,

「短く,でも角刈り風にならないように.
角をとってまぁるく。
優しい人に見えるようにしてください」

などと頼んでみるのだけれど,
結局のところ,おじさんの主観によって
できあがりはさまざま.
ブルーな気分で床屋から帰ったことも,
決して少なくない.

その結果を受けて,次の機会には
また注文を少し変えてみる.
こうして複数回フィードバックすることによって
ようやく我慢できる髪型に近づいていく.
ここまで来るのが大変.
なんたって,次の機会は1.5ヶ月後なのだから.

今の床屋に落ち着いて2年程度となる.
ようやく安心して任せられるようになってきた.
今では,

「いつものようにお願いします」

の一言で済む.
(先日はとうとう何も言わなかったのだけれど,
いつも通りに仕上がった)

おじさんの洒脱な会話も快く,
約1時間のリラックスタイムとなる.

床屋というのは,髪やひげを切りそろえるという場だが,
それ以上の効果があることは間違いない.
安心して任せられる床屋での時間は,
私の数少ない癒しなのである.

2008年2月1日金曜日

試験問題の作り方

来週から試験期間が始まる.
学生の皆さんは,試験勉強に
いそしんでいることと思います.
良い成果を期待します.

さて,学生の皆さんが試験勉強をしている,
ということは,私たち教員は試験問題作成に
いそしんでいる,ということであるわけで,
それはそれで,私たちのいろいろと忙しいのです.

私の場合,今回はとりあえず3つの講義の
試験問題を作成しなければならない.
(そのうち,ひとつは半分だけでよいのだけれど)

採点でいえば,その他にもあと3つの講義について
行わなければならない(これはレポート課題ということ).

この年末の忙しい時期に,かなり大変なのである.

学生の皆さんは,試験問題を作る方は,
ずいぶん気が楽だろうなどと思っているかもしれないが,
その実,いろいろと気苦労が多く,大変である.

まず,平均点がそこそこの点数にならないと,
単位が取れない学生が多数生まれてしまうことになる.
私が赴任してきた最初の年は,その辺りの塩加減がわからず,
ある講義では,受講者の40%しか合格点に至らなかった.

2年目,3年目と,ようやく受講生の学力レベルも理解でき,
平均点が向上してくることになった.
問題も多少はやさしくなったのかもしれないが,
講義内容にメリハリをつけるなどの工夫をした効果もあったと
思っている.

2年目から私が心がけていることは,
まず,講義が開講する前に,期末にどのような試験問題を出すかを
構想する,ということである.
すなわち,この講義で不可欠な知識とは何か,をまず考え,
その知識の修得の程度を問う問題を考えてみるのだ.

次に,その問題を解くために必要な知識を
どのように講義するかを考えていく.
それは,あくまでもそれは不可欠な知識についてであるから,
講義内容にはもっと広がりをもたせるのだけれど...
(何度も言っているように講義にはストーリーが大切である)

試験問題が先で講義は後なのである.
講義をしているときには,試験問題が既に構想されているのである.
どうです,驚いたでしょう.(って,全然驚かない?)

実はこうした考え方は,プロジェクト遂行の基本的な考え方である.
まず,ゴールである目的を決める.
次に,目的が満たされた状態を想像して,
それに不可欠な条件をリストアップする.
その条件をクリアするために必要なアクションを決める.

別に普通のことなのである.
試験問題と講義の関係も一緒.
ただどれだけそれが成功をおさめるかは,
学生諸君の努力にも大きく依存する.