2008年7月16日水曜日

対局という芸術作品

昨晩はNHK番組の
「プロフェッショナル 仕事の流儀」を観た.
観ることができるときには,
いつも観ている.

昨日は,将棋界の実力者,
森内俊之さんと羽生善治さんが招かれて
先ごろ終了した名人戦を中心に
番組が構成されていた.
(結果は羽生さんが名人位を4勝2杯で奪取)

お互い37歳で同い年.
小学校4年の時に初めて対戦してから
(そのときの対局を二人とも
覚えているのだからすごい!)
27年間,良きライバルとして
競い合ってきたということらしい.

番組で紹介された名人戦の様子は,
本当に緊張感が感じられ,
まさに息詰まるものであった.

二人のインタビューの中で印象に残ったのは,
名人戦の対局中であっても,
相手が指した良手に思わず
感心してしまうのだということ.
自分はその手を指されて困っているのだけれど,
それとは別に,「すごい!」と素直に
思ってしまう棋士としての性に,
私も感心してしまった.

そして対局というのは一種の芸術作品なのだと
つくづく思った.
名人戦ともなればその作品の記録は
後世に長く,広く伝えられる.
その鑑賞に耐えうる対局を行うことが
棋士としての本望なのだろうと思う.

しかし,そこで大切なのは,
対局は二人で行うものであるということ.
決して一人が優れていれば,
その作品が素晴らしいものに
なるというものではない.
対局する二人の実力が非常に
高いものであるからこそ,
そして新しいものに挑戦しようという心を
お互い持っているからこそ,
その戦いは芸術の域まで高められるのである.
そして,森内さんと羽生さんは,
この時代に良きライバルを得て,
それを実現できる立場にあったのである.
なんと幸福なことだろう.

ふたりはあえて新しい対局を創ろうと
していたことが番組から伺えた.
自分たちが道を切り拓いていくことに,
棋士としてのプライドがあるのだと思う.

ふたりが共有する世界は,
私のような凡人からは少しも
想像できないものであろうが,
そうした世界に私は憧れる.
そしてそうした世界を築いてきた二人を
うらやましく思う.
私のこれから残された人生に,
そうした世界を構築する機会はあるのだろうか.
常人を越えた努力の先にその世界があるのは
間違いないが,私も少しでもいいから
近づきたいと思ったのである.

#番組内,名人戦の記録係(?)の人が
なんと居眠りをしてイビキをかいてしまい,
そのイビキの音に対戦中の二人が
思わず笑ってしまうというシーンがあった.
お互い,笑顔に笑顔を返す場面.
非常に魅力的に感じた.

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