2008年7月17日木曜日

「考える」ということの解釈

またまた小林秀雄の講演の中からのお話.

「考える」ということはどういうことか.

という聴衆からのたいへんな質問に対して,
小林秀雄は本居宣長の解釈を紹介している.

「かんがえる」は
「かむかえる」と考える.
「か」は意味はない.
(たぶん接頭的な語?)

「むかえる」と「み・かえる」と解し,
「かえる」は「かう」ということであるとする.

「み」は我が身ということであり,
「かう」は「交わす」ということである
というのが宣長の解釈らしい.

すなわち,「考える」ということは,
その対象と自分が交わる,
それほどまでに思うということだとしている.

したがって,「客観的な観点」という言葉は,
本来「考える」ということにそぐわない.
「考える」というのはあくまでも
個人的な行為だというのである.

この解釈がそのままとはいわないけれど,
考えるということは,対象と深く交わることを
意味するという主張には,
いろいろと深い示唆が含まれているような気がする.
「考える」ということを
もう少し深く考える必要がある.

2 件のコメント:

  1. 「考える」ことについてもっと考える。非常に深いことですね。
    よく、「考えているのか」とか「考えが浅い」とか言われます。また、人のことをそう感じることもあります。でも、考えることって、何?
    そんな疑問のヒントが隠れていますね。

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  2. asano様,すみません.コメントが遅くなりました.

    日常,「考える」ということをしていますけれど,その実体はとらえどころのない思念の連続ですよね.どうやってそれをとどめておけるか...

    そこらへんが,asano様も,私もブログを続けている理由かもしれませんね.

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