2010年3月31日水曜日

若者のクルマ離れ

最近の若い人は(定型句です),
あまり運転をしないという話を聞く.
私が学生だった頃は,車を所有するというのが
ひとつのステータスだった(それがたとえ中古でも).
そして,デートといえばドライブだった.
(私は当然車は所有していなかったので,
指をくわえてみているだけだったけど)

たしかにバブルの頃には,
女子大生がアウディを乗るような雰囲気もあって,
車をもっているからといって,
モテるということはなかった.
しかし,それだってスキーに行くには
車に乗り合っていったし,研究室の
テニス合宿やその他のイベントも,
ドライブがてらに出かけたものである.

しかし,現代は違うらしい.
車を持てば維持費がかかるし,
移動には電車の方が安くて速い.
そもそも車を運転するということにロマンが無いらしい.

実は今朝,うちの奥さんとそんな話をしたのだけれど,
フェラーリのスポーツカーを見ても,
それがなんの車なのかわからない若者も多いらしい.
(今の若者はスーパーカーブームを知らない.
それもクルマ離れの一因か?
「サーキットの狼」はいまいづこ?)

私が学生の頃は,自由が丘付近に住んでいたので,
街を普通にテスタロッサやカウンタックが走っていた.
時には,テスタロッサ2台のあとにカウンタックが
ついて走っているのも見たことがある.
ポルシェも911とか普通に「ポルポル」とか呼ばれていたし.
ベンツは普通で,BMWは「六本木カローラ」などと
差別的に呼ばれていた時代である.

私は個人的には,車は通勤と買い物の用を足せれば
十分と思っているのだけれど,それでも運転は楽しく感じる.
コーナリングなどで感じる加速度は適度に心を興奮させてくれる.
これが楽しめないというのは,やはりもったいないような気がする.

私が学生時代に思っていたのは,
日本で車を楽しむのであれば,
4リットル以上のアメ車がふさわしい,ということ.
すなわち,アウトバーンのような高速道路が無い日本では,
コーナリングか,加速感を楽しむしかない.
たとえば,信号待ちから制限速度50か60kmまでの加速を
楽しむとなると,すごい馬力をもつ車が必要となる.
だからアメ車なのだ.
マッドマックス」や「バニシング・ポイント」に出てくるような
モンスターマシーンがいい.
(ちなみに,「マッドマックス」は,V8インターセプター.
これは何かの改造車?
「バニシング・ポイント」では,1970ダッジチャレンジャー.
これは「デス・プルーフ in グラインドハウス」でも出てきた)
信号から信号までを超高加速度で運転する.
それならば楽しいだろう.
まぁ,ガソリンを垂れ流して走っているようなことになるけれど...

自動車の無い人生は,それはそれで何か足りない気がする.
自動車に郷愁を感じるようになったのは,
時代のせいか,それとも私が歳をとったからか.

#ところで電気自動車になればすごい
加速感が味わえるはずだなぁ...
日産のリーフは加速だけであれば,フーガに
引けを取らないという話だ.
さらに高速走行中でも同様の加速感が得られるのがすごい.

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