2009年2月28日土曜日

約束を守ること

人との約束を守る.
これは人として最低限のルールである.
しかし,原稿の締め切りなど,
時として(どうにもならず)守れないこともある.
そのときには,そのことによって与えてしまった
多大な迷惑について謝るしかないのだけれど,
謝るのは,他人に対してだけでよいのだろうかと
少し考えた.

約束というのは,他人とばかり結ぶものではない.
むしろ自分に対しての約束の方が多いのではないだろうか.
たとえば,朝早起きをする,とか,
ダイエットをする,とか,
こうした決心は,実は自分自身との約束である.

そして残念ながら自分との約束は
往々にして破られることが多い.
先にあげた決心も,三日坊主となることを
しばしば経験している.

人との約束を破ることによって
私たちは信頼を失ってしまう.
約束を破り続けたら,
たぶん誰も私と約束を結んでくれないだろう.

では自分との約束を破ることによって
何が失われるだろうか.
やはりそれは自分に対する信頼である.
決心を覆すたびに,
自分自身に対する信頼をなくしてしまうのである.

自分との約束を破り続けてきた結果,
現在の自分への信頼が失われてしまったのだ.
だから,ダイエットをする,と決心しても,
心のどこかで「また失敗する」と思ってしまっている.
結局,私自身とも本当の約束を結ばなくなってしまうのである.
現在の自分に対する評価は,
こうした積み重ねによって定まっている.

では,信頼を取り戻すためにはどうすればよいか.
仕事術の名著 "Getting Things Done"には
以下のように書かれている.

1. 約束を守る
2. 約束をしない
3. 約束を変更する

1.ができれば問題はない.
だが,できるものは実行するのが当然だ.
もう一度,その約束の重さを考えてみよう.

2. も実は重要だ.
つまりはできない約束はしないということである.
これも他人の信頼を得るために不可欠なことである.
自分に対する約束について考えてみると,
少し自分に甘くなりそうな気がする.
しかし,それでも自分を裏切ることよりは
ましなような気がする.
少なくとも約束を守らなければならない,という
ストレスと,果たせなかったという罪悪感からは
解放される.

結局,実際的には3.ということになるが,
約束の変更が繰り返されれは
それは約束ではなくなってしまう.
実行がなければ,約束をする意味がない.
しかし,相手の了解が得られれば,
自分もストレスから解放される.
これは約束を軽く見なすことを意味するのではなく,
むしろ約束をすることの意味を
深く見直すことに他ならない.

自分に対する約束も
他人との約束同様に守るようにしたい.
そう思ったのである.

(ということで,いろいろな締め切りに原稿が間に合うように頑張ります)


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