2009年12月31日木曜日

今年の総括

新潟に帰省し,両親と妹とともに
紅白歌合戦を見ながら年を越そうとしている.
今年もこうして終えることができることに
心から感謝したい.
あと何回こうした機会を持つことができるのだろう.
そう思うとき,この時間をもっと密度濃く
過ごすことはできないのだろうかと心が焦るのである.

さて今年の総括をしてみたい.
とはいえ,反省すべきことばかりである.
仕事については,あまりに数多くありすぎて,
ここに書くことが憚れる.

家庭についてもいろいろあるが,
ここに書くのはやはり申しわけなく,
やめておくことにする.

その他,自分の今後に大きく影響を与えそうな
今年の出来事をあげてみる.

(1)シューベルトのピアノソナタにどうして
ここまで惹かれるのだろう.
今年後半に目覚めたシューベルトの楽曲の魅力に
今もメロメロである.
まだまだ聴き足りない.
病むような魔力があるのだ.
来年もずっと,もっともっと
シューベルトに突っ込み続けるのだろう.


(2)今年読んだ本から4冊.
1.ロング・グッドバイ,R. チャンドラー
2.グレート・ギャッツビー,S. フィッツジェラルド
3.大聖堂,R.カーバー
4.ティファニーで朝食を,T.カポーティ

なんといっても,ロング・グッバイにはやられた.
まさに男のおとぎ話.
ここまで夢のようなストーリーがあってよいものかと思った.
読み終わるのが本当に惜しいと思う物語があったのだ.
こうした本に,まだこの年で出会えたという
その幸運に感謝したい.

しかし,わかる人にはわかるのだけれど,
ここに挙げた4冊は村上春樹の訳による.
どうも相性が良いみたいである.
また海外作品ばかりというのも特徴的である.
まぁ,作品は古典とよべるものばかりで,
良いものであることは間違いないのだけれど.

来年も海外作品を読むことが多くなりそうな気がする.

(3)稽古では,呼吸法に工夫ができたように思う.
来年の目標のひとつは「修行のやり直し」である.
五感を鍛えなおそう.

ということで,あとは来年に.

本年も大変お世話になりました.
皆様良いお年を.

2009年12月28日月曜日

「デスプルーフ in グラインドハウス」,「燃える天使」

今日で仕事納めとなる.
週末は,床屋も行ったし,
年賀状用の家族写真も撮った.
(これから年賀状を作ります.
すみません,元旦には間に合いません...)
年越しの気分である.

なかなか仕事だけでなく家庭のこともあって
いろいろと忙しかったのだけれど,
土曜日の夜は,ひとりゆっくりとDVDを観た.
(部屋でひとりでPCで)

デスプルーフ in グラインドハウス (タランティーノ監督)

いやぁ,くだらない.
素晴らしくくだらない映画で大変に良かった.
女の子4人組が2グループあって,
それぞれがカート・ラッセル演じる変態オヤジに
命を狙われる.

まず最初の4人組は,いろいろとこのオヤジと絡んだりして,
話を盛り上げたあと,最後に派手に殺される.
このシーンが秀逸.
本当にひどい...稀に見る殺され方である.

次の4人組は,同じオヤジに狙われるのだけれど,
最後にはやり返すという話.
女の子が捕まえたオヤジを殴り倒して,
最後にかかとおとし..."The End"の表示.
もうたまらないほどB級映画感満載の映画だった.

もちろんタランティーノもBarのオヤジ役で出演している.
いやぁ,楽しんでいるなぁ.

別に,オチもないし教訓もない映画である.
ただ場面場面の盛り上がりは素晴らしく,印象に残る.
ちょうど短編小説集の読後感に似ている.

柴田元幸監修の「燃える天使」という短編集を読んだ.
短篇集であるから,場面,場面が描写され,
読者はその雰囲気,登場人物の背景,そうしたものを味わう.
そこに描かれるのは,また特に特徴的なエピソードで
いつのまにか心に残ってしまう.
この短編集には,確か13編の小説がまとめられていたと思うけど,
なんともはっきりした感想はいえなくとも,
好きか嫌いかははっきり言える.
そんな短編集なのである.

タランティーノの映画も,柴田元幸慣習の短編小説集も,
なにか同じところがある.
昔は,オチや謎解きがなければ映画も小説も面白くなかった.
今は違う.
生活から切り取られた一場面であっても
なにかを感じ,なにかを思うことができる.
少しは,鑑賞の幅が広がってきたのかも.

さて,今年一年,どうも有難うございました.
次回は1月.
気が向いたら,また年内に記事を書きます.

2009年12月25日金曜日

クリスマスの歌は

Merry Christmas!
クリスマスです.
街中を踊りながら行進して

Thank you very much!
Thank you very much!
That's the nicest thing that anyone's ever done for me

と歌いたい気分である.
(って,わかる人いるのだろうか?
今年はDisneyのアニメが公開されている
クリスマスキャロルである.
歌は,1970年のミュージカル映画”スクルージ”のもの)

今日で,研究室の「打ち合わせ会」と呼ばれる
研究進捗発表会もようやく終了した.
26名の学生それぞれの進捗状況を
15分の発表と15分の議論によって確認する会である.

...ふぅ.
まずは終わったことを喜ぼう.
これから午後は研究室の大掃除である.
そして夕方は忘年会.
研究室はこれで今年は終りとなる.

(といっても,月曜日も来るし,
学生も電気学会全国大会の締切に向けて
また努力をするのではあるが)

昨晩は,帰宅の車中でラジオからは,

ニーベルングの指輪 前夜
ラインの黄金

が流れていた.
年末だなぁとしみじみ思う.
毎年この時期,NHK FMではその年のバイロイト音楽祭の
録音が流れるのである.
低音を効かせたライトモチーフが流れると
思わず耳を傾けてしまう.
「リング」はいつか目の前で全幕見れたらいいなぁ.
それが私の夢のひとつである.
まぁ,まる4日間はかかるわけなのだけれど.


今朝のFMからは,もうずっとクリスマスソングが流れていた.

ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」
ポール・マッカートニーの「ワンダフル・クリスマスタイム」
ワムの「ラスト・クリスマス」
なんとボーイ・ジョージの「ホワイト・クリスマス」(Web配信限定らしい)
バンドエイドの「Do they know it's Christmas?」

その他にも,とにかくたくさんの曲を聞いた.
世の中にはいったいいくつのクリスマスソングがあるのだろうか.
私はクリスチャンではないけれど,
クリスマスというイベントは好きである.
この時期,世界で幸福を願う人達の割合が少し増える気がするから.

クリスマスにはゆっくりとやはり家族と過ごしたい.
そして素敵な曲でも聞きながら,安らかに眠りにつきたいものである.
(別に死ぬわけでないですよ)

2009年12月24日木曜日

「クリスマスの思い出」, T.カポーティ

クリスマス・イブである.
そんなこんなで,また仕事をしている.
昨年も,またその前もずっとこんな感じだった.

ふと思い出したのだけれど,20年ほど前,
私が博士課程の学生だった時も
同じように研究室でイブを過ごしていた.

当時修士2年だった後輩のK山君とふたりで,
実験室でMHD発電用のコンデンサバンク(720 kJ, 11 kV)の
充放電回路を組み立てていた.
さすがにいつもは夜でも学生たちが多く残っている研究室も
人気が少ないようだった.

架台に積まれた巨大なコンデンサの電極に
ケーブル(RG8U)をネジを締めて取り付けながら,
K山君と,

「こんなクリスマス,ずっと忘れないかもね」

などと話していたことを思い出す.
ラジオをつけて作業していたのだけれど,
なぜかクリスマスにクラプトンの「レイラ」が
スピーカから流れていて,ギターソロのパートで,
寂しさが10倍に感じられたのを今でもよく覚えている.

そして,今日.
変わらない生活だ...

クリスマスの思い出

というT. カポーティの小品を思い出す.
ディケンズの「クリスマス・キャロル」については
何度か書いているので,今日はこの作品を.

カポーティの少年時代の体験が色濃く反映されていると
いわれる作品.
おばあさんとケーキを作りながら過ごす,
ささやかな,本当に小さなそっとした幸せなクリスマス.
そして自分の成長とともに訪れるおばあさんとの別れ.
最後にいたるまでの淡々とした語り口には胸が痛くなる.
この子供時代の暖かく美しい思い出があるだけに,
おばあさんと離れて暮らす主人公の胸の内を
思わずにはいられない.
クリスマスが来るたびに,私も思い出して読みたくなる
佳品である.
このシーズン,誰にでもおすすめできる.

村上春樹訳で1冊にまとまったものもあるけれど,

ティファニーで朝食を」(新潮文庫,T.カポーティ,村上春樹訳)

にも収録されているので,お買い得かも.

#カポーティには,この姉妹編ともいえる
あるクリスマス
という小品がある.
これも村上春樹訳で出ています.


2009年12月22日火曜日

Sourceにあたろう

どこかの裁判で被告がWikipediaを丸写しして
書類を作成し,それが間違いだったことが判明したという
ニュースを読んだ.
なんともはや...

Wikipediaは大変便利なのだけれど,
そこに書かれていることが正しいとは限らないことを
私たちは心していなければならない.

学生たちのレポートにも,ちょっと以前は
Wikipediaの記事をコピペしたものが見受けられ,
その内容が正しいとは言えないものもあった.
(最近はさすがにWikipediaのコピペはなくなった.
どこかでこっそりと書かれていた記事をコピペしているのだろう.
なぜなら文体が明らかにおかしいもの)

しかし,インターネット世代の若い人達は
ネットの情報を信じやすい傾向にあるようである.
私みたいな年をとった人間にとってみれば,
いまだにネットは怪しいものが跋扈している世界だから,
それほど鵜呑みにすることはないと思っているが.
(とはいえ,ダマされることも多々あるけれど)

Wikipediaというのは,ボランタリーに運営されているけれど,
一部ではいじめともいえる個人攻撃がされたり,
デマが書かれたり,ナショナリズムを煽るような記述が
繰り返し書かれたりして,決して心健やかな人ばかりが
記述しているわけではないことを予め知っておく必要がある.
以前にそうした騒動に巻き込まれ,Wikipediaの人たちと
対決した人は,Wikipediaは「腐っている」とまで言っている.

Wikipediaはヒントになることが書かれていることも多いが,
学術記事や論文の参考出典には成り得ない.
書かれている内容に,誰も責任を持たないからである.
だから学術論文においては原典主義ということが
必ず守られなければならない.

今年読んで印象に残っている本のひとつに,

「狼少女はいなかった~心理学の神話をめぐる冒険」
(鈴木光太郎,新曜社)

がある.著者は否定されても何度も復活してくる話を
「神話」とよび,その例として「狼に育てられた少女」,
「映画館でのサブリミナル効果によるポップコーンの
売上」の話などは,そのもともとの話に信頼性がないのに,
噂だけが先走って,本当にあったことのように
認識されていると指摘している.
またその噂を広げる人たちが,いかに原著にあたっていないか,
原典主義から外れているかを批判している.
上記の「神話」の信頼性は怪しいと言っているのだ.
(私も原典にあたっていないから,なんとも結論づけられないが.
ただ,なぜ否定されても復活するかという人間の心理には
非常に興味がわく)

とにかく我々もネット上の情報に踊らされることなく
冷静にその情報のソースにあたることを忘れてはいけないのだ.
そう思えば,Wikipediaだけを信じることがどれだけ危ういことかわかる.

新聞でさえも,複数の紙面で記事を確認しているという人は多い.
誤報もあれば,各新聞の論調によって記事はいかようにでも
変わるのである.
(新聞記事がどれだけ不確かか,科学技術記事をみるだけでも
よく理解できる.またどれだけ意見がゆがめられているか,
それこそネットでの情報と比較することによって最近特に
明らかになってきた.私たちは騙されてはいけないのだ)

ひとつの分野を知りたければ,その分野に関するテキストを
やはり数冊は少なくとも読むと良い.
そこに共通しているトピックスはやはり重要であろうし,
一方で他とは異なるそのテキストの特色も理解できる.

この世の中は情報で満ち溢れていて,
どの情報を信じて良いかわからなくなるけれど,
まずは落ち着いて原典にあたり,次にその周辺にあたる.
そうした心がけをするだけでも,この世の中をわたるのに
ずいぶんと確かな足取りをもつことができるだろう.

2009年12月21日月曜日

パワーエレクトロニクス学会,第181回定例研究会および35周年記念会

パワーエレクトロニクス学会 第181回定例研究会と
35周年記念会が無事に終了した.
先週の土曜日のことである.
なんと180名を越える参加者に恵まれ,
弁当やテキストが足りないなどの嬉しい悲鳴を上げていた.
大盛況だったのである.

定例研究会は,大学院学生や企業若手を
中心とした若手幹事が立案,運営することになっている.
これまでにもこのブログで何度か取り上げてきたけれど,
若い人達は頼りないとの認識を
改めさせられる幹事会である.
今回も若手テクニカルセミナーとして,
特別講演(パナソニック 大森様,藤田様)を企画した他,
若手によるポスターセッションということで32件の発表を
ハンドリングしている.
連絡や,発表資料の編集,予稿集の印刷など
もろもろの雑事もちゃんと役割分担をしてこなしている.
大変に心強いのである.
こうした若い人達が次の世代を背負っていくと思うと,
日本の未来も少しは明るく感じられる.
あとは社会が彼らをスポイルしないことだけを
祈るだけである.
結局成功裏に定例研究会は終えることができて,
リーダーをはじめ,運営を担ってきた幹事のみなさんは
ずいぶんとほっとしたことだろう.

定例研究会のあとは,35周年を記念して,
まず電気学会会長の松瀨先生の招待講演が行われ,
次に,電気学会SPC委員長の小倉様,
パワエレ学会前会長の日吉様を交えて
パネルディスカッションが行われた.
テーマはパワエレの歴史,人材教育などである.
企業側と大学側の考え方の違い,
具体的な課題など,大変参考になるものだった.
会場のあちらこちらで,うなづきながら聞いていたから,
己れのこととして感じた人が少なくなかったのだろう.

また35周年記念ということで,企業展示も行われた.
当初は,この不況下ということでどれだけの企業に
ご協力いただけるかと心配していたのだけれど,
当日を迎えてみれば10社から展示をいただくことができ,
部屋が狭く感じられるほどだった.
展示は,過去の技術と最新製品との比較が
できるように工夫されており,学会によくある
通り一遍の製品紹介とは異なっていて,
大変に会場が賑わっていた.
電動自転車やLiイオン電池,太陽電池用パワコンや
大型LNG設備の模型,IHクッキングヒータや
50年前のオシロスコープ.
それらを見ながら,楽しくもためになる議論が
あちらこちらで行われていたようである.

その後,パワエレ学会の歴代の会長をお招きして
記念パーティーを開くことができた.
35年の歴史の重さをつくづく感じる.
途中,若手幹事が用意してくれた35周年のスライド
ショーが会場を盛り上げてくれた.
パワーエレクトロニクスという言葉が新鮮に感じられたころ,
関西にこの学会(当時は研究会)が発足したのである.
以来,ずっと途切れることなく活発な活動を継続してきた.
先人たちのご努力に本当に頭が下がります.
発足当時からの会員の皆様もご参加いただき,
学生たちと混じって,パーティーは大いに盛り上がった.

兎にも角にも,無事に,そして大成功という形で
会を終えることができた.
庶務幹事としての責務もなんとか果たし,
ようやく肩の荷が少し軽くなった.
今回思ったのは,私の仕事には,
ところどころ大きな穴があって,皆様にいろいろとご迷惑を
おかけしたのだけれど,いつもだれかがフォローアップしてくれて,
その穴を埋めてくれたのである.
本当にありがたく感じました...
次回はもっと楽に運営ができるようにしたいと思います...

#会場でいろいろと飛び回っていたために,
多くの講演を聞き逃してしまった.
それが本当に残念である...

2009年12月18日金曜日

宇宙にヤマトの波動砲は轟き響くか

宇宙戦艦ヤマトがリメイクされたそうである.

「ヤマトか...なにもかもみな懐かしい...」

ととりあえずつぶやいてみる.

ヤマトが盛り上がっていたのは私が小学生の頃だから,
もう30年位前の話になるのだろう.
地球のために命をかけて,放射能除去装置コスモクリーナーを
14万8千光年の彼方のイスカンダルまで取りに行くという話は,
いまだに心惹かれるものがある.

ヤマトでは特に最初に地中からゴゴゴと
宇宙に飛び立つシーンが大好きである.
巨大な爆弾が迫ってくる状況で,
冷静にエンジンを立ち上げていき,
主砲によって爆弾を破壊する.
そして煙幕の中からヤマトが宇宙へ飛び立っていくのである.
今でも胸がワクワクする.

ヤマトの最強の武器といえば,波動砲である.
初めて使用したときには,オーストラリア大陸と同じ位の
大きさの浮遊大陸を吹き飛ばす位の威力がある.
この発射音がカッコいいのだ.
徐々にエネルギーがチャージされていく音がして,
音が最高に高まると,ビームが飛び出していき,
轟音がするということになっている.
この轟音が一種のカタルシスを生んでいる(いいすぎ).

しかし,実は宇宙空間では音はしないはずである.
なぜなら音を伝える媒質である空気がないから.
衝撃波も伝搬しないのである.

あの効果音はたぶんヤマトの乗組員しか
聞こえていないのだろう.
しかし,宇宙空間での交戦のシーンでは,
ビームを撃ち合う音がする.
実際もしもそんなことが起こっていたとしたら,
多分第三者として見ている私たちの耳には
何も聞こえず,まるで無声映画を見ているように
なるだろう.

(ガミラスの艦隊と交戦するように向かい合うと
なぜか艦隊の並ぶ平面がヤマトを起点とする
水平面といつも一致するのもおかしい,とか
ケチをつければ山ほどあるのだけれど)

スターウォーズだって,スタートレックだって,
宇宙空間に音はしないのである.
銀河英雄伝説のように宇宙空間に
マーラーの交響曲第3番は響かないのである.

たしかゴーショーグンというアニメだったと思うのだけれど,
敵がクラシック音楽を流して現れる,という設定になっていて,
そのために宇宙に音を伝える媒質をまず流す,という
バカバカしい話になっていたと思う(素敵なギャグである).
しかし,そんな媒質,たぶんそれはガスだと思うけれど,
それを宇宙空間を満たすほど流すというのはほとんど無理である.
引力も無いところに放出してもすぐに拡散してしまうだろう.

そう思うとガンダムのミノフスキー粒子もおかしい.
ミノフスキー粒子が空間に存在するとたしかレーダーが
効かなくなるのではなかったっけ?
だから白兵戦用もモビルスーツが
開発されたという設定だったような...
しかし,そんな粒子をばらまくなんてどれだけ大変か...
拡散速度を考えてみればいいと思う.

拡散速度がおかしいといえば,映画の「トータルリコール」である.
シュワルツェネッガー演ずる主人公は,火星の空間に
生身のまま放り出されるけれど,間一髪リアクターと呼ばれる
酸素発生装置が起動され,火星は酸素に包まれて
死を免れるという話なのである.
放り出された瞬間,シュワルツェネッガーの顔はCGで
変形されるようになっているけれど,実際にそんなことがあったら,
一瞬で身体が膨張爆発するのではないだろうか.
リアクターが起動して酸素が火星を包むまでに一体
どれだけの時間がかかるというのだろうか...

と思いつくままにくだらないことを書いてきてしまった.
こう考えると「2001年宇宙の旅」はすばらしい.
宇宙のシーンでは音はしない.
クラシック音楽が流れるだけである.
無重力の無音空間にふさわしいのはクラシック音楽なのである.
この映画で有名なのはR.シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」の
冒頭なのだろうけれど,私はリゲティのレクイエムも好きである.
そういえば,私のライブラリにはなかったような...
今度購入してみよう...

#リアリティに徹底的にこだわったキューブリック監督だったけれど,
宇宙船の航行シーンにおいて背後の星が移動するという演出だけは
仕方なく取り入れたらしい.
(あのスピードでは星は動かないように見えるはず)
確かに背後の星が動いていなかったら,
宇宙船は単に止まっているようにしか見えないだろうけど.

2009年12月17日木曜日

免許更新にでかける

運転免許の更新に行ってきた.
一応,優良運転者なので5年に1回の
おつとめになる.

優良運転者は30分間の講習を受けて,
そののち交付の手順となる.

今回講習を受けてみて驚いたことは,

1) 免許がICカードになったこと
2) 私の免許は普通免許ではなく
中型免許(ただし条件付き)となったこと

である.
免許がICカードになったのは,
どうも個人情報保護からの理由らしい.
本籍地や国籍の情報は,新しく交付される
免許証には記載されていないのだ.
ICカード読み取り装置の上において
暗証番号を入力すると装置に表示される,
というシステムになったらしい.
ICカードになったというから,
違反による減点の情報が保持されるのかと
思ったけれど,別の意外な理由だったのである.
しかもその読み取り装置は免許更新センターにしか
設置されていないのだという.

一体,このシステムになんの意味があるのだろうかと
私は疑問に思った.
本籍地や国籍によって差別をうけるという問題が
あるから,情報を記載しないということは理解できる.
しかし,一般の人が見ることができない情報を
そもそも免許証に記載する必要があるのだろうか.
なんのための情報なのだろう.
こんなシステムを作るくらいだったら,
免許証にはじめから記載しないことにすればいいのに.
なにか無駄なような気がする...

さて,私の免許が普通免許から中型免許になったのは,
ひとえに法令の改正により,中型免許という区分が
できたことによる.
平成19年以降に交付された普通免許では
5トン未満の車両重量の車を運転できないことになっている.
5トンから11トンの車は中型免許が必要で,
それ以上は大型免許が必要となる.
しかし,法令の改正以前の普通免許では,
8トンまでの車を運転できることになっていた.
それで,平成19年以前に取得した普通免許は
区分的には中型免許とされ,8トンまで運転可能という
条件をつけることになったのだそうである.

中型というのは,バイクばかりかと思っていたけど,
今は自動車もあるなんて,全然知らなかった.

30分の講習では,こうした話の他,
安全運転啓蒙のためのビデオを15分程度見ることになっていた.
アナウンサーの福留さんが出演されていて,
実際に起こった事故を再現してその原因を探るというものである.

こうしたビデオを適当に見る人もいるだろうけれど,
私はだいたい真剣に見る.
そして本当に怖く感じるのである.
特に交通事故は,毎日自動車で通勤している私にとっては
決して他人事ではないからである.
事実,毎週のように事故現場を目にしている.

交通事故はある確率で発生するものだと覚悟しているが,
その確率をどこまで下げることが出来るか,
それはその人の努力によるところが大きいと思っている.
やはり安全運転が大切なのだ.

フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」の中で,
ベイカーという女性が,乱暴な運転をたしなめられて,
「もっと注意しろ」と言われて,

「まあ,他の人が気を付けてくれるでしょ」

みたいなことをいうシーンを思い出した.
そんな人間がやはりこの世の中には存在するのだ.

ところで,安全運転を心がけることは,心の修業にもなる.
特に私は短気なので,マナーが悪い車を見ると
すぐに激怒している.
それで家族からもよくたしなめられるし,
一緒に乗った人からはハンドルを握ると
性格が変わると言われるのである.
これを直すのに,運転は良い練習なのだと思う.
しかし,修行の道は長く,遠い.
たとえ割り込みされても怒らない.
たとえ急ブレーキを目の前でかけられても怒らない.
いつか私もそんな天使みたいな人間になれるのだろうか...

そんなことを思いながらも,
講習の受講者で一杯になった教室で,

「この人達の多くは,私と同じ「いて座」なんだろうなぁ.
みんなおんなじ運命なのかしらん」

などというくだらないことを思ったりしていた.

ということで,とにもかくにも免許の更新は無事に済んだ.
(本籍地の名前が政令都市化したために変わっていたので,
少し確認に時間がかかったけれど)

ただ,免許の写真だけはいただけない.
不意打ちのようにして写された.
この写真であと5年か...
それがちょっと悲しい.

2009年12月16日水曜日

Microsoft Updateに4時間を費やす

自宅のPCにはOffice2003が入っているのだけれど,
最近はときどきOffice2007で作成されたファイルを
編集しなければならないことがあって,
2007のファイルが読める互換パックというものを
インストールすることになった.

(Office2003とOffice2007は,ファイル形式が異なり,
拡張子も違うため,そのままではOffice2007のファイルを
2003で開くことができない.逆は可能だけれど)

ある程度,早く開けるようにしたいとの要望があったので,
一昨日の夜23:00過ぎから作業を始める.

Microsoft Updateというものがあるので,
まずはそれを立ち上げる.
はてさて,Updateを走らせるためにActiveXを入れなければ
ならないことがわかり,それをまずインストールしようとする.
インストラクションにしたがって,ボタンをクリック.
あれ?ダウンロードのためのウィンドウは開くけれど
そこには,「開けません」のエラーメッセージが...
何度か繰り返してもうまく行かない.

次に,Updateを通さずに互換パックのファイルだけ
ダウンロードできないかと,該当のダウンロードページを開く.
問題ない.
そしてダウンロードのボタンをクリックすると...
やはり「ページを開けません」のエラーメッセージが...
結局手詰まりになる.

仕方が無いので,ネットで同様な問題が発生していないか,
そしてその解決方法が示されていないか検索する.
(便利な世の中になりました)

はじめに試したのは,ウィルス保護ソフトの動作を止めること.
しかし,改善はなかった...
その他,Cookieがうまくないのだとか,ネットの設定だなどの
記事を読んで試してみたけどやはりダメ.
そのうち,「OSをもう一度インストールしました」などという記事まであって,
かなり絶望的な気分になる.

それでも記事を探していると,TCP/IPの設定が
ときどきおかしくなっていて,それがうまく行かない原因だと書いてあった.
早速確認に行く.
なるほど,私のPCもいつのまにかTCP/IPのDNSの設定が
自動ではなくて,具体的なアドレスが入力されていた.
(いつ設定したのだか全然覚えがない.
どこかのウィルスが悪さをしたのか...
いや,以前になにか設定したような気もする...)
これを自動取得にして,試してみるとActiveXが走るようになる.
ダウンロードページにもアクセスできるようになった.

<結論1>
Microsoft UpdateのためのActiveXがインストールできない問題,
ダウンロードページが開かない問題を解決する方法のひとつは,
TCP/IPの設定でDNSのアドレスを自動取得にすること.


と備忘のために書いておく.
しかし,その日は既に時刻は0:30を回ってしまったので,
スゴスゴと床に就く.

そして昨晩,やはり23:00過ぎ,
再びMicrosoft Updateを試す.
今度は,PCの状態をScanし始めた.
よしよし,と思っていると...これが全然終わらない.
また「UPDATEのスキャンが終わらない」という記事をネットで検索する.
これがまた謎なのである.
はっきりとした解決法が示されていない.
当然,Microsoftのページにも無い.
途方に暮れていると,突然Scanが終わったとのページが表示される.
単に遅いだけだったのか?
それとも設定をいじっているうちに改善されたのか?
どちらでもいい,とにかく終わったのだ.

メッセージには,XP ServicePack 3をインストールしろとある.
???XPって,SP3までではなかったの?
そういえば,全然更新していなかったことに気づく.反省.

Office2007のコンバータさえインストールできればよいので,
XP SP3についてはそのままにして,互換パックのページに行く.
今度は大丈夫そうだ.

と,小さな文字で書かれている注意書きを見ていくと,
これまでの更新パックをすべてインストールしたのちに
インストールしてくれと書いてある.
仕方がなく,またXP SP3のページに戻ってダウンロード.
ダウンロードは成功し,インストール開始.
これがまた途方もなく長い時間がかかる.

途中で風呂に入って30分.
それでもまだ終わっていなかった.
しかし,画面にはどんどん進行状況が表示されるので,
フリーズしているわけではなかった.
とにかく待つ.
ようやくインストールが終了し,再起動をして動作を
確かめた頃にはすでに0:30を回っていた.
気力も萎えて,床に就く.

<結論2>
Windows XP Service Pack 3のインストールには
40分以上かかる.
(この結論はもう二度と役立たないと思うが)

そして今朝7:00から再トライ.
再びMicrosoft Updateを試す.
22個の更新プログラムがあるとのメッセージ.
朝から絶望的な気分になる...

とにかく更新を開始する.
22個の更新が済む.
再起動.
また時間がかかる.

そしてとうとうOffice2007の互換パックの
インストールにたどり着いた.
本当にここまでの道のりは長かった...
ダウンロードしてインストールをする.
思いがけないほど,あっという間に済んでしまう.
時間は8:30を回っていた.
たったこの数分のために私は4時間以上
費やしたことになる.
実は,その後も1個の更新プログラムが見つかり,
それもまたインストールしたのだけれど.

一体,世の中の多くの人が
このような苦行を経験しているのだろうかと
不思議に思う.
誰もが私のようにネットで検索して
なんとか解決策を見つけているのだろうか.
こうしたことをユーザに強いるというのは,
そもそもMicrosoftの提供の仕方に
問題があるのではないだろうか.
もっともっと簡単に見つけたい情報にたどり着き,
簡単に更新が済むようなシステムにして欲しいものである.

こんなことをいっている私自身が
単なるコンピュータ音痴ということなのかもしれないけれど.

まずはともあれ,Office2007のファイルは
読めるようになったようである.
しかし,もうこんな苦労はしたくないなぁ.

<結論3>
Windows のシステムを使い続けるためには,
苦行に耐える修行僧のような覚悟が必要である.

2009年12月15日火曜日

「積ん読」本の存在意義

今週末のパワーエレクトロニクス学会
第181回定例研究会(若手のための研究発表会)と
学会35周年記念会
の準備が忙しい...

そんな中,今日はまた文庫本を3冊まとめて購入してしまった.
当然読む時間はほとんど無いので,
当分の間,「積ん読」状態だろう.
年末に新潟に帰省する際にゆっくり読む予定である.
なんたって,電車で移動するのに9時間以上はかかるのだから.

何を買ったかは言わないことにする.
(決して恥ずかしい本ではありません)
なぜなら,何を読んでいるかを明らかにすることは,
自分の思考の傾向や趣味,性格までも明らかにすることに
なりそうだからである(はっきりいえばやっぱり恥ずかしい)

だから人には自分の本棚を見せたくない.
私という人間がどんなヤツなのか,すぐにバレそうなのである.
(といってもたびたびこのブログで読んだ本を紹介しているけど)

最近は図書館もよく使うようになったので(経費節減である)
本棚に並ぶ本の増え方はずいぶん減ったけれど,
(捨てる本の数もずいぶんと減った)
やはり手元に置いておきたい本は購入している.
(文庫本になるのを待ったりはするけれど)

Googleによる本の公開について,
いろいろと反対している作家の方々がいるのは
知っているけれど,個人的にはどんどん公開して
欲しいと思っている.
買いたい本は,どうせ変わらず購入するのだから.

作家のみなさんも多分購入して
すぐに自分の著書が捨てられるのは
耐えられないのではないだろうか.
ずっと手元におきたいと読者が思うような本を
残していただくのが良いのだと思う.
それならば自分の著作が読者の手元に届く確率が
高くなる方が良いのではないだろうか.

まぁ,私は著作業で生活を立てているわけではないので,
これは無責任な発言なのかもしれない.
お気を悪くした方がいらっしゃったら申し訳ありません.

でも,やっぱり欲しくなる本は存在して,
それらはちゃんと購入するのである.
そしてそれらは私の本棚を飾ることになり,
私という人間を表すことになるのだ.

って,ここまで書いてきて,
この内容はどこかで読んだことがあることに気づいた.
内田樹氏のブログにも似たようなことが
書いてあったような気がする.
私が影響を受けたのか,はたまた
だれもがそう思っているのか.

しかし,紙の媒体である本の意味は
私は確かにあると思う.
たとえ永久に「積ん読」であっても
背表紙を並べて本棚を飾ることにだって
本の存在意義はあるのだ.

#最近の「考える人」ではWebと紙媒体との
話が特集されていたけれど,
あまり論点がクリアではなかったような気がする.

#とはいえ,Kindleの日本語版が出たら
欲しいような気がする...
アメリカは羨ましいなぁ.

2009年12月14日月曜日

さらばSS316ボディの頼れるヤツ.

先週,土曜日.
いくつかの用事の間を縫って,
新しいデジカメを購入する.

久しぶりにこうしたデジタルのガジェットを更新した.
特にデジカメに限って言えば,
(携帯電話を別にして)
実に7年ぶりの買い替えである.

愛用機は(というほど,使い込んだわけではないが),
Canonの IXY Digital 320
であった.
320万画素.
うちの奥さんの携帯電話が1200万画素であることを思うと,
ずいぶんと少なく感じられる.
メディアはCFカード.
これもコンパクトなデジカメでは現在はほとんど使うことがない.
購入した価格は4万円を越えていたと記憶している.
一応頑張って購入した一品だったのである.

このカメラで気に入っていたのは,そのごついボディである.
多くのカメラのボディがアルミなど軽い金属が使用されているのに対し,
このカメラはなんとステンレスボディなのである.
そして,なぜかSS316.
なぜ304ではなくて316を使用しているのか全然わからなかったけれど,
当時核融合関係の仕事をしていて,ステンレスと言えば316だったので,
ついつい惹かれて購入してしまったのである.
(この辺の話は分かる人だけわかっていただければいいです)

しかし,正直に言おう.
やっぱり持ち歩くには少し重たかった...
でも写真を撮る時に構えてみても,重さがある分安定していた.
壊れにくいという安心感があった.
それは7年たった今でも変わることがない.


撮った写真については,周辺の歪み等に目をつぶれば
別に不満は無かったのだけれど,
最近,ストロボが光るたびに煙が立ち上がるようになった.
そこで,そろそろ寿命と観念して買い換えたのである.
さらば IXY DIGITAL 320.

新しく購入したのは,同じくCanonのS90という
コンパクトデジカメ.
ずいぶん軽く感じる.
機能もたくさんあるけれど,写りもずいぶんとよくなったように
感じられる.
あまりの変化に自分が浦島太郎のように感じられる.

このブログでは,ほとんど写真はUPしていなかったけれど,
今後は,機会があったら掲載してみたいと思う.
(いつのことか?)

2009年12月11日金曜日

ベートーヴェンの第九と,ブラームスの第1番とシューベルトの第20番ソナタと

うぅ.いろいろとあってブログの更新ができなかった.
時はすでに師走なのだ.

先日,通勤時にNHK FMを聴くと,
ベートーヴェンの交響曲第9番が流れていた.
やはり年末なのだと実感する.
確かに12月に入ってからの時間の進む速さは,
光速に近づいている気がする.
(光速に近づけば,時間はゆっくりと進むはずだが)

交響曲第9番はもちろん名曲中の名曲で,
日本の年末には欠かせないものだけれど,
それは日本に特有の状況だということは,
以前にも書いたような気がする.
まぁ,オーケストラの人が餅代を稼ぐために,
合唱の人もチケットを売りさばいてくれて,
集客が期待できるこの曲を年末に演奏するというのが,
もっともらしい理由として伝わっている.

私も確か黒柳徹子さんがそのように話していたのを
テレビで見たような気がする.
黒柳さんのお父様はNHK交響楽団のコンマスだったのだっけ?
第九を年末に演奏し始めたのはN響だったような気がする.
そのお父様の話として聞いたような覚えがある.

さて,第九で有名なのはなんといっても
合唱がつく第4楽章であるけれど,
最初から合唱が始まるわけではない.

第4楽章冒頭.
まず不協和音が轟音として響く.
ここで第3楽章でウットリしていた聴衆がびっくりする.

そして,第1楽章の主題が流れてくる.
ここで聴衆があの素晴らしい第1楽章を思い出す.
(私は大好き)
すると弦楽器がそれを否定するように
(本当に人間がしゃべるように)
旋律を奏でる(器楽レチタティーヴォ).

次に,第2楽章のスケルツォの旋律が聞こえる.
旋律が進んでいこうとすると,やはりそれを遮るように
弦楽器が旋律を奏でる.
「いや,いや,それは違うのだ」というふうに.

そして,第3楽章の旋律が流れ,
あの夢のような雰囲気が戻ってくる.
また弦楽器が否定をしようとするのだけれど,
今度は手強い.
人間の心は第3楽章で描かれる楽園を
離れがたいということなのだろう.
また第3楽章の旋律が戻ってくる.
しかし,結局弦楽器がそれを否定する旋律を奏でる.

じゃぁ,なにがいいの?と聴衆は聞きたくなる.
そこであの歓喜の主題が,低音で柔らかく
そして遠くから聞こえてくるのである.
低弦から徐々に高い音の楽器に旋律はリレーされていく.
そしてはっきりと私たちは歓喜の主題を認識する.

「あぁ,私たちはこれを待っていたんだ!」と
思わされてしまうのだ.
すべてはこのタイミングのためにあったという感じに.

弦楽器が織りなす歓喜の旋律から管楽器が
高らかに鳴り響いて終わる.

そしてまた不協和音.

「友よ,そんな音じゃないんだよ!」

とバリトン独唱.
それから各パートの掛け合いがあって,
あの有名な合唱へと続いていくのである.

こんな感じだと知ってました?
歓喜の主題に至るまでの道のりは長いのだ.


もともとは第4楽章のためには別の楽章があったらしい.
この不採用となった楽章は弦楽四重奏曲第15番に
転用されているとのこと.
こちらもぜひどうぞ.


しかし,ベートーベンという人は,
いろいろなアイデアを試しているんだなぁ,と思う.
(この曲を書いたのは50歳を過ぎてからである)
なぜなら自ら書いた(それも素晴らしい)音楽を
否定する冗談音楽みたいなものを書いたのであるから.
聞かされている私たちもびっくりである.
(当時の人達も多分びっくり)
しかし,それが現在では名曲中の名曲となっているのだ.
ただのこけおどしでない滋味あふれる深みが
この曲にはあるからだろう.

ブラームスが第1番交響曲において,
この歓喜の主題に似ている旋律を用いたのも,
シューベルトがピアノソナタ第20番4楽章で
あの素直ななんの飾りもない旋律に行き着いたのも,
どこかでつながっているからに違いない.
そんなことをこの年末に思ったりしているのである.

2009年12月9日水曜日

Daniel-san, Wax on, Wax off!

今日は全くの雑談.


つい先日,カンフー映画が最近少ないという
記事をエントリーしてみたら,
「カラテキッド」(日本語版では「ベスト・キッド」)
のリメイクがされるという記事を見つけた.

なにより驚いたことは,なんと
「ミヤジさん Miyagi-san」の役が
ジャッキー・チェンだというのである.

場所は北京.
つまりは,「カラテキッド」ではなくて,
「カンフーキッド」になるようだ.
ジャッキーは,「蛇拳」や「笑拳」などでは
ユエン・シャオティン演ずる拳法の達人の
おじいさんに鍛えられる役をやってきたけれど,
今度は,自分がその役を演じる番になったわけだ.
やれやれ,私も歳をとったはずだ...

主役は,ウィル・スミスの息子さん.
ドレッドヘアの可愛い男の子だ.
「ダニエルさん Daniel-san」を演じた
ラルフ・マッチオもすでにおじさんなのだろう.
(まだ童顔なのだろうけれど)

「カラテキッド」の主役はダニエルさんだけれど,
最も重要な役は,間違いなくミヤジさんである.
俳優のノリユキ・パット・モリタなくしては,
この映画の成功は無かった.

ミヤジさんは沖縄カラテの達人.
いつも無口で,ときどき怪しい英語を使うけれど,
心が優しくて,賢くて,
ダニエルさんを息子のように大切にしてくれた.
アメリカ人もこの映画を見てたぶん
日本人の美徳を感じてくれたのではないのかな.
そして,あの優しい微笑.
それがスクリーンに大映しにされるだけで,
この映画を見た甲斐があるというものだ.
(彼はこの演技でアカデミー賞にノミネートされたはず)
ジャッキーもぜひその域に達して欲しいなぁ.

彼が映画の中で語るセリフは,今でも私の心に残っている.

「中途半端が一番いけない.
道路の右側安全.
左側も安全.
しかし,真ん中にいれば...Crash!」
(詳細は全然違うかも.
いや,こんな台詞も無かった???)

そう武道は中途半端が一番いけないのだ...
その他には,

「なんのためにカラテを稽古するのか?」(ミヤジ)

「ケンカをしないためさ」(ダニエル)

なんて,シーンもよかった.
(いや,こんなシーン,ほんとにあったっけ?)

とにかく,いい話なのである.

まぁ,ミヤジさんの一番有名なセリフは

"Daniel-san, Wax on, Wax off!"

なのだろうけれど.

2009年12月8日火曜日

レイモンド・カーヴァーの小説とブルックナー交響曲第9番

週末に少しレイモンド・カーヴァーの小説を読むことができた.
素敵な小説を読む時間を持つことは,
なによりもほっとする休息となる.

「大聖堂」(レイモンド・カーヴァー著,村上春樹訳)

あいかわらず少し読みはじめるだけで,
その世界にすぐに没入することができる.
そこにあるのは,深い絶望と
損なわれて決して回復することのない男女の関係への諦念である.

こんなつらい小説だというのに
どうして私はここまでこの作者に惹かれるのだろうかと,
我ながら不思議に思うくらい大好きになってしまった.
私もこの歳になり,人生のいくつかのことを
(知りたくもないのに)知ってしまったからかもしれない.

この「大聖堂」という短編集は,訳者の村上氏曰く,
カーヴァーの一番脂ののった頃に出版されたというだけあって,
魅力的な作品が満載である.
そしてどの作品も,人の心の闇を描いて秀逸である.

しかし,この短編集にはどの作品にも絶望や諦念の先に
なにか暖かいものが感じられる.
ユーモアというか,温かいまなざしというか.

たとえば「ささやかだけれど,役に立つこと」という作品は,
子供を亡くした若い夫婦と,人生に絶望したパン屋の
物語で,もう究極的に救われない話なのだけれど,
それでも最後に,希望の光がほんの少しだけ
さし込むような雰囲気で終わっている.
私は,この物語を読んだ後,深くため息をつかずにいられなかった.

あるいは「ぼくが電話をかけている場所」という作品は
カーヴァーの小説によく出てくるアルコール中毒者が題材で,
療養所における風景を綴ったものだけれど,
療養所の仲間の煙突掃除屋の家族の話が秀逸で,
テーマが暗いにもかかわらず,温かい読後感を得ることができる.

う~ん,こうして説明していくと,収録された全部の作品について
触れなくてはならなくなるので,この辺でやめとこう.
しかし,この短編集にはこれまで読んだ作品とは異なり,
私はすこしぬくもりを感じている.
それがこの作品を忘れ難いものにしている.

この短編集を読んでいると,ブルックナーの交響曲第9番の
第3楽章が思い出された.
ブルックナーの第9番交響曲は,とにかく厳しい音楽で,
一度聴けば,「もう結構」と思うような作品である.
第3楽章の緩徐楽章はそのなかでも
特に厳しいように私は思う.

しかし,この楽章の本当に,本当に最後のところで,
(月並みな表現だけれど)雲間からそっと光がさすように
救いの旋律が現れるのだ.
それが聞こえてくるときに訪れるカタルシスは,
長時間じっと曲を聴いていたものにしか分からない.
このほのかなぬくもりこそが,カーヴァーの作品から
この曲を連想した理由なのだろう.

ブルックナーの第9番交響曲は,
この第3楽章を最後に未完となっている.
この曲の続きなんてきっと書けやしなかったのだろう.

人生も長くなると,人は諦念に行きつく.
しかし,それでも人は少しのぬくもりを切望する.
カーヴァーの小説然り,ブルックナーの交響曲然りである.
そして私はそれらに心を動かされるのである.



#実は,「大聖堂」,最後の収録作品「大聖堂」だけ
未読なのである.
図書館の貸し出し期限が来てしまったのだ.
今度あらためて借りるのがいまから楽しみで仕方がない.

#ブルックナーの第9交響曲は,10枚くらい多分
所有していたと思うけれど,今度聴きたいと思っているのは

カルロ・マリア・ジュリーニ,ウィーンフィルの録音(1998).

とにかく音が厚い演奏である.
私が初めてこの曲を聴いたのは,このCDだった.

2009年12月7日月曜日

アイデアを実現するための99%の努力

先週の金曜日は,私の前の職場であった
日本原子力研究開発機構 那珂研究所を訪問した.

国際協力によって建設が進められている
国際熱核融合実験炉ITERのサテライトマシーンである
JT-60SAの超伝導コイルの製作を中心としたお話を伺う.

研究所構内には,超伝導導体の製作設備ができていて,
680mにもわたる導体化ライン(超伝導撚り線を,ステンレス
パイプの中に引き入れ,外部から圧縮成型するライン)は
圧巻である.
当日も,いろいろな製作作業が行われていて,
着実に製作工程が進められているということを実感した.

導体の巻き取り機もすでに試運転を終えていて,
巻き取られた導体などを見ていると,
粛々と進められてはいるけれどそこに秘められた技術の
素晴らしさがよくわかる.

これらを数少ないスタッフで指揮しているのである.
本当に頭が下がります.

これらの技術,設備は,私がまだ居た頃に,
なんとはなくアイデアとして話していたものである.
それらは全くの机上の論であった.
そして現在,それらが実際のものとして動いていることに感激した.

エジソンのいう

「1%のひらめきと99%の努力」

とは,アイデアを実現することの難しさを意味している.
(実際はそうした意味ではないという話もあるけれど)
実現することへのハードルの高さは並大抵のものではないはず.
本当にスタッフのみなさんには敬服いたします.

今後も大変な課題・困難があると思うけれど
(お金と時間が十分なプロジェクトなんて,
今の世の中,ほとんどない)
プロジェクトの成功を心より祈っております.

#那珂研究所には数時間しか滞在できず,
往復で十数時間を移動に費やした.
兵庫県から茨城県はやっぱり遠いなぁ...

2009年12月3日木曜日

最近,カンフー映画が少ない気がする

最近,カンフーや空手の映画が少ないなぁと思う.

以前のような,ジャッキー・チェンの「笑拳」,「酔拳」,
「蛇拳」,「少林寺木人拳」,「成龍拳」,
「ヤングマスター」,「バトルクリークブロー」などの映画や,
「少林寺三十六房」とか,リー・リンチェイの「少林寺」とか,
そうしたカンフー映画全盛期が懐かしい.
次々と新しいカンフー映画が封切されていたなぁ.
(私が好きなのはブルース・リーなのだけれど,
残念ながら時代があわなかった.
意外なところでいうとラルフ・マッチオの「カラテ・キッド」か.
そういえば日本も剣豪映画というのも全然作られないなぁ)

以前のカンフー映画でお決まりなストーリーといえば...

心やさしい若者がおじいさんに出会う.

おじいさんは実は拳法の達人で,拳法を習い始める.

ハードな鍛錬

一度強くなるが,
好敵手があらわれ,コテンパンにやられる

さらにハードな鍛錬

主人公の知り合いがピンチ

好敵手と戦って勝利!

というような感じだけれど,ここに欠かせないのが
ハードな稽古シーンである.
とても普通の人間にはできないような鍛錬を経て,
主人公は超人へと進化するのである.
(この同じパターンは,映画のロッキー2,3,4,
あるいは少年ジャンプのマンガに踏襲されている)

一体,武道にはハードな鍛錬は必要なのだろうか?

私は,肉体的にハードというよりも,
精神的にハードな鍛錬は必要であると考える.
昨日も書いたように,肉体を鍛えるだけでは不十分である.
稽古によって人は超人になろうとするのであって,
(正確に言うと,超人ではなく,至極まっとうな人間になる)
ゴリラになろうとするのではないのだ.
したがって,単なる繰り返し練習よりも
常に工夫した練習が必要となるはずである.

山岡鉄舟の論によれば,稽古は
大工の鉋をつかうのと同様に,
「荒しこ」,「中しこ」,「上しこ」の段階があり,
全身全霊を込めて行う「荒しこ」の段階が肝要だという.
この「荒しこの精神」なくば,その上の段階に進めないと.
やはり「精神」なのである.

だれもがそれを暗に理解している.
だから少年ジャンプの鉄板ストーリーが
みんな好きなのだ.
分かりやすいビルドゥングスロマンなのだ.

最近カンフー映画が少なくなったということは
もう昔のお気楽なストーリーに夢を見る人が
少なくなってしまったということなのだろう.
それはある意味悲しいことである.
努力の先には,成功があるとは限らない...

この10年のカンフー映画に限ってというと
私のお気に入りは「グリーン・ディスティニー」にとどめをさす.
やっぱり,チャン・ツィイーのかわいさには参ってしまうのだ...

2009年12月1日火曜日

「邪法」である武道とは

日頃,武道を修行するにあたり,
自分の至らなさにほとほと失望するのだけれど,
それでも稽古を続けていられるのは,
自分が正しき方向に進んでいるという自負の
ためなのかもしれない.

武道は強きを論ぜず正しきを学ぶものと知る

とは,心身統一合氣道宗主の藤平光一先生の
お言葉であるけれど,「強きを論ぜず」という
ところが好きである.

ただ強いならば,人間はゴリラに勝てない.
つまり体力勝負である.
筋肉だけを鍛えて勝つというのは,
強いとはいえるけれど,武道と言えるだろうか.
力さえあれば(打撃系であれば,打たれ強さがあれば)
技は不要である.
(まぁ,そこそこの技は練習するわけだけれど)

敵に対するやいなや,勝気にはやって
血気の力で相手に勝とうとするのは,
「邪法」であると,山岡鉄舟も厳しく批判している.
(もっと批判しているのは,針ヶ谷夕雲だけれど.
彼は勝負にこだわる剣法を「畜生剣法」とまで
呼んでいる)

こうした「邪法」では,中年を過ぎ,
あるいは病にかかって身体が不自由になると
力が衰えて業にふれて剣法を学ばないものにも
及ばなくなってしまうといい,
修行が無益になるのだという.

「正しい武道」はつまりは,力だけに頼らず,
業をもって制するのである.
山岡鉄舟は,極意は別に法なし,
敵の好む処に随ひて勝ちを得るにあり,と
言っている.
そうした武道が私の理想である.

ただ使えない武道は無意味であるとも
十分承知している.
心だけでは十分ではない.
心と業をともに磨かねばならない.
「事理一致」とは,「事」は業であり,「理」は心である.
歳をとっても強くなることができなければ,
何のために修行をしているのだろう.

そう自分を勇気づけて,
細々とではあるけれど,なんとか稽古を
続けているのである.

2009年11月30日月曜日

無刀流「無敵」ということ

山岡鉄舟という人が幕末から明治の時代にいた.
意外に知名度は低いけれど.
私も学生時代,江戸城無血開城に活躍した人くらいに
しか知らなかったけれど,実は一刀流の正統伝承者であって,
無刀流の創始者でもあった.
彼はその時代に有数の武道家であったのである.
(有名な書家でもあり,政治家でもあった)

彼が残した文章は少ないらしいけれど,
武道や修養に関するものがいくつかあって,
それらは非常に平易に書かれていて読みやすいが,
しかし,考えさせられることは多いものになっている.

たとえば彼は「無敵」ということについて,
それは,「優劣がない」こととしている.
自分より優れているものと立ち合えば,
心が自在に働かなくなり,手足が縮んで動けなくなるが,
自分より劣っているものと立ち合えば,
心はのびのびとして,自分の力を発揮できる,
というのでは,「無敵」ではないというのである.
優劣に関係なく,スルスルとただ行けばよいというのだ.

これは仕事の進め方にもいえる.
仕事の重さ,軽さによって,私の心の状態は変わり,
それによって,発揮できる能力は制限されてしまっている.
その内容に関わらず,スラスラと進めることができれば
どれだけ素晴らしいことか.

これは山岡鉄舟が言ったわけではないけれど,
昔からよく言われる例えに,
畳の上に敷いた一尺幅の板の上を歩くことは容易だが,
千尋の谷に渡された一尺幅の橋を進むことは難しい,
というものがある.
どちらも同じ一尺幅の上を歩けばよいのだけれど,
その歩みの重さは違うのである.
しかし,どちらも同じ幅の板の上を歩くことには変わりがないと
見切ることができたならば,スラスラと歩み進むことはできるだろう.

これは自分の心の状態が,武道でいえば敵を作り,
仕事でいえば障碍を作っているということである.
このことをのり越えることができたならば,
修行もずいぶんと進むことであろう.

無刀流ではその極意を「心外無刀」と称する.
心の外に刀は無いのである.
そうしたことに気づくまでに,私はずいぶんと時間がかかってしまった.
(もちろん会得したわけではないが)

もう少し山岡鉄舟について記事をみようかと思っている.

2009年11月27日金曜日

ブラームス,バイオリン協奏曲:カミーラ/あなたといた夏

最近は音楽の話題が多いような気がするけれど,
今日もまたやっぱり音楽の話.
忙しい毎日には,清涼剤が必要なのだ.

今朝通勤中に聴いてきたのは,

ブラームス
バイオリン協奏曲
(ハイフェッツ,ライナー,シカゴ響)

このブラームスのバイオリン協奏曲は,
いわゆる3大バイオリン協奏曲に含まれる(?)名曲で,
私も大好きな一曲である.
(ちなみに,その他の2曲はメンデルスゾーン,ベートーベン.
あれ?チャイコフスキー,シベリウスは含まれないんだっけ?)

第1楽章からたっぷりとバイオリンがメロディーを
聴かせてくれる.
第2楽章の緩徐楽章はうっとりとする美しさ.
そして第3楽章の力強さに盛り上がって終了する.
どの楽章も素晴らしくてため息が出る.

この曲を聴くと,私は
ブリジット・フォンダとジェシカ・タンディ主演による
「カミーラあなたといた夏」という映画を思い出す.

学生時代,月に2本は映画を見ていた頃,
どこかの名画座で観た,派手さはないが
じっくりと心温まるような映画である.

生活に行き詰っているブリジッド・フォンダが
過去に有名なバイオリニストだったジェシカ・タンディと
ともに家出をして,いろいろな事件があって,
最後に自分の居場所を見つけていく,
あるいは過去の後悔を清算する,という
ある意味ロードムービー的なハートウォームフルなお話.

ジェシカ・タンディは,この時すでにずいぶんな老齢で
病をわずらっており,たしかこの映画が
最後の出演作ではなかったかな.

映画を観たのはもうずいぶんと昔のことなので,
詳細はすっかり忘れてしまったのだけれど,
ところどころでこのバイオリン協奏曲が聞こえてくる.
ジェシカ・タンディは若いころ,この曲の名演奏家だったと
いう設定になっているのだ.
特に第2楽章がしみじみとしたシーンで効果的に使われていた.
(ときに,くどいように感じられるほど)
だから,この曲を聴くと,
老婆と美しい女性が夕映えに並んでいる姿が
目に浮かんでしまうのである...

映画の内容は覚えていないけれど,
音楽だけはしっかりと心に残っている.
映画音楽というジャンルがあるけれど,
大変に重要であるということがよくわかる.
そして,その映画の内容が曲のイメージを
作ってしまうのだ.

私はときどき思う.
今,この瞬間が映画として映されるならば,
どんな音楽がバックに流れているのだろうかと.
本当に聞こえたらいいのに.

#聴いてきたCDのカップリングは
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲である.
これも名曲中の名曲.
おススメの一曲である.

2009年11月26日木曜日

天使のささやきはマーフィーを殺す

天使のささやき,という言葉がある.
心のどこかで,「~をしないと」とか,
「~は大丈夫?」と心配をしてくれる声がする.
これをAngel Whisper,天使のささやきと呼ぶらしい.

学生時代,私の友達に本当に天使の声が
聞こえると言っていた女の子がいたけれど,
俗に言う「天使のささやき」というのは,
自分の心の中の声を指す.

すなわち,無意識かなにかわからないけれど,
自分の意識下において,「危機」を感じたときに
(身の危険というだけではなく,このままいくと
仕事で問題が生じるとか,そうしてものも含めた危機)
顕在意識にアラームが上がってくるのであろう.
無意識では,ちゃんといろいろなことについて
心配をしてくれているらしい.
(ときどき,すっかり忘れてしまっていることがあり,
その場合は残念ながら天使のささやきは働かないようだ)

物事を進める際には,
予期しないことが起こる場合もある.
あるいは心配されていたことがやっぱり起こることがある.
つまりは,マーフィーの法則がはたらくのである.

「失敗する可能性のあるものはいずれ失敗する」

この失敗の可能性を小さくしてくれるものが
天使のささやきなのである.

マーフィーの法則に沿って物事が失敗するとき,
「マーフィーが現れた」などという.
私たちは,このマーフィーの出現をできる限り
防がなければならない.
すなわち,天使がささやく心配事はできるかぎり,
解決しておかなければならない.
そうして初めてマーフィーを殺すことができ,
物事はうまく進むのである.

2009年11月25日水曜日

ラノベと侮るなかれ

先週末は風邪で布団の中で過ごしていたので,
本を数冊読んでいた.
そのひとつが,

「オルフェの方舟 ブギーポップ・イントレランス」
(上遠野浩平)

である.ブギーポップ・シリーズの14作目である.

ブギーポップというのは,
その人が一番美しいときに,
これ以上醜くならないように殺しに来るという
都市伝説の死神なのだけれど,
その実は,世界を破滅に導く「世界の敵」が現れた時に
それを倒す目的である女子高生の身体を借りて
存在する「なにか」である.
彼の周囲の少年や少女たちのお話なのである.
切ない物語が多い.

1998年に第1作目の「ブギーポップは笑わない」から
もう10年以上も続くシリーズになっている.
映画化もされたし,アニメ化もされている.
俗にいう,ラノベ(ライトノベル)で,私も当初
甘く見ていたのだけれど,意外や意外,
当時たいへん面白く,この第1作目を読み,
続いて,2,3作目と読み進めたものである.
今回もあっという間に読み終わってしまった.
ラノベと馬鹿にしてはいけない.

ラノベは何が普通の小説と違うのか?

ラノベの特徴は,まずキャラクター設定が
はっきりしていることがあげられるだろう.
だからアニメ化されやすいのだと思う.
(「涼宮ハルヒ」,「灼眼のシャナ」,「スレイヤーズ」,
「マリア様がみてる」など.残念ながら読んだことはないが)
対象は,少年少女なのだろう.
これが二つ目の特徴である.

私が中学生の頃は,ジュブナイル小説と呼ばれる分野が
あって,特にSFシリーズの「時をかける少女」,
「夕ばえ作戦」,「時間砲計画」,「七瀬ふたたび」,
「ねらわれた学園」あたりなどは,勉強もしないで
読んでいたような気がする.
(NHKの少年ドラマシリーズも印象的だけれど)

その辺の読者が,ラノベに移ったということなのだろうか.
時代とともに,ある部分では物語も深刻になったり,
ある部分では軽くなったりと,私が少年時代とはずいぶんと
変わってはいるけれど.

確かに「重さ」は足りないような気がするけれど,
ラノベ出身の実力作家も多いことだから,
決して侮ることはできない.
ということで,今後もいろいろと手を広げて
読んでいきたいと思う.

#ブギーポップも最新刊は未読であるし.




2009年11月24日火曜日

世界が輝きだす音楽 ~ ブルックナー 交響曲第3番第4楽章 ~

風邪がぶりかえしたのか,
日,月と,布団の中にいる時間が多かった.
昨日はずっと頭痛がして,もうぐったり.
歳のせいか,病からの回復も遅くなっているらしい.

それでも昨日は息子を車で送迎しなければ
ならない用があって,しぶしぶ運転をして出かけた.
仕方がないので,元気が出る曲を選んで
カーオーディオで流す.

ブルックナー交響曲第3番.

昨日は,カラヤンとベルリンフィルの録音を聴く,
第一楽章の最初から盛り上がっていく.

この曲は,実はあまり一般的には人気が無いのだけれど,
私のお気に入りは疾走する第4楽章である.
思わず車のアクセルを踏み込んで行きたくなるような
加速感・高揚感が得られる.
このカラヤンの録音は特に快速に感じられるとともに,
金管の音が輝かしい.
パーっと周りが輝き始めるような感じがする.

初めてこの第4楽章を聴いたのは,
フジテレビの深夜番組「マエストロ」の中でだった.
「マエストロ」は,西村雅彦さん演じるわがままで孤独な
指揮者マエストロと,小木茂光さん演じるコンマスとが
毎週ひとり取り上げられる作曲者をテーマに織りなす,
コメディドラマである.
もう10年以上は前の放映だろうか.
(誰が覚えているだろう...)

夜中にその番組を見ていた私は,
テレビからなりだしたこの音楽に惹きつけられたのである.
急にテレビが光りだしたような気がした.
(モノラルの14インチのテレビだったけど)
それほど真夜中の私の脳に刺激を与えてくれた.
画面には,このカラヤンのCDのジャケットが映し出されていた.
(鳥の翼のレリーフのブルックナーシリーズのもの...って
誰がわかるだろう...)

私もクラシックを聴き始めた頃で,
ブルックナーというのはまだとっつきにくかったけれど,
とりあえずCDを購入して聴くようになった.
そして,就職して車を運転するようになって,
この曲が異常に私を興奮させてくれる音楽であることを
はっきりと認識するようになった.

ブルックナーの交響曲では,5,7,8,9番をよく聴く
私だけれど,たまにこの3番が無性に聴きたくなることがある.
爽快感を求めて,プレーヤに載せるのである.
そしてまた輝きだす世界...
(一種の麻薬か?)

ベーム,ヨッフム,シューリヒト,ショルティなどの録音も
所有していたと思うけれど,このカラヤン&BPOは弦楽も
金管もキラキラしていて大好きである.

私の車に乗っていて,この曲がかかったら
ちょっと危ないのかもしれない(笑).

2009年11月21日土曜日

パワーエレクトロニクス学会,第24回専門講習会

今日は,パワーエレクトロニクス学会主催の
専門講習会
があった.
テーマは「低炭素社会に貢献する
パワーエレクトロニクス技術」.
スマートグリッドなどの旬な話題も交えて,
大変バラエティに富んだ興味深い専門講習会だった.
(企画された方々,有難うございました)

おかげさまで,100名近い参加者を得て,
大盛況のうちに終了することができた.
みなさまに心より感謝いたします.

パワエレ学会の良さは,
こうした講習会に企業の方々が中心となって
参加して下さるということである.
昨今の社会状況を考えると,これはたいそう有難い.
それだけ専門講習会が,現場の方々にとって
魅力的であるということであれば本当にうれしい.

学会の庶務幹事である私は,
もう来年のことを考えている.
どなたに企画をお願いしようか...
悩ましい限りである.

2009年11月19日木曜日

常に動ける状態が

風邪を全く引いてしまった.
昨晩は,鼻水とくしゃみがひどかった.
幸いにして熱はないので,こうして大学に来て
仕事もできるが,早く体調を戻さねば,
山積している課題を解決できない.

風邪は身体や精神状態に歪みがある場合に,
それを回復するために「経過」するものである,
というのが野口整体の考え方らしいが,
やっぱり気が抜けた時にひいてしまうのは,
身体の免疫力というのは精神状態に
その強さが依存するのだとつくづく思う.
すなわち「病は気から」である.

以前に中村玉緒さんが,風邪をひかないコツを
尋ねられたところ,

「借金をすることです」

とお答になっていた.すなわち,借金を返すのに
必死になっていれば,風邪なんかになっている
暇はないと.
みんなこの話を聞いて笑っていたけれど,
実際必死になっているときには,
風邪はひかないのではないだろうか.

先週末ようやく訪れた休日に
気を緩めてしまったことが
風邪をひいた原因である.
気を緩めるということは,
身体の状態がスキだらけになるということだ.
これは実感できる.

スキの無い状態.
これはすべてが緊張しまくっているという
状態では決してない.
むしろリラックスしている状態に近い.
しかし身体の内部感覚からいうと,
どこかで筋肉(内臓の周り?)が
ゆるんでいる感じがする.

ゆるんでいるとき,

・姿勢が崩れる
・口が開いている
・視線を高く保てない
・内臓周りの下腹の筋肉がゆるむ
・括約筋がゆるむ

などの身体的症状が現れる.
その結果,精神は緩み,身体の抵抗力は
低減し,ますます身体が緩むという
負のスパイラルに陥るような気がする.
思いのほか,心と身体は密接に関係しているのだ.

そうはならないよう,精神を鍛錬するのが,
武道の本質なのだと考えている.
常に緊張するのではない.
常に動ける心身の状態を維持する.
それが修行である.

とはいうものの,鼻水どめの薬を飲んだら,
まるで後頭部を殴られたように
強烈な眠気に襲われた.
こうした睡魔に襲われた状態で,
いかに覚醒して仕事ができるか.
今日の修行ポイントはこれにしよう.

2009年11月18日水曜日

「電氣」が「ファンタジー」だったころ

技術がある程度普及してしまうと,
世の中の注目は薄らぎ,
学生たちのその分野に対する人気は
あっという間に下がってしまうらしい.

携帯電話がその一例である.
携帯電話が華々しく登場してきたとき,
学生の通信工学への人気は
大変高かった.
しかし,携帯電話なんて0円で購入できる
現在,通信工学の人気はずいぶんと
下がってしまった.
10年ひと昔である.

電気工学だって同様である.
現在では,どの家庭においても
コンセントにプラグをつなげば
電気は当たり前のように使えるから,
当然,電気への関心は薄く,
電気工学の人気は低いままである.
しかし,電気工学が世の華だった時代も
確かにあったのである.

「電気ブラン」というお酒をご存じだろうか.
不思議な味のするリキュールである.
(カクテルなのだろうけれど,
その処方はいまだ秘伝らしい)

名前が名前だけに,関東にいた頃は,
私も面白がって飲んでいた.
茨城県の牛久に牛久シャトーという
ワイナリーなのか,ビール醸造所なのか,
そうした城(笑)があって,
そこで売られていたので,遊びに行くたびに
(屋外でジンギスカンが楽しめる)
何本か(おみやげも含めて)購入していたものである.
(結構安かった気がする)

アルコール度数は30度と40度のものがあり,
かなり強いお酒である.
口当たりは甘めだけれど,飲んだ後に
鼻腔にアルコール独特の香りが広がる.
このお酒は明治の頃から売られているとのことだけれど,
当時は舌がしびれるから,「電氣」と名がついたなどと
まことしやかに噂されたらしい.

実際は,「電氣」というのは,その当時の流行りに
したがって名がついたもので,強いて言うならば
「ファンタジー」という意味とのことらしい.
「電気」といえば,その当時は「夢の」という
意味があったらしいのである.
電気工学が花形だった時代なのだろう.
そんなときもあったのである.

私が電気ブランを初めて飲んだのは,
大学1年か2年の暑い夏.
隅田川花火大会の日だった.
(もう20年以上も前の話か...)

女子も含めたグループで花火見物を
するということになって,
男子は隅田川付近で朝から場所取りをしていた.
陽射しがずいぶん強かったのを覚えている.

途中,交代ということで,私とN山君は
休憩をすることになった.
そこで,N山君は,「神谷バーに行こう」と言い出した.
私は全くそれがどんなバーなのか知らなかったが,
彼の説明によれば,明治時代からある
日本でも最古のバーのひとつであり,
(といってもレストランみたい)
落語にも出てくる有名店らしい.
(どの落語か未確認)
住所も,浅草1-1-1.
いかにも由緒ただしそうである.

昼間っからバーというのも洒落ていると思い,
連れだって入店する.
名物は「電気ブラン」だというので迷わず注文した.
冷え切ったグラスに冷たい電気ブランが入って
出されてきた.
氷水がチェイサーとしてついてくる.
一口飲んで,正直美味しいとは思わなかった.
どこか薬臭いし,なによりもアルコールが強すぎる.
しかし,N山君の手前,まずいとも言えないから,
チェイサーの助けを借りてぐっと飲み干した.
あとはあんまり覚えていない.

その後,また直射日光の下,場所取りをしていた
はずなのだけれど,半分脱水状態だったのではないだろうか.
記憶ははっきりとしない.
ただ,ずいぶんと身体がしんどかったのはよく覚えている.
まぁ,その辛さも,夕方になって駆け付けた
浴衣姿の女子たちとお手製のお弁当によって
あっという間に吹き飛んだのだけれど(笑)

「電気ブラン」と聞くと,この花火大会の真夏の日が思い出される.
その甘い思い出を味わうために,
私は何度も電気ブランを買い求めているのかもしれない.
私にとっては今も「電氣」は「ファンタジー」なのである(笑).

#ちなみに,前の職場につとめていた頃,
電気ブランを研修に来た何人かの学生に
飲ませましたが,一様に不評でした.
しかし,電気工学を志す学生のみなさんには
ぜひトライしてみていただきたい一品です.

2009年11月17日火曜日

インフルエンザ接種を受けたい

寒いなぁ.
今日は,本当に寒い.今も寒い.
風邪は治らないし,つらいなぁ.

のどの痛みはずいぶん治まったけれど,
くしゃみが出始めた.
まだまだ風邪は続くのだろうか.

昨日,大学の保健センターの前に
学生のみなさんが集まっているのを見て,
今年はインフルエンザの予防接種を受けるのを
忘れていたことを思い出した.

まぁ,新型インフルエンザの予防接種は
できないだろうけれど,季節性のものについては,
接種を受けたいものだなぁ.
その季節性の予防接種でさえ数が少なくて,
どうなることかわからないらしいから,
私も受けられるかどうか.

5~6年前にインフルエンザがひどくて,
歩くこともやっとになったことがあった.
うちの奥さんにようやく病院まで連れて行ってもらって,
さんざん待たされてぐったりとしたところで,
ようやく診察.
インフルエンザであると診断された.
そこで処方されたのがタミフル.
帰宅して早速飲んで寝たのだけれど,
数時間後に起き上った時には
劇的に,本当に劇的に身体が楽になっていた.
自分でもかなり驚いた.
熱が下がるまでには時間が少しかかったけれど,
即効的につらい状態をやり過ごせるらしい.
タミフルというのは,本当に効くのだと実感.

それから1~2年して,タミフルを処方された
若い人たちの異常行動が問題になったときも
(実際,タミフルが原因かどうか,よくわからないけれど)

「あれだけ劇的に効くのだから,
身体に少しぐらいはショックがあるかも」

と思ったくらいである.

インフルエンザになればタミフルを飲めばいい,
と思っていたけれど,最近はタミフルも効かないものも
出てきたらしい.
怖いなぁ.
もうあんなつらい目には遭いたくない.

まずは,季節性のインフルエンザの予防接種を
してもらえる病院か保健所を探さなければ...
そして,身体を健康に保ち,
予防力をつけなければ,この忙しい怒涛の年末を
乗り越えることはできないだろう...

2009年11月16日月曜日

ロックと弦楽四重奏,ブラック・エンジェルズ

呼吸法が健康にいいなんていっておきながら,
週末に寝だめしようなんて了見が不届きだったのか,
うっかり風邪をひいてしまった.
熱は全然無いのだけれど,のどが痛く,身体が重い.
休みだと思って気をぬくとろくなことがない.

今朝は事故で渋滞だった.
追突のようで,それほどひどくなさそうだったから,
たぶん運転手も大丈夫だろう.
しかし,大渋滞は発生する.

そんな中,車内ではFMから流れる
クラシックを楽しんでいた.
渋滞に腹をたてても仕方がないし.

キングクリムゾンの曲が
弦楽四重奏版で流れてきた.
おや,と思うが,面白い編曲で聴き入ってしまう.
モルゴーア・カルテットという日本の四重奏団の
演奏だった(初めて知りました).

弦楽四重奏曲というのは,オーケストラとはまた別の
ひとつの究極の形だと思われ,
私は,まだその高みを目指してもいないのだけれど,
(もちろん聴く方です)
いつか,いつかは,と思い続けている.

まぁ,ベートーベンの弦楽四重奏曲ならば後期のものを
しばらく聞いていたことがあるけれど,
これが非常に重い,というか,深い.
ハイドンやモーツァルトの作品と違って,
まるで人生を語るかのような内容の濃さである.
とても気軽には聴き通せない.
だから本格的に取り組んで聴こうというのは,
いまだに先延ばしなのである.

また,古典派だからといって,
その内容は形式通りなものではない.
たとえば「大フーガ」.
まるで現代曲のような強いリズムと不協和音に驚く.
以前にも書いたかもしれないけれど,
現代曲の演奏で有名なアルディッティ四重奏団も
この「大フーガ」だけは演奏するという.
弦楽四重奏曲は昔から実験的な試みが多くされる分野
なのかもしれない.

そして20年くらい前に,クロノス・ショックというものがあった.
クロノス・カルテットという四重奏団が,
現代音楽をクールに演奏して,
非常に人気になったのである.
そのひとつの象徴が,彼らが演奏する
ジミー・ヘンドリックスの「Purple Haze」である.
クラシックのカルテットが,ジミヘンを演奏したのである.
これは衝撃的なことだったらしい.
(私は当時まだクラシックに手を出していなかった)
彼らからしてみれば,優れた曲であれば,古典,現代,ロックを
問わず,演奏することは自然なことだということらしい.

実際私もCDを購入して聴いてみた.
正直,ジミヘンの曲はあまりピンとこなかったのだけれど,
一緒に録音されている種々の現代音楽には
ずいぶんと心を動かされた.
自分が持っていたクラシックのイメージが
がらりと変わる体験となったのである.

その後も,クロノス・カルテットのCDは数枚入手し,
現在は4枚ほど手元にあるはずである.
実は今朝,車に持ち込んだCDはたまたま
クロノス・カルテットの「ブラック・エンジェルズ」
だったのである(決してマンガではありません...).

この曲は冒頭からすごい音が鳴る.
弦楽器の音は,ピックアップマイクで拾われ,
アンプを通されて増幅されている.
人工的な音ではあるが美しい...
いや,人工的な美であるからこそ,
この曲の素晴らしさがあるのか.

たしかこの曲を聴いて感動したヴァイオリニストが,
この曲を演奏するためにクロノスカルテットを創設したと
ライナーノーツに書いてあったような気がする.
それだけの価値がある曲だと思う.
そして,今朝はそれが聴きたくなって
CDを車に持ち込んだのである.

ロックと弦楽四重奏曲.
意外に近い関係なのだとあらためて思う.
だが二つとも既にクラシックと呼ばれているのだ.

#クロノスの,他のCDには,
「狂った果実」という曲がある.
これがまた秀逸.
太田裕美のナレーションが入って,
かなり怪しい世界がそこに広がる.
おススメです.

2009年11月13日金曜日

睡眠不足に呼吸法が効く

今朝は,起床して大学に行く準備をしている
夢を見ていた.
あまりにリアリティがある夢だったので,
目を覚ましたあとも,なぜ自分が布団の中に
いるのか,理解できなかったくらいである.

昼休みに少しうとうとしたら,
今度は自分が寝ている夢を見た.
ちょっとの居眠りのつもりが,いつのまにか
ぐっすりと眠り込んでしまい,
寝過してしまうという夢である.
はっとして,目を開けた.

どうも睡眠不足らしい.

確かに,先週末も学会で寝だめできなかったし,
このところずっと一日4時間程度の睡眠時間である.
我ながらよくやっているとは思うけれど,
思考力は低下しているような気がする.
その証拠にキーボードのミスタッチが多い.
ミスタッチは,脳が疲れていることの良い指標である.
最近は,キーボードの入力のスピードが落ちてきている.
これは悪い兆候である.

こんな状況でも何とかやっているのは,
呼吸法のおかげかと思う.
私が学んでいる合氣道では,呼吸法を重視している
けれど,最近また少し思うことがあり,
その工夫に専念している.
なかなか具合がいい.
呼吸法をすればするほど楽になり,落ち着く.
こうした進展があるから稽古をやめることができない.
またいつか具体的な方法を紹介する機会があればと思う.

しかし,この週末はゆっくりと寝だめをしたいものである.

2009年11月12日木曜日

携帯電話の必要性

実は,関西支部連合大会が開かれていた11月8日(日),
私は携帯電話を紛失していた.
昼過ぎにポケットに携帯電話が無いことに気付いて,
自分のその日の経路を辿ったのだけれど,
見つけることができなかったのである.

学会の会場は,体育館とホールと会議室が3つ+大会本部.
このいずれかで落としたのではないかと思い,
すべての会場の床を見回ったのだけれど,
とうとう見つけることができなかった.

そのうち,携帯電話を持って自宅から出かけたという
ことさえ,あやふやに感じられてきて,
家に電話をかけてその有無を確認し,
通勤時に自動車の中で落としたのではないかと
車中をさがしにいき,
自分の記憶が全く信用できなくなって,
自己嫌悪のままその日は終わってしまった.

翌日,うちの奥さんからのメールで,
携帯電話の紛失時のサービスがあることを知る.
残念ながら,私の携帯電話にはGPS機能はついていないので,
数mの誤差で位置を検出することはできないが,
それでも,携帯電話が自宅にあるのか,
車にあるのか,それともやはり会場で落としたのかが
わかるので,早速電話をしてみた.

「吹田市藤代台2丁目のポイントから700m以内にあります」

との回答.

「藤代台2丁目のアンテナはどこにあるのでしょうか?」

と尋ねると,

「それはわかりかねます」

と言われてしまった.半径700m以内ということは,
直径1.4kmの円の中のどこかにあるということである.
それを探すというのだから,ほとんど不可能に近い.

この位置検出サービスを使うと,自動的に通信サービスが
緊急停止させられてしまうし,
その上,電池も切れてしまったら,着信音を鳴らして
さがすなんてことはほとんど無理である.

とはいいながら,Google Mapで確認すると,
やはり学会会場であったコンベンションセンターと体育館が
その範囲に含まれていた.
やはりそこだということで,関係者の皆様にご迷惑を
おかけしながら,さがしていただき,ようやく昨日,
ホールの椅子に挟まっていた携帯電話を見つけて
いただくことができた(電池はもちろん切れていた).
本当に,有難うございました.

しかし,携帯電話がなかった3日半の間,
1件だけ親からのメールを受信できなかっただけで,
その他,私は全く不自由を感じなかった.
いかに私の携帯電話依存率が低いか,ということが
よくわかった(まぁ,友達がいないということだけ
なのかもしれないが).
うちの奥さんからも解約したら,といわれる始末である.

携帯電話で世の中が変わったなどという記事
書いている割には,自分はほとんどその便利な機能を
使っていないことに気づく.
携帯電話リテラシーが低いのだ.

以前,私はPDAを使用していた.
もしも,もう少し携帯電話がPDAに近づいたら,
また変わった状況になるのだろう.
(iphoneなどは,だから大変魅力的なのだが)

携帯電話に依存しない.
こう書くと,自分が世の中から隔離しているような気がする.
やれやれ,時代遅れのオジサンということか.

2009年11月11日水曜日

鷲田総長のお話

11月7日(土)には,関西支部連合大会において,
大阪大学の鷲田清一総長の講演会があった.

鷲田清一総長の講演でのお話を
ここに備忘のためにまとめておく.
(すみません,今回は箇条書きだけです)

■教養とは

・教育のために与える質問は,
「孤立した問い」ではなく,「生きた問い」で
あるべきである

・「教養」とは,生きるときに力になる知恵や技術である

・「実学」とは「すぐに役立つ学問」を意味するのではなく,
「時代の問題と切り結ぶための知恵」である

・「道徳」は「実学」である

・教育とは,以下の4つを見極めることができる技術を
身につけることである.
  - なくてはならないもの
  - あってもよいがなくてもよいもの
  - なくてもよいもの,なくしてもよいもの
  - 絶対にあってはならないもの

・上記4つを身につけることは,「価値の遠近法」を
身につけることである.

■世の中には正解のない問題が多い

・政治において,AとBの施策があり,どちらを行うか,
あるいはどちらを先に行うか,ということには,
正解は無い.こうした正解の無い問題に決断できるには,
政治的センスが必要である

・正解の無い問題というのは,介護,介助の場合にもある.
介護をうけるものとその家族においても,全く異なる考えで
あることが多い.解は複数あり,正解はやはり無い

・芸術の世界でも同様.「わからないものをわからないままに
正確に表現する,対処する」というのも芸術である

・対立する解が両立することもある

・「生きる意味は何か」という問いも正解が無い代表的な
ものであるが,これは死ぬまで問い続けることに意味がある
という問いである

■大学における「学び」の意味

・「わからない」という状態に耐えることができる
体力(知的体力)を身につけるためである.
それは潜水という苦しい状態に耐えるために
肺活量を大きくすることに似ている

・ひとつの問題に対し,自分とは関係の無いところから
補助線を引くことができることが必要である

・他の視点をいつでも持てることが大切である

・一方で教育の極端な細分化を危惧している

・教養なしには工学は勉強できない

・大学院の学生にこそ,上位の学生になればなるほど
教養教育が必要である

■大阪について

・大阪大学は民衆の力によって設立されたというユニークな
特徴を持つ

・懐徳堂 (1724年創基)は5人の商人が拠出金を負担してできた
- 上下関係なし
 - 基礎学問(天文学,物理,倫理)を重視した
 - 基金の運用で運営されていた
 - 授業料は自分が出せるだけ

・日本で初めてシェークスピアが上演されたのは,
大阪における人形浄瑠璃であり,
「この世の沙汰は金次第」(ヴェニスの商人)だった

・京都や大阪(上方)の学問の伝統として,
キーワードは「おもろい」である
もうひとつのキーワードは「リベラルティ」であり,
市民の自治という特徴である

・寄付文化も特徴

・大阪のマーク「澪つくし」は,もともと
川に立っている標識であり,船が通ることができるのに
十分な深さがあるということを示すものだった
「身を尽くし」にもひっかけている


-------------

以上,簡単にまとめておく.
なかなか興味深いお話で,いろいろ印象に残った.

ところで,鷲田総長はファッション論もご専門で,
たしか着用されているスーツはヨージ・ヤマモトでは
なかったかな.
講演当日もかっこいい服装だった.
まぁ,執筆時はパンツ一丁で酒を飲み飲み
ペンを走らすといううわさもあるけれど...

またいつか,総長のお話をお聞きしたいものである.

2009年11月10日火曜日

電気関係学会関西支部連合大会が終わった

怒涛の一週間の記録,第3弾.

11月6日(金),7日(土),8日(日).
東京から帰ってきて,山積する仕事にため息をついた.
実は,7日,8日は,大阪大学 吹田キャンパスにおいて
電気関係学会関西支部連合大会が開催され,
その開催校として大阪大学は大きな役割を果たしているのだ.

電気関係学会というのは,電気学会,電子情報通信学会,
照明学会,音響学会,映像・マルチメディア学会,
電気設備学会の6学会である.
これらの関西支部が合同して学会を開催するのである.

おかげさまで,無事に終えることができた.
今回は,すべての講演をポスター発表にするという
試みがあった.
概ね成功だったと思えるけれど,ポスターとなると
学生が中心となってしまって,企業の方の発表が
少ないような気がする.
今後の課題なのだろう.

9日.梅田にて電気学会の調査専門委員会.
太陽光発電の現状と,種々の電気回路に関する報告を聞く.
こちらの方もそろそろ技術報告書が話題になってきた.
昨日,委員の方々と話していると,
急に年末が身近に感じられるようになってきた.
もう臨戦態勢である.

今後は,パワーエレクトロニクス学会の専門講習会が
11月21日に,大阪科学技術センターで,
同じくパワーエレクトロニクス学会の若手研究発表会が
12月19日に大阪大学銀杏会館にて開催されるので,
その準備に追われそうである.

とにかく,すべての行事が無事に終わることを祈るばかりである.

2009年11月9日月曜日

「新耳袋」で納得がいかないこと

「新耳袋」全10冊,1000話の怪談を
読み終えたわけなのだけれど,
納得のいかないことが二つある.

ひとつは,「新耳袋」に収録されていると
思っていた話が1000話の中に見つからなかったのである.
私が記憶している話のおおよそは次の通りである.

---------

あるCMディレクターか関係者の話で,
ある女優を用いたCMを撮影したのだけれど,
そのフィルムは採用されなかった.
理由は,その女優の耳が
なぜか映っていなかったからだという.

---------

このように単純な話だけれど,
あまりに奇怪なエピソードなので,
記憶にずっと残っているのである.

この話は,雰囲気からして「新耳袋」に
収録されているものだとてっきり思っていたのだけれど,
違ったようである.
詳細を確認できるかと思い,巻を追うごとに
ワクワクしていたのだけれど,10巻(第10夜)まで読み終えて
結局見つからなく,がっかりしてしまった.
この何年間も続くモヤモヤした気持ちは
どこへ行けば良いのだろうか?
どなたか,この怪談の出典をご存知の方は
いらっしゃらないだろうか.
これからもずっとはっきりしない気持ちを
引きずっていかなければならないのか...

もうひとつ,納得がいかないのは,
「警備会社」のエピソードを2度読んだ気がすることである.

この「警備会社」の話は,9巻(第9夜)の最後に
シリーズとしてまとめられている中のひとつで,
この警備会社の渋谷事務所に女の幽霊がでることにより
引越しをやむなくされたというものである.
警備会社なので,幽霊に遭遇した警備員と本部との
電話の会話の記録が残っているところがミソで,
女の声がちょうど警備員の会話に合いの手を入れるように
録音されていて,それがリアリティを生んで
面白さを増している.

この話を読んでいるときに,あれ?これは2回目だと思った.
話のオチまではっきりと覚えているので,
どこかで読んだことは間違いないのだけれど,
どこで読んだのか,記憶がはっきりとしない.
第9巻を読むのはこれがはじめてのはずなのだが...
この話が2回収録されているのかとも思ったが,
そうでもないようだ.
以前に読んだことがあるのならば,前後のシリーズの
話も覚えていてもよさそうであるのだが,
この話しか覚えが無い.
う~ん,これはかなり納得がいかない.
これもずっとすっきりしないままなのだろうか...

この先,もう次の「新耳袋」を読めないということが,
最も残念である.
最初は,1998年,最終巻は2005年の発表である.
最初の頃のエピソードでは,ポケベルに
関わる話があったりしたのに,
最後の方は携帯電話に関わる話が多くなっていて,
時代の流れも感じさせる.
これから何を楽しみにすればよいのか.
誰かの書いた怪談小説などは,結局作り物という気がして,
怖さに奥深さが足りないような気がする.
不可解な怪異が不可解のまま残される,
この「新耳袋」の面白さは他には見られないものである.
はぁ,次のシリーズは出ていないものなのだろうか.

#「警備会社」の収録巻が間違っていました.
第9巻に修正(11/10)

2009年11月8日日曜日

スマートグリッドは日本で実現するか

怒涛の一週間の記録,第2弾.

11月5日(木).
日経BP他主催の「スマートエネルギー」に
関するシンポジウムに参加する.
米国オバマ大統領が,グリーンニューディール政策に
言及して以来,「スマートグリッド」はやりである.
学会でも「スマートグリッド」に関わるセッションを
開けば,多人数が集まる状況である.
今夏の電気学会 電力・エネルギー部門大会においても
「スマートグリッド」に関するシンポジウムを開いたところ,
予想以上の参加者があって,当日急遽広い会場に変更したと
聞いている(私は残念ながら参加できなかったが).
ICT技術とエネルギーをうまく組み合わせることにより,
一層の省エネ,新しいサービスの提供が可能となる
ということが,「スマートグリッド」の
大まかな趣旨なのであるが,
その具体的な概念がいまだ不確かなため,
それが一体どんなものかということを知りたくて
多くの研究者が集まっているというのが,実情ではないだろうか.
サンノゼで開かれたECCE2009においても,
「スマートグリッド」に関するラップセッションが
開かれたが,人は集まったものの,結局議論は
概念的なものに終始し,満足のいかないものであった.

今回のセミナーは目黒の雅叙園で開催された.
会場に到着してみると,オバサマ方の集団の数の多さに
圧倒される.観光バスも何台も乗り付けている.
もしやここまでスマートグリッドは
一般化しているのか?とも思ったが,
残念ながらそうではなく,その集団はフラワーアーティスト
假屋崎省吾さんの展示会を見に来た方々だった...

しかし,セミナーも盛況で350名以上は参加者がいたと
思われる.あちらこちらから聞こえてくる会話から判断すると
どうも電気関係の人たちだけではないようである.
スマートグリッドに期待する業種の多さを実感する.

セミナーの最初には,民主党の福山外務副大臣からの
挨拶があった.15分程度のお話だったが,その中で,
鳩山首相の25%CO2削減の宣言実現に,
政府は本気で取り組むつもりであることを明言されていて,
確かにそのためには国民はある程度の負担をしなければならないが,
それは負担ではなく,投資と考えて日本のシステムを変革する
よいチャンスと考えて欲しいとおっしゃられていた.
会場の参加者の中にも,その言葉に勇気付けられた
人たちが多かったようだ.

講師は,米国のSilver Spring Networks,Intelからの他,
東京ガス,大和ハウス,日本ガイシ,三洋電機,日産自動車からの方々で,
それぞれの取り組みについて紹介されていた.
スマートグリッドとは直接関係ないが,個人的には
日産の方がプレゼンされた電気自動車に
ぜひ乗ってみたいと思った.
私の通勤の足にぴったりである.
静粛性は,カーステレオで聴くクラシック音楽にぴったりだし.
ランニングコストは低いが,なにせイニシャルコストが高い.
なんとか安くならないものか(特に電池...)

全体的にも良くまとめられたセミナーであったと思う.
今後も各企業がどのような取り組みをしているのか,
互いに紹介しあうこうした機会を設けなければならないと思う.
なんといってもスマートグリッドは,各社バラバラで
研究開発できるものではないからである.
日本としても米国,欧州に対抗していくために,
一致団結して進めていかなければならないだろうし.
ただ日本では各電力会社の協力がうまくいくのかどうかという
心配はある.
そもそも電力会社の間には,日本の電力系統には
スマートグリッドは不要である,との意見もあるくらいなのである.
しかし,それではまた日本はまた世界の流れから取り残され,
規格競争に敗れ,市場を得ることができない.
世界の市場のためにも,日本はやはりスマートグリッドを
やらなければならないのではないかと思う.

11月6日以降は第3弾につづく.

焼きそば(11/3)とパワエレ調査専門委員会(11/4, 東京)

怒涛の一週間であった.
記録の意味も含めてエントリー.
(駄ネタですみません.いつもそうだけど)

11月3日(火) 文化の日.
朝から焼きそばを焼いていた.
私が住んでいる町の祭りが開催された.
そこで,息子がお世話になっている
地域の団体も焼きそばのテントを出展したので,
お手伝いをしたのである.
正確に言うと,鉄板でそばを焼いていたのではない.
鉄板の後ろで,そばやキャベツ,豚肉の準備,
ソースの計量をしていただけなのであるが...
実は昨年も同じお手伝いをさせていただいた.
こうした機会は,つねづね息子がお世話になっている
ことへの恩返しということで,有り難い.
なかなかこのようなチャンスがなければ,
感謝をお伝えできることができないからである.
当日は,かなり冷えたので祭りへの人出も
いくぶん昨年より少なく,苦戦はしたけれど,
焼きそばは700食完売.十分な利潤を上げることができた.
夜はぐっすりと眠りにつく.

11月4日(水).
電気学会の配電系統関連のパワーエレクトロニクス技術に
関する調査専門委員会が東京で開かれる.
これから技術報告書作成を行うということで,
内容について議論をする.
こうした電気学会の調査専門委員会がまとめる技術報告書は
なかなか資料価値が高い.
ボランタリで委員の方々にはご参加いただいているのだが,
直接参加いただいている委員の方々にとっても,
学会員にとっても有意義な会であると思う.
今回の報告書は,配電系統のコンポーネントとなる
パワエレ機器だけでなく,それが適用されたマイクログリッド,
新エネルギーシステムなどについても最新の結果が
網羅される予定である.
また,船舶,航空機などの移動体における
配電システムについても紹介する予定である.
実は私も今回の委員会で初めて知ったのだけれど,
船舶などは船そのものが動くマイクログリッドであるので,
古くから先進的な電力マネージメント制御を適用している.
(停電は,船の危険に直結する非常事態である)
電気学会の会員の方々に,こうした情報をご紹介できるのは,
珍しいことになるのではないだろうか.
前委員会の報告書の売り上げは非常に良かったということで
昨年は学会から賞をいただいている.
今回も好評を得られるよう,努力をしたいものである.

夜は懇親会.
やはり同じバックグラウンドを持つ人たちと
話すことは楽しい.
もうこの調査専門委員会も終わりかと思うと
さびしいと感じる...

長くなってきたので,以降は別エントリーにて.

2009年11月2日月曜日

この世は不可思議であふれている

少しずつ読み進めていた「新耳袋」を
とうとう10冊,完読した.
もっと教科書なんて役に立つものを
読めばいいのに,と言われなくもないが,
生活に潤いを求めて(笑),
こうした本もやはり読むのである.

「新耳袋」というのは,二人の編者が蒐集した
怪談を1冊に100話ずつまとめたシリーズである.
全十冊でシリーズ終了.
私もこれで1000話読んだことになる.

「新耳袋」を知っている人は,あれ?と
思ったかもしれない.
1冊あたり収録されているのは
99話とされているからである.

1冊に100話を収録するのは,もともと
「百物語」の慣習に従ったものである.
「百物語」というのは,人々が夜分に集まって,
100本のろうそくを灯し,怪談を1話終えるごとに,
1本ずつろうそくを消していく,という趣向の
催しである.
100本のすべてのろうそくが消し終わった時,
真っ暗になった部屋,あるいは帰り道で
怪異現象が起こると伝えられているのである.

当初,この「新耳袋」は100話収録して
出版されていたが,一晩で1冊読み終わった人から,
怪異現象が起きたと苦情(?)が多かったため,
出版社を変えて復刊されたときには,
収録話数を99話としたのだと本に書かれている.

しかし,読んだ人ならばすぐにわかる通り,
99話であるのは,番号付きの話だけで,
実際には番号なしの話が1話あって,
結局100話だったのである.

ということで,10冊読み終えた私は,
1000話の怪談を読んだことになる.

読み終えて思ったことは,
私たちの身近なところでも
怪異があちらこちらにあるということである.
それが本当に超常現象的なものなのか,
それとも単なる錯覚や心理的な原因による
ものなのか分からないが,
とにかく事象として認知されることは
間違いなのだろう,ということだ.

私たちはそれを目や耳にしながら,
それに気付かない,あるいは(無意識的に)
無視しているのだろうと思うのである.
なぜならば,この世にはちょっとした理論では
説明できないことに満ち溢れている.
私たちが目にしているすべてについて
その合理的な原因を説明できるわけではない.

身体的あるいは心理的な状態が
ある条件下にあるとき(たぶんそれはネガティブな状態),
そうした現象を知覚するしきい値が下がり,
不可思議な現象として認知されるのではなないだろうか.
通常,私たちは気づかないだけで,
不可思議な現象は身の回りにあふれているのだ.

まぁ,その他にも怪談を読むことによって,
日本人の文化というものにも少し目がいくようになったし,
久しぶりに柳田国男などの著作にも興味が出てきた.
いいなぁ,怪談って.

「新耳袋」については,まだ思うことがあるので,
それは明日か,また近いうちに.

2009年10月30日金曜日

シューベルトのピアノソナタに惹かれる

最近は,シューベルトのピアノソナタばかりを聴いている.
きっと疲れているせいだ.

元気のあるうちは,オーケストラ曲を聴いていた.
ベルリオーズの「幻想交響曲」とか,
ベートーベンの「英雄」とか.

しかし,だんだんそうしたハイカロリーな曲が
つらくなってきて,いつのまにか
シベリウスの交響曲に.
それも重くなってきて,ボーン・ウィリアムスの
交響曲になった.
徐々に静かで抑揚のない曲調のものを
好むようになっていた.

そのうち,音色のボリュームに参って
しまうようになって,器楽曲へ移行した.
私はつねづねバッハを愛聴しているので,
こうした機会こそ別なものを聴きたくなって,
まずはベートーベンのピアノソナタを聴く.
けれど,「ディアベリ変奏曲」で挫折.
フォーレの「レクイエム」のピアノ演奏版も試したけど,
つらくなってきた.

そんなときに,ふとシューベルトのCDを手に取ってみた.
ずいぶんと久しぶりに聴く.

そのときに聴いたのは,ブレンデルのライブ盤.
ピアノソナタ第20番 D.959だった.
自分の状態がちょうど同期していたのか,
最初のフレーズからなにか心に染み入るように感じた.
長い曲なのだけれど,じっと耳を澄まして集中できる.
やさしい歌が聞こえているようだ.

そして第4楽章.
ここでは,素朴といっていいくらいに平明なメロディが出てくる.
本当に口で歌っているような,単純なメロディ.
こちらもついつい口ずさみたくなる.
長い曲の終りに,このメロディである.
思わずホッとしてしまう.
緊張が解けていく.

この曲ですっかり私はシューベルトのピアノに
まいってしまった.
このCD2枚組にはその他にも,D. 960, 894, 840, 784が
収録されていて(いずれもライブ録音),
以来,それらを聴きこんでいる.

残念ながら,私は所有しているシューベルトの
ピアノソナタのCDは,ほんの数枚である.
内田光子の即興曲集とか.
(これはこれですごい演奏なのだけれど)
今後,適当なCDを買おうかと思っている.

ただ内田光子がたしかどこかのインタビューで,
シューベルトには死のにおいがする,
と話していたように思う.
死ぬ時にはシューベルトを弾いていたい,とも.

シューベルトに強く惹かれるようになった
私の心の状態はずいぶんと危ないのかもしれない...

2009年10月29日木曜日

ヌンチャクでタンコブ

アイドルのしょこたんが
武道館のコンサートでヌンチャクの技を
披露したそうである.
いまだにヌンチャクなんてものに
興味を持つ人がいるのかと驚いた.

ヌンチャクは,ブルース・リーが
映画の中でつかったので
大変有名になったけれど,
いまどき,どの映画でも使っていない.
まして女の子が振るなんて,と
めずらしく思ったのである.

ブルース・リーが使ったということで,
ヌンチャクは中国拳法の武器だと思われがちだけど,
たぶん沖縄の武器である.
中国拳法だったら双節棍と呼ばれるだろう.
(ちなみに,私は双節棍を使用している
中国拳法を知らない...あるのかな?
三節棍ならば,映画「少林寺三十六房」で
有名になっているし,実際に武術家が
演武している映像も見たことがあるけど)

実は,私も高校の空手道部時代,
部費でヌンチャクを購入し,練習したことがある.
しかし届いたヌンチャクは,棍の部分が
赤樫でできており,かなり重かった.
とてもブルース・リーのようなスピードでは
振り回すことができない代物なのである.
沖縄に伝わる技法においても,
ブルース・リーのようにあのスピードで
振り回すことはないらしい.
(Youtubeなどで沖縄の技法については
見ることができる(良い時代になった...))

それでももちろんブルース・リーの真似をしてみた.
棍を自分の脇の下を通して,
肩の上でキャッチするという,
あの有名な技である.
ゆっくりと,ゆっくりと重たい棍を振り回す.
キャッチするときも気をつけなければ
突き指しそうである.
少し慣れてきて,スピードをあげてみた.
途端,重たくて堅い赤樫の棍が
右の額に直撃.
痛さにうずくまったことを覚えている.
そして鏡を見ているとみるみるうちに
膨れ上がり,見事なたんこぶになったのである.
(以来,ヌンチャクを振り回すのはあきらめ,
もっぱら武田鉄也ばりのハンガーヌンチャクの
アクションに移行した)

ブルース・リーの技術は,
フィリピン武術をもとにして独自に
(映画用に)編み出したものらしく,
ヌンチャクというよりは,フィリピン武器に近く
「タバク・トヨク」とか「オリシ・トヨク」とか
呼ぶのがふさわしいらしい.
(確か,JKDインストラクターの中村頼永氏が
どこかの記事で書いていた.福昌堂だったから
「月刊 空手道」?)

実際映画の中で使われたものも,
プラスチックやゴムでできたヌンチャクであり
あくまでもアクションのためだったとのことである.

でも,私もいつかその軽いヌンチャクを
振り回してみたい.
ヌンチャクというとあの重い赤樫のものでの
失敗がトラウマのようになっている私だが,
アイドルにできて私にできないわけがない(はず).
どこかにアクション用のヌンチャク,
売っていないのだろうか?
そして,あの黄色いスーツを着て
怪鳥音とともに振り回すのである.アチョー!

ただ,あの黄色いスーツだと
お腹のまわりがデブっとなるのは
避けられないだろうなぁ...
まずはダイエットを始めねば...

2009年10月28日水曜日

携帯電話が普及して失ったもの

携帯電話が普及することによって,
私たちの生活は大きく変わった.

例えば,待ち合わせ.
映画「バブルへGo!! ~タイムマシンはドラム式~」の
シーンでもあったが,まず待ち合わせの打合せが
アバウトになった.
時間,場所等を詳しく指定しない.

「6時に渋谷駅で」

で済んでしまう.私が学生のときは,

「6時に渋谷駅のハチ公の右前足の近くで」

などと細かく指定したものだけれど.
合コンなどの待ち合わせになると
さらに目立つように「赤いバラを持つ」なんてこともあった.
(私はさすが持ったことはありませんが)

携帯電話があれば,

「もしもし,ちょうど駅に着いたところ.
いま,どこにいる?」

とお互い尋ねればよいので,問題はないのである.

例えば,スキー場に向かう車の中.
多人数で複数台の車に分かれてスキー場に向かっていると,
どこかのレストランで昼食を食べよう,ということになる.
今だったら,別の車に乗車している誰かの携帯電話に
すぐに電話をすれば済むことだけれど,
昔は情報が届かない.
したがって,一度車を止めて相談することになる.
車を止めるというのも一苦労で,
車が直列に並んだところで,ハザードランプを点灯し,
止まるよ,という合図をするか,
あるいはコンビニの前からかなり速度を落として,
これからコンビニの駐車場に入りますよ,と
意思をはっきりと伝えてから止まるのである.
(それだって,ときどきうまくいかなくて,
大変なことになったものだ)
映画「私をスキーに連れてって」では,
車載の無線機やゲレンデで使うトランシーバが大活躍しており,
それに憧れて,多くの人がアマチュア無線の免許
(当時は,電信級,電話級なんて名称だった)の
取得を目指したものである.

そして,例えば女の子の家に電話をかけること.
いまだったら,女の子の携帯電話に直接
電話をかけることができるから,ずいぶん気は楽な
ものである.
(それなりにドキドキすることもあるのかもしれないが)
私が学生の頃は,もちろん一家に一台しか
電話がないのが普通だったから,相手の
家族の人が出る可能性が非常に高かった.
電話をかけるときなんて,相手のお父さんとか出てきたら
どうしようなんて,本当に心配したものである.
そして,お父さんが怒って電話を娘さんに
つながなかったらどうしようなんて,どこかの
テレビドラマみたいなシーンを想像して,
電話をかける前に,失礼のないよう
セリフの練習をしたものである(ほんとに(笑)).
それが別にデートに誘うのでもなく,
事務連絡であってもである.

携帯電話が普及して,
こうした情報のやりとりの不都合に関わる
心配事は多くの場合解消された.
現在の若者は,より積極的に青春を
謳歌しているのであろう.
しかし,オジサンとしては,
以前のあのドキドキ感は,青春の大きな
一要素であったと思うのである.
だからそれを失った現在の若者が
少しかわいそうに思ったりもするのである.

2009年10月27日火曜日

マツタケごはんに目が覚める

今朝は寝坊してしまった.
朝一限から講義があると言うのに.
といっても,もちろん十分に間に合ったのだけれど,
新聞を読む暇がなかった.

寝ぼけた頭で食卓に着くと,
見慣れないキノコを見せてもらった.
しばらくぼーっと見ていて,やっと気付く.
マツタケである.

どうもご近所からいただいたとのことである.
もちろんウチでそんなもの買う余裕はない.
(いただいた○○様,本当に感謝いたします)

ということで,今日の朝食は,
焼きマツタケとマツタケご飯.
やはり香りがたまらない.
食べ物の美味しさに,香りが占める割合は
どれほどだろう?
「においマツタケ,味シメジ」
などと言われるけれど,この香りだけで,
よだれが出てくる.
そしてやっぱり美味しい.
すばらしいよ,マツタケ!

お味噌汁とともに堪能した後は,
なぜかマスクメロン山盛りのタルトケーキの
デザート(ミャムミャム).
いったいどうなってるんだ,今日の朝食は!!!
でも,舌でとろけるマスクメロンに
うっとりとする...

寝ぼけた頭が,完全に目覚めた!
寝坊しただけに,朝食にゆっくりと時間を
かけられなかったことが心残り...
(そして,朝からビールというわけにも)

脳というのは,実に本能に正直なものだと
あらためて思う.
あんなに眠たかった頭がすっきりとして,
幸せ気分で出勤である.
こんな劇的な変化が起こせるのならば,
もっと他のことに応用はできないのだろうか.

本能直結ですべてがうまくいけばいいのに...
(論語にいう従心の境地までいかないと
だめなのかな.そこまでいくのに,
孔子でさえ70歳までかかったというのに)


2009年10月26日月曜日

成長のチャンスを逃さない

先週の土曜日は,パワーエレクトロニクス学会
若手幹事会に参加.
若手というのは,別に私のことを言っているのではなくて,
学会の12月の研究会を企画担当している学生と,
企業の若手のみなさんを指している.

このブログでも何度か話を取り上げているけれど,
パワーエレクトロニクス学会では,若手が
1年に1回,定例研究会を企画するのだ.
ポスターセッションの企画から,特別講演の
テーマの選定,その他のスタッフについてまで
担当することになっている.

12月19日が定例研究会なので,
そろそろ企画も固まりつつある.
それなりに各大学から選抜された20名程度の
スタッフは自分の責任を認識し,
分担して,なんとか会を成功に導こうとしている.
見ていて頼もしい.

幹事会の後は,梅田で,
他に出席された学会側の委員の方々と
酒席をご一緒させていただいた.

このようにして,いろいろな話をする機会が
持てることも,この学会の良さである.
企業人だけでなく,大学・高専の教員も含め,
厳しい話から,くだらない話まで,
さまざまなことを酒の肴にする.
特に,人材の育成という点について,
話題になることが多い.

そこでも若手幹事会のスタッフについては
大変に好意的な意見がきかれた.
もちろん私もそう思うのだが,
彼らはどのようにして,
その能力を磨いてきたのか,
ということを考えてしまう.

すなわち,彼らは若手幹事会に参加したから,
そのような能力が自己発動したのであって,
もしも大学で単に研究室と下宿を往復する生活を
続けていたならば,こうはならなかったのではないか,
と思うのである.

人を育てるのは,環境である,と
あらためて思う.
ただその環境を得ることができるチャンスを
みずからつかまなければ自分の成長は望めない.
そこには,それ相応の努力,犠牲は必要だけれど.

いやがおうにも,そうした環境に
向き合わなければならなかった
幕末の若者たちと違って,
現代の学生は,自らその環境を追い求める
努力が必要なのである.

誰かの言葉を思い出す.

「若者は安全株を買ってはいけない」

つまりは,若者には
チャンスを逃さずにつかむ努力と,
不安の中に飛び込む勇気が必要なのである.

2009年10月23日金曜日

タイム・リープかエイリアン・アブダクションか

いつのまにか,どうも私は超能力を身につけてしまったらしい.

タイム・リープ(時間跳躍)

筒井康隆の「時をかける少女」の主人公が
身に付けたそれである.
そうでなければ,今日が金曜日であることの
説明がつかない.
あっという間に一週間が過ぎてしまったのである.
その間の出来事の記憶も曖昧模糊としている.
これは時間跳躍の能力を身に付けたとしか考えられない.

いや,待て.
もしかすると私は異星人に誘拐されたのかもしれない.

エイリアン・アブダクション(異星人誘拐)

Xファイル」にもこのエピソードがあった.
いつかどこかで私はUFOに遭遇したのだろうか.
しかし,そんな覚えは,ない.
その記憶も操作されてしまったのだろうか.
この一週間は,Missing Timeとなってしまった.
自分の失われた時間を取り戻すために,
催眠術でも受けてみようか.
いや,体内になにか変なものをインプラントされていないか
外科医に診てもらった方がいいかもしれない.

---

とにかく今日は金曜日なのである.
たぶん最近の忙しさと,寝不足と,健忘症が
この現象を引き起こしているのであろう.

「光陰矢のごとし」

時間は高速で過ぎ去っていく.
そしてその速度は加速度的に増加している.
毎週金曜日になると,その速度を実感せずにはいられない.
そしてたぶん年末には,1年の過ぎ去る速度を
またため息とともに実感するのであろう.

2009年10月21日水曜日

Don't think. Feel!

最近,ユニコーンが復活したとのことで,
彼らの新曲がよくラジオで流れている.
(通勤の車中,ラジオを聴いているので,
意外に私も最新の音楽事情に詳しかったりする)

私が学生時代,彼らはすごい人気で,
深夜番組(とは言っても12時前か)の
「夢で逢えたら」のテーマだった「働く男」などは
私もよく耳にした.
(とはいえ,アルバムなどは買ったことがない)
奥田民生というひとの才能の大きさは
それでも十分に分かるけれど.

新曲は「半世紀少年」というタイトルらしい.
完全に人を食っている.
映画「20世紀少年」のパロディである.
曲調はなんとテクノで,
初めて聞いた時は電気グルーブの曲かと
思ったくらいである.

この曲の中で何度も,

"Don't think! Fee~l."

と繰り返されているのだけれど,
このパロディが分かる人は
どれだけいるのだろうか,と思う.
(とはいえ,非常に有名なセリフなので
多くの人が知っていると言えば知っているのだけれど)

これは,ブルース・リー主演の映画
「ENTER THE DRAGON (燃えよドラゴン)」の最初の方のシーンで,
少年に蹴りを指導するときに,リーが言う言葉である.
適当な蹴りを出す少年にリーは,もっと集中しろ,という.
もう一度蹴りを練習すると,「そうだ,何か感じたか?」と
リーがふたたび尋ねる.「えっと...」と少年が首をひねって
何か考えようとすると,リーは少年の頭をたたき,

「Don't think. Feel! 考えるな.感じるんだ」

と言うのである.そして,その後,「指月の指」の例えを出して,
武道の奥義を伝えようとする場面である.

リーはこの映画を作るときに,
自分の思想を反映したシーンを入れようとして,
この場面を勝手に撮ったそうである.

彼は,ワシントン大学で哲学を専攻していたためか,
こうした思想に非常に詳しかった.
彼が残したノートにも,多くの道教や,
彼が傾倒していたというクリシュナムルティの言葉が
数多く残されている.
(彼のノートは本の中で紹介されている.
ちなみに彼は絵も非常に巧く,
いろいろな技のデッサンをみるだけでも,
大変面白い資料となっている)

このセリフは,ブルース・リーファンならば,
ほとんどの人が知っていると思うけれど
(有名中の有名なセリフなので),
ユニコーンファンとなるとどれだけ知っているか...
しかし,オジサンの心は確かにくすぐる.
きっと,すでに中年となったユニコーンのメンバーの誰かも
ブルース・リーのファンなのだろう.

ユニコーンと中年オジサン共通の文化背景があって
少しうれしかったりする.

#言葉の意味については,
私にはあまり語る資格はないなぁ.



2009年10月20日火曜日

酒を飲むには体力が要る

昨晩は,私が所属する部門の2年生歓迎会があった.
昨日のブログ記事は,最初の一段落を除いて,
全部酔っ払って書いた.
思い向くままに書いているので,文章が支離滅裂である.
恥ずかしいけれど,直すのも面倒くさい.
こうやってこのブログはますます乱れていくのだ...

しかし,本当にお酒に弱くなった.
お酒の強さは結局のところ体力である.
翌日に踏ん張れるスタミナがあるかないか,
そこで決まる.

昨晩はそれほど飲みすぎたという感じはないけれど
(ビンビール4本程度,缶チュウハイ1本)
今朝は少し気分が悪かった.
腹に力が入らない(べつに壊していなかったけれど)

確かに私は一族の中でも最も酒に弱い一人である.
父親もおじさんもいとこも,一晩で平気で
ウィスキーのボトルが開けられる人たちだった.
私がそんなことをしたら,翌日は地獄となる...

それでも学生の頃は,酒を飲みにいけば,
まず,大ジョッキ生ビールを3杯は飲んでから,
焼酎やウィスキーにうつるという風だったから,
今よりはずっと強かった.
ビールの後の焼酎は,大ジョッキに入れて飲むのである.
焼酎は翌日残らないなんて誰がいっているのだろう?
ずいぶんひどい二日酔いになるのが普通だった.

あるときなんて(といってももう20年以上も前の話だが),
いつもどおりビール大ジョッキ3杯のあと,
合氣道の師範が,焼酎をボトルで飲もうとおっしゃった.
たいてい「いいちこ」とか「蕪村」とか「田園」という安価な焼酎を
飲むのが普通だったので,760 mlのビンを
思い浮かべていると,なんと一升瓶が目の前に.
これを飲むのかと驚いた.
そう,焼酎を大ジョッキでお湯割りにして飲むのである.

その時に師範に教わったのは,当時赤坂の料亭などで
始まったばかりの焼酎の飲み方ということで,
まず,きゅうりをどっさりと千切りにする(量は決してケチらない).
それをおもむろにジョッキの中へ,やはりどっさりと入れる.
(通常は,普通のコップで構いません)
そして熱いお湯をいれてから,焼酎を1:1の割合で注ぐのである.

あたりに広がり始める芳香.
安っぽいキュウリの匂いなどはしないのである.
ひとくち,口をつけてみるとなんと驚き.
高級メロンのようなさわやかさが口の中に広がって,
とても上品な味わい.
あまりのさわやかさに,グビグビとジョッキで飲んでも
酔った気がしない.
すぐに次が飲みたくなる.

ただアルコールの量は決して減っていない.
翌日本当にひどい二日酔いになったことを
いまでも覚えている...

しかし,まだ経験されたことのない方はぜひお試しあれ.
ポイントは,山盛りのキュウリと熱いお湯である.
そして,最後は大量に焼酎を飲んでも
へこたれない体力が必要.
こればっかりは,もう二度と手に入れられないのかもしれない...


2009年10月19日月曜日

音楽はサウンドか,小説か

今年の吉田秀和賞の受賞作である
「音楽の聴き方-聴く型と趣味を語る言葉-」
(岡田暁生,中公新書)を読了.

音楽には,サウンドと音楽の2種があり,
単に聞き流すことができるサウンドに対して,
音楽とは,誰かが誰かに向けて発信したものであり,
それを理解するためには,ある程度の型を知らなければ
ならない,という著者の主張をもっともだと思うとともに,
サウンドとしてクラシック音楽を消費しがちな自分の
音楽生活を反省することになった.

音楽とは誰かに向けて書かれたものである以上,
そこには文法があり,地方性が存在する.
ドイツ語の発音・話法にドイツ音楽の基盤があり,
フランス語にはフランス音楽のそれがある.
書内に紹介されているドイツ音楽の大家R. シュトラウスが
フランスのドビュッシーの音楽を理解できなかったエピソードは,
超一流の音楽家であってもその文法を理解せずには,
なにがその曲に書かれているのか理解できないという
衝撃的な事実を明らかにしている.」

私が以前,シベリウスの音楽を聴いて,
音楽は小説と同じだと突然感じたのも
決して偶然ではないのかもしれない.

今朝はNHK FMでシューベルトの歌曲が流れていた.
(「冬の旅」から「おやすみ」と「辻音楽師」)
その休止の取り方,抑揚はやはりドイツ語に依存しているのだろう.
日本語歌曲だってそのなのだから.
外国人歌手が日本語歌曲をどれだけ正確な発音で歌っても
どこかでしらじらしく聞こえてしまうのは,やはり何かが
欠けているのに違いないと思うのである.

日本歌曲的には,やはりその呼吸というものがある.
それを破るとどうも不自然に聞こえるのである.
ずいぶん前の話だけれど,「題名のない音楽会」で
作曲家の黛敏郎が,ドリカムの「ひらり」という曲
(NHKの朝の連続テレビ小説「ひらり」のテーマ曲)
について,日本歌曲のルールを全く無視したような
曲展開に非常に腹を立てていたのを覚えている.
確かにひどい語句の不連続があるのだけれど.
日本歌曲を誇りをもって作曲している人には,
ドリカムの曲の跳躍が許せなかったのだろう.
(黛敏郎は「ぞうさん」の作曲者でもある)

同じ理由で,アメリカのロックに日本語が
うまく乗るか,という問題が以前から話題になっている.
「はっぴいえんど」などはその問題をどうにか
解決しようとしたバンドとして今も名を残している.
私はそのひとつの解を示したのが,
佐野元春であると思っているのだけれど,
いまだにロックに日本語はどうかと思ってしまうのだから,
これはまだ解決していない問題なのだろう.

ただ,この本の作者は,最終的にそうした文化相対主義に陥らない
普遍主義的な音楽の聴き方があるはずだとの主張に
辿りついているのだけれど,本当にそうなのだろうか.

以前に観た小澤征爾の若いころの映像でも,
「東洋人がクラシック音楽を本当に理解できるのか」
という問いに対して非常にナーバスな反応を示し,
撮影を断るシーンがあったのを覚えている.

また,アルバンベルクカルテットの第一バイオリンのピヒラーは
東洋人には結局理解できないと明言したと最近報道があった.
実際西欧人から見るとそういう考えがあるのも否定できない.
(だって,日本人だって西欧人が尺八の音色を理解できるとは
思わないもんなぁ)

ヨーヨーマなんかもこの話題に対しては非常にセンシティブで,
この議論になると,ずいぶんと時間を費やしていたという話がある.
(現在では,マは,西欧音楽を知らない東洋人には,
知らないというだけのアドバンテイジがあるという主張をしているけど)

確かにどこかで,西欧音楽とアジア音楽との間には
深淵が横たわっているとは思うのだけれど,
その一方で,東洋人も十分にクラシック音楽を楽しむ
能力を持っていると思う.

音楽の普遍化は,音楽がサウンドになりさがる可能性をもち,
一方で音楽の囲い込みは普及を拒否して,そうした音楽の
存続を危うくする.
結局,音楽はサウンド化,すなわち「音楽に国境はない」という
方向に進むしかないとは思うが,失われるものの大きさも
覚悟しなければならない.
それが音楽にとって本当に幸せなことなのか...
う~ん,難しい.

いろいろなことを考えて音楽を聴かずにはいられない.
考えて聴く.
それが音楽の楽しみを増すことに他ならない.
あぁ,わたしにとって音楽はサウンドなのか,語りなのか.
これからもずっと悩み続けるのだろう.

2009年10月16日金曜日

IEEE Milestoneについてもっと知ってほしい

先日10月13日,IEEEよりIEEE Milestone
東工大とTDKに贈られた.
あまり話題になっていないので,
少しご紹介する.

IEEE Milestone Programとは,
世界最大の電気関係の学会のひとつである
IEEEが主催するIEEE History Centerにおいて,
電気分野で歴史的に顕著な貢献があった
発明,実績に対して顕彰されるものである.

これまでに数十の顕彰がされているようである.
そのリストについては,IEEEのWeb上で
見ることができる.

日本からの受賞としては,シャープの電子卓上計算機や
ビクターのVHSビデオ,富士山頂レーダ,セイコークォーツ,
ワープロ,依佐美送信所(最初の日欧の長波通信)
その他にも八木アンテナや新幹線などがある.
これらの受賞は非常に栄誉あることだと思うのだけれど,
全然話題になっていない.
電気関係のものとしては,残念至極である.

シャープの電卓が受賞した時には,
記念に金色の電卓が3000台発売されたのだけれど,
これもほとんど話題にならなかった.
(私はかなり欲しかったのだけれど...)
電気に関心をもつ人がもっと増えてくれればいいのに,
とつくづく思う.

さて,今回の東工大とTDKの受賞は,フェライト磁性材料の
発明とその工業化についてのものである.
東工大は,あまり知られていないけれどフェライトが発明された
大学である.
発明は加藤博士と武井博士によるもので,
その後TDKによって工業製品化されている.
1930~1945のことという.
以来,多くのモータ,リアクトルなどに使用されている.

確かに大学には,フェライト発明記念のコーナーが
あったような気がする.
東工大でさえ知らない学生も多いことだろうから,
こうした受賞を機に,大学や日本の電気工学に誇りをもつのも
良いことではないだろうか.

東工大の話ばかりをして,大阪大学はどうか,
と言われるかもしれない.
大阪大学もちゃんと受賞している.

2007年11月に,鉄道自動改札システムの開発に対して,
まず大阪大学と近鉄の研究に,
そしてオムロン,近鉄,阪急によるシステムの改善と実現に,
IEEE Milestoneが贈られている.
大阪大学については,白川功名誉教授の
研究業績によるものである.

そう,実は自動改札システムが初めて導入されたのは,
阪大生がよく利用している阪急北千里線なのである.
それは万博に向けて準備が進められていた1967年のことだという.
(私が生まれた年だから,41年も前のことだ)
このことを知らない阪大生も多いので,
ここで声を大にして言っておきたい.
阪急北千里駅の構内(改札を通って左側のところ)には,
ちゃんとマイルストーンの記念碑が置いてあるのである.

IMG_0612
こうした名誉ある受賞については,
もっともっと宣伝をすべきではないだろうか.
そうすれば電気工学に興味をもつ若者がもっと増えるかもしれない.
日本には世界に誇るべき技術が
たくさんあったことを知ってほしいのである.
(もちろん,今後もあり続けるように努力したい)

#日本の電気学会でも「でんきの礎」という顕彰を始めている.
こちらについてもいつかご紹介したいと思う.

2009年10月15日木曜日

すべてを開く鍵は見つかるか

ある講習会で伺った話.

最近の若い人は,ひとつの究極の原理さえ知れば,
すべてが理解できると考えている人が多い.
それを教えてくれという.

とのことである.
日々,若い人と触れ合う機会が多い私にとっても,
思い当たる節は多々ある.

やっぱり受験勉強のせいなのかな...
答えが予めあって,それに向かって
最短距離で進むことばかり練習していると,
そのような価値観が生まれるのかもしれない.

もしも,「この世の中は単純な原理で支配されている」
とするならば,なんてこの世界は理想的なのだろうと私も思う.
そうだったらいいのに,と思うこともある.
究極の原理さえあれば,この世の中のすべてが理解できるし,
そして絶え間なく私たちを苛む不安からも
解放されることができる.

でも実際はどうなのだろう?

もちろん,ある面からみれば,この世界はやはり単純な原理によって
支配されていると考えることができる.
物体は運動法則に支配され,電磁界はマクスウェルのたった4つの
方程式で記述されるのだ.
そうした考え方もひとつである.
究極の原理があるとしたら(アインシュタインも追い求めた),
物理学者が心に描く美しき世界に
それは存在するだろう.

しかし,それだって,
マクスウェルの4つの微分(あるいは積分)方程式だけでは,
やっぱりこの世の中は全然解けないのである.
複雑な境界条件が存在し,それがカオスを生み出す.
決して簡単に世界は私たちの前に姿を現さないのである.

当然,物理学の世界から離れたこの実世界では,
そんな究極の原理なんてあるわけがない.
しかし,まるでそれがあるように単純に信じることによって,
平安を求めようとする人が多くなっているような気がする.
それではうまくいかないことはわかりきっているのに.

そろそろそうしたことに目をそむけるのはやめて,
覚悟を決めたらどうかと思う.
複雑な世の中だと割り切ってしまえば,
それはそれで面白いと私は思っているのだけれど.

"すべてを開く鍵がみつかる
そんな日をさがしていたけど
なんて単純で馬鹿な俺”

(強い気持ち,強い愛 by 小沢健二)

2009年10月14日水曜日

パワエレ学会第180回定例研究会

今日は,パワーエレクトロニクス学会の
第180回定例研究会が開催された.
通例では,土曜日の開催なのだけれど,
今回は,関西電力殿の研究所で見学会も
あわせて開催するために,平日の開催となった.

しかし,参加者は50名以上と大変盛況であった.
関西電力の皆様のご尽力に心より感謝いたします.

さて,平日の開催ということもあって,
学会の参加者は企業の方が多かった.
やはり大学関係は,平日は講義などがあって,
都合が悪いということだろう.

しかし,この企業の参加が多いというところが,
パワーエレクトロニクス学会の特徴である.
関西はもともとパワーエレクトロニクス
技術関連の企業が強い.
そうした企業の情報交換の場として,
パワーエレクトロニクス学会は役割を
果たしているのだと思われる.
これは大変頼もしい.
ヨーロッパのように産学連携の場となる
学会に発展してくれればよいと心より願う.

そうした魅力ある学会となっていると思えばこそ,
私の苦労も少しは報われるのである...

2009年10月13日火曜日

17歳のモーツァルトは何を考えていたか

連休はまるまる家族とともに過ごし,
全く仕事をしなかった.かなりピンチな状況である.
また,メールも全然見なかったため,
今朝,メールソフトを開くのに心が重かった.
やっぱり休みでも少しの努力は必要である.
反省.

さて,今朝は渋滞の中,NHK FMを聴きながら
車を運転していた.
番組から流れてきたのはモーツァルト.
ブルーな気持ちの朝に光が与えられたようである.
少し気分が明るくなる.

まず,牛牛(ニュウニュウ)のピアノで,
「ママ,聴いてちょうだい」のテーマによる変奏曲.
曲は「キラキラ星変奏曲」として有名だけれど,
一応正しくは,上記の題名らしい.
これは「のだめ」のTV放送でも流れたので有名.
(というか,主題そのものが有名なのだけれど)
最近,これのオルガン演奏版を耳にする機会が
あって,それはまたそれで楽しい曲になっていた.
また,牛牛といえば,今(一部で)話題の子供の
ピアニストである.キーシンを上回る低年齢(現在12歳)で,
あちらこちらの大ホールで客演している.
今日聞いたこの曲の演奏の感想は...
正直よくわかりませんでした.
また聴く機会があれば,書きたいと思います.

続いて,「ピアノ協奏曲20番」.
名曲中の名曲なのだけれど,
途中のあの美しい緩徐楽章において,耳を澄ましていると
突然ラジオから,ドスンドスンというドラムと
ドリカムの歌が流れてきた.
隣をみると,大きなトラックが横付けに.
たぶんこのトラックの運転手がトランスミッタを使って,
FMラジオに別のプレーヤの音楽を流しているのだろう.
折角の聴きどころだったのに,もうがっかりする.
トランスミッタをいくら聴かないからといって,
NHK-FMの周波数に合わせなくたっていいのに!
渋滞なので,全然モーツァルトの音楽が流れてこない.
ようやく流れてきた頃には3楽章が始まるころだった.
電波公害,音公害というべきか.
なんとかならないものかな,と思う.

そして,次に流れてきたのは,「交響曲第25番」.
有名な話だけれど,モーツァルトは生涯に
短調の交響曲を2曲しか作曲していない.
(生涯,全部で41曲作曲している)
そのひとつがこの25番で,
もうひとつがあの「疾走する悲しみ」で有名な
(ちなみに小林秀雄の言葉と思っていたけれど,
別の人が先にこの言葉を使っていたよう)40番である.
どちらもト短調なので,25番は小ト短調交響曲などと
呼ばれる.
この曲は映画「アマデウス」の冒頭やCMに
使用されていたので,耳にしたことがある人も
多いだろうと思う.
(そういえばピアノ協奏曲20番第2楽章も使用されていた)
高音と低音が繰り返され,まるでなにかに急かされるように,
曲が次々と展開していく.
今日,曲の解説を聴いて驚いたのは,この曲は
なんとモーツァルト17歳のときに書かれたものだということ.
信じられない.まさに天才である.
(メンデルスゾーンも若書きだけれど)
なにを考えて生きていたんだか...
17歳の若者が書いた音楽に,41歳のオジサンが
心をここまで動かされてしまうのである.
はぁ,自分が17歳の時を思うと,なんとなにもないガキだったか.
まぁ,比べる相手が違うか...

と,25番をちょうど聴き終わったところで学校に到着.
なんとかブルーな気持ちも復活し,
1限の講義に向かったのである.

#「疾走する悲しみ」のところで小林秀雄の前に
先に言葉を使った人がいることで修正

2009年10月9日金曜日

カイロス神の歩みが早まる

あっという間に時間が過ぎていく.
今週も忙しかったせいか,時間の感覚がおかしい.
今日が金曜日であることが信じられない.
まるで坂道を転げ落ちるように,なにもかもが
加速しているような感じである.

大人になると時間が子供の頃よりも
速く過ぎる気がするのは,老化のせいなのかもしれない.
福岡伸一さんが,テレビで次のようなことを話されていた.

私たちは歳をとるにつれ,新陳代謝等の速度が
落ちていく.この新陳代謝の速度は自分の中の
内部時間の進み方である.
したがって,内部時間の進み方が遅くなっていけば,
現実の時間の進み方は相対的に
どんどん速く感じられるようになっていくのである.

この興味深い説によれば,
時間の進み方の加速度的な増加は,
自分の老化の度合いに反比例することになる.

もちろん,精神状態によっても時間の過ぎ方は
ずいぶんと変わるから(集中していると時間は速く過ぎる),
老化のせいばかりとは言えないけれど,
この福岡さんの説は腑に落ちるものなのである.

外部の時間をクロノス時間,
内部の時間をカイロス時間などと呼ぶ.
カイロスの神は,我々の老化にしたがって,
その歩みを早めるものらしい.

2009年10月7日水曜日

台風,瞬低,地下ケーブル

猛烈な台風が近づいており,
関西は戦々恐々としている.

不謹慎なことではあるけれど,
台風が近づくと多くの人がハイになるようだ.
現に,この研究室の学生も少しハイになっている.
「台風クラブ」ではないけれど,
台風がなにかのきっかけになることを
心のどこかで願っているからかもしれない.

しかし,現実には台風はいろいろな被害を及ぼす.
電気の観点からいえば,停電,瞬低がそれである.
(瞬低:瞬時電圧低下,短時間電圧が何割か低くなる)
伊瀬研究室では,電力品質のデータ収集の観点から
瞬低を測定している.
具体的には瞬低が発生した時刻の
電圧波形を測定するのである.
(イベントトリガーを用いる)

2004年は台風の当たり年だった.
測定データでも圧倒的に秋の瞬低の発生件数が多い.
私はその頃,茨木市に住んでいたが,
台風23号だったろうか,その台風が上陸したとき,
市街は本当に暴風で大変なことになっていた.
商店街では割れているショーウィンドウもあった.
何人かで何かが飛んで行こうとするのを
抑えている現場も見えた.
いろいろなものが飛んでいた.
映画「ツイスター」に似ていると思ったことを覚えている.
とはいえ,私は車のハンドルを風にとられないように
ヒヤヒヤしながら運転していたのだけれど.

瞬低は風でも発生するけれど,
圧倒的に雷が原因であることが多いようである.
それらを回避するためには,架空線をやめて
地下ケーブルを用いればよい.
そうすれば街の景色は一変するだろう.
事実,ヨーロッパではそのようにしているところが多い.

日本ではどうだろう.
やはりコストが高すぎて実現は遠いのだろうか.
これから電力品質がますます重要になるのであれば,
地下ケーブルの適用も真面目に考えてもよいのではないか.

2009年10月6日火曜日

運動会と中秋の名月

現在,私の腕は茶と白にくっきりと
色分けされている.
土曜日の運動会のためである.

金曜日の夜までずいぶんと雨がふったけれど,
土曜日の朝になるとぴたりとやんでいた.
運動会が開催されるかされないかの連絡は
6:30にあるということだったけど,
それではグラウンドの場所取りが間に合わないので,
6:00から学校の門に並ぶ.
当初の予定では7:00開門だから
1時間前ということになる.
グラウンドをみると水溜りだらけ.
とても開催できる状態ではなさそうだったけれど,
私の前にはすでに2名のお父さんが並んでいた.
お互い,「ご苦労様です」とあいさつする.
本当にご苦労様である.

6:30過ぎ,運動会は1時間遅れで10:00から
開催されるとの連絡があった.
7:00開門.
泥だらけのグラウンドを走って,なんとか場所をとる.
テーブルと椅子を広げる.
ようやく私の役割は済んだ.
一度家に帰り,9:30頃に学校に行くと,
グラウンドの水はけは思いのほか早く,
(先生方も砂をまいたりしたようだけれど)
運動会はやはり予定通り開かれたのだった.

私はビデオを片手に会場をあちらこちらと渡り歩く.
カメラをもつ右手がどんどん疲れていく.
しかし,子供たちの活躍を取り損ねては,
いったいどうなることかと恐れて
一生懸命に撮り続けた.

まぁ,子供たちの話は親バカになるのでやめにして,
今年は子供たちのダンスでマイケル・ジャクソンの
曲を使った出し物があった.
スリラーの曲に合わせてゾンビダンスをしている
5年生の子供たちを見ていて,
私の高校時代を思い出した.
あの頃やっぱりスリラーが大流行していて,
高校の体育祭(青陵祭という)でどこかの連合(グループ)が
踊っていたのだ.
私だって,授業の合間にはずかしながら
ムーンウォークの練習をしたものである.
(いまだにうまくできないけれど)

手を左右に振るダンスを見て,
あぁ,おんなじだ.と不思議な感慨を覚える.
20年以上たっても,あまり変わっていない.
高校時代から世の中はずいぶん様変わりしたけれど,
こんなところは一緒である.
なにかしら安心する.

運動会で一番のお楽しみ,お弁当を食べ,
(残念ながらビールはNG)
最後まで結局観戦していた.
陽射しは強く,腕はひりひりとしていた.
また疲労も重なりぐったりと家に帰った.

その夜は中秋の名月だった.
近年まれにみる美しい月の姿を楽しむことができた.
一日の疲れも吹き飛ぶ.
夜はビールとそばで舌鼓.
布団にとても幸せな気持ちでもぐりこんだのである.

2009年10月5日月曜日

直立する牛,くだん

座敷わらしで有名な旅館が全焼してしまったとの
ニュースを読んだ.
座敷わらしは出て行ってしまったのか.
伝説によれば,座敷わらしの去ったあとの家は,
だいたいさびれていってしまうことになっている.
その旅館の方々はそうでないことを祈ります.

さて,こうした座敷わらしの伝説というのは
全国あちらこちらにあるようで,
有名なのは,柳田国男が遠野物語で
紹介したものであるけれど,
私もこのブログで何度も言及している
怪談蒐集本「新耳袋」でも同様の話がいくつか
収録されている.

座敷わらしは,家にいるときはよいけれど,
いなくなったときのことを考えると,
むしろ最初からいない方がよいような気もする.
いや,やっぱりいた方がいいか...

最近読んだ「新耳袋」第9集で特に印象に残ったのは,
阪神大震災後に,六甲山麓の高速道路他で
出没情報が複数寄せられたという,
「赤い着物を着た直立した牛の群れ」の話である.
震災後に応援で送られた警備会社の警備員たちの
報告書の中に20件ほど含まれていたのだという.
六甲の山側で,高速道路などに霧がでて,
その霧の中に二本足で直立して,赤い着物を着た牛の群れ,
あるいは単体が目撃され,報告されている.

この「牛」というところがミソなのだ.
神戸近辺には,「くだん」と呼ばれる妖怪の話が伝わっている.
これが「件」すなわち,人と牛の妖怪とのことで,
その出現は,不吉なことがある前ぶれなどと言われている.
いかにも新耳袋の話に関係ありそうなのである.

ただ,新耳袋の作家二人はもちろんその道のプロだから,
そうした背景は重々承知で,この話を載せているのだろうけれど...
「神戸」と「くだん」.
この二つはずっと気になっている.

2009年10月2日金曜日

サンノゼ交通事情

少しずつ山積みの仕事を処理している.
私のレスポンスが遅いとお怒りの皆様,
もう少しお待ちください.徐々に動き出しております.

さて,もう帰国して一週間になろうとしているが,
サンノゼの出張について,覚書をもう少し.

サンノゼの街は,いわゆるシリコンバレーの一部である.
(というか中心である)
だからIntelやYahoo, Apple, Adobeなどの本社があり,
これまでのICT分野の中心であったことが実感される.
さらにスタンフォード大学などもあって,
この地域の研究熱,技術開発熱というものは
一時期すごいものであったろうと,容易に想像できる.
さすがに,最近はその勢いもずいぶん無くなったらしく,
あちらこちらに空き事務所,貸しビルの看板を見かけた.

こうしたHigh Educationalな環境においては,
自然,環境問題に住民の関心が高まるのも良く分かる.
またサンノゼはカリフォルニア州にあるので,
環境への政策も多く施行されているのだろう.

まずサンノゼで驚いたのは
(サンフランシスコでもそうなのだろうが),
自転車が非常に優遇されているということである.
サンフランシスコ国際空港から鉄道の乗り換えに使用した
BARTと呼ばれる鉄道には,自転車をそのまま持ち込む
ことができるように広いスペースがとってあり,
車両の壁には立て掛けるためのバーがあった.
ちゃんと,自転車優先スペースと書いてある.

次にサンノゼに行くために乗り換えたCALTRAINでは,
自転車用車両というものがあって,
自転車のホルダ(自転車をそのまま立ててフックできる)の
スペースがあった.
本当に乗客はヘルメットをつけたまま,
プラットホームから自転車をそのまま持ち込んで,
そのホルダにフックしている.
途中,あまりの自転車の多さにホルダは一杯になってしまったが,
その場合は,折りたたみ自転車の人は自転車を折りたたんで,
バッゲージスペースに置くようにしていた.
(折りたたみ自転車も本当に数多く見かけた)

サンノゼ市街のバスでも自転車を乗せることができる.
運転席の前方,バスの正面に(もちろんバスの外側)
自転車を取り付けることができるホルダがあって,
そこに設置して移動する.
そうした状態で走っているバスを見かけた.

とにかく自転車が市民の有力な移動手段のひとつとなっている.
もともとカリフォルニアの健康志向が強い環境もあるだろうし,
雨が少ない天候も自転車がもてはやされる理由のひとつであるだろう.
(移動中の機内でみた"The Soloist"の主人公,L. A. タイムスの
記者も,ロスで自転車に乗っていて,交通事故に遭うところから
話が始まっている)
日本においても,ツーキニストなどといわれ,
近年自転車が広く普及しているが,社会インフラの整備がそれに
追いついていない.
自転車が多い大阪市などは,視察団をサンノゼに送り,
そうした自転車を優遇するインフラの導入を検討してはどうかと思う.

その他,サンノゼの交通事情としては,
日本車をとにかく多く見かけたことが印象に残っている.
トヨタ,ホンダ,三菱など,まるで日本の光景と言われても
そう思ってしまうように,日本車がホテルの駐車場に並んでいた.
価格はそれほど安くないけれど,リセール率も高いらしく,
やはり故障が少なく,燃費のよい日本車の人気が高いのだという.

そういえば,ホテルの近くの十字路で,
テスラモーター社のロードスターを見かけた.
私の脇を走り過ぎていったのだけれど,
確かに静かで,キーンというインバータと思われる音を残していった.
さすがサンノゼ.
日本とは違う.また,ロードスターが街によく似合う.

サンノゼという街はシリコンバレーにあって,
ひとつのシンボル的な役割を果たしているように見える.
我々の未来はこうあるべきだ,ということを示す役割を.

日本でこのような都市が生まれるだろうか?

#ちなみにCALTRAINはやっぱり時刻表通りに走っていなかった.
10分くらいの遅れでは,乗客は怒りもしない.


2009年10月1日木曜日

サンノゼ出張の機内で映画を8本観た

映画を観るのは大好きなのだけれど,
最近はめっきり映画館に足を運ぶことが
少なくなった私.
DVDを借りてきて観る時間もなく,
学生時代は月に1~2本は観ていた
映画も今では一年に5本程度.
それも映画館ではなく,
ほとんどが海外出張の飛行機の中である.

先週のアメリカ,サンノゼへの出張の
往復の機内でも,映画を何本か観た.
昨年のギリシャ出張の際に利用したエミレーツ航空では,
オンデマンドで目の前のディスプレイで映画を観ることが
できたのだけれど,今回のユナイテッド航空では,
昔ながらのブロードキャスト式.
すなわちディスプレイに放映される映画を,
こちらが時間をあわせてみなければならなかった.
(ファーストクラスやビジネスクラスなどでは
オンデマンドで観れたかもしれないが)

往きの機内では眠たさもあって,
観た映画3本すべてが中途半端,すなわち
最初の方を少し見逃してしまった.
とりあえず観たのは,次の通り.

"TERMINATOR SALVATION"(ターミネーター4)
これこそ半分くらいからしか観ていない.
最後の種明かしに至る伏線を全然理解していないので,
面白さ激減だった.しかし,もうネタばれしたので,
もう一度観る機会はないだろうなぁ,と思う.
ということで評価不可.

"Angels & Demons"(ダヴィンチコード2)
9割方は観ることができた.
しかし1作目も観ていないので,内容にいまいち興味がわかない.
映画としても,人物の掘り下げが浅く,結局イマイチな印象.

"The Proposal"
サンドラ・ブロック主演のラブコメディー.
就労ビザのために部下と偽装結婚をするはめになった
やり手の女性編集者.
しかし,いろいろな出来事を乗り越えていくたびに,
二人は本物の恋人同士になっていくという
アメリカにありがちなハッピーな物語.
しかし,3割程度しか観ていない.
しかし,これが一番面白そうだった.
残念ながらアメリカに到着してしまい,見逃すことに.
これを一番初めに観ればよかった...

一方,復路は往路の失敗を繰り返さないよう,
11時間40分の飛行時間を一睡もせずずっと映画を観ていた.
結局5回観た.最後の方は,頭痛がひどくなった.

"STAR TREK"
これが一番面白かった.
実は,最初に一回見て,最後にもう一回見直した.
それほど良かった.疲れていた頭に最高の映画である.
科学考証的には突っ込みどころ満載なのだけれど,
とにかくエンターテイメントに徹していたし,
コバヤシマルテストなど,トレッカーにも十分楽しめる
エピソードもちりばめられている.
まずはカークを演じる俳優が大変魅力的.
スポックやマッコイ,スコットなどの俳優も非常に素敵で,
その後を演じた俳優と比較しても見劣りがしない.
スールーを演じたのは,韓国の俳優で,
確かアメリカのTVドラマか映画で主演をしていた人だったと思う.
なかなか東洋人のおかしみを出していてよかった.
しかし,この映画は若き日のカークやスポックの姿を
描いているのだけれど,基本的にはその後に続く
ストーリーとは異世界,パラレルワールドの話になっている.
今後,スタートレックの映画が作られる時には,
一体どちらのストーリーに準拠していくのだろうと
ちょっと考えてしまう.
採点は星4つ(5つが最高点).

"The Soloist"(路上のソリスト)
これは結構重い映画だった.
ジュリアード音楽院にまで入学した
才能に恵まれた黒人チェリスト.
いまではその精神的な問題なために,
路上生活を強いられている.
その彼は,たまたまロスアンジェルスタイムスの記者と
知り合いになって,コラムで紹介される.
その記事は大変な話題を呼び,
彼は本物のチェロを手にし,再び音楽を奏で始める.
記事は多くの市民の心を動かし,市長は路上生活者の
救済策を提案する.
そしてその記者は賞まで受賞し,
路上のチェリストを救おうとするのだが...
***
観ようによっては,路上で生活する不遇な音楽家の
また新たな生活の始まりを描いた映画ともいえるけれど,
私にとっては,その記者の行動(時に自己満足的で,
功利的で,感情的となる)に感情移入してしまい,
ひどく疲れる映画だった.
記者の嫌な性格に自分が投影されているようで,
楽しんで観ることなどできなかったのである.
ベートーベンの音楽があちらこちらで流れるのだけれど,
それらも全然楽しめなかった.
かなりへヴィな映画だった.
採点は星3つ.
映画としては良くできていると思うけれど.


"The Hungover"
とにかく笑えるコメディー.
友人の結婚前のバチェラーパーティーのために
4人の仲間がラスベガスに旅行する.
最高級ホテルのスイーツに部屋をとった4人は
街に繰り出した.
しかし,翌朝起きてみると,結婚前の友人の姿は見えず,
スイーツの中はグチャグチャ.
ニワトリが歩き回っているし,浴場にいけば
なんと本物のトラがいる.
友人を探しに街へ出かけようとすると,
乗ってきたベンツはいつのまにかパトカーにかわっている.
しかし,残された3人はひどい二日酔いで,
昨晩になにか起こったのか全く覚えていないのである.
残された手がかりをもとに,
消えた花婿をさがしにいくというストーリー.
***
アメリカでも興行収入1位になっただけのことはある
とにかくバカバカしくて笑える映画.
飛行機では,女性がとなりの席に座っていたのだけれど
私は笑いをこらえることのできず,
身体をひくひくさせていたので,
ずいぶんと気味悪がったに違いない....
バカバカしさの中に男の友情も感じられて,
これは間違いなく人におススメできる映画である.
採点は星4.5つ.
スタートレックよりも高い得点だけれど,
2度観ようとはあまり思わなかったので...

"Imagine That"
エディ・マーフィー主演のハートウォーミングな映画.
金融コンサルタントのエディ演ずる主人公は,
家庭よりもなによりも仕事を優先するエリート.
7歳になる娘と過ごす時間もほとんどない.
しかし,エディはライバルに敗れ,仕事に失敗してしまい,
自信を喪失するのだけれど,娘の想像する
ファンタジーの世界から思わぬヒントを受けることになり,
仕事はまた成功の一途へ.
娘との信頼関係も築かれようとしていたのだけれど...
***
仕事優先のパパというありがちな設定だけれど,
今の私には耳が痛いストーリーだった.
結局,家族を優先することになるのだけれど,
私だったら子供との信頼関係を取り戻すことができるだろうか?
そんなことを考えていたので,あまり笑うこともなく,
観終えてしまった.
分かり切った結末だけれど,それでも
最後は胸が熱くなる,そんな家族向けの良い映画だった.
採点は星3つ.
日本では公開しないのかな.
最近日本ではエディ・マーフィーの映画って
公開されていなような気がする.
サンノゼでもテレビでエディが主演している
知らない映画を放送していた.
エディそっくりのロボット(実は宇宙船?)の中に,人間そっくりの
小人宇宙人が乗っていて,それが街にやってきて,
いろいろな騒動を起こすというもの.
"Meet Dave"というタイトルだったかな.
少なくとも日本では話題にならなかったような気がする.
私はこのテレビ放送を見なかったけれど...
(テレビといえば,以前NHKで放映されていた
「チャームド魔女3姉妹」(だったかな?)が毎朝2話ほど
放送されていて,それはサンノゼのホテルで観ていた)

以上,機内で観た映画の感想のまとめである.
これだけ観ると日本についたときはさすがにフラフラだった.
しかし,次に映画を観ることができる機会はいつになるかわからない.
そう思うと,今回の9hr 40min + 11hr 40min = 21hrs 20minの
フライトもそれほど苦にならないものである.

2009年9月30日水曜日

JCO臨界事故に思うこと(1)

先週土曜日の夜に帰国した.
いろいろと忙しく,ブログを書く余裕がなかった.
サンノゼの交通事情や,往復の飛行機の中で観た
映画の話など,いろいろ記録にとどめておきたいことも
あるけれど,今日は別の話.
10年前のことだけれど,記憶が残っているうちに,
少しずつこの話を書き留めておこうと思う.

10年前の今日,東海村の株式会社JCOの
核燃料加工施設において臨界事故が発生した.
いま,この事故について学生に聞いても知っている人は稀である.
しかし,私はそのとき,JCOの隣の建物にいた.
(隣といっても何kmも離れていたのだけれど)

その日のことはよく覚えている.
当時私は,日本原子力研究所 那珂研究所に
勤務していた.
職場のテレビは昼休み,
いつも13:00のNHKのニュースを
見てから消されることになっていた.
そのニュースで,茨城県の東海村のJCOという
会社の核燃料施設で事故が発生し,
作業員が病院に運ばれたとの情報が流れた.
その作業員は「青い光を見た」といったという.

私はこのニュースを聴いて,上司に
「青い光って,まさかチェレンコフ光じゃぁ,ないでしょうね.
けど,青色が出る炎色反応って,なんなんでしょう?」
と言ったことを今でも忘れない.
事実は,本当に臨界反応が起きて,
チェレンコフ光が発生したのであった.

しかし,私はこれが大きな事件になることなど,
予想もせず,まずはJCOという会社がどこにあるのか,
ネットで調べた.
そしてなんと,JCOは隣の敷地に建っているということが
明らかになったのである.

事故発生は11:00頃.
12:30には東海村が避難の案内を始めていたというから,
私は全然知らずにいたことになる.
またJCOと研究所の間にはグラウンドがあって,
多くの職員がサッカーなどを楽しんでいた.
彼らもまったくその事実を知らなかった.

しかし,私がいた職場も一種の原子力施設である.
核融合の研究所だったので,放射能レベルは大変低く,
日頃は実験装置の内部に入ろうとしない限り
放射能の危険など考えもしないようなレベルであったけれど,
それでも万が一のことを考えて,放射能のセンサは
研究所の敷地に設置してあり,高いレベルの放射能が
検出された場合には警報が発せられるはずである.
それが鳴っていない.
実際は,私たちの研究所においては,
放射能のレベルとしては低いものだったのである.
(もちろん,事故現場にいた方々は多大な被ばくを
されたわけだが)

だから私は安心して,そのまま仕事を続けた.
ただつけっぱなしにされたテレビからは
ショッキングなニュースが次々と流されていた.
そのうち,JCOの設備の建屋の屋根が爆発で
吹き飛んだ,などという情報もテレビで流された.
それを聞いて私などは,JCOの建屋を見に
廊下に出て行ったものである.
実際にはそんな事実は全くなかった.

当日は木曜日だったと思うのだけれど,
そのまま水戸に合気道の稽古に行ったことも覚えている.
テレビで流される情報と現場との
あまりの違いの大きさにあきれていた.
そしてメディアのいいかげんさと横暴ぶりにも.

このときのメディアの対応については,
いろいろ腹の立つことも多く,考えることもある.
それも近いうちにまとめたい.
とにかく,それ以降,ますます私は
テレビや新聞を疑うようになってしまった.
その後起こった風評被害を起こした犯人のひとりは
間違いなくメディアなのだと私は思っている.
そうした話はまた機会をあらためて.

今日はこのくらいにしておきます.



2009年9月25日金曜日

サンノゼにおける蹉跌

本日,国際会議ECCE2009における
私の発表があった.
Oralだったので,英語で
20分間の発表と5分間の質疑応答を行う.

昨年は発表に失敗した(と思っている)ので,
今年こそと心に決めていたのだけれど,
結果は今年もあんまりぱっとしない感じ.
コメントが2件あったのはいいのだけれど,
あまり技術的なことは尋ねられなかった.
もっと発表を工夫した方が良かったか?
それとも英語能力が足りないのか?
たぶんどちらもそのとおりなのだろう.

確かにスラスラと英語が出てくるという
能力があったら大変素晴らしいと思うけれど,
研究発表は,発表の流暢さよりも
その中身だと思っている.
基本的には,発表のロジックさえちゃんとしていれば,
理解してもらえるはずである.
たとえそれが中学生英語で話されていたとしても.
(もちろんそんな英語を話していると恥ずかしいけど)

そのロジックの組み立て方に,
研究者としてのセンスが表れるのだと思う.
私にはそのセンスが足りないのだろうか.
なんかすごく傷ついた.
帰国したら反省会をひとり開こう.
次のステップを踏み出すには,
まず現状の問題の把握である.
ハァ...(ため息)
昨年は"オイストラフの哲学"とか言っていたけれど,
今年はもうちょっと自分に対する分析をしてみよう.
まずは休息が必要だけれど.

#ECCE2009で,東京工業大学名誉教授の
深尾正先生の,"IEEE William E. Newell Power
Electronics Award"の授賞式が行われた.
私が学生だったころ,先生には電気機器を教わった.
まぁ,博士論文の審査も行っていただいたけれど,
卒業してからも,いろいろな機会にためになるお話を
聞かせていただいている.
深尾先生は,研究にはストーリーが必要だと
おっしゃっている.
その教えは,今もずっと大切にしている(つもりです).

2009年9月23日水曜日

ANGUS THIRD POUNDER

サンノゼに到着したその夕方には,
国際会議ECCE2009のReceptionがあった.
一応顔を出す.
といっても,One Drinkのチケットしかないので,
ビールを一本飲んで,いくつかのつまみと
プリッツを食べて退散する.

因みにビールはSamuel Adams.
村上春樹の「やがて悲しき哀しき外国語」だったろうか.
アメリカでバドワイザーとかを飲むと,
ちょっと格下に見られるというような話が出ていて,
(プリンストンでのスノッビズムの話題だったと思う)
いつか飲んでみたかったのである.
味は...バドワイザーよりは味が濃いというくらいにしか
違いがわからなかったけど.

さて,会場をあとにすると急激にお腹がすいてきた.
やはりビールは食欲を刺激するらしい.
会場のつまみくらいでは空腹を満たせない.
なにかガッツリと肉系が食べたくなって,
近くのマクドナルドへ出かける.
日本のマクドナルドでは,確か現在,
日本でしか食べられらないメニューがCMで
盛んに宣伝されていたと思うのだけれど,
アメリカでしか食べられないメニューを
お目当てに行ったのである.

そこで見つけたのが
"Angus Third Pounder."

Angusというのは,あとで調べてみると
牛の種類らしい.
Third Pounderという位なので,
やはり大きい.
それを見て満足して,ベーコンが挟まっている
種類を選ぶ.
そのほかには,デラックスという野菜一杯のものや
スイスチーズが挟まったものがあった.
7ドルくらいで持ち帰る.
もちろん飲み物は,日本で言うところの
ラージサイズである.
ポテトにケチャップもつけてもらった.

ホテルの部屋でゆっくりと食べる.
正直,とびきりうまいという印象はなかったが
(まぁ,所詮はマクドナルドなので)
ボリューム的には十分満足のいくものであった.
しかし,アメリカ人は本当にこんなものを
普通の人が食べることができるのかと思う.
やはり量が違う.
食べるにも体力だ.
日本人はやはりアメリカ人に体力負けしてしまいそう.
こうした食文化の違いから,いろんなところで
差がつくのだろうと,なにかしみじみ実感した.

このときはさすがにビールは控えた.
フライトで睡眠不足だったのである.
(機内では4時間くらいは寝たのだけれど)
腹の皮つっぱれば,まぶたが重くなる,
の言葉の通り,シャワーのあとに
ベッドにもぐりこんで,ゆっくり9時間は寝たのである.