2010年4月22日木曜日

技を見て理解する

2週間程前,東京から合氣道の先生がいらっしゃって,
剣,杖の講習会が開かれた.
東京から来られたO先生は,
私がずっと(もう25年位?)お世話になっている師範で,
先生の講習会が関西で開催されたのは2年ぶりのことである.

なにはともあれ,剣に1日,杖に1日という二日間の
講習会にすべて参加したかったのだけれど,
諸事情のため,二日目の杖の講習会だけとなった(涙).

講習会は,初心者の方も対象としているとのことで,
上級者には物足りなくなるのではないかと心配されていた
参加者もいたようだけれど,そんなことは全然なかった.
基本のキホンから講習は開始されたけれど,
どのご指導においても,勉強することしきりである.

私としては,そうした基本的な技術のご指導も
もちろん大切だけれど,O先生が杖を振っている姿を
見るだけで,80%程度は目的を達するのである.
細かいところよりも,どのような雰囲気で技を行っているのか,
それが一番勉強になるのである.

だから,内容が初心者向けとか,基本過ぎるなどという
不満は全くない.
とにかく先生が杖の技を行っている姿を
拝見できれば良いのである.
(技術的な指導ももちろん大切で,これは自分が誰かに
技を伝える際に特に重要になるので,メモは一杯とる)

最近,自分の実力がずいぶんと落ちたと感じるのは,
技を見ても,それがどうなっているのか理解できにくく
なっているということである.
もちろん,合氣道やそれに近い分野の武術の場合には,
だいたい一回見れば,何を行っているのか理解できるけれど,
少し離れた技術体系の武術の演武などになると,
その理解が怪しくなってきた.

最近は,Youtubeなどでいろいろな武術の演武の動画がUPされている.
それらを見ても,なにが行われているのかわかりづらいことが
多いのである.そのために,なんどもその動画を繰り返し見る.
そしてようやく,理解するのである.

技を理解するということは,その技を行っている感覚が
自分の身体の中で再生されるということである.
実感として,心と体の動きを再生する.
それが体感的にイメージできる.
そうしたことが,最近できにくくなっているのである.

原因は,稽古不足に他ならない.
稽古で心と体の様々な遣い方を練習しておけば,
誰かの演武を見て,自分の体験の中からイメージを
組み立てることができるのだが,
最近,私はその絶対的な練習量が落ちているのだ.
...反省.

もちろん,ここで私が言っているのは,
技でなにが行われているのかをわかるというだけで,
その技を自分が行えるということを言っているのではない.
また,自分の技量を遥かに超えた技の場合,
理解できるかどうかは,はなはだ怪しい.
それは,想像がつかないのである.
当然感覚も湧かない.
それは,この先の人生のお楽しみなのである.
(一生,理解出来ないかもしれないが)

ただ,「理解する」というのは,頭でわかることだけでは
十分でないとは思っている.
「知行合一」のみが本当に「わかった」といえるのだろう.

知るだけでは十分ではない.
実際に遣わなければならない.
意志があるだけでは十分ではない.
実行しなければならない.

とブルース・リーも言っている.

#ちなみに「知行合一」は陽明学であるけれど,
日本の陽明学は独特で,ある意味過激である.
西郷隆盛や河井継之助の思想の背景となった
陽明学についてもいつか記事にしたいと思う.

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