2008年3月10日月曜日

音楽によってアクセスされるもの

時間が取れず金曜日の更新を休んでしまった.反省.

金曜日は,文科省プログラム
「魅力ある大学院教育」イニシアティブ
「先端通信エキスパート養成プログラム」の
シンポジウムが開かれた.

残念ながら,シンポジウムすべてには出席できなかったが,
昼に行われた学生たちの
提案型研究の発表会には参加できた.
この「提案型研究」というのはこのプログラムの
ひとつの柱である.
学生たちが自分たちでテーマを提案し,
予算を申請し,管理し,
研究を進めるというアドバンストなプログラム.
多くの募集の中から採択されたテーマだけに,
発表を聴いても,さすがによくこなれている.
学生たちの実力を感じた.

昼間だけ参加し,千里中央から大学にとんぼ返り.
また学生とともに実験に取り組む.
う~ん,うまくいかない.
しかし,これでくじけてはいけない.
いろいろな手段を試して,
できるだけのことをしなければ.
それが研究の勘所である.

とはいっても,シンポジウム夜の打ち上げ会には,
その学生と参加する.
彼もその提案型研究を頑張ったひとりなのだ.
せめて打ち上げには参加してもらって,
その労をねぎらいたい.
打ち上げ会は,専攻長をはじめとして,
大いに盛り上がった.
私は宴会だけに参加した格好となり,
ちょっと肩身が狭かったが.
(酔ってしまえばそんなことは関係ないのだけど)

土曜日は,午前中に家事を済まして,
午後からパワーエレクトロニクス学会の評議員会に出席.
17:00前には会議も終了.
他の皆さんとお酒を飲みに行きたいのはやまやまだったけれど
(ビールという単語に喉がゴクリと鳴った)
我慢して大学へと向かう.
締め切りをとうに過ぎていた
パワエレ学会のお仕事をなんとか仕上げる.
遅れてご迷惑をおかけした皆様,申し訳ございません.

家に帰るとKill Bill Vol.2が放映されていて,
ついつい見てしまう.
こうして疲れた頭には,タランティーノの映画は
実によくはまる.
西部劇風のBGMと,展開のばかばかしさにほっとする.
ここまでB級テイストいっぱいの映画を,
よく製作会社が作らせてくれたなぁと感心.
Death Proof in Grindhouseもぜひ見たい.
(家族の前では観れないだろうけど)

日曜日は,たまっていた家事を済ます.
医療費の還付に関わる確定申告書類を作成する.
ただひたすら医療の明細書を打ち込む.
医療機関の領収書をひたすら打ち込む.
打ち込む,打ちこむ,打ちこむ.
なんとか日が変わる前に申告書を印刷できた.
もうヘトヘト.
世の確定申告を行っている同志について
想いを馳せる.
「みんな,よくやっているよ!」

そんなこんなで疲れがたまっているのか,
今朝はぐったりと元気がない.
こんなことではいけないと思いつつも,
朝から肩が凝り,首は回らない.
顔もむくんでいる(誰も気づかないけど).
重たい身体を引きずって,
どうにか自動車で出勤.
カーラジオから流れてきたのは,
R. Straussの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」.
美しい音の重なりに,知らず知らずのうちに緊張していた
身体がリラックスしていくのを感じる.

作品名のAlso sprach Zarathustraは,
「ツァラトゥストラはこう語った」と
訳されることが最近多いのだけれど,
ちょっと前は,「ツァラトゥストラはかく語りき」だった.
こっちの方がかっこいいと思うのだけれど,
なぜ変わってしまったのだろうか.
もちろん,ニーチェの著作にインスピレーションを
受けた作品なわけで,
そのニーチェの本も最近は,
「こう語った」などと訳されているのをみると,
ちょっと違和感を覚える.
岩波文庫では,「ツァラトゥストラはこう言った」などと
口語的に訳されていて,少し品が無くなったように感じるのは
私だけではないと思う.

この曲は特に,キューブリック監督の
「2001年宇宙の旅」で使用されたことから
導入部が非常に有名だけれど,
そのあとに続く曲の美しさを知っている人は少ない.
もったいないと思う.

最近では,ティム・バートン監督の
「チャーリーとチョコレート工場」の中で,
この「2001年宇宙の旅」のパロディのシーンで
やはりこの曲が流れていて,思わず笑ってしまった.
「チャーリー...」のエンドタイトルクレジットで,
使用されていた演奏が,カラヤンのデッカ盤らしいことが
わかってさらに感心.
「2001年宇宙の旅」と同じである.
凝った演出である(このデッカ盤についてはベーム盤との誤解の
話もあって,いろいろ面白いのだけれど,それはまた別の機会に).

そういえばプレスリーのコンサートのオープニングにも
使用されていたなぁとも思いだす.
その音楽の残響を聞くだけで,
どの会場で行われたプレスリーのコンサートがわかるマニアが
以前,「カルトQ」に出ていて感心した覚えがある...などなど

そのような他愛もない話を思い出しながら,
そのめくりめく旋律の美しさにうっとりとする.
(ちょっと運転が危なくなる...)

しかし,ずいぶんと気分は回復し,
大学に着くころにはすっかりと元気が戻っていた.
音楽というのは本当に素晴らしい力を持っている.

たぶんこうした気分というものは,
私の無意識の状態に依存するものだろうと思うのだが,
通常は無意識の状態をコントロールすることは難しい.
(武道ではここらへんを重視して,
呼吸や姿勢などのいろいろなテクニックで
それをコントロールすることこそ,
修行の目的のひとつとなるわけだけど)
しかし,音楽はいともたやすく無意識にアクセスしてしまう.
そしてその影響は逆にコントロールできないほど大きい.

私たちはもっと音楽の偉大さを
立ち止ってじっと考えるべきではないのだろうか.
いまは,音楽は消費されるだけのものになってしまう.
消費されてしまった音楽は,顧みられることはない.
時代を経て残ってきたクラシック音楽は,
消費をされずにギリギリに生き残ってきた音楽なのだろう.
なにが時代を越える音楽とそうでないものを分けるのだろうか.
そんなことを思う.

今日の録音は,1996年録音のブーレーズ・シカゴ響のものであった.
美しくて,ちょっと食指が動いた.
R.シュトラウスといえば昔はカラヤンで,
私もずいぶん愛聴してきたのだけれど.

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