2009年4月28日火曜日

点滴をして,過去の夢をあきらめる

久しぶりに寝込んだ.
昨日の朝,起床してみると
おとといの夜からの鼻水,頭痛,のど痛,悪寒が
ひどくなっている.
幸いにして熱はなかったから,
意識ははっきりとしていたけれど,
座っていることがつらい.
仕方なく大学を休むことにする.
(関係各位には大変ご迷惑をおかけいたしました)

近所の行きつけの内科にいくと,
ウィルス性の風邪かなにかだという.
(新型インフルエンザではありませんでした)
とにかく身体がしんどくてつらいというと,
点滴を打つことになった.

「えっ,点滴ですか?」

と驚くと,「嫌ですか」と言われたけれど,
嫌ともいえず,素直に先生に従って
点滴用のベッドに行く.

実は,私は記憶がある時期からは
点滴を受けたことがない.
(赤ん坊のときには,受けたらしいが)
少しドキドキする.

人からの話によれば,身体が冷えて,
トイレも近くなるという話だったので,
ベッドから起き上がり,あらかじめ
用を足しておく.

次に「どのくらい時間はかかりますか?」と訊くと
「小一時間ぐらいです」との答えだったので,
カバンから文庫本を取り出す.

そして身体に毛布をかけて,準備万端.
後はハリを腕に刺すだけとなって
ワクワクと待つ.
なにかしら,うれしくて,
自分でも少し変に感じた.

どうも私は身体が弱そうに見える男性というものに
憧れているところがある.
自分がなれるとしたら,細く柳のような身体に
長い手足,さらさらとした長髪,
そしてさわやかだけれど,ひ弱そうな笑顔.
そんな文系な男になりたかった.

夏でも汗をかかず,友達に手を振る二の腕は
枯れ枝のように細く,薄いブラウスにその影が
透けるような,そんな文学青年が良かったなぁ.

そして,「点滴」である.
ふらりと貧血などで倒れると,
だいたいTVドラマなどでは点滴を打つ.
(本当に大切な治療のために点滴を
打っている人には大変申し訳ないけれど)
「点滴」というのは,
ひとつの憧れアイテムだったのである.

しかし,現実はあまりにも厳しかった.
大学時代はトレーニングセンターに通い,
胸囲も増え,袖なしのTシャツで三角筋を
誇示するような嫌ぁな男だったし,
髪は短髪,本は読まない.
汗はべとべとかいて,Tシャツには汗じみが浮かぶ.
あぁ,なんと理想と現実とかけ離れていたことか...

そして,今.
メタボである.
あごは緩み,腹は出て,
体力は全然なく,すぐに疲れる.
もう目も当てられない.
同じように身体が弱くなっても,
学生時代憧れていた透き通るような
さわやかな文学青年(中年)にはなれなかった.

点滴を受けていて,今の自分が嫌になってきた.
この初めての点滴が,自分の夢にお別れを告げる
きっかけになろうとは.

もう文学中年はあきらめた.
だけどもう少し体力を作り直そう.
いかつい中年でいいじゃないか.
心だけでも優しい大人になろう.
この歳になると,あきらめることも多くなり,
そして,たやすくなるようである.

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