2009年1月21日水曜日

Changeがなければ

昨晩深夜には,とうとうオバマ氏が大統領に就任した.
その就任式のテレビ中継を
私も眠い目をこすりながら見ていた.
たぶんこれは歴史的な瞬間だったのだろう.
その意味については,よくわかっていない私が
いま述べることはないし,今後もずっと世界の
話題となりつづけていくのだろう.

ところで私は,その番組を見て,
全世界で一体どれだけの人が,
このアメリカ大統領の就任式の
この生中継を見ているのだろう,と考えていた.

そもそもなぜ生中継で見る必要があるのだろうか.
(私のように眠気と闘いながら見る必要はあるのだろうか)
この歴史的瞬間をライブで見ることに
どんな意味があるのだろうか,と思っていた.

答えはいまだよくわからないが,
たぶん何が起こるかわからない,ということが
人間にとって非常に魅力的なのだから,ということは
言えるのだと思う.

ライブというものはなにが起こるかわからない.
たとえプログラム通り進行されるとしても,
予期せぬ出来事が発生する可能性がゼロではない.
そうした可能性が私たちをひきつけるのだろう.

例えば,就任式の録画を見るとする.
就任式はとどこおりなく終了していることは,
録画を見る時点でわかってしまっている.
たとえニュースを見なくても,世間が騒いでいなければ,
式の無事の終了を察知することができるのだ.
"どんな素晴らしいことを言うのだろうか?"
"とんでもないことを言うのではないか?"
そうした期待は霧散し,
このとき,就任式の魅力は半減する.

もっとわかりやすい例をあげれば,
サッカーや野球の試合中継.
結果がわかってから,試合の録画を見るのでは,
その魅力は半減どころか,1/10以下になり,
たぶんビデオだったら早送りしてしまうだろう.

人間は結果を知っていることについては,
あからさまに興味を失ってしまう.
これは,私たちの周りの日常生活においても同じである.
人間は,常に何が起こるかわからない可能性がなければ,
(その可能性はたとえ小さいにしても)
この毎日に耐えることができないのではないかと思う.

たとえ毎日をルーティーンのように過ごしていても,
なにかが起こる可能性はどこかにある.
またその可能性を大きくするための努力を
私たちは行うことができる.
その可能性があるからこそ,
なんとか毎日を過ごしていけるのだと思う.

つまりは,人間は何かが起こること,
変化が生じることを信じていなければ,
前向きに生きていくことはできない.
だから"Change"というオバマ氏の言葉に,
みな心を動かされたのだろう.

そんなことを考えながら,
大統領就任演説の途中で
私は眠りに落ちてしまったのである.



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