2009年3月31日火曜日

小論文試験について~(3) 魅力ある主張を書こう ~

小論文試験の話,続きます.

論文は構成が大切だということを話してきた.
では,どのように構成を組み立てるか,ということになる.

では,お題が例えば,

「豊かさとは何か」

ということであったとしよう.時間は60分.
分量は原稿用紙3枚.1200字とする.

さて,まずは主題を決めよう.
なにをこの小論文で主張したいのか.
それを決めなくてはならない.

たとえば,
「物質にあふれたこの時代,
心の豊かさこそが本当の豊かさである」とか,

「日本は豊かであるとは言われているけれど,
本当にそうだろうか.ブータンなどの国民の方が,
よほど幸せそうに見える」

などという主張である.
しかし,こんな話は全然面白くない.
私だったら採用は不可である.
なんて誰でも考えそうなことを書くのだ,と思うからである.

もしあなたが複数の学生とグループ面接をしているとする.
その学生がみな同じような意見を答えたら,
あなたはどう思うだろうか.
なんと工夫のない学生たちなのだろうか,と思わないだろうか.

私も学生のレポートを読む機会があるが,
みな似たり寄ったりの意見,
特にどこかのサイトのコピペで埋められた文章を読んでいると
吐き気がするほどである.

小論文は,相手を説得することが大切で,
その内容はそれほど重要ではない,と書いたけれど,
それなりに工夫は必要なのである.

では,私だったらどのような主張にするか...
偉そうなことを書いてきたわりに,
大したことが書けないのだけれど,
まぁ,書くとしたら

「豊かさとは可処分所得の大きさである」

くらいかな.ずばりストレート(笑).
でも,こんなことを言う人は少ないと思っているのだけれど...
(ちょっと,狙いすぎかも)

あるいは,これがインフラ系の会社の試験だったら,

「豊かさとは,その重要性に気付かないことである」

と書くのもいいと思う.
電力やガスは普及していて,供給されるのが
当たり前と思っているけれど,
そこまで「普通」になるということが,
「豊かさの尺度」になるのである...なんて感じで意見を進める.
そんな程度かな.
(ちょっと大風呂敷を広げたわりに,
先細って申し訳ありません...)

とにかく人と同じこと,陳腐なこと,というのは
避けるべきである.
なんといっても,試験官に興味を持って
読んでもらうようなものにすべきなのだから,
相手が「またか」などと思うことは
書かない方が得策である.

さて,小論文の話ばかり続いたので,
この件については,ちょっとお休み.
あと1回くらい,小論文のことを書こうかとは思いますが,
私も疲れてきたので,
また,いつか.






2009年3月30日月曜日

小論文試験について~(2) 構成が大切 ~

小論文のお話のつづき.
ここに書いていることは,
あくまでも私個人の所見です.
責任はとれませんので,あしからず...

さて,小論文試験を課する目的で
最も一般的なものは,
「論理的な思考能力,文章を書く能力を知る」
ということである,と前回書いた.

どうせ明確な答えなど無いテーマについて
書かされるのだから,小論文は,
いかに読者を納得させるか,ということが
ポイントになる.

私の考えでは,そこに巧いレトリックの技術などは
不要である(あった方が良いとは思うけれど).
それよりは,文章の構成こそが決め手であると思う.
そして,読者を納得させることが目的である文章の
最たるものが学術論文である.
仮説や提案する手法について,
反論ができないように水も漏らさず説明する.
それができなければ,研究成果は論文誌に掲載されない.

学術論文はとにかく構成が大切である.
そして(だからこそ),どの(理工学系の)論文も
その構成はほとんど同じである.
つまり,「序論」,「本論」,「結論」である.
よく小説にありがちな「起承転結」は不要である.
「転」において,読者がどこに連れていかれるのか,
不安になるような展開はいらない.
定型の展開こそが,読者を安心させる.

その意味で,「結論先行主義」というのは
非常に役に立つ.
これは,自分の意見を述べる際に,
まず「結論」を明らかにし,続いてその理由を述べる
テクニックである.

論文全体の構成に当てはめると,
「序論」においてまず「結論」を述べてしまう.
続いて,なぜその結論に至ったかの根拠,理由を
順序良く並べていくのである.
そして,最後にも「結論」を再び述べて,
自分の主張に念を押す.
こうすることによって,読者は最後まで読まなければ
著者の主張がわからないというようなフラストレーションから
解放されることになるし,
文章を書く側にとっても,文章の構造を組み立てやすい.

この「結論先行主義」というのは,
文章全体の構造だけに当てはまるのではない.
各パラグラフ(段落)においても,
同様のテクニックが有効である.
一般に,各パラグラフの最初の文章と最後の文章は
重要であって,そこにそのパラグラフで著者が
述べたいことを置く.
そうすることによって,読者はより理解しやすく,
より強く印象を受けることになる.

このテクニックを多用しているのが新聞記事である.
段落最初の文章に,5W1Hなどの主要な情報を載せている.
私もこのことを強く意識するようになったのは,
英文論文の書き方の関する本を読むようになってからである.

欧米の大学では,「文章の書き方」という講義がある.
これがなかなか有用であるのだけれど,日本の大学では
こうした講義を設けているのは数少ない.
たまに学会で特別レクチャーとして組み入れられることがあるけれど.
そうした講義においては,この段落の始めと終わりの文章の
重要性を強調している.
あとはその文章の説明を構造的に並べていけばよい.

「構造的に」という言葉は,私の前の職場の上司から
繰り返し指導された言葉である.
やはり就職して最初の頃は,それが日本語の報告書であっても,
その上司から真っ赤に(朱色訂正の文字がびっしりに)添削されて
よく返されてきたものである.
その際には,よく「プログラムを書くように構造的に書け」と言われた.
現在それができているかどうかは別にして,
ずいぶんと理解できるようになってきた.
構造的に優れた文章は,読者の理解を妨げず,
すらすらと内容が頭に入ってくるような気がする.

英語で論文を書くときなどは,私のつたない英語力では
とても気のきいた文章を書くことなどには及ばないから,
とにかくしっかりとした論理構成を心掛けるようにしている
文章が単純であっても構成さえしっかりしていれば
読者は理解してくれるのである.
まずはひとつひとつの文章の巧さよりも
全体の構成を大事にしよう.

ここまで説明してきても,
やっぱり小論文を書くのに適しているのは,
日頃,大学で実験レポートを書いたり,
英文論文を読んでいる理工系の学生ではないかと,
私は思うのである.

ただ,こんな偉そうなことを言っても,
このブログを見れば私の実力の無さは明らかである.
残念ながら,私も修行中の身である.
それは,ご容赦願いたい.

でもでも,小論文の書き方については,まだ続きます.





2009年3月27日金曜日

小論文試験について~(1) 試験の目的 ~

昨日,現在就職活動に忙しい学生と,
小論文の書き方に関する話をしていた.
やっぱり小論文は苦手との話である.
そうだよなぁ,だから理工系にいるんだものなぁ...

と,悩むことなかれ.
私は優秀な理工系の学生ほど,小論文は書けるのではないか,
と思っているのである.
なぜならば,小論文は小説ではないのだ.
人を感動させる必要はない.
では,小論文は何が目的なのだろう?

就職試験で小論文が課されるのだから,
なにかを評価することが目的である.
それは何なのだろう?

最近は,就職試験の参考書もたくさん出版されていて,
「小論文の書き方」なんて本も当然のようにある.
中身を見ると,各企業,いろいろなテーマを設定しているようである.

例えば,

「本当の豊かさとはなにか」

というテーマで1200文字の分量の小論文を
1時間程度で書くという課題があったとする.
まず,わかることは,このテーマに明確な解答は無いということである.
当然,人それぞれ,「豊かさ」の定義が異なるから,
どれが正しい,ということではない(どれも正しいかも).
すなわち,小論文を読んで評価する人事の人は,
数学の試験のように解答に丸をつけているのではないはずである.

では,人事の人たちは,君たちの「豊かさ」に対する
崇高なご意見を聞くために小論文を課すのだろうか?
Aさんは,こういう意見で,Bさんは,こういう思考をもっていて...
などとひとりひとり判断してるのだろうか?
そして,それによって採点に差をつけているのだろうか?

私はそうではないと思う.
なぜならば試験を受けた数日後には,合否の連絡があるという.
その数日の間に,受験者のそれぞれの意見を
そんな風にして評価する時間があるのだろうか?
そもそも解答のないテーマに関する論文の内容そのものに
評価で差をつけることができるだろうか?

私が思う小論文試験の目的とは,思いつくままにあげてみると,

1.思想的な偏向がないことを知る
2. 論理的な思考能力,文章を書く能力を知る
3.特別ユニークな考え方をする受験者をピックアップする
4. 性格的に問題がある人を落とすための口実にする

くらいなものだと思う.
1.は,その企業の利益に反するような思想を持っているかどうかを
判断する.たとえば,原子力関係の会社で,原子力反対派というのは
採用されにくいだろう.

2. が,一般的な受験者にとって最も重要なポイントであると思う.
これについては,後述.

3.は,ある企業ではユニークな人材を取りたいと思っていたとする.
マークシート試験などでは,そうした人材を見つけるのは難しい.
したがって,そうした目的のためには,小論文試験はふさわしい.
ただし,2.の項目ができての話である.

4.は,企業としては断る口実をつくる必要がある.
成績は優秀でも,やはり性格的に問題がある受験者はいると思う.
そうした受験者を落とすためには,こうした評価方法が不明瞭な
試験というのは,口実作りに良いことになる.

と,ちょっと嫌な話になってしまったけれど,
基本的には,「2. 論理的な思考能力,文章を書く能力を知る」ことが
目的なのだと思う.
答えがない問題については,
自分の出した解答が正しいとは言い切れない.
では,何が大切か?
それは,「相手を説得できる」ということである.
答えの正しさが重要ではない(本質的な誤りはまずいが).
要は,自分の考えを論理的に説明し,
その根拠,理由を明らかにし,
相手を説得できるか,ということなのである.

そこには小説のような感動は不要である.
いかに水も漏らさぬような論理展開をして,
自分の考えを相手に納得させるか,
という能力が必要なのである.

まずはそれが目的であることを忘れないようにしよう.
書いてある内容の崇高さなどはどうでもいい.
またレトリックのうまさなどは必要ない.
相手を納得させるための戦略こそが重要だ.

優秀な理工系の学生であれば,
実験レポートや論文などで,
こうした論理展開は得意なはずである.
だからこそ,小論文は理工系の学生にとって
難しいものではない,と私は思うのである.

具体的にどのように書いたらよいか,という
私の考えは,また近いうちに書きます.

2009年3月26日木曜日

ソフトのユーザビリティの悪さに腹を立てる

Windows関係がユーザビリティが悪いことは
良く話題に上るのだけれど,
今日もあることができなくて,大変時間を費やしてしまった.
時間を費やすことよりも,イライラすることの方が耐えられないのだけれど.

今日はWindowsメールで,連絡先をまとめたグループ
(メーリングリスト)を作成しようとしたのだけれど,
まずツールバー等でその項目を探してみて,
全然見つからなかった.

仕方がないので,Windowsメールのヘルプを開いて検索する.
出てきた回答は,アドレス帳を開いて,
ツールバーの「新しい連絡先グループ」をクリックしてください,とのこと.
...だから,その「新しい連絡先グループ」のボタンが
見つからないんだってば(怒).

私のやり方が悪いのかと思って,また何度もあちらこちらのメニューを開く.
やっぱり全然見つからない.
(こうやってユーザにその責任を感じさせるのは考えものだ)

仕方がないので,Googleで検索.
ようやく回答を得る.

アドレス帳のフォルダのテンプレートが「ドキュメント」になっていると
「新しい連絡先グループ」のボタンが表示されないらしい.
そのフォルダのプロパティを変更するためには,
「アドレス帳」を開いて,「整理」を開いて,「プロパティ」を開いて,
「カスタマイズ」のタブを開いて,「フォルダの種類」のドラッグメニューの中の
「連絡先」にたどり着かなければならない.

これじゃ,初心者なんてわかるわけがないよ!!!
たぶんデフォルトでは,このアドレス帳のフォルダプロパティは,
「ドキュメント」になっているように思うのだけど...
どうやってそこまでたどり着け,というのだろう.
ヘルプを見たって,「新しい連絡先グループ」のボタンをクリックしろ,
としか書いていないのだから...
ひどいユーザビリティである.

昔は,マイクロソフトにはユーザビリティ向上のための研究所があって,
その研究所では多くのモニタに操作をしてもらい,
問題点を抽出,フィードバックして改善に努めている,という話が
あったけれど,最近は行われていないのではないだろうか.
あまりにひどすぎる.

ひどいといえば,Windows VistaのIMEも
本当に最低レベルの変換能力である.
聞くところによれば,開発は中国で行われているとの噂.
節も適当に区切られて,まともな変換ができないのも納得できる.
いつか,いつか別の日本語入力ソフトに乗り換えようと思っているのだが...

とにかく,マイクロソフトには不満がいっぱい.
それでは,マイクロソフトに頼るな,と言われそうだが,
今の世の中,そうもいかない.
どうにか,なんとか,できないものか.

2009年3月25日水曜日

ガランとした研究室で

研究室がガランとしている.
卒業生が,ひとり,またひとりと
荷物をまとめて部屋を出ていく.
私は,その後ろ姿を見ているだけしかない.
毎年のことだけれど,やっぱりさびしく思う.

ついこの前まで,一緒に回路を前にして,
あーでもない,こーでもないとウンウン唸っていたのだ.
それを2年あるいは3年間,一緒にワイワイやっていたのだ.
なんだかんだいっても,そうした苦労が今となっては楽しく思える.
(学生は,本当のところどう思っているかわからないけれど)
もう彼らとそんな経験をすることはないのだろう.

彼らに望むのは,本質的に研究は楽しいものだ,
ということを忘れないでいて欲しいということだ.
それさえ理解していれば,
その原点に戻ることができさえすれば,
なんとか工学者,研究者としてやっていけるのではないかと思う.
このことは以前にも書いたのだけれど,
今,とても大事なことのような気がする.

4月になれば私はまた,新しい学生たちを研究室に迎えることになる.
そして,その彼らと一緒に,やっぱり苦労することになるのだろう.
ただ新しい彼らは,私に研究の楽しさを
また違った面から感じさせてくれたりする.
そうして救われなければ,この卒業の時期を
教員たちは乗り越えることができないのかもしれない.


2009年3月24日火曜日

札幌の人は(その2)

昨日は,同窓会組織の卒業記念祝賀会,
今日は,卒業式本番である.
(どうもいろいろな事情によって祝賀会と
卒業式の順番が前後したらしい.
昨日は時間がなくてブログの更新も無し)

卒業式といっても,私にはほとんど関係なく,
いろいろと仕事をやっております.
先週,札幌にいっていたので,
今週にやらなければならないことが山積です.
あぁ,北海道は良かった,と懐かしくさえ
覚えてきます.

そこで,札幌出張で思いつくままに...

  • 北海道大学は広い...私がいる大阪大学吹田キャンパスも相当に広いけれど,北海道大学もずいぶん広い.学会は大学キャンパスの最も北の方にある建物で開催されたのだけれど,私のホテルは駅前だった.そこから歩いていくと優に20分はかかる.それがシャーベット状の雪道で足元はひどく悪いから,時間は更にかかることになる.まぁ,私はこれでも雪国育ちだから,それなりに雪道の歩き方は慣れていて,滑って転ぶなんてことは無いのだけれど(というか,靴の裏が溝があるゴム底か,つるつるの革靴かでずいぶん違うのだ).
  • クラーク博士の前で記念撮影...北海道大学の学内を歩いていると,銅像の前で記念写真を撮る人を見かけた.有名なクラーク博士の胸像である."少年を大志を抱け"の全身像は,羊が丘展望台にあるのだけれど(私は見たことがないけれど),胸像は学内にあるのである.一応,私も写真を撮ってみた.しかし,彼はいったい何をした人なのだろう?
  • 札幌の街は私でも迷わない...私が方向音痴であることは,ここでも何度も書いてきたけれど(最近では,学生たちにもバカにされているが),そんな私でも札幌の街は迷わない.やっぱり碁盤の目のように道路が東西南北に走っており,それに一条,二条とか順に名前がついているので,自分がどこにいるのか把握しやすいのである.実はそれでもどちらが東でどちらが北か,私は迷ったのだけれど,最近はコンパスを持ち歩いているので,方角だけはわかるので安心なのである(それがないとわからないのか,と言われそうだけれど)
  • ジンギスカンを食べる...ジンギスカンの食べ放題に挑戦.ジンギスカンも食べるだけ食べたが,ビールも飲むだけ飲んだ.中ジョッキに7杯くらいかな(ジョッキは小さめ).初日の委員会の後に,委員の方々とビール園に行ったのだけれど,いつの間にかあちらこちらの先生方や学生たちが参加して,すごい人数で飲んでいた.ジンギスカンを食べたということで,まぁ,札幌の食には満足.思えば,今回の出張で,魚介類はほとんど食べなかったかも.
  • 札幌ラーメンを食べる...札幌といえばラーメン.ラーメンといえば味噌.ということで,ラーメン好きの私は3軒ほど回った.最後に寄った,住宅街の中のラーメン屋が一番おいしかった.おじいちゃんとおばあちゃんが,昼だけ(学会昼休みに大学を抜けて食べに行った)開いているお店で,近所で働いている男性,女性が食べに来ているらしく,混んでいた.ラーメンは基本的な味噌.卵,中太,ちぢれ麺.味噌は少し濃いめだけれど,あとに残らない.半熟の卵とチャーシューの具合も最高だった.先に食べた2軒のラーメンは美味しかったけれど,札幌ラーメンというイメージではなかったから,最後に食べることが出来て,これも満足.
  • スープカレーを食す...北海道発のスープカレーを本場で試してみたく,1軒寄る.なかなか美味しい.いまでは我が家の食卓にも乗るくらいのメニューだけれど,本場はやっぱり美味しい気がする.そういえば,昨年の全国大会,九州では焼きカレーを食べた.北でスープ,南で焼き.カレーもいろいろである.
  • 辻占いが多い...札幌の街には,「観相」の明かりをつけた占い師が多かったように思う.この寒空の下,観てもらう人はいるのだろうか,と不思議に思ったけれど,美人の占い師さんの前では「観てもらう人もいるのだろう」と思ったりする.しかし,辻占いが多い街って,どんな特徴があるというのだろうか?
  • 黄砂がひどかった...花粉症がないと聞いていたけれど,黄砂がひどくて辟易した.風が強く吹いていて,涙を流して街を歩いていた.


はてさて,次回北海道に行くのはいつになることやら.


2009年3月19日木曜日

札幌の人は

月曜日から今日まで,電気学会 全国大会に
参加するために札幌に行っていた.
先ほど大阪に到着したところである.

今回の学会参加はとにかく忙しかった.
まず月曜日に札幌に昼前に到着して,
午後から電気学会のある委員会に参加する.
それから,いろいろあって夜遅くにホテルに到着.
ベッドに倒れこむ.

火曜日.
朝から,いろいろあって,いろいろあって,
そしていろいろあって,夜遅くにホテルに到着.
ベッドに倒れこむ.

水曜日.
いろいろあって,ベッドに倒れこむ.

そして今日.
いろいろあって,大阪に戻ってきた.

WBCの韓国戦の詳細,
キューバ戦の結果さえ知らずに,
この4日間を過ごした.
なんとか無事に関西に戻ってきてホッとしている.

北海道大学を訪れたのは10年ぶりくらいかな.
前回は,プラズマ・核融合学会に参加したときだったと思う.
(あのときは,何十年かぶりの大雪が降って大変だった)
今回,久しぶりに札幌の街を歩いた.
そこで,気づいたことを思いつくままに.

  • 札幌の人は薄着である...確かにこの4日間は暖かかった.北海道も10度くらいまで気温が上昇してまるで春のよう,とのニュースがあった.しかし,10度は10度である.大阪だったらまだまだ冬の気温である.しかし,札幌の街ゆく人は,本当に薄着である.道端にはまだ汚れた雪が山となって残っているのにである.コートもショート丈か春物.女性のスカート姿も多い.どうも薄着をしているということが,お洒落と思われる条件のようだ.笑っちゃったのが,高校生の学生服姿.もちろんコートは着ていない.その学ランの前ボタンを3つくらい開けて胸元を見せるのが流行らしい.その胸元というのが,なんと素肌を出すのである.シャツも見せない.胸の部分を直接見せている.いくらなんでも,やりすぎじゃない,と思ったけれど,それが若さなんだろう.でも,笑っちゃったよ,おじさんは.
  • 札幌の人はアイスクリームが好きである...確か日本で一人当たりのアイスクリームの消費量が一番多いのは北海道だったような気がする.それを裏付けるように,街のあちらこちらにアイスクリームショップがあり,どの店も結構な客の数があった.やはり札幌の人はアイスクリーム好きなのだ.この寒空の下,アイスクリームを食べながら歩いている女子高生を複数見かけた.足元は雪が溶けてコーヒーシャーベット,そこに石ころがチョコチップのように混ざっているというのにである.彼女たちはそのくらいではメゲないのだ.
  • 札幌の交差点は道路が傷んでいる...交差点の停止線の近くは道路が,まるでグランドキャニオンのようにえぐられているところが多い.これは私の故郷の新潟でも同様であった.札幌のように道路が凍ってしまうようなところでは,自動車の冬用タイヤはスタッドレスでは間に合わない.やはりチェーンやスパイクタイヤを履く車が多くなる(スパイクタイヤはもしかすると禁止されているのかも).すると,特に信号が青になって発進するときに,ガリガリと道路を削ってしまうのである.だから,交差点付近の道路にはくぼみができるのである.これが春になると結構厄介で,まず削られたアスファルトが舞い上がるから,ひどく埃っぽくなる.新潟で高校時代には,マスクをしていると,マスクの周りが黒くなるくらいだった.次に,くぼみに水がたまるから,車が水をはねて周りの人たちが迷惑するのである.道路のくぼみをみて,あぁ,雪国なのだなぁと,私は妙に納得してしまった.

他にも札幌で,いろいろ考えたのだけれど(食べ物とか),それはまた明日にでも.

2009年3月15日日曜日

剣と杖の稽古

金曜日は久しぶりに合氣道の稽古に参加する.
最近はほとんど稽古に出る時間がとれず,
たぶん道着に袖を通すのは1ヶ月ぶりくらいのことである.
そしてこれが3月唯一の稽古参加となるのだから,
本当に恥ずかしいかぎりである.

金曜日は,剣と杖を少し稽古した.
これも今年初めて遣ったので,本当にヘロヘロの剣杖である.
人にはとても見せることができない.
しかし,剣と杖は,とても正直だと思った.
稽古不足が,そのまま技に現れる.

投げ技等の対人の技であれば,
相手をとりあえず投げてしまえば,
ある程度ごまかすことが可能である.

しかし,剣杖を稽古するとなると,そうはいかない.
真っ直ぐ振るだけでも,もう満足ができない.
独りで稽古するからこそ,ごまかすことができない.
自分の実力のなさに涙が出そうになる.

剣や杖というのは,自分に一番近い武器であるけれど,
一番遠い武器でもある.
それらは自分の思い通りに振るものではなく,,
彼らが勝手に動くことに,身体がついていく,という感覚が
一番相応しいような気がする.

自分で,なんとかしてやろうと剣を振ると
その剣は乱れてしまう.
「我」がそのまま現れて,結局思い通り遣うことができない.

それがある程度稽古して,剣と心が(氣が)一致してくると
剣がおのずと動いているような気がするから不思議である.
特に杖を遣っていると,自分が振っているのか,
勝手に動く杖に自分がついていっているのか,
わからなくなってくる.

そのような状態になってようやく少しは気が楽になる.
もちろん自分の目指すところには全然届かないが,
悔しくて涙が出そうになるということはない.

自分の思い通りにしようとすればそうならず,
剣杖に任せきってようやく自在に動くようになる.
この「我」を捨てるということが,
初歩ではあるけれど,実感できるのが
こうした武器の稽古である.

剣をひとつ振れば自分の状態がわかる.
現代に生きる私のようなものでさえこうなのだから,
昔の武士たちは,剣を振るときに何を感じていたのだろう.
そんなことに思いをはせるのである.





2009年3月12日木曜日

仕事術の目的

仕事術に目覚めたのは,私が前の職場で,
特に忙しい課室に配属されてからである.
ともに新しく配属された
私の席のとなりのKさんの仕事ぶりと
その手際の良さに感動して,
いろいろ教えてもらったのが,その始まりだったろうか.

Kさんからは,いろいろなTipsを教わった.
例えば,ソフトウェアのちょっとしたShort Cutsの操作を覚えることが
仕事の能率を大きく左右することとか,
(学生のみなさん,Blind Touch Typingは当たり前です)
仕事もプライベートも同等にスケジュールしなければ
Work / Life Balanceが取れないとか,
To Do Listの使い方とか,
仕事術としての基本を学ばせていただいた.

また仕事を効率よく進めるための
ガジェットもいろいろと教えてもらった.
Kさんが持っているPDAがかっこよくて,
私もPDAを購入したし,
Kさんの付箋をもちいたメモの取り方がスマートで,
私もメモの取り方を工夫したものである.

そして,なによりも仕事術を学ぶことが
重要であることに気付かせていただいた.
本当にKさんには感謝しております...

仕事術に魅力を感じたのは,
Kさんのおかげだけれど,
そのときは同時に,
新しい課室で膨大な仕事を処理しなければならず,
新しい仕事のやり方を始める必要性もあった.
とにかくやることがいっぱいあって,
とにかく時間が足りなかった.


それでは結局,仕事術とは何なのか,という話だけれど,

「私は,今なにをすべきか?」

それを決定できるようにすることが仕事術の目的だと私は思う.
あとで後悔しないために,今すべきことがわかること.
なるべく少ないストレスで,その時点での最適な選択を行うこと.
そうしたことを実現するための準備をいかに行うか.
それが仕事術なのである.

もちろんこれは実務上の仕事だけにとどまらない.
「今何をすべきか」という問いに対する答えを出すための術は,
日々の生活全般に応用されるべきテクニックでもある.
だから,Life Hackなどと呼ばれるのである.

仕事術に目が開かれてからは,
アンテナを広げて,いろいろな仕事術をチェックしている.
現在私が実践しているものはGTDである.
もう長い間つきあっている.
これは,David Allen氏の提唱している仕事術で,
Getting Things Doneの略である.
2002年ころだったか,
書店でGTDの本の和訳を見つけて早速実行し始めた.
GTDの目的は,いかにストレスなく,
仕事を行っていくかということにあり,
使用するツールにこだわらず,
誰でも簡単に取り掛かることができるというところが気に入った.

当時は,ネットでも話題になり,アメリカだけでなく
日本でもフォロワー,実践者が多く生まれ,
情報のやりとりがされた.
最近はGTDはもう当たり前という感じがして,
ホットな話題ということにはならないが,
逆にそれだけこの手法が定着しているような気がする.

だが私はルーズになって,だんだんGTDの枠組みから
はみ出してきてしまった.
その結果,仕事のとりこぼしの対応に追われることになってしまった.

最近,あらためて自分の仕事の進め方を反省した.
もう一度GTDの原点に立ち戻って,
仕事を進めるようにしようと決心したのである.

私が転職をしてしまったので,
もうKさんに頼ることはできないのが寂しいけれど,
仕事術に関してはもう一人立ちして,
自分で努力していこうと思う.

また機会があれば,Tipsを紹介していきたいと思います.


2009年3月11日水曜日

現代の「たたり神」

高校3年生だった.
空手道部も引退し,
受験勉強で一年を塗りつぶした年,
(実はそんなことはなく,かなり楽しかったけど)
阪神タイガースが優勝した.

その年の春,ジャイアンツの槙原は,バース,掛布,岡田に
3連続でバックスクリーンにホームランをたたきこまれ,
秋には,バースは50本以上の本塁打を打って,
三冠王を取ろうとしていた.

そして,わが栄光のジャイアンツは3位となり,
タイガースがリーグ優勝を果たした.
西武との戦いにも決着をつけ,とうとう日本一になった年.
それが1985年である.

あの年の熱狂ぶりは本当にすごかった.
日本全国にこれだけのタイガースファンがいたのかと
誰もが思ったはず.
どこに行っても,黄色と黒の縞模様を見かけた.
サッカーにはフーリガンと呼ばれる
暴力的なファンがいるという話を聞いていたけれど,
それが日本ではタイガースファンにいると思ったものである.

道頓堀川の騒ぎもテレビで全国に放映されていた.
そして,カーネルサンダースが投げ込まれたことも
もちろんニュースで知っていた.
それは,1985年の熱狂の象徴であった.
だから野球ファンであればだれでも,
あの人形が川に投げ込まれたことを覚えている.
それが昨日見つかった.
24年ぶりということである.

あれ以来タイガースは日本一となっていない.
翌年からタイガースは徐々に上位から陥落していった.
リーグ優勝はしたけれども,日本一にはなっていない.
それはカーネルサンダースの呪いだと言われていたのだという.

私が人形発見のニュースを聞いて思ったのは,
あのカーネルサンダースの人形はこれから
「たたり神」として祭られることになるのだろう,ということである.

「たたり神」とは,平将門や菅原道真のように,
世に災いをもたらす悪霊として恐れられていたものが,
手厚く祭られることによって,転じて人に福をもたらす神となったものである.

阪神ファンの間では,かの人形は
まさに災いをもたらすものであったに違いない.
今後は阪神タイガースの福をもたらすよう,
どこかで神様として祭られることになるだろう.
それはまさに「たたり神」である.
全く1000年以上前から繰り返される歴史そのものである.

このご神体は,まさに現代を象徴するファーストフードの,
真黒になった人形であって,それ自体には本来の価値はないけれど,
そこに私たちが神性を与えることによって,
別のものになり変わるのだ.
そしてこの神性賦与の儀式は,この現代においても
大きな影響を私たちの心象に与えるものらしい.
この話題の新聞の取り上げ方がそれを示している.

この消費世界の象徴であるカーネルサンダースが
(それも本来の意味は失われ,真黒な人形が)
現代のたたり神になるという事実こそ,
非常に興味深いことなのではないだろうか.

村上春樹の「海辺のカフカ」の作中で,
カーネルサンダースが果たしていた役割を
私はすぐに思い出したのである.

#関西では非国民となるGファンである私にとっては
彼は神様にはならないだろうけれど...



2009年3月10日火曜日

サムライの心得が必要だ

この時期,キャンパスからめっきり学生たちの姿が減る.
学部生はもう春休みだし,
大学院生も修士論文等の発表会も終了し,
ほっと一息つくころである.
(卒業旅行へ出かけている学生も多いことだろう.
うらやましいなぁ...)

ただ3月は学会シーズンなので,
その準備に追われている学生たちも(教員も)
いることはいる.
ただし,絶対数としては少なくて,
キャンパスは4月から始まる新しい季節を前に
ひっそりとしている.

ただ修士1年生は就職活動に忙しいらしい.
スーツ姿の学生をあちらこちらで見かける.
今年は,マスコミなどで就職状況は厳しいなどと
報道されているから,学生たちも焦っているのかもしれない.
確かに1年前と,ここまで状況が変わってしまうとは,
本当に驚きである.

しかし,どんなに不況下にあっても実際に必要な人材というのは,
ある程度以上,どの企業も確保しなければならないわけで,
その点,専門知識やスキルをもっている理工系の学生は
少しは有利なのだろうと思う.

かつて就職氷河期と呼ばれる時期があった.
そして,そのころ各企業は採用をかなり絞っていた.
(採用数ゼロ,なんてところも多かった)
それが現在の非正規労働者の問題にリンクしているらしいのだが,
結局企業の方も問題を抱えることになってしまったらしい.

すなわち現在,若手として現場で活躍するべき30代の人材が
いなくて困るという話をよく聞くのだ.
特に工学系などでは,技術の習得に時間がかかるから,
その役割を派遣労働者でまかなうということができない.
人材がいないから,技術の継承に
ギャップが生じているのだという.
ものづくりを基礎とするメーカではこの問題は深刻である.

あのころの雇用の制限が,現在の企業の
労働者の年代構成のいびつさを生んだ.
それが結局企業自身の首を絞めてしまっている.
その状況を痛いほど理解しているから,
この不況下においても企業は,
工学技術者の採用はなるべく減らさないようにしている,
という話も多数の企業の方から伺った.

学生からの視点で見れば,
結局のところ,この厳しい就職戦線で勝ち抜けるか否かは
知識とスキルをどれだけ大学で
身につけるかにかかっているのだ.

売り手市場だった過去2,3年の間においても,
一生懸命勉強した学生が,今,有利な立場にある.
平和なときにあっても,油断をせず,努力を怠らず,
自分の腕を磨いておく.
つまりは,「平時の備え」というサムライの心得が
現代においても,われわれには必要なのだ.

2009年3月9日月曜日

渋いブラームスの交響曲に期待

仕事に追われ,週末もなかった(涙).
しかし,少しずつではあるが仕事を完了している(ホッ).
そんな忙しい中ではあるけれど,
今日も電気学会の調査専門委員会に参加した.
会場は,堂島の中央電気倶楽部.
帰りに頑張っている自分へのご褒美として
CDショップに寄ってCDを1セット購入してしまった.

Kurt Sanderling, Staatskapelle Dresden
"J. Brahms, the 4 Symphonies"

自分のCD棚にはブラームスの交響曲が随分と並んでいる.
小澤,サイトウキネン,
カラヤン,BPO,
ヴァント,北ドイツ交響楽団
などは全曲集で,その他
ミュンシュ,バレンボイム,ムーティ,バルビローリ,
バーンシュタイン,ムラヴィンスキー,クライバーなど
今,棚を見なくてもすぐに名前が挙げられるほどである.

実は一時期ブラームスの交響曲に凝っていたのだ.
まずは4番が大好きになった.
あの枯れた感じがたまらない.
ブラームスは,
「私の曲を聴くときはハンカチを用意してほしい」と
言ったらしいけれど,確かに4番は中年の悲しみを感じる.
この曲に入れ込んだのは大学時代だったけれど.

次に好きになったのは1番.
そして,2番,3番と次々に手を出した.
だが最近は,めったにブラームスの交響曲を聴くことはない.
どうも飽きてしまったのか,
プレーヤに乗せようという意欲が湧かないのだ.
特に1番なんて,CDを再生する前から,
音楽が終わった後の充実感(疲労感)を
思い浮かべてしまい,どうも気が進まなくなる.
一度聴き始めるとすぐに引き込まれてしまうのだけれど,
それまでのハードルが高い.
(考えてみると私の仕事の進め方みたいだ...)

それが久しぶりに聴きたくなった.
というのは,このSanderlingの交響曲集,
CD3枚組でなんと990円だったのである.
いくら1970年代の録音で,輸入盤だからといっても
安すぎる!

しかし,ただ安いというだけでは私は買わない.
(意外に私の財布のヒモは固いのだ)
今回は指揮者がSanderlingというところに惹かれた.
彼が指揮する曲の特徴を一言で表すと「渋い」である.
枯れた味わいというか,それでいて深みがあるというか,
じっと耳を傾けるタイプの曲作りが多い.
ピアニストの内田光子は,その渋さが大好きで,
自分のベートーヴェンのピアノ協奏曲の録音のために,
この敬愛する巨匠に指揮を願ったほどである.

私も時にはカラヤンの重厚華美な曲作りも好むけど,
基本的にはブラームスは渋く演奏してほしいと思っている.
彼のブラームスは,この私の願いを
叶えてくれているのかもしれない.
もしそうだったら...
それがたった990円で手に入れることができるとするならば...
と期待(妄想?)が膨らんでとうとう購入してしまった.
(だいたいこんな感じの繰り返しでCDが棚に増えていく)

990円でずっと楽しめるのだから,
この音楽愛好の趣味はずいぶん安上がりなものだと思う.
10年前位の録音であれば,ミッドプライス,
ロウプライスのシリーズとなって比較的安価に入手できる.
当然私が購入するのは輸入盤ばかりである(~1500円)
録音が古いからといって,音楽の質が悪いわけではない.
そこがこの趣味の素晴らしいところである.

ただときどきは,やっぱり新譜で高いお金を出しても
欲しい録音というものもある.
それは目をつぶって,エイヤと買う.
しかし,昔そうして3,500円で購入したCDが,
今ロウプライスシリーズとなって,
790円で棚に並んでいるのを見ると
ちょっと複雑な気持になる.
あぁ,ヴァントのブルックナーの交響曲.
当時の1枚分の価格で
今だったら4枚もそろえることができるよ...
今日もそう思って,ちょっと涙目になった.

2009年3月7日土曜日

鉄道の券売機,西東(にしひがし)

相変わらず,あちらこちらの報告書作成に追われております.
関係者の皆様,頑張っておりますので,
もうしばらくお待ちください.

さて,このように忙殺されているのだけれど,
昨日も東京に出張であった.
この時期はいろいろあるので仕方がない.

今回も鉄道を使用して出張したのだけれど,
JR東日本と西日本で券売機のシステムが
少し違うことをご存じだろうか.

関東と関西で,エスカレータの右と左,どちら側に立つか,
という違いについてはよく話題になる.
(あれはあれで,単位時間における人の輸送量を
考えるとエスカレータの半分を空けて乗るのは
効率が悪いと私は常々思っているのだけれど...
エスカレータの平均待ち時間を小さくするためには,
エスカレータの各段にきっちりと2名ずつ詰めて
乗る方がずっと得策である.
一部の急いでいる人の利便を図るために
その他の多くの人の平均待ち時間が延びているのである)

しかし,券売機のシステムもちょっとだけ違っていて,
私はいつも関西の券売機にはイライラさせられているのである.

違いは,関西の券売機では,切符などの選択ボタンを押してから
お金を投入して買うことができない,ということである.
関東では,まず券売機の画面を見て,切符を画面に触れて
選択してからお金を投入するということができる.
しかし,関西の券売機でそれを行おうとすると,
「まずお金を投入してください」と券売機が警告するのである.
私は,切符を選択→支払,というスキームで動くことが多いので,
こうして券売機から怒られるたびに「イラッ」とするのである.

ヨーロッパの券売機は,確か切符を選択してから
お金を投入する順番であり,そうでなければ購入できない
仕組みだったと思う.アメリカもそうだったような...
(国によって違うのかもしれないが...)

関東の券売機の偉いところは,お金を投入してからも
切符を選択して購入できること,すなわち
関西と同じ順番でも購入できることである.
関東の券売機のように,
どちらの順番でも切符を購入できる方が望ましいと
思うのだけれど,誰もそんな文句は言わないのだろうか?

関東でも,関西の券売機の良いところを取り入れた例がある.
それは,硬貨の投入口が広くなったこと.
私が学生の頃は,関東の券売機の硬貨投入口は,
一回に1枚ずつしか投入できないような小ささだった.
それが関西では,一度に2, 3枚投入できる大きさがあると
話題になって,いつの間にか関東もそうなっていた.
(まぁ,当時初めてこの話を聞いた時は,
関西人というのは,そこまで気が短いものなのか,と
思ったのだけれど,今では私もすっかりと気が短くなった)

切符の選択をしてからお金を支払うようなスキームも
受け入れられるようにするのは,ソフトウェアだけの
変更で済むだろうから,やろうと思えばすぐに可能なのだろうと思う.
もしもこのブログが,関係者の人の目にとまることがあったら,
(まぁ,無いと思うけど)
ぜひご検討いただきたい.



#その他,一般的にJRも私鉄も関東の方が
案内表示板などに工夫がされてあって,
そうしたサービスが良いように感じる.
関西ではじめての駅に行くと,
うろうろと迷うことが多いが,
関東では案内板がすぐに目につきわかりやすいので
迷うことが少ない.
英語の案内も多いので,そうしたところは
ぜひ関西も見習ってほしい.

2009年3月4日水曜日

霞が関ビル何杯分

こんなことを書くと怒られるのだけれど,
半ベソをかいて,報告書書いています.
私は頑張っております...

さて,忙しいのではあるのだけれど,
昨日は東京に出張だった.
行先はいつもの市ヶ谷近辺ではなく,珍しく霞が関ビルだった.
地下鉄 丸の内の霞が関駅から歩いて行ったのだけれど,
久しぶりに歩く霞が関の街並みにはワクワクした.

そんなところでワクワクするのもおかしいと言われそうだけれど,
私は「帝都物語」という小説や映画を観て
育った世代なのである(とはいえ,すでに学生だったけど).
その物語の世界では魔人 加藤の手からの帝都を防衛するために,
省庁の役人や渋沢栄一,幸田露伴なんて人までが活躍するのである.
だから財務省の前を歩けば,あの登場人物がいたところだなどと
思ってしまうのである(当時は,大蔵省だったけど).

これが霞が関なのだなぁと首をキョロキョロさせて
歩いていたから,たぶんずいぶん挙動不審に思われたことだろう.
だからというわけではないけれど,
あちらこちらに見かける警察官の数の多さや,
外務省の中から音もなく出てきた黒塗りの車を見ても,
私が小市民なせいか,どぎまぎとしてしまった.
けれど,なにかそうした刺激が新鮮で,
なかなか気分が良かった.

そして,久しぶりに訪れた霞が関ビルなのだけれど,
すっかり以前のことは忘れてしまっていた.
(何かの委員会で来たはずなのだけれど)

ただ子どもの頃はよく,容積の大きさを比較するといえば,
「霞が関ビル何杯分」などと言っていたから,
その直方体の形状を下から見上げると,
「あぁ,これが」などという感慨がある.
結局,何立方メートルなのかはいまだに知らない.

....そこで,今,
ネットで霞が関ビルの容積を調べてみた.
約50万立方メートルらしい.
全然実感ができない.
風呂一杯が200リットルとすると,
250万杯分.
ますますわかんない.


2009年3月2日月曜日

Golden Slumbers fill your eyes

忙しくなると(そして仕事に追われると),
夜の眠りが浅くなる.
まぁ,それで短時間睡眠で済むわけで,
それはそれで仕事には好都合なのだけれど,
あまり健康には良いことではなさそうだ.

これは,ストレスによるものと考えることができるわけで,
まだまだ私の心の修行が未熟であるということなのだろう.

しかし,眠る前には私はいつも幸福な気分でいるように
心がけている.
リラックスして,素晴らしいことを想って眠る.
それが何であっても良い.
とにかく暖かな気持ちになるように
イメージをふくらますのである.

どうも人間の潜在意識というものは,現実と想像を
区別することができないらしい.
どちらに対しても同様の反応をする.
そのことは,武道を稽古していると嫌というほどわかる.
自分の心持ちひとつによって,身体の動きが変わるのだ.

ちょっとした心の持ちようによって
身体の内部の状態も変わる.
緊張するだけで胃が痛くなる.
あるいはトイレに行きたくなる.
こうしたことはその証左であることは明らかである.

以前,合氣道の先生が話されていたことを思い出す.
ヘリコプタから降下訓練をした人が,
パラシュートが開かずに墜落事故で亡くなったそうである.
その方を解剖して胃をみると,真っ赤に充血して,
重度の胃潰瘍のようであったという.
つまり,その墜落の際の数秒の恐怖が
身体にそれほどの影響を与えたのだ,というお話.

そこまで極限の状況はないだろうけれど,
日常生活の中にあっても,自分の思考が
身体に少なからず影響を与えていることは間違いない.

特に入眠時は,顕在意識に代わって
潜在意識が主となる切り替えの時であり,
その際に素敵なことをイメージして,
心と身体へのストレスを軽減することは
非常に効果があるとされている.
合氣道の先生は,寝る前に身体を洗うのと同じで,
心もきれいにしてから寝ればよいと教えられていた.
(呼吸法などもっと具体的な方法もあるけれど)

とにかく,布団に入って一日を終える至福の時に,
黄金のまどろみがあなたに訪れますように.
そして健やかな朝の目覚めがありますように.
ビートルズと違って,
"And I will sing a lullabye"とはいえないけれど.