2010年4月30日金曜日

いちょう祭

今日と明日は大阪大学は「いちょう祭」です.
多くの研究室が一般公開されています.
吹田キャンパスでも多くの研究室が公開され,
私が所属している伊瀬研究室も
電気系の建物で,スマートグリッドや
パワーエレクトロニクスの研究について
わかりやすくご説明しています.


その他の研究室も,いろいろと工夫を凝らして
公開しています.

ご興味のある方は,ぜひ足をお運びください.

公開は,
4月30日10時~15時
5月1日 10時~15時
です.

2010年4月28日水曜日

就活のマッチングの意味

続けて就活の話を.

最近の企業では,採用時に
マッチングというものが行われることが多い.

現場の技術者と希望する学生が
話しあって,自分のやりたいことと,
職場の内容があっているかどうかを
確認するというのである.

そんなことは私が学生時代は
あまり行われていなかったように思う.
近年,入社してから
「私がやりたかったことと違う」
などといって,辞めてしまう若者が
急増したことから,こうした手続きが
始まったという話である.

しかし,このマッチングというのは学生たちにとって
本当に適切に機能しているのだろうか,と思う.
そもそも修士1年やそこらの段階で,
自分のやりたい仕事というものが
明確になっているのだろうか.
そしてその仕事の価値を理解できているのだろうか.
私の想像では,マスコミの露出が多い仕事に
憧れているだけの人が多いのではないだろうか.

学生は,どれだけ本気でそれをやりたいと
思っているのだろうか.


マッチングを行う企業の方が,
その学生の甘さを指摘して,
別の方向に導くというのであれば,
マッチングを行う意味もあると思うが,
実際そうなのだろうか.
(この就職が厳しい状況では,
学生たちはやれる仕事はなんでもやります,
といっているかもかもしれないが...)

私が言いたいのは,仕事の価値なんて,
入社してずいぶんと経ってからでなければ
実際には理解できない,ということである.
(何年経ったってわからないかもしれない)
そして,自分の適性だってわかるわけがない.
だから就職採用時のマッチングが合わないからといって,
希望を取りやめ,自分の可能性をわざわざ狭めることは
良くないのではないか,ということである.

しかし,そんなことは企業側は始めから
わかっているのだろう.
(だって,みな経験者なのだから)
結局のところマッチングとは,企業が
ていよく学生を断るための方便なのである.

職場においては,学生のその時点(たかだかM1)での
技術的・研究的能力よりも,まずはコミュニケーション能力が重視される.
それは,企業における仕事はほとんどがグループで行われるものであり,
そこでは,メンバー同士のコミュニケーションが
仕事のクオリティを決定するからである.
(グループで行う仕事が嫌なのであれば,
個人デザイナーや芸術家,
そして大学教員(笑)になればいい)

以前にも書いたが,実力があっても性格が悪い人と
実力が少し不足していても性格の良い人がいたらならば,
性格の良い人を採用する方が,
企業は成功する可能性が高いのである.
なぜならば,性格の良い人であれば,職場において
教育次第で伸びる可能性があるが,
そうでなければ,手のうちようがないからである.

マッチングにおいては,そういう意味での
(やりたい仕事かどうかではなく)適性が判断される.
そして現場が,「ちょっと」と思う人が落とされるのである.
(そうでなくて,優秀な人の中から泣く泣くひとりを
選んでいる,ということも多いのかもしれないが)

逆に仕事内容がマッチングしていなくても,
コミュニケーションの適性があって,優秀な人がいたならば,
企業は無理をしてでも採用するだろう.
そして1~2年は最初の希望した職場で働かせるだろうが,
その後は,会社がその人が最も活躍できる
(利益を出せる)と思われる職場に異動させるだろう.
だって,もしも自分が会社の人事担当だったら,
そうするでしょ?

だから私はマッチングということが
あまり好きになれないのである.
そしてそれに一喜一憂する学生が可哀想なのである.

結局のところ,誰もが認める実力と,
コミュニケーション能力(性格が悪くたっていい)を
身につけるしか,この厳しい就活を乗り越える道は
なさそうなのである.

2010年4月27日火曜日

異常な就活

最近の学生たちの就職活動(就職)は異常だ.
誰もがそう思っている.
4月の声を聞いて,すでに修士1年の学生に
〇〇ナビなどの登録を呼びかけている.
どうなっているのか.
だれかこの状況を喜んでいる人がいるのか.

まず学生はどうだろう.
3年生あるいはM1から就職活動が必要だ,などと
情報に踊らされて,浮き足立っている.
不安にかられ,勉強や研究がおぼつかない.
かといって,自分だけが就職活動をしないという
わけにもいかない.
仕方なく,あちらこちらのインターンシップに参加し,
会社を訪問し,試験を受けるために飛び回っている.
4年生大学であれば,そのうちの1年以上を就活に
費やすということは,貴重な4年間の1/4以上を
大学で過ごせないということなる.
その損失の大きさを考えれば,
いかに現在の学生が可哀想か,よくわかる.

次に企業はどうか.
企業も長期間にわたる就活に辟易している.
学生の相手を現場の社員がしなければならない.
それだけ現場の仕事の時間が割かれている.
現場からの悲鳴が聞こえてくる.
それで良い学生がとれているのかというと,
そんなことは全然ないという.

現状のような景気状況では,採用人数を
絞らずにはいられない.
自然,企業は少数精鋭の新人を手に入れようとする.
一方,学生たちは複数の会社を当然のように受ける.
すると,一部の印象の良い学生たちだけが
内定を重複してもらうことになるわけである.
すなわち,学生側から見れば,
内定を貰える人は何社も貰え,
貰えない人はどの企業を受けても貰えない,
という状況が起こる.
そして,企業は,優秀な人に内定を出したとしても,
その学生が来てくれるとは限らないわけである.
結局,多くの企業は優秀な(実は印象が良いという
ことなのだが)学生を採用することができないという
不幸な結果となる.
企業も労多くして得るものはない,ということになっている.

そして大学はどうだろう.
大学としては全くもって現在の状況に益はない.
大学生活の1/4以上を就活に費やすならば,
25%以上の教育ができないことになる.
これを社会的損失と言わずになんといおう.
学生のレベルは下がり,
そしてまた企業からは学生の質が低いと
文句を言われる.
しかし,その原因を作っているのは他でもない,
この異常な就活の状況なのである.
企業もその一端を担っているのである.

この三方一両損どころではない,
三者大損失という状況を招いている
元凶であるところのこの就活.
なんとかならないものか.
どうして経団連とか,そうした企業団体で
改善しようとしないのか.

この状況で得をしているのは,
結局就活支援企業である.
これらの企業は,会社に行っては不安をあおり,
学生を集めても不安をあおり,
マッチポンプの状況を作り出して
自分たちの利益を稼いでいるのである.
みんな彼らに踊らされているだけではないのだろうか.

これからは厳格に就職活動は
ある決められた1ヶ月だけとして,
(それも夏休みとか)
それを破った会社は社会的な制裁
(会社名を公開して非難する)を
受けるようにしてはどうか.

みんなの目をさますために
就活による社会的損失を
だれか計算してくれないだろうか.

2010年4月26日月曜日

良い先生をさがすには

良い先生とは,どのような人か,ということを書いて,
それでは,良い先生はどのようにして探したら良いか,
ということを考えてみた.

私の場合,ほとんど運である.
運が良かったとしかいいようがない.

しかし,先日ラジオで3年間,ハワイの正当な
フラダンスの先生を探した後に弟子となって,
それが良かったという女性の方がインタビューに
答えていて,それもそうかな,とも思ったりした.

またしかし,先生をさがそうにも,
ひとつ重大な問題がある.
それは,初心者であるが故に,
先生の実力がわからないということである.
初心者は,先生の実力を知らないで,
良い先生を探さなければならない,ということである.

自分の感性を信じて選べ,というのは簡単だけれど,
ではどうやってその自分の感性を磨くか,
ということが問題となる.

まずはやはり情報を集めること.
よく武道系では,情報だけの頭でっかちの人は
敬遠されるのだけれど,
(こうした人は,先生の指導を素直に受け取らず,
自分の言葉に翻訳して理解(曲解)する.
練習時も説明ばかり多くて,技はおろそかに
なることが多いので)
何も知らないで,問題のある道場に飛び込むのも
これはこれで愚かしい.
評判が調べられるのであれば,調べるのが大切だと思う.

そうでない場合には,まずは見学に行く.
以前は見学不可という道場が多かったけれど,
最近はどこも道場生不足なようで(涙),
見学をさせてくれることが多い.

そこで,チェックポイント1.
先生の雰囲気,言葉遣いを見る.
いくら素晴らしい技術を持っている先生でも,
自分との相性が悪く,先生の指導につい反感をもって
しまうのであれば,その道場はあきらめるべき.
まずは稽古を継続することが大切なのだから,
先生との相性を見極める.

最近は体験もさせてくれるので,
先生の指導の方法が,自分の腑に落ちるようなものか
どうかも大切である.
天才肌の人は,他人への説明がうまくないことが
多いとはよく言われることである.
天才は,技術習得が容易なため,
苦労が理解出来ないこともある.
(その分,天才の人はその先の技術のことで悩むのだけれど)
その苦労が分かる人に指導を受けたいと思うのは
人情だろうと思う.

説明を聞いてもある程度わかる.
技術論だけの人もいるし,精神論が多い人もいる.
そして,イメージだけで教える人もいる.
どれが自分にあっているかを考えなければならない.

プロ野球の名選手が,必ずしも名監督,名コーチであると
いえないことをみればよくわかるけれど,これは難しい話だ.
とにかく,その先生の指導と長く付き合うことを考えて
判断すべきである.

チェックポイント2.
道場の雰囲気をチェックしよう.
まず靴が並べられているか,着替え室は清潔か,
稽古している人たちの身だしなみは清潔か,
それらを見れば,だいたいのことがわかってしまう.
また,他の道場生と話してみれば
その言葉遣いでも判断出来る.

そもそも指導者の言葉遣いが悪いというのは,
どういうことだろう.
私の近所の少年野球のコーチたちが
子どもたちに浴びせている言葉には耳を塞ぎたくなる.
そして,その子どもたちも,そういう言葉遣いに
なんの疑問をもたず,いつか下のものを
同様に指導するのである.
少年スポーツの指導者はまず言葉遣いを
気を付けるべきだ.
武道においては,君子を育てるのをその目的とするから,
当然立ち振る舞いは気を付けるべきである.
(私も反省しなければならないけど)
野蛮なゴリラを育てているのではないのである.
強さだけならば武道である必要はない.
世のマーシャルアーツを学んで,
スポーツか,格闘術か,暗殺術を学べば良いと思う.
道場生の雰囲気を見て判断しよう.
礼儀正しく,清潔で,明るい雰囲気であるかないかは,
大変に良い判断基準になると思う.


その他も多々あるのだけれど,
今日はここまで.
いずれまた機会があれば,
良い先生,良い道場の見つけ方を書きたいと思う.

2010年4月23日金曜日

良い先生とは

「三年かかっても良き師をさがせ」,とはよく言われることである.
確かに先生によって,その後の人生が左右されるということは
よく耳にする話である(反面教師という場合もあるが).

一体,良い先生とは,どのような人をいうのかと
ふと考えてみた.
(合氣道のO先生の講習を受けた影響)

結局のところ,なにかの素晴らしい可能性を
指し示してくれる人なのではないか,と思う.
その先生が教えてくれる具体的な知識,技術も
もちろん大切なのだけれど,たとえば合氣道を学ぶことによって
どんな素晴らしいことができるのか,あるのか,
それを示してくれる人こそ良い先生と呼べるのではないか.
合氣道には限らず,学問においても,
その研究の先に何があるのか,それを夢をもって
指し示すことができる人こそ良い先生なのではないかと思うのである.

O先生のように,その境地を実際に行って
見せていただける先生はもちろんのことである.
ただ,いくらその技術を体現できても,
それが素晴らしいと思わせることができなければ,
先生としては失格ではないだろうか.

逆に,その境地に達していなくても,
そこにいけば,どれだけ素晴らしい世界なのか,
それを指し示すことができれば,
たとえ技術は及ばなくても,その人は
良い先生になりうるのではないかと思う.

研究の世界は,すべてそれである.
研究とは,すべてそれが実現された上での
夢を目指して行われるものだからである.
すべてわかっている人が先生になるのではない.
夢のありかを指し示す人が,
そしてそこに向かって進むための手段・方法を
教えてくれる人が先生となるのである.

職場での上司なども同じことではないだろうか.
部下に対して単にロールモデルを示すだけではない.
その仕事を通して達成される素晴らしい何か,
夢のある何かを指し示すことが必要なのではないだろうか.
そうでなければ,下のものはついてこないだろう.

顧みて自分を思う.
学生のみなさんに夢を指し示しているだろうか.
はなはだ自信がない.
自分の知識・技術を向上させることはもちろんだけれど,
学生のみなさんに素晴らしい可能性を指し示すことが
できるような努力も行っていきたいと思う.

(自分が魅力を感じている仕事であれば,
おのづとわかってもらえるということもあるだろうが,
もっと能動的に行う必要もあるのではないだろうか)

2010年4月22日木曜日

技を見て理解する

2週間程前,東京から合氣道の先生がいらっしゃって,
剣,杖の講習会が開かれた.
東京から来られたO先生は,
私がずっと(もう25年位?)お世話になっている師範で,
先生の講習会が関西で開催されたのは2年ぶりのことである.

なにはともあれ,剣に1日,杖に1日という二日間の
講習会にすべて参加したかったのだけれど,
諸事情のため,二日目の杖の講習会だけとなった(涙).

講習会は,初心者の方も対象としているとのことで,
上級者には物足りなくなるのではないかと心配されていた
参加者もいたようだけれど,そんなことは全然なかった.
基本のキホンから講習は開始されたけれど,
どのご指導においても,勉強することしきりである.

私としては,そうした基本的な技術のご指導も
もちろん大切だけれど,O先生が杖を振っている姿を
見るだけで,80%程度は目的を達するのである.
細かいところよりも,どのような雰囲気で技を行っているのか,
それが一番勉強になるのである.

だから,内容が初心者向けとか,基本過ぎるなどという
不満は全くない.
とにかく先生が杖の技を行っている姿を
拝見できれば良いのである.
(技術的な指導ももちろん大切で,これは自分が誰かに
技を伝える際に特に重要になるので,メモは一杯とる)

最近,自分の実力がずいぶんと落ちたと感じるのは,
技を見ても,それがどうなっているのか理解できにくく
なっているということである.
もちろん,合氣道やそれに近い分野の武術の場合には,
だいたい一回見れば,何を行っているのか理解できるけれど,
少し離れた技術体系の武術の演武などになると,
その理解が怪しくなってきた.

最近は,Youtubeなどでいろいろな武術の演武の動画がUPされている.
それらを見ても,なにが行われているのかわかりづらいことが
多いのである.そのために,なんどもその動画を繰り返し見る.
そしてようやく,理解するのである.

技を理解するということは,その技を行っている感覚が
自分の身体の中で再生されるということである.
実感として,心と体の動きを再生する.
それが体感的にイメージできる.
そうしたことが,最近できにくくなっているのである.

原因は,稽古不足に他ならない.
稽古で心と体の様々な遣い方を練習しておけば,
誰かの演武を見て,自分の体験の中からイメージを
組み立てることができるのだが,
最近,私はその絶対的な練習量が落ちているのだ.
...反省.

もちろん,ここで私が言っているのは,
技でなにが行われているのかをわかるというだけで,
その技を自分が行えるということを言っているのではない.
また,自分の技量を遥かに超えた技の場合,
理解できるかどうかは,はなはだ怪しい.
それは,想像がつかないのである.
当然感覚も湧かない.
それは,この先の人生のお楽しみなのである.
(一生,理解出来ないかもしれないが)

ただ,「理解する」というのは,頭でわかることだけでは
十分でないとは思っている.
「知行合一」のみが本当に「わかった」といえるのだろう.

知るだけでは十分ではない.
実際に遣わなければならない.
意志があるだけでは十分ではない.
実行しなければならない.

とブルース・リーも言っている.

#ちなみに「知行合一」は陽明学であるけれど,
日本の陽明学は独特で,ある意味過激である.
西郷隆盛や河井継之助の思想の背景となった
陽明学についてもいつか記事にしたいと思う.

2010年4月21日水曜日

東京電力のウェブ講座がすごい

電力会社というのは,社会に対する
啓蒙という意味で,ホームページには
それぞれ工夫を凝らしているけれど,
私が以前から感心してやまないのが,
東京電力のホームページ.

「学ぶ,知る,楽しむ」
(http://www.tepco.co.jp/life/index-j.html)

ということで,多数のコンテンツが用意されている.
環境,原子力などのコンテンツもあるけれど,
私が特におすすめなのは,

「インターネット電力講座」
(http://www.tepco.co.jp/kouza/index-j.html)

である.
他のコンテンツと違って,大学生向けの真面目な
解説が載っている.
メニューとしては,電力設備や系統運用,
火力,水力,原子力発電だけでなく,
太陽光発電や風力発電などの分散電源まで
一通り網羅されている.

その内容は,はっきりいって一般の方向けではない.
大学生から大学院生までが対象になっている.
これがかなり詳しい.

私はこのウェブページを5~6年前から学生たちに
紹介しているのだけれど,一体どれだけの人が見ているか...
というのは,実は昨晩,研究室の博士前期課程(修士)2年の
学生たちとこの講座の話をしていたのだけれど,
彼らは全く知らなかった(私が講義で紹介したことさえ,
覚えがないという...(涙)).

しかし,彼らはこれらのページを見て
すっかり驚いて,はまっていた.
(ただ,一体どれだけの人がこれらのことを理解出来るのか.
とは言っていたけれど)
彼らが見ても十分に勉強になる内容なのである.

これだけのリソースを投入して,コンテンツを作り上げた
東京電力は素晴らしい.
敬意を表します.

たぶん一斉に上から「作れ」と命令が下って,
各部署で苦労したのだろうなぁ...
その分,魅力的なものになっていることは間違いない.

電力関係の学生,電力に興味がある人には,
おすすめのページです.

#昨晩,学生たちにもっとちゃんと紹介しておいてくださいよ,と
いわれたので,とりあえずブログに書いておいた.

2010年4月20日火曜日

パソコン移行

仕事の方は一段落つきそうかと思ったのだけれど,
残念ながらまだバタバタが続いていて,
ブログを更新する時間が取れなかった.
...反省.

先週の土曜日は,パワーエレクトロニクス学会の
総会と定例研究会が開催される.
総会は,学会としては最も重要な会であるので,
無事に終了してひとまず安心.

しかし,これから,6月,8月,10月の
定例研究会の連続開催を控え,
身が引き締まる思い.
あと一年,頑張らねば...

さて,現在,PCを新しいマシーンに移行中.
(だからバタバタしているという話もあるが...)
研究室に新しい人達がやってきて,
いままで使用していたPCを受け渡さなければならず,
そのためにも移行を(少しだけど)急いでいる.

昨日は「Windows転送ツール」を使用して,
旧PC内のドキュメントを新PCにコピーした.
それで今日から新PCで作業をすることになっている.

この「転送ツール」なかなか便利で,
Windows Liveメール(そんなもの,使っているのかと
お叱りを受けそうだが...)の設定の移行も
全く問題がない.
もちろん過去のメールもちゃんと移動してくれる.

その他の設定も移行される...ということに
気づいたのは今朝のこと.
転送ツールを使う前に新PCで与えた数々の設定が
すべて無効化されていて,旧PCの設定が生きている.
新PCで心機一転と思って変えた設定が,
すべて水の泡に...

またこれも神が私に与えたもうた試練なのだと
考えて,チクチクと設定しなおそう.

IMEの設定から,Officeの細かい設定まで,
いろいろとやることが多いんだよなぁ(ため息).



#話は変わるけど,私は最近のCPUの名前さえ
知らないことに気づく.
Videoカードなんて全然分からない型番だし.
たぶん電気屋にいったら,
「とにかく一番速いヤツにして」と頼むのだろうなlぁ.
自分がそうしたオヤジになったことを実感.

2010年4月14日水曜日

大家族な研究室

なんとか一息つけそうな気がしてきた.
仕事の収束が見えてきたのである.
ということで,ブログを更新する余裕も少し出てきた.
私に仕事を依頼されている皆様,
もう少しお待ちください.

さて,昨日は研究室で花見BBQがあった.
この時期,研究室に新しく入ってきた人たちを
歓迎する意味で,毎年恒例の開催となっている.

最近の私のBBQの楽しみは,
とにかく肉を食べることである.
昨日は,30人弱の参加人数に対し,
14kgの肉を準備したというから,
それなりに食べることができたはずなのだけれど,
自分の予定より半分以下の量しか
腹に収めることができなかった.
歳を感じる.

この4月には,海外から新しく4名の留学生と,
学外から新しく4名の博士前期課程(修士)1年生と
新しい秘書さんを迎えることとなった.
(そして今週末には新しい4年生がやってくる)
研究室は総勢30名近くなる.
いやぁ,本当ににぎやかなこと...

研究室の仲間はよく家族に例えられる.
一人っ子で大事に育てられるのもいいけれど,
大家族で育つというのも何かしらの長所があるのだと思う.
うちの研究室は,まさに大家族である.
兄弟同士で切磋琢磨して,向上していって欲しいと思う.

大家族で育つ強さを学生たちは身につけて欲しい.

2010年4月8日木曜日

剣や杖が勝手に動く感覚

剣や杖を遣っていると,
それらが勝手に動いている,といった
感覚をもつようになる.
私はただその動きにあわせて
手や腕を添えているだけである.
むしろ剣や杖が自ら動くのを
妨げないようにする.
それが稽古の目的のように思えてくるのである.

この感覚について考察してみる.

いきなり結論だけれど,私の顕在意識が
潜在意識でコントロールされた身体の動きを
あとから認識しているのではないかと思うのである.

稽古において,「右腕を挙げて」と誰かに言ってみる.
もちろん,右腕を挙げてくれるのだけれど,
それをどのような軌道を描いて,
どのようなスピードで挙げようかと,
予め考えてから動かす人はいない.
つまりは無意識のうちに右腕を
コントロールしているのである.

この「無意識」というのがクセモノで,
ある程度は自分の顕在意識の影響下にはあるけれど,
細かいところは自律的に動いているようである.
その自律的に動いている顕在意識は,
意識的な思考を経ないで働くので,
(たとえばためらわない.ただ,
危険を察知した場合には警告を発するけれど)
たぶん応答が速い.
稽古を重ねていくと,たぶん剣や杖は,
この無意識が遣うようになるのだと思われる.
そして,自分が「意識」だと思っている顕在意識は,
その応答をあとから認識するので,
剣や杖が勝手に動いているように感じるのでは
ないだろうかと思うのである.

無意識が行う動作は過去の経験の学習によって
決定されていると考えられる.
したがって,稽古をすることによって,
剣や杖を遣う動作は,顕在意識から潜在意識に
役目を受渡され,その後,正確に,高速に,
繰り返して,行うことができるようになる.
そしてそれは身体的記憶として
(俗に「身体が覚える」ということ)
「技」として定着するのである.

(したがって,最初にどれだけ正確に
技を行って,覚えるかということが重要になる)

私が自分の「意識」についてもっているビジョンは
次のとおりである.
自分の脳の中に,サブ意識とも呼ばれるシステムが
複数個存在しており,それらがネットワークによって
接続されている.
自分が「自分」であると感じる顕在意識は,
その複数の中のいくつかのサブ意識が
そのときどきに応じて,アクティブになっている,と
思われるのである.
(顕在意識にならないサブ意識もあるのではないか.
何を「意識」と呼ぶかも問題になるが)

武道の稽古の目的は,
いかにそのサブ意識による身体の操作を
効率良く,高速に行えるようになるか,
ということにあると思う.

一刀流の始祖 伊藤一刀斎は
夢想剣を会得する際には,
物陰に動くものを感じ,
それを敵と判断し,
切り捨てる,という一連の動作を
無意識のうちに一瞬で行ったという.

無意識・潜在意識をうまくコントロールすることこそ,
武道の目的なのかもしれない.

2010年4月7日水曜日

クラシック音楽の中の雷

昨日は,電気学会委員会関係の
打ち合わせがあったあと,懇親会へ.
(本当はそんな暇ないのだけれど!)

その懇親会の席で,どこかで開かれた
雷に関するシンポジウムかなにかで,
クラシック音楽の中に出てくる雷についての
講演があったとの話が出てきた.

そういえば,雷の表現というのはいくつかある.
私もすぐに思いついたのは,

J.シュトラウスの「電光と雷鳴」.
ニューイヤーコンサートでもお馴染みの曲である.

次は,ワーグナーの「ラインの黄金」最後のところの
ワルハラ城に入場する前のドンナーの槌の音.
ドンナーは雷神で,雷を呼び起こすのである.

そして,ベルリオーズ,「幻想交響曲」の
牧歌的な第3楽章の終りに響く,遠雷.

その他は...

ベートーベン,交響曲第6番「田園」,第4楽章
ビバルディ,「四季」,夏
ロッシーニ,「ウィリアム・テル序曲

などの嵐の表現の中に雷があると思う.

雷が本当に含まれていたかどうか怪しいのは,

ムソルグスキー,「はげ山の一夜
バッハ,「マタイ受難曲

あたりか...
私が個人的に好きな曲としては,

ベルリオーズの「トロイ人」の中の「王の狩りと嵐」.

そして,雷じゃないけれど,

ハイドン,「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」の
最後の「地震」.

とりあえず,思いつくだけ.
意外に雷,活躍している.

2010年4月5日月曜日

R.シュトラウス,四つの最後の歌

今朝,車で通勤途中にFMから流れてきたのは,
R. シュトラウスの「四つの最後の歌」の中から,
」と「夕映えのなかで」.
オーケストラをバックに歌うソプラノの歌曲であり,
R. シュトラウス最後の作品といわれている.

残念ながら,私はドイツ語をそのまま理解するほどの
能力もないので,日本語訳に頼るしかないのだけれど,
ソプラノによって歌われるヘッセとアイヒェンドルフの手による歌詞は
人生の終りを前にした人間の静かな心持ちを表している.

そこに,あの豪華絢爛,きらびやかな楽曲を作曲してきた
R. シュトラウスが抑制の効いた伴奏
(シンプルなようでいて,やはりどこか豊穣な感じがする)を
つけている.

この曲を聴き終わると,最後にはため息をついてしまう.
悲しいのではないのだけれど,
諦念というか,来りくる終焉をただじっと迎えるというか,
そのような気持ちで一杯になるのだ.
「黄昏」というべき,人生の最後の季節の中で,
自分はどのようなことを考えるのか.
そんなことを考えてしまう.
そもそも,私はそのことに直面することができるのだろうか.

先日,同じ専攻の教授が若くしてご逝去された.
心よりご冥福をお祈りいたします.

#放送されていたのは,
エリーザベト・シュワルツコップ,ソプラノ
ジョージ・セル,指揮
ベルリン放送交響楽団の録音だった.
私が愛聴しているのは,
グンドラ・ヤノビッツ,ソプラノ
ヘルベルト・フォン・カラヤン,指揮
ベルリン・フィルの録音である.

2010年4月2日金曜日

桜の樹の下には...

花冷えとはいえ,桜の花はあちらこちらで
咲き始めている.
4月が来たことを実感する.
あともう少し暖かくなれば完璧である.

しかし,つくづく日本人は桜が好きなのだと思う.
小林秀雄の講演集にも,桜の話がいくつか出てくる.

ひとつは本居宣長.

敷島の大和心を人とはば 朝日ににほふ山桜花

という歌を挙げて,彼が山桜を自分の墓所に
(また「大和心」とは何かということに触れていて,
大変興味深い講演となっている)

その他にも,桜の植林に一生を捧げ,
親から引き継いだ財産をすべて使ってしまった人の話が
紹介されていて,その美しさは誰かの人生をも
狂わせてしまうほどなのだと思わされる.

なぜこれほどまでに桜は美しいのか.

梶井基次郎は,「櫻の樹の下には」という文章で冒頭,
こう述べている.

櫻の樹の下には屍体が埋まっている!

そうでなければ,あんなに美しく咲くわけがないじゃないか,
と述べて,これは信じてもいいことだ,と言っている.
それほどまでに怪しく美しいのだ.桜は.

夜桜を見た.
花びらがひらひらと白く,月の光の中散っていく.
その情景になにもいうことはなかった.
ただただ美しいというだけで十分である.


Japanese Cherry, 桜の下には...

Japanese Cherry, 夜桜

エイプリルフール

今年の4月1日のウソは
ちょっと生々しすぎたかと反省.

もちろん,昨日の記事のうち,
「---」以降は,ウソです...

もう少し,みんなが幸せな気分に
なれるようなウソをつけるよう,
「ウソ道」に精進いたします.

これまでのエイプリルフールのウソ

2009年4月1日 人間の共振現象
2008年4月1日夜中の台所にて,パワーエレクトロニクスの音色に耳を澄ます

2010年4月1日木曜日

電力の産地指定購入

4月1日である.
新しい年度の始まり.
大学が本格的に始動するには,
まだ数日あるけれど(来週が始業式),
私も平成22年度用にバージョンアップである.
4月1日には,毎年決めて行うことがある.
(といっても,PCのバックアップをとるくらいだが)

今年度の業界の展望としては,
やはりスマートグリッドがキーとなるだろう.
タイトルに「スマートグリッド」とつけば,
シンポジウム,講習会ともに,
大盛況の客の入りとなっている.
基本的には,パワーエレクトロニクス分野にとって
追い風であるので,それはそれで良いのだけれど.

さて,スマートグリッドとは,定義が様々あって
なんとも一言では表すのは難しいのだけれど,
情報通信技術(ICT)を用いて送配電系統において
電力を効率良く運用するシステムであるとは
とりあえず言えるだろう.

たとえば,スマートメータはその代表的なガジェットの
ひとつである.
系統の発電状況を見ながら,家庭内・ビル内の
電力使用量を制御する.
アメリカでは,リアルタイムで電力が足りない時は
電力料金が上がり,余っているときは下がるので,
そうすることによって,需要家は安価な電力を使用でき,
供給者も電力のピークを抑えることができて,
皆が利益を得ることができる.
こうしたICTを活用した電力制御の技術が,
ますます研究・開発されていくことが予想される.

---

私が最近聞いた話では,電力の産地指定買いが可能となる
技術が開発されたという.
これは,電子データにおける「電子透かし」のように
電力が搬送される正弦波に,信号波を重畳して,
発電情報を電力と共に送るのだという.

需要家が受け取る電力情報としては,
その電力がどこで,どのように発電されたか,
などが含まれる.
すなわち,大阪で受電した電力が,福井敦賀原発で
発電されたものなのか,青山高原の風力発電施設で
発電されたものなのかが明らかになるというのである.
(実際には,何%含まれているか,ということになるが)

これは将来,太陽光・風力発電施設で発電された電力は
一般的に品質が悪いが,CO2削減に大きく貢献できるので,
その分の電力は安価に購入でき,火力によるものは
少し価格が高くなる,というような課金が
需要家ごとに可能となる.
あるいは,原発反対派の家庭では原発で発電された電力を
購入しないことが可能となる.
そんな柔軟な課金体系を可能とするのである.

それを実現するための
ICT,電力制御技術もほぼ揃いつつある.

問題は情報をどのように送るかということなのだが,
これは電力線搬送通信(PLC)を用いることが想定されている.
数年前に,高速PLCの使用が家庭内,ビル内で解禁されたが,
これを用いることによって,新たな通信線を設けなくても
情報をやり取りすることができるのである.
ただし,高速PLCを通常の電線に使用することは現在できない.
これは,航空機通信や天文学の観測にノイズとして影響を
与えるためである.

しかし,これも超伝導送電が可能となれば解決される.
超伝導ケーブルはケーブル外側にシースを設けており,
電磁波の漏洩がほとんど無いからである.

ということで,ちょっと先の技術ではあるが,
将来は,電力の産地を指定して購入する時代が来るのだと思う.
電力供給者の顔が見える,電力自由市場.
そんな未来はもう近いのである.