2010年6月30日水曜日

マイクログリッド導入のメリットは

仕事は山積しているのに,
睡眠不足で頭痛がひどい.
昨日はサッカー中継を見なければよかったと反省.
あぁ,どうしよう...

ところで今日は,Ernest Orlando Lawrence Berkeley
National LaboratoryのDr. Chris Marnay氏が
来学されて,マイクログリッドに関するレクチャーを
行ってくれた.

世の中,スマートグリッド流行りで,
マイクログリッドという言葉の影が薄くなったような
気がするけれど,マイクログリッドは
スマートグリッドの重要な一要素であって,
今後も変わらず注力して研究を進めていくべき
課題である.

マイクログリッドというのは,種々の分散電源
(太陽電池,風力,燃料電池,ガスエンジンコジェネ,
ディーゼルエンジンコジェネ等)を組み合わせて,
局所的な電力ネットワークを構成し,
それを(通常一点で)バルクの電力系統に継続した
システムで,マイクログリッド内で電力変動等を
うまく調整することによって,バルク系統に影響を
与えず,出力が不安定になりがちな自然エネルギー
発電を導入していこうというものである.

通常自然エネルギーの変動による電力変動は
バッテリなどの電力貯蔵装置によって補償されるから,
マイクログリッド内の電力の品質,信頼性は
一般的に高いものとなる.
もちろん,バルク系統が停電に陥っても,
マイクログリッドは自立して運転を継続することができ,
特に供給信頼性の向上が期待できる.
今後も自然エネルギー発電の大量導入が促進されていく
のであれば,マイクログリッドは不可欠な研究であるといえる.

本日のレクチャーを聞いて思ったのは,
マイクログリッドの費用対効果の評価は難しいということである.
マイクログリッドにすれば確かに電力の信頼性は向上する.
しかし,電力の信頼性は一意には決まらない.
実際のところ,コストをかければかけるほど
(電力貯蔵装置や補償装置を導入すればするほど)
電力の信頼性は向上する.
では,どこまで向上すればよいのか?
そしてその信頼性向上は,かけたコストに十分見合う
ものなのか.
その評価をどのようにして行うべきなのかが
なかなか見えてこない.

ユーザが求める電力の信頼度も,
その場合,場合によってまちまちである.
なので,各ユーザに合わせたマイクログリッドの設計が求められる.
このようにオーダーメードで作られた
マイクログリッドの費用対効果の客観的な評価は
そもそも可能なのだろうか?
すべてのユーザが求める信頼度を数量化して
客観的に評価できるわけではないのだ.

しかし,結局,それが出来ない限り,
マイクログリッドの良さを社会に
アピールすることは難しく,
誰もがそれを導入しようという機運は
盛り上がらないのではないだろうか.
そんなことを考えた.

ではなぜアメリカはスマートグリッドでここまで
盛り上がるのだろうか.
それは,そこにビジネスが成立するからである.
アメリカにおいては電気料金が変動制で
決定されたりする.
スマートグリッドを導入すれば,
うまくデマンドをコントロールして電気料金を
安くあげることができる.
そして,それを実現するシステムを売ることで
商売が成り立つのである.
日本ではちょっと考えにくいことである.

すなわち,日本ではマイクログリッド,
スマートグリッドを導入するメリットは
目に見える電気料金という形で現れないために,
そこに大きな導入のためのモチベーションが
起こらないのである.

信頼度があがるといっても,
そのメリットが(そして費用対効果が)
定量的に評価できなければ,
マイクログリッド,スマートグリッドの
日本での導入は遅れることだろう.

加えて言えば,その電力の供給信頼性の高さは,
日本はすでに世界でトップクラスなのだ.
いまさらさらにコストをかけて向上しろというのか.
結局,導入のメリットはますます見えにくいものとなっている.
(だから日本の電力会社はスマートグリッドに対して動きが鈍い)

まぁ,こうした課題を解決するのが
私たち研究者の仕事であるのだけれど.

ということで,今日はそんなことを思った.
世の中には,コストという尺度にまさるものは
なかなか無いのである.

2010年6月29日火曜日

憔悴・人生の転回点

先週は一度もブログを更新せず.

札幌にIPEC(International Power Electronics Conference)に
参加していた.
発表もあった.

しかし,憔悴しきっていた.
こんなこと今までに一度もあったことがない.
これほど消耗しきっていて,
なにもかもに集中できなかった事態を迎えたのは
初めてのことであった.

学会の夜は,いつもは地元の肴をつまみに,
みなでワイワイとやり,楽しいものなのだが,
今回はホテルに直行.
仕事も疲れて手につかず,ベッドに倒れこむ.
カラのガソリンタンクを抱えて,それでも走ろうとしている
自動車のようにしんどかった.

関西に戻る際に,なにがこの原因なのか考えてみた.
残念ながらよくわからなかったのだけれど,
まずは,「歳をとった」ということなのかと思う.

これまでも同じような状況はあったのかもしれないが,
「若さ」で乗り切ってきたのかと思う.
多少の無理は,体力と精神力にものをいわせて,
エイッと飲み込んできたのだ.
しかし,その無理がきかないようになってきた.

人生の転回点なのかもしれないと思った.
マラソンでいうところの折り返し地点だ.
これからは自分の身体と心の状態を
うまく制御していく必要がある.
うまく「しつけ」ていく必要がある.
それにはある程度の苦しい努力と,
ある程度の歓楽への諦めが要求されるのであろう.

まぁ,それが歳をとるということなのだろう.
意外にそれもいいかもしれない.
時間,体力など限られたリソースを,
どのように人生の諸事に分配していくか,
そこらへんの戦略を立て直す
(いや,これまでそんなものなかったか)
良い時期なのだろう.

仕方がない.
生活が修行となるということ.
まぁ,自分とそうして付き合っていくということなのだろう.

#学会のバンケットの後,声をかけてくださった方がいました.
どうもこのブログを読んでいただいたことがある方とのこと.
大変うれしく,ありがたいことでありました.
しかし,このブログの内容が薄くて申し訳なくも感じました.
もう少し,まともな内容になるよう,精進いたします.

2010年6月18日金曜日

「拳児」

こうなったら,今週はこのままマンガの話.

先日,久しぶりに

「拳児」(小学館,松田隆智原作・藤原芳秀作画)

を読んだ.
現在の学生でもこのマンガは知られているかと
思っていたけれど,全然知らなかった...
(なんと連載されていたのは20年以上も前なのだ.
全然気づかなかった...)
というか,有名なマンガだと思っていたのは
私(と一部のマニア)だけで,
当時からそんなに人気があったわけではないのかもしれない.
(そういえば,結局打ち切りで終わったような覚えがある)

しかし,日本の中国拳法のみならず,
空手,古武道などの世界にも大きな影響を与えた
エポックメイキングなマンガであったことは間違いない.

主人公が稽古している拳法は八極拳なのだけれど,
この拳法の一般の方々への認知度はこのマンガで
ずいぶん高まったことは間違いなく,
今でも日本では非常に人気の高い拳法となっている.

原作の松田氏は,自らが八極拳を修行しているだけでなく,
中国拳法の研究家でもあって(中国でも名は知られていると聞く),
マンガで紹介される陳式太極拳,心意六合拳,擒拿術などが,
非常に興味深く,いま見ても面白い.

松田氏は中国拳法だけでなく日本の古武道にも
造詣が深く,大東流合気柔術などもマンガに登場する.
以前,このブログで紹介した金澤弘和氏がモデルとなった
空手家も登場する.

つまりは,ほどほどの本当の武術・武道の情報が
マンガで紹介されていたのであり,そのマンガを読んで
育った世代がその後の中国拳法界,武道界を担った一端と
なったことは否定出来ないだろう.

(空手バカ一代で極真空手全盛の時代があり,
となりの格闘王で,K-1と正道会館全盛の時代があった)

私が読んだのは実は21巻の外伝であり,
八極拳の中興の祖であると言われている
李書文のすさまじいエピソードが語られている.
それを読むとワクワクしてくる...
八極拳が人気が高まったのもよくわかる.

しかし,この名作の知名度が予想以上に低いのは
残念至極である.
ということでここに紹介.

来週はもう少し,真面目な話題にします.

2010年6月17日木曜日

「鋼の錬金術師」が面白い

私は今年で43歳になる.
いいオヤジである.
そのオヤジが見逃さずに観ている
アニメがひとつある.

「鋼の錬金術師 Fullmetal Alchemist」

である.
紹介しておいてなんだけれど,
あと3回で終了,最終回なのである.
この最後に向かって,物語が大変に盛り上がっていて,
目が離せないのである.

物語は,母を亡くした幼い兄弟が
錬金術を身につけ,禁忌である人体錬成を行うが
失敗し,兄は片腕,片足を失い,弟は全身を失い,
魂だけを鎧に固定するという結果となる.
失われた身体を取り戻すために,旅に出る,というもの.
兄弟は軍事国家の手先となって,
戦争の醜さなどを経験し成長していくが,
その裏側にあるホムンクルスと呼ばれる
人間ではないものの暗躍に気づき,
それらと相対することになる...

ということで,ホムンクルスとの戦いが
後半のメインになっていくのだけれど,
途中で,かなり暗い事件ばかり起きていく.

たとえば親が自分の幼い娘と飼い犬を
合成してキメラを作ったり,
軍事作戦の裏側に気づいた人のいい上官が,
その奥さんに化けたホムンクルスに殺されたり,と
かなり話が酷くて,観ているのが辛くなるばかりである.

しかし,だからこそ主人公の兄弟の
重く苦しい旅に価値があり,
それが現在の感動的なクライマックスへと
つながっている.

いや日本のアニメ,最高-(by 怪物くん)というくらい.
大人だからと言って,こうした話を見ないのは勿体無い.
毎週,息子と一緒に息をとめてい見ているのだ.
また次の放映日である日曜が来る.
楽しみだ.
しかし,あと3回で終了するというのが
本当に悲しい...
(これまで全部で61話を観たことになるのか...)

#マンガの連載も今月号で終了.
アニメと同じ結末なのだろうか?
結末を知りたくない!!!!

#ブログの話題が本やアニメに傾いているのは,
現実から逃避したいからかもです(笑)

2010年6月16日水曜日

「怪人二十面相」にドキドキワクワクする

うちの息子が最近珍しく本に夢中である.
どうもこれが江戸川乱歩の「少年探偵」シリーズ.
乱歩の描く奇想天外な冒険譚に
ワクワクしているらしい.

学校からも借りてくるし,
近所の公立図書館に行っても,
シリーズのうちいずれか1冊を選んで帰ってくる.
そして帰ってくるなりページを開いている.
そんな息子の姿を見ていると,
こちらも嬉しくなってくる.

実は私は,このシリーズ,
ほとんど読んだことがなかった.
それが息子の熱中ぶりに感化されて,
まずは基本の基本,「怪人二十面相」を読んでみた.

いやいや,これが大人が読んでも意外に楽しい.
推理小説というよりも冒険活劇譚である.
明智小五郎,小林少年と
怪人二十面相との手に汗握るやりとりが,
全然読者を飽きさせない.
それでいて,筋は単純なのだから,
小学生の息子が夢中になるのもわかるというものだ.

#明智小五郎が帰国すると,駅に迎えに来ていたのは
なんと外務省の役人に変装した怪人二十面相だったのである.
それを知りながら明智は怪人二十面相の誘いに乗って,
ホテルにお茶を飲みに行き,
命をかけた緊張感の中で優雅な会話を楽しむのである.
いやぁ,この場面にはシビれる(死語?)

乱歩といえば,昨日ブログに書いた
「パノラマ島奇談」とか「人間椅子」とか,
おどろおどろしいものも大人向けとして有名なのだけれど,
それらとこの少年探偵団シリーズを比較してみると面白い.
確かに,大人向けのエログロの趣味は少年探偵団の話には
抜けているけれど,怪人二十面相が活躍するような
ケレン味は変わらない.
少し怪奇的で暗闇に動く影を感じさせるように
ドキドキさせて,かつ,どこかにユーモアがある.
大人も子供も,こうした魅力にとり憑かれてしまうのだ.

その怪しさといえば,横尾忠則氏の作品を思い出す.
彼の作品の中には,怪人二十面相シリーズの挿絵の
パロディがいくつかある.
実は何年か前,息子と一緒に彼の作品展「冒険王」を
兵庫県立美術館に見に行ったのだ.
当時まだ小さかった息子には,抽象的な作品は
よく理解できなかっただろうけど(私だって理解できない!(笑))
怪人二十面相が描かれた作品や,
他の作品の挿絵のパロディをみて面白がっていた.
それが今の熱中につながっているのかもしれない.
横尾氏は,少年時代に感じたそのドキドキ感を,
それらの作品の中で表しているのだ.

ということで,この少年探偵団シリーズには
親子ともどももうしばらく注目をしていきそうである.
ポプラ社からは26巻の文庫本のシリーズが発売されている.
うちにもすでに2冊ある.
この歳になって,手に入れるとは...
乱歩恐るべし.

#もっとシリーズには巻数があったと思っていたけれど,
乱歩のゴーストライターが書いたものが含まれていたため,
文庫版26巻には含まれなかったらしい...
しかし,挿絵はオリジナルの柳瀬茂氏のものそのままである.

2010年6月15日火曜日

「パノラマ島奇談」

昨日はブログ更新の時間が取れず,一日お休み.
なかなかに忙しい...

とはいえ,週末に少し本を読むことができた.

「パノラマ島奇談」江戸川乱歩

これを春陽堂書店の文庫で読む.
春陽堂書店の文庫シリーズの表紙は,
多賀新の作品が飾っていて,
かなりオドロオドロしい雰囲気で好きなのである.

図書館で借りたこの本は,
ずいぶん前に発行されたもので,
たぶん印刷は活字なのである.
本の内部も周囲は黄色く変色してきていて,
その古めかしさにまた趣がある.

さて,肝心の「パノラマ島奇談」であるけれど,
これが本当に荒唐無稽,奇想天外,エログロなのである.
これを丸尾末広がマンガ化して,
たしか賞をもらっていたと記憶しているのだけれど,
たしかに丸尾末広の画風にぴったりなのである.

一人の男の理想郷を財力にものをいわせて
離れ島に実現させてしまう.
これが,裸の男女が住むという世界で,
その主人たる主人公とその妻が
島に迎え入れられるところの描写は,
江戸川乱歩という人の奇想に感心するばかりである.
主人公が夢破れ(いや十分に満足して),
最期を迎えるシーンもいい.
これが1920年代半ばに執筆されていたということに,
驚きを覚える.
当時の最新の科学技術を用いながらも,
クラシックな美しさを実現した桃源郷に
クラクラめまいをするのである...

6月の雨の憂鬱な日曜日.
そんなシチュエーションに
ぴったりな小説だった.

#これはぜひ丸尾末広の作品を読まねば,と思う.

#その他に収められている作品の中では,
「鬼」が女の情念を描いていて怖い

#先日,「怪人二十面相」を初めて読んだ.
感想はまた別に.

2010年6月11日金曜日

「りんご」に白旗をあげる

最近,iPad,iPhone4とApple社製のガジェットが
次々と発表され,話題となっているのは,
みなさん,ご存知の通り.

私も,Windows95以前はMacを使用していたので,
Appleが嫌いというわけではないのだけれど,
私はお洒落なガジェットを使っています,
私はプロダクトにこだわっています,
という主張がミエミエで,
そんなスカした感じがどうしても好きになれず,
これまで距離を置いていた.

昔は,Macを使っているというと,
クリエイター関係の人が多くて,
スカした人が多かった.
(でも実は核融合業界は,Macを使う人が多い)
値段の高さとアプリケーションの少なさを
我慢して使うほど私は余裕はなかったから,
自然,Windows派に転向した.
(当時の私の上司が,Apple帝国であった
核融合業界で,Windows95という反旗を翻したので,
それについていっただけなのだけれど)

以来,Macとそれを好んで使う人には
冷ややかな視線を送っていたのだけれど,
iPhoneが出てからというもの,知らぬ顔をしている,
ということが少し難しくなった.
それだけiPhoneが魅力的なのである.

以前,私はPalm OSが載ったPDA,
Sony CLIEを使用していたので,
電子手帳のようなガジェットの便利さはよくわかる.
残念ながら,SonyはPDAから撤退してしまい,
そのために私も宙ぶらりんに...
以来,また手書きのメモに戻っていたのだけれど,
iPhoneはまさにPDAではないか,と思うのである.

そして,iPhone4の登場.
なんかデザインの上品さに惹かれる.
アプリの多さも魅力的だ.
個人的な用途としては,
WiFiでGoogleのサービスを使えれば,
とりあえず用は済むのだけれど,
Androidのケータイはどうも野暮ったい.

PDAを使用していたときに思ったのだけれど,
それを使う楽しみがある,ということが,
そのガジェットを使い続けるために
大変重要なのだ.
それがiPhoneにはありそうなのである.

と書いてきて,結局私もiPhoneの
カッコ良さに惹かれているだけではないのか,と気づく.
あのスカした人たちと変わりがないのではないか,と.

しかし,私は素直に白旗をあげてもいい.
それほどiPhone4は魅力的なのである.

#しかし,iPhone4は今の携帯が使えなくなるまで,
待つことにしよう.あと1年はこのままかな...

2010年6月10日木曜日

最大集中力点追従制御 Maximum Concentration Point Tracking controlとは

ある作業を行うのには,やはり集中力が
あったほうが良い.

集中力は,弛緩(リラックス)と緊張の割合で
決定すると言われている.
弛緩しすぎては,もちろん集中できないし,
一方で緊張しすぎても集中を維持することは難しい.
この弛緩と緊張をバランスよく保つことが
集中力維持の決め手となる.

よく言われる集中力のカーブは,
横軸に,(弛緩)<- ->(緊張)をとり,
縦軸に集中の度合いを描くと,
上に凸の二次関数のようなグラフになる.
つまり,弛緩と緊張のどこかの間で,
集中力が最大となる点があるということである.

もちろん,仕事の内容によって,
必要とされる集中力も異なるから,
集中力がピークとなる弛緩と緊張の割合も
異なることだろう.
(たとえば,肉体労働でより緊張の割合が大きい集中が
必要なこともあるだろうし,あるいはデスクワークでは
より弛緩の割合が大きい集中の方が適しているかもしれない)

しかし,いずれにしろ,集中力をそのピーク付近に
維持することが,効率的に仕事をこなすことには
大切であることには変わりがない.
集中力が最大になっている状況を,
フローとか,ゾーンに入った,とか呼ぶ.
したがって,私たちの課題は,
いかに長時間,集中力が最大になる付近に
自分の心の状態を保ち続けるか,ということになる.

実は,太陽電池にもこうした特徴がある.
ある日射量が太陽電池に与えられた場合,
そこから最大の電力を出力できる電流・電圧というものがある.
太陽電池に接続されている半導体電力変換器
パワーコンディショナーは,随時太陽電池から取り出す
電流の量を制御して,太陽電池の動作点を
最大の電力が取り出せる運転領域に維持する制御を
行っているのである.
(この最大電力点の位置は,日射量,温度などによって変化する)
この制御を,最大電力点追従制御 (Maximum Power Point
Tracking control, MPPT制御)と呼ぶ.

私たちの心の状態についても,このMPPT制御のように,
最大の集中力が得られるような制御を
自分の心に適用すべきではないか,と思うのである.
これを,最大集中力点追従制御 (Maximum Concentration Point
Tracking control, MCPT制御)と名付けよう(笑).
つまり,弛緩と緊張の度合いをうまく調整することによって
自分の精神状態をゾーンに維持するように,
アクティブに制御するのである.

では緊張と弛緩の制御をどのようにして行うか.
...これが問題だ.

まずは休憩を適宜とること,
緊張を緩和するために呼吸法や音楽などで
「ながら仕事」をすること,
あるいは逆に緊張を高めるために,外部環境からの情報を
遮断すべく一人になること,雑念を書き出して明らかにすること,
などが思いつくけれど,決定版というものがない.

しかし,集中力を維持するためには,
弛緩と緊張を制御するのだ,ということさえ
まず前提として理解すれば,ずいぶんと
その効果は上がるのではないだろうか.

そんなことを最近考えながら仕事に集中力を高めようと
しているのである.

2010年6月9日水曜日

「三年殺し」

伝説の空手の技に,「三年殺し」というものがある.
ある部位を攻撃し,その際にはあまり痛みを感じないけれど,
三年くらい経つと死に至るという特殊な技である.
どうも内臓が少しずつ悪くなっていくらしい.
(一説によると腐っていくのだとか...)
使い道はよくわからないけれど,
つまりは誰が殺したか分からないようにして,
殺人を行う,ということなのだろう.

この話を聞いたのは(あるいは読んだのは)
いったいどこ・何なのだろう.
たぶんどこかのマンガに出てきたのではないかと思われる.
空手ではなく中国拳法だったのかもしれない.
とにかく不思議な技である.

もしもこの技を行うのであれば,
少なくとも外部からの直撃の力で内臓にダメージを
与えるのではなく,外部よりもむしろ内部にのみ
浸透させるような衝撃を与える必要がある.
そんなことは当然絵空事と私は思う.

(あるいは中国拳法のように,どこかの経穴をつくかをすれば
生理的な作用で死に至ることはありうる.
たとえば,神経系を痛めるとか,ホルモン分泌系を痛めるとか)

しかし,武術の技というものは,すごいもので,
松濤館流の金澤弘和先生が,板を三枚重ねて持たせ,
その真中の板だけを正拳突きで割るという試し割りの演武を
されたという記事を前に読んだ.
一体,三枚に重ねられた板にどのような荷重が加えられたら,
真ん中の板だけが割れるものなのか,
全然想像もつかないのだけれど,
いくらかの確率で成功するらしい.

これが直接「三年殺し」に結びつくというわけではないのだけれど,
武術の技というのは,本当に巧妙精緻なものだと思うのである.
本当に面白い.


2010年6月8日火曜日

才能があるものにはかなわない

天才に対して,才能が無いものが優ることは,
努力して得たときの感動だという話がある.

たとえば一つの技を修得する場合,
天才はあっという間にできてしまうが,
才能の無いものはコツコツと努力をして,
その末に技ができるようになる.
そのときに得られる感動は,
天才にはわからないだろう,ということである.

しかし,私は残念ながら,そうは思わない.
才能あるものはどんどん先に進むことができる.
そこには,歩みを進めることによってだけ
知ることができる素晴らしさがあるのだ.
その感動を,能力の無いものは味わうことができない.
そしてその感動を味わうことができるものは,
さらに高みを目指して努力するのである.

確かに私も思うのは,その人の成し遂げたこと(実績)は
どれだけ努力を積み重ねてきたか,ということに
最も強く相関があり,
才能の有無による相関は,
努力ほどは強くないということである.
(もちろん強い相関があることは間違いないのだけれど)

しかし,それは実績というものが
時間積分で効くものだからであって,
単なる能力の比較,競争であるならば,天才にはかなわない.
短時間でなにかを行う,あるいは勝負が決定するという場合には
やはり才能がものをいうということを
つくづく思う...残念ながら.

イチを聞いて十を理解できる人が確かにいるのである.
そしてあっという間にその知識・技術を自分のものと
できる人がいるのである.
(私は残念ながらイチを聞いてもそのイチを理解出来るか怪しい)

武道という世界を見ていると,
こうした事実の残酷さに悲しくなることがある.
まぁ,武道だけに限らないのだけれど.

2010年6月7日月曜日

パワーエレクトロニクス学会若手幹事会キックオフ


土曜日は,パワーエレクトロニクス学会の
第183回定例研究会であった.
会場は,イーグレひめじ,という施設で,
姫路城の真正面にあった.

姫路城はこれから5年にわたる改修工事が
始まったということで,その姿を見ることは
できないと思っていたのだけれど,意外や意外,
まだまだその美しい姿を現していた.

それどころか,クレーンなどが脇に並んでいて面白い.
逆にこうした光景は今しか見れないのだと思えば,
それも一興ということで,とりあえず写真を撮る.

姫路城の姿を前にして,定例研究会は開催された.
姫路という開催場所で,その参加人数が少なることを
心配していたのだけれど,十分に集まっていただき,
心より御礼申し上げます...

さて,当日は例年12月の定例研究会を企画運営する
若手幹事会のキックオフミーティングが行われた.
これは,各大学,高専,企業から学生や若手研究者が
集まって交流を深めながら,12月のて定例研究会の
特別講演の企画や,ポスター発表の運営を行うものである.

私がいうのもなんだけれど,若手幹事会で活躍する人たちは
就職が良いような気がする.
それは,研究会運営において,コミュニケーション能力や
企画運営能力が(否応なしに(笑))磨かれるせいだと思う.
企業としては,こうした学生が欲しいのではないだろうか.
企業こそ,少数の学生しか採用できなくて困っていると思うのだけれど,
この幹事会の学生は,いわゆる精鋭が多いような気がする.
彼らは,集まった他の学生達から刺激を受けて,
明らかに成長していくような気がする.
これは学会としては,本当に素晴らしい成果である.
(なによりパワーエレクトロニクス分野に優秀な人材を輩出できるから)

今年はさらに複数の企業から若手幹事の参加があった.
企業に入ってしまうと,同業他社の若手同士のつながりが持ちにくくなる.
せいぜい同じ研究室の卒業生くらいだけなのではないだろうか.
(サークルなどは働く分野が異なる)
少し歳をとれば,学会の委員会などで同じくらいの年齢同士の
研究者と交流もできるようになるけれど,ちょうど若手研究者と呼ばれる
世代の研究者間の情報交換の場が少ないのではないかと思われるのである.
その点,この若手幹事会で横のつながりができれば,
それはそれで素晴らしい活動成果になるのではないかと思う.
これには大いに期待したいと思う.

結局,若手幹事の人数は30名を越えることとなった.
例年20名ちょっとだったから,これは驚きである.
若手幹事会に参加するところの効用が認められてきたためであると思いたい.

というわけで,今年の12月の定例研究会は,
今から楽しみにしているのである.


2010年6月4日金曜日

夏でもパリっとした服装が必要かも

私の机の上の温度計をみると,30℃.
今日から私も半袖を着ている.
本格的な衣替えである.

昨日は,少し大きな実験装置を動かす,
ということで,ケーブル配線などの
作業のために,衣服が汚れる恐れがあったので,
ジーンズと長袖Tシャツで過ごした.
本当は,作業が終わったら,
通常のエリのついたシャツと綿パンに
着替えようと思っていたのだけれど,
あまりの楽さに,そのままの姿でいた.

あ~ぁ,一日中Tシャツとジーパンで
過ごすことができたらどんなに楽だろう,と思う.
前の職場ではそれが可能だったけれど
(上司から言われていたのは,
アロハシャツと下駄は禁止,とだけだった)
大学に来て,さすがにそれは避けている.

大学教員ならば,どんな格好でもいいとも
思うのだけれど,周囲を見るとそれなりに
気を使っている先生が多いようだ.
(一般的なおしゃれという意味ではなく)
一応,それなりに小奇麗な格好をしている.

私の所属しているコースは
電力系が近いためか,日頃からスーツを
着ている先生が多い.
やはり印象がいい.
私もそうしようかと思ったこともあったけれど,
とても耐えることができそうにないのでやめた.
シャツと綿パンがギリギリというところである.

しかし,小学校の頃を思い出すと,
いつもジャージでいた先生には
やはりいい印象がない.
そう思うと,もう少しマシな格好も必要なのかとも
感じ始める.

どうしよう.
この夏はジーパンとポロシャツで過ごそうと
思っていたのだけれど,
急に不安になってきた...

#ポロシャツやジーパンは安く済むから
いいのだけれどなぁ...

2010年6月3日木曜日

限界を越えるための針が必要だ

ウェイトトレーニングなどをすれば,
人間の肉体的・精神的限界について
少しは勉強することになる.

ある運動を行ったときに,
身体が壊れてしまう境界を肉体的限界と
呼ぶものとすれば,精神的限界は
それよりもずっと低いところにあって,
意識的あるいは無意識的にパワーを
セーブして自分の身体を守ることになっている.

それがどれくらいの値かということには
いろいろ説があるけれど,マンガなどでは
潜在能力として30%程度はまだ眠っている,
などとまことしやかに書かれていたりする.

実際,火事場の馬鹿力などというものが
本当に存在していて,武道においては,
一時的にその精神的限界を打ち破る
パフォーマンスを得るような工夫が行われる.
たとえば,強烈な自己暗示(印を結んだりする)や
呼吸法,気合である.

余談だけれども,集団で空手などを稽古する場合には
号令を掛ける人の能力が非常に重要である.
彼は集団の意識をまとめて,号令をかけることによって,
稽古しているものたちの能力を引き出してあげなければ
ならないのである.
集団心理,号令が,限界を越える工夫となる.

ウェイトトレーニングでは(私がやっていたころだから
もう20年近く前の理論では),
筋力をつけるために適した負荷は,
およそ限界の70%程度のウェイトで
7~10回くらい繰り返すものだといわれている.

ではどうやって自分の限界を知るのかというと,
だいたい3回くらいしかできない負荷が
およそ80~90%であると仮定して
100%負荷を想定するのである.

つまり,私がベンチプレスを80kgを3回しか
上げることができなければ,
私の100%は100kgということになる.
したがって,通常では70kgを10回程度繰り返して
それを複数セット行って,筋力をつけるトレーニングとなる.

しかし,ときどきは自分の限界を突き破るトレーニングも
必要だと言われていて,その場合は
80%位の負荷をとにかく上げてみる.
自分ひとりで行うと危ないから,
パートナーに手伝ってもらって努力する.
その際,パートナーは私が限界を越えるように
うまくアシストするのである.

たとえば,「行けっ」「やれる」などと声をかけたり,
本当に最後だけ指一本分くらいウェイトを支えてくれたり,
私の能力を伸ばすための工夫をしてくれる.
映画「ロッキー4」などで,ロッキーに対してトレーナーが
一生懸命掛け声をするシーンなどがあったが,
あれである.

極真空手の創始者 大山倍達氏は,
自分のベンチプレスの限界を越えるために
助手に畳針で自分のお尻を刺させたのだという.
その瞬間,痛みでウェイトを上げることができるのだそうだ.

このようにときどきは自分の限界を越えるための
工夫が武道の稽古やトレーニングでは必要となる.
そこで私は,自分の仕事の能力もそうなのではないか,と思う.
ときどきは自分の限界を越えるような負荷を自分にかける
必要があるのではないか,そう思うのである,
そして,その限界を越える工夫が,
すなわち私の生活を突き刺す畳針が必要なのだ.

まぁ,その痛みを考えると尻込みしてしまうのも,
私のトレーニングと一緒なのだけれど...

2010年6月2日水曜日

ネットは考える力を退化させるか

iPad発売の関係で,新聞やテレビのニュースで
またインターネットや電子書籍の話題が盛り上がっている.
私もテレビのニュースでいくつか目にしたけれど,
そこで2回ほど,それぞれ別のコメンテータと呼ばれる人が,
現在のネット文化に否定的な意見を述べているのを見た.

二人のコメントの内容はほとんど一緒で,

「なにかの答えを探し求める過程が大切であって,
端末をネットに接続して,すぐに答えを手に入れられるという
環境では,思考力が身につかない.
それがネットの限界だ」

というものである.

私はこの意見を聞いて,確かに一面の事実を言っているけれど,
それは私たちの旧世代からみた感想であって,
生まれた時からネットにつながることが当たり前の世代
(昨日も言及したけれど,いわゆるデジタルネイティブ)には,
それは当てはまらないのではないか,と思った.

その答えを求めることが,その思索の最終目的でないのであれば,
途中の過程で必要とされる情報は,速やかに入手できた方が良い.
それだけ早く最終ゴールに近づくことができる.
これは自明だ.
思考が不要である情報であれば,ネットの即時アクセス性は
非常に有利に働く.
それでは,思考が必要な情報は?
そんな情報はネットがあろうがなかろうが,思考するのである.
思考のヒントは多くあった方がいいだろうから,
やはりネットは有用なのである.

先にあげたコメンテータの意見は,
これまで,ちょっとした情報を得るにしても,
いろいろ苦労するという経験を積み重ねてきたから,
ネットで即座に入手できるということに
どこかしら,うしろめたさを感じるからではないか,と
思うのである.
この私も,ときどきなぜかうしろめたさをを感じる.
享受する便利さに慣れてしまう自分が怖いのだ.

しかし,早く歩くことができれば,
さらに遠くに行き着くことができる.
思考の歩みの速度を高めることができるならば,
全く新しい世界に進むことができるかもしれない.
私のような世代とは違って,ネットを当たり前に
湯水のように活用することができるデジタルネイティブの世代には
そうした世界を切り拓くことを期待したい.
(もちろん,私もそうしたことを志向しているのだけれど...)

ところで,ネットの一番の問題は,私はコピペであると思う.
誰かの意見を流用する.
自分の頭で考えることをせずに,
コピペした意見を自分のもののように使用する.
それこそがネット文化に巣食う問題なのだと思う.

2010年6月1日火曜日

パワエレ・ネイティブ

先日,研究室を訪問された台湾の先生が,
最も古いパワーエレクトロニクスの教科書を
見せてくれというので,日本語で書かれた教科書のうち,
そうでありそうな一冊を選んであげた.
(ちなみに台湾ではパワエレには英語で書かれた
教科書を用いるのだそうである.
中国語で書かれたパワエレの本は数が少なく,
また内容も大学の講義用としては簡単すぎるのだという)

その一冊とは,

「最新電気機器学」 宮入庄太 著 (丸善)

である.パワエレ専門の教科書ではない.
そう,パワエレはその最初の頃は「電気機器」の一部として
教えられていた技術なのである.

私の持っているこの教科書を見ると(昭和54年増補改訂版とある),
半導体変換器としては,ダイオードの他に,最新の素子として
SCR (サイリスタのGEがとった商標)が紹介されている.
私もサイリスタ変換器を学習したものである.

しかし,大学の研究室に入ってから,IGBTが使えるという時代が
やってきた.研究室でもそれを使用して実験をする同僚がいた.
(残念ながら私はそのグループではなかったけれど,
スナバ回路がうまく設計されていなかったためか,
素子が火花を飛ばして壊れていくのをなんども目にしたものだ)
自己消弧素子の時代がやってきたのである.

そして現在.
パワーエレクトロニクスは電気機器から独立して,
電気系の重要な講義のひとつとなった.
自己消弧素子の使用を前提としているPWM制御が
当たり前のように講義で教えられている.
これが,たった20年とちょっとの間の変化である.

今学生たちには,IGBTやMOSFETが当たり前で,
サイリスタが苦手な素子となってしまった.
制御回路をアナログで組んでいた時代も終わり,
マイコンやDSPによるデジタル制御が主となった.
そしてパワーエレクトロニクス技術を駆使した製品が
私たちの身の回りに溢れている,そんな時代になった.

「デジタル・ネイティブ」という言葉にならって言えば,
今の学生は「パワエレ・ネイティブ」なのだ.
私たちの時代とはまた少し違うのだ.
(私たちは過渡期の世代で,私たちより
上の世代は「トランジスタ世代」である)
彼らの世代からはまた新しい発想が生まれてくるのだろう.
そうした未来に希望を持ちたいものである.