2008年4月28日月曜日

時給を上げろ!

先週末は,久しぶりにフルで休みだった.
ようやく仕事も落ち着きつつある.
少し,いろいろなことを考えてみる.

お金というフラットな尺度を
なにもかもにあてはめるのは,
いろいろと問題がある,と書いているけれど,
その反面,やはりその尺度は,
物事の価値を測るのに非常に便利である.

仕事の生産性を測る目的であるならば
時給という尺度がある.
自分の平均時給を考えてみた.
自分の年収を年間の積算労働時間で割ってみればよい.

...悲惨な結果だった.
大学教員は基本的に8時間労働であり,
残業は認められていない.
(教員の研究業務は趣味として行っていることになっている)
したがって,8時間を越えた労働は,
すべて収入には反映されないことになる.

そうしたことを考慮して求めた私の時給は
悲しくなる値であった.
残念ながら年収が劇的に増加するということは
期待できそうにないので,
労働時間を短くするしか時給を上げる方法がない.
一日8時間ぴったりで,年間200日しか働かないならば,
許せる時給値になる.
だから今年は,知的生産性をあげることを目標としている.
短時間に大きな成果をあげるように,
さまざまな工夫をしていきたい.

このようなことを書くと,すぐに,
「そもそもその年収に応じた成果がでているのか?」
と問われるので,あまり声を大きくして言えないのだけれど,
まぁ,自分なりにということである.

そのうち,
「休みたいならば,辞めればいい」
などとも言われる可能性もあるので,
ますます声を小さくいっておく.

しかし,時給で仕事を換算すると
なかなか面白い.
例えば,私の貢献が少なそうな会議に出席することを考える.
当然,私の発言もほとんど無い.
しかし,そこで費やされる数時間の価値は,
私の時給に見合うだけのものだろうか?
浪費された時間は,別の時間で埋め合わせがされる.
こうして平均時給が下がっていく.

時給を上げるためにはどうするか.
なるべく無駄な仕事はしないことである.
(もちろん,必要な事務仕事は喜んでやります)

まずは,
「なんのためにこの仕事をするのか?
それだけの価値があるのか」
こうしたことを考えて行動したい.

もちろん,お金では測れない価値も
十分に考慮して.

2 件のコメント:

  1. 同じような状況ですね。
    却ってフレックスの若者のほうが残業代がある分だけ、同じくらいのゾーンの裁量労働者に比べると、収入が上だったりすることもあるようです。

    >「なんのためにこの仕事をするのか?
    >それだけの価値があるのか」

    これは大変重要ですね。無駄な仕事を減らすだけではなく、アウトプットを的確なものにして手戻りを減らしてくれます。私はこれがない、若いものはもっとない。私が見づからOJTできないからどうしようと悩んでいます。

    お金で測れない価値に、人と人とのつながりがあると思います。これは、最初は時間がかかり非効率的なように思えますが、先々では、力を発揮するのでは、と信じて、日夜努力。。。

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  2. Asanoさん,コメントどうも有難うございます.残業代がないのに残業するというのは,よっぽとのモチベーションがないと悲しくなってしまいます.と,嘆いていても仕方がないので,私はしばらく知的生産性を向上することに注力してみたいと思います.

    お金で測れないものはたくさんあり,その最たるものがやはり人と人とのつながりですよね.こうしたものは縁が大切で,自らの努力だけではどうにもならないものもあります(努力ももちろん必要ですが).非効率なものほど一番の近道ということもありますし.

    私も日々努力と精進いたします.

    返信削除

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