2009年6月29日月曜日

ちるみゅー

週末は,家族で篠山の
この通称ちるみゅーは,山の中の廃校を利用した
子供のための施設で,別に遊園地のような
すごいエンターテイメントが用意されているわけではない.
広い運動場,入って遊べる里山,
昔ながらのメンコなどのおもちゃ,
あるいは自然素材のおもちゃなどがあるだけである.

けれど,うちの子供たちは(親たちも)大好きな場所である.
子供というのは,時間と道具さえあれば,
なにかしらの遊ぶ方法を見つけるものである.
ジェットコースターがなくたって,
TVゲームがなくたって,
楽しむ方法は百もあるのだ.
(まぁ,うちではあまりTVゲームはしないけれど)

今回はピザを作るワークショップに参加した.
子供たちは生き生きとして,
初めてピザの生地をのばしたり,
包丁で野菜やベーコンを切ったりして
料理を楽しんでいた.
ピザは校庭の隅にある窯で焼いてくれる.
この暑い中,汗をかきかき窯の中を見る.
煙が立ち上るもの見る.
こうやって子供たちはピザが焼かれるという
ことを知る.
(家では到底窯では焼けないし)
ボランティアの人たち(おとなりスタッフと呼ぶらしい)も
本当に親切で,恐縮する.
安心して子供を任せることができる.

昔,小学生の頃,学校から勉強がなくなれば
いいのにと思ったことがある.
ただ友達と遊ぶための場として
学校があればいいなぁ,と思ったのである.
(多くの小学生がそう思っていただろうけど)

ちるみゅーの基本的なコンセプトは
これではないかと思う.
つまり,学校を遊びのためだけに開放する.
その中で遊ぶ方法は子供たちに任せる.
そんな昭和の時代の,
性善説で子供たちを語ることができる頃の
(大人たちの)夢がそこにある.

外部からの刺激に受動的に反応するだけに
慣れきった現代の子供たちに,
そうした夢をもう一度託してみたい.
そんな郷愁も感じる施設である.

ただそんな大人の押し付けがましい
感傷だけで成り立っていけるほど甘くはない.
今,ちるみゅーは存続の危機にあるらしい.
私たちのような県外からの利用者が多いことも
問題になっているという.
(ちるみゅーは市立であり,税金が使用されている)

子供たちは,体験すれば楽しいと思うのだけれど,
その体験するという機会を自分から求めることが難しい.
あとはその価値を認める親たちが,
積極的に体験の機会を作ってあげるしかない.
しかし,その親たちも刺激に受動的な
現代のエンターテイメントに慣れきっているのである.
子供たちに任せて遊ばせるということに
思いが及ばないのではないか.

とはいえ,私は子供たちが遊んでいる間
何をしていたかといえば,
芝生の木陰に敷物を敷いて,
寝転んで文庫本を読んでいただけだったりする.
目が疲れたら,はっきりとした山の稜線に
視線を移す.
蜂のうなりが遠くに聞こえる.
残念ながら運転手の私はビールを
飲むことはできなかったのだけれど,
それでも90%程度の至福を感じた時間であった.
(もちろん,お弁当も最高に美味しかった)

こんな素敵な場所がなくなるなんて,悲しすぎる...
ぜひ継続にがんばってもらいたいと思う.

2009年6月26日金曜日

トビウオだけが気付くことができる

競泳の日本代表の愛称が「トビウオジャパン」と
決まったそうである.
フジヤマのトビウオというのは誰だったけ?

しかし,「○○ジャパン」というのが最近多いなぁ.
「サムライジャパン」とか「なでしこジャパン」とか.
「マーメイドジャパン」なんてのもあったような...
そのうち,日本発のパワーエレクトロニクスを称して,
「パワエレジャパン」とかいったらどうだろうか.
(ちょっとダサい)

冗談はさておいて,
世の中にはトビウオを神の使いとして崇める人たちがいる,
という話を思い出した.
(どこでこの話を読んだのだか,もうすっかり
忘れてしまった.最近のことなのだけれど,
どの雑誌だったのだか,全く思い出せない)

魚が生きていくために不可欠なもの,
それは「海」であり「水」である.
しかし,魚はそれに含まれているゆえに,
「水」という媒体の存在に気づかない.
しかし,トビウオだけが,「海」から飛び出して,
「水」という媒体の存在に気づくことができる.
だからこそ,トビウオをあがめるのだというのだ.

この話は,人間が時間という媒体の中で生きていて,
だからこそ時間の存在を知ることができない,
ということの説明に使われていたのだけれど,
(ここまで書いてきて,思い出した!
これは「本が好き!」という雑誌に掲載されていた
福岡さんのエッセーだ)
なかなかにして面白いアナロジーだと思う.
(実は,このエッセーを読んだ時には,
池の鯉だって飛び跳ねるじゃん,
と思ったのだけれど)

媒体の中で生きているものは,
その媒体の存在に気づくことができない.
自分が住んでいる世界の外を思う.
自分の思考の外を思う.
そんな考え方ができたらいいな,と
トビウオの話で思い出したのである.

#福岡氏の連載は雑誌「本」ではなく,
「本が好き!」でした.
修正しました(6/29).

2009年6月25日木曜日

口をあけている人たち

暑い.
というか,蒸し暑い.
やはり梅雨の時期だけに湿気が高い.
仕方なく研究室のエアコンも稼働し始めた.

学生たちの服装もすっかり夏風である.
Tシャツ姿がうらやましい.
さすがに教員はTシャツを着るのが
はばかられるのだ.

さて最近,犬のように暑いから開けるというわけではないのだろうが,
口を開(あ)けている学生の姿を多く見かける.
別になにもしていない時でも口が開いているのである.

鼻が詰まっているのだろうか.
口呼吸をしなければならない理由があるのだろうか.
はっきりいって口を開けている姿はカッコ悪い.
基本的に呆けているときに口はポカンとあくものなのである.
いつもどこか抜けているように見えてしまう.

四六時中口をあけている姿は小さな子供の中にも
よく見られる(息子や娘の周りにも多い).
いつのまにかそれが自然になっているのだろう.
しかし,赤ん坊の頃はおしゃぶりなどをくわえているから
鼻呼吸が中心だったはずである.
どこかで口呼吸に移行してしまったということである.
ガムを食べさせると良いなどというけれど,
本人が自覚して直そうとしなければ,
そうそう直るものではないような気がする.

武道においては呼吸が重要視される.
呼吸法が奥義のひとつになっている流派も多い.
私が学んでいる合氣道においては,
別に奥義や秘伝ということではないけれど,
呼吸法を学ぶ.
心身の安定を得るためである.

呼吸を口だけで行うと,
どうも落ち着きがなくなる.
鼻呼吸を中心に行った方が心が静まる.
口呼吸は,激しい運動をしたときなどに
行うものである.
すなわち心の安定を求めるためには,
鼻呼吸を静かに行うことが有効なのである.

こう考えてみると,口呼吸の人たちは,
心身にストレスをかけているとも考えられる.
心が落ち着く暇がない.
これから一生そんな状態で良いのだろうか.
ぜひ直すべきである.

とこんなことを言っても,若い人たちは
耳を貸してくれないだろうなぁ.
しかし,彼らの口を開けている姿が
どれだけカッコ悪いかを自覚させたら,
たちまち直してしまうかもしれない.
ファッションよりも,立ち居振る舞いに
まずは気をつけるべきだと思うのだけれど.

2009年6月24日水曜日

バッハの音楽による安らぎとコスモス

忙しい.
いくつもの小さな雑務が山積している.
しかし,ひとつひとつクリアしていくしかない.
そのタスクは重要度では低いかもしれない.
優先順位をつけて仕事を行うというTipsは
よく仕事術に出てくるけれど,
あれは余裕がある状況での話ではないだろうか.

優先度が低い仕事でも,それらを
いつかしなければならないことには変わりがない.
そして,その数々の細かな仕事は,
「いつかやらなければならない」というストレスとなって,
私たちのリソースを削っていくのである.

結局のところ,できるものから片付けていくしかないのだ.
それが私の仕事術.GTDのコンセプトでもある.
片付けていくことによって,私たちの頭脳のメモリが
解放されていく.それがつまるところ効率を上げることになる.

そんなことを考えている毎日.
このような状況になるとやっぱりバッハが聴きたくなる.
今朝は,車の中で「平均律クラヴィーア 第1集」を
レオンハルトのチェンバロで聴きながら通勤してきた.
今日は始めから順番通りに聴く.
長調,短調と繰り返されていく曲を耳にしているうちに,
心が落ち着いてくる.
(村上春樹の1Q84は,この平均律クラヴィーアを意識して,
ふたりの人物の物語を交互に各巻ごとに24章の形式にまとめて
書いたということである)

以前にも書いたけれど,バッハの曲には
数学の香りを感じる.
完全性というべきか.
人間の感情を越えた清冽さがあると思う.
その数学的な調和が,私のこのカオスな生活に
安らぎとコスモスを与えてくれるのかもしれない.

昨日はバッハのオルガン曲を聴きながら帰宅した.
明日はまたマタイを聴こうか.
バッハを聴く機会は今後ますます増えていくような気がする.


2009年6月22日月曜日

音楽は人生を変えるか

CDショップのクラシックコーナーに立ち寄ると,
二つの大きなのポップがあった.
ひとつは,先日バン・クライバーン国際ピアノコンクールで
優勝した辻井伸行さんのCDのもの.
そして,もうひとつはヤナーチェクのシンフォニエッタの
ものだった.

一つ目はわかる.
これまでも誰かがピアノコンクールで優勝すれば,
そのCDは注目されてきた.
例えばショパンコンクールのブーニンとかユンディ・リとか.
(古い人はその時代を知らないので,ここにはあげない)
チャイコフスキーコンクールだったら,上原彩子とか
諏訪内晶子とか(バイオリンだけど).
辻井さんの注目度は,いろいろあってそれ以上に高く,
CDも大変売れているらしいけれど...

しかし,二つ目は意味がはじめ良くわからなくて,
ポップを読んで初めて知ったのだけれど,
村上春樹の小説「1Q84」の中において,
ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団
ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が出てくるらしく,
それでCDの売れ行きが伸びているのだとか.

「やれやれ」と,どこかの小説の主人公でなくても
言いたくなってしまう.
それほど「1Q84」は人気なのか.

正直,私もヤナーチェクのシンフォニエッタの録音は
所有していない.
一応,何度か聞いたことがあるけれど,
最初の金管のファンファーレ(それもメロディー忘れた)と
最後の弦楽器の盛り上がりくらいがあったことしか覚えていない.
名作といわれているらしいけれど(レコ芸でも名曲にセレクト
されていたような気がする),
やっぱりマイナーである.

ヤナーチェク自体がマイナーだ.
私は,彼の二つの弦楽四重奏曲は大好きで,
東京カルテットやアルバン・ベルクカルテットの生の演奏にも
触れる機会があったのだけれど,
そういえば管弦楽というのは聴いたことがない.
オペラ「利口な女狐」などは内容も充実した名作で,
吉田秀和氏も絶賛しており,いつか観てみたいとは
思っているのだけれど...
(去年だったか小澤征爾,サイトウキネンで上演されたような
気がするけど,もちろん観に行けませんでした)

それがこれでメジャーになるのだろうか.
それはそれで一クラシックファンとしては,嬉しいのだけれど...

村上春樹氏の前作の長編小説「海辺のカフカ」でも
音楽が重要な役割を果たす.
そこでは,シューベルトのピアノソナタ17番がいい感じで
紹介されているのだけれど(その他にもプリンスなども出てくるけど),
私が心を惹かれたのは,ベートーベンのピアノトリオ「大公」である.
作品の中では,ホシノという一人の男性がこの曲を聴くことによって
人生を変えてしまうという,重要なきっかけとなっているのだ.
(大公トリオが売れたという話はあまり聞かなかったような気がするが)

音楽を聴くことによって人生が変わってしまうようなことが
本当にありうるのだろうか.
私は有り得るだろうと思っている.
往年のドイツのソプラノ歌手エリザベート・シュワルツコップは,

「リート(歌曲)を聴く前と聴いたあとでは,
その人の人生が変わるようなものでなければなりません」

と述べていたという(詳細うろ覚え).
それくらい重要なものでなければ,人はこんなに
音楽を愛すはずがないと思う.
それは間違いない.
ただ,私には,人生を変えるような音楽に出会う瞬間は
まだ訪れていないようだけれど.



2009年6月19日金曜日

ソリがあわなそうに思う車

車を運転していると,
いろいろな車を見かける.
その外観を見て,この車の持ち主とは
ソリがあわなそうだなぁ,と思うものを
いくつかあげてみる.
(人に迷惑をかけない限りは
別に問題ないと思います.
ただ,私とは性格的にあわなそうに
思うだけです)

・エンブレムや車種名のロゴが金色の車
どういう感性をしているのかが
よくわからない.
リッチ感を出そうとしているのかな.
だったら逆効果のような気がする.
そんなことにお金をかけているというところが
ちょっと悲しい.

・白いハンドルカバー
最近よく見かけるのだけれど,
何の効用があるのだろう.
ダサいと思うのだけれど...

・光るナンバープレート
以前,テレビのCMで
「あなたの個性を演出」などと
宣伝していたけれど,
一体,どういう個性なんだろう?

・ナンバープレートカバーをつけてる車
透明のカバーならば,掃除のためと
理解できるのだけれど,
色が付いているカバーは何のためかと
その目的を疑う.
自分が違反をしたときに,ナンバーを
読まれなくするためなのだろうか...

・いわゆる土足厳禁車
実はこれは理解ができる.
シャンデリアや厚手のカーペットなどで
自分の居住空間が快適に思えるのならば,
それはそれで結構.
清潔感たっぷりならば乗ってみたいくらい.

・いわゆる改造車,走り屋
ときどきすごいウィングをつけている車を
見かける.
持ち主はかっこいいと思っているのかな.
一般公道では不要だろうし,
重量物なので燃費が悪くなることは
確実だと思うのだけれど.
まぁ,それをかっこいいと思っている感性って
どうなんだろう...

・いわゆるデコ車
その人の感性は面白そうなので,
(恥ずかしく思わないところが)
意外に友達になれるかも...
ナイトライダー風の赤いLEDなんて
逆にいいと思うけどなぁ.
見つけたら思わず微笑んでしまいそう.

***

基本的に私は,車は走ればいいと思っているので,
多くのものを求めない.
基本的な走行性能と,エアコン,
そしてカーステレオ.
だいたいこれがそろっていれば問題ない.

逆に飾り付けるのは嫌いなのである.
機能的に不要なものは,取り付けることはない.
それをわざわざつけるという考えが
よくわからないのである.

(車の外観で自分の個性を表現する
というのをファッションの一つとすれば
まぁ理解できないことはないけれど)

運転技術も無いので,別に走りを楽しむわけでもない.
他の人が走ることを楽しむのは構わないが,
ルールやマナーを無視して迷惑をかけるのだけは
やめてほしい.
車がすごいからといって
運転手が偉いわけではないのである.
そこら辺を勘違いする人が多いような気がする.

2009年6月18日木曜日

アジサイの花言葉は

今日は,アジサイを見ながら弁当を食べるという研究室行事があり,
万博公園「あじさいの森」にみんなで出かけた.

大阪は昨日から30度を越える猛暑であり,
公園を歩くだけで汗がにじんできたけれど,
風は思いのほか心地よく,
日蔭ではずいぶん涼しく過ごすことができた.

キャンパスは万博公園の隣にあるのだけれど,
意外に遊びに来る機会は少ない.
今日も,初めてここに訪れた学生や,
来たのは小学校以来という学生が多かった.

アジサイは,4500株程度が植えられているとのことで,
6月28日まであじさい祭りが開かれている.
(といっても,何もやっていなかったけど.
まぁ,今日は平日だし)

アジサイは,英語ではHydrangeaというらしい.
研究室の留学生に説明するために覚えた.
海外でもアジサイはあるらしく(当たり前?),
すぐに分かってもらえた.

そして,アジサイの花言葉は「移り気」である.
これは知っていた.
花の色が,緑や白,青や紫にどんどん
変わっていくので,そうした花言葉になったのだろう.
あんまり人に贈るのには適した花ではなさそうである.
昔から,アジサイは氣が強く,病人の見舞いなどには
向かないといわれているし.

しかし,アジサイの花の色は,その土壌に左右される
という話はご存じだっただろうか?
私は数年前にうちの奥さんから聞いて初めて知った.
土壌がアルカリ性だと赤っぽく,酸性だと青っぽくなるらしい.
(リトマス試験紙と逆?)
その後,誰だったか忘れたけれど,
アジサイの花の色を変えるために毎日オシッコを
かけていたなんて話も聞いた.
結果はどうだったのだろう.
忘れてしまったのか,聞かなかったのか,
思い出せない.しかし,気になる...

先日,奈良の矢田寺を訪れるチャンスを逃したので,
今日はゆっくりとアジサイを楽しむ...はずだったのだけれど,
みんな弁当が気になって,早々にあじさいの森を後にした.
そして大きな木の下の芝生の上,
お弁当に舌鼓を打ったのである.
まさに,花より団子なり.

#午後から学会の委員会があったので,
ゆっくりできなかったのは返す返すも残念.


2009年6月17日水曜日

エジソンの夢,直流給電

月曜日は,日経エレクトロニクス主催の
「直流給電のすべて」というセミナーに参加する.
もちろん,世界のほとんどの電力系統が交流で
給電されており,直流給電は明らかにマイノリティである.

しかし,しかしである.
有料のセミナーであるにも関わらず,会場は満員.
たぶん300名は優に越えている参加者があった.
この不況下でも,である.

実は,直流送電の歴史は古い.
エジソンが初めて電力の供給会社を設立したのは,
直流送電だったのである.
その後,みなさんよくご存じの通り,
テスラの多相交流の発電の発明によって,
交流送電の優位性が言われるようになり,
交流と直流の,テスラとエジソンの戦いが始まる.

結局ナイアガラ発電所からの長距離送電に
交流方式が採用されて,
一応の決着がついたわけなのだけれど,
実はニューヨークではずっと直流給電が行われていて,
3年ほど前にようやく交流に切り替えられたのだという.
(今回のセミナで知った)
ずっと直流の火は燃え続けていたということらしい.

交流の良さは,変圧器を使用して,
電圧値を自由に変換できるところにある.
そしてその効率は99%にも達するのだから,
これを利用しない手はない.

長距離を送電するには高電圧にした方が得である.
電線を流れる電流が小さくなるので,
電線の抵抗による損失が減るのである.
だから,遠く離れた海近くの発電所で発電された電力は,
50万ボルトにも電圧を上昇させて,
遠距離の電線で送られる.
それが私たちの街に近づくと,254kVや66kV,
6.6kVにまで変電所の変圧器を通じて電圧を降下させ,
最終的には,電柱の上の変圧器を用いて
200V,100Vに変換されて私たちの家庭に届けられる.
こうした電圧変換が容易になるのが交流システムの良さである.

一方,直流は変圧器で電圧を変えることはできない.
それをするには,半導体変換器で変換しなければならない.
パワーエレクトロニクスの登場である.

近年の半導体デバイスの進歩で,
たいへん高効率な直流の電圧変換が可能となってきた.
これだったら直流システムもメリットが出てくるのである.

現在,私たちの周りを見回してみると,
実は直流を使っているものが多い.
まずは,携帯電話のアダプタ.
ノートPCのアダプタ.
これらは,100Vの交流を19Vや12Vの直流に変換する
パワエレ機器であるのだ.

そして,交流のコンセントに接続しているけれど,
実は内部で直流を使用している機器も数多いのである.
例えば,エアコンやIH調理器,IH炊飯器,
テレビもそうだし,一部の高級蛍光灯もそうだったりする.
インバータと呼ばれる交流を直流に変換する
半導体変換器を用いて,きめ細かい制御を行っているのだ.
(具体的に言うと,周波数や電圧を制御している)

したがって,これらの装置は,
一度交流できたものを一旦直流に変換し,
それを使用するか,その直流を
あらためてまた交流に変換して使用しているのだ.
その無駄を省くために,はじめから直流で給電する.
これによって電力の変換段数が減り,
変換ロスが低減される.
つまりは省エネになるのだ.
(その他,部品数が減って信頼度があがるなどの
メリットがある)

これまでもNTTのデータセンターなどで
直流給電はされてきた.
それが家庭内にも広がろうとしている.
まずは48V以下の低電圧だろう.
火災報知機,照明,インターホンなどは
こうした電圧で賄われることになり,
効率が向上することが期待される.
一方では商品のディスプレイ用に12Vの直流給電の
システムはすでに市販もされている.
すべてが直流になることはないだろうが,
交流だけでなく直流も今後私たちの周りに
普及していくことが予想される.

そして自動車.
自動車が電気で走る時代,
やはり直流給電が重要である.
積載している電池も直流なのである.

マイノリティではあるけれど,
今後広がりそうな予感がする直流給電.
その匂いに惹かれて300名を越える参加者が
セミナーに参加したのだろう.
(私もその一人だけれど)

講演者のプレゼンにもあったのだけれど,
今の状況を見たらエジソンは喜ぶかもしれない.
テスラに敗れたエジソンの夢がいま復活しつつある.

2009年6月16日火曜日

パワエレ学会,若手幹事会キックオフ

先週の金曜日は,電気関係学会関西支部連合大会の会議.
今年の大会は,11月7日(土),8日(日)に,
なんとこの大阪大学 吹田キャンパスにて開かれる.
ということで,幹事校としてはいろいろ忙しい.
私の担当部分も,なんとか会議で承認を得る.
これからが本番である.
まずは,ぬかりなく事を進めていきたい.

土曜日は,パワーエレクトロニクス学会.
奈良高専での開催である.
近くには,矢田寺という全国でも有数のアジサイの
名所があったのだけれど,訪ねてみる時間もなく(涙),
評議員会と定例研究会に出席.
(というか,庶務幹事なのでいろいろと担当する)

相変わらずパワーエレクトロニクス学会は
講演のあとの質疑応答が充実している.
いろいろな質問,コメントが飛び交う.
しかし,決してケンカ腰になんて誰もならない.
適度の緊張感と,適度の親密さを持って,
それは行われる.
この微妙なバランスがパワエレ学会の良さなのだと思う.

当日は,評議員会と並行して
パワエレ学会で12月に行われる若手研究発表会の
若手幹事会のキックオフミーティングが行われた.
今年は,12月19日に,大阪大学 銀杏会館(!)で
行われる予定である.
ということで,開催会場校としてはいろいろ忙しい.

若手幹事会は,各大学,高専,企業から集まった
学生・若手研究者によって構成され,
12月に開催される若手研究発表会の
企画・運営を行うものである.

昨年も若手幹事会の話題は,このブログでも何度か
書いてきたけれど,もう新しい年度の話が始まった.
本当に時が過ぎるのは速い.

しかし,この若手幹事会を見ていると,相変わらず
本当に実力のある若手が揃っているなぁと感じる.

自分で企画を考えて発言し,
人の話を聞いて,自分の意見を述べる訓練を
彼らはここでしている.
そして,他大学,高専,企業の人との横のつながりを
積極的に作っている.
もし私が就職を担当する人事の人間だったら,
真っ先に採用するような優秀な(私が嫌いな言葉だけれど,
俗に言う「人間力」を持つような)学生たちが集まっている.
いや,集まっているのではない.
これから時間をかけて,彼らは鍛えられていくのかもしれない.

今年のメンバーの半分は昨年の経験者であり,
残りの半分は新人である.
新しいメンバーたちはたぶん,
これから半年の間に,自分で発言をし,
行動することについて,先輩に揉まれながら
学んでいくのだろうと思う.
12月になれば,誰もが立派に自分の責任を果たしている.

こうして学生が育っていくのを見ていると,
パワエレ学会はちゃんと社会的責任を
果たしているように思える.
少しお手伝いできているかと思うと
ちょっとだけ嬉しい...

えっ?
ぜひそうした学生たちを紹介してほしい?
それならば,パワエレ学会12月の若手研究発表会に
おいでください.
彼らの活躍している姿を見ることができるはずです.

2009年6月11日木曜日

美味しいサンドウィッチ

村上春樹の小説には,よくサンドウィッチが出てくる.
主人公の「僕」がしばしば作るのだ.
(他にも「僕」は,パスタやサラダをよく作るし,
そうじやアイロンかけも得意である)

サンドウィッチの描写を読んでいると,
さぞかしおいしいのだろうなぁと思わされる.
村上春樹自身がすいぶん好きなのだろうと思う.

「僕」は,美味しいサンドウィッチを作る秘訣は,
ちゃんと手間暇かけて,心をこめて作ることだ,
みたいなことを述べている(詳細うろ覚え).
そうした心がけが味にちゃんと反映されるのだと.

村上春樹はバーを経営していたから,
経験からの言葉なのだろうと思う.
(ちなみに,うちの奥さんのサンドウィッチは
美味しいです)

昼間から明るい陽射しの中で食べる
サンドウィッチとビールは最高だものね.
う~ん,どこかにランチで食べに行きたい...

ところでなぜ,こんなサンドウィッチの話を
持ち出したかというと,
数日前にデビッド・キャラダインが亡くなったという
ニュースを見たからなのである.

彼がBill役で出演した"Kill Bill Vol.2"の中で,
最後にユマ・サーマン演じる主人公との対決の前に,
彼がサンドウィッチを彼女のために作ってあげる
シーンがある.
彼のその上品な手つきが非常に印象的なのである.
なにか話をしながら(どんな話だったか忘れてしまったけれど),
パンを重ね,ナイフを入れる.
柔らかな物腰.
リラックスした雰囲気.
どれも悪役にふさわしくない,いやふさわしい,
立ち居振る舞いなのである.

サンドウィッチはたしかシンプルなものだったと
記憶しているけれど,ずいぶんと美味しそうで,
画面を見ているだけでお腹が空いてくるような
魅力的なシーンだった.
”Kill Bill”でBillといえば,
このシーンを真っ先に思い出す.

デビッド・キャラダインは,非常に特殊な死に方を
していたらしい.
自分で誤って死んだらしいと最初報道されていたけれど,
最近のニューヨークポストには,武術の裏社会によって
殺された可能性があるとの記事が出ていた.
...
彼は殺されたのちもB級の話題を振りまいているらしい.
まずは,ご冥福をお祈りするのだけれど.


2009年6月10日水曜日

空からオタマジャクシ,謎は謎のままに.

空からオタマジャクシが降ってきた,
というニュースを聞いて,
村上春樹の小説を思い出したのは
私だけではないだろう.

村上春樹の新しい小説「1Q84」が
すごいことになっていて,
世間はその話題で持ち切りだけど,
残念ながら,その小説の話ではない.

「海辺のカフカ」では,
空から魚やヒルが降ってくるという
エピソードが出てくる.
彼の小説らしく,それがなぜ起こるのか,
どんな意味があるのか,などには
ほとんど言及されないのだけれど,
不気味な予兆としては効果十分である.
イノセントなナカタさんというお爺さんの
キャラクタとあいまって,
非常に印象的なシーンになっている.

現実にも,空から魚が降ってくるという話は,
世界ではいくつかあるようだけど,
今回は竜巻が起こるような天候ではなかったらしいし,
降ってきたのがオタマジャクシだけ,というのも
ずいぶん不思議だ.
科学的にはなかなか説明が難しいのだろう.
(科学的な仮説を立てるには証拠が必要となるから)

昔の人だったら,これは妖怪のしわざとして
片付けるに違いない.
天狗とか河童とか.
あるいは天変地異の予兆であると
人々はおそれおののくのかもしれない.
(ほんとにそうかもしれないけど)

科学が無かった時代には,
説明がつかないことに説明をつけるためには,
妖怪が必要だったのである.
説明がつかないことをそのままでおいておくことは,
いまも昔も,人はできないことらしい.
なにかしら説明がないと,
人々はすっきりできないのである.
健全な精神のためには物語が必要なのである.

その物語を語る役割をするのが
現代では科学であり,昔では妖怪であった.
それに付加される物語はずいぶんと変わったけれど,
説明・理由づけを求める人間の特性は
変わらないままなのだなと思う.

一方,説明がつかない物事からは
人は離れることができなくなる.
ずっとペンディングの状態である.

こうやって人々の関心を惹き続けているのが,
謎を謎のまま残している村上春樹の小説ではないかと思う.
彼の小説には,推理小説のように
トリックが明かされることを期待できない.

複雑な世界,理由がつかない現象,
そうしたものをある程度の諦念を抱きながら,
そのまま引き受けていかなければならないということ.
それが彼の小説のひとつの特徴であり,
魅力であるのだ.

謎は謎のままに.
それが彼の人気の秘密のひとつだと思う.


#余談で...

ちなみに「1Q84」は当分読む予定はない.
文庫本になるまで待とうかなと思っている.
重たい本は持ち歩いて読む暇がないので,
風呂の中でゆっくり読める文庫本として
出版されるまで,あと3年くらい待とう.

まぁ,こうして話題になると
アマノジャクの私は意地でも読まないのだけど.
ノルウェイの森なんて読んだのは,
2年前くらいだし.

あぁ,でも中身が気になる.
3年後には,ほとんど中身を
知ってしまっているのだろうなぁ(ため息).

2009年6月9日火曜日

ハイブリッド車は回生しなければ

ハイブリッドカーが売れているらしい.
ついこの前まではホンダのインサイトが,
そして今はトヨタのプリウスがたいへんに
売れているそうである.
プリウスにいたっては,納車まで
半年かかるとか.
そんなに多くの人たちが
エコカーが好きだったとは驚きである.
(エコポイントが効いているのかもしれないけれど)

ハイブリッドカーというのは,もちろん
エンジンだけでなく,電池とモータを積んで,
電気の力で車の走行をアシストするものである.
ホンダとトヨタではその制御方式が違うらしいけれど
(私はいたって車に疎いのでよくわからない...)
どちらも電気を使うことによって燃費が向上するとしている.

しかし,普通に考えれば,通常のガソリン車に比べ
モータと電池の重量の分,燃費が悪くなるはずである.
それが向上するというのはどういうことなのだろうか.

それは,車が減速するときにモータを発電機としてもちいて,
車の持っていた運動エネルギーを電気エネルギーに
変換して電池に蓄えるという機能を持っているからに
他ならない(...と思う).
これを回生動作と呼ぶ.
もしもこの回生動作を行わなければ,
車が減速,あるいは停止する際に,
持っていた運動エネルギーは,ブレーキパッドやタイヤに
よって熱になって捨てられているのである.

自動車事故を考える.
スピードを出していれば,衝突事故を起こした車は
見るも無残にくしゃくしゃにつぶれてしまう.
それは,走行していた時のエネルギーが
そうした車の変形という形で消費されているのだ.
自動車が停止するとき,あれだけのエネルギーを
無駄に熱という形で捨てていることになる.

その無駄を,一旦電気のエネルギーに変えて
電池に蓄え,必要な時に使用するのである.
結構なエネルギーが回生されるのだと気づく.

回生動作は,自動車よりも電車の方が一般的で,
以前は電車もブレーキをかける際には,
走行中の運動エネルギーを,電気に変えて
積んでいた抵抗で消費していた.
つまりは,やはり熱として捨てていたのである.
それが最近は電線に電力として戻している.
これでずいぶんと省エネになるのである.
(回生時モータは発電しているので,
運動エネルギーは減少し,これがブレーキとして
作用する.これを回生ブレーキという)

こうして見ると,モータの回生動作が
省エネにつながる用途というのが見えてくる.
まずは,電気自動車,ハイブリッド自動車,電車.
そして,エレベータなども省エネ効果が高い.
かごを下ろす時には回生動作を行えばよいのだ.
だから最近はクレーン車などにも応用されているのだという.

つまりは,加減速を繰り返す用途では
その省エネ効果が高くなる.
ハイブリッド車も街乗りだから燃費が良くなるのであって,
たぶんアメリカのような高速道路をずっと
アクセルを踏み続けて走るところでは,
その省エネ効果は低くなるどころか燃費は悪化するだろう.

ただ日本の一般的な都市では燃費は向上するのは
間違いない.
こうした省エネ,CO2削減にパワーエレクトロニクスが
大きく役立っているのを見ると,関係者として
とてもうれしくなるのである.

2009年6月8日月曜日

日本で最初の水力発電所

先週は国際学会に参加していた.
IPST(International conference of Power System
Transient)という名称で,
おもに電力系統における過渡現象の数値解析,
リアルタイムシミュレータなどを取り扱う会議である.
(雷やスイッチによるサージなど)

国際会議といっても,開催地は京都だった.
この京都というのが微妙な位置で,
兵庫の自宅から凡そ3時間を要する.
その移動だけでずいぶんと時間がとられて,
なんだかんだで忙しかったのである.

会場は当初同志社大学のキャンパスが
予定されていたのだけれど,インフルエンザの関係で
急きょ,京都国際交流会館(KIC)に変更された.
ほんの1カ月のことだから,それはそれは
スタッフはたいへんなご苦労をされたことだろうと思う.

ちょうどこのKICの目と鼻の先には南禅寺があり,
海外からの会議の参加者たちは,昼休みに
散歩を楽しんでいた.
(私は散歩というよりも,参道のお店で
ちりめん山椒などの購入が目的で歩いていたけど)
その他にも,平安神宮も近くにあり,
とても京都らしい会場であった.

そして,日本の電気工学の研究者,技術者たちにとっては,
この開催地はまた別の意味で感慨深かった.
それは,このKICのとなりに蹴上発電所があったのである.
蹴上発電所は,実は知る人ぞ知る
日本で初めての水力発電所なのである.
教科書にも載っている.
私も講義でそのような話をしてはいたのだけれど,
実際に訪れたのは初めてである.

残念ながら,通常時には公開は行われていない.
だから周囲の柵の外からみるだけなのだけれど,
建物は色あせたピンクの古いレンガ造りで,
窓のつくりも洋館そのものである.
もちろん,その洋館のわきには
水を引いてくる管路があって,その先の
水槽の渦をみれば,ここが水力発電所であることが
あらためて実感される.

運転開始は1851年(明治24年)のことだという.
当初は発電電力は2MWにも満たなかったというけど,
現在はどのくらいなのだろうか?
水車の型は(ペルトンかな...)?
ベーンの制御は(いや,ペルトンならばニードルかな)?
と,いろいろ興味は尽きないのである.
(マニアだけど)

アジサイだか,サクラだか,見ごろのシーズンには
一般公開されるのだという.
こうした工学的史跡の価値が一般的に低いのは,
つねづね残念に思っている.
まぁ,他の京都の国宝と同等にしろ,とは言わないけれど,
もう少しみんなの注目を集めることができたらなぁと思う.


2009年6月1日月曜日

良質な深夜ドラマに期待

睡眠時間が大切だと言いながら,
今日は深夜テレビの話.

今シーズンで私がはまっているのは,
「湯けむりスナイパー」というドラマ.
(ちょっと雑談も過ぎるけど,
たまには許してください)

殺し屋を引退した中年男が,
人生をやり直すために
秘境の温泉宿の使用人となるが,
なぜかいろいろと周囲の人々が
巻き起こす騒動に巻き込まれてしまう,
という内容.

全然殺し屋のアクションドラマではなく,
人生の苦みを感じさせる人情物語なのである.
いうなれば,大人向けのおとぎ話なのだけれど,
これが,心にしみじみとして,
深夜の疲れた心を優しくしてくれる.

心温まる話だけれど,
決してきれいごとではない.
ストリッパーややくざが出てきて,
人生の意味を考えさせる.
結局のところ,私はこうしたドロドロとした話が
大好きなのだ.
しかし,私が好きなドラマにしては珍しく,
少し救われる結末も多い.
じっくりと後で効いてくるような結末.
深夜ドラマにぴったりなのだ.

主演は,遠藤憲一さん.
私は彼のファンである.
彼は,コワモテだから悪役が当然多く,
今回の殺し屋役もぴったりなのだけれど,
このドラマではぐっと人間味があって,
またまたファンになった.

彼がNHKの大河ドラマ「宮本武蔵」に
出演したときには,あぁ,もう一流の
俳優になられたのだなぁ,と思ったのだけれど,
それ以降も,スーパー戦隊シリーズの
デカレンジャーの映画版で悪役を演じたり,
怪傑ライオン丸では,女装したりする
エキセントリックな悪役を演じたりと,
相変わらず個性的な役に挑戦し続けているようだ.
最近では,ドラマ「白い春」でも活躍して
いらっしゃるようで(見ていないのだけれど),
本当に今後も楽しみで仕方がない.

深夜はアニメが多いけれど,
たまにはこのようなドラマの秀作があるから
あなどれない.
アニメもいいけれど,
夜遅く帰ってくるお父さん向けの
良質の深夜ドラマがもっとあってもいいのではないか,
といいつつも,やはり睡眠時間を
たっぷり取った方がいいなぁと思ったりするのである...