2010年7月5日月曜日

Train me!

もう少しで,またひとつ仕事にケリがつく.
なんとか前進しているようである.

さて,先々週の国際会議のときに感じた
疲労感よりようやく回復しつつある.
そして,そのとき以来,自分にあるリソースを
今後いかに使っていくか,ということが
ひとつのテーマとなっている.

そのなかで,自分の心と身体を使役するという
考え方が,なかなかに面白い.
久しぶりに,どこかの金脈を探り当てた感じである.

自分の身体を自分の言うことを聞くようにする,
これは自分の身体に対する調教であり,躾であり,
すなわちトレーニングである.
そうやってトレーニングすることによって,
自分の能力を,自分の目的にあわせて
チューニング,そして向上させていく.
これは一般的なトレーニングの概念に他ならない.

しかし,心についても私は現在,同様に
トレーニングをしているような感覚にある.
すなわち,心が集中するように,あるいは
飽きないように,時と場合に応じて静謐を守るように,
心もしつけているのである.

「自分」が「やらなければいけない」と思うことによって
行うことについては,そこには心理的なハードルが存在する.
しかし,「自分」ではなく,「自分の心」を使役する,
トレーニングする,という観点からは,
自分がつらいことをやらなければならない,という考えは薄く,
むしろ,「使役する」という一段上の立場で物事を
考えることができるようになるのである.
自然,心理的なハードルは低くなる.
そして,私の中では,これがずっとうまく機能しているのである.

それでは,自分の身体だけでなく,
心までも使役するものとは何か?という問題が生ずる.
「自分」とは「心」ではないのか.
それよりも上位の概念が存在し,それが私を使役しうるのか?
なかなかに興味深い問題である.
けれど,今はそんなことをじっくり考えている暇はない.
残念ながら.

とりあえず,今は自分の心と身体をトレーンングしていくという
考え方が,また自分に新しい展開を与えてくれているように思う.
「心」とは違う「私」という概念がなにかはわからないけれど,
とにかく「心」もしつけてくれているのである.
私自身ではなく,私をトレーニングする.
だから,
Train myself.
ではなく,
Train me.
なのだ.

このままうまくいけば,
私という人間ももう少しマシになるだろう.

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