2010年5月10日月曜日

「氣と身体は等価」という考え方

(今回は個人的な話なのです.すみません)

最近,ずっと気になっていることの一つに,

「氣と身体は等価」

という考え方がある.
これは,中国武術などでもいわれることなのだが,
最近,この考え方を用いて技を行うことで,
いろいろと新しいことが見えてきた.
すなわち身体を動かすことと
氣を発することとのバランスを保つことによって,
技のクオリティが上がるということである.
良い心身の状態を保つことができるのである.

ただし,私が稽古している合氣道においては,
氣を発する,という概念はなく,
「氣を出す」ということだけである.
もうちょっというと,氣は出すものではなく,
出ているものであると教えられる.
(生きている限り出続ける)

実際に「氣」というものについては,
種々の議論がずいぶんと必要だと思われるが,
私には,それが物理的に存在するかどうかが
問題ではなくて,その考え方を「方便」として
技を行うことによって,新たな段階に到達できる
ということが重要なのである.
そうした考え方には,過去からの修行者たちの
稽古のノウハウが集積されている.
これらを謙虚に学ぶことで,技の階梯を
効率的に上がることができるのである.

この考え方を真面目に検討してみようと
思ったのが今年の春.
これまでは,やはりなにかしら納得できないものがあった.
ようやく私の中で,こうした考えに素直に
耳を傾ける土壌ができたということなのだろう.
ずいぶん長くかかってしまった.

まぁ,いい.
今後まだまだノビしろがあるかと思うと,
稽古にも精がでるというものである.

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