2009年8月27日木曜日

天使

「新耳袋」を読んでいて,とても怖かった話.
(いまでも,思い出すだけでぞっとする)

ちゃんとした話は,「新耳袋」を読んでいただくことにして,
簡単に紹介すると,

ある女性がふと空を見上げたら,
天使のように美しい女性が笑顔でふわっと舞い降りてきた.
あまりに幸福そうな笑顔なので,その女性に向かって
手を振ると,向こうも手を振り返してくれた.
ドサッという音が突然して,
足元を見ると女性の死体が.
飛び降り自殺だった.

というお話.
本当に怖い...怖い,怖い.
私は,こうしたシーンをついつい思い浮かべてしまう.
そしてそのイメージの強さに参ってしまう.

大学時代,「文章工学」という講義をとっていて,
その中で実験的な試みとして,
朗読を聞いて,批評文を書くということをやった.
作品は,森鴎外の「高瀬舟」.
兄が弟ののど元に刺さった刃を抜くシーンでは,
その朗読に情景がありありと思い浮かんできて,
とうとう気持ち悪くなって,トイレに駆け込んだ覚えがある.
私はイメージに弱いらしい.

始めに紹介した話でも,
空から舞い降りてくるという天使のような女性の
顔について想像が止まらない.
どのような気持ちだったのか,
実際は,風圧で顔は歪んでいたはずだから,
この天使はなにが見えたものなのか.
そして自殺の是非について.
いろいろと考えていくと本当に怖くなる.

シンプルに想像できる話,それが一番怖い.

2009年8月26日水曜日

「カムイ伝」,「カムイ外伝」という,とらえようもない大きな物語

こんな話から始めるとまたオヤジと言われそうだけれど,
白土三平氏の忍者劇画「カムイ外伝」が22年ぶりに
連載再開なのだそうである.
実は,こっそり楽しみにしていたりする.

大学4年生の学生の歳が,だいたい22歳なので,
以前の連載は生まれた頃ということになる.
ずいぶん気の長い話である.

白土三平氏といえば,「影丸」や「サスケ」などの
忍者漫画で有名だけれど(えっ,知らない?),
やはりなんといっても「カムイ」である.

「カムイ」というと,「カムイ伝」と「カムイ外伝」がある.
ずいぶん漫画を読んでいるけれど,「カムイ伝」は
いまだに良く理解できていないような気がする.
「サスケ」などの忍者活劇とは全く違う,
いろいろな階級に属する人間たちの群像劇と
なっている.
無情にも人が殺されていく.
社会や身分制度などの矛盾に苦悩し,
それでも必死に生きていく.
そんな社会派劇画なのである.
(そして,時に動物劇画)

学生運動が盛んだったころに
人気があったというのもうなづける.
第一部の連載開始は1964年というから,
私でさえ生まれる前の話である.
第二部は,1988~2000年の連載で,
こちらの方は,少し読んでいたような気がする.
やっぱり難しかった印象がある.
(白土氏も70歳を越えているから,
第三部はどうなるのかな...ちょっと心配)

それに比べて,「カムイ外伝」はまだ分かりやすい.
テーマが個人の心の中の葛藤だからであると思う.
今年映画が公開されるけれど,
映画にするならばやっぱり「外伝」の方である.
カムイが身を隠していると,
事件が起きて,それを通して人々が,そして
カムイがつらく悲しい体験をする.
そしてまたカムイが去っていくしかなくなる...
内容はやっぱり渋くて,
読後感も,じっとかみしめるタイプのものである.

全然,説明が要領を得ていないって?
私のように理解できていないものが
説明しようというのがそもそも無理なのだ.
とにかく一度目を通されることをおススメする.
特に今の漫画に慣れきっている人たちへ.
こんな漫画も存在するのである.

*****

本当はカムイの必殺技について
書こうと思っていたのに,ここまでの枕の部分で
もう力尽きてしまった...

「夙忍法飯綱落とし」が,
ベリー・トゥ・バックのスープレックス
(つまりはバックドロップということ)
であることや,「夙流変移抜刀霞切り」については
また機会をあらためて.

2009年8月25日火曜日

城ブーム?

夏休みもそろそろ終わりである.
うちの息子の学校は,インフルエンザで1学期,
数日休校になったために,9月になるのを待たずに,
2学期が始まることになっている.
夏休み最後の数日間が宿題と格闘する修羅場の
みなさんにはつらい年なのだろうなぁ,と思う.

私が小中学校時代には,やっぱり夏休みの宿題は
最後に追い込むタイプであった.
夏休みが始まった直後は,毎日意気込んで
宿題に取り組んでいたものだけれど,
数日もすれば,三日坊主を絵に描いたようなもので,
すぐにだらけてしまっていたのだった.
計算ドリルや図画,読書感想文などは
数日で終わらせることができるけれど,
なによりも頭が痛かったのは課題研究,自由研究である.

私はどんな研究をしてきたのか,
あんまり覚えていない...
中学校時代は友達と一緒に,
運動をすれば吐く息の二酸化炭素濃度があがるかとか,
(これは計測方法に問題があった)
ピーナッツを燃やしてビーカの水を沸かすことができるかとか,
(これは一粒で沸く.小豆や大豆では沸かなかった.
脂質のカロリーが異なるのである)
そんな半分遊びの研究をしていたように覚えている.

小学校時代だとほとんど記憶がない.
ただ6年生のときは,友達と一緒に
蛍光灯とラジオが一緒になった電子工作をした.
(しかし,ほとんど友達が作ってくれた)
そしてその他に,なぜか「城」の調査研究をした.
なぜその年に「城」について調べてみようと思ったのか
全く思い出せない.
しかし,全国の城を調べて,山城やら平城やらと
タイプをしらべ,建築された年代で分けたりして,
結構詳細に資料にまとめたのである.
今思うと,なぜそんなことをしたのか全然理解できない...

しかし,現在,戦国武将ブームとともに,
城ブームが起きている.
そんなブーム知らない,ということなかれ.
ひこにゃんや,女性の戦国武将ファンだけではないのだ.
最新号のデザイン雑誌「pen」は,なぜか戦国武将特集だし,
9月号の「Real Design」も城特集だった.
一体,どうなっているのだと思う.

確かに,「城マニア」と呼ばれる人は少なくはない.
この研究室にも一人学生がいるし(とっても詳しい),
自宅に,大変な大きさの城の模型を作っている人なども
テレビで取材されているのも見たりした.
たとえば,プロレスラーの藤波辰巳選手も城マニアで,
MONOマガジンかなんかで城に関する連載をしていたはず.
しかし,メジャーな雑誌で特集が組まれるほど
話題になっているとは,本当に不思議である.

安土城建築の話である映画「火天の城」も公開されることだし,
当分はこのブーム続くかもしれない.
私が見て素晴らしいと思った城は...
姫路城,熊本城,鶴ヶ城あたりかな.
(丸亀城なんかも渋かったなぁ.
郷里の長岡城は城跡しか残っていなくて残念)
まだまだ見ていない城も多いので(彦根城も弘前城も見ていない!),
いつか訪れてみたいものである.



2009年8月24日月曜日

「返りの風」

「呪い」というのは,相手に効力を及ぼすには,
相手が「呪い」をかけられたことを
知らなければならないと思うのだけれど,
(相手は「呪い」がかけられたことを知ることによって
恐怖を感じて,その言動が束縛されるので)
それでは,相手がそれを知らなければ,
「呪い」には意味がないのだろうか.

私は,「呪い」をかけた人間にとって,
それはある意味,「癒し」の行為なのではないかと思う.
ある人間に対して「呪い」をかける.
そして偶然にもその呪いをかけられた人間が
不幸な目に遭う.
そのことによって,「呪い」をかけた人間は,
溜飲を下げるのである.
これによって,いくぶん癒されるといっても良いだろう.
「呪い」は,「癒し」の儀式でもあるのである.

しかし,「人を呪わば穴二つ」という言葉もある.
人を呪うのであれば,墓穴を二つ用意しろということ,
すなわち,呪った相手だけではなく,自分も
それ相応の不幸にあうという意味である.
これは,呪った相手が不幸に遭うことによって,
日頃の不満が少しは解消されるかもしれないけれど,
自分の良心の呵責に耐えきれず,
結局は自分も不幸になるという意味とも解釈できる.

昔,人に呪いをかけることを職業としていた
陰陽師や祈祷師は,「返りの風」が吹くことを
覚悟していたという.
いつか人にかけた呪いが己れの身に返ってくる.
それを心して術を施していたのである.

こうした「呪い」の儀式は,公に行われたとも
いわれているけれど(たとえば,ルーズベルト大統領を
国家の祈祷で呪い殺したとか),
現在の国難は,実はそのときの「返りの風」とか...

まぁ,いずれにしろ,人に対して
ネガティブな感情をもつことに
良い意味はなさそうである...

#しかし,暗い話題だなぁ...

2009年8月21日金曜日

世界は「呪い」であふれている

最近,ふと葬式や法事は,
故人の縁者にかけられた故人からの
呪いを解くための儀式ではないか,
と思いついた.

「呪い」というと物騒だけれど,
縁者の記憶の中にある故人への想い,
それは愛情もあるだろうし,
憎しみもあるだろうけれど,
そうしたものから現世の人々を
解放するための儀式なのではないかと
思うのである.

もしかすると本当に故人の霊魂があって,
それを鎮めるために,葬式や法事が
あるのかもしれないけれど,
その実際の意味は,現世に残された人々の
癒しのためにあるのである.

私たちの行動は,多くの場合潜在意識によって
支配されている.
この潜在意識は,たぶん過去の記憶などから
構成されており,現在の私たちの思考や言動は,
その中の材料を組み立てて決定されているのである.
思考や言動は,過去のそうした記憶に
束縛されているのである.
それも多くの場合,意識することなく...
だから,それらは「呪い」と呼んでもおかしくない.

意識することなく,私たちの言動を束縛するものに,
私たちを取り巻く環境からの情報がある.
文化といってもいいと思う.
私たちは無意識的にこの文化に適応するように
強制されて生きている.
これもひとつの「呪い」である.
「暗示」といってもいい.
世界は「呪い」であふれている.

こうした「呪い」が,潜在意識化で
私たちの心を蝕んでいることもあるだろう.
故人に対する懺悔の気持ちも
ひとつの「呪い」であり,
葬式や法事はそれらを解くものである.
霊の存在が問題なのではなく,
私たちの心の癒しのために
必要なものだったのである.

こう考えると,俗にいう「呪い」とは,
呪いをかける相手の心に
何らかの「指示」あるいは「暗示」を与え,
それによって日常の言動を恐怖で
制限することが目的のものである.
そしてその「お祓い」は,
その暗示から解放するための儀式である.
(この意味では,「呪い」とは
呪いがかけられた相手が,
自分がかけられていると知らない限り,
その効力はないことになる)

科学技術が発達した現代においても,
人間の心は太古からそうそう
変わっていないような気がする.
そうした心に直接働きかける
「呪い」「暗示」はいまだに強い力をもっているのだ.


2009年8月20日木曜日

読書感想文の書き方

最近,このブログへのアクセスが急激に
増加している.
日頃の3倍くらいの訪問者がある.
不思議に思って少し調べてみると,
「老人と海」,「読書感想文」という
キーワードで検索している人が
たいへん多かった.
以前に,「老人と海」の読書感想文,という
記事を書いたので,それでこのブログの
アクセス数が増えていたのである.
すなわち,夏休みも終盤になり,
多くの学生が読書感想文に苦労している
ということなのだろう.
なぁ~んだ,ということで少しがっかり.

読書感想文の書き方といえば,

  1. 本のだいたいのあらすじの紹介,
  2. 本の登場人物の言動に思うこと,
  3. 自分だったらどうする,登場人物と自分との比較

なんてことを書くのが常道で,
私は,本当につまらなく思っていた.
だいたい,読書感想文の書き出しといえば,

"登場人物はこのときこうした"
その場面を読んだ時,私は~だと思った.
普段の私だったら...(以下略)

みたいな感じで,いかにもウケ狙いな作文が多い.
今だったら,絶対そんな風には書きたくない.
そんな文章,読みたくもない.

じゃぁ,今だったらどうするか,と聞かれると
困るのだけれど,例えばこんな感じかな.

小説の中には,作者の考え,思いが,
登場人物の言動となってあらわれている.
主人公だけではなく,すべての登場人物に
作者の意図が含まれているのである.
そのうちのホンの一握りの行動,言葉でもいい,
そのことに含まれる作者の意図について
自分の思索をまとめるのである.
感想なんて書きたくもない.

読書感想文は結局のところ,本の紹介文(書評)ではなく,
自己紹介文なのである.
自分が思ったことを,細かくていいから,
深く掘り下げて書いてみたい.
本の内容は,その思索のきっかけに過ぎないのである.

まぁ,そんな書き方をしたら,先生からは白い目で見られるだろうし,
読書感想文コンクールになんて到底通らないだろう.
それでも通り一遍の読書感想文よりは
ずっと面白いものができるはずである.
少なくとも,私はそうした文章の方を好んで読む.

(まぁ,私が好むからといって,どうというわけでもないけど.
この記事のように作文を書いたとしても,責任は一切とれません...
この文章を書いていて,就職活動の自己紹介文のことを
思い出した.「カキフライ理論」と同じことなのだと思う)


2009年8月19日水曜日

超電導と超伝導

ある種の物質は,極低温まで冷却すると
電気抵抗がゼロになる性質をもつ.
この状態を超電導という.
1986年の超電導フィーバー以来,
「超電導」という言葉もずいぶん一般に浸透した.
私はちょうど大学に入ったばかりで,
超電導技術が拓くという輝かしい未来に
少しトキメいていたことを懐かしく思い出す.

このときの超電導フィーバーは,
高温超電導物質が発見されたことによる.
それまで超電導状態は,いくつかの物質において
液体ヘリウム温度4.2K,すなわち-269℃程度まで
冷却することによってようやく得られるものであった.
そして,NbTi,Nb3Snなど超電導線材も
ようやく実用段階に達していたころである.
それに対して新しく発見された物質は,
液体窒素温度77K,すなわち-196℃程度で
超電導状態が実現できるというものだった.

実はこれは非常に画期的で,
液体ヘリウムは非常に高価で,
高級スコッチウィスキと同じような価格であるのに対し,
液体窒素は,ちょうどミネラルウォータの価格で済む.
そのために,コストが大幅に低減され,
ぐっとその適用先が広がると期待されたのである.

その後の話は...とこのくらいでやめておいて,
ところでこのSuperconductingの日本語表記には
「超電導」と「超伝導」の2種類があるのはご存じだろうか.
そしてその違いは?

物理現象的にいえば,抵抗がゼロになるのは
電気的な特性だけなので(熱抵抗はゼロにはならない),
「超電導」の方が正しい表記だと思われるのだけれど,
実際には,大学では「超伝導」の表記を用いることになっている.
これは実は文部科学省の指導によるものである.
一方,「超電導」の表記は経済産業省関係で
用いられることが多い.
したがって,産業界では「超電導」なのである.

電気学会は産業界に近いので「超電導」が
よく用いられ,物理学会では,「超伝導」なのである.
旧文部省では多分物理関係の大学の先生方の
影響もあって「超伝導」となったのだろうけど,
私は電気学会の教科書などで勉強していたためか
「超電導」の方が親しみがある.

私が以前勤めていた日本原子力研究所(以下,原研)には
「超電導磁石研究室」という課室があり,私も
そこに所属していた(正確に言うと兼任だった).
研究所に入所当時は,原研は科学技術庁の管轄下に
あったので,「超電導」の文字を使用していた.
しかし,科学技術庁は実質的には
文部省に吸収されてしまった.
(予算規模が全然違ったので)
だから,文部科学省に変更されたのちには,
急に「超伝導」の文字を使え,ということになった.
しかし,公的には「超電導磁石研究室」とあるから,
課室名の記載には「超電導」を用いて,
報告書には「超伝導」を用いるという大変混乱した
状態になったのである.

論文・報告書の場合は,電気学会に出す場合は「超電導」,
プラズマ・核融合学会では「超伝導」なんて
まるで二枚舌を使うように使い分けていたのである.

先にも書いたけれど,個人的には「超電導」の方が
実際の物理現象にふさわしく,親しみもあるので,
そちらを使いたい.
とはいえ,文科省管轄下の大学にいる限りは
「超伝導」を使うのである.

ちなみに,村上龍の小説は「超電導ナイトクラブ」である.
やっぱり「超電導」の方がかっこいい.

#余談だが,物理系は「レーザー」,「スピーカー」であるが,
工学系は「レーザ」,「スピーカ」と表記する.
「ー」の文字でさえも無駄を省こうとするのが
工学系の性なのだろうか(笑).


2009年8月18日火曜日

龐統になりたい

仕事が山積している.
私が盆休みをとっている間も,
仕事は容赦なく増えていたのである.
とにかく現在逐次処理中である.
お待ちいただいている方々,
もう少しです.

こうして目の前に仕事の山ができると,
三国志の英雄の一人を思い出す.
龐統士元である.

龐統は,「伏龍」と呼ばれた諸葛孔明に対し,
「鳳雛(ほうすう)」と呼ばれた,孔明に匹敵する
劉備元徳に仕えた天才軍師である.

彼は,風貌が醜いがために高く用いられずにいた.
劉備もまたしかり.
彼の風貌を見て低く評価し,はじめ地方の役人の閑職を与えた.
そして龐統は,一ヶ月間酒を飲んで遊んで暮したのだという.
村人からの訴えを受けて,張飛が行って問い詰めると,
一ヶ月間たまっていた仕事を,なんと半日ですべて
片付けたのだという.
その有能ぶりに驚き,そして彼を低く評価したことを
反省した劉備は,龐統を孔明と同じ重き役職に
登用したのである.

その後,龐統は,蜀の立国に大きく役割を果たし,
また赤壁の戦いにおいては,「連環の計」によって
曹操軍を打ち破る働きを見せた.
その活躍は素晴らしいものだった.
しかし,彼は落鳳坡というところで
劉備の代わりに命を落とす.
40歳前の早すぎる死だった.
(史実はどうか知りません.
NHKの人形劇「三国志」に依った話です)

と,話は戻って,とにかく,
山積した仕事を龐統のように
あっという間に片付けたい.
こうした状況に陥るといつも彼を思い出すのである.
そして後,自分の能力のなさに嘆くのである.


2009年8月17日月曜日

午後のお盆休み最後の芝生

盆休みも終了し,今日からまた学校である.
何度もいうけれど,大学教員に夏休みはない.
(まぁ,盆休みはあるけれど)
講義がない分,夏休みは学会や打合せが多く,
8月,9月はずっと忙しいのである.

ということで,お盆休みは全く頭を休めていた.
一昨日新潟から自宅に帰ってきたのだけれど,
昨日は庭の芝刈りをして,身体を少し動かした.
庭といっても本当に猫の額ほどしかないのだけれど,
それでも電気バリカンを使って2時間くらいかけて
芝生を短く刈った.

うちの奥さんから,できるだけ短くしてくれ,との
リクエストにこたえて,努力を重ねたけれど,
その結果といえば,トラ刈りになったうえに,
あちらこちらにハゲがある芝生になってしまった.
自分の奮闘のあとが哀しい.

村上春樹の初期の作品に
「午後の最後の芝生」という短編がある.
そこでの「僕」は芝刈りがとても上手なのである.
アイロンがけ,料理,掃除なども「僕」は得意だから,
芝刈り「も」というべきか.
こうした日常の営みに不可欠なものに手を抜かないのが
「僕」の特徴である.
そしてそれは「僕」が,自分を見失いそうになるときに,
戻ってくる場所なのである.

家事を行っていると,なんだか落ち着いてくる.
昨日の芝刈りのときもそうだった.
そして芝の手入れをすることが,芝生そのものを
健全に育成するために必要なことだとあらためて気づく.
その奉仕の報酬が青々とした芝の絨毯となるのだ.

そんなことを考えながら芝を刈っていると,
あっという間に陽が傾いて,風も涼しくなってきた.
気づくと身体のあちらこちらを蚊に刺されてしまっている.
ハゲた芝生にがっかりし,
赤くはれ上がった手足をポリポリかくことになったとしても,
その後のビールは大変に美味だった.
汗をかいて労働することは,それだけで単純に素晴らしい

2009年8月14日金曜日

新潟で籠手田安定に会う

今年の盆も親の顔を見に帰省している。
以前にも書いたけれど、
親と過ごす時間は、もはやあと何年、
というのではなく、あと何回会える、と
回数で数えるのがふさわしくなっている。
できる限り、その回数を増やしたいものである。

新潟への道のりはJRで大阪から約7時間。
自宅から大阪まで、新潟から実家までの
時間を入れるとおよそ9時間の旅となる。

列車の中での時間は、それはそれは
たいへん貴重で贅沢な時間となる。
今年はたいそう意気込んで、

5冊も文庫本や新書をカバンに詰め込んで
乗り込んだのだけれど、
出発が朝5時半だったためか、
せっかくの時間もほとんど睡眠に費やしてしまった。
少しは読書をしたのだけれど、
睡眠不足のためか、電車の揺れに
すぐに気持ちが悪くなってしまった。
復路に期待することにしよう。

今回は、新潟の旧県議会議事堂を訪れた。
新潟で育ってはいたのだけれど、
見学するのは、初めてのことである。
(レインボータワーも乗ったことが無いことに
今回気づいた)

建物はいかにも明治時代に建てられた
西洋建築様式で、左右対称の洋館である。
議事堂の他に、会議室、応接室などが
備え付けられているが、どれもが小さい。
あまりの小ささに、用意された椅子の数である
5~6人が部屋に入ったら、すぐに
息が詰まりそうなくらいである。
昔の人は、本当に膝を突き合わせて
議論したのだろうか。

県議会に関する建物ということで、
歴代の知事に関する資料が公開されていた。
そこで始めて知ったのが、籠手田安定
新潟県の知事であったことである。

籠手田安定は、山岡鉄舟の高弟であった。
山岡鉄舟が剣術を大悟した際に、
初めて竹刀を交え、その師匠の到達した剣境に
頭を下げたということになっている。
これは大変有名なエピソードで、
この後、山岡は無敵といわれるようになり、
浅利又七郎から一刀流の正伝を継ぎ、
自ら無刀流を開いたのである。
ただし、大森曹玄氏の「山岡鉄舟」という著作によれば、
大悟のときに山岡と立ち会ったのは
籠手田ではないと籠手田の家族から申し出を
受けたとあったように思う。
しかし、いずれにしろ、 籠手田安定は
山岡鉄舟の非常に重要な弟子であったことは
間違いないのである。

籠手田安定は山岡との関わりもあってか、
滋賀県知事、新潟県知事などを歴任しているようである。
今回目にした資料に寄れば、非常に農政を
重要視し、県内を巡視し、いろいろな陳情を受け付けたという。
また、常に握り飯を持って巡視し、
接待をことごとく退けたために、
「握飯知事」と呼ばれていたとのエピソードがあった。
まさに山岡一門の面目躍如である。
そうしたことを知って、なぜかしら嬉しくなった。
武人たるものそうであってほしいのである。

茨城県に住んでいた時には、
山岡が茨城県の初代参事であったことにも
驚いたけれど、幕末から明治にかけての
剣豪は政治的にも活躍したものが多いようである。
(もちろんそうでない人もあまたいただろうけど)
武道というものはそうであって欲しいと、
つくづく思うのである。

2009年8月11日火曜日

オープンキャンパス

今日は,大阪大学工学部の
オープンキャンパスであった.
最近は,オープンキャンパスが大変
大がかりなものになっている.
これはやはり学生数が減少していることへの
危機感かと思う.

幸いにして,天気にも恵まれ,
本日の参加者は例年になく非常に
多かったようである.
ありがたいことであると思う.
まずは興味をもっていただけるということが
大切なのだと思う.

10:00~17:00の間,研究室で
見学に来る高校生を相手に,
パワーエレクトロニクスとはなにか,
分散電源への応用とはどんなことを考えているか,
などを説明した.
たぶん伊瀬研究室の見学者は
100名を越えたのではないかと思う.
結構大変だった.
(とはいえ,説明は9割方,助教のK先生に
お任せしたのだけれど)

大阪,奈良,京都,兵庫の高校生だけでなく,
三重,広島,山口,福岡とずいぶんと遠くから
見学に来ていただいた方々もあった.
大阪大学がその努力に見合うだけの
魅力的な学校に映ったのであればうれしい.

私学のオープンキャンパスのニュースなどを見ると,
お土産から,推薦文の書き方の講習,その添削と,
まさにいたれりつくせりの大学もある.
こうした大学からみると大阪大学はかなり
サービスが悪いように感じるかもしれない.
しかし,教員の側からは精いっぱいの対応をしているのである.
研究内容の説明の一生懸命さは負けないつもりである.

さすがに終わりごろになると疲労もたまっていたけれど,
まっすぐに質問をしてくれる高校生の姿をみると,
そんな疲れも吹き飛ぶものである.
いいなぁ.
あのような純真さをもってずっと勉強していったら
どんなにすばらしい研究者,技術者になるのだろう.
大学に入って,スポイルされていくのだろうか...

そうはならないように,
彼らの好奇心を惹き続けるような講義を
していきたいものだと思う.
彼らの純真さは本当に宝物のようにすばらしい.
それがより輝くよう,大学の講義は
素敵なものでありたいと思う.

そうした努力が実れば,
大阪大学はずっと魅力的な大学であるに
違いない.

2009年8月10日月曜日

天狗は隻脚

相変わらず怪談に入れ込んでいる.
読み続けている「新耳袋」も第3夜.
(すなわち第3集目)
あっという間に読了した.
おかげで夜が怖いこと,怖いこと.
しかし,それでも読んでしまうのだから,
そうした恐怖(もちろん,ソコソコの怖さである
必要はあるけれど)は一種の快感なのだろう.

第3集には,妖怪,もののけの話が出てくる.
そこで,「天狗」らしきものが出た
エピソードが紹介されている.

「天狗堂」と呼ばれる御堂に
修験道の修行者が冬の寒い夜に
数人で泊まった次の日の朝のこと.
片足だけの大きさ30cmほどの足跡が
雪の上にポツン,ポツンと残されていたと言う.
その足跡はまるで鳥のようだったそうだ.

この話を読んで,すぐに思い出したのは
「山男」である.
昔から山に住むもののけは,
隻眼,隻脚であると伝えられていることが多い.
柳田国男の著作などにも多く紹介されている.
「一つ目小僧」なんていうのも,隻眼,隻脚で
たぬきが化けたために人間に足りないところがある
などという話を子供の頃から信じていたと
柳田は述べているけれど,そののち,
山男の伝説を全国で集めているうちに,
なぜか隻眼,隻脚である言い伝えが多いことに
気付いたとしている.

もちろん,「たたら」の話もあって,
それは隻眼,隻脚との伝説と強く関わっているのだけれど,
天狗もやはり隻脚との言い伝えがあるのである.

この辺りの話も話すと長くなるので,
また次に機会を譲りたいと思うけれど,
ここで驚いたのは,現代で天狗の話を集めたとしても
またあらためて「隻脚」と関連してくるということである.
天狗が本当に隻脚で存在しているのであればともかく,
そうでないとしたら,人間が共通に持ち続ける
根源的なイメージが関係しているということもありうるのではないか.
そちらの話の方が天狗がいる,いないの話よりももっと興味深い.

ただ,「新耳袋」を編纂した二人は,ともに怪奇現象のプロであり,
天狗と隻脚の関連をそもそも知っていたという可能性は非常に高い.
隻脚の足跡をみて,「天狗」に関連付けたことには恣意性が
少し感じられなくもない.
しかし,それでも現代にもそうした怪現象が確認されたとしたならば,
昔から綿々と受け継がれた天狗の伝説は
やはりまた繰り返されるのであろう.

怪談と人間の心理の関係を追っていくと,
本当に面白くて仕方がないのである.



2009年8月7日金曜日

智の人,勝海舟

先日,尊敬する人は誰かという
アンケート結果が新聞か何かに載っていて,
そこに過去の偉人の名前が少ないことに
少し違和感があった.
現代の人が多いのである.

かといって,誰か歴史上の尊敬する人として
挙げてみろ,と言われても,私も困ってしまう.
そういえば,尊敬する人は誰か,などという
問いについて考えたことが,少なくとも
最近は,ない.

私はこれまで小説をあまり読まなかったのだけれど,
大学時代,そういえば司馬遼太郎の作品を
いくつか読んだことを,ついこの前に思い出した.
一番初めに読んだのが「燃えよ剣」だったかな.
次は「竜馬がゆく」かなんかで,私の故郷の話,
「峠」も読んだ.「新撰組血風録」なんてものも読んだし,
その他の短編集も読んでいたような気がする.
ただし,「翔ぶが如く」と「坂の上の雲」は読んでいない.
確か,「翔ぶが如く」の文庫本2巻の
途中で挫折していたような記憶がある.

さて,司馬作品には非常に魅力的な登場人物が
数多く描かれているのだけれど,
私が学生時代に好きになったのは,
というかシンパシーを感じたのは,
「勝海舟」だった.
勝の智に魅力を感じた.
尊敬する人といえば,勝海舟なのかもしれない.

心情的に好きなのは誰か,と聞かれれば,
西郷隆盛なのだけれど,
自分からみるとずいぶんと遠い存在で,
親近感はわかない.
もちろん,実際にあっていたら親近感を
持たずにはいられない人物であったろうけど,
どうも素晴らしすぎる気がする.

その点,勝も劣ることはないのだけれど,
性格がいくぶん偏屈で,そしてサムライという
概念から結局逃げることができなかった,という
ところが私にとっては逆に大変魅力的なのである.

幕末の三舟といえば,
智の勝海舟,意の高橋泥舟,情の山岡鉄舟で,
武道の観点から言えば,無刀流を創始した
山岡が最も有名なのだけれど,
槍の泥舟も知名度は低いけれど,
素晴らしい技術だったそうである.
では,海舟はどうだったのかというと,
実は海舟も武道においては直心影流の免許皆伝で,
男谷清一郎,島田虎之助の道場で修行をしている.
彼は,その武道で学んだことを政治に
活かしているように思える.
そこも魅力的なのである.

武道を稽古していても,実際にそんな技なんて
使う機会はほとんどない.
私も一度も使ったことがない.
(彼は生涯に一度も人を切ったことがないと
自慢している.しかし,一時期用心棒を務めた
岡田以蔵には,「人を切るのはあんまりよくない」
みたいなことをいったら,「私が切らなければ,
先生の命はなかった」などと突っ込まれて,
ぐうの音もでなかったとの話が伝わっている)
しかし,そこで修行した経験は,
生活万般に活かせるのだと思っている.
それを体現したのが海舟なのではないかと思うのである.

大学時代,キャンパスの近くに洗足池公園があり,
部のトレーニングに走って行った.
(池のボートにも乗った)
そこには,勝海舟夫妻の墓所がある.
そこに海舟の墓があることに気付いたのはずいぶんと
あとになってからのことで,そのころには司馬遼太郎の
小説を読んでいたので,ずいぶんと感動したのを覚えている.

そして海舟が西郷隆盛をしのんで建てた
彼の碑もそこにある.
海舟は,西郷隆盛のことがずいぶんと好きだったらしい.
それもわかるような気がする.

おっと,この辺りのことになると,どうも話が長くなっていけない.
今度また機会をあらためて,海舟,鉄舟の話をしてみたい.



2009年8月6日木曜日

「打ち合わせ会」の終了

「打ち合わせ会」が終了した.
これは各学生が研究室全員に対して,
現在の研究の進捗状況を
プレゼンテーションするミーティングである.

一人10分~15分発表し,10分~15分
質疑応答をする.
教員からの厳しい質問に対して,
答えなければならない.
その結果によって,今後の研究方針が
決まったりする.
今日まで3日連続で行ったのである.

この会は年に2~3回開催され,
伊瀬研究室のビッグイベントになっている.
一か月半前くらいにこの会の期日が
決まってからというものは,
学生のみなさんはソワソワして,
ずっと研究に集中していた.
教員はそうした状況を見て,
「よし,よし」とニコニコするのである.
こうした区切りがあることは非常によろしいのである.

プレゼンにおいては,各研究の背景,目的から
しっかりと話すことになっている.
ここをおろそかにすることはできないという
伊瀬先生の方針による.
確かに,自分の研究の立脚点がわからないのであれば,
いったい何のための研究なのだろうかと思う.
もちろん研究の詳細についても
わかりやすく説明し,現在の課題を示す.
こうした訓練が日頃の研究に
うまくフィードバックされていくのだろう.

最近は,学生のプレゼンの質が上がってきて,
より高度な議論がそこでできるようになってきた.
うれしい限りである.

私もこれで少し時間ができる.
明日は何を研究しよう.うれしいな.

2009年8月5日水曜日

ニワトリとタマゴの関係

世の中には,AとB,どちらが先に始めるか,
とお互いの動きを牽制するばかりに,
全体の事態が進展していかない状況というものがある.

たとえば,電気自動車.
現在人気のハイブリッド車(HEV)とは違って,
エンジンを積まずに燃料電池とモータだけで
走る自動車をPure EV(PEV)と呼ぶが,
PEVと水素ステーションの関係がこの状況にある.

燃料電池は,今年になって家庭用定置型のものが
一般販売されるようになり,またひとつ普及が
進んでいるけれど,PEVとなるとまだまだ先のような
印象を受ける.
まずは燃料電池の性能がまだまだ不足しているという
ことなのだろうと思うけれど,社会インフラの未整備も
課題として挙がっている.

PEVは燃料電池を動力源としているので,
水素をガソリンの代わりに補給する必要がある.
だから運転する先々で水素補給場所,
すなわち水素ステーションがなければ,
安心なドライブはできないことになる.
しかし,現在国内には11か所しかないのだという.
これではいくら燃料電池車を出荷しようにも
水素補給する場所がなければ,
誰も買わないに違いない.
だから燃料電池車の開発者は,
まず水素ステーションをあちらこちらに
設置すべきだと主張する.

一方,水素ステーションを整備する側の企業は,
燃料電池車が数多く走らなければ,
水素ステーションを建設しても維持することができない.
ますは燃料電池車の普及が先だと主張する.

お互い相手の出方を見あって,
事態が進まないということになる.
これをニワトリとタマゴの関係と人は呼ぶ.
(本来,この言葉はこんな使い方をしたのか,
私は疑問に思っているのだけれど)

この状況を打破するには,やはり政治的主導による
補助しかないのだろうと思う.

パワーエレクトロニクス分野においても同様の状況がある.
逆阻止型の半導体素子(たとえば逆阻止IGBTなど)と
マトリックスコンバータの関係がそうである.

少し専門的な話になるけれど,
マトリックスコンバータでは,順方向の電圧を阻止するだけでなく
逆方向の電圧も阻止できる素子がなければ
双方向スイッチが実現できない.
逆阻止型の素子の入手が困難な現状では,
IGBTとダイオードが並列に接続されたユニットを
逆直列に接続することによって,双方向スイッチを実現している.
これが2個の逆阻止IGBTを逆並列に接続することができれば,
回路は簡素化できるばかりでなく,損失の低減に
大きく貢献できると期待されている.
しかし,その逆阻止型の半導体素子が手に入らないのである.

逆阻止型の半導体素子はマトリックスコンバータの他,
電流形の変換器の用途に適している.
しかし,現在においては電流形の変換器の応用先は
数少ないと言われているのである.

そこで半導体メーカは,市場がない素子を開発しても
仕方がないという.
現在の不況下にあってはなおさらのことである.
一方,回路側は新たな素子が新たな市場を生むのだ,
と主張する.
逆阻止型の素子の入手が容易になるのであれば,
新たな用途が提案されていくはずであると.

回路(用途)が先か,素子が先か.
ニワトリとタマゴの状況なのである.

こちらの方は,強いドライブフォースは働きにくいので,
解決は難しい状況である...
まずは電圧型の素子を工夫して用いて,
マトリックスコンバータや電流形半導体変換器の
用途を広げていくことしかないのだろうと思うけれど.

とにかく,どちらが先かという話は
世の中のあちらこちらの転がっていそうである.
大局に立った決断が必要なのであろうけど,
それが難しい経済状況であることも十分に理解できる.
しかし,せっかくの新しい市場がこうした事情で
創出できないというのは本当にもったいないことだと思う.
なんとかならないものだろうか...

2009年8月4日火曜日

「老人と海」の読書感想文

ようやく梅雨が明けたらしい.
確かに空は青く,白い雲が浮かんでいる.
我が家の子供たちは毎日プールに出かけ,
もうすでに真っ黒になっている.
あぁ,すっかり夏休みなのだと思う.

息子が夏休みの宿題で悩んでいた.
聞けば読書感想文を書くのだという.
そういえば,そんな宿題があったなぁと
思い出す.

私などは大変不真面目だったから,
読書感想文などは,だいたいに
適当に書いてしまっていたように思う.
中学生くらいの時分は特にひどくて,
確かあれはヘミングウェイの
「老人と海」だったと思うけれど
(それだって,大変短そうだったから選んだのだけど)
まずはあとがきから読んで感想文を
書いたような気がする.
なにを書いたかはすっかり忘れてしまったけれど,
とにかくそんな書き方をして
やっつけ仕事で済ましてしまったことは
はっきりと覚えている.
いまさら,ひどいなぁ,と思う.

「老人と海」を真面目に読んだのは
たぶん働いてからだったと思う.
そのとき,はじめて面白いと思った.
サンチャゴが死闘の末に仕留めたカジキは,
港まで曳いていく間にすっかりサメに食べられてしまう.
全身全霊をかけた努力も水泡に帰すのである.
それでもサンチャゴの心は折れなかったのだと
私は思っている.
サンチャゴがライオンの夢を見て終わる結末は,
決してビターエンドではないのだと思う.

「老人と海」を読んで以来,
しばらくヘミングウェイの短編集に
はまっていたように思う.
その頃,私も強い男に憧れていたのかな.
(今ではそんなマッチョな男はイヤだけど)

今,「老人と海」の感想文を書くならば,
自分の老いも考えて,いろいろなことが
書けるような気がする.
感想文とは,本の紹介文ではなく,
自分の紹介文であることに
今あらためて気づく.

ただ,もう読書感想文なんて宿題,
さらさらやる気はないのだけれど.



2009年8月3日月曜日

パワーエレクトロニクス学会見学会,島根原発,新出雲風力発電

先週末は,島根県松江市に出張してきた.
パワーエレクトロニクス学会の見学会と
定例研究会である.

7月31日(金)は見学会で,
見学会参加者30名程度で,
バスに乗って到着.
幸いにして天気は曇りと晴れであり,
雨天の中の見学という事態だけは
避けることができた.

島根原子力発電所は,現在3号機が建設中で,
7月中旬に圧力容器が搬入・据え付けされたばかり.
その貴重な建設段階の原発を見学させて
いただくことができた.
なにはともあれ,建屋の周りに集まった
大型クレーンの迫力に感動する.
十数台はあるのだろうか.
なかでも世界でも最大級のクローラクレーン
(定格荷重930トン,ブーム長さ100m以上.
世界に3台しかないらしい)には,
そのキャタピラとブームの大きさに興奮してしまった.

3号機はABWRと呼ばれる改良沸騰水型原子炉で,
定格出力は137万3千kW,
まさに最新鋭の発電設備である.
H16から準備工事(地盤改質など)が始まり,
現在が建屋建設の佳境となっていて,
H23が営業運転開始の予定となっている.

現在,日本には53基の原子力発電所が稼働していて,
3基が建設中とのこと.
他の2基はほとんど建設が終了していて,
実際に建屋の建設は,国内では
この島根原発3号機だけとのことである.
この機会は非常に貴重なものであり,
ご尽力いただいた中国電力の方々には
心より感謝したいと思う.

次に向かったのは,
新出雲風力発電施設.
こちらは今年4月に操業が始まったばかりの,
総容量7万8千kWの国内最大級の
ウィンドファームである.
島根県の出雲市北,十六島(うっぷるい,と読む)町に
位置しており,ずいぶんと市内から遠かった.

風車は3MW定格(国内最大級!)のものが
全部で26基,東西に分散して配置されている.
これがとにかく広い敷地であり,
1号機の場所から11号機のところまでバスで
向かったのだけれど,それだけで15分を要するという,
大変な道のりであった.
(細い道を運転していただいた,松江市交通局の
大型バスの運転手さんには深く感謝)

風車はロータの直径が90m,ブレード数3,
タワーの高さが75mという巨大なもので(Vestas社製),
世界最大の大型旅客機エアバス社のA380の
翼幅が80mというから,それよりも大きい.
定格回転速度は16.1 rpmだから,
ジャンボジェット機が75mの高さで,
1分間に16回もグルグル回っている状況を
想像すると,ちょっと怖い感じもする.
実際,真下から風車を見上げると,
ブンブンという音もあって大変な迫力である.
こんなものを26基もこの山の中に運んで
建設したのだから,その苦労たるや
たいへんなものであったろうと思う.

発電方式は,二重給電型の誘導発電機方式で
(俗にいうDFIG),1機あたり3000kWの定格出力である.
ナセルの中で,1000Vの発電機出力を
変圧器によって22000Vに変換してから
タワーの中を通って,連系線に接続される.
重たい変圧器をタワー上部に設置することが
ちょっと不思議に思えたのだけれど,
タワー上部で昇圧されることにより,
タワー内の配線を細くでき,
風車のヨー制御(風向によって風車の向きを変える)に
貢献できるのだという(太い配線はねじりにくい).

当日は,タワーの内部まで入らせていただいて,
ローカルの制御盤も見せていただくことができ,
大変に興味深かった.
しかし,原子力発電所からの移動に思いのほか
時間をとられて,ゆっくりと見学することができなかったのが
くれぐれも残念であった.
(時間の見積もりが甘かった,庶務幹事である私の
責任です.申し訳ありませんでした)

当日は,パワーエレクトロニクス学会会長である
伊瀬先生より,「今日の見学は,
もっとも安定な電源の代表である原子力発電と,
不安定な電源の代表である風力発電を,
一緒に見学できます」とのお話があり,
未来の発電所のあり方を考えるのに,
大変貴重な機会であったと思う.

当日,ご尽力いただきました皆様に
心より御礼申し上げます.