2008年6月2日月曜日

字幕付きの映画が減っている

これはうちの奥さんから聞いた話なのだけれど,
最近字幕付きの映画が減っているらしい.
どうも字幕についていけない人が増えているから,
というのが理由らしい.

昔は洋画といえば字幕付きで見るのが普通だった.
よほどの子供向けのものでなければ,
吹き替え版などは用意されなかったと思う.
そうでなくても,吹き替え版を見るなどということは,
ちょっとカッコ悪いという風潮があった.

もちろん字幕付きの映画は,
(やろうと思えば)
外国語の勉強に役立つ.
残念ながら私の英語の能力では,
映画の登場人物たちがまくしたてる会話の内容に
ついていくことができない.
(アメリカ大統領の演説のように
話してくれる登場人物は少ない.
スラングも多いし)
そこに字幕があると,それとなく英会話の内容が
推測されるものである.

ただし,字幕というのは本当に意訳である.
英語のセリフを聞きながら字幕を見ると,
なるほど,こういう風に訳すのか,と感心させられる.
また,観客が目で字幕を追えるように,
文字数にもずいぶん制限があるらしい.
こうした制限の中で映画のストーリーが成立するように
字幕翻訳がなされている.
一種の職人芸なのだろう.
(まぁ,私でさえ気づく誤訳もときどきあったりして,
批判もずいぶん浴びているのだろうけど)

吹き替えが悪いというわけではないが,
例えばロッキーの声がシルベスター・スターローン自身の
声でなかったとしたら,彼の演技の何分の1かは,
私たちのところには届かないことになってしまう.
(その分,声優の方々の演技で補完されるのだけど)
それはもったいなくないだろうか.
字幕の文字を追うのがおっくうだからという理由だけで.

日本語はそもそもどちらかといえば
字幕に適している言語だと思う.
日本映画の英語の字幕などを見ると,
文章を追うのに大変である.
これは単に私の英語能力が低いからという理由ではなくて
日本語においては漢字の役割が大きいからだと思う.
漢字がアイキャッチャーとなって,
意味の理解が早いのではないのだろうか.
短時間で字幕の内容が把握できる.
英語だったら,どのアルファベットも
同等に目で追っていかなければならないのだ.

そうであっても字幕が面倒くさいという人が
増えているのは事実らしい.
なんかさびしいというばかりでだけでなく,
この先,日本人の国語力は大丈夫か,と
不安になってしまう.

以前,飛行機の中で"The sixth sense"を
観たのだけれど(ユナイテッド航空だったので
日本語字幕は無かった),私の英語能力不足で
主人公の少年が最後に母親に対して言った言葉が
理解できなかった.
この意味を知ることになったのは数年後の
テレビ放映のときである.
それまでずっと気になりつづけていた.
いつか映画を字幕なしで理解できるようになりたい.
それが一番の解決策である.

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