2009年2月20日金曜日

講義の反省

ようやく私が担当している分の期末試験や
レポートの採点が終了した.
今期は5つの講義,演習にまたがって採点している.
(複数の教員で担当している講義も含む)

採点の結果,今回はずいぶんとメゲた.
全然思ったような平均点になっていない.
悲しいかな,大きく下回っているのである.
採点を進めるにつれ,つらくなってくる.
この項目もあの項目も,
学生たちには伝わっていなかったのかと
がっかりしてしまう.

昨年度と大きく講義内容を変えているわけではない.
多少内容の変更(だいたいは改善と思って
行っているのだけれど)はあるけれど,
講義している項目は変わらないのだから,
そうそう大きく変わりようもない.
教え方は少しずつでも改善していると
思っていたのだが...
どうも年々平均点が下がっているようである.

私の講義に至らないところが多々あるのは認めよう.
しかし,それでも教科書をちょっと読めば
理解できるような基本的な知識でさえ,
身についていないのはどういうことだろう.
本気で勉強していないという証拠ではないだろうか.
そして答案用紙に「発電気」の文字を
見つけたときには,涙がでそうになった.

それなりに勉強したと思われる人は
答案をみればすぐにわかる.
要はやったか,やらないかということなのだ.

これまで講義は,集まった学生たちは,
基本的に勉強しようとする
モチベーションをもっている集合であるということを
前提に行ってきた.
しかし,現在はそうとも言い切れないらしい.
まずは,勉強しようという気を起こさせるようなところから
講義を組み立てていかなければならないようである.

私の学生時代には,講義室に先生が入ってこられても,
学生の方には向き合わず,
手にノートを持ちながら,ずっと黒板に向かって
数式を書き続けて,それで終わるような講義もしばしば見受けられた.
それでも学生たちは一生懸命板書をノートに写し,
勉強したものである.
それにくらべ現在は,たいへん教員たちが
努力していると思うのだが...

いや,こうした過剰な努力が学生たちのやる気を
逆にそいでいる可能性もあるのかもしれない.
教員がサービス業であってはならないのだ.
意外に学生たちを突き放した講義,
そうしたものの方が良いかもしれない.
(いや,そんなことをいったら
学生たちは講義を選んでくれないだろうなぁ)

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