2008年4月22日火曜日

学問に王道なし

今日から研究室に新4年生が配属される.
4年生は各研究室に籍を置いて,
これから約1年間で卒業研究を行わなければならない.

卒業研究の達成は卒業要件のひとつだから,
それができなければ卒業はできないことになる.

以前にも書いたけれど,研究室で過ごす時間は大切である.
だいたい3年生までの大学での勉強というのは,
高校時代に比べずいぶんと自由になるけれど,
一方で座学が多く,受動的な学習の仕方という点では
変わりがない.

研究室に入ると,まずは研究テーマが与えられる.
解決しなければならない課題がそこにある.
しかし,これまでの勉強で行ってきた演習問題と違うのは,
そこには回答がないということである.

問題を解決するという目的はあるが,
解法は規定されていない.
それは自分で見つけ出さなければならない.
受動的から自発的な学習への転換がここに起こる.

自発的な学習においては,
みずから研究をスケジューリングすることが要求される.
先生方には定期的に進捗を報告しなければならない.
そしてなにより,研究のノウハウを身につけなければならない.
こうしたいくつかのスキルを会得することによって,
卒業研究の完成がなる.

実は卒業研究においては,
その成果が社会に対してもつ意味を
それほど要求されない.
まずは自発的な学習態度と幾分かの研究のスキルが
身に付いていればよい.
もちろん,それなりの研究結果を得ていることが必要だけれど.

それが修士論文,博士論文となると,
徐々に研究成果の社会的な貢献というものが重要となってくる.
研究遂行に要求されるスキルも高度なものとなる.
そうしたスキルは研究室で自発的に身につけていくしかないのだ.
だからこそ,研究室で過ごす時間は重要なのである.

時々,研究室に顔を出さない学生がいる.
(私たちの研究室では最近はずいぶんマシになったけど)
先生から指示がなければ何もしない.
そうした態度では,先に述べた研究のノウハウ,スキルは
身につかない.

最近はギリギリの努力で,つまり楽をして卒業できればよいと
考えている学生が多いようである.
お金ももらっていないのに,そこまでやる必要がないともいう.
お金というフラットな尺度で何もかもを考えてしまう,
最近の悪い傾向だと思う.
「お金ももらっていないのに」ではなくて,
「お金を払って」自分に研究者,技術者として
必要なスキルを身につけようとしているのだ.
将来の自分に投資しているということが理解できていない.
だから研究意欲に欠けるのだ.
こうした先が見えない世の中では,
自分のスキルを上げることこそ
最も確実な投資なのだということを忘れずにいよう.
(だから子供の教育費が高くなってしまうのだ.
子供の教育は最も確実な投資である)

学問には王道なし,と昔からいう.
なのに楽をして,その場をしのごうとしている.
結局何も身に着けずに卒業してしまうのだ.
この大事な大学時代,
それでは本当にもったいないと思う.
まずは研究室にいるようにしよう.
その時間積分が,これからの将来を決める.

2 件のコメント:

  1. 耳の痛い話であり、納得するご意見だと思います。
    かくいう私も、学生時代は(学部卒ですが)大したこともせずに卒業していったクチですので、大いに反省させられます。
    でも、40近くになってやっとで、「回答がない」課題に取り組む醍醐味というのがわかってきました。何度も失敗して、躓いて、そこで学んで、また躓いて、そんな繰り返しの中で、めげずにやっていくのは本当に大変なことなのですが、それに負けないよう、強くなりたい、そして、夢を持ちたいな、と思う今日この頃です。

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  2. Asanoさん,コメント有難うございます.

    つまづくことの大切さがわかるのは,ずっと後のなのかもしれません.
    彼らは,ほとんど挫折なく育ってきた人たちです.自分が苦労することをしようとしません.

    自分が強くなるために進んで苦労を買おうとすることができたら素晴らしいと私も思います(こう書いていても私もつい楽をしようと思ってしまいますが...)

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