2008年5月30日金曜日

オイストラフの哲学

ロストロポーヴィチというチェリストがいた.
もう亡くなって1年が経つ.
彼に関する映画も制作されたので,
ご存知の方も多いかもしれない.
(というよりも非常に著名なチェリストだった)

彼が亡くなったとき,彼と親交があった
小林和男さんがラジオに出演されていて,
彼に関する思い出を話されていた.
彼はNHKに勤めていたころ,
長くモスクワ支局に駐在されていたのだ.
(よくNHKニュースでもお姿を拝見した)

小林さんはロストロポーヴィチに関する
ドキュメント番組も制作されていたし,
個人的にも,ロストロポーヴィチの自宅に
招かれてワインをたくさん飲んだとか,
あるいは小林さんの日本の自宅を
ロストロポーヴィチが突然訪ねてきたとか,
そんな具合に親交があったらしい.

その小林さんが,ラジオで「オイストラフの哲学」という
非常に印象深い話をされていた.
それを紹介したい.

ロストロポーヴィチがまだ若く(20歳代),
バイオリンの巨匠(といっても40歳代)である
オイストラフとともにフィンランドへ
演奏旅行に出かけたときの話.

フィンランドの著名な作曲家シベリウスの宅へ
招待を受けた二人は,フィンランドの洋服店に
服を新調しに出かけて行った.
ところがその洋服店の女店主が,
絶世の美女だったらしい.
二人はドキドキしながら採寸などしてもらい,
翌日の演奏会にその美女を招待した.

さて翌日の演奏会.
ラジオで生放送もされていた.
曲目はシベリウスのバイオリン協奏曲.
(名曲中の名曲です)
ロストロポーヴィチは楽屋で
そのラジオ放送を聴いていた.

第1楽章,第2楽章と素晴らしい演奏を
オイストラフは聴かせてくれた.
そして第3楽章.
曲は突然最後の部分に飛んでしまったのだという.
オイストラフが間違ってしまったのである.

もう演奏は大変なことに.
なんとかオーケストラとともに
つじつまを合わせて終了させたが,
ロストロポーヴィチは,さあ大変なことになってしまった,
と思っていた.
なぜならこれから訪問するシベリウスの曲を
失敗してしまったのだから.
生放送だったから,たぶんシベリウス自身も
この演奏を聴いていたことだろう.
オイストラフはずいぶんと落ち込んでいるに違いない.

その晩,ロストロポーヴィチは,
オイストラフを気遣って,
ロシアから持ってきたウオッカを開け,
その話題に触れないようにしていた.
しかし,オイストラフは非常に上機嫌.
ロストロポーヴィチはとうとう我慢できなくなって
オイストラフに尋ねた.
落ち込んではいないのかと.

オイストラフは次のように答えたのだという.
(すみません,うろ覚えです)

「第1,第2楽章とうまく演奏できた.
第3楽章では,あの女店主が会場のどこにいるのか
気になってしまい,楽譜が吹き飛んでしまった.
しかし,もしかすると第1,第2楽章も
失敗していたかもしれない.
それが第3楽章の失敗だけで済み,
他の二つはうまくやれた.
たったひとつの失敗で
なんで落ち込む必要があろうか」

この答えにロストロポーヴィチは深く感動し,
以後,これをオイストラフの哲学と呼んで,
彼自身の人生における指針の一つとしたのだという.

私もこの話を聞いて,
素晴らしい考え方だと思った.
私も実践できたらとつねづね思っている.
ひとつの失敗が全体をダメにする,
と考えてしまうような完璧主義,悲観主義だけでは
人生うまくいかないのではないか.
こうした突き抜けた楽観主義も
時には必要である.

ロストロポーヴィチは,
反体制派のノーベル賞受賞作家を擁護したり,
その他の友人たちの活動を支援したりして,
ソビエトを亡命し(その後,
ゴルバチョフ時代に国籍復活),
苦難の道を歩いた人である.

小林さんは,なぜそんな危険なことをしたのかと
彼に尋ねたら,「友人をただ助けただけだ」と
答えたのだという.

ロストロポーヴィチのこうした生き方の根底のひとつに,
「オイストラフの哲学」があったのだ.
決してそれがご都合主義の
楽観思考ではないことがよくわかる.

2008年5月29日木曜日

インターネットから聴く音楽

インターネットの普及によって,
私たちの音楽との関わり方もずいぶん変わっている.
デジタルメディアプレーヤの普及によって,
情報ファイルだけ流通すればよくなっている.
CDを買わずにダウンロードだけで
済ます人もずいぶんと多いことだろう.
(私は相変わらずCDを購入しているが)

YouTubeなどを見ても
いろいろな動画が投稿されていて,
音楽ファンとしても大いに楽しんでいる.
宣伝のためにプロの人が投稿しているものもあり,
掘り出し物がないか,
さがしていたりする.

一方,プロのクラシックの演奏家の人が
動画で紹介されているサイトもあり,
気に入った演奏家の方には,
出演依頼の交渉もできるということである.

動画サイトでは音質がちょっと気になるという人には,
また別の朗報がある.
最近ではCDを超える音質を実現した音楽ファイルが
ダウンロードできるようになっているのだ.
(まぁ,どのような装置で再生するか,の方が
ずっと問題なのだけれど)
そうした音楽ファイルが入手できるのも
インターネットのおかげである.

しかし,インターネットによって
最も私が恩恵を受けているのは,
インターネットラジオである.
OTTAVAのようなクラシック専門局もある.
家に居てPCに向かうときなどには,
ずいぶんとお世話になっている.
もちろん,J-Waveがやっている
Brandnew-JのようなPOPSの放送局もあるし,
海外に目を向ければ,
まだまだクラシック,ジャズ,カントリーなどの
専門局がたくさんあり,好みによって
自由に世界の放送局を選ぶことができるということが
素晴らしい.

そして,私がお薦めするのは
ニューヨークフィルのサイトである.
ここでは,ニューヨークフィルの最新の定期演奏会の
様子を(期間限定だけれど)
ストーリミングで聴くことができる.
現代作曲家のワールドプレミエの演奏など,
CDで聴くことができない貴重な記録を
日本にいながら聴くことができる.
また演奏家などによる曲の解説の
インタビューなども動画で見ることができ,
非常に興味深い.
なによりもニューヨークフィルの太っ腹に感激する.
(その他,シカゴフィルなどは
サイトから曲をダウンロードして購入できるように
なっているらしい.私は試していないけど)

そして,こんなサイトもある.

「NMA オンライン
新モーツァルト全集:デジタル版」


このサイトではなんとモーツァルトの楽譜が
無料で入手できるのである.
(日本語にも対応している)
私は,まぁ楽譜を見ることはないのだけれど,
とにかくここまで可能になったのである.
インターネットが拓く知の世界とは,
ここまで広大なものなのかと,
あらためて感心してしまう.

子供たちは,自宅に居ながらにして
どのような音楽にも触れることができる.
私が子供の頃とは,その機会の多さが
全く違うものになっている.

CDが売れずに困っているという話があるが,
音楽の需要はむしろ高まっている.
私たちの身の周りに音楽があふれ始めている.
なんて幸せな時代になったのだろう.
そしてこの先どのような展開になっていくのか.
私はワクワクと期待しているのである.

2008年5月28日水曜日

英語の勉強法

学生に英語の勉強法について訊かれた.
残念ながら私の英語能力は,
決して人に自慢できるものではない.
相変わらず,英語も勉強中である.

しかし,私が学生の頃と
英語を勉強する環境は大きく変わった.

昔は英語の勉強法といえば,
NHK第2の基礎英語などのラジオ講座を聴くか,
テープなどの教材を購入して勉強するか,
あるいは英語教室に通うくらいしかなかった.

だが現在にはインターネットがある.
これが大きい.
PodCastなどで英語の記事の朗読などを聴いて,
Web上でその内容を確かめることができる.
昔はこれをお金を払ってやっていた.
今は無料でできるのである.

数あるこうしたインターネットサイトから
私が学生に薦めたのは,
VOA (Voice Of Amerika)のサイトである.
薦める理由は次の通り.

・時事の話題で興味深く記事が読めること

・記事の内容をMP3で直接聴くこともできるし,
Podcastで持ち歩くこともできること

・英語を第二外国語として学習する人たちのために
Special Englishとしてゆっくりと話される
記事があること

などである.
こんな便利なサイトは昔は無かった.
VOAはラジオだけだった.

もちろんNHKのラジオ講座も依然として素晴らしい.
「リトル・チャロ」,なんていう物語を教材とした講座が,
テレビ,ラジオ,インターネットと連動して
開かれており,Web上で試験を受けることも
できるようだ.

その他,BBCのサイトにも
Learning Englishのページがあるし,
「エイゴの時間【podcastで英語のレッスン】」なんて
無料のブログもある(検索してみてください).
さがせばまだまだありそうである.

本当に,昔に比べれば英語を勉強する環境は
ずいぶんとよくなっている.
ただ,どんなに環境がよくなっても,
勉強しなくては英語は上達しない.
それが私の問題である...

2008年5月27日火曜日

複素数をFORTRANで使う

今日は珍しく午前中にFORTRANで
プログラムを書いてみた.
これが人にいうのも恥ずかしいくらい
初歩的なもので,
ボード線図を描くプログラムである.

ただ初めて「複素数」という型を使った.
複素数は,実部と虚部の二つの数によって
構成されている.

!-----
REAL a, b
COMPLEX z

z = CMPLX(a,b)

!-----
と型の宣言をして値を代入をすると,

z=a + jb (ただしjは虚数単位)

が実現できる.
(実際は倍精度複素数を用いているけど)
そして,これらの値を用いて
複素数の和,積,除などの計算が
できることを確認した.
今更ながらに良くできていると感心する.

これまでずいぶんFORTRAN(あるいはC)言語を
用いて数々のプログラムを作ったきたけれど,
複素数型をものは初めてである.
(フーリエ変換などはあらかじめ
実部と虚部を分けて計算していた)

しかし,電気工学の世界は複素数でいっぱいである.
もちろん現実世界に虚数があるわけではない.
交流というものを考えるとき,
振幅と位相を同時に考えなければならないために
虚数を導入し,フェーザという概念を
用いているのである.
そしてそれは,交流回路理論には
不可欠なツールなのである.
(今回は制御工学で必要だったのだけれど)

そう考えると,これまで複素数のプログラムを
作らなかったのは,私の不勉強のせいかと思う.
ボード線図もできあわせのプログラムなどを用いて
プロットしていた.
今日はもうちょっと細かいことがやりたくて,
いろいろと自分で作ってみた.
思いのほか簡単であった.
もっと早くから自分でやればよかったと反省.

「複素数」ということで,
ちょっと敷居が高かったが,
やってみれば案外に簡単である.
みんな使っているのだろうか?
そもそもFORTRANに複素数という型があるということを
知っている人がどれだけいるだろう?
(FORTRANはもはや廃れた言語?)

使わない人はもったいない.
電気工学や制御工学の分野の人は
もっともっと使ってもいいかもしれないと思う.
(って,使わなかったのは私だけ?)

2008年5月26日月曜日

夢でみずみずしさを思い出す

珍しく今朝は夢を覚えていた.
たぶん私は夢をよく見ているのだろうけど,
朝になるとすっかり忘れている.
夢の内容を覚えていることなど
めったにないのだ.

今朝の夢は,私が大学時代に所属していた
合氣道部に関するものであった.
夢だけに,時間感覚がめちゃくちゃで,
私は,現在の私だし,
師範は,現在のお姿だったけど,
同僚たちは昔のままだった.
あのときのやんちゃさを持っていた.

夢の中では,
なにか修行の在り方なんかについて
話していたような気がするけど,
細かいところは覚えていない.

しかし,目覚めてからも
しっかりと覚えていたのは,
その夢の中で自分が感じていた
みずみずしいやる気,
自分の未来に対する根拠レスな期待である.

若かったのだと思う.
あの頃,自分の将来は希望に満ちていると
理由もなく信じていて,
それにむかって何かを始めようとしていた.

大学時代はそれはそれで大変で,
実はあんまりあの時代には戻りたくないのだけど,
あのときの気持ちだけは
取り戻してもいいなと思った.
なぜかあのときの心持ちがよみがえり,
それが目覚めてからも失われることなく
寝床の中で捕まえられていた.
おかげで今朝からなぜかワクワクしている.

無意識が現在の私に必要だと思って,
夢に見せたのだろうか.
どこかでそうしたバランス機構が
はたらいているのかもしれない.
このワクワク感があれば,
毎日また違うものになるのだろうと思う.

2008年5月23日金曜日

ブルーオーシャン戦略

昨日,今日とIMFEDK2008という国際会議に参加する.
International Meeting for Future of
Electron Devicesということで,
将来の電子デバイスが取り扱われる.
今回は,SiCやGaNなどのパワーデバイスが
メインに取り上げられていた.

Tutorialから参加させていただき,
大変勉強になった.

夜のバンケットで,あるメーカの方から
伺ったお話である.

市場が先にあるから
製品を作って売り出すという戦略は,
過当競争の中に巻き込まれてしまう.
市場に無い製品を作って
世の中に送り出すことによって
新たな市場を作るというのが良い.


この話を聞いて,"ブルーオーシャン戦略"という
言葉を思い出した.
これは,まさに伺った話と同じで,
ある製品の主戦場に乗り込んでいく,
市場に切り込んでいくというのは,
非常に大変である.
そこの海域はすでに赤い血に染まった
"レッドオーシャン"である.
一方,新たな市場を創り出す戦略で
乗り出した海域は,青い海原が広がっている.
これが"ブルーオーシャン"である.
どちらの海に乗り出していくか.
当然,後者の方が良さそうである.
これを"ブルーオーシャン戦略"と呼ぶらしい.

しかし,企業がこの戦略をとるのは
リスクが高い.
せっかく市場を見込んで開発した製品が
全然売れなかったら,そこに投資したリソースは
無駄になってしまう.
(完全には無駄にならないだろうけれど)

企業としては,確実に製品が売れる市場があることを
確認してからの方がモノを開発しやすい.
しかし,そこはレッドオーシャンなのである.
ここに葛藤がある.

実は大学などの研究もそうである.
誰もやっていない革新的な研究
(私は恥ずかしながらできていないのだけれど)
には,やはり予算がつきにくい.
予算がつくのは実用化にめどがつくものばかりである.

しかし,それだけでは市場を創出する
革新的なモノ,研究は生まれない.
一方で,売れないモノを作っても仕方がない.
結局,未来の市場があるとわかる先見の明がある企業と
あるいは売れないモノを多少作っても耐えられる
余力がある企業だけが
ブルーオーシャン戦略が取れることになる.
そして,その分野での勝者になることができる.

大学の研究は当然ブルーオーシャン戦略を取るべきである.
まずは,革新的な研究のタネが必要である.
それを私はいつも探している...

2008年5月21日水曜日

5/22

不在です.

Kronという人

昨日の輪講で,Kronという人が話題になった.

Kronとは誰か.
電気機器に不可欠なテンソルを用いた
統一解析法を提案した人である.

ということをすっかり私は忘れていた.
テキストに出てきたKronさんとは誰だ,
という話になったとき,
伊瀬先生が,
「電気機器の解析法の父みたいな人であり,
彼は若いころ世界中のあちこちを旅行して,
人間はみな同じだと感得して,
電気機器の解析においても統一理論を
提案したのだよ」というような
ご紹介をされたのである.

解析法を提案した人だということは
すぐに思い出したけれど,
若いころの世界旅行の話については
全く知らなかった.

昨晩,伊瀬先生がその話が載っている教科書を
教えてくれた.

"大学講義 電気・機械エネルギー変換工学"
宮入庄太,丸善

である.
実は私もこの本は持っている.
というばかりか大学時代はこれで
勉強したはずである.
ラグランジュ演算子とか,
磁気随伴エネルギーとか.
全然,そんな話が載っていたとは
覚えていない.
(そもそも知らない?)

先生に教えてもらった個所を見ると,
確かにKronさんが写真入りで紹介されている.

彼はハンガリー生まれ.
"感受性豊かな青年時代の中近東への放浪の旅"が
この仕事をなしとげる動機となったと書いてある.
1926年,300ドルをもって,
小諸サモア諸島,フィジー群島,オーストラリア,
フィリピン,タイ,ビルマ,エジプトなどを
2年の間にジャンクや漁船に便乗して回ったのだという.

"People and places are the same all the world over"

と彼は述懐し,当時の原住民の素朴と人情のこまやかさに
感謝しているという.
こうした旅の途中,原住民の午睡の時間を利用して,
数学書をひもとき,
瞑想にふけり構想を練っていたということである.

"人種にはそれぞれ違った容貌や風習があるとはいえ,
何か生れながらの共通性がある.
種々雑多な電気機械にも,これと同じように
共通の何かがあるのではないだろうか"

とひらめきを得て,テンソル解析法の電気工学への
導入を成し遂げた,と紹介されている.

素晴らしい.
Kronさんはもちろん素晴らしいが,
このKronさんを2ページも割いて紹介している
宮入庄太先生も素晴らしい.
こうやって,電気の知識にも血肉が通ってくる.

彼の業績は,現在電気機器の解析に不可欠な,
座標変換(alpha-beta変換, dq変換)などに
つながっている.
もちろん私も多用している.
この素晴らしい仕事の陰には
こんな物語があったとは,
全然知らなかった.

しかし,これは工学が
まだ文系などの学問に近かった
古き良き時代の話として済んでしまう話だろうか.

いや,現代においても
いろいろな示唆に富む話であると私は思う.

2008年5月20日火曜日

美しく食べる人

私の居室は,生協の食堂に近く,
昼御飯を買いに出ると,
食堂で食事をしている多くの学生たちを目にする.

そんな彼らを見て思うのは,
どうも食べ方に気を使っている人が
少なそうだということ.
やはり家庭のしつけを疑ってしまう.

私も食べ方がそれほど美しいとは思わないし,
一人暮らしが長かったから,
いつのまにか早食いになってしまって,
直そうとは思っているのだけれど,
そんな私が見ても
ちょっと最近のマナーは乱れていると思うのだから
相当ひどいものなのだろうと思う.

テーブルの上に肘をついて食べたり,
足を組んで食べたりしている.
箸の持ち方もひどいし,
食べ物のつかみ方もずいぶんおかしい.
男子学生だけでなく女子学生もずいぶん怪しい.

昔,食べ方が汚いといって
男をフッた女子学生がいた.
もっともだと思った.

食べ方には,その人の性格が出る.
それは,その人の育ち方を表すからだろう.
焼き魚などをきれいに食べる人に私は
かなり好感をもつ.
一方,クチャクチャ音を出しながら
食べる人はどうしても許せない.

大学生にもなれば,そうした食べ方を
注意してくれる人もいなくなるのだろう.
自分で気をつけなければ,
いつまでもそのままである.

(私が所属していた合氣道部では,
食べ物の食べ方,箸の持ち方さえも
指導されるのだけれど)

かといって,かしこまって食べてばかりでは
食事も楽しめないだろう.
結局,その場の雰囲気に応じて,
いかに楽しく美味しく食べることができるか,
ということが,マナーということになる.
それがわかる人,
それは大変魅力的な人である.

2008年5月19日月曜日

やってはいけないことリスト

To Doリストというのは,
よく自分の仕事管理のために用いられる.
例えば,今日のやるべき仕事を,

・部屋の掃除
・洗濯
・ゴミ出し
などなど

のように箇条書きにして洗い出し,
それを達成するごとに項目を消していく,
というような手法である.

紙やWeb上にリストを書きだして,
項目を達成し棒線で消していくと,
なんとなく気分が良くなる.
このささやかな幸せが大切で,
次にこの幸せを感じるために,
また努力をする.
これがTo Doリスト
(あるいはActionリスト)である.

これに対し,Not To Doリスト
(してはいけないことリスト)というのは,
あまり話題にならない.
これは,たとえば

・TVを1日1時間以上見ない
・ゲームを1日1時間以上見ない
・甘い物をだらだらと食べない
・ビールは1日1本までしか飲まない

など,ついついしてしまうこと,
あるいはだらだらと続けてしまうことを
避けるために書き出すリストである.

Not To Doリストは棒線で消去するのではなく,
どこか目につく場所に貼りだして,
いつもそうした行為に陥らないように
気をつける,という目的のものである.

実は,日常生活においては,
このNot To Doリストが大切なのではないかと思う.
それは行動というよりも,人格の話においてで,
つまり,こういう人間になりたい,ということよりも
こういう人間にはなりたくない,ということが
先に立つのではないかと思う.

ただNot To Doリストは,
Negativeなもの言いになりがちで,
子供の教育などには向いていないと思う.
「~をしてはいけない」という言葉は
のびのびとした感じを与えないからだ.

しかし,自分の行動をカイゼンしていくには
もってこいの方法である.
私も早速リストを作って貼りだしてみようかなと思う.

でも,リストを人に見られるのが
恥ずかしいんだよなぁ(笑)

2008年5月16日金曜日

その美しさは神の言葉にも似て

一度実演に触れてみたかった指揮者に,
ヘルベルト・フォン・カラヤンと
カルロス・クライバーの二人がいる.
どちらも残念ながら今やこの世の人ではない.

今年は,カラヤン生誕100周年ということで,
CDやDVDも記念版が多く発売されるし,
彼に関する著作も多く出版されるし,
フィルムコンサート(!)なんてものも
開催されている.

カラヤンがすごいのは,
これが作曲家ではなく,
指揮者であるということ.

作曲家であるモーツァルト生誕250周年などで
盛り上がるというのは理解できるけれど,
指揮者の記念イヤーでここまで
盛り上がるというのはすごい.
カラヤンはやはり偉大だったのか.

カラヤンといえば,アンチ・カラヤン派も多くいて,
いつも話題が尽きない人である.
私はといえば,カラヤン大好き派である.
カッコばかりで精神的に深みがかけるとか,
音楽が厚化粧のように重たいとか,
そんな悪口も言われるけれど,
彼の1960年代あたりの
ベートーベンの録音なんかを聴くと
そのカッコよさにしびれてしまう.
(ベートーベンにカッコよさを求めるのが
そもそも間違いだという人も多いけれど)

カラヤンの録音の中で私が大好きなもののひとつに,
ウィーンフィルと録音したブルックナーの
交響曲7番がある.
先日,NHK FMの番組で(カラヤンの指揮ではないけど)
この曲が流れていて,
またあのカラヤンの録音を聴きたいなと思った.

確かに晩年のカラヤンの録音は
重厚な響きとレガートの多用で,
ちょっと聴くのに疲れてしまったりするのだけれど,
ブルックナーの,特に最晩年の頃の録音は,
この世のものとは思えないほど美しく,
私は好んで聴いている.

ムーティも当時,
「彼の最近のブルックナーは神の言葉を聴くようだ」
と評したといわれるけれど,
それほどまでに美しい.
ブルックナーの曲は開始のトレモロが有名なのだけれど,
このウィーンフィルとの録音では,
それがまるで天上から光が差し込んでくるようである.

「ブルックナーの最も優美な言葉」と
この曲を評したのは朝比奈隆だけれど,
この曲の実演を私は彼の指揮で聴いたことがある.
(彼ももう鬼籍に入ってしまったけれど.
そういえば彼はカラヤンと同い年ではなかったかな)
オケは新日フィルで,朝比奈のブルックナーは
もう少しごつごつした印象を与えるけれど,
彼の評どおりの美しい演奏だった.
(その日の録音は,フォンテックから発売されている)

私はこの曲で不満なのは,第4楽章である.
どうも他の楽章に比べてこじんまりとしており,
聴いた後の満足感にかける.
それまでの楽章は最高なんだけど...

紹介したカラヤンの録音は,
彼の生前の最後のものとなっている.
彼は,死の直前までオペラ「仮面舞踏会」の
楽譜を開いていたというから,
この曲の録音時には,
たぶん自分の死期を感じていたということはないと思う.
しかしそれでも,この録音の曲の美しさは,
彼がすでに天国に近いところにいたのではないかと
想像させる.

たぶん今晩,眠る前にこのCDをプレーヤに
載せるのだろうと思う.

(今回は珍しく熱く語ってしまった...)

2008年5月15日木曜日

天災はいつやってくる

"天災は忘れた頃にやってくる"とは,
寺田寅彦の言葉とされているけれど,
最近のアジアの天災の被害の大きさは,
目を覆うばかりのものである.
決して天災は忘れた頃にやってくるばかりではない.
このように時に連続して訪れる.

この2~3年にはインドネシアの津波の被害もあったし,
ついこの前はミャンマーでサイクロンによる
大変な被害があり,現在もその救助活動は
ままならない状況である.

そして,先日起きたばかりの
中国内陸部の地震の被害も本当に甚大である.
子供たちががれきの下に埋まっている状況を
前にして親たちは何もできない.
そんな立場の人たちに私たちは
何を言ってあげられるのだろうかと思う.

研究室にも四川省からの留学生がいるのだけれど,
家族と連絡が取れるまでは,
彼女を見ていてこちらがつらくなるほどだった.
幸いにして,無事が確認できたのだけど,
ご家族は家の中に戻ることはできず,
外で夜を過ごしているのだという.

私は阪神淡路大震災を経験していないので,
被災のつらさを知っているわけではない.
郷里の新潟の大地震は生まれる前だった.
(最近は中越の大地震もあったけれど)
しかし,今,ニュース映像で
その大変な状況をみるだけで,
その中にいる方々のご苦労の一部は
容易に想像できる.

水,電気,食料,寝る場所.
こうした最低限の生活をするために必要なものが
得られないという状況.
子供たちに何もしてあげられない親の気持ち.
そうしたものがすぐに想像されて
なにか私たちにできないかと思う.

しかし,距離と国境の壁が私たちを隔てる.
ミャンマーも中国も,
人々のために国ができるすべてのことが,
すみやかに行われますように,
そして一人でも多くの方が助かるようにと
祈るだけである.

2008年5月14日水曜日

「さがす」と「もとめる」

大阪大学で配付される冊子のひとつに,
「共通教育だより」というものがある.
その4月号の「新入生へのメッセージ」という企画の
大学教育実践センターの工藤眞由美 先生の
”「さがす」と「もとめる」”という記事を読んだ.

- 「仕事をさがす」と「仕事をもとめる」は違う
- 「さがし物」はあっても「もとめ物」はない
- 「友達をさがす」と「友達をもとめる」は違う

などの話題に触れられ,最後に

- 「自分さがし」に対して感じる違和感と
「自分もとめ」のすすめ

について述べられていた.

「さがす」と「もとめる」は確かに違う.
その違いを私はうまく説明できないが,
どうも自分がそれを希求する強さが違うのでは
ないかと思う.

工藤先生も記事の中では,その文脈文脈で異なる説明を
されているので,その状況によって違いは異なるのであろう.
しかし,共通して主体性や能動性について言及されており,
そのあたりがカギなのは間違いないだろう.

最後に言及されている「自分さがし」という言葉に対して
感じる違和感は,私も同様に感じている.
以前から「本当の自分さがし」などと言っている人をみると
がっかりしてしまう.

「自分さがし」というとき,
現実の自分はひとまず脇において,
理想の「自分」(よく「本当の自分」などと呼んでいる)を
さがそうとする.
しかし,それは自分が描く「理想の自分」であって,
ありもしないものだから,
いつまでたってもそれを見つけることはできない.

「自分さがし」に足りないのは,
現実の自分を変革する必要性の認識と,
変革への意志である.
ときには苦痛を伴う変革を無くして,
自分が思い描く人間には近づくことはできないのだ.
これをなおざりにして,「本当の自分さがし」などと
言っている人は,いつまでたっても
逃げ水を追うようでしかない.

工藤先生のおっしゃるとおり,
「自分さがし」ではなく,
「自分もとめ」であって欲しいと思う.
「もとめる」という言葉には,
変革の意志が感じられる.

「本当の自分」は,
「さがしもの」の物とは違い,
どこかに存在しているわけではないのだ.
それは自分が求め,作り出していくものであるはずである.

2008年5月13日火曜日

本当に大事なことは

本当に大事なことって,そうそう簡単には書けない.
書こうとすると,その説明に費やさなければならない
言葉の多さにあらかじめ押しつぶされてしまう.
だからブログに書くことは,
本当に大事なことからちょっと外れたことを書くことが多い.

例えば,本当に好きなCDの話,
ずっと稽古している合氣道の話,
そして家族の話など.
こうした話題を記事にするのは,
やっぱり心理的ハードルが高い.

ユング派の心理学テストに,
被験者につぎつぎと単語を投げかけ,
連想するものを答えてもらうというものが
あるそうである.

このテストで大事なのは,
連想された内容ではなく,
被験者が答えるまでに要する時間の長さである.
それを測っておく.
例えば,「友人」という言葉に対して
連想するものを答えるまでの時間が長ければ,
被験者は「友人」関係に何らかの問題があるのではないかと
推測されるのである.

このテストの例をみてもわかるとおり,
人間は,本当に大事なことを
そうそう簡単に口に出したり,
書いてみたりすることはできない.

しかし,その部分,部分だけでも
言葉に表していくことは
自分の思考を整理するためにも必要ではないかと
思い始めている.

このブログでもなにか
少しずつ,少しずつ始めてみるかもしれない.

2008年5月12日月曜日

理想の安眠枕

週末はゆっくりと寝ることができたのだけれど,
どうも体調が悪い.
寒かったから,風邪をひいたのか,
身体にコリがある.

私の悩みは,枕である.
枕が合わないのか,
肩が凝ってしまうのである.

これまでにいろいろな枕を試してみた.
スウェーデン製の枕も試したし,
低反発素材の枕も試した.
(低反発素材の枕は余計に肩が凝った)

そして,ついこの前までは,
ちょっと安価だけれど,
枕の真ん中がくぼんでいて,
比較的高さの低いものを使っていた.
1年以上は使っていたと思う.

それでも何かしっくりとこない.
そこで最近は単にバスタオルを使っている.
これが調子が良い.
実際は枕が低くても大丈夫なのではないだろうか.
ずいぶんと現在では枕を低くして寝ている.

だが今日は少し肩が凝っている.
このバスタオルも万能ではないということか.
それともこの肩の凝りは別の原因か.

とにかく安眠は一生の夢である.
その夢を求めて枕探しの旅は続く.
いったいどこに理想の枕はあるのだろう...

2008年5月9日金曜日

時間制限が仕事内容を決める

すべての作業において
時間コストを気にするというのが,
最近の私の方針である.

逆に,かけた時間に見合う成果が得られるように
仕事を進める必要がある.
結構シビアである.

一方,頼まれた仕事などの内容は,
相手が要求する締切の期限に応じて,
その深度が決定されることになる.
(その深度は個人の技量によってまちまちとなるが)

以前にも,仕事を頼まれたら
その「締め切りを問え!」という記事を書いた.
これは,私の大学時代の恩師の教えである.

自分の作業の価値と仕事の内容,
その枠組みを決めるのは
時間コストという指標である.

考えてみれば,私が今の職に移ったのも,
自由になる時間が欲しかったから,というのが
その理由のひとつだった.

仕事のスキルが若干向上し,
昔に比べれば短時間で同様の作業を
こなすことができるようになった.
しかし,そのことで新たに生まれた時間は
また別の仕事に消費されていく.
仕事に効率が上がった分だけ,
自分が消耗していくというこの悪循環.
まさに「モモ」の時間泥棒の出現である.

いままた,自分の時間の使い方を問い直してみたい.
時間を確保して,自分のために
いろいろなことを試してみる.
それはずいぶん素晴らしいことだろうと思う.
その素敵な状況を目指して努力をしてみよう.

2008年5月8日木曜日

ノルマがなくてもバリバリやる人

最近読んだインタビュー記事の中に,

「そもそも,ノルマを課さなければ働かないような人を
採用するのが根本的な間違いですよ.
(中略)
経営の面からみれば,(中略)
生産性が低い人たちを管理して,
やる気を出させるために
何らかの施策を打つという部分に
コストをかけるのは間違いです」


という文章があった.
ある若手起業家の発言である.

いや,全くそのとおりの意見である.

でも,しかし.
そうとばかりではいかないのが世の中である.
そんなノルマとは関係なく
バリバリ働く人たちばかりだったら,
誰も苦労はしないのだ.

人は多種多様な価値観を持っている.
仕事に自分の生きがいを持てる人もいるし,
持てない人もいる(そういう人は確かに不幸だけれど).
経営者としては,仕事に生きがいを持てる人だけを
選んで入社させることができたら
どんなに素晴らしいことだろうと思うだろう.

だが一体,仕事に生きがいを
初めから感じることができる人はどれだけいるだろうか.
入社する前に仕事を理解している学生は
ほとんどいないのである.
会社に入ってから,仕事とそして,それに関わる周囲のことを
学んで初めて生きがいを感じることができるのである.
こうした喜びは職場における教育の結果,
得られるものではないだろうか.

一方,大学を考えてみる.
情熱をもって,厳しい受験を乗り越えてきたのだから,
学生はみな,試験などのノルマを課さなくても
バリバリと勉強してよさそうなものである.
だが,現実がそうした理想からかけ離れていることは,
周知のとおりである.

やはり学問の面白さも仕事の面白さ同様,
教育の結果として得られるものである.
しかし,そこまでに至るためのハードルはかなり高い.
教育する方もかなりの努力を必要とする.
すぐに意欲に火がつく学生もいるが,
いつまでも火がつかない学生もいるし,
あるいはついてもくすぶり続ける学生もいる.
そして,後者の方がずっと数が多い.

私が数年前に楽しんで観ていた
「のだめカンタービレ」というドラマがある.
その中で,西村雅彦演じる音楽大学の教授が,

「僕は,やる気のない生徒にやる気を起こさせるほど,
やる気のある教師ではないんだよ」


みたいなことを言うシーンがあった.
非常に印象的だったので今でも覚えている.
自分はどうだろうかと思う.
学生たちの意欲に火をつけるほど,
やる気のある教師だろうか.

やっぱり,ノルマを課さずにバリバリやってくれる学生,
募集しています...

2008年5月7日水曜日

認識されていないパワーエレクトロニクス

5月2,3日に開かれた大学祭「いちょう祭」では,
見学者の数の少なさに,少しがっかりしていたのだけれど,
実はもっとがっかりしたことがあった.

それは,パワーエレクトロニクスという言葉を,
見学者の皆さんが知らなかったこと.
それも本学の1年生,電気系の学生のほとんどが
パワーエレクトロニクスが何なのか知らなかった.
一般の人ならばまだ許せるけど,
電気系の学生がこれでは本当に絶望的である.

金曜日であった5月2日は,
研究室公開に対するレポート提出が,
講義の課題となっていることもあり,
1年生の見学者が(比較的だけど)多く訪れた.

彼らは,この4月まで高校生だったわけで,
この知らないという事実は,高校生までの学生時代に,
パワーエレクトロニクスという言葉に
全然触れてこなかったということを示している.

インバータエアコンという単語を出してみても,
知っている人は1/3程度というところか.
インバータエアコンが発売された当初は,
インバータを売り物にしていたから,
宣伝にも単語が登場し,
一般の認識率は高かったのかもしれないけれど,
最近のエアコンはほとんどインバータタイプだから,
インバータが付いていることなど誰も気にせず,
認識率が低くなっているのかもしれない.

しかし,これだけ身の回りにパワーエレクトロニクスが
あふれているというのに,この認識率の低さは何だ!
小中高の学校では,先生は何を教えているのだろう?

科学雑誌は,超ひも理論とか,ナノチューブとか,
そんなことばかりをトピックスとして取り上げて,
パワーエレクトロニクスなどには見向きもしない.
果たしてそれで良いのだろうか?

もっとPopular Scienceなものを
取り上げるべきではないだろうか.
確かに,クォークも相対論も面白いけれど,
もっと身近な科学技術にも注目すべきではないだろうか.

ノートPCのACアダプタの話に至って,
ようやく電子回路の存在に思いが至るようである.
車もモータで走るというこの時代に,
こんなことではいけない.

せめて身の回りの家電,電車,自動車,電力系統などに
パワーエレクトロニクスが使われているのだという事実だけは
理系に限らず,一般の人たちに認識してほしいと切に願う.

パワーエレクトロニクスに携わる私たちの啓蒙努力が
足りないということなのだろう.
それでも学校の先生はもっと私たちの生活に密接した
科学技術について教えるべきではないだろうか.
学校の先生に対する講義が必要というのであれば,
よろこんで参上したいと思う.

世に一人でも多くの人に
パワーエレクトロニクスの重要性を知ってもらって
私たちの仕事も理解してもらいたい.

「パワーエレクトロニクスって言葉知っている?」

と尋ねて

「....(沈黙)」.

こんなやりとりはもう嫌なのである.

2008年5月3日土曜日

大学祭にみんな来て

昨日,今日と大阪大学では「いちょう祭」と呼ばれる
大学祭が開かれている.

地域の皆さんとの交流,
大阪大学に興味がある高校生,大学生の皆さんとの交流,
などが目的である.

私がいる吹田キャンパスは,
工学部,医学部,薬学部があり,
中でも工学部は,たぶん一般の皆さんにとって
しきいが高いと思われていると思う.

なぜって,医学部,薬学部には女性の姿が見られ,
キャンパスも新しくてきれい,
なんとなく明るい雰囲気がするから.

一方,私の所属する工学部・工学研究科は
実は建物が古く,ちょっと暗い.
研究している学生も男子ばかりで,
それも汚い白衣やジャージ姿がいるものだから,
イメージがかなり悪い.

高校生がオープンキャンパスで来ても,
その雰囲気に驚いて工学部から引き返すほどである.
なにか怪しい人たちの巣窟,
ショッカー基地といった風である.

でも,それで中身を知らないのはもったいない,
ということを私はここでちょっとだけいう.
いや,声を大きくして言う.
(といっても,このブログを読んでいる人の数は
たかが知れているので,まぁ,大声で言っても
そんなに責任はないでしょう)

そもそも大阪大学の工学部は
非常に素晴らしい業績を上げている.
世界に誇る技術シーズが沢山ある.
また産学連携を重視していて,
企業との密接な連携のもと,
社会に役立つ研究を沢山しているのである.

例えば,私が関連しているパワーエレクトロニクスもそうだし,
原子で小さな小さな文字を書く,なんてこともやっているし,
もちろん,ロボットだってすごい.

どうです,自分が住んでいる地域に,
もっといえば,自分の家の隣で,
そんなことやっているなんて
すごいと思いませんか?

散歩がてらに,大学の中に迷い込むと,
なんと世界一の研究や技術に触れることができる.
そうした場所に皆さんは住んでいるわけです.
(って,本当に吹田の皆さん限定の呼びかけで申し訳ないのですが)

しかし,今日の人の入りを見ると本当に少ない.
まぁ,私たちの宣伝不足といえばそれまでなのだが,
それにしてももったいない.
特に,理科に興味がある高校生,中学生の皆さん,
ぜひこうした機会を役立てて,
世界の最先端を知る,
そしてもしかしたら自分の将来を考えてみる
良いきっかけになったらいいなぁ,と
見学者が少ない研究室でさびしく思っていたわけです.

2008年5月2日金曜日

眠る音楽

今日,明日と大学は「いちょう祭」と呼ばれる大学祭である.
大学の研究室,施設などが一般公開されている.
近隣の方々,あるいは大阪大学・大学院に
入学を希望する大学生,高校生の皆さんは
ぜひ足をお運びください.
私も研究室で,説明をしているかもしれません...

さて,今朝のニュースで「いねむりクラシック」のような
コンサートが開かれたというものがあった.
聴衆にはアイマスクなどが用意され,
リラックスできる音楽が演奏されて,
いつのまにか眠りに入ることができるのだという.
なんとも贅沢な話である.

まぁ,チケットが2万数千円のウィーンフィルのコンサートで,
居眠りをしてきたというツワモノの話も聞いたことがあるので,
それはそれで,良いのかもしれない.

私も実はコンサート中に居眠りをしたことがある.
水戸芸術館で開かれた四重奏団の演奏.
ハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」だったと思う.
不覚にも眠ってしまった.
確かにちょっと地味な曲なのだけれど,
それにしても恥ずかしい.
今聴くと大変興味深く聴けるのだけど...

不眠のための曲といえば,もっとも有名な曲の一つが
大バッハの「ゴルトベルク変奏曲」だろう.
バッハが教えていた14歳の少年ゴルトベルクが
不眠症に悩んでいたカイザーリンク伯爵のためにこの曲を
演奏したという逸話が残っている.

でもこの曲は,はっきりいって大曲で,
演奏会でもこの一曲限りということが多い.
32の変奏曲から構成され,聴きどころ満載である.
ピアニスト,チェンバリストにも高い技能が要求され,
腕の見せ所,聴かせどころという名曲である.
したがって,録音も多く,私も10枚以上は所有している.

なかでも,やはりグレン・グールドの新旧の録音2つは
秀逸であり,一年に何度も私のCDプレーヤに載せられている.
新しい方の録音は,旧い方に比べ非常にゆっくりとした
テンポで演奏されているので,
眠るのにちょうど良さそうなものだけれど,
実は途中の変奏からテンポも速く,快活に演奏されるので,
とても眠ることなどできない.
カイザーリンク伯爵の逸話もたぶん嘘だろうと思う.

実はこの新しい方の録音は,私が初めて購入したバッハである.
学生時代,「ゲーデル・エッシャー・バッハ」という本を読んで,
バッハの音楽とはどういうものかと聴きたくなって,
CDショップに足を運んだ.
そのときに,けだるそうな姿勢でジャケットに写っている
オジサンの姿に心惹かれてたまたま購入したのである.
まぁ,それがグールドであったわけだけど.

とにかく,そのCDは私を魅了して,
しばらくずっと聴きこんでいた.
クラシックのピアノ曲なんて全然興味がなかったのに.

以来,面白そうな「ゴルトベルク」の録音をみると
ついつい購入してしまう.
そして,その演奏者の解釈を聴く.
同じ曲だけれど,演奏者が違えば,
印象がずいぶんと変わり,
全然飽きない.

どれが良い演奏かなどはよくわからないけれど,
やはり私は,この曲を聴きながら
眠りに落ちることなどできないのである.
最後まで聴かずに寝るなんて,もったいない.

2008年5月1日木曜日

内臓力を鍛えよ

どこかの武道マニアの雑誌の特集タイトルみたいだけれど,
内臓力を鍛えていこう,というお話.

昨日は研究室に配属された新4年生の歓迎コンパがあった.
みんな元気がよさそうで,よろしいことである.
人間は,「元気,勇気,根気」が大切と,
A.猪木さんもおっしゃっている.

一方,私は朝ちょっと気持ちが悪かった.
二日酔いである.
頭が痛いとかではなく,
内臓の働きが悪い.
そうなると身体がだるく感じられる.
特に胃がむかついて,
背中が痛くなる.
最近はめっきり体力が落ちているので,
こうした状態を乗り切ることができない.
ぐったりとしたまま,出勤する.

胃の調子が回復してくると,
俄然元気が湧いてくる.
頭の働きもよくなってくるようだ.
学校に到着するころにはすっかり気分も良くなって
5月の初日を張り切っていこうという気持ちになった.
(しかし,もう5月か...)

とはいえ,5月1日は
大阪大学の創立記念日ということで講義はお休み.
キャンパス内の学生の姿も少ない.
研究室は,そうしたこととは関係なく,
通常営業しているので,
研究室に配属されている学生たちは,
学校に来ている.
まぁ,私たちの研究室の学生は,
たぶん昨晩は遅くまで飲んでいたのだろう.
本日出てきているのは少数である.

さて,話は戻って,
実は内臓の状態が心と身体の状態に
大きく影響を及ぼしているということが,
今日のような経験からも実感される.
通常は,その存在を忘れている内臓たちを
認識する場合というのは,
だいたいにおいて調子が悪いときである.
身体がだるい,力が入らない,
頭が回らない.
内臓の調子が悪いと,一気に私の
パフォーマンスが落ち込んでしまう.
自分のパフォーマンスを維持するためには,
内臓のケアが非常に大切なのである.

一方,逆に心の状態も内臓に
大きな影響を及ぼすことも自明である.
ストレスが続いて,下痢を起こす,
あるいは便秘になる.
もっとひどい場合には胃潰瘍などに
なってしまうことなどは良く知られていることである.

内臓と心,すなわち脳とは
非常に密接な関係を持つ.
心を鍛えることが修行の目的の一つであるならば,
内臓を鍛えることも重要な項目だといえる.

ただし,内臓を鍛えるということは,
トレーニングにおいて
筋肉に過負荷を与えることとは異なり,
暴飲暴食をするということではない.
腹八分目を守り,睡眠時間をとり,
リラックスをすることが
内蔵力を鍛えるということになるだろう.
いざというときのストレスに対応できるだけの
許容量を常日頃から養っておくということなのだろう.

昔独自の健康法を編み出した肥田春充という人は,
横隔膜を鍛えることによって,
恐怖を感じるということがなくなったのだという.

内臓の状態をコントロールすることによって,
心身を状態をコントロールする.
これも修行と精進していこう,と
今朝の通勤時,
気分悪く運転している自動車の中,
私は思っていたのである.