2008年4月30日水曜日

大阪にクラシック音楽は根付いているのか

ゴールデンウィークの連休は,
ゆっくりと家のステレオで
音楽でも聴いて過ごそうかと思っている.

部屋のステレオで,ということになると
クラシックか最近聞き始めたジャズか,
ということになる.
(ポップス,ロックはステレオセットで
聴くことはほとんどない)

やっぱりクラシック音楽はいい.
聴いた後に満足感が得られる.
今年は,メシアンが生誕100周年ということで
(カラヤンと同い年)
ちょっとメシアンを聴きこんでみようかと思う.

クラシックでは,最近は20世紀に入ってから
作曲されたものを聴くことが多いように思う.
ロマン派もいいけれど,ちょっと食傷気味.
(チャイコフスキーなどは1年に一回聴けば十分かな}
20世紀の少しドライな曲がいい.
今度の休みは,
「世の終わりのための四重奏曲」(メシアン)を聴いてみよう.

しかし,関西に来てすっかりと演奏会に足を運ぶ機会が
無くなってしまった.
その最たる理由は,家族ということなのだけれど,
関西には,あまりクラシック音楽やオペラを楽しむと
いった文化がないようにも感じてもいる.

関東にいたころは,仕事を少し早上がりして
(17:30には帰る)
演奏会に出かけたものである.
前の職場の研究所では,演奏会がよく話題に上ったし,
自ら楽器を演奏する人も多かった.
(ちなみに私は全く楽器には縁がない)

東京には,少なくとも10のプロのオーケストラがある.
それが毎週末のように演奏会を開くのだから,
週末に演奏会に出かける人は1万人弱はいるのではないか.
(その他にソロリサイタル・室内楽なども開かれているので)
いま,ちょうど東京国際フォーラムで開催されている
「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭」などでは,
動員数は100万人といわれている.
関東では,クラシック音楽が生活の中にあるように思う.
いや,そこまで言わなくても,
クラシック音楽を話題にすることに違和感を感じない.

しかし,関西はどうだろう.
仕事を,コンサートやオペラに行くからといって
残業なしで帰れるような職場の雰囲気があるだろうか?
もしも「ラ・フォル・ジュルネ」が大阪で開催されたとしても,
どれだけの動員が期待できるだろうか.
残念ながら,なかなかうまくいかないのではないだろうか.
関西には,その余裕がないのだろうか.

でもヨーロッパでは,第2次大戦の空爆下においても
演奏会が開かれていたというのだから,
余裕がないというのは,ちょっと理由にならない気がする.

大阪センチュリー交響楽団の存続が今問題となっている.
(関東のどこの交響楽団も財政は大変らしい)
クラシック音楽が好きな私としては,
ぜひ存続していっていただきたいと思う.
そして,もっと関西でもクラシック音楽が普通に
受け入れられればいいのに.

夕方仕事帰りにコンサートに行く,
そんな豊かな暮らしがしてみたいと思う.

2008年4月28日月曜日

時給を上げろ!

先週末は,久しぶりにフルで休みだった.
ようやく仕事も落ち着きつつある.
少し,いろいろなことを考えてみる.

お金というフラットな尺度を
なにもかもにあてはめるのは,
いろいろと問題がある,と書いているけれど,
その反面,やはりその尺度は,
物事の価値を測るのに非常に便利である.

仕事の生産性を測る目的であるならば
時給という尺度がある.
自分の平均時給を考えてみた.
自分の年収を年間の積算労働時間で割ってみればよい.

...悲惨な結果だった.
大学教員は基本的に8時間労働であり,
残業は認められていない.
(教員の研究業務は趣味として行っていることになっている)
したがって,8時間を越えた労働は,
すべて収入には反映されないことになる.

そうしたことを考慮して求めた私の時給は
悲しくなる値であった.
残念ながら年収が劇的に増加するということは
期待できそうにないので,
労働時間を短くするしか時給を上げる方法がない.
一日8時間ぴったりで,年間200日しか働かないならば,
許せる時給値になる.
だから今年は,知的生産性をあげることを目標としている.
短時間に大きな成果をあげるように,
さまざまな工夫をしていきたい.

このようなことを書くと,すぐに,
「そもそもその年収に応じた成果がでているのか?」
と問われるので,あまり声を大きくして言えないのだけれど,
まぁ,自分なりにということである.

そのうち,
「休みたいならば,辞めればいい」
などとも言われる可能性もあるので,
ますます声を小さくいっておく.

しかし,時給で仕事を換算すると
なかなか面白い.
例えば,私の貢献が少なそうな会議に出席することを考える.
当然,私の発言もほとんど無い.
しかし,そこで費やされる数時間の価値は,
私の時給に見合うだけのものだろうか?
浪費された時間は,別の時間で埋め合わせがされる.
こうして平均時給が下がっていく.

時給を上げるためにはどうするか.
なるべく無駄な仕事はしないことである.
(もちろん,必要な事務仕事は喜んでやります)

まずは,
「なんのためにこの仕事をするのか?
それだけの価値があるのか」
こうしたことを考えて行動したい.

もちろん,お金では測れない価値も
十分に考慮して.

2008年4月25日金曜日

OOPARTSのロマン

クリスタル・スカル(水晶のドクロ)といえば,
オーパーツの中でも大変有名なもので,
インディ・ジョーンズの19年ぶり(!)の新作映画でも
題材となっている.

オーパーツというのは,Out Of Place ARTifactSの
ことで,場違いな加工品という意味.
すなわち,その時代,その場所の技術などでは
製作できないような加工品のことをいう.

このクリスタル・スカルでいえば,
マヤ、アステカ文明の遺物とされていて,
その時代にこの水晶を加工できる技術はなかったと
推測され,どのようにこのドクロが製作されたか,
大きな謎である,とされてきた.

もしかして,アステカ文明は現代,いやそれ以上の
文明であった,あるいは宇宙人が作ったなどという
非常にロマンのある話が,
小学校のときに読んだ本や雑誌に載っていた.

古代文明はもしかして今よりも進んでいたかもしれない,
などという話は,大変魅力的だ.
一度繁栄した文明が,
その技術の使い方を誤って滅びてしまう.
そんな現代文明への警鐘的なストーリの
漫画や小説などもたくさんあった.
私も実はこうした失われた文明の話が大好きである.

しかし,今日の新聞を読むと,
水晶のドクロには機械加工の跡があり,
どうも19世紀後半のドイツの工房で加工されたものらしい,
との見解が紹介されてあった.

やっぱり,と納得するも,正直,がっかりもした.
もっと夢を見させてくれてもよかったのに,とも思う.

でも,誰かがまたこんな話を作るだろう.
世界に12個あるクリスタル・スカルのうち,
本当のものがひとつだけあって,
他の11個は,誰かがそれを隠すために作ったニセモノである.
そして,その1個こそが...(あとはご自由にご想像ください)

とりあえず,今回映画の公開に合わせて
パリの博物館で公開される水晶のドクロは,
こうした素性のものらしい.

世の中には,まだまだオーパーツがあるという.
またそれとは別に,聖杯や聖槍などの聖遺物,
あるいは神器や仏器などの宗教関係の伝説的なものもあれば,
オリハルコンのような金属(?)もある.
こうしたものへの夢はまだまだ続く.
いくつになってもこうした話は面白いのだからしょうがない.

2008年4月24日木曜日

Armchair Detective

大学教員は実験三昧かというと,
実は全くそうではない.
ほとんどが毎日の雑務に追われて,
デスクワークに終始している.
研究の時間を絞りだすのが難しいというのが
かわいそうな本当の実情である.

そんなわけで実験は学生が中心に行う.
そして実験では,いろいろな問題が生じるから,
データなどの資料をもって私のところに
バラバラと相談に来ることになる.

ここからが大変である.
一緒に実験をしていれば,
どういう状況かすぐに理解できるのだけれど,
そうではなないから,状況の把握は
学生の説明に頼らざるを得ない.
しかし,その学生が説明してくれる状況が
どうも要領を得ない.

そこで結局,回路図と波形データをもとに
実験状況を聞きだす質問を学生に繰り返し,
うまくいかない原因を推理することになる.
まるで探偵のようだと時々思う.

事件の現場に赴かず,
いろいろな人の話から手掛かりを得て,
事件を解決に導く探偵を
"Armchair Detective"(安楽椅子探偵)と呼ぶ.
アガサ・クリスティーのミス・マープルなどが
その代表である.

私も机の前の椅子に座りながら,
学生の話からヒントを得て,
原因を推定し,それを解決する実験方法を提案する.
まさにArmchair Detectiveである.

しかし,それでは悲しい.
やっぱり現場に赴いて,
一緒に実験を行うのが一番いい.
実験はどんどんはかどるし,
なによりも私が楽しい.

探偵小説の中ではArmchair Detectiveは
皆から称賛されるけれど,
研究者としては,とてもほめられたものではない.
やはり研究者は現場第一主義でなければならないからだ.

今年は,Armchair Detectiveではなく,
シャーロック・ホームズのように
行動派の探偵のようにありたいものである.

(まぁ,ときどきホームズもArmchair Detectiveみたいなことを
やるのだけれど)

2008年4月23日水曜日

PCの入るバックパック

暖かい.
すでに初夏の気候だなと思う.
一年でも最も過ごしやすい季節なのだろう.

吹田キャンパスも新入生を迎えて,
にぎわっている.
(特に食堂も混んでいるし)
大学にいて思うのは,
こうした新しい血の導入がある限り,
大学が活力を失うことはないのだろうということ.
やはり組織は人で動いている.

さて,話は変わって以前にこのブログで
話題に取り上げたPCが入るバックパックについて.

このブログでのコメントをはじめとして,
周囲の方々にもアドバイスしていただき,
またネットで来る日も来る日も探し続けて,
ようやく購入した.

結局,YカバンのDRIVEシリーズというものに落ち着いた.
決めてはやはりデザインである.
私はビジネスの場で,
アウトドア風のデザインを持ち歩くのは,
まだちょっと抵抗がある.
ポケットが多いのは便利なのだけれど,
それらが膨らんでいると
ちょっとゴツすぎるのではないかと思う.
やはりスマートさが欲しいのである.

今回購入したのは,黒の光沢のあるナイロン地の
シンプルなデザインのものである.
一応,背中側にPCが入るポケットがあり,
飛び出さないようにベルトも付いている.

肩ひもが少し細めで華奢に感じられるのだけれど,
スーツ姿で歩くためにはこのくらいがちょうどいい.
(とはいえ,ちょっと強度に不安はあるのだが)

容量はそれほど大きくないが,
仕事には十分である.
逆に厚みがあまりないところが,
ビジネスユースに向いていると思う.

ついついバックパックには
ヘビーデューティを求めてしまうのだけれど
これくらいの作りで十分なのかなと
最近思っている.

実は色には,グレイとかベージュとかあって,
少し悩んだのだけれど,
(グレイでずいぶん悩んだ)
結局無難に黒にした.

購入から2週間.
なかなか使い勝手がよく,意外に気に入った.
(気に入らないのはちょっと高い値段だけ)
PCを肩に担いで楽をしたい,と思うのは
私だけではないと思う.

もっと落ち着いたデザインのPC用のバックパックがあれば,
売れると思うのだけどなぁ.

2008年4月22日火曜日

学問に王道なし

今日から研究室に新4年生が配属される.
4年生は各研究室に籍を置いて,
これから約1年間で卒業研究を行わなければならない.

卒業研究の達成は卒業要件のひとつだから,
それができなければ卒業はできないことになる.

以前にも書いたけれど,研究室で過ごす時間は大切である.
だいたい3年生までの大学での勉強というのは,
高校時代に比べずいぶんと自由になるけれど,
一方で座学が多く,受動的な学習の仕方という点では
変わりがない.

研究室に入ると,まずは研究テーマが与えられる.
解決しなければならない課題がそこにある.
しかし,これまでの勉強で行ってきた演習問題と違うのは,
そこには回答がないということである.

問題を解決するという目的はあるが,
解法は規定されていない.
それは自分で見つけ出さなければならない.
受動的から自発的な学習への転換がここに起こる.

自発的な学習においては,
みずから研究をスケジューリングすることが要求される.
先生方には定期的に進捗を報告しなければならない.
そしてなにより,研究のノウハウを身につけなければならない.
こうしたいくつかのスキルを会得することによって,
卒業研究の完成がなる.

実は卒業研究においては,
その成果が社会に対してもつ意味を
それほど要求されない.
まずは自発的な学習態度と幾分かの研究のスキルが
身に付いていればよい.
もちろん,それなりの研究結果を得ていることが必要だけれど.

それが修士論文,博士論文となると,
徐々に研究成果の社会的な貢献というものが重要となってくる.
研究遂行に要求されるスキルも高度なものとなる.
そうしたスキルは研究室で自発的に身につけていくしかないのだ.
だからこそ,研究室で過ごす時間は重要なのである.

時々,研究室に顔を出さない学生がいる.
(私たちの研究室では最近はずいぶんマシになったけど)
先生から指示がなければ何もしない.
そうした態度では,先に述べた研究のノウハウ,スキルは
身につかない.

最近はギリギリの努力で,つまり楽をして卒業できればよいと
考えている学生が多いようである.
お金ももらっていないのに,そこまでやる必要がないともいう.
お金というフラットな尺度で何もかもを考えてしまう,
最近の悪い傾向だと思う.
「お金ももらっていないのに」ではなくて,
「お金を払って」自分に研究者,技術者として
必要なスキルを身につけようとしているのだ.
将来の自分に投資しているということが理解できていない.
だから研究意欲に欠けるのだ.
こうした先が見えない世の中では,
自分のスキルを上げることこそ
最も確実な投資なのだということを忘れずにいよう.
(だから子供の教育費が高くなってしまうのだ.
子供の教育は最も確実な投資である)

学問には王道なし,と昔からいう.
なのに楽をして,その場をしのごうとしている.
結局何も身に着けずに卒業してしまうのだ.
この大事な大学時代,
それでは本当にもったいないと思う.
まずは研究室にいるようにしよう.
その時間積分が,これからの将来を決める.

2008年4月21日月曜日

ついに表舞台に立つパワーエレクトロニクス

先週の土曜日は,パワーエレクトロニクス学会の
定例研究会が大阪 梅田で開催された.

本年度第1回目ということで,
研究会の前には総会が開かれ,
後には懇親会が開かれた.

このパワーエレクトロニクス学会は,
研究発表のあとの質疑応答が充実しているのが
特徴である.
一つの発表に対して,一人の指定討論者というのが
割り当てられていて,指定討論者はあらかじめ
論文を読んで,当日の議論に備えるのである.

今回は,私が指定討論者のひとりだった.
貴重な発表に対し,
ろくでもない質問をしては失礼なので,
それなりに論文を読み込む.
それでも時間の制約もあって,ある程度までしか
読み込めないのだけれど,こうした機会は
非常に勉強になる.
当日の質問でも,いろいろとためになる回答を
発表者の方からいただいた.

最近,質疑応答が不活発な学会のセッションが多々見られる.
もしも質疑応答がなければ,学会の意味はどうなるのだろう.
研究内容は,Web上にスライドをUPすればよいだけに
なってしまうのではないだろうか.
やはり,学会はFace to Faceで質疑応答を行うことに
意義がある.
質疑応答は学会のキモである.
パワーエレクトロニクス学会は非常に所帯は小さいのだけれど,
この点は大いに誇るべきものがあると思う.

懇親会でも,あちらこちらでわいわいと,
硬軟合わせた議論が聞かれて大変楽しかった.
パワエレ業界の活力を感じる.

研究会の首都大学東京の清水先生の特別講演や,
懇親会の日吉会長のお話にもあったのだけれど,
これからの将来,成長を続け,
かつ省エネ・CO2削減をしていく社会のためには,
パワエレ技術は,全くもって不可欠なものである.

今朝のニュースで報道されていたのだけれど,
白熱電球の生産を中止する,あるいは中止を検討している
大手照明メーカが増えているらしい.
代替は,電球型の蛍光灯である.
消費電力を比較すれば白熱灯に対して蛍光灯は
1/5程度になるといわれている.
また寿命もずっと長くなる.
一般家庭においても照明で消費される電力は15%程度だから,
全国で見れば,ずいぶんと大きな省エネにつながるのだろう.

(白熱電球は白熱電球でよいところもいっぱいあって,
私も大好きなのだけれど,大量生産はする必要がないという
ことなのだろう.いつか真空管のように
マニア向けだけに流通するものになるのかもしれない.
ところで電球型の蛍光灯もやはりバルブと呼ぶのだろうか?)

このニュースを見るだけでも,パワエレが果たす役割は
今後ますます大きくなっていくことが予想される.
自動車,家電,電車,新エネルギー発電...
市場は山ほどある.
これまでは縁の下の力持ちであったパワエレが,
世の中の表舞台に立つ時代がついにやってきたのだと感じる.

パワーエレクトロニクス学会において感じた
派手ではないけれど,深く大きな活力は,
こうしたところに起因しているのだろうと思う.
誰もがパワエレのことを知っている時代,
そんな時代がやってくる.

2008年4月18日金曜日

カッコイイ音楽

あなたが思うカッコイイ曲は何?ときかれたら,
どんな曲を答えるだろうか.

最近,こんなことを考えてみた.
異なる音楽分野で,
それぞれカッコイイと思う曲があったのだけれど,
もちろん違う雰囲気である.
しかし,どれもカッコイイと思う.
どうして「カッコイイ」と一言で括れるのかと
不思議に思ったのである.

クラシックでは,

Bach: Keyboard Concertos No. 1 by Glenn Gould

これが,曲の入りから切れ込んでくるピアノがカッコイイ.
実は,グールドが弾く姿の映像も残っていて,
そのカッコよさはしびれるほどである.
バッハの曲にしては,少しケレン味が感じられて,
それがちょうどよい刺激になっている.
こう書いていると,頭の中でまたあの冒頭部が再現されてしまう.
少しAddictしているかも.

続いてはジャズ.

Kind Of Blue by Miles Davis

これは名盤中の名盤らしい.
実は私はこれまでジャズという音楽をほとんど聴くことがなかった.
"Swing Swing Swing" や "Take the 'A' Train"などの
あのダンサブルなナンバーにそれほど魅力を感じなかったからである.
今でも,そうした曲はあまり聴こうとは思っていないのだけれど,
このアルバムは違う.
抑えた曲調の作品が続き,なんど聴いても飽きない.

昨年,マイルス・デイビスが特集されたNHK教育テレビの番組を
ちらりと見たのだけれど,そのときの彼の写真の眼が気になって,
最近,彼のアルバムを聴き始めたのである.
彼については,いろいろと考えるところはあるのだけれど,
それはまた別の機会に.

とにかく,このアルバムは夜にゆっくり聴くのがふさわしい.
大人のカッコよさを感じる.

そして最後はロック.

Livin' On A Prayer by Bonjovi

これは定番中の定番である.
最近,商店街を歩いていてこの曲を耳にした.
あのイントロが聞こえてきて思わずこちらもワクワクしてしまった.
もう20年以上も前の発売だという.
あの頃,私も洋楽に夢中で,
小林克也のBest Hit USAなどの番組を見ていたものである.

しかし,最近もハードロックという分野は存在しているのだろうか.
ロックの分類も難しくて,私には全然理解できないのだが,
80年代のこうしたメロディアスなハードロックは今聴いても
魅力にあふれている.
メロディの良さというのは,
曲が時代を越えていくための必要条件である.

さて,この3曲を私はカッコイイと思った.
ちょっとみると何の脈絡もない.
しかし,これをカッコイイと感じる私の感性には
なにか法則があるのだろう.

こうした私の趣味を集めていくと,
私という人間が浮かび上がってくるかもしれない.

2008年4月17日木曜日

すっきりと渋滞の原因を説明してほしい

昨日,一昨日とブログの更新をさぼりました.
継続が大切と言いながらこの有様.
まったくもって面目の次第もない.

しかし,毎日ジェットコースターのような,
いや綱渡りの仕事スケジュールでやっている.
ちょっと予定がずれると,
あとあと大変なことになってしまう.

そういう中で,今日は渋滞に巻き込まれた.
私は車で通勤しており,
日頃は1時間弱の道のりである.
だが今日は渋滞に巻き込まれ,
なんといつもより1時間も長くかかってしまった.

今日は雨である.
しかし,通常の雨の日には渋滞が起こらない.
結局渋滞の原因は不明である.
事故がどこかであったのかもしれないし,
(私が現場を通ることには跡形もなく処理されていた)
単に,雨ということで自動車の交通量が増えただけ
なのかもしれない.

渋滞が起こる起こらないというスレッショルドは,
ほんの5%程度の交通量の差だと聞いたことがある.
ちょっとの差が大きな結果の違いを生む.
これがどういうメカニズムによって生じるかは,
たぶん渋滞学という学問もあるらしいから,
解析は試みられているのだろう.

世の中には,これと似たようなことが
多々あるかもしれない.
ある量がそのスレッショルドを越えるか越えないかで
全く結果が異なる.

その結果の違いが,
デジタルで入力の0か1で区別されるならば
その違いは明らかであるが,
(ある量を越えたら,ある変数を1とし,
それ以下であれば0とするようなこと)
アナログの連続量においても,
入力量のちょっとした違いが,
出力の決定的な違いを生むことになることが
まだまだありそうである.

そんなことを考えながら
中央環状線をかたつむりのようにノロノロと進む.
でも,感情は徐々にいらついてきて,
結局,なぜ解決できないのだろう,
誰が悪いんだ!とワルモノを探してしまう.
だれか,すっきりと説明してほしい!
そして解決法を提示してほしい.

結局今日のスケジュールは
またまたタイトになってしまった.
まぁ,いつものことなんだけど.

2008年4月14日月曜日

本を読んで,映画も見たい

大学に転職したら,
もっと本を読んで,映画も見ようと思っていた.
しかし...

やっぱりどこの職場も同じである.
時間がどこからかふって湧いてくるわけではない.
自分から強制的に時間は確保しないと,
いつまでたっても,時間不足になるらしい.

世の中のツールが便利になればなるほど,
人間の生活に余裕ができると昔は考えられていた.
ロボットが人間を単調作業から解放し,
パソコンが文書作成から計算まで短時間でやってくれる.
その代り,人間はより人間的な生活を送ることができる,
あるいは創造的な仕事に従事することができる,
と夢見てきた.

しかし,実際は違った.
生産性は向上したのは間違いない.
ただそれで生まれた余分の時間は,
さらに別の仕事にふりかえられたのである.
そこに誤算があった.

モバイルツールは,24時間仕事に従事することを要求する.
電子メールをチェックしなかったことを責められる.
そんな時代がやってきてしまった.

ミヒャエル・エンデの児童文学「モモ」を思い出す.
物語では時間泥棒が人々の大切な時間を奪っていく.
どうだろう.
今は,その時間泥棒が跋扈している.
どんどん「私の時間」が盗まれていく.

本はまだいい.
すきま時間に,少しずつでも読み進めることができるから.
しかし,映画はいけない.
やはりまとまった2時間程度の時間が必要になる.
ゆっくりと家のカウチに寝そべって,
映画を楽しみたいものである.

家にはいつのまにか,
「ボーン・アイデンティティー」と
「ボーン・スプレマシー」のDVDがあった.
うちの奥さんが買ったらしい.
その他にも
「燃えよ,ドラゴン」とか
「Matrix」とか,
まだ見ていないDVDがいろいろと棚にある.
私はそのケースのタイトルを眺めるだけである.

なんとか時間を確保する.
そしてゆっくりとDVDを楽しむ.
これを近々の目標としよう.

#正月に録画した「のだめ」も観ていないことに今気づいた.

2008年4月11日金曜日

まだやれることがあるんじゃないかって思うんです

昨日は思いのほか忙しく,
学会の委員会のあとはお酒をすっかり飲んでしまって,
ブログの更新をさぼりました.
すみません.
全然仕事がかたづきません.
山積する仕事をみて,もう笑うしかない状況です.

さて,気を取り直して,
またまた桑田選手の話.
昨日だったろうか,NHKの朝のニュースに
桑田選手が出演し,インタビューに答えていた.

番組でも紹介されていたけれど,
確かに彼のこれまでの人生は,
栄光と挫折の繰り返しだった.

ジャイアンツ時代も右ひじの手術を受けて,
復活まで2年を要していたし,
この前の大リーグのけがだって,
本当にひどいものであったらしいけど
長い時間をかけ乗り越えて
ついに大リーグデビューを果たしている.

このインタビューにおいて,
大リーグ開幕直前において,
足をけがしたときに,
足が曲がったまま元の位置に戻らないのを見て,
もうだめかな,と思ったと語っていた.

しかし,次の日には,
「まだやれることがあるんじゃないか」って思って,
できるかぎりのことをしようと決意したのだそうである.
そして彼は復活を果たした.

彼が大リーグデビューしたときのインタビューでも,
マウンドに立ったという結果が大切ではなく,
それを目指して努力することが重要だ,
のようなことを述べていた.

どんな状況にあっても
「まだやれることがあるんじゃないか」と
思う人の強さに私は憧れる.

人事を尽くして天命を待つ,という言葉があるが,
天命があっても,なくても
人事を尽くすことができる人間でありたいと思う.

インタビューをしていたNHKの男性アナウンサも
実は私も桑田投手と同い年なんです,と話していた.
(ということは私とも同い年)
そう,同い年である男性からみて,
桑田真澄は気になり続ける存在なのだ.
今後も彼の動向はWatchしていきたい.

2008年4月9日水曜日

継続するヒンズースクワット

先日,朝の通勤時に妙な人を見た.
信号待ちで交差点で車を停めたのだけれど,
その交差点のショッピングセンターの玄関の前で,
30代くらいの男性が,なぜか手を首の後ろに組んで,
スクワットを繰り返している.

髪は角刈りが伸びた感じ.
歩道の信号の色には関係なく,
どこを見ているのか視線をまっすぐにして
ただ黙々と屈伸を繰り返していた.
足もとにカバンが置いてあるのをみると,
誰かを待っているのかもしれない.
しかし,上半身はTシャツっぽくて,
下半身はスラックスを履いていたようだった.
ちょっと仕事という風には見えない.

朝8:00からなぜこんなところで
エクササイズをする必要があるのか.
気にはなったけれど,信号が青に変わったので
車を発車させた.

世の中にはいろいろな人がいるから,
どうということはないのだけれど,
妙に気になる人だった.
それから学校までの時間は,
ずっとスクワットのことを考えていた.

私も若い頃はスクワットをよくしたものである.
見かけた若い男の人のように頭の後ろに手を組んで
行うこともあったし,
レスラーのように腕を振りながら,
ヒンズースクワットをすることもあった.
また一時期はウェイトトレーニングにも凝っていたので,
当然ウェイトを担いでもスクワットした.
スクワットはトレーニングのKing of Kingsなのだ.

今やれといわれても20回くらいがせいぜいだろうけど,
昔は数百回はやっていたように思う.
なんといったって,愛読書は「1,2の三四郎」だったし,
やっぱりアントニオ猪木が1万回やったとか,
ジャイアント馬場だって5千回以上やったとか,
そうした超人的な話に憧れて,
私も汗を流していたのである.
(あの頃,「空手バカ一代」だった)

スクワット1万回といえば,2秒で1回屈伸をするとしても,
2万秒,5時間半はかかる計算となる.
猪木は道場で汗で水たまりをつくったらしい,
などという話を聞いて,少しは自分も,と思っていたことに
若さを感じてしまう.

近くにできた空手の道場は,
最初から500回スクワットする,などと聞かされて,
高校の空手道部でも,それを実行したりした.
まねするだけでは悔しいから
鉄ゲタを両手に持って行ったりした.
懐かしいなぁ.

しかし,それを継続するということが難しい.
500回を1日だけ行うのであれば,
それはそれでなんとかなるかもしれない.
それを毎日続けるとなると,
その難しさのハードルはぐっと高くなる.

なんでもそうだけれど,継続することが
最も大切である.
トレーニングは継続してこそ,
筋肉がつくのである.
一回性のものであれば,それはトレーニングではない.
鍛えるということは,継続することに等しい.

もちろん,トレーニングだけに限る話ではないことは
すぐに理解できる.
継続に勝るトレーニングは無いのである.
やはり積分である.

マラソン女子の増田明美選手は,
現役時代1日3000回の腹筋を行っていたという.
量はとてもかなわないが,
継続することは自分の努力次第で何とかなるはずである.

機関車の車輪のように繰り返されるヒンズースクワット.
それと同様に愚直に鍛え続けるということも,
自分の基礎を作るために必要不可欠なことである.
継続は確かに困難だけれども.

2008年4月8日火曜日

主権者は誰か

昨日,ラジオのニュースを聴いていると,

「主権者とは例外状況について決定するものをいう」

という,政治学者カール・シュミットの言葉が紹介されていた.
日常のルーティーン的な仕事については,
政治家や役所がそれを行えばよい.
なにか例外的な状況になったときに,主権者である国民は,
自ら考えて決断を下さなければならない,という文脈で
この言葉が持ち出されていた.
現在のこの日本の例外的な政治状況においては,
私たち国民がもっと主権者であることを
自覚しなければならないということであろう.

この話を聞いて頭に浮かんだのは,
私の潜在意識と顕在意識の在り方についてである.
日頃,私の行動はほとんど潜在意識によって
行われていることが多い.
半自動的に,歯を磨いたり,風呂に入ったりしている.
まぁ,そうした事柄について,
いちいち,いろいろと自覚して
判断しなければならなかったら,
毎日は煩雑すぎて,とても暮らせないことだろう.

しかし,私の場合,それが半自動的過ぎて,
自分が何をしたか覚えていないことが多い.
ちょっとしたことが思いだせない.
それがいろいろな問題を引き起こすに至っている.
最近,少し自分でも危ういかな,と思い始めた.
健忘症を疑ってもいいかも.
しかし,例えば今朝の食事も,
昨日の食事も良く覚えている.
記憶力は確かに悪くなっているけれど,
それほどひどくはないと思う.
ただ,もう少し自覚的に
毎日を過ごしてみなくてはと思う.
それは結構生活態度を変えるものかもしれないとも思っている.

私という中では,潜在意識が毎日を司っている.
ルーティーンワークは,ほとんどそれで済んでいる.
なにか例外状況があった場合のみ,
私の顕在意識が決断を下す.
では,私の主権者はこの顕在意識なのだろうか?

う~ん,
顕在意識とは,潜在意識の氷山の一角であるならば,
そう単純にはいかない気がする.
たぶん政治も主権者と為政者も
区別が単純にはつかないのだろう.

2008年4月7日月曜日

青雲の志

中国からの留学生を
関西空港に迎えに行った.

まだ若い女子学生である.
親元を離れて日本に留学するというのだから
本当に頭が下がる.

聞いてみると兄弟はいないのだという.
一人っ子政策ということらしい.
しかし,たった一人の娘を
海外に留学させようとするご両親の
心中を思うと,本当に切ない思いがする.

しかし,彼女はいたってポジティブである.
一生懸命頑張ることしか考えていない.
日本で学位をとって,母国に帰るのだという.
日本に来るのが初めてどころか,
海外に出るのも初めてと聞いて,
本当に大丈夫かと心配してしまう.

私も大学入学時にふるさとを離れるときには,
このような青雲の志を抱いていたのだろうか.
そんなことは,もうすっかり忘れてしまった.

ただ,新潟で買い込んだ家財道具を
そんなに大きくはない自家用車に積んで,
新潟から東京まで父親に運転してきてもらったのは
覚えている.

当日は春だというのに雪が降り,
関越道は途中,チェーン規制されるほどだった.
雪の中,父が車の外に出てチェーンを
つけてくれたことがずいぶんとうれしかった.
チェーンを取り付けてくれただけのことではない.
そうやって,いろいろと身の回りのことを
これまでずっと私の代わりにやってくれていたのだと
不意に理解したのである.

横浜の学生寮まで送ってもらって,
父はすぐにまた新潟に運転して帰って行った.
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった.
車が見えなくなるまでずっと門に立っていた.

しかし,故郷が恋しいとか,親が恋しいとか,
そんなことは全くなかった.
そして大望を抱いていたかどうかは
定かではないのだけれど,
初めて寮の部屋で過ごした夜のことはよく覚えている.
部屋の外からカーテンを通して入ってくる光に
青白く照らされた蛍光灯を
布団の中であおむけになって見ながら,
翌日から始まる新しい人生にワクワクしていた.
それまで感じたことはなかったけれど,
自分を縛っていた故郷と両親の重力の存在を
初めて認識した日でもある.

あれからずいぶんと長い時間が経つ.
今日の留学生の姿を見て,
思いもかけず,20年以上も前の自分を思い出した.
あのときももう桜が満開だった.

2008年4月4日金曜日

それはまるで時限爆弾のように発火する

何かができるようになった瞬間,
突然にある場面が
フラッシュバックすることがある.

私は下手の横好きで
合氣道を稽古しているのだけれど,
合氣道では剣や杖を遣う.
これがまたずいぶん下手で,
自分でも嫌になるくらい.
でも稽古自体は楽しくてたまらないので,
今も剣や杖を振り続けている.

以前,私がまだ茨城に住んでいたころ,
本部道場における稽古にたびたび参加していた.
そこでは,宗主のご指導を直々にお受けできる
機会があった.
皆の前に呼ばれて,杖の振り方のご指導を受けた.

剣や杖というのは,本当に軽く持って
遣うことができなければ,用をなさない.
どれほど軽く持つかといえば,
本当に手の内からするすると抜けるほどである.
宗主はちょうど五月人形が槍をもつように,
と指導される.
すなわち手はあらかじめ輪を作って,
そのなかに槍を通すような感じで軽く持つ,
との意である.

そして振るのも本当に軽く振る.
それがなかなかできなかった.
皆の前で何度も杖を振らされたのだけれど,
そのたびに,「違う!」と言われる.
何度やっても全然できなかった.
そのうちにふとしたことでたまたま
全身が一致して軽く振ることができた.
そのとき宗主は,
「それだ!それでいいんだよ」と叫ばれて,
にこにこと笑っておられた.
そして,私は列に戻ることができた.

そのときは,本当にうまくできた.
しかし,その後同じように
杖を遣うことはできなかった.
宗主いわく,Easy Come, Easy Go.
またいくらやっても満足がいかなかった.

あれからずいぶん経つ.
そしてもうすっかりそのことは忘れていた.

そして大阪に来てしばらくのこと,
ある日杖を振っていると,
突然全身が一致して軽く遣うことができた
瞬間が訪れた.
そのときに,あの宗主に指導を受けた場面が
まるで花火のようにフラッシュバックした.
あのときの感覚を再現できたとき,
それをトリガとして
その記憶もよみがえってきたのである.
まるで筋肉の奥底に記憶が眠っていたようだ.

あれ以来,ずいぶんとマシに
杖を遣うことができるようになった.
こうして思うと,今は思い出せないけれど,
身体の中には同様に,
先生にご指導を受けた記憶が
数多く眠っているのだろう.

そして,いつかそれが実現できたときに,
記憶はまるで時限爆弾のように発火する.
初めてそのときに意味が
理解できるようなこともあるのだろう.

合氣道に限らない.
なにかを示唆するその教えは
私の身体の奥底に数多く格納されているのだ.
そしてそれは潜在意識の中で,
私の行動にあるベクトルを取らせ続けている.
そしていつか目的が達成されたときに発火する.

今は理解できなくても,
身体の中にその教えを
いつか発火させることができるよう
深く埋め込んでいきたいものである.

2008年4月3日木曜日

花より団子

桜が満開である.
今年はどうも桜も咲き急いでいるようだ.
開花宣言から満開まで,
ずいぶん短いような気がする.

桜の花びらが風の形を表して飛んでいく.
美しいと思うのは日本人だからなのかなと思う.

まぁ私はやっぱり花より団子で,
桜といったら,桜餅なのである.
あの香り,甘さ,たまらない.

桜餅には2種類ある.
関東風の長命寺餅と関西風の道明寺である.

私は新潟の生まれなのだけど,
新潟で食べる桜餅は,なぜか関西風の道明寺であった.
つぶつぶが残るようにもち米を荒く挽いた
薄紅色の餅の食感を味わいながら,
鼻腔に抜けるあの香りを楽しむ.
あのもっちりとした食感.
餡にとどいたあと,口の中に広がる甘さ.
熱い緑茶をそのあとさっと口に含む.
もうたまらない.

大学のために上京したのだけれど,
そこでは桜餅に関する記憶はほとんどない.

次の記憶は茨城県東海村で結婚したあとである.
うちの奥さんが買ってきた桜餅を見て
びっくり仰天.
まるでクレープみたいなものが,
餡のまわりに巻いてある.
これが桜餅なのかと思った.
クレープのようなものは小麦粉から
できているらしい.
それでなぜ「餅」なのだ,と思いながらも,
やはり巻かれている桜の葉は一緒で,
あの香りも同じである.
そして食べてみるとやはり美味しい.

どちらも大好きなのだけれど,
どちらかといえば,
私は関西風の道明寺の方が好きだ.
やはり「餅」は「餅」であるべきで,
食べた後の満足感に勝る.
あぁ,また食べたくなってきた.
舌の上であのツブツブ感を味わいたい...

ところで,うちの奥さんに言われて
初めて知ったのだけれど,
餅に巻いてあるあの桜の葉は,
食べないものらしい.
まず葉を外して食べる.
それが普通だという.

そんなことは知らなかったけれど,
それでも私は,いつも一緒に食べている.
餅と一緒に葉を噛み切るときの食感,
そして餡の甘さを引き立てるあの塩味.
人にどう思われようが,
桜の葉を餅と一緒に食べないのはもったいない.

2008年4月2日水曜日

ネタばらし

もちろん,みなさんお気づきとは思うのですが,
昨日の記事はエイプリルフールということで,
ちょっとしたウソの話を書いてみました.
私が20kHz程度の音が聞こえるというあたりから,
ウソになっています.
(もしもそんな能力を持った人がいたとしても,
パワーエレクトロニクス機器から聞こえる音は,
ノイズにしか聞こえないと思う.
でも,ある電車(K急)のインバータ(VVVF)は,
その周波数をわざとドレミファソラシドの音階に
聞こえるように制御している.
私は残念ながらまだその電車に乗ったことがない)

ウソだとここで明らかにするのも
ずいぶん不粋なことだと思うのだけれど,
もしも,本当に私がそうした音を聴くことができる,
と勘違いされると,ちょっと困るかもしれないので,
ここでとりあえず釈明しておきます.

もっとスマートなウソがつけたらよかったけれど,
昨日がエイプリルフールだと気づいたのが
朝11時頃だったもので,
ネタを考える時間がありませんでした.
来年はもっと"ウソ道"に精進いたします.

2008年4月1日火曜日

夜中の台所にて,パワーエレクトロニクスの音色に耳を澄ます

今朝,大学の正門の前に人だかりができていた.
今日は大学の入学式らしい.
教員なのに全然認識していなかった.
入学された皆様,おめでとうございます.
これからまた一生懸命,勉学にいそしんでください.

さて,昨日のLorenz氏の次世代のデバイスの話にもあったのだけれど,
世の中にあふれているインバータなどのパワーエレクトロニクス機器は,
高速なスイッチング(ONとOFF)を繰り返すことによって,
交流を直流に変えたり,直流を交流に変えたりしている.

そのスイッチングの周波数は,産業用の大容量のものであれば
使用してる半導体素子の損失を小さくするために,
数kHz以下となっている(1秒間に2000から3000回のON/OFFをする)
こうした周波数であると,磁気素子(コイル)などがそれに伴って
振動し,音を出すことになる.

だから家電製品では,人間の可聴域を超える周波数で動作するように
設計される.具体的には17kHzとか,18kHzとかである.
人間の耳はだいたい20kHz程度まで聞こえるとされていて,
それをもとにCDに収められる音は20kHzで切られている(フィルタリング).

このくらいの周波数になると,半導体素子のスイッチング損失と呼ばれる
損失が多く発生してしまい,効率が悪くなってしまうという問題がある.
SiCやGaNの次世代素子を使えば,
低損失で高速なスイッチングが可能となるので,
もっと高い周波数での動作で設計でき,こうした問題は解消されることが
期待されている.

しかし,人間の脳は聞こえていると認識しなくても,
音はちゃんと耳を通じて脳の中へと入ってきているらしい.
それが音質に影響していると言われている.
つややかなバイオリンの音や金属的な笛の音.
そうした豊かな音の響きは,どうも人間の可聴域とされていた
周波数以外の音によって下支えされているのではないか,
と考えられるようになった.
その結果,SACDでは100kHzの再生能力を持つと言われるまで,
音楽媒体の再生周波数帯が広がっている.
(実際には,もっと高いサンプリング周波数なのだけど)

しかし,それは一般の人の話である.
色覚についても,紫外領域の光が見える人がいるように,
20kHz以上の音も聞こえる人がいる.

最近気づいたのだけれど,私が
冷蔵庫や太陽光発電用インバータなどの
そばに行くと,やわらかな音がする.
ほんわかとまるで環境音楽のような印象である.
自宅の台所などに夜一人起きていると,
そうした音がかすかに聞こえていたのだけれど,
その音の発信源が,そうした家電製品であることに最近気づいた.
どうも私には20kHz程度の音がかすかに聞こえるらしい.

意外にそうした音は心地よい.
またインバータによっては,PWMなどの変調方式を
制御によってときどき変更しているらしく,
聞こえてくる音色も変わっていく.

こうした音は,ドアひとつ隔てるだけで
聞こえなくなるので,睡眠などには全然問題にならないのだけれど
(夜に問題になるのは,主に低周波の方である)
世の中で,こうした音色に耳を澄ませている人が
どれだけいるのだろうかと,夜中の台所のテーブルで
ひとり考えた.

聞こえないと思って設計している技術者は,
私のような一部の人たちのことなど考えていないに違いない.
彼らは知らず知らずのうちに,環境音楽を作り出しているのだ.
(一部の人にとってだけれど)