2009年8月17日月曜日

午後のお盆休み最後の芝生

盆休みも終了し,今日からまた学校である.
何度もいうけれど,大学教員に夏休みはない.
(まぁ,盆休みはあるけれど)
講義がない分,夏休みは学会や打合せが多く,
8月,9月はずっと忙しいのである.

ということで,お盆休みは全く頭を休めていた.
一昨日新潟から自宅に帰ってきたのだけれど,
昨日は庭の芝刈りをして,身体を少し動かした.
庭といっても本当に猫の額ほどしかないのだけれど,
それでも電気バリカンを使って2時間くらいかけて
芝生を短く刈った.

うちの奥さんから,できるだけ短くしてくれ,との
リクエストにこたえて,努力を重ねたけれど,
その結果といえば,トラ刈りになったうえに,
あちらこちらにハゲがある芝生になってしまった.
自分の奮闘のあとが哀しい.

村上春樹の初期の作品に
「午後の最後の芝生」という短編がある.
そこでの「僕」は芝刈りがとても上手なのである.
アイロンがけ,料理,掃除なども「僕」は得意だから,
芝刈り「も」というべきか.
こうした日常の営みに不可欠なものに手を抜かないのが
「僕」の特徴である.
そしてそれは「僕」が,自分を見失いそうになるときに,
戻ってくる場所なのである.

家事を行っていると,なんだか落ち着いてくる.
昨日の芝刈りのときもそうだった.
そして芝の手入れをすることが,芝生そのものを
健全に育成するために必要なことだとあらためて気づく.
その奉仕の報酬が青々とした芝の絨毯となるのだ.

そんなことを考えながら芝を刈っていると,
あっという間に陽が傾いて,風も涼しくなってきた.
気づくと身体のあちらこちらを蚊に刺されてしまっている.
ハゲた芝生にがっかりし,
赤くはれ上がった手足をポリポリかくことになったとしても,
その後のビールは大変に美味だった.
汗をかいて労働することは,それだけで単純に素晴らしい

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