2008年10月17日金曜日

既聴感

「天高く,馬肥ゆる秋」の言葉が
ぴったりな晴天が続いている.
さわやかな風が吹いていて大変気持ちが良い.
こうしたちょっとしたことが,
人の心の状態を変えてくれるのだから不思議だ.

今朝,出勤の準備をしているときに
聞いていたのは,バッハの平均律の第1集.
リヒテルの演奏.
CDプレーヤでランダムモードで再生する.
いつもとは異なる順番で曲が演奏され,
はっとすることも多い.
CDのようなデジタル録音ならではの
聴き方である.
(レコードの時代はもちろん不可能)

ランダム再生だと印象が変わるということは,
曲の履歴も現在の心の状態に
影響するということである.
またまた心というシステムの複雑さに感心する.

そして今朝は,ランダム再生のはずなのに,
次に流れる曲があらかじめわかっていたような
体験をした.
頭の中でメロディが流れ,
その後スピーカからそのメロディが流れてきた.
既視感(デジャブ)ではなく,
既聴感というべきものか.

もちろん,私が超能力者というわけではなく,
脳の中の一部が,私の顕在意識よりも早く
曲を認識して,その後「私」が曲を認識したという
ことなのだろう.
基本的に脳の中は,小さなシステムが並列処理を
行っているというのだから.

この時間の隙間は武道においては,スキとなる.
相手が行動を起こすとき,
その行動を起こそうという思考が起こるよりも先に,
相手のどこかの部分でその「起こり」が
始まっている.
顕在意識の認識は,こうしたときには,
身体の反応よりも遅い.
ある調査研究によれば,そこには数百ミリ秒程度の差が
あるのだという.

したがって,相手の意識が攻撃しようと考えるよりも早く,
私はその「起こり」を認識し,
それに対応することが可能なのである.
そのとき,相手は自分の行動が
まるで読まれているかのごとく感じるのだ.
(私も私の武道の先生に同様な印象を抱くことがある)

もちろん,こちらもそれを「意識」すれば,
行動が遅れるから,「無意識」にそれに
対応できなければならない.
(一刀流にいうところの夢想剣が
それにあたるのだろうか)
そしてそれはどうも修練すれば,
人間に可能なことらしい.

そんな人間の心のシステムは
非常に面白い.
いろいろなところに死角が存在する.
意外に人間の心はスキだらけなのだ.

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