2009年9月16日水曜日

雑務は掃除とおなじ

少し,ヘタっている.
なかなかにして忙しい.
先週の金曜日から,いろいろミーティングや,
複数の大学による合同ゼミなどがあって,
火曜日から机に戻ってきたけれど,
仕事が山積であった.

少しずつ処理してはいるのだけれど,
今日はこれから東京へ行かなければならない.
今週末からはアメリカ出張である.
準備は全然できていない.
時間はなかなかとれないものである.

今朝出勤時にふと思いついた.
仕事の雑務は,家事の掃除と一緒なのだと.

掃除は一回やったら終わりというものではない.
日々家は汚れていき,
それに対処していかなければ,
家の中はたいへんなことになってしまう.
毎日いつかは汚れると分かっていても,
やらなければならない仕事である.

一方,雑務もなくなることなんてありえない.
すべてが片付いて,さぁ,100%研究しよう!と
いうことはあり得ないのである.
そして毎日雑務は増えていく.
雑務を行って評価されることはないが,
それを行わなければたいへんなことになってしまう.
対策はただ一つ,毎日少しずつ行うことである.
掃除と一緒である.

ただし,掃除にも短時間で終えることのできる
「やり方」があるように,
雑務の処理にも「やり方」があるはずである.
これについては十分に考えることが必要である.
その後の仕事環境を変えることが
できるはずだからである.

以前に,お掃除を1日30分で終わらす方法,と
いうようなタイトルの本を読んだ(まだ一人暮らしだったし).
その方法は,

・曜日ごとに掃除をする場所を計画しておく
・掃除する場所の優先度を決めておく
・手が抜けるところは手を抜く
・時間を要する掃除は1週間に1回集中して行う
・掃除する前に段取りを考えておく

などである.
なぁんだ,こうしてリストにしてみれば,
書いてあることは,掃除に限らない,
仕事だって全く同様のTipsで行える.
結局のところ,そういうことなのだ.

雑務は掃除と同じである.
それは日々継続しなければならない戦いなのである.
私たちは自分の時間を確保するために,
戦い続けていかなければならない.

最近はこの戦いに敗れてばかりいるような気がするが,
今日思いついた「雑務は掃除と同じ」という認識のもと,
効率的に雑務はこなしていきたいものである.

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