2010年3月15日月曜日

薬師温泉

ブログの更新が滞っている.
忙しかったためである.
ブログに書きたいことは山ほどある.
しかし,その時間がない.
その結果,思考のあしあとは時間の経過の波に
打ち消されていく.
もう一週間前のことをうまく思い出すことができない.

昨日は,家族とともに温泉にでかけることができた.
疲れも溜まっているせいか,まだ咳が抜けない.
医者の言う事には,一度喉が荒れると,
特にアレルギー体質(花粉症など)の人は,
長く咳が続くのだという.
夜寝るときなどの咳はもう治まったが,
話したり,息を深く吸い込んだりすると,
発作のように咳が続く.
周りの人には申し訳ない.
まぁ,自分はいつも口数が多いので,
無言の行だと思えば全然苦にもならなのだけれど.

さて,出かけた温泉は「こんだ薬師温泉 ぬくもりの郷」という.
源泉かけ流しであるけれど,入浴料は700円という,
大変良心的な温泉施設である.
車でおよそ1時間.
これくらいの距離を町から離れると,転地療法の効果もあるかな.

子どもたちはあまり温泉といっても良い顔をしないのだけれど,
(まぁ,子どもたちは長く温泉に入ることはできないし,
そもそも温泉自体に興味がないから仕方がない)
昨日は,私の顔を立てて付き合ってくれた.

私はずっと露天の岩風呂に浸かっていた.
1時間半のおおよその時間を露天風呂で費やした.
もちろん,首まで浸かっていてはとても身体がもたないから,
半身浴というか腰湯,いや正確にいうと「尻湯」というべきか(笑),
岩に座り,尻まで使っておよそ1時間,
なにもしないでぼーっとしていた.
外はまだ春の肌寒さがあったけれど,
身体はポカポカとそれで暖まった.

露天風呂と内風呂の決定的な違いは,
やはり,青い空を見て,鳥の声を聞いて,
風を頬に感じて風呂に入ることである.
銭湯でいくら壁に富士山の絵が描かれていたとしても,
それらのことはできない.

風呂にはいると心と体がゆるんできて,
非日常のモードが立ち上がってくる.
そして敏感になった五感に,自然のリアリティが
身近に感じられるようになるのである.
その別モードが立ち上がることによって,
日常で機能しているモードが休まるのではないだろうか.
また自然につながっている自分の存在を確認することで,
なんらかの充足感が得られる.

帰路はさすがに身体が疲れていたけれど,
精神的にはずいぶんと角がとれたような気分になった.
身体の疲れだって,この数カ月背中に強ばって
張り付いていた憑き物のような疲れではなく,
なんとも心地よいものであったし.

今日はちょっと湯あたり的に身体がダルいのだけれど,
忙しさの中でも,まだ落ち着いていられる.
温泉によって静められた心の効果はまだ続いているようだ.



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