2008年12月19日金曜日

マタイ受難曲

1週間ほど前,ヘンデルのメサイアを聞いた後,
なぜかバッハのマタイ受難曲が聴きたくなった.
全曲を聴きとおすと3時間半くらいかかるので,
抜粋版を聴いている.
ここ数日間,車の中で聴き続けている.

そうしていると,身の回りになぜか
マタイ受難曲の話題があふれてくる.
(といっても,私の心理状態が情報にバイアスを
かけているだけなのだろうけど)

昨日送られてきた,あるメールマガジンに掲載されていた話.
日本の著名な作曲家であった武満徹が,
亡くなる前日に,FMラジオから流れる
マタイ受難曲を,病室でひとり聴いていたのだという.

彼は新しい作曲を始めるときに,
マタイ受難曲の中のコラールや最終曲を
ピアノで弾いてから行うというほど
この曲には思い入れがあった.
亡くなる前日には不思議と雪が降ったためか
訪問客もなく,奥様もお嬢様もその日に限って
見舞いに行かず,
ひとり静かに全曲を聴きとおすことができたという.
(そのことをご家族は残された日記で知ったらしい)
それは本当に神からの恩寵であったと,
奥様がのちにどこかで書いておられたとのこと.

人生の終焉にふさわしい,
マタイ受難曲は,そんな純粋な音楽であることは間違いない.

歌手の鮫島有美子さんも無人島に
1曲だけ持っていくとしたらマタイ受難曲と答えていた.
また,作家の柳田邦夫氏もこのマタイ受難曲によって
次男の方の死による悲しみを癒されたと述べられている.

私はキリスト者ではないけれど,
バッハがこの曲に込めた想いというものは,
感じることができるような気がする.
それは確かに雪の降る静かな日にふさわしい
静謐さと優しさ,そして想いのつよさがある.
そして最終曲によってもたらされる浄化は,
聴いたものにしかわからない.
とにかく聴いたものにしかわからない.
音楽とはこうしたものかと思う.

バッハの最高傑作と言われるこの作品の私の愛聴盤は,
全曲を聴くときはカール・リヒターの1958年の録音.
抜粋版では,レオンハルトかガーディナー.
たまに,メンゲルベルク版.
次に購入するとしたら,鈴木秀美か,ポール・マクリーシュかな.

また,「マタイ受難曲」(礒山 雅,東京書籍)という
名著も忘れてはならない.





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