2008年11月27日木曜日

勾玉シンクロニシティ

こうした忙しいときに重宝するのが
オーディオブックである.
朝晩の通勤時間に聴くことができる.
といっても,それほど多く聴いているわけではないが,
小林秀雄の講演集については,
このブログでも何回か紹介してきた.

今月号の「新潮」は小林秀雄の講演集のCDが
ついており,なんと未発表音源が含まれているというので,
早速購入し,車中で聴いた.

付属のCDはこれまで発表されている講演集のCDから
編纂されてもいるのだけど,
「勾玉について」という30分ほどの
講演が未発表のものであった.
相変わらずの小林節で,聴いていて
ついつい引き込まれる.
昭和42年の講演会というから,すでに小林秀雄も64歳くらい.
円熟の語り口である.

この講演の中では,
勾玉を購入したこと,
美術と本当に向き合うためには
購入するのも一つの方法だということ,
美術とはある時代に頂点を極めて
あとは凋落していくものだということ,
などと興味深いことが多々述べられている.

勾玉とは石が曲がっているから
「まがたま」と呼ばれるわけではないと述べている.
どうも「あおい玉」という意味らしい.
そして勾玉が作られ始めた当初では,
翡翠による勾玉が主であったと紹介している.
古代の日本では「あおい」ものが
珍重されていたとのこと.
翡翠は青ではないので「あお」とは「碧」なのかと思うが,
勾玉を大量に生産するようになって,
材料は翡翠から,水晶や瑪瑙にかわり,
姿も堕落していったという話である.
美術は,ある時代に精神性が頂点に達したときから
あとは凋落していくものだと,
バイオリンを例にとって述べている.
厳しい.
小林秀雄は,美術や音楽,骨董などにも
造詣が深かったから,それらについても
同様の考えを持っていたのだろうか.
だとしたら,現代の美術に対する彼の思いは
どのようなものだったろうか.

そんなことをつらつら考えながらいると,
先日,幼い娘が石の店(Stone Shopとでもいうのだろうか)で
青い勾玉を一粒買ってきた.
全くの偶然である.
しかし,私の身近に人生で初めて
勾玉というものが存在することになった.

それは小さな小さなターコイズだから,
色は本当に青い.
姿も大量生産品という感じで,
残念ながら美しいとは言えない.
それでも見ていると,いろいろと印象が変わってくる.

小林秀雄は講演の中で,
勾玉というかたちは,
人類が初めて美というものを考えたときに
思い浮かべる形なのかもしれない,と述べているが,
確かに見る角度によって次々と印象が変わるこの形状は,
胎児のようでもあり,犬歯のようでもあり,
見ていて飽きない.
もしもこれがもっと美しい形をしていて,
よく磨かれていたならば,やはり身近においておきたいと
思うだろう.
「本居宣長」などは勾玉を握って
執筆していたのだという.

新潮の本誌には,茂木健一郎氏と小林秀雄の孫にあたる
白州信哉氏の対談が掲載されており,
小林秀雄の講演の裏話を知ることができる.
小林秀雄の意外な努力がうかがえて
ますます彼が身近になった.

(明日は不在で更新はたぶんありません)

2008年11月26日水曜日

集中力と咳

咳が治らない.
熱などの症状はほとんど治ったのだが,
咳だけが残っている.
咳が止まらなくて夜眠ることができない,
ということではないのだが,
昼間,ゴホン,ゴホンとやっていると,
周囲の人たちに迷惑がかかる.
大変申し訳なく思う.
一応,マスクなどしているのだけれど.

実は,うちの息子も咳がひどい.
しかし,先日息子を見ていて,
あらためて心と身体の密接な関係について
思うところがあった.

息子がテレビ番組を一生懸命見ていたのだが,
その30分の間はひとつも咳をしなかったのである.
そして,その番組が終了すると再び
ゴホン,ゴホンとやり始めた.
つまりは,心の状態如何によって,
咳が出たりでなかったりするのだ.

確かに私も熱心に何かに集中しているときには
咳が止まっているような気がする.
ということは,咳がひどいときは
気が抜けているときなのか...

以前に合氣道の稽古において,
他の後輩が演武をしているときに
見学している私が咳をいくつかしてしまったときがあった.
あとで師範に呼ばれてご指導を受けた.
今思うと,私の集中の度合いが低かったということを
ご注意されたのかと思う.

集中しているときには咳が止まるということはわかったが,
逆にどういうときに咳が出やすいのか,ということは
いまだよくわからない.
その状態さえ脱すれば,私のこの咳もいくぶん
おさまるのだろう.

本屋に通う

なんともまた忙しいモードに突入している.
う~ん,まだまだやれるゾ.
がんばっていきまっしょい.

さて,忙しくなると書店から足が遠のいてしまうけど,
そうなると本屋好きの虫がウズウズとし始める.
最近自分で思うのだけれど,
「本好き」ではなくて「本屋好き」なのだと思う.
(もちろん「本好き」だとも思っているけれど)

本屋なんて,どこも同じような商品が
並んでいるようなものだけれど,
その実は,その本のセレクトには
各書店で特色があるものである.

特に漫画本の品揃え.
(40歳を過ぎて漫画を読むのかといわれると
なかなか恥ずかしい)
私が好きな諸星大二郎とか星野之宜などの大判
(最近は文庫本も出ているけど)が
並んでいる書店というのはなかなかない.

あるいは,高橋葉介や高野文子.
こういった漫画家,そう,大人向けの漫画家.
そうした漫画は売れないのか,
あまり書店に置かれていないので,
私は大変寂しく思うのである.

だから,ふと旅先で飛び込んだ地方の書店に,
そうした本が並んでいるのを見ると,
「おっ,ここの本屋はなかなかやるナ」などと
感心したりしてしまう.

もちろん大型書店も,それはそれで大好きだ.
子供の頃のように立ち読みができないので,
中身を確認して購入するということができないのだけど,
それでも様々なタイトルが並んだ背表紙を眺めているだけで,
あっという間に時間が過ぎてしまう.
そしてなぜか満足感と幸福感を味わうことができる.

以前読んだ漫画家の新刊が出ているのを見つけたりすると,
ついつい手を伸ばしてしまう.
また全然知らない漫画家の本でも,
絵の雰囲気に惹かれてしまうこともある.
こうして新しい鉱脈を見つけることができる.
それも大型書店の良さである.

結局のところ,こうした鉱脈を見つけに
本屋に足を運んでいるのだと気づく.
毎週のように足を運ぶ書店であっても,
同じ書棚を目を皿のようにして長時間眺めている.
今週,新しい本が並んでいないか,
あの著者は新刊を出していないか,
それを確かめているのである.
そして時々,新たな鉱脈をみつけ,
その作家に連なる作品群を次々に掘り起こしていくことになる.

つまりは,飽きもせず本屋に通うということは
じっくりと鉱脈を探すことに他ならない.
しかし,その鉱脈から掘り出されるものは,
自分を変える可能性も持っているのだ.

2008年11月21日金曜日

博士は求められている

昨日は,遠くからお客様があって,
F先生と夕席をともにさせていただいた.
彼は,私が学生時代に隣の研究室に所属していて,
現在は,メーカに務め,第一線で活躍している人である.
(彼とF先生とは,あるプログラムのユーザグループを通した
メル友(!)だったとのこと)

これまで学会などで顔を合わせることはあったのだけれど,
ゆっくりと話す機会はなかった.
久しぶりに会うことが出来て
大変楽しい時間を過ごすことができた.

ここで盛り上がった話題のひとつが,
現在の博士課程卒業生の就職である.
いろいろと就職先がないとか,
逆に働いても仕事に融通が利かない,
などとあちらこちらで耳にする.
本当のところを彼に尋ねてみた.

彼の務めている会社では,
別に博士だからといって採用しないわけではない.
むしろ現在は博士卒の学生も求めているのだという.
やはり博士は,修士とは,課題の見つけ方,
取り組み方などが異なるということだ.

だからといって彼の会社でも
博士を多く採用できているわけではないらしい.
就職する際には,現在多くの会社で
ジョブマッチングというものが行われる.
一昔前のように,一括して会社に採用され,
研修を経たのち,どこに配属されるかよくわからない,
といったシステムではなく,
事前に自分が配属される部署と面接をして,
自分の希望する職種かどうかなどを
(採用する側から見れば,その人物を)
見定めるのである.
このジョブマッチングにおいて,
やはり博士課程で研究してきた分野と異なると,
博士卒の人は嫌がることがあるのだという.

F先生曰く,「新しい研究課題を見つけるような気持ちでないと」

私もそう思う.
博士卒の時点で自分の分野を限定するなんてもったいない.
以前にも書いたけれど,いろいろな分野の知識が
自分のポテンシャルを上げることになるのである.
また,私が前の職場で見てきた博士というのは,
いろいろなことができる人が多い.
専門バカという人も必要だと思うけど,
クロスオーバーな博士というのも大切だと思うのである.
就職先を自分の都合だけで選んでいたら,
それは就職難になってしまうだろうと思う.

彼の話を聞く限り,メーカだって博士に期待しているのだ.
確かに博士の価値は,日本では低い.
でも,その博士に期待してくれている人がいる.
だったらもっとトライしてみる人が増えてもいいと思う.

もちろん世界で活躍しようという人は
(あるいは世界に飛び出さざるを得ない人は)
博士を目指すべきだ.

昨日のメーカの第一線で活躍する彼の話を聞いて,
私は,大変心強く思った.
昨日はリクルートで来たわけではないのだけれど,
就職を希望する学生たちには,ぜひそうしたお話をしてほしい.
就職して10年以上の経験を踏まえた話は,
たぶん学生たちの心も打つことだろう.
リクルータとして,入社して2,3年の新人を寄こす
企業もあるのだけど,私はあまり効果的ではないと思う

まぁ,それはともかく,
久しぶりに彼とお会いできて大変うれしかった.
こうして訪ねてきてくれたことに深く感謝.

2008年11月20日木曜日

インフルエンザ

大阪ではインフルエンザがもう流行しているらしい.
私の息子の小学校でも,インフルエンザで
欠席している子供も多いという.
今年は流行が早い.

実は昨日,ようやくインフルエンザ接種をしたのだけれど,
当然抗体ができるのは12月も末頃だろうから,
これでは,今の流行には全然役に立たない.

その上,風邪気味の体調で接種したからか,
今日はすこぶる体調が悪い.
風邪がぶり返したようだ.
あぁ,インフルエンザにならなきゃいいけど...

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インフルエンザと風邪は異なる病気だと知ったのは,
ずいぶんと大きくなってからである.
インフルエンザは風邪に比べれば,
症状も重く,感染力も強い.

一度,本当に倒れて起き上がれなくなったこともあった.
妻に病院まで連れて行ってもらって,
診断の結果,インフルエンザと判明した.
発症から48時間以内だったので
タミフルを処方してもらったのだけれど,
これが劇的に効く.
飲んで数時間もたつと,身体がずいぶんと楽になり,
起き上がれるようになっていた.
本当に素晴らしい薬だとそのときは思った.
(確かにあれだけ効き目があるならば,
人間の体に少しは悪影響もあるかもしれないと
思うくらいである)
しかし,インフルエンザで命を落とすということも
十分ありうることだとも思った.

現在のインフルエンザのように
本当に鳥インフルエンザが
人間に感染するようになったら,
どんなに大変なことになるだろうかと思う.
たぶん世の中はパニック状態になるのではないだろうか.

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10年ほど前,FOXのテレビで「ミレニアム」という
かなりダークな番組を放送していた.
監督はクリス・カーターで,
これは「X-ファイル」に後継として,
(一部では)人気があった.
私はドロドロしたものが好きなので,
この番組の大ファンだった.
(まぁ,あまりに内容が暗過ぎたためか,
シーズン3で打ち切りとなってしまったのだけど)

このドラマは,テロやシリアルキラーなどを追う
捜査官の話なのだけれど,
最後で鳥インフルエンザ(だったかな?)の話が出てくる.
世界の人口削減のためのツールとして
使われるという設定だったように思う.
もう10年以上も前のことなので,
その時はあまり怖く思わなかったけれど,
最近の鳥インフルエンザをめぐる状況をみていると,
かなり怖いと感じるようになった.

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その昔,スペイン人がインカ帝国に侵攻していったときに,
インカの人々の本当の敵は,スペイン人が持ち込んだ
インフルエンザ,天然痘などのウィルスだった.
免疫を持たない彼らはつぎつぎと感染し,
ほぼ全滅してしまったのだという.
それと同じ状況が鳥インフルエンザについても
言えるのかもしれない.
我々は鳥インフルエンザに対する免疫を持っていないのだから.

鳥インフルエンザの流行が判明したら,
学校や会社などは休みになるのだという.
そして2週間くらいは家から出ないようにすべきだという話である.
まずは2週間,家族が暮らしていける食物や生活必需品を
備えておかなければならない.

政府からはいろいろ情報が発信されているけれど,
私たちの対応は,それほど真剣さを持っていないような気がする.
(少なくとも,私の家族は)

ちょっと真面目に考えて
対策を考えてみようか,と思う.


2008年11月19日水曜日

冬到来,第九の季節

今朝は寒かった.
冬の到来を感じる.
一度治った風邪もぶり返しつつある.
復活は少し遠くなりそうである.

学校に向かう車中でNHKのFMから
流れてきた音楽は

ベートーベン,交響曲第9番

であった.
つくづく年末だなぁ,と思う.

演奏は,ゆったり構えたおおらかな演奏で,
ドラマティックにわざと盛り上げていこうという
感じがなく,なかなかに好印象.
最近はテンポが速めで,
フィナーレに向かって加速していくような
スタイルが多いから,たまにこうした演奏を聴くと
ほっとする.

毎年12月になれば,東京では毎週どこかのホールで
第九が演奏されるようになるが,
残念ながら私はたぶん1度しかこの曲の生演奏に触れたことがない.
(最近は記憶がずいぶんと曖昧である)
指揮者はたぶん佐渡裕 氏で,オケは日フィルだったように思う.
(あれ,新日フィルだったかな)
博士の学生時代,先輩に連れられて演奏会に行ったのだった.
その頃は,まだクラシックを聴き始めたころで,
ステージの上の人数の多さを見て,ドキドキしたものである.
佐渡氏の指揮は,式台の上でジャンプをする豪快さで,
思わず微笑んでしまうようなものだった.
汗もびっちょりという感じで,
とてもハートフルな演奏会だったように思う.

そして,第九というのは生演奏にかなうものはないのだろうと
そのときに思った.
特に合唱のボリュームが圧倒的なのだ.
海外では,合唱の人数がそれほど多くないと聞く.
日本のそれは世界に誇れるくらいのものらしい.
この曲は第1楽章から第3楽章までも,
かなりのスペクタクルなのだけれど,
(特に第1,第2楽章はすごい)
やはり第4楽章の合唱との兼ね合いの迫力が
なければ,この曲の魅力は半減してしまうのではないか.
生演奏に触れたときの圧倒的な印象は
ずいぶんと私のこの曲に対するイメージを変えてしまった.
またいつか第九を聴きにコンサートに足を運びたいものである.

ラジオの録音は,ベーム,ウィーンフィル,
歌手はギネス・ジョーンズ他のものだった.
このCDは所有しているのだけど,
演奏なんてどんな感じだったのかすっかり忘れてしまっていた.
でも,久しぶりに聴くこの曲はとても素敵だった.

この曲のCDは私は何枚くらい持っているのだろう.
最も有名なのは,もちろんフルトベングラーのものなのだけれど,
カラヤン,バーンスタイン,ジンマン,ブリュッヘンなども
持っていたような気がする.
しかし,私がその中で一番好きなのは,
実はセル&クリーブランド管のものだったりする.
セルの身だしなみを整えたような清潔な演奏は
何度聴いても飽きない.

2008年11月18日火曜日

三国志

最近は映画を全然といっていいほど観ていないのだけど,
気になる作品はいくつかある.

その一つがレッドクリフ.
三国志の赤壁の戦いの話なのだという.
製作費100億円の超大作で,今回のものはpart 1,
part 2も来年(?)公開されるらしい.
どんな感じで戦闘が描かれるのか,
大変興味がある.
私は三国志が好きなのだ.

日本人には三国志が好きな人が結構多い.
そして若い人たちも.
私が驚いたのは,若い学生たちが
本当によく武将の名前を知っていることである.

「僕は黄忠が大好きです」

などと平気で言う.
かなりマニアかと思った.

なぜそんなに知っているのかと聞いてみると,
どうもロールプレイングゲームの影響らしい.
そういえば,そんなPCのゲームがあったような...
私はゲームをほとんどしないので,
全然知らないのだけれど.

三国志は,学生時代に吉川英治の小説で読んだ.
しかし,その前に,NHKの人形劇で
とても好きになっていたのである.
今でもたまにTVで取り上げられるけど,
これはたいへんな名作だったと思う.

当時,私は中学生か高校生くらい.
それまでプリンプリン物語とか,笛吹童子,紅孔雀などの
人形劇が放送されていたのだけど,
あまり興味が持てなかった.
(いや,プリンプリン物語は見ていたかな...)
それが三国志になって,夢中になって観ていたように思う.
なんといってもあの川本喜八郎作の素晴らしい人形の魅力.
人間よりも情が深く感じられる.
そして,実力派の声優陣.
谷隼人,石橋蓮司,せんだみつお,森本レオ...
一言一言に一喜一憂したものである.

では,三国志の武将の中で,
誰が好きかと尋ねられたら,
私は迷わず劉備元徳と答える.
私はもともとダメ男が大好きなのだ.
こんなに甘い男はいない.
この大将の優柔不断さ,蒙昧さのために,
どれだけの優秀な武将たちが戦場に散っていったか...
しかし,それでもそれだけの人材を惹きつける
なにかをこの人は持っていたのである.
当人の武勇や知略などは,あまり話題になっていない.
とにかく人間的な魅力だけで生きた人なのであろう.
そこに魅力を感じる.
人が命をかけても仕えようとする魅力とは
どのようなものだろうか.
ずっと気になっている.

もちろん孔明も大好きで,
彼の天下三分の計がなければ,
三国志が生まれなかったわけなのだから,
彼に軸足を置いた映画ができるのも
もちろん納得なのだけど.

意外に若い人たちとの共通の話題である三国志.
中国に行った際にもこの話をしたら,
中国の方々も大変うれしそうな顔をしてくれた.
そしてまた映画でワールドワイドな話になる.
また,少し読んでみようかと思う.
(そんなヒマ全然ないけど)

#私のPCの上には,お菓子のおまけの
三国志の人形劇のフィギュア(!)が飾ってある.
残念ながら劉備はなく,趙雲,孔明,関羽,
そして曹操の4体である.
やっぱり白い顔の曹操が魅力的だ.

2008年11月17日月曜日

街路樹の紅葉に気づく

先週は結局,1週間のうち4日ほど
委員会か講習会に参加した.
土曜日はパワーエレクトロニクス学会の
新しいパワー半導体デバイスに関する講習会だった.
かなりの大盛況.
デバイスに関する関心は高い.

そういえば,先週の火曜日の
電気学会関西支部主催の講習会も大盛況.
そのときのテーマはバッテリだった.

バッテリとデバイス.
これらが,現在のパワエレ技術で注目されるトピックス
2つであることがよくわかる.

今,パワエレに要求されているのは,
省エネ・高効率化である.
その2つの要求に応えるためには,
電力貯蔵装置(つまりはバッテリ)と
低損失・高周波動作のスイッチ(つまりは次世代パワーデバイス)が
不可欠なのである.
当然,その業界の動向に耳目が集まるわけである.
(私もそのひとり)
なにか一つの素子やバッテリの技術革新が,
業界の常識を大きく塗り替えることもありうるのだ.

こうした革新的な技術に対して思うことはいろいろあるけど,
それはおいおいこのブログの中で書いていくこともあるだろう.

ということで,先週は大学の吹田キャンパスから
北千里駅までの道のりを何度も往復した.
駅まで続く長い坂道の両脇には,
色づいた木々が並んでいる.
私は全くといっていいほど植物の名前を知らないので,
それらの街路樹が何という名前なのかも知らないが,
その下を歩いていく人の中に,
立ち止ってデジカメや携帯電話で写真を撮っている人も多い.
確かに黄色や赤が緑の中にグラデーションを作っていて美しい.

しかし,私がそれに気づいたのは,
誰かが木々を見上げているのを見てからである.
それまで気付かなかった,
いや,それらを目にしていてもそのことについて考えなかった自分が
少し恥ずかしく思う.

革新的な技術を目を皿のようにして探し回るというのもいいが,
日常の中の変化に心を留めるという感覚も必要だ.
意外に見落としているものの中に
大切なものが見つかるのかもしれない.

2008年11月14日金曜日

調査専門委員会に出席

今日は,水曜日とはまた別の電気学会の
調査専門委員会に参加.
ソフトスイッチングや新しいパワーデバイスの適用による
回路の効率向上を図るパワーエレクトロニクス技術の
調査を行う委員会である.

今日が1回目.
2つの招待講演があった.
ひとつは,パワーエレクトロニクスが地球環境問題に
果たすべき役割に関するお話.
もうひとつは,SiC-MOSFETの開発状況の報告であった.

新しいデバイスであるSiC-MOSFETの市場投入が
待ち遠しい.
素子の定格的には,1400V,50A程度まできているとのことで,
すでに実用化段階にあると思われた.
しかし,やはりコストが高い.
これはウェハの生産コストが影響しているようだ.

実は,SiCウェハの世界シェアの9割は,
アメリカのクリー社によって占められている.
はっきりいってしまえば,彼らの言い値で価格が決定される.
価格を聞いて,私たちもずいぶんびっくりしてしまった.

では日本はどうなのか?という質問が出た.
まず,この数年ではSiCのデバイスについては
日本のメーカが世界のトップを走っているとのこと.
なかなか嬉しい話である.
ウェハについても,来年くらいには
日本のメーカも出荷を開始するとのこと.
ぜひ独占市場に風穴を開けていただきたいものである.

しかし,SiCは欠陥の少ない結晶の育成方法に難があり,
いまだに大量生産には課題がある.
この大量生産性から考えるとGaNの方が有利なのだという.
GaNの今後の動向が非常に気になるとの話だった.

と,ちょっと専門的な話になってしまったけれど,
こうした話を聞くことができるのが,こうした委員会に参加する
醍醐味である.
良い勉強の機会である.
また人的交流の場でもある.
今日は残念ながら懇親会は失礼させていただいたのだが,
(かなり後ろ髪ひかれたけれど)
次の機会はぜひ参加して,メーカや他大学の方々と
いろいろなお話をさせていただきたいと思うj.
こうして考えると学会活動は確かに,
日本の産業・研究を下支えしているようである.
技術的にも人材的にも.

2008年11月13日木曜日

風邪をひかなくなったのは

風邪はほとんど問題がないほど治癒した.
今回の回復力にはわれながら驚く.

最近,私は風邪をあまりひかなくなった.
以前は,頻繁に風邪をひいていて,
周囲からよくズル休みではないかと
思われていたほどである.
(ミウラ風邪とか呼ばれていたし)

しかし,この4年位はほとんど
風邪で倒れたことがない.
自分でもよくやっていると思う.

風邪をひかなくなった大きな理由のひとつは,
週末に子供たちと一緒に過ごす,
あるいは仕事で過ごすことが多くなったからだと
思っている.

以前の風邪をひくパターンは,
週末に何時間も寝だめをするとか,
深夜遅くまで酒を飲みながらビデオを鑑賞するとか,
そうした不規則な生活が
その引き金となっていたように思う.

結婚して,子どもができて,
日曜日を寝て過ごすことができなくなってしまった.
すなわち,週末になっても
気を抜くことができなくなったのである.
そのために,風邪をひかなくなってきたのではないかと
思っている.

そして,次の大きな理由は
身体が鈍感になったからではないかと思っている.
風邪を良くひいていたころは,身体を鍛えていた.
感覚も今に比べると鋭い.
環境の影響がすぐに体調にあらわれていたような
気がする(それは修行不足ということだけれど).

また,風邪というのは心身の偏りを治すものだという
整体の考え方でいくと,
その偏りを直そうという力が今よりもずっと強く
働いていたように思う.
現在,風邪をひかなくなったのは,
そうした原因となる偏りが少なくなったということではない.

逆に身体が鈍感になって,
修正力が働かなくなったのが本当の理由だろう.
歳をとった.
稽古不足,運動不足になった.
結局はそういうことだ.

では,心身に偏りがあるのに,風邪をひかない人はどうなるか.
風邪をひいたときに命にかかわる大病となってしまう,
あるいは別の病気が表れて大病をする,と言われる.

風邪をひかなくなって素直に喜べないのが
今の私である.




2008年11月12日水曜日

体調の信じられない回復

医者に行ったことにした暗示をかけた効果があったのか,
今日は昨日とうって変わって,風邪が回復している.
本当に心理的な効果が大きいのか,
それともぐっすりと睡眠をとったのが良かったのか,
とにかく復活しつつある.

昨日は,電気学会関西支部主催の講習会
「直流電気鉄道における電力貯蔵装置の適用例と
今後の展望」に参加していたのだけれど,
かなりつらかった.
頭痛や咳もひどかったのだけれど,
何がつらかったといえば,
強烈な眠気に耐えることであった.
昨日は鼻水がひどかったので,
鼻炎のための薬をのんだのだけど,
その直後から,まるで後頭部を殴られたような
眠気が襲ってきた.
この睡魔との闘いが一番きつかった.
しかし,それでも講習会はちゃんと聴いたし,
得るものは得た.

今朝起きてみると結構回復していたので,
午前中の講義もしっかりと終え,
すぐに電気学会の調査専門委員会へと出かける.
昨日と同じ,中央電気倶楽部である.
ここでは司会の役目も無事果たし,
また大学に帰ってきた.
今晩は大事をとって,委員の皆さんとの酒席は
失礼させていただいた.
今日はこのまま早めに帰宅して,
またまたたっぷりと睡眠をとり,
明日以降に万全の体制で臨む予定である.

しかし,我ながらここまで風邪が回復するとは
思ってもみなかった.
少しうれしい.
まだ若いのかも(笑).

ただ,この暗示と身体の関係については
いろいろと思うことがある.
また風邪をひくことと身体の感覚の鋭さとの
関連性も.
これらについては,また明日以降に書きたい.
今日はともかく早く帰って寝る.
これに限る.

2008年11月11日火曜日

本格的な風邪,心の持ちようで治す

いやどうも,風邪が本格的になってきた.
鼻水も頭痛もかなりひどいし,
関節まで痛くなってきた.
これは,かなりまずい.
今日の講義もマスクをして行う羽目に.
学生のみなさん,すみません.

風邪というのは,やはり心理的な影響が
大きいように思う.
いえいえ,仕事が嫌だからひくというわけではなく(笑),
「風邪をひいた」と自分でそれを確認することによって,
風邪の度合いがますますひどくなっていくような気がする.
本当は,風邪が進行することによって,
そのように感じるのかもしれないけれど,
実感的には,自分の心が先で,
身体があとから風邪になっていくような気がするのである.

この逆も良く経験する.
私は見てのとおり身体が子供のころから弱かったので,
よく風邪をひき,熱を出して寝込んだ.
親が,これはどうしようもないと医者に連れていくのだが,
病院に行って診てもらって帰ってくると,
症状は俄然良くなり,ケロっとしたりしている.
医者に診てもらい,薬を出してもらったことで,
子供は安心して,風邪が治ってしまうのである.
これこそ心の働きである.

こう考えると,今の私も,
あの医者に診察してもらったときのように,
安心さえすれば風邪が快方に向かう気がする.
自分に暗示をかけて,
子供のころ,病院に行って帰ってきた時のような
安堵感を得ることができればいいのだ.

昔,どこかのタレントが風邪をひかないコツは,
自分が風邪をひいたことを絶対に認めない,
と話していたことを覚えているけれど,
これも一理ある気がする.
ただし,風邪を否定することによって
逆に「風邪」を意識せざるを得ないのが
問題と思われるけれど.

心の持ち方を変えると,
ずいぶんと身体も楽になってきたような気がする.
風邪は心と体の偏りを直すために,
ひくものであるというのであれば,
その原因が取り除くことができたら,
もはや風邪である必要はない.
とにかく,今の風邪を治すことにしよう.

#風邪をひくと無性に腹が減る.
これは私だけなのかな?

2008年11月10日月曜日

異分野の交流の場としての連合大会

先週末は関西にも冬の寒さが訪れ,
紅葉もぐっと色づくスピードを加速するかと
山の木々に目を凝らす...なんて
そんな余裕のある週末を過ごしたかったけれど,
残念ながら仕事だった.
いや,学会なのでこれを仕事と呼ぶべきか.
とにかく出かける必要があった.

京都工繊大学において開催された
電気関係学会関西支部連合大会に
参加したのである.
朝早くからのセッションもあるので,
兵庫の山奥に住んでいる私は,
朝5:30頃に起きて7:00前には
出かけなければならない.
吐く息もすっかり白い.
朝の寒さが身にしみて,冬の到来を感じる.

「電気関係学会」というのは,
電気学会,電子情報通信学会,照明学会,
映像情報メディア学会,日本音響学会,
電気設備学会の6学会を指す.
これら各学会の関西支部が主催して,
毎年この時期に開催されているのだ.
(学会には,地方地方に支部が設置されている)

伊瀬先生のお話によれば,
第1回目の開催は昭和21年というから,
戦後1年目からの伝統ある大会ということになる.
その時は3学会(電気学会の他は知らない)で,
参加者は300人程度だったのだという.
たぶん,各学会でそれぞれ大会を開いても
集まる人は少数だったろうから,
連合大会という形が取られたのだと思われる.
しかし,それから60年以上が経って,
今回の参加者も900人程度はあったという.
地方大会としては非常に大きなものといっていい.

この異分野が連携して開催されるというところに
面白さがあるはずである.
私などは,通常電気学会くらいしか参加しないのだが,
照明学会などの発表で
「防犯のための照明の色」に関わる研究とか,
「調理空間における光環境の実態」などという
発表タイトルを見ると,ちょっと聴いてみたくなる.
これが大切である.
異なる学会の発表内容のほとんどは
残念ながら聴いても理解できないのだろうが,
意外とその考え方や検証の仕方など,
新しい研究のタネが見つかるかもしれない.
ヤジウマ根性の他に,そんな期待も確かにある.
(単に照明学会は女性研究者が多い,
ということで興味があるわけではありません!)

どの学会も電気に関連した分野とは言え,
他の学会のやっている中身はよくわからない.
まるで同じマンションには住んではいるけれど,
隣に住んでいる人が何をやっているかは不明,
というような状況なのである.
今回の大会は,その隣人の生活をのぞける,
貴重な機会なのだ.

しかし,現在の連合大会は少し分化が進み過ぎていて,
他分野の講演が聴きづらいプログラム構成になっている.
せっかく異分野の専門家が900人も集まっているのに,
もったいないことである.
もっともっと交流を深める会にできないだろうか.

実は,来年この大会は大阪大学で開催されることになっている.
学会のとりまとめ幹事も電気学会である.
そこでは,もっと異分野交流を進めるアイデアも
実現されるとのことである.
ということで私は,
来年のこの大会に,さらに期待をしているのである.
(とはいえ,幹事校としての
その準備の大変さを思うと気が重いのだけれど)

#寒い京都で私は,
すっかり風邪をひいてしまったようである...

2008年11月7日金曜日

MICHAEL CLAYTON

作家のマイケル・クライトンMichael Crichtonが亡くなったときいて,
映画のMICHAEL CLAYTONを思い出した.
たぶん英語で発音すると,
クライトンとクレイトン位の違いはあるのだろうが,
ついつい連想してしまった.

映画のMICHAEL CLAYTONの方は,
ジョージ・クルーニー主演の渋い渋い訴訟サスペンスである.
私はこれをギリシャ ロードス島からの帰りの飛行機の中で観た.
監督は,トニー・ギルロイ.
「ボーン・アイデンティティ」などの脚本で知られる.
そんなことはつゆ知らず,
眠い目をこすりこすり,暗い機中で見始めた.

最初から意味がわからない.
主人公のクレイトンは弁護士事務所に雇われている
トラブルのもみけし屋であるのだけれど,
彼がギャンブルをして,
車に乗って,
野原に馬がいて,
車が爆発して...

観ている者はどうなっているのだろうと思う.
導入の語りも思わせぶりな独白だ.
そして突然話は4日前に戻る.

このジョージ・クルーニー演じる主人公がいい.
私の好きな,借金まみれのにっちもさっちもいかない
状況のなかで喘いでいる優柔不断な男である.

そして,同僚が巻き込まれた巨大な訴訟の陰謀.
この同僚役の男優が本当にすばらしい.
ついに精神的におかしくなってしまうのだけれど,
その男の人生に救いが訪れたことが,
彼の演技から心に伝わる.
このころには,夢中になって画面を見つめていた.

ティルダ・スウィントン演じる企業の重役も素晴らしい.
脇の下には汗をかくし,お腹周りには肉がついているし,
なんというか,女の上司とはかくたるものという役作りが
こちらに伝わってくる.
(彼女はこれでオスカーを獲得したらしい)

だいたい話の流れが飲み込めるころになっても,
登場人物は皆,不安定な状況で,
観ているものも,落ち着かないまま映画はエンディングに近づく.

そして,このエンディング.
これがこの映画の一番の欠点だと私は思う.
正直,ちょっとがっかりした.
最後に,してやったり,ということになるのだけれど,
そんな結末は私は期待していなかった.
多くの観客は,それですっきりするのかもしれないが,
私は,レイモンド・カーヴァーの小説のように,
最後まで人生の苦渋を味わうような映画であってほしかった.
(まぁ,そんな映画を作ったら誰も見ないのかもしれないが)

しかし,全般的にこの映画は素晴らしかった.
一緒に観た"No Country for Old Man"とともに
深く印象に残った.
登場人物の魅力は,最後の欠点を補ってあまりあるほどである.
こうした映画が日本にも登場しないだろうかと
つくづく思う.

#この映画は残念ながら日本語の吹き替えで観た.
クルーニーの吹き替えの声が本当にひどかった.残念.
日本では「フィクサー」という題名だったそうである.


2008年11月6日木曜日

吹田祭,落語会

吹田祭では,毎年,落語会が開かれる.
学生落語ではない,プロの落語家の方々の会である.
桂一門の噺家の皆さんがやってきてくださるのだ.
そして,これが無料なのである.
本当にありがたい.
よく学園祭に,歌手やタレントを呼ぶけれど,
この落語会の方がずっと私にはうれしい.

私はこれが毎年楽しみで仕方がならない.
確か一昨年は,桂文珍さんがやってきた.
会場が一体となって,落語なのに
コンサートのようなグルーブ感があった.
話芸とは,ここまですごいのかと,
生で聴く落語に感動した覚えがある.

昨年は,仕事のために聴くことができなかったのだが,
今年は,しっかりと聴くことができた.
演目は,

桂春菜:「母恋いくらげ」
旭堂南海(講談):「山内一豊の妻」
桂小枝:「くっしゃみ講釈」

というラインアップ.

桂春菜さんは,一昨年は「七度狐」を聞いた
覚えがあるのだけれど,
今年の方がすこし良かったかなぁ.
古典落語を現代風にどうアレンジして話を進めるか,
ここらへんがポイントになるのだろう.
今回は,すれた小学生のバス旅行をからめての進行だった.
くらげや,いかや,たこのマネもなかなか素敵でした.
来年もまた楽しみにしております.

さて,旭堂南海さんは落語家ではなく講釈師.
お題は「山内一豊の妻」ということで,
あの有名な,妻・千代のお金で馬を買い,
信長の前で誉れをあげて,
その褒美にかんざしをもらうというお話をひとつ.
これが本当に良かった.
話が徐々に盛り上がっていくと,
会場もぐんぐんと引き込まれていくのがわかる.
大阪弁を話す馬などの登場でところどころに
笑いをちりばめ,聴いた後に爽快感が残った.
これぞ講談の醍醐味.というところだろう.
またいつかどこかで,ぜひ講談を生で聴いてみたいと思う.
(NHKラジオでも講談はときどき聴くことができるのだけれど,
あの盛り上がりはやはりライブじゃないとだめかな)

職業はレポータではなく落語家なんです,という
笑いから始めた桂小枝さんは,
枕がまず兄弟子やTVの共演者の裏話から.
大変面白かったのだけれど,ちょっと笑うネタとしては
卑怯かなとも思ったりもして.
でも,本当に面白かった.
それで若い人のつかみもバッチリだった.
古典落語のネタは,デートの最中講釈師に恥をかかされた男が,
復讐のために講談の最中に唐辛子を火鉢で焼いて,
講釈師にくしゃみをさせて恥をかかせてやろう,というお話.
主人公の男は,これが物忘れがひどい,ちょっと足りない男.
小枝さんは,こうした役が本当にうまいと感じた.
落語では,こうした少し足りない男が活躍する話が多いけれど,
そうした話においてこそ,
小枝さんの本領が発揮されるのではないだろうか.
ちょっと言葉の繰り返しが多いな,とも思ったのだけれど,
それがひとつのリズムを作り出していて,
それはそれでよかったのかもしれない.

とにかく,3つの演目どれも良かった.
これが大学で聞けるなんて...
幸せ感満腹である.
笑うことによってずいぶんと楽になることってある.
聞くところによると繁昌亭もずいぶんと人が入っているそうである.
この幸福感に一度味をしめたら,
やっぱりリピータになる人も多いのだろうなぁ.
私も,すっかり落語好きとなってしまったし.

#全然話はかわるけれど,
マイケル・クライトンが亡くなったそうである.
彼は,SF作家といっていいのだろうか.
ジュラシックパークなんて,子どもたちに大きな夢を与えてくれたなぁ.

2008年11月5日水曜日

苦い後味

相変わらず忙しいのだけれど,
それでも移動中の車内などで本を読んでいる.
先日読み終えたのは,

「象」(レイモンド・カーヴァー,村上春樹訳)

すっかりファンになってしまったカーヴァーの短編集である.

なぜこんなにもこの作家に惹かれるのか.

まずは,文体がいい.
これは村上氏の訳の影響もあるのだろうが,
修飾の少ない短文を積み重ねて,
淡々と物語が進んでいく作品が多い.
こうした簡潔な文章は私の中にリズムを生み出し,
すぐに物語の中に引き込まれてしまう.
それが気持ちがいいのである.

次に,登場人物がいい.
多くの作品で,もうどうしようもない現実に追い込まれた
中年男が登場する.
これが全然ヒーローでもなく,冷酷な悪党でもない.
どこにでもいる,弱い男なのである.
村上氏がいうところの「ズルズルとした状況」においても,
未来に希望がもてるような果断を行うこともない.
ただ,にっちもさっちもいかない状況に耐え忍ぶだけである.
「象」という作品では,最後に少し明るい描写があるのだけれど,
状況的には全く何も解決されない.
救いのない,あまりにも苦い現実.
だからこそ,リアリズムを感じることができる.
どうしたものか,そこに非常にシンパシーを感じてしまう.
私がそういう状況というわけではないのだけれど.

そして構成がいい.
単純なひとつの物語で終わるものにはなっていない.
いくつかのエピソードが複合的に積み重なって,
作品に広がりを与えている.
主たる話には関係のないエピソードにも,
なにかしらの意味があり,
それらが読後感に大きく影を落とす.
この重さがたまらなくいい.

この「象」という作品集は,生前,最後に
刊行されたものであるらしい.
最後に収録されている「使い走り」には,
カーヴァーがよく並び称されている(らしい)
チェーホフの最期が描かれている.
登場人物たちそれぞれの心情,
そしてやはり短文で描写されていく情景.
それらは静的ではあるけれど,
非常に緊張感をもって読ませるものになっている.
この作品を書いていたころは,カーヴァーは
癌による自分の死期を知っていたらしい.
闘病生活のなか,最後の力を振り絞ってまとめたということを
村上氏の「解題」を読んで知ったときには,
なるほど,それでと,納得したくらいである.

もちろん,他の作品も大変にすばらしい.
そしてどの作品も苦い後味を残す.
(「親密さ」の読後感など,どのように表せばよいのだろう)
だが私は,その苦さに中毒となり,
ますます彼の作品に惹かれてしまうのだ.
まだまだ彼の作品を読み続けていくことになるのだろう.

2008年11月4日火曜日

伝統の力

週末の3連休もなんだかんだと
忙しかった.
特に昨日は地元の祭りということで,
模擬店でやきそばを売っていた.
といっても,私は料理がからきしダメなので,
やきそばのソースを計量していただけなのだけど.
ただ,それでも目が回るように忙しく,
3時間飲まず食わずで働きっぱなしだったことも
あって,本当に疲れた.
おかげで晩のビールが美味しかったこと!

そして連休明けの今日は大学祭の「吹田祭」であった.
なんと今年は電気系教室創立100周年ということで,
記念講演会が開かれた.
たぶん200名以上はいたであろう聴衆を前に,
電気系の歴史と未来への期待を4名の先生方が講演された.

私も恥ずかしながら大阪大学電気系について
初めて知ることが多く,大変勉強になった.
とはいっても,その知識がもちろん陽に
すぐさま研究に役立つわけではないだろう.
しかし,自分の所属する組織のルーツを知るということは,
意外に大切なような気がする.

歴史を知ることでプライドを持つなどというものではないけれど,
綿々と受け継がれた歴史の中で,
それぞれの先生方の思いが今につながっている.
そのことが実感できた.
これが伝統というものなのだろう.

しばしば伝統というものは,
新しいものへの抵抗勢力として敵視される.
しかし,自分の足元を振り返れば,
その基盤はまぎれもなく,その伝統の上に
築かれたものであり,先輩方の業績は,
決して否定されるべきものではない.

伝統がある,ということはそれだけで財産なのだと思う.
私もその伝統に恥じないように,
努力はしたいと思っている.

2008年11月1日土曜日

妖怪が街を徘徊する

なんとか連休前にひとつ仕事を片付けることができた.
ちょっとほっとする.

そういえば今日はハロウィーンだったような...
それどころか今日から大学は大学祭 吹田祭だったような...
全然関係なく仕事をしていた.
いや昼間は,吹田祭にあわせて開催される
電気系教室創立百周年記念講演会についての
準備はしていたのだから,それなりに大学祭の
影響はうけているのだが.

さて,ハロウィーンと言えば,魔女やお化けが
万聖節を前に町に繰り出すという夜である.
それで仮装して出かけるということになったらしい.

日本で言うと,妖怪が町を闊歩するということだろうか.
日本では仮装する風習はなくても,
やはり昔は妖怪は日本の界隈を
歩きまわっているように思われていた.

夕方暗くなってきて,すれ違う人も誰だかわからなくなる.
誰だかわからない身元不明な人は,
昔の人にとっては妖怪に
等しかったということなのかもしれない.

夕方を「黄昏」と書いて,「たそがれ」とか
「かはたれ」などと呼ぶが,
もともとは「誰ぞ彼」とか「彼は誰」とか,
そういった言葉が語源であるらしい.
柳田国男の著作で読んだ覚えがある.
身近に妖怪がいると信じられていたのだろう.

電話で「もしもし」と呼びかける理由にも
面白い話がある.
実は,どうも妖怪は二度同じ言葉を
繰り返すことができないという話が
流布していたらしいのである.
電話というものが普及し始めたころ,
電話の向こうの人は,やっぱり身元が少し
怪しいひとであったに違いない.
そこで,自分は妖怪ではありませんよ,
ということを示すために,「もし」と
一回だけ問いかけるのではなく,
「もしもし」と2回問いかけたのだとか...
(これも柳田の著作で読んだんだっけ?)

とにかく,日本においても妖怪は
身近なものであったらしい.
ほんの百年も前のことである.
ハロウィーンはなくても
カッパ祭りとか,アマノジャクの祭りとか
なまはげとか,そういったものが
日本にもある.

ほんの百年くらい昔は,
異世界がもっと身近にあった.
これは世界共通のことなのかもしれない.