2009年12月31日木曜日

今年の総括

新潟に帰省し,両親と妹とともに
紅白歌合戦を見ながら年を越そうとしている.
今年もこうして終えることができることに
心から感謝したい.
あと何回こうした機会を持つことができるのだろう.
そう思うとき,この時間をもっと密度濃く
過ごすことはできないのだろうかと心が焦るのである.

さて今年の総括をしてみたい.
とはいえ,反省すべきことばかりである.
仕事については,あまりに数多くありすぎて,
ここに書くことが憚れる.

家庭についてもいろいろあるが,
ここに書くのはやはり申しわけなく,
やめておくことにする.

その他,自分の今後に大きく影響を与えそうな
今年の出来事をあげてみる.

(1)シューベルトのピアノソナタにどうして
ここまで惹かれるのだろう.
今年後半に目覚めたシューベルトの楽曲の魅力に
今もメロメロである.
まだまだ聴き足りない.
病むような魔力があるのだ.
来年もずっと,もっともっと
シューベルトに突っ込み続けるのだろう.


(2)今年読んだ本から4冊.
1.ロング・グッドバイ,R. チャンドラー
2.グレート・ギャッツビー,S. フィッツジェラルド
3.大聖堂,R.カーバー
4.ティファニーで朝食を,T.カポーティ

なんといっても,ロング・グッバイにはやられた.
まさに男のおとぎ話.
ここまで夢のようなストーリーがあってよいものかと思った.
読み終わるのが本当に惜しいと思う物語があったのだ.
こうした本に,まだこの年で出会えたという
その幸運に感謝したい.

しかし,わかる人にはわかるのだけれど,
ここに挙げた4冊は村上春樹の訳による.
どうも相性が良いみたいである.
また海外作品ばかりというのも特徴的である.
まぁ,作品は古典とよべるものばかりで,
良いものであることは間違いないのだけれど.

来年も海外作品を読むことが多くなりそうな気がする.

(3)稽古では,呼吸法に工夫ができたように思う.
来年の目標のひとつは「修行のやり直し」である.
五感を鍛えなおそう.

ということで,あとは来年に.

本年も大変お世話になりました.
皆様良いお年を.

2009年12月28日月曜日

「デスプルーフ in グラインドハウス」,「燃える天使」

今日で仕事納めとなる.
週末は,床屋も行ったし,
年賀状用の家族写真も撮った.
(これから年賀状を作ります.
すみません,元旦には間に合いません...)
年越しの気分である.

なかなか仕事だけでなく家庭のこともあって
いろいろと忙しかったのだけれど,
土曜日の夜は,ひとりゆっくりとDVDを観た.
(部屋でひとりでPCで)

デスプルーフ in グラインドハウス (タランティーノ監督)

いやぁ,くだらない.
素晴らしくくだらない映画で大変に良かった.
女の子4人組が2グループあって,
それぞれがカート・ラッセル演じる変態オヤジに
命を狙われる.

まず最初の4人組は,いろいろとこのオヤジと絡んだりして,
話を盛り上げたあと,最後に派手に殺される.
このシーンが秀逸.
本当にひどい...稀に見る殺され方である.

次の4人組は,同じオヤジに狙われるのだけれど,
最後にはやり返すという話.
女の子が捕まえたオヤジを殴り倒して,
最後にかかとおとし..."The End"の表示.
もうたまらないほどB級映画感満載の映画だった.

もちろんタランティーノもBarのオヤジ役で出演している.
いやぁ,楽しんでいるなぁ.

別に,オチもないし教訓もない映画である.
ただ場面場面の盛り上がりは素晴らしく,印象に残る.
ちょうど短編小説集の読後感に似ている.

柴田元幸監修の「燃える天使」という短編集を読んだ.
短篇集であるから,場面,場面が描写され,
読者はその雰囲気,登場人物の背景,そうしたものを味わう.
そこに描かれるのは,また特に特徴的なエピソードで
いつのまにか心に残ってしまう.
この短編集には,確か13編の小説がまとめられていたと思うけど,
なんともはっきりした感想はいえなくとも,
好きか嫌いかははっきり言える.
そんな短編集なのである.

タランティーノの映画も,柴田元幸慣習の短編小説集も,
なにか同じところがある.
昔は,オチや謎解きがなければ映画も小説も面白くなかった.
今は違う.
生活から切り取られた一場面であっても
なにかを感じ,なにかを思うことができる.
少しは,鑑賞の幅が広がってきたのかも.

さて,今年一年,どうも有難うございました.
次回は1月.
気が向いたら,また年内に記事を書きます.

2009年12月25日金曜日

クリスマスの歌は

Merry Christmas!
クリスマスです.
街中を踊りながら行進して

Thank you very much!
Thank you very much!
That's the nicest thing that anyone's ever done for me

と歌いたい気分である.
(って,わかる人いるのだろうか?
今年はDisneyのアニメが公開されている
クリスマスキャロルである.
歌は,1970年のミュージカル映画”スクルージ”のもの)

今日で,研究室の「打ち合わせ会」と呼ばれる
研究進捗発表会もようやく終了した.
26名の学生それぞれの進捗状況を
15分の発表と15分の議論によって確認する会である.

...ふぅ.
まずは終わったことを喜ぼう.
これから午後は研究室の大掃除である.
そして夕方は忘年会.
研究室はこれで今年は終りとなる.

(といっても,月曜日も来るし,
学生も電気学会全国大会の締切に向けて
また努力をするのではあるが)

昨晩は,帰宅の車中でラジオからは,

ニーベルングの指輪 前夜
ラインの黄金

が流れていた.
年末だなぁとしみじみ思う.
毎年この時期,NHK FMではその年のバイロイト音楽祭の
録音が流れるのである.
低音を効かせたライトモチーフが流れると
思わず耳を傾けてしまう.
「リング」はいつか目の前で全幕見れたらいいなぁ.
それが私の夢のひとつである.
まぁ,まる4日間はかかるわけなのだけれど.


今朝のFMからは,もうずっとクリスマスソングが流れていた.

ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」
ポール・マッカートニーの「ワンダフル・クリスマスタイム」
ワムの「ラスト・クリスマス」
なんとボーイ・ジョージの「ホワイト・クリスマス」(Web配信限定らしい)
バンドエイドの「Do they know it's Christmas?」

その他にも,とにかくたくさんの曲を聞いた.
世の中にはいったいいくつのクリスマスソングがあるのだろうか.
私はクリスチャンではないけれど,
クリスマスというイベントは好きである.
この時期,世界で幸福を願う人達の割合が少し増える気がするから.

クリスマスにはゆっくりとやはり家族と過ごしたい.
そして素敵な曲でも聞きながら,安らかに眠りにつきたいものである.
(別に死ぬわけでないですよ)

2009年12月24日木曜日

「クリスマスの思い出」, T.カポーティ

クリスマス・イブである.
そんなこんなで,また仕事をしている.
昨年も,またその前もずっとこんな感じだった.

ふと思い出したのだけれど,20年ほど前,
私が博士課程の学生だった時も
同じように研究室でイブを過ごしていた.

当時修士2年だった後輩のK山君とふたりで,
実験室でMHD発電用のコンデンサバンク(720 kJ, 11 kV)の
充放電回路を組み立てていた.
さすがにいつもは夜でも学生たちが多く残っている研究室も
人気が少ないようだった.

架台に積まれた巨大なコンデンサの電極に
ケーブル(RG8U)をネジを締めて取り付けながら,
K山君と,

「こんなクリスマス,ずっと忘れないかもね」

などと話していたことを思い出す.
ラジオをつけて作業していたのだけれど,
なぜかクリスマスにクラプトンの「レイラ」が
スピーカから流れていて,ギターソロのパートで,
寂しさが10倍に感じられたのを今でもよく覚えている.

そして,今日.
変わらない生活だ...

クリスマスの思い出

というT. カポーティの小品を思い出す.
ディケンズの「クリスマス・キャロル」については
何度か書いているので,今日はこの作品を.

カポーティの少年時代の体験が色濃く反映されていると
いわれる作品.
おばあさんとケーキを作りながら過ごす,
ささやかな,本当に小さなそっとした幸せなクリスマス.
そして自分の成長とともに訪れるおばあさんとの別れ.
最後にいたるまでの淡々とした語り口には胸が痛くなる.
この子供時代の暖かく美しい思い出があるだけに,
おばあさんと離れて暮らす主人公の胸の内を
思わずにはいられない.
クリスマスが来るたびに,私も思い出して読みたくなる
佳品である.
このシーズン,誰にでもおすすめできる.

村上春樹訳で1冊にまとまったものもあるけれど,

ティファニーで朝食を」(新潮文庫,T.カポーティ,村上春樹訳)

にも収録されているので,お買い得かも.

#カポーティには,この姉妹編ともいえる
あるクリスマス
という小品がある.
これも村上春樹訳で出ています.


2009年12月22日火曜日

Sourceにあたろう

どこかの裁判で被告がWikipediaを丸写しして
書類を作成し,それが間違いだったことが判明したという
ニュースを読んだ.
なんともはや...

Wikipediaは大変便利なのだけれど,
そこに書かれていることが正しいとは限らないことを
私たちは心していなければならない.

学生たちのレポートにも,ちょっと以前は
Wikipediaの記事をコピペしたものが見受けられ,
その内容が正しいとは言えないものもあった.
(最近はさすがにWikipediaのコピペはなくなった.
どこかでこっそりと書かれていた記事をコピペしているのだろう.
なぜなら文体が明らかにおかしいもの)

しかし,インターネット世代の若い人達は
ネットの情報を信じやすい傾向にあるようである.
私みたいな年をとった人間にとってみれば,
いまだにネットは怪しいものが跋扈している世界だから,
それほど鵜呑みにすることはないと思っているが.
(とはいえ,ダマされることも多々あるけれど)

Wikipediaというのは,ボランタリーに運営されているけれど,
一部ではいじめともいえる個人攻撃がされたり,
デマが書かれたり,ナショナリズムを煽るような記述が
繰り返し書かれたりして,決して心健やかな人ばかりが
記述しているわけではないことを予め知っておく必要がある.
以前にそうした騒動に巻き込まれ,Wikipediaの人たちと
対決した人は,Wikipediaは「腐っている」とまで言っている.

Wikipediaはヒントになることが書かれていることも多いが,
学術記事や論文の参考出典には成り得ない.
書かれている内容に,誰も責任を持たないからである.
だから学術論文においては原典主義ということが
必ず守られなければならない.

今年読んで印象に残っている本のひとつに,

「狼少女はいなかった~心理学の神話をめぐる冒険」
(鈴木光太郎,新曜社)

がある.著者は否定されても何度も復活してくる話を
「神話」とよび,その例として「狼に育てられた少女」,
「映画館でのサブリミナル効果によるポップコーンの
売上」の話などは,そのもともとの話に信頼性がないのに,
噂だけが先走って,本当にあったことのように
認識されていると指摘している.
またその噂を広げる人たちが,いかに原著にあたっていないか,
原典主義から外れているかを批判している.
上記の「神話」の信頼性は怪しいと言っているのだ.
(私も原典にあたっていないから,なんとも結論づけられないが.
ただ,なぜ否定されても復活するかという人間の心理には
非常に興味がわく)

とにかく我々もネット上の情報に踊らされることなく
冷静にその情報のソースにあたることを忘れてはいけないのだ.
そう思えば,Wikipediaだけを信じることがどれだけ危ういことかわかる.

新聞でさえも,複数の紙面で記事を確認しているという人は多い.
誤報もあれば,各新聞の論調によって記事はいかようにでも
変わるのである.
(新聞記事がどれだけ不確かか,科学技術記事をみるだけでも
よく理解できる.またどれだけ意見がゆがめられているか,
それこそネットでの情報と比較することによって最近特に
明らかになってきた.私たちは騙されてはいけないのだ)

ひとつの分野を知りたければ,その分野に関するテキストを
やはり数冊は少なくとも読むと良い.
そこに共通しているトピックスはやはり重要であろうし,
一方で他とは異なるそのテキストの特色も理解できる.

この世の中は情報で満ち溢れていて,
どの情報を信じて良いかわからなくなるけれど,
まずは落ち着いて原典にあたり,次にその周辺にあたる.
そうした心がけをするだけでも,この世の中をわたるのに
ずいぶんと確かな足取りをもつことができるだろう.

2009年12月21日月曜日

パワーエレクトロニクス学会,第181回定例研究会および35周年記念会

パワーエレクトロニクス学会 第181回定例研究会と
35周年記念会が無事に終了した.
先週の土曜日のことである.
なんと180名を越える参加者に恵まれ,
弁当やテキストが足りないなどの嬉しい悲鳴を上げていた.
大盛況だったのである.

定例研究会は,大学院学生や企業若手を
中心とした若手幹事が立案,運営することになっている.
これまでにもこのブログで何度か取り上げてきたけれど,
若い人達は頼りないとの認識を
改めさせられる幹事会である.
今回も若手テクニカルセミナーとして,
特別講演(パナソニック 大森様,藤田様)を企画した他,
若手によるポスターセッションということで32件の発表を
ハンドリングしている.
連絡や,発表資料の編集,予稿集の印刷など
もろもろの雑事もちゃんと役割分担をしてこなしている.
大変に心強いのである.
こうした若い人達が次の世代を背負っていくと思うと,
日本の未来も少しは明るく感じられる.
あとは社会が彼らをスポイルしないことだけを
祈るだけである.
結局成功裏に定例研究会は終えることができて,
リーダーをはじめ,運営を担ってきた幹事のみなさんは
ずいぶんとほっとしたことだろう.

定例研究会のあとは,35周年を記念して,
まず電気学会会長の松瀨先生の招待講演が行われ,
次に,電気学会SPC委員長の小倉様,
パワエレ学会前会長の日吉様を交えて
パネルディスカッションが行われた.
テーマはパワエレの歴史,人材教育などである.
企業側と大学側の考え方の違い,
具体的な課題など,大変参考になるものだった.
会場のあちらこちらで,うなづきながら聞いていたから,
己れのこととして感じた人が少なくなかったのだろう.

また35周年記念ということで,企業展示も行われた.
当初は,この不況下ということでどれだけの企業に
ご協力いただけるかと心配していたのだけれど,
当日を迎えてみれば10社から展示をいただくことができ,
部屋が狭く感じられるほどだった.
展示は,過去の技術と最新製品との比較が
できるように工夫されており,学会によくある
通り一遍の製品紹介とは異なっていて,
大変に会場が賑わっていた.
電動自転車やLiイオン電池,太陽電池用パワコンや
大型LNG設備の模型,IHクッキングヒータや
50年前のオシロスコープ.
それらを見ながら,楽しくもためになる議論が
あちらこちらで行われていたようである.

その後,パワエレ学会の歴代の会長をお招きして
記念パーティーを開くことができた.
35年の歴史の重さをつくづく感じる.
途中,若手幹事が用意してくれた35周年のスライド
ショーが会場を盛り上げてくれた.
パワーエレクトロニクスという言葉が新鮮に感じられたころ,
関西にこの学会(当時は研究会)が発足したのである.
以来,ずっと途切れることなく活発な活動を継続してきた.
先人たちのご努力に本当に頭が下がります.
発足当時からの会員の皆様もご参加いただき,
学生たちと混じって,パーティーは大いに盛り上がった.

兎にも角にも,無事に,そして大成功という形で
会を終えることができた.
庶務幹事としての責務もなんとか果たし,
ようやく肩の荷が少し軽くなった.
今回思ったのは,私の仕事には,
ところどころ大きな穴があって,皆様にいろいろとご迷惑を
おかけしたのだけれど,いつもだれかがフォローアップしてくれて,
その穴を埋めてくれたのである.
本当にありがたく感じました...
次回はもっと楽に運営ができるようにしたいと思います...

#会場でいろいろと飛び回っていたために,
多くの講演を聞き逃してしまった.
それが本当に残念である...

2009年12月18日金曜日

宇宙にヤマトの波動砲は轟き響くか

宇宙戦艦ヤマトがリメイクされたそうである.

「ヤマトか...なにもかもみな懐かしい...」

ととりあえずつぶやいてみる.

ヤマトが盛り上がっていたのは私が小学生の頃だから,
もう30年位前の話になるのだろう.
地球のために命をかけて,放射能除去装置コスモクリーナーを
14万8千光年の彼方のイスカンダルまで取りに行くという話は,
いまだに心惹かれるものがある.

ヤマトでは特に最初に地中からゴゴゴと
宇宙に飛び立つシーンが大好きである.
巨大な爆弾が迫ってくる状況で,
冷静にエンジンを立ち上げていき,
主砲によって爆弾を破壊する.
そして煙幕の中からヤマトが宇宙へ飛び立っていくのである.
今でも胸がワクワクする.

ヤマトの最強の武器といえば,波動砲である.
初めて使用したときには,オーストラリア大陸と同じ位の
大きさの浮遊大陸を吹き飛ばす位の威力がある.
この発射音がカッコいいのだ.
徐々にエネルギーがチャージされていく音がして,
音が最高に高まると,ビームが飛び出していき,
轟音がするということになっている.
この轟音が一種のカタルシスを生んでいる(いいすぎ).

しかし,実は宇宙空間では音はしないはずである.
なぜなら音を伝える媒質である空気がないから.
衝撃波も伝搬しないのである.

あの効果音はたぶんヤマトの乗組員しか
聞こえていないのだろう.
しかし,宇宙空間での交戦のシーンでは,
ビームを撃ち合う音がする.
実際もしもそんなことが起こっていたとしたら,
多分第三者として見ている私たちの耳には
何も聞こえず,まるで無声映画を見ているように
なるだろう.

(ガミラスの艦隊と交戦するように向かい合うと
なぜか艦隊の並ぶ平面がヤマトを起点とする
水平面といつも一致するのもおかしい,とか
ケチをつければ山ほどあるのだけれど)

スターウォーズだって,スタートレックだって,
宇宙空間に音はしないのである.
銀河英雄伝説のように宇宙空間に
マーラーの交響曲第3番は響かないのである.

たしかゴーショーグンというアニメだったと思うのだけれど,
敵がクラシック音楽を流して現れる,という設定になっていて,
そのために宇宙に音を伝える媒質をまず流す,という
バカバカしい話になっていたと思う(素敵なギャグである).
しかし,そんな媒質,たぶんそれはガスだと思うけれど,
それを宇宙空間を満たすほど流すというのはほとんど無理である.
引力も無いところに放出してもすぐに拡散してしまうだろう.

そう思うとガンダムのミノフスキー粒子もおかしい.
ミノフスキー粒子が空間に存在するとたしかレーダーが
効かなくなるのではなかったっけ?
だから白兵戦用もモビルスーツが
開発されたという設定だったような...
しかし,そんな粒子をばらまくなんてどれだけ大変か...
拡散速度を考えてみればいいと思う.

拡散速度がおかしいといえば,映画の「トータルリコール」である.
シュワルツェネッガー演ずる主人公は,火星の空間に
生身のまま放り出されるけれど,間一髪リアクターと呼ばれる
酸素発生装置が起動され,火星は酸素に包まれて
死を免れるという話なのである.
放り出された瞬間,シュワルツェネッガーの顔はCGで
変形されるようになっているけれど,実際にそんなことがあったら,
一瞬で身体が膨張爆発するのではないだろうか.
リアクターが起動して酸素が火星を包むまでに一体
どれだけの時間がかかるというのだろうか...

と思いつくままにくだらないことを書いてきてしまった.
こう考えると「2001年宇宙の旅」はすばらしい.
宇宙のシーンでは音はしない.
クラシック音楽が流れるだけである.
無重力の無音空間にふさわしいのはクラシック音楽なのである.
この映画で有名なのはR.シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」の
冒頭なのだろうけれど,私はリゲティのレクイエムも好きである.
そういえば,私のライブラリにはなかったような...
今度購入してみよう...

#リアリティに徹底的にこだわったキューブリック監督だったけれど,
宇宙船の航行シーンにおいて背後の星が移動するという演出だけは
仕方なく取り入れたらしい.
(あのスピードでは星は動かないように見えるはず)
確かに背後の星が動いていなかったら,
宇宙船は単に止まっているようにしか見えないだろうけど.

2009年12月17日木曜日

免許更新にでかける

運転免許の更新に行ってきた.
一応,優良運転者なので5年に1回の
おつとめになる.

優良運転者は30分間の講習を受けて,
そののち交付の手順となる.

今回講習を受けてみて驚いたことは,

1) 免許がICカードになったこと
2) 私の免許は普通免許ではなく
中型免許(ただし条件付き)となったこと

である.
免許がICカードになったのは,
どうも個人情報保護からの理由らしい.
本籍地や国籍の情報は,新しく交付される
免許証には記載されていないのだ.
ICカード読み取り装置の上において
暗証番号を入力すると装置に表示される,
というシステムになったらしい.
ICカードになったというから,
違反による減点の情報が保持されるのかと
思ったけれど,別の意外な理由だったのである.
しかもその読み取り装置は免許更新センターにしか
設置されていないのだという.

一体,このシステムになんの意味があるのだろうかと
私は疑問に思った.
本籍地や国籍によって差別をうけるという問題が
あるから,情報を記載しないということは理解できる.
しかし,一般の人が見ることができない情報を
そもそも免許証に記載する必要があるのだろうか.
なんのための情報なのだろう.
こんなシステムを作るくらいだったら,
免許証にはじめから記載しないことにすればいいのに.
なにか無駄なような気がする...

さて,私の免許が普通免許から中型免許になったのは,
ひとえに法令の改正により,中型免許という区分が
できたことによる.
平成19年以降に交付された普通免許では
5トン未満の車両重量の車を運転できないことになっている.
5トンから11トンの車は中型免許が必要で,
それ以上は大型免許が必要となる.
しかし,法令の改正以前の普通免許では,
8トンまでの車を運転できることになっていた.
それで,平成19年以前に取得した普通免許は
区分的には中型免許とされ,8トンまで運転可能という
条件をつけることになったのだそうである.

中型というのは,バイクばかりかと思っていたけど,
今は自動車もあるなんて,全然知らなかった.

30分の講習では,こうした話の他,
安全運転啓蒙のためのビデオを15分程度見ることになっていた.
アナウンサーの福留さんが出演されていて,
実際に起こった事故を再現してその原因を探るというものである.

こうしたビデオを適当に見る人もいるだろうけれど,
私はだいたい真剣に見る.
そして本当に怖く感じるのである.
特に交通事故は,毎日自動車で通勤している私にとっては
決して他人事ではないからである.
事実,毎週のように事故現場を目にしている.

交通事故はある確率で発生するものだと覚悟しているが,
その確率をどこまで下げることが出来るか,
それはその人の努力によるところが大きいと思っている.
やはり安全運転が大切なのだ.

フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」の中で,
ベイカーという女性が,乱暴な運転をたしなめられて,
「もっと注意しろ」と言われて,

「まあ,他の人が気を付けてくれるでしょ」

みたいなことをいうシーンを思い出した.
そんな人間がやはりこの世の中には存在するのだ.

ところで,安全運転を心がけることは,心の修業にもなる.
特に私は短気なので,マナーが悪い車を見ると
すぐに激怒している.
それで家族からもよくたしなめられるし,
一緒に乗った人からはハンドルを握ると
性格が変わると言われるのである.
これを直すのに,運転は良い練習なのだと思う.
しかし,修行の道は長く,遠い.
たとえ割り込みされても怒らない.
たとえ急ブレーキを目の前でかけられても怒らない.
いつか私もそんな天使みたいな人間になれるのだろうか...

そんなことを思いながらも,
講習の受講者で一杯になった教室で,

「この人達の多くは,私と同じ「いて座」なんだろうなぁ.
みんなおんなじ運命なのかしらん」

などというくだらないことを思ったりしていた.

ということで,とにもかくにも免許の更新は無事に済んだ.
(本籍地の名前が政令都市化したために変わっていたので,
少し確認に時間がかかったけれど)

ただ,免許の写真だけはいただけない.
不意打ちのようにして写された.
この写真であと5年か...
それがちょっと悲しい.

2009年12月16日水曜日

Microsoft Updateに4時間を費やす

自宅のPCにはOffice2003が入っているのだけれど,
最近はときどきOffice2007で作成されたファイルを
編集しなければならないことがあって,
2007のファイルが読める互換パックというものを
インストールすることになった.

(Office2003とOffice2007は,ファイル形式が異なり,
拡張子も違うため,そのままではOffice2007のファイルを
2003で開くことができない.逆は可能だけれど)

ある程度,早く開けるようにしたいとの要望があったので,
一昨日の夜23:00過ぎから作業を始める.

Microsoft Updateというものがあるので,
まずはそれを立ち上げる.
はてさて,Updateを走らせるためにActiveXを入れなければ
ならないことがわかり,それをまずインストールしようとする.
インストラクションにしたがって,ボタンをクリック.
あれ?ダウンロードのためのウィンドウは開くけれど
そこには,「開けません」のエラーメッセージが...
何度か繰り返してもうまく行かない.

次に,Updateを通さずに互換パックのファイルだけ
ダウンロードできないかと,該当のダウンロードページを開く.
問題ない.
そしてダウンロードのボタンをクリックすると...
やはり「ページを開けません」のエラーメッセージが...
結局手詰まりになる.

仕方が無いので,ネットで同様な問題が発生していないか,
そしてその解決方法が示されていないか検索する.
(便利な世の中になりました)

はじめに試したのは,ウィルス保護ソフトの動作を止めること.
しかし,改善はなかった...
その他,Cookieがうまくないのだとか,ネットの設定だなどの
記事を読んで試してみたけどやはりダメ.
そのうち,「OSをもう一度インストールしました」などという記事まであって,
かなり絶望的な気分になる.

それでも記事を探していると,TCP/IPの設定が
ときどきおかしくなっていて,それがうまく行かない原因だと書いてあった.
早速確認に行く.
なるほど,私のPCもいつのまにかTCP/IPのDNSの設定が
自動ではなくて,具体的なアドレスが入力されていた.
(いつ設定したのだか全然覚えがない.
どこかのウィルスが悪さをしたのか...
いや,以前になにか設定したような気もする...)
これを自動取得にして,試してみるとActiveXが走るようになる.
ダウンロードページにもアクセスできるようになった.

<結論1>
Microsoft UpdateのためのActiveXがインストールできない問題,
ダウンロードページが開かない問題を解決する方法のひとつは,
TCP/IPの設定でDNSのアドレスを自動取得にすること.


と備忘のために書いておく.
しかし,その日は既に時刻は0:30を回ってしまったので,
スゴスゴと床に就く.

そして昨晩,やはり23:00過ぎ,
再びMicrosoft Updateを試す.
今度は,PCの状態をScanし始めた.
よしよし,と思っていると...これが全然終わらない.
また「UPDATEのスキャンが終わらない」という記事をネットで検索する.
これがまた謎なのである.
はっきりとした解決法が示されていない.
当然,Microsoftのページにも無い.
途方に暮れていると,突然Scanが終わったとのページが表示される.
単に遅いだけだったのか?
それとも設定をいじっているうちに改善されたのか?
どちらでもいい,とにかく終わったのだ.

メッセージには,XP ServicePack 3をインストールしろとある.
???XPって,SP3までではなかったの?
そういえば,全然更新していなかったことに気づく.反省.

Office2007のコンバータさえインストールできればよいので,
XP SP3についてはそのままにして,互換パックのページに行く.
今度は大丈夫そうだ.

と,小さな文字で書かれている注意書きを見ていくと,
これまでの更新パックをすべてインストールしたのちに
インストールしてくれと書いてある.
仕方がなく,またXP SP3のページに戻ってダウンロード.
ダウンロードは成功し,インストール開始.
これがまた途方もなく長い時間がかかる.

途中で風呂に入って30分.
それでもまだ終わっていなかった.
しかし,画面にはどんどん進行状況が表示されるので,
フリーズしているわけではなかった.
とにかく待つ.
ようやくインストールが終了し,再起動をして動作を
確かめた頃にはすでに0:30を回っていた.
気力も萎えて,床に就く.

<結論2>
Windows XP Service Pack 3のインストールには
40分以上かかる.
(この結論はもう二度と役立たないと思うが)

そして今朝7:00から再トライ.
再びMicrosoft Updateを試す.
22個の更新プログラムがあるとのメッセージ.
朝から絶望的な気分になる...

とにかく更新を開始する.
22個の更新が済む.
再起動.
また時間がかかる.

そしてとうとうOffice2007の互換パックの
インストールにたどり着いた.
本当にここまでの道のりは長かった...
ダウンロードしてインストールをする.
思いがけないほど,あっという間に済んでしまう.
時間は8:30を回っていた.
たったこの数分のために私は4時間以上
費やしたことになる.
実は,その後も1個の更新プログラムが見つかり,
それもまたインストールしたのだけれど.

一体,世の中の多くの人が
このような苦行を経験しているのだろうかと
不思議に思う.
誰もが私のようにネットで検索して
なんとか解決策を見つけているのだろうか.
こうしたことをユーザに強いるというのは,
そもそもMicrosoftの提供の仕方に
問題があるのではないだろうか.
もっともっと簡単に見つけたい情報にたどり着き,
簡単に更新が済むようなシステムにして欲しいものである.

こんなことをいっている私自身が
単なるコンピュータ音痴ということなのかもしれないけれど.

まずはともあれ,Office2007のファイルは
読めるようになったようである.
しかし,もうこんな苦労はしたくないなぁ.

<結論3>
Windows のシステムを使い続けるためには,
苦行に耐える修行僧のような覚悟が必要である.

2009年12月15日火曜日

「積ん読」本の存在意義

今週末のパワーエレクトロニクス学会
第181回定例研究会(若手のための研究発表会)と
学会35周年記念会
の準備が忙しい...

そんな中,今日はまた文庫本を3冊まとめて購入してしまった.
当然読む時間はほとんど無いので,
当分の間,「積ん読」状態だろう.
年末に新潟に帰省する際にゆっくり読む予定である.
なんたって,電車で移動するのに9時間以上はかかるのだから.

何を買ったかは言わないことにする.
(決して恥ずかしい本ではありません)
なぜなら,何を読んでいるかを明らかにすることは,
自分の思考の傾向や趣味,性格までも明らかにすることに
なりそうだからである(はっきりいえばやっぱり恥ずかしい)

だから人には自分の本棚を見せたくない.
私という人間がどんなヤツなのか,すぐにバレそうなのである.
(といってもたびたびこのブログで読んだ本を紹介しているけど)

最近は図書館もよく使うようになったので(経費節減である)
本棚に並ぶ本の増え方はずいぶん減ったけれど,
(捨てる本の数もずいぶんと減った)
やはり手元に置いておきたい本は購入している.
(文庫本になるのを待ったりはするけれど)

Googleによる本の公開について,
いろいろと反対している作家の方々がいるのは
知っているけれど,個人的にはどんどん公開して
欲しいと思っている.
買いたい本は,どうせ変わらず購入するのだから.

作家のみなさんも多分購入して
すぐに自分の著書が捨てられるのは
耐えられないのではないだろうか.
ずっと手元におきたいと読者が思うような本を
残していただくのが良いのだと思う.
それならば自分の著作が読者の手元に届く確率が
高くなる方が良いのではないだろうか.

まぁ,私は著作業で生活を立てているわけではないので,
これは無責任な発言なのかもしれない.
お気を悪くした方がいらっしゃったら申し訳ありません.

でも,やっぱり欲しくなる本は存在して,
それらはちゃんと購入するのである.
そしてそれらは私の本棚を飾ることになり,
私という人間を表すことになるのだ.

って,ここまで書いてきて,
この内容はどこかで読んだことがあることに気づいた.
内田樹氏のブログにも似たようなことが
書いてあったような気がする.
私が影響を受けたのか,はたまた
だれもがそう思っているのか.

しかし,紙の媒体である本の意味は
私は確かにあると思う.
たとえ永久に「積ん読」であっても
背表紙を並べて本棚を飾ることにだって
本の存在意義はあるのだ.

#最近の「考える人」ではWebと紙媒体との
話が特集されていたけれど,
あまり論点がクリアではなかったような気がする.

#とはいえ,Kindleの日本語版が出たら
欲しいような気がする...
アメリカは羨ましいなぁ.

2009年12月14日月曜日

さらばSS316ボディの頼れるヤツ.

先週,土曜日.
いくつかの用事の間を縫って,
新しいデジカメを購入する.

久しぶりにこうしたデジタルのガジェットを更新した.
特にデジカメに限って言えば,
(携帯電話を別にして)
実に7年ぶりの買い替えである.

愛用機は(というほど,使い込んだわけではないが),
Canonの IXY Digital 320
であった.
320万画素.
うちの奥さんの携帯電話が1200万画素であることを思うと,
ずいぶんと少なく感じられる.
メディアはCFカード.
これもコンパクトなデジカメでは現在はほとんど使うことがない.
購入した価格は4万円を越えていたと記憶している.
一応頑張って購入した一品だったのである.

このカメラで気に入っていたのは,そのごついボディである.
多くのカメラのボディがアルミなど軽い金属が使用されているのに対し,
このカメラはなんとステンレスボディなのである.
そして,なぜかSS316.
なぜ304ではなくて316を使用しているのか全然わからなかったけれど,
当時核融合関係の仕事をしていて,ステンレスと言えば316だったので,
ついつい惹かれて購入してしまったのである.
(この辺の話は分かる人だけわかっていただければいいです)

しかし,正直に言おう.
やっぱり持ち歩くには少し重たかった...
でも写真を撮る時に構えてみても,重さがある分安定していた.
壊れにくいという安心感があった.
それは7年たった今でも変わることがない.


撮った写真については,周辺の歪み等に目をつぶれば
別に不満は無かったのだけれど,
最近,ストロボが光るたびに煙が立ち上がるようになった.
そこで,そろそろ寿命と観念して買い換えたのである.
さらば IXY DIGITAL 320.

新しく購入したのは,同じくCanonのS90という
コンパクトデジカメ.
ずいぶん軽く感じる.
機能もたくさんあるけれど,写りもずいぶんとよくなったように
感じられる.
あまりの変化に自分が浦島太郎のように感じられる.

このブログでは,ほとんど写真はUPしていなかったけれど,
今後は,機会があったら掲載してみたいと思う.
(いつのことか?)

2009年12月11日金曜日

ベートーヴェンの第九と,ブラームスの第1番とシューベルトの第20番ソナタと

うぅ.いろいろとあってブログの更新ができなかった.
時はすでに師走なのだ.

先日,通勤時にNHK FMを聴くと,
ベートーヴェンの交響曲第9番が流れていた.
やはり年末なのだと実感する.
確かに12月に入ってからの時間の進む速さは,
光速に近づいている気がする.
(光速に近づけば,時間はゆっくりと進むはずだが)

交響曲第9番はもちろん名曲中の名曲で,
日本の年末には欠かせないものだけれど,
それは日本に特有の状況だということは,
以前にも書いたような気がする.
まぁ,オーケストラの人が餅代を稼ぐために,
合唱の人もチケットを売りさばいてくれて,
集客が期待できるこの曲を年末に演奏するというのが,
もっともらしい理由として伝わっている.

私も確か黒柳徹子さんがそのように話していたのを
テレビで見たような気がする.
黒柳さんのお父様はNHK交響楽団のコンマスだったのだっけ?
第九を年末に演奏し始めたのはN響だったような気がする.
そのお父様の話として聞いたような覚えがある.

さて,第九で有名なのはなんといっても
合唱がつく第4楽章であるけれど,
最初から合唱が始まるわけではない.

第4楽章冒頭.
まず不協和音が轟音として響く.
ここで第3楽章でウットリしていた聴衆がびっくりする.

そして,第1楽章の主題が流れてくる.
ここで聴衆があの素晴らしい第1楽章を思い出す.
(私は大好き)
すると弦楽器がそれを否定するように
(本当に人間がしゃべるように)
旋律を奏でる(器楽レチタティーヴォ).

次に,第2楽章のスケルツォの旋律が聞こえる.
旋律が進んでいこうとすると,やはりそれを遮るように
弦楽器が旋律を奏でる.
「いや,いや,それは違うのだ」というふうに.

そして,第3楽章の旋律が流れ,
あの夢のような雰囲気が戻ってくる.
また弦楽器が否定をしようとするのだけれど,
今度は手強い.
人間の心は第3楽章で描かれる楽園を
離れがたいということなのだろう.
また第3楽章の旋律が戻ってくる.
しかし,結局弦楽器がそれを否定する旋律を奏でる.

じゃぁ,なにがいいの?と聴衆は聞きたくなる.
そこであの歓喜の主題が,低音で柔らかく
そして遠くから聞こえてくるのである.
低弦から徐々に高い音の楽器に旋律はリレーされていく.
そしてはっきりと私たちは歓喜の主題を認識する.

「あぁ,私たちはこれを待っていたんだ!」と
思わされてしまうのだ.
すべてはこのタイミングのためにあったという感じに.

弦楽器が織りなす歓喜の旋律から管楽器が
高らかに鳴り響いて終わる.

そしてまた不協和音.

「友よ,そんな音じゃないんだよ!」

とバリトン独唱.
それから各パートの掛け合いがあって,
あの有名な合唱へと続いていくのである.

こんな感じだと知ってました?
歓喜の主題に至るまでの道のりは長いのだ.


もともとは第4楽章のためには別の楽章があったらしい.
この不採用となった楽章は弦楽四重奏曲第15番に
転用されているとのこと.
こちらもぜひどうぞ.


しかし,ベートーベンという人は,
いろいろなアイデアを試しているんだなぁ,と思う.
(この曲を書いたのは50歳を過ぎてからである)
なぜなら自ら書いた(それも素晴らしい)音楽を
否定する冗談音楽みたいなものを書いたのであるから.
聞かされている私たちもびっくりである.
(当時の人達も多分びっくり)
しかし,それが現在では名曲中の名曲となっているのだ.
ただのこけおどしでない滋味あふれる深みが
この曲にはあるからだろう.

ブラームスが第1番交響曲において,
この歓喜の主題に似ている旋律を用いたのも,
シューベルトがピアノソナタ第20番4楽章で
あの素直ななんの飾りもない旋律に行き着いたのも,
どこかでつながっているからに違いない.
そんなことをこの年末に思ったりしているのである.

2009年12月9日水曜日

Daniel-san, Wax on, Wax off!

今日は全くの雑談.


つい先日,カンフー映画が最近少ないという
記事をエントリーしてみたら,
「カラテキッド」(日本語版では「ベスト・キッド」)
のリメイクがされるという記事を見つけた.

なにより驚いたことは,なんと
「ミヤジさん Miyagi-san」の役が
ジャッキー・チェンだというのである.

場所は北京.
つまりは,「カラテキッド」ではなくて,
「カンフーキッド」になるようだ.
ジャッキーは,「蛇拳」や「笑拳」などでは
ユエン・シャオティン演ずる拳法の達人の
おじいさんに鍛えられる役をやってきたけれど,
今度は,自分がその役を演じる番になったわけだ.
やれやれ,私も歳をとったはずだ...

主役は,ウィル・スミスの息子さん.
ドレッドヘアの可愛い男の子だ.
「ダニエルさん Daniel-san」を演じた
ラルフ・マッチオもすでにおじさんなのだろう.
(まだ童顔なのだろうけれど)

「カラテキッド」の主役はダニエルさんだけれど,
最も重要な役は,間違いなくミヤジさんである.
俳優のノリユキ・パット・モリタなくしては,
この映画の成功は無かった.

ミヤジさんは沖縄カラテの達人.
いつも無口で,ときどき怪しい英語を使うけれど,
心が優しくて,賢くて,
ダニエルさんを息子のように大切にしてくれた.
アメリカ人もこの映画を見てたぶん
日本人の美徳を感じてくれたのではないのかな.
そして,あの優しい微笑.
それがスクリーンに大映しにされるだけで,
この映画を見た甲斐があるというものだ.
(彼はこの演技でアカデミー賞にノミネートされたはず)
ジャッキーもぜひその域に達して欲しいなぁ.

彼が映画の中で語るセリフは,今でも私の心に残っている.

「中途半端が一番いけない.
道路の右側安全.
左側も安全.
しかし,真ん中にいれば...Crash!」
(詳細は全然違うかも.
いや,こんな台詞も無かった???)

そう武道は中途半端が一番いけないのだ...
その他には,

「なんのためにカラテを稽古するのか?」(ミヤジ)

「ケンカをしないためさ」(ダニエル)

なんて,シーンもよかった.
(いや,こんなシーン,ほんとにあったっけ?)

とにかく,いい話なのである.

まぁ,ミヤジさんの一番有名なセリフは

"Daniel-san, Wax on, Wax off!"

なのだろうけれど.

2009年12月8日火曜日

レイモンド・カーヴァーの小説とブルックナー交響曲第9番

週末に少しレイモンド・カーヴァーの小説を読むことができた.
素敵な小説を読む時間を持つことは,
なによりもほっとする休息となる.

「大聖堂」(レイモンド・カーヴァー著,村上春樹訳)

あいかわらず少し読みはじめるだけで,
その世界にすぐに没入することができる.
そこにあるのは,深い絶望と
損なわれて決して回復することのない男女の関係への諦念である.

こんなつらい小説だというのに
どうして私はここまでこの作者に惹かれるのだろうかと,
我ながら不思議に思うくらい大好きになってしまった.
私もこの歳になり,人生のいくつかのことを
(知りたくもないのに)知ってしまったからかもしれない.

この「大聖堂」という短編集は,訳者の村上氏曰く,
カーヴァーの一番脂ののった頃に出版されたというだけあって,
魅力的な作品が満載である.
そしてどの作品も,人の心の闇を描いて秀逸である.

しかし,この短編集にはどの作品にも絶望や諦念の先に
なにか暖かいものが感じられる.
ユーモアというか,温かいまなざしというか.

たとえば「ささやかだけれど,役に立つこと」という作品は,
子供を亡くした若い夫婦と,人生に絶望したパン屋の
物語で,もう究極的に救われない話なのだけれど,
それでも最後に,希望の光がほんの少しだけ
さし込むような雰囲気で終わっている.
私は,この物語を読んだ後,深くため息をつかずにいられなかった.

あるいは「ぼくが電話をかけている場所」という作品は
カーヴァーの小説によく出てくるアルコール中毒者が題材で,
療養所における風景を綴ったものだけれど,
療養所の仲間の煙突掃除屋の家族の話が秀逸で,
テーマが暗いにもかかわらず,温かい読後感を得ることができる.

う~ん,こうして説明していくと,収録された全部の作品について
触れなくてはならなくなるので,この辺でやめとこう.
しかし,この短編集にはこれまで読んだ作品とは異なり,
私はすこしぬくもりを感じている.
それがこの作品を忘れ難いものにしている.

この短編集を読んでいると,ブルックナーの交響曲第9番の
第3楽章が思い出された.
ブルックナーの第9番交響曲は,とにかく厳しい音楽で,
一度聴けば,「もう結構」と思うような作品である.
第3楽章の緩徐楽章はそのなかでも
特に厳しいように私は思う.

しかし,この楽章の本当に,本当に最後のところで,
(月並みな表現だけれど)雲間からそっと光がさすように
救いの旋律が現れるのだ.
それが聞こえてくるときに訪れるカタルシスは,
長時間じっと曲を聴いていたものにしか分からない.
このほのかなぬくもりこそが,カーヴァーの作品から
この曲を連想した理由なのだろう.

ブルックナーの第9番交響曲は,
この第3楽章を最後に未完となっている.
この曲の続きなんてきっと書けやしなかったのだろう.

人生も長くなると,人は諦念に行きつく.
しかし,それでも人は少しのぬくもりを切望する.
カーヴァーの小説然り,ブルックナーの交響曲然りである.
そして私はそれらに心を動かされるのである.



#実は,「大聖堂」,最後の収録作品「大聖堂」だけ
未読なのである.
図書館の貸し出し期限が来てしまったのだ.
今度あらためて借りるのがいまから楽しみで仕方がない.

#ブルックナーの第9交響曲は,10枚くらい多分
所有していたと思うけれど,今度聴きたいと思っているのは

カルロ・マリア・ジュリーニ,ウィーンフィルの録音(1998).

とにかく音が厚い演奏である.
私が初めてこの曲を聴いたのは,このCDだった.

2009年12月7日月曜日

アイデアを実現するための99%の努力

先週の金曜日は,私の前の職場であった
日本原子力研究開発機構 那珂研究所を訪問した.

国際協力によって建設が進められている
国際熱核融合実験炉ITERのサテライトマシーンである
JT-60SAの超伝導コイルの製作を中心としたお話を伺う.

研究所構内には,超伝導導体の製作設備ができていて,
680mにもわたる導体化ライン(超伝導撚り線を,ステンレス
パイプの中に引き入れ,外部から圧縮成型するライン)は
圧巻である.
当日も,いろいろな製作作業が行われていて,
着実に製作工程が進められているということを実感した.

導体の巻き取り機もすでに試運転を終えていて,
巻き取られた導体などを見ていると,
粛々と進められてはいるけれどそこに秘められた技術の
素晴らしさがよくわかる.

これらを数少ないスタッフで指揮しているのである.
本当に頭が下がります.

これらの技術,設備は,私がまだ居た頃に,
なんとはなくアイデアとして話していたものである.
それらは全くの机上の論であった.
そして現在,それらが実際のものとして動いていることに感激した.

エジソンのいう

「1%のひらめきと99%の努力」

とは,アイデアを実現することの難しさを意味している.
(実際はそうした意味ではないという話もあるけれど)
実現することへのハードルの高さは並大抵のものではないはず.
本当にスタッフのみなさんには敬服いたします.

今後も大変な課題・困難があると思うけれど
(お金と時間が十分なプロジェクトなんて,
今の世の中,ほとんどない)
プロジェクトの成功を心より祈っております.

#那珂研究所には数時間しか滞在できず,
往復で十数時間を移動に費やした.
兵庫県から茨城県はやっぱり遠いなぁ...

2009年12月3日木曜日

最近,カンフー映画が少ない気がする

最近,カンフーや空手の映画が少ないなぁと思う.

以前のような,ジャッキー・チェンの「笑拳」,「酔拳」,
「蛇拳」,「少林寺木人拳」,「成龍拳」,
「ヤングマスター」,「バトルクリークブロー」などの映画や,
「少林寺三十六房」とか,リー・リンチェイの「少林寺」とか,
そうしたカンフー映画全盛期が懐かしい.
次々と新しいカンフー映画が封切されていたなぁ.
(私が好きなのはブルース・リーなのだけれど,
残念ながら時代があわなかった.
意外なところでいうとラルフ・マッチオの「カラテ・キッド」か.
そういえば日本も剣豪映画というのも全然作られないなぁ)

以前のカンフー映画でお決まりなストーリーといえば...

心やさしい若者がおじいさんに出会う.

おじいさんは実は拳法の達人で,拳法を習い始める.

ハードな鍛錬

一度強くなるが,
好敵手があらわれ,コテンパンにやられる

さらにハードな鍛錬

主人公の知り合いがピンチ

好敵手と戦って勝利!

というような感じだけれど,ここに欠かせないのが
ハードな稽古シーンである.
とても普通の人間にはできないような鍛錬を経て,
主人公は超人へと進化するのである.
(この同じパターンは,映画のロッキー2,3,4,
あるいは少年ジャンプのマンガに踏襲されている)

一体,武道にはハードな鍛錬は必要なのだろうか?

私は,肉体的にハードというよりも,
精神的にハードな鍛錬は必要であると考える.
昨日も書いたように,肉体を鍛えるだけでは不十分である.
稽古によって人は超人になろうとするのであって,
(正確に言うと,超人ではなく,至極まっとうな人間になる)
ゴリラになろうとするのではないのだ.
したがって,単なる繰り返し練習よりも
常に工夫した練習が必要となるはずである.

山岡鉄舟の論によれば,稽古は
大工の鉋をつかうのと同様に,
「荒しこ」,「中しこ」,「上しこ」の段階があり,
全身全霊を込めて行う「荒しこ」の段階が肝要だという.
この「荒しこの精神」なくば,その上の段階に進めないと.
やはり「精神」なのである.

だれもがそれを暗に理解している.
だから少年ジャンプの鉄板ストーリーが
みんな好きなのだ.
分かりやすいビルドゥングスロマンなのだ.

最近カンフー映画が少なくなったということは
もう昔のお気楽なストーリーに夢を見る人が
少なくなってしまったということなのだろう.
それはある意味悲しいことである.
努力の先には,成功があるとは限らない...

この10年のカンフー映画に限ってというと
私のお気に入りは「グリーン・ディスティニー」にとどめをさす.
やっぱり,チャン・ツィイーのかわいさには参ってしまうのだ...

2009年12月1日火曜日

「邪法」である武道とは

日頃,武道を修行するにあたり,
自分の至らなさにほとほと失望するのだけれど,
それでも稽古を続けていられるのは,
自分が正しき方向に進んでいるという自負の
ためなのかもしれない.

武道は強きを論ぜず正しきを学ぶものと知る

とは,心身統一合氣道宗主の藤平光一先生の
お言葉であるけれど,「強きを論ぜず」という
ところが好きである.

ただ強いならば,人間はゴリラに勝てない.
つまり体力勝負である.
筋肉だけを鍛えて勝つというのは,
強いとはいえるけれど,武道と言えるだろうか.
力さえあれば(打撃系であれば,打たれ強さがあれば)
技は不要である.
(まぁ,そこそこの技は練習するわけだけれど)

敵に対するやいなや,勝気にはやって
血気の力で相手に勝とうとするのは,
「邪法」であると,山岡鉄舟も厳しく批判している.
(もっと批判しているのは,針ヶ谷夕雲だけれど.
彼は勝負にこだわる剣法を「畜生剣法」とまで
呼んでいる)

こうした「邪法」では,中年を過ぎ,
あるいは病にかかって身体が不自由になると
力が衰えて業にふれて剣法を学ばないものにも
及ばなくなってしまうといい,
修行が無益になるのだという.

「正しい武道」はつまりは,力だけに頼らず,
業をもって制するのである.
山岡鉄舟は,極意は別に法なし,
敵の好む処に随ひて勝ちを得るにあり,と
言っている.
そうした武道が私の理想である.

ただ使えない武道は無意味であるとも
十分承知している.
心だけでは十分ではない.
心と業をともに磨かねばならない.
「事理一致」とは,「事」は業であり,「理」は心である.
歳をとっても強くなることができなければ,
何のために修行をしているのだろう.

そう自分を勇気づけて,
細々とではあるけれど,なんとか稽古を
続けているのである.