2009年4月30日木曜日

長時間眠る

いまだ身体が本調子ではない.
昨日も通常ならば考えられないくらいの時間,
眠り続けていた.
それでもまだ眠い.

抗生物質のおかげか,
もう頭痛や悪寒などはしない.
しかし,身体が睡眠を欲している.
とにかく眠い.
鼻炎止めの薬のせいもあるだろうけれど,
なにかおかしなくらい身体が疲れているかのようだ.

歳をとると人は早起きになる傾向がある.
いわゆる年寄りの早起きである.
私も若い時は一日中でも眠っていられる
自信があったけれども,
最近は長時間眠ることができない.
この原因は,ストレスなどもあるのかもしれないが,
実のところ体力不足のためではないかと思う.
つまりは,寝るにも体力がそれ相応に必要で,
歳をとって体力が落ちてしまうと,
長時間寝ていることができなくなってしまうのだ.
だから仕方なく早起きをするようになる.
自分も40歳を過ぎて,そろそろそんな状態に
なってきたと諦めていたのである.

しかし,この体調を崩してからの日々はどうだろう.
ちゃんと長時間眠れているではないか.
少し自信がつく.
実は,体力はまだまだあるのだろうか.

そしてもちろん,
眠ることができれば,頭の働きも良くなる.
これで体調が回復すれば万全である.

実は,私はこの機会に,
いろいろなことにおいて
立て直しを図ろうと思っている.
身体も,仕事も,家庭も.
もういちど足を地面につけて始めてみようと思っている.
このGWは再スタートには良い時期だ.

しかし,まずは眠ること.
そして体力を取り戻すことが必要だ.
目が覚めれば,また歩き始めることができるだろう.

2009年4月28日火曜日

点滴をして,過去の夢をあきらめる

久しぶりに寝込んだ.
昨日の朝,起床してみると
おとといの夜からの鼻水,頭痛,のど痛,悪寒が
ひどくなっている.
幸いにして熱はなかったから,
意識ははっきりとしていたけれど,
座っていることがつらい.
仕方なく大学を休むことにする.
(関係各位には大変ご迷惑をおかけいたしました)

近所の行きつけの内科にいくと,
ウィルス性の風邪かなにかだという.
(新型インフルエンザではありませんでした)
とにかく身体がしんどくてつらいというと,
点滴を打つことになった.

「えっ,点滴ですか?」

と驚くと,「嫌ですか」と言われたけれど,
嫌ともいえず,素直に先生に従って
点滴用のベッドに行く.

実は,私は記憶がある時期からは
点滴を受けたことがない.
(赤ん坊のときには,受けたらしいが)
少しドキドキする.

人からの話によれば,身体が冷えて,
トイレも近くなるという話だったので,
ベッドから起き上がり,あらかじめ
用を足しておく.

次に「どのくらい時間はかかりますか?」と訊くと
「小一時間ぐらいです」との答えだったので,
カバンから文庫本を取り出す.

そして身体に毛布をかけて,準備万端.
後はハリを腕に刺すだけとなって
ワクワクと待つ.
なにかしら,うれしくて,
自分でも少し変に感じた.

どうも私は身体が弱そうに見える男性というものに
憧れているところがある.
自分がなれるとしたら,細く柳のような身体に
長い手足,さらさらとした長髪,
そしてさわやかだけれど,ひ弱そうな笑顔.
そんな文系な男になりたかった.

夏でも汗をかかず,友達に手を振る二の腕は
枯れ枝のように細く,薄いブラウスにその影が
透けるような,そんな文学青年が良かったなぁ.

そして,「点滴」である.
ふらりと貧血などで倒れると,
だいたいTVドラマなどでは点滴を打つ.
(本当に大切な治療のために点滴を
打っている人には大変申し訳ないけれど)
「点滴」というのは,
ひとつの憧れアイテムだったのである.

しかし,現実はあまりにも厳しかった.
大学時代はトレーニングセンターに通い,
胸囲も増え,袖なしのTシャツで三角筋を
誇示するような嫌ぁな男だったし,
髪は短髪,本は読まない.
汗はべとべとかいて,Tシャツには汗じみが浮かぶ.
あぁ,なんと理想と現実とかけ離れていたことか...

そして,今.
メタボである.
あごは緩み,腹は出て,
体力は全然なく,すぐに疲れる.
もう目も当てられない.
同じように身体が弱くなっても,
学生時代憧れていた透き通るような
さわやかな文学青年(中年)にはなれなかった.

点滴を受けていて,今の自分が嫌になってきた.
この初めての点滴が,自分の夢にお別れを告げる
きっかけになろうとは.

もう文学中年はあきらめた.
だけどもう少し体力を作り直そう.
いかつい中年でいいじゃないか.
心だけでも優しい大人になろう.
この歳になると,あきらめることも多くなり,
そして,たやすくなるようである.

2009年4月24日金曜日

太陽にかかる円い虹,日暈

昼御飯を買いに建物の外へ出てみると,
各研究室の秘書さんたちが,一生懸命
携帯電話を太陽にむけてなにかを撮影している.

不思議に思って何をしているのか尋ねてみると,
なんと太陽の周りに円い虹ができていて,
それを撮ろうとしているのだという.

私もまぶしい目をこすりこすり
太陽を見てみると,たしかに太陽の周りに
うっすらと虹がかかっている.

お話を聞くと,しばらくの間は二重にも
虹がかかっていたとのこと.
残念ながら私が見たときには
すでに一重の虹しかなく,
それも見ている間にうっすらとかすんでしまった.

それが「日暈(ひがさ)」と呼ばれるもので
あることはすぐわかったので,
あぁ,これから雨が降るのかな,と思った.
そのようなお話を秘書さんたちにしてから
弁当を購入して席に戻る.

そこでふと気がついた.
そういえば,私が「日暈」を見たのは
実はこれが初めてではなかったか.
なのにほんの少しの感動しか得られなかった.

それが空中にただよう氷の結晶の粒の
プリズム効果によってできるものであると
知っていたことで,自分はそれを
既知であるかのもののように
普通に受けとってしまったのである.
なんとも恐ろしことである.

原理を知っていることなんて全然大切ではない.
それが自然界に存在すること自体に
感動すべきなのだろうに.
自分がそれを初めて見たということさえ
認識できなかったなんて...
弁当を食べながら,反省する.

大事なのは,自然界にそうした現象が存在することへの
畏敬の心と感動をわすれないこと.
そして,そうした稀有な現象を見つけることができる余裕,
すなわち,空を見上げる機会をもつような生活を送ること.
そんな素敵な毎日でありたいものである.

2009年4月23日木曜日

「たこ足」と5本指の靴下

私は一足だけだけれど,
5本指の靴下を持っている.

足袋は先が親指用の袋と
その他の4本の指用の袋との
ふたつに分かれているけれど,
私の持っている靴下は,足の各指に応じて
先が5つに分かれているのである.

健康に良いというので,
うちの奥さんがよく履いていて,
私にも試しにということで買ってくれたものである.

それがなぜ健康に良いのかという理由は,
どうも足の指を自由に動かすことができるからだという.
確かに,足の指の間を広げると気持ちがいい.
そんなところから考え出されたのかもしれない.

しかし,実際に足の指を自由に広げることができる人は,
最近ずいぶん減ってきているようである.
これは,合氣道の稽古で見ているとよくわかる.
畳をつかむように足の指が開いて立っている人が
確かに少なくなってきているのである.

武術において身体が安定するように立つ,
というのは非常に大切である.
体勢が安定していれば,
自由なタイミングで技を出す,
あるいは相手の攻撃をよけることができるという
身体的なアドバンテージがあることは
もちろんのことだけれど,
実は心理的にも安定な体勢は不可欠なのである.
バランスのとれた体勢は,
安定な心理状態を生み出し,
なによりもその心が自在に
身体を動かすことができるからである.

そして安定した体勢を支えるのは,
他でもない2本の足なのである.
足の指がしっかりと畳をつかむように
少し開いて立っている
(けれど足先には力が入っていない)
人は,やはり余裕のある技を行う.
一方,足の指が開いていない人は,
やはりどこか不安定な気がするのである.

最近は,草履など履かず,靴を履くのが
もっぱらだから(もちろん私もそうだけれど),
足の指の存在など忘れている人が
多いのではないだろうか.

では私はどうかというと,
靴の中でもしっかりと大地をつかむように
足の指は動いている(と,思う).
少なくとも道場の畳の上では,
足の指先がちゃんと開いて立っている.
実はあるときに気づくまでそれが普通だと思っていた.

有名な富田常雄の小説「姿三四郎」の主人公
三四郎は,「山嵐」という必殺技を遣う.
実は,三四郎には実在のモデルがいて,
それは,講道館四天王のひとり,西郷四郎であることを
ご存知だっただろうか.
この「山嵐」というのが,現在柔道に伝わっている投げ技の
山嵐とは異なるものらしいのだけれど,
どうも背負い投げのように相手を背負いつつ,
相手の足を自分の足裏で払うというような技だったらしい.

富田常雄が
「西郷の前に山嵐なく,西郷の後に山嵐なし」と
述べたように,
「山嵐」というのは,どうも彼しか使いこなせない
特殊な技だったと言われている.
西郷だけがその技を遣えた理由の一つが,
彼の「たこ足」であると言われている.

「たこ足」というのは,幼少のころから
漁師の仕事に関わっていたために,
彼の足の指がまるでタコの吸盤のように
はりつくように働いたということから,
そう呼ばれるようになったらしい.

柔道のような技の体系であれば,
どんな体勢でも畳をつかみ,
時には相手の足を刈ったり,払ったりするのに,
たこ足は大変効果的であったろうと思う.
そしてそれは他の武術においても,
非常に有利なことは間違いないのである.

私の5本指の靴下は実はあまり出番がないのだけれど,
それを履くときにはいつも
西郷四郎のたこ足の話を思い出す.
でも,そんな話は別にして,
本当にこの靴下は健康に効果があるのかなと思う.


2009年4月22日水曜日

最適な選択となるよう努力する

卒業を来年に控えた学生たちは,
就職活動に忙しい.
(研究活動も同じくらい一生懸命やって欲しいのだけど)
そろそろ内々定をもらった学生も増えてきている.

就職はずいぶんと悩むべき
人生の問題のひとつであることは間違いない.
しかし,今の若者たちは,
(もうオジサンだからこのフレーズを使うけど)
安易に最適解を求め,自分の選択が最適であることに
こだわりすぎるような印象がある.

自分の適性にあって,やりがいがあって,
楽ができて,給料がたくさんもらえる会社.
それが彼らの理想である.

しかし,そんなこと今の時点でわかるはずがない.
まだ働きもしていない会社が
自分に最もふさわしいかどうかなんて,
知るすべもないではないか.

いや働き始めたからと言って,
それで長年働いたからと言っても,
会社の選択が最適だったかなんて
わかるわけがない.
だって,人生をやりなおして,
他の会社で働いて比較することなんて
絶対できないわけだし.

こうした選択は,人生のうちに何度か現れる.
結婚だってそうである.
選んだ相手が自分に最もふさわしいかどうかなんて,
誰がわかるというのだろう.
そもそも,どのような条件を満たせば「最適」なのか?

結局これらは最適な解が存在しない
問題であることに気づく.
選択をしなければならない私たちに今できることは,
将来後悔をしないで済むだけ悩み尽くすことだけである.

求めるものは,「最適解」ではなく,
自分が設定する「必要条件」を満たす
複数の解である.
あとは覚悟を決めて選択し,
不安の海に飛び込むしかない.

そして大切なのは,自分の選択が
「悪くはなかった」と思えるように,
最善の努力をすることである.
就職も結婚もそう.
選択の後の努力が,選択の評価を決める.
つまりは事後評価なのだ.

今の時代,選択をやりなおすことだって
十分考えられる.
再就職,再婚ということだってあるではないか.

未来は未来のことなのである.
すべてを推し量って決定することはできない.
できることは,悩むこと,
そして最善の努力をすることだけなのである.


2009年4月21日火曜日

飛び跳ねるメタボ

金曜日は,電気系学会関西支部総会に参加する.
そして土曜日は,パワーエレクトロニクス学会の
総会と定例研究会に参加,続いて昨日月曜日は
電気学会の調査専門委員会に参加.
とにかくしばらく忙しかった.
(いや,今も忙しいのだけれど,
先週は机にいる時間が取れなかった)

そんな先週の深夜にTVをつけてみると,
海外のコンサートの映像が流れていた.
Tシャツにコットンのズボンを着たメタボなオジサンが
ステージをところ狭しと飛び跳ねている.

正直,このボーカル,カッコわるいなぁと思ったのだけれど,
なにかメロディーが気にかかる.
いつかどこかで聴いたような...

そこでじっと画面を観ていて,
"Rio"が流れたところでやっと気づいた.
彼らは,あの"デュラン デュラン"だったのだ.
ってことは,あのメタボはサイモン?

デュラン・デュランといえば,
ロックとポップスが黄金色に光り輝いていた80年代,
スタイリッシュな音楽とヴィジュアルでそのトップに君臨し,
一世を風靡したバンドである.

"Seven and the Ragged Tiger"なんてアルバムは
私も繰り返し聴いたなぁ.
MTVでもプロモーションビデオが頻繁に流されていたし,
"Wild Boys"なんて映画みたいで好きだったし.
あの頃ボーカルのサイモンは,もちろん痩せていて,
本当にカッコよかった.

それが,このメタボに...
TVを見ていて思わずため息.
映像は2000年のものだというから,
今はもう少しやせているのかもしれないが,
ステージ上で観客に向かって両手を突き出す姿は,
昔のあのカッコよさからは想像できないものだった.
これがデュランデュランと気づいた私は,
なぜか少し悲しくなった.

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昨日の夕方は研究室の新人歓迎コンパが開かれた.
またフレッシュな学生たちがやってきた.
そして私の歳を実感する.

以前にも書いたけれど,
大学にやってきたからというもの,
私の老け方は加速度的になっている.
つまりは,毎日彼らとの考え方のギャップを
感じているからなのだろう.
(かといって,彼らと同じ感性だったとしたら,
それは,なんと気持ちの悪い中年だろうとは思うが)

まぁ,いいのだ.
私は私で「立派な40代」になろうとしているのだから.

しかし,そこであのサイモンの姿を思い出した.
あのステージ上で飛び跳ねるメタボの姿を...
あぁはなりたくはない.
本当にそう思った.
飲んでいたウィスキーの味が急に平坦になった.
(まぁ,居酒屋で飲み放題の安ウィスキーなのだから,
最初からすごく美味しいってわけでもなかったのだけれど)

実はデュラン・デュランの映像を見た夜,
YouTubeで80年代の彼らのPVをさがして観た.
やっぱり素敵だった.
しかし,それだけに今のサイモンに
「なに太ってんだよ!」と言いたかった.
(他人のことは決して言えないのだけれど...
まぁ,私の青春の美しい思い出を壊したということで)

そこで,口直しに(笑),デヴィッド・ボウイの映像を観た.
80年代のPVももちろんスタイリッシュなのだけれど,
最近の映像を観ても本当にカッコいい.
その映像は,もう60歳になろうかという
彼のライブのものだったけれど,
体型はいまだに若木の枝のように細く,
彼が身体を揺らして歌うだけで,
引き込まれるような魅力がある.
その夜はうっとりとして眠りについた.

そして,昨日,コンパでウィスキーを飲みながら,
デヴィッド・ボウイのように歳をとりたいものだと
つくづく思ったのである.


2009年4月16日木曜日

研究室で過ごす時間積分が

今日は,電気学会の調査専門委員会に
参加するために,東京へ出張.
船舶の電力システムに関する報告を聴く.

船舶において動力・電力の確保は
まさに生命線である.
しかし負荷が発電量を上回ってしまうと
電力システムはブラックアウト,停電してしまう.
だから負荷が発電量を越えてしまいそうな場合は,
制御によって負荷を小さくする.
そんな高度な制御が以前から行われているという.
マイクログリッドなどにおいて
このような負荷制御というのは,
まだまだ挑戦的なテーマであるけれど,
船舶においてはすでに実現されているのだ.
実績はすでに十分にある.

さて,月曜,火曜と核融合科学研究所に出張して,
水曜日に研究室に帰ってみると,
新しい4年生が配属されていた.
1年生と違って,新人とはいえ
すでにくたびれた感じがするけれど(笑),
とにもかくにも新しい環境である.
心機一転,ともに頑張って参りましょう.

私が新人にお話しすることは,だいたい毎年同じで,

「研究室に配属された限りは,
研究室に顔を出すこと.
そして長い時間を過ごすこと」

である.

研究室というのは,自分の能力を向上するために
大学が用意してくれた折角の環境なのである.
この環境を使い倒さなければもったいない.
そして各研究室はそれぞれ異なり,
そこには伝統と文化がある.

そんな研究室にただいるだけでも,
いろんな情報が目や耳から入力される.
それが大切なのだ.

研究に関する情報だけが大事だとは限らない.
くだらないと思う情報も入力したっていいじゃないか.
それが人生を楽しくしてくれるかもしれないし.
(ということで私のオヤジギャグにも
暖かく付き合うこと)

ただそれらが単発的に,
ときどき入力されるというだけでは,不十分である.
小さな情報入力の集積がいつか自分に変化を起こすのである.
そのスレッショルドに至るまで,入力し続けよう.

結局のところ,研究室で過ごす時間の積分量が大切なのである.

2009年4月14日火曜日

核融合研究の魅力と重責

昨日から,核融合科学研究所(NIFS)のLHD成果報告会に参加する.
日本原子力研究開発機構(JAEA)のプラズマ試験装置JT-60が
現在超伝導改造中ということもあり,
少なくともあと7年程度は,NIFSのプラズマ試験装置LHDが
日本の核融合プラズマ研究を牽引していかなければならない.
今回の成果報告会に参加してみて,LHDは立派にその大役を
果たしていると感じた(って,私が偉そうに言うことではなくて,
誰もがそう認めていることなのだけど).

LHDは,超伝導コイルの冷媒である液体ヘリウムの温度を
(冷凍機を増力して)4.2K (-269度)以下にするという
過冷却というテクニックを使って,
コイルの通電電流を増加させ,磁場を増強した試験を開始した.
(単純に磁場が強くなって閉じ込めが良くなるという話ではなく,
より磁場配位が最適化されて閉じ込めが
良くなるということなのだが)

また,プラズマ加熱も,77GHzの高周波加熱装置を増設して,
より性能の良いプラズマ実験(高温,高ベータ)を可能としている.

そして,私の興味が高い電源においても,
早いプラズマの磁気軸のスイングを
実現するために,新たにパルス電源が増設された.
これは,他の超伝導コイル電源の出力電圧が
30~40V程度であるのに対して,
増設されたサイリスタのブリッジ電源の出力電圧は
200Vを実現し,急速な電流の変化を可能としている.

しかし,LHDはヘリカル型装置であり,
もともと電流の変化を想定していない.
そうした装置でコイル電流の変化を早くすると,
磁束が変化して,装置全体にトロイダル方向に電流が流れてしまう.
特にコイルの支持構造は極低温にあるので,
ステンレスなどの抵抗も低く,そこそこの電流が流れ,
それが熱となって散逸してしまうことになる.
そして,結局冷凍機の負荷が増える.

もちろん真空容器にも電流は流れるのだけれど,
どのようにトロイダル方向の電流が各構造物に
分流していくのか,なかなか興味深い.
軸対称なトカマクとは異なるのだろうか?
(いや,変わんないなぁ,たぶん)

他にもこれに関連して面白そうな項目がいろいろと考えられる.
(超伝導コイルの交流損失評価なども報告されていたし)
LHDがパルス運転を行うとき,いままでは考慮されなかった
種々な課題が浮かび上がってくる.
(とはいっても,核融合炉がヘリカルでできる頃には,
完全な直流マシン,すなわち電流の変動などない
マシンとなっているだろうけれど)
こうして研究は進んでいくのだなぁ,と改めて思う.
新たな領域に一歩踏み出すとき,そこにはいくつも課題が現れる.
それらを解決するために,また努力がなされる.
そして,それがクリアされれば,また次の領域に踏み出せる.
その繰り返しだ.

こんな当たり前のことなのだけれど,
LHDやJT-60のような大型装置の進展を見ていると,それを実感する.
なぜなら,研究者たちは装置を投げ出して逃げるということが
できないからである.
解決できないからといって
別のテーマを行えばよいというものではない.
常に道の真ん中を進んでいかなければならない研究領域なのである.
それは核融合研究の魅力であり,重責であると思う.

何度も繰り返すけれど,核融合は日本が世界に誇る研究分野である.
日本は立派にその重責を果たしている.
私も微力ながら支援していきたいと思う.

2009年4月11日土曜日

合理主義者,宮本武蔵

昔はずいぶんマンガを読んでいたけれど,
(どこかの首相を越える量だと思う)
最近はさっぱり読まなくなった.
面白いと感じるマンガが少ないことと
(私の感覚がもう古い?),
面白いと評判を聞いて読もうとすると,
すでに何冊も単行本が出ていて,
最新の単行本に到達するまでに要する努力を思うと,
(そこまで読むのが面白いのだけれど)
モチベーションが下がってしまうからである.

そんな私が数少なく読んでいるマンガのひとつ,
「バガボンド」(井上雄彦作)の最新刊を読んだ.
有名な作品なのでいうまでもないのだけれど,
吉川英治版の「宮本武蔵」が原作である.
(だから,おつうさんが出てくる)

私も吉川英治版の「宮本武蔵」は
高校時代に熱中して読んだので,
だいたいのストーリーは知っているけれど,
現在の「バガボンド」は,ずいぶんと
井上氏独自の世界になっている.
それはそれで面白く,新刊がでるのを
いつも楽しみにしている.
最近は,吉岡一門との対決が終わって,
戦う意味をもう一度考えているところである.

吉岡一門との対決といえば,ある小説によれば,
それが二刀流開眼のきっかけとなったことになっていた.
本当にそれが二刀流を編み出すきっかけと
なったかどうかは別として,宮本武蔵は
「二天一流」という二刀流の流派を創始している.
右手に大刀,左手に小刀を持って構える.
彼は,何事にも合理的であることを好んだので
例えば吉岡一門との対決のように複数人と闘うのであれば,
一刀にこだわる必要はなく,
(可能であれば)二刀を遣う方が合理的とも考えられる.

実は現代の剣道でも二刀で試合を行うことは可能なのであるが,
あまりそうした選手は少ない.
その場合,右手に大刀,左手に小刀を構えることが多い.
実際のところ,二刀の方が剣道の試合でも有利だと思うのだが,
残念ながら審判の判定が厳しくなるらしい.

例えば右手の大刀で受けて,左手の小刀で打ち込めば,
ずいぶん二刀が優位に立てると思うのだが,
この場合,小刀の打突はほとんど有効打と認められないらしい.
だから小刀で受けて大刀で打つのが一般的(?)とのこと.
しかし,小刀であれ,それが身体に触れれば,
十分にダメージを与えることができると思うのだけれど...
(ナイフで十分人は倒せる)

逆に大刀で相手を打つ方がずっと難しそうである.
だから結局二刀は不利になり,二刀流の選手は
少ないのだろう.
二天一流を創始した宮本武蔵が
この話を知ったら,ずいぶんと嘆くのではないか.
まぁ,彼は剛力だったという話もあって,
自由に二刀を扱えたかもしれず,
こんな話は関係ないのかもしれないけれど.
(二天一流の演武のビデオなどを見ると,
決して腕力で剣を振らず,むしろ上下の回転力を
積極的に用いているように思えた.
ただ二天一流といってもいろいろな派があって,
違う派では,また振り方も異なるのかもしれないが)

ただ武蔵は刀なんて扱いやすいように持てばよい,としか
言っていないらしい.
とにかく相手を倒すという目的のためならば
形にとらわれないというのが武蔵の考え方だったらしい.

実を言うと,宮本武蔵はその合理的な考えのあまり,
刀さえ捨てたという話がある.
彼の後半の立ち会いの多くは木刀を持って行ったとのことである.
(巌流島の戦いも木刀であった)
刀はうち折れやすく,重たいからだろうか.
しかし,ある雑誌に武蔵使用と伝えられる木刀の写真が
載っていたのを見たことがある.
なんと柄の部分に穴が開いていて,
そこに紐を通す構造になっていた.
それは血や汗で手がすべり,
木刀を落とすことを恐れたためと
伝えられている.

宮本武蔵の到達した境地を低く見る人も多いけれど,
少なくとも私は過去の習慣にとらわれず,
有用であると思ったら,躊躇なく取り入れるという
武蔵の先進性は評価されるべきだと思う.

まったく宮本武蔵は合理主義者なのである.

2009年4月9日木曜日

花粉症,セカンドインパクト

スギ花粉のピークが過ぎ,
私の花粉症の受難の季節は
すでに過ぎ去ったかのように思われた.

しかし...
先週位から鼻づまりと頭痛に悩まされている.
昨晩は鼻づまりがひどくて
あまりよく眠ることができなかった.
ヒノキ花粉なのだろうか.
今年はヒノキ花粉の量が非常に多いと聞いている.
とうとうスギだけでなくヒノキの方も発症したのかと
少しビクビクしている.

花粉症を発症した年(というか,ひどくなった年),
血液検査でアレルゲンを特定した.
その結果,スギ花粉にだけ強くアレルギー反応を
示すということだった.
少なくともヒノキについては覚えがないので
問題にならないレベルであったのだろう.

しかし,スギに対する花粉症も突然(のように)発症するように,
ヒノキに対しても,今年になって
強く反応するようになったのかもしれない.

はぁ...一難去ってまた一難とはこのことか.
これではゴールデンウィークくらいまでは,
花粉症に悩まされ続けることになりそうだ.

一度発症した花粉症は治ることはないのだろうか.
いや少なくとも症状を和らげるような対策はできるはずだ.
まずは,十分な睡眠,バランスのとれた食事,適度な運動,
による体質改善だ.

...と考えてみると,結局のところ
これらは生活習慣病への対策と
ほとんど同じであることがわかる.
つまりは,花粉症は不健康な生活習慣によって
促進される成人病なのだ.

これから努力しよう!
あぁ,早く健康になりた~い(ベム風)

2009年4月8日水曜日

石油ファンヒータとシリコーン

うちの石油ファンヒータが不調であった.

(すみません,春の陽気が続いているというのに,
暖房器具の話です)

勝手に不完全燃焼と判断するらしく,
安全のために消火してしまうのである.
それでは用に足らないので,
メンテナンスの方に来ていただいて
診てもらった.

原因は,炎の状態を調べているセンサの表面に
シリコーンが付着したために,
不完全燃焼と判断してしまっていたらしい.
確かに吹き出し口にもうっすらと白いものが付いていた.

みなさんはシリコーンが含まれている製品を
ファンヒータと一緒に使用してはいけないことを
ご存じだったろうか.
私は初めて知った.

シリコーンというのはシリコンが含まれた有機化合物で,
つや出し剤とか,女性のヘアスプレーなどに含まれている.
確かにネットで検索してみると,
シリコーンによって,そうした不具合が発生しており,
メーカのホームページなどにもそのような説明が載っている.
しかし,全然広報がされていないように思う.
ヘアスプレーの説明書にはそうした記載があるものも
あるらしいけれど.

さて,私の家では,そんなに部屋の中でヘアスプレーを
使用していたのかというと,全くそんなことはなかった.
つや出し剤も全然使用していない.
では,何が原因だったのか.
調べてみると,驚くべき事実が...
(ってそれほどのことでもないけれど)

実は,我が家では子供の花粉症がひどいので,
今年から洗濯物について二つの対策をうった.
ひとつは,部屋干しにすること,
もうひとつは,柔軟剤を使用すること,である.
部屋干しにすることによって,
外部に衣服をさらすことを防ぐことができるし,
柔軟剤を使用することによって静電気を防止し,
花粉がつきにくくなるという話を聞いたからだった.

これがいけなかった.
柔軟剤にはシリコーンが含まれていたし,
(これが揮発性らしい)
部屋の中で洗濯物を乾かすために
ファンヒータを積極的にしていたのである.
その結果,たっぷりとシリコーンが付着し,
なるべくして不具合が発生したということらしいのである.

一体どこに不具合の原因が隠れているのかなんて
全然わからない.
たぶんファンヒータの設計者も,そんな使用方法で
不具合が生じるなんて最初は思ってもみなかったろう.
たぶん各メーカは(といっても石油ファンヒータのメーカは
数社に絞られてしまったようだが),現在は
対策に頭をひねっていることだろうけれど.

しかし,今回のことで家電の設計者というものが
どれだけ気苦労が多いことかと,心配してしまった.
PL法ができて,メーカの責任が重くなってからは,
ますますのことだろうと思う.
しかし,設計段階で予見できる不具合の原因なんて
限られたものであるにちがいない.
そして思いもしない不具合や事故が起こってしまうのである.

最近になって,リコールや回収のニュースが多くなっている.
世間の目は,ますます厳しくなっている.
メーカはそれに耐えうる製品を作らなければならない.
その苦労を思うと,同じ電気に携わる者として,
ため息をついてしまうのである.





2009年4月7日火曜日

小論文試験について~(4) 最後に ~

4月になって,あちらこちらで企業も採用試験を
行い始めている.
この小論文試験に関する記事も,
もう時期外れなのかもしれないので,
今回を最後としたい.

小論文においては,
とりあえず短時間で書き上げなければならない.
また限られた文字数の中で,
論理展開をして,結論まで導かなければならない.
そして,読者を説得しなければならない.
したがって,時間配分,分量配分が大事となる.

最初にテーマが与えられて,
自分が主張したい話を決める.
そこですぐに原稿用紙に書き始めてはいけない.

書く前に,主張したいことについて
相手を説得するために,
その根拠となるエピソードを
取捨選択して決定するのである.

それから,分量配分をする.各エピソードに
どのくらいの分量の文章を割り当てるか,
最初に構成を決めてしまうのである.

あとはその割り当てた範囲で書ける詳しさで
(当然,割り当ての分量が少なければ,
内容は詳しくは書けなくなる)
エピソードを記述する.

そして,自分の主張したいことに,
話の流れを落としこんでいくのである.

ま,言うは易し,行うは難し,ということなのだけれど.

与えられた文字数が極端に少ない場合もある.
たとえば原稿用紙1枚とか.
その場合は,400字を4分割してみよう.
第1のパートは,序論である.
しかし,短い文章なので最初に結論を書いてしまおう.
あとはその説明という形になる.
第2,3のパートは本論である.
短い文章にスパイスを効かすためには,
第3のパートに,「反論」を持ってくるのも
ひとつの手である.
自分の主張に対して,わざと反論を述べるのである.
そして第4のパートにそれに対する反論をまた述べて,
結論で締めくくる.

短い文章だと,新聞のコラムなどが
よく参考になるといわれるが,
小論文はいわゆる「読み物」ではないのだから,
起承転結は不要であることに注意したい.

あとは時間配分に気をつけること.
最後まで書けなければ,
論文は中途半端なものとなってしまう...
ついつい一生懸命書くと時間が足りなくなってしまうのだけれど,
内容は100点の小論文であっても
時間切れでは元も子もない.
60点でも締め切りに間に合うことが大切.
これは前の職場の私の上司が良く言っていたことである.

小論文は大変だけれども,
答えが間違っていて,点数が下がるということはない.
努力さえすれば,かならず良い評価が得られるものである.
論理的な能力,それに磨きをかけて
頑張ってください.
幸運を祈る!

<付録> その他,小論文を書くことで大切なことを
思いつくまま以下にあげてみる.

  • 丁寧な文字で書くこと.読んでもらおうとするのだから,最低限のマナーである.
  • 誤字脱字を見直すこと.時間が少ないのはわかっているけれど,少なくとも1回は読みなおしておきたい.
  • 同じ表現,単語の繰り返しを避けること.単語の繰り返しを避けることは,英文だけに限らず日本語の文章においても,読みやすさを助ける基本的なルールである.
  • 「考え・意見」と「事実」を区別すること.特に周知の事実のように,ある物事を書く場合は,根拠を示すこと.これがあいまいな論文は,困ってしまう.
  • とにかく陳腐な表現を避ける.「衝撃が走った」,「心の琴線に触れた」などの表現は,無意識的に嫌悪感を持ってしまう(私だけ?)
  • 人が書きそうな話は避ける.だから個人的な経験に基づく話を書くのは非常に印象が良くなる.

2009年4月6日月曜日

山桜をさがす

昨日は近所の公園も花見でにぎわっていた.
夕方に散歩にでたのだけれど,
西日に影濃く映える桜の姿は,
人にまたじっと何かを思わせる.
少し肌寒かったけれど,ゆっくりと散歩を楽しんだ.

桜といえば今ではソメイヨシノが一般的だけれど,
日本で昔から愛されてきたのは山桜であるらしい.

山桜といえば,本居宣長の

敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花

の歌が有名で(といっても私は小林秀雄の講演の
録音を聴いて初めて知ったのだけれど),
その美しさは昔から日本人に愛されてきた.
小林秀雄は講演の中で,
山桜を実際に知らなければこの歌の意味は本当に
わからないと力説している.
この花の美しさ,匂いの良さがわかってこそ,
本居宣長のいはんとしたところが理解できるのだと.

私もそのつもりで,山桜を近所の公園に探してみた.
しかし,どれが山桜なのか全然わからない.
夕方で少し暗かったので,離れた所の桜が
ソメイヨシノかそうでないのかもわからなかった.
散歩をしながら,ふと宣長の歌を思い出し,
それで見分けようとしたのだけれど,
山桜をさがすのは,まだ明るい昼間に行うことにしよう.
またそれが口実となって,桜の木立の間を
散歩することができるし.

本居宣長は本当に山桜を愛していたらしく,
彼の遺言にも,墓には質素に山桜を植えるようにと,
図まで描いて指示していたらしい.
しかし,彼の墓は長らく,彼の功績を称える
後世の人たちによって建てられた
桜に囲まれた立派なものであったとのことである.
それを講演の中でも小林秀雄は嘆いていたが,
平成13年,彼の没後200年の年に,
遺言の通りの墓に復元されたらしい.
本居宣長も小林秀雄も草葉の陰で
ほっとしていることだろう.

今夕は研究室の花見である.

2009年4月3日金曜日

インターネット講義との戦い

インターネット大学の可能性について
助教のK先生と話す.

大学の講義もインターネットで
公開するところも増えてきて,
また茂木健一郎氏がいうように,
現在は大学に行かなければ,
論文が読めないという時代ではない.
インターネットさえあれば,
世界の各国の最新の研究成果を
論文で読むことができる.

したがって,放送大学のように,
大学の教授の講義をYouTubeにでも流せば,
それを見ることによって世界中の人が
学習の機会を得ることができるようになる.
それは大変素晴らしいことだ.

かくいう私も他の大学の講義をインターネットで
たまに視聴することがある.
例えばMIT.
電気回路の第一回目の講義のテーマが,
なんと集中回路定数だった.
電気回路で記号で表される
抵抗やインダクタンス,キャパシタンスというのは
あくまでも理想でしかないことを
最初にみっちりと講義するのである.
さすがMITと,思わず私も唸ってしまった.
このように他大学の講義を聞くのは,
教員にとっても刺激になるものだ.
(大阪大学でその講義をしようとは思わないが)

YouTubeでは,大学の講義の専門チャンネルも
できたそうで,私も時間があれば英語の勉強も兼ねて
今後も観ていきたいものである.

しかし,このような状況になってくると
大学に入学して勉強する意味を
もう一度見直さなければならない.
YouTubeで見る講義の方が,
大学で受ける講義よりも面白いということだって,
往々にあり得るのである.
大学に行く必要がないではないか,
ということになる.
(まぁ,理工学,医薬系は学校での
実験や実習が重要になるので,
それだけでも大学に入学する必要はあるのだけれど)

こうした話は昔からあって,
バックミンスター・フラー
(C60の構造をフラーレンと呼ぶようになった
理由の人)なんて,
講義なんて教授がやる必要がなく,
教えるのがうまい人,あるいは
役者にやらせるべきだとまで言っている.
講義内容だけ,教授や専門家がしっかりと
構成すれば良いのだ.

これも一理ある,と私は思う.
こうしたことが実現できれば,
世界中の人々に学習の機会が
今よりもずっと与えられることになるだろうし,
わかりやすい講義によって,
より多くの人の理解が深められることになるかもしれない.

しかし,それでも大学に来て
講義を受ける意味というものはあるはずだと私は思っている.
それは,クラシック音楽(に限らないけれど)のCDを
いくら聴いても,生のコンサートの魅力には録音は
敵わないことによく似ている.
結局のところ,講義はライブなのだ.

音楽のコンサートでは,
演奏者と聴衆が一体となることによって,
記憶に残る素晴らしいライブに昇華する.
演奏者と聴衆が一緒にそのライブを作り上げるのだ.

大学の講義もそうであるのだと私は思う.
いくら眠そうにしていても,講義に出席してきた学生と
教員との相互作用というものは存在して,
その相互作用のために,その講義が一回きりのものに
(「素晴らしい」とまでは言わないけれど,
少しは記憶に残るものに)なるのである.
この醍醐味がなければ,
私自身も講義をするモチベーションが
かなり低下するだろうと思う.
学生もそのライブ感,もっというとグルーブ感に
魅力を覚えて講義に出席しているというのだと,
大変うれしいのだけれど.

だから私は(たとえ朝一番の講義であろうとも)出席を
とるようなことはしない.
私の講義を聞こうと思ってくれる学生が
来てくれればいいと思っている.
そして,そうした学生が少しでも多くなるように,
私も魅力的な講義をしようと努力しているのである.

インターネット大学は今後も
どんどん発展していくべきとは思うけれど,
それに負けぬように,ライブの大学の講義も
魅力的なものにしていかなければならないと思う.
そしてそれは,インターネットで流される
世界中の大学講義との戦いであり,
出席点さえなければ講義を欠席しようとする
学生たちとの厳しい戦いなのである.

2009年4月2日木曜日

ウソとホラ

ウソとホラ.

二つの違いは,ウソは人を傷つけ,
ホラは人を傷つけないことである,と聞いたことがある.

4月1日は,人に害がないホラをうまく吹きたいものである.
私の合気道の先生は,
ホラを吹くように,と指導される.
大きなホラを吹いていると,気分が沈むことが少なくなる.
最初から気持ちがメソメソしていては,
成功できることも,成功できなくなってしまう.
だからホラを吹いて明るく行こう,ということだ.
もしもその吹いているホラの10分の1でも実現できたら,
それはそれで素晴らしいことではないか,
という教えなのである.

ホラも吹かずにやっていくのは,
私の性に合わない.
この40年以上私という人間に付き合ってみて,
私はどうも不言実行というタイプではなさそうである.
私は適当にホラを吹きつつ,
楽しく人生を過ごしていこうと思う.

まぁ,それはともかく,来年の4月1日には,
もっと素敵なホラがふけるように,精進したいものです.

*昨年の4月1日の記事

2009年4月1日水曜日

人間の共振現象

4月1日である.
大学では入学式が挙行される.
そして私は,パソコンの中の
昨年度の電子ファイルのバックアップを取る.
年度がわりである.
また新しい気持ちで一年を始めよう.

3月は別れ,そして4月は新しい出会いがある.
新しい気持ちで会う,新しい人には,
また新しい刺激を受けることだろう.
今年はそうしたことに心を配りたい.
なにか心に共鳴できるような,
そんな人や物に出会えるかもしれない.
そんな根拠なき期待にワクワクできるのも
この春という季節の特徴である.

共鳴とか共振とかいうと
電気回路をついつい思い浮かべてしまうのは
電気系研究者の性であるけれど,
そうした現象は別に電気回路特有のものではない.
人間にだって共振現象というものがあると
私は思っている.

というと,お互いの心が響きあう,というような,
そんな素敵な人間関係を想像してしまうけれど,
それほど私はロマンチストではない(笑).
人間の神経伝達に電気が大きな役割を占めているならば,
人間の神経回路も電気回路で近似できるはずである.
ならば,共振現象も起こりうるはずである.
そういう意味で私は言っているのである.

ずいぶん以前のことなのだけれど,
テレビのアニメ番組において,
光の点滅を繰り返すシーンがあったところ,
それを見ていた子供たちがてんかんを起こすという事件があった.
全国で結構な数の子供に症状が現れたために
大きな話題となったのだけれど,
これについて前の職場の上司が,
人間の神経回路における共振現象が原因ではないか,
といったのを覚えている.
私も深く考えさせられた.
確かにこの現象は「光過敏性てんかん」として
医学的には説明されるのだろうけれど,
脳内の神経によって構築された電気回路が外部からの刺激によって
共振を起こし,許容値をオーバーしてしまったのではないか,
という仮説はたいへん魅力的に感じたのである.

このときの光の点滅の周波数は,およそ10~20Hz程度だったのだという.
人間の神経回路のインダクタンス,キャパシタンスを
等価回路的に計算すれば,そのような周波数になるのではないだろうか.
いつか実際に検討してみたいと思っている.

人間にそうした共振周波数があるかどうかはまだわからないけれど,
地球にはそうした周波数は存在する.
いわゆるシューマン共振である.
これは,地球の地表と電離層との間に
電磁波の定在波が存在することを示し,
7.8Hz, 14Hz, 20Hz程度の一次,二次,三次の周波数が
観測されている.
ここで非常に興味深いのが,これらの周波数が
人間の脳波の周波数にたいへん近いということである.
だから地球の脳波などと呼ぶ人もいるらしい.

数年前にこれらの周波数が上昇し始めているなどという
オカルティックな噂が一部で広まったのだけれど
(だから世界が破滅に向かっているなどという),
そんな事実は報告されていないと,
実際に大気の電磁波を観測している先生に
断言してもらっているので,やはりそれらはデマだったのだろう.
もし変わるというのであれば,
それは電離層と地表の距離が変化している
ということになるのであって,
そんなことが起こるのならば,
すでに世界は大変なことになっていることだろう.

しかし,そんなシューマン共振と人間の活動が
強い相関をもつなどという怪しい噂も信じてしまいそうな経験を
実は私はしているのである.
私が研究しているパワーエレクトロニクスの半導体変換器は,
周波数を任意の値に変換できるところがミソである.
例えば,交流から直流に変換するとか,
あるいは直流から交流を発生させるとか,
50Hzから,60Hzやその他の周波数の交流をつくり出すなど,
周波数を変換するすることによって,電力をより使いやすく,
省エネ化することができるのである.
電車やインバータエアコンのモータなどにおいては,
数Hzから数百Hz以上まで周波数を変化させることによって,
モータの回転速度を自在に制御しているのである.

私もそうしたモータや発電機の制御の
実験を行ったりするのだけれど,
半導体変換器が出力する電圧・電流がある周波数帯になると,
実験をしている周囲環境が不意に静かに
感じられるようになることに気づいたのである.
いや,静かになるというよりは,
すべての音がやけに生々しく聞こえ始めるのである.
インバータの音も耳元近くで鳴っているように感じる.
そこで音を発していることのリアリティが,
まるで手触りできるかのように迫ってくるのである.
最初は気のせいかと思ったけれど,
それがしばしばのことなので注意して実験するようになった.
そして変換器の出力周波数を確かめてみると,
それがシューマン共振周波数付近の7~8Hzだったのである.

実際にどのような作用が生じているのかは見当もつかない.
半導体変換器の発生する電圧・電流の周波数が,
私の脳に影響を与えるのだろうか.
あるいは世界に存在するそうした周波数の定在波を
まるでアクティブフィルタのように打ち消してくれるのだろうか.
もしこの現象の理由をはっきりできるのであれば,
インバータエアコンのモータを多極化して,
駆動する電圧・電流を7~8Hzに抑えてみたらどうだろうか.
部屋の静けさが増したように感じられるのではないだろうか.
7~8Hzは,耳には聞こえない周波数帯ではあるけれど,
雑音にまみれたこの世界から,
私たちを救ってくれることになるかもしれないのである.
これも,いつか考えてみたいテーマである.