2010年8月26日木曜日

順番に逝くということ

NHK朝の連続テレビ「ゲゲゲの女房」を
たまに見ることがある.なかなかに面白い.
毎回きっちり見ることが出来ないのが残念.

今朝もちらりとだけ見ることができたのだけれど,
今回は主人公の弟が突然事故死し,
主人公が故郷に帰るという話だった.
小説としては,あまりにも唐突な展開なのだけれど,
これは自伝で,本当にあったことなのだろうから,
それは仕方がない.

しかし,こうして身近な人の死というものが
突然に訪れるのだということを
あらためて(今朝の通勤時間中に)考えた.
明日私が冥途に旅立つことだってあるのだ.

言葉をひとつ思い出した.

「祖死親死子死孫死」

これは,確か仙厓という禅画で有名な僧が,
ある人に頼まれて書いたという言葉である.
頼んだ人は,不吉だと言って怒ったのだけれど,
仙厓いわく,家族が順番通りに死ぬということは
なんと幸せなことか,と.

今朝のドラマでも,父親が,
亡くなってしまった息子に対して,
「親不孝だ」と嘆いていた.

私も親不孝者ではあるけれど,
親より先に逝くという不孝だけは,
したくないものである.
そして,私の子供たちも
そうであって欲しいと切に思う.

2010年8月25日水曜日

新たなトップダウンの視点は,新たな仕事を増やす

目の前の仕事ばかりを気にしていると,
中・長期的な目標を見失う.
だから,時には大局的な視点に立って,
仕事を整理することが大切だ.
と,よく言われる.

しかし,その新しい視点は,
新しい仕事を増やす.
トップダウンの視点は新たな仕事を
また生み出すのだ.
だから,現状の仕事にうんざりしていると,
無意識に仕事を増やすこと避けるようになる.
そして,いつまでたってもトップダウンの視点に
立たないことになる.
(これは「GTD」に書かれていたことなのだけれど,
強く納得)

この悪循環を断ち切るのは,
とりあえず何かしらの形で
目の前の仕事にけりをつけていくことだ.
仕事の出来は気にせず,
まずは片付けることだけに専念しよう.

2010年8月24日火曜日

ホテル カリフォルニア,名曲回帰

最近,

Eagles, "Hotel Calfornia"

を聴いて,胸が痛くなるほど感動した.
東京から大阪に向かう新幹線の中で,
FMラジオから流れていた
イーグルスの特集で聴いたのである.

もちろん,この曲なんて
これまで何度聴いたかわからない.
それこそタコができるくらい
耳にしているはずである.
(確かに最近は聴く機会がなかったけど)

それなのに,それなのにである.
曲紹介とともにあの冒頭のギターソロが
衝撃的に美しく響いたのである.

あぁ,なんて切なくて
ほの暗い旋律なのだろう.
はっとそう気づいてから
私はもう耳が離せなくなっていた.
80年代のあの突き抜けた
明るいポップス全盛の時代以前に,
このような曲が生まれていたのである.
じっと耳を凝らして
聴かなければならないような曲が.
そう,70年代はそうした時代だったのである.

私が青春を過ごした80年代,90年代は
そういう雰囲気ではなかった.
ロックは,プログレからハード,メタルへと
移り変わっていったけれど,
ほの暗さや哀切さというものはすでに
そこにはなかったように思う.

いや,この曲が歌うようにSPIRITSは
1969年にはもはや無くなっていたのかもしれない.

それにしても,この曲がこんなに
美しく響くとは...
自分ながらに驚く.
最近の曲もいいものはいいのだけれど,この頃は
この年代のものに強く心を惹かれるようになった.
これも歳をとったということなのか.

確かに歳をとることによって,
より美しい旋律を持つ曲に惹かれるようになっている.
心に負荷をかけて聴くことが
つらくなってきたのかもしれない.
しかし,誰でも最後はなにかしらの「美」を
求めるようになるのではないだろうか.

若い頃,あれほど不協和音に満ちた曲を
作っていたにもかかわらず,
最晩年はベートーベンの弦楽四重奏曲ばかりを
聴いていたというあのストラビンスキーのように.
(少し言い過ぎかな)

2010年8月23日月曜日

世にオヤジギャクの種は尽きまじ

先日,ついつい「オヤジギャグ」を言ってしまった.
それはそれは見事なオヤジギャグで,
聞いた人は完璧に呆れていた.
それほど「オヤジ」な「ギャグ」だった.
(まぁ,他愛のないダジャレだったのだけれど)

私も若い頃,なぜ歳をとると,
ああまでくだらないギャグをいうのだろう,と
不思議に思っていた.
公衆の面前でどうしてあのような恥ずかしい
真似ができるのかと.
いやオヤジギャグは社会的な悪であるとさえ思っていた.

しかし,今ならばわかる.
身にしみてわかるのである.
オヤジになると,オヤジギャグを言わざるを
得なくなるのである.

若い頃,くだらないギャグを思いついても,
「これをいったら,すべるだろうな」
と自制が効いて,言葉に出すのをためらったものである.
「すべる」ということが,引き起こす友達からの冷たい視線,
それが抑制となっていたのだ.
(もちろん,自分でも「くだらない」と思っていたし)
ちゃんと我慢ができていた.

それが歳をとるにつれ,
この我慢ができなくなってきたのである.
どんなにくだらないことでも思いついたら,
口に出さずにはいられなくなる.
「ギャグ耐性」が低くなるのだ.

それは,歳をとって(種々の人生の苦みを経験して)
自分が思いついたことを形にしないまま
失ってしまうことがもったいないと,
思うようになってしまったからかもしれない.

あるいは,単に厚顔無恥に
なってしまったためかもしれない.

どれもが理由にあてはまるのだろう.
しかし,歳をとると短気になる,そのことだけは
大きく影響しているような気がする.

人生に残された時間が短くなるからだろうか,
人は歳をとると短気になりやすい.
私なんて,生来の短気者だから,最近ますます
怒りやすくなってきている.
発火点が低くなってきたのだ.

この怒りへの発火点の低さは,
すなわち私の人生の余裕の無さを表していて,
その余裕の無さがオヤジギャグを我慢する,
そのハードルを低くしているのである.
世のオジサンたちもそうなのではないのだろうか.

つまりは,世に短気でない,本当に熟成した
大人が多くなればオヤジギャグは
ずいぶんと減るのであろう.
真に心に余裕をもった「オヤジ」が多くなれば.

と考えると,加速度的に忙しさが増していくこの時代に
オヤジギャグが蔓延するのも仕方ないかもしれない.
私はオヤジギャグを言わない人を尊敬する.

2010年8月19日木曜日

理工系は文章力が低いのか?

学会に投稿する予稿の作成に
学生が四苦八苦している.
ネタ的には,まぁ良いのだけれど,
文章に問題がある.

理工系学生はやはり日本語が苦手なのか?

いや,そんなことはない.
実は,文系よりも理工系の方が
文章力があると企業では
評価されたりしているのだ.
と書くと,驚く人がいるかもしれないけれど,
私はこれは当然のことなのだと思う.

その理由としては,

1) 職場で求められるのは報告書,企画書など
俗に言われる仕事文,技術文書である.
そこには修辞学上の凝った表現は不要であり,
正確に内容を読者に伝えることが目的であること.

2) 理工系の学生は,実験レポート,学会の予稿,
論文,卒業・修士論文等を書く頻度が高い.

3) 文書にグラフ,図,表などを使用する
頻度が多いこと

が主なものとしてあげられるだろう.
理工系学生は,こうした技術文書を書くことについて
かなりの量をこなしているのである.
それなりに評価されるのももっともだと思う.

仕事文,技術文書には,人を感動させることは求められない.
必要最小限の分量で,正確に内容を伝えることだけが
求められる(あとは期限を守ることが求められる).
したがって,わかりやすさ,読みやすさ(速読性)は
文書が持つべき必須の特性である.
そうした文章を書く能力こそ求められるべきものである.
(小説家になるのでないのであれば.
しかし,最近は理工系の研究者でも
優れたエッセーを書く人も多くなっているので,
状況は変わってきたのかもしれない)

しかし,こうした技術文書を書く技術というのは,
残念ながら日本の学校では学ぶ機会が
少ないのではないだろうか.
海外では,Technical Writingなどという授業があって,
論理の展開の仕方,
接続詞の使い方,段落の分け方,
冒頭や章末・節末の文章の書き方,等の
具体的なスキルを学ぶことになっているという.
しかし,日本の学生は,自分で身につけるしかないのである.
(教員か上司に添削してもらうことはできる)

学生の皆さんには,積極的にこうした技術を
身につけるように努力してもらいたいと思う.
英語も大切だけれど,それ以前に
日本語でも論理を展開して,相手に正しく
内容を伝える能力を鍛えておかなければならない.
そして,理工系の学生の皆さんにも
もっと自信をつけてもらいたいと思うのである.

(私なんて,学生の頃に書いた論文などは,
査読者から「表現が文学的すぎる」とか言われていたし,
働いてからも上司にいつも赤ペンで直されていた.
上司がこの文章をみたらたぶん笑うだろう)

#以前,私が学生実験を担当していた頃に,
レポートの書き方について,学生向けに書いた文章が
あるのだけれど,残念ながらこのブログには
pdfファイルはUPできないようである.
いつかダウンロードできるようにもしてみたい.
その文書に参考文献としてあげておいた
文章力UPのための本をいくつか紹介する.
(ただし平成17年に書いた文章なので,
紹介している本が古いかもしれない.
最近はもっと良い本が出版されていることだろうと思う)

-------------


1. 「理科系の作文技術」木下 是雄 ()、中公新書 :名著。PC全盛の現在において内容が古くなったという評もあるが、私はそうは思わない。まずはこれを読む。文系の人にも勧めたい一冊。
2. 「仕事文の書き方」高橋 昭男 ()、岩波新書 :報告などを仕事文と定義し、過不足無く正確に情報を相手に伝えることを目的とした文章の書き方を解説した一冊。
3. 「理科系の英文技術」Michael Alley ()、志村 史夫 (翻訳)、朝倉書店 :英文による技術文書の作成方法に関する解説書。主に論文・報告書を中心に書かれている。英文だけに限らず、和文にとっても大いに参考になった。もちろん、英語の論文のWritingにおいても有用な一冊である。多種な例文の引用は、実際に論文を書くときに大変に役立った。海外ではこうしたTechnical Writingに関する解説書が数多く出版されている。日本でも最近増えてきたがまだ数は少ないようだ。
4. 「英語技術文書の作法」David Beer (), David McMurrey (), 黒川 利明 (翻訳), 黒川 容子 (翻訳)、朝倉書店:同じく英文による技術文書の書き方の解説書。製品の説明書などの書き方にもふれており、多種な例文とともに有用な一冊。
5. 『分かりやすい文章』の技術」藤沢 晃治 () ブルーバックス講談社 :最近、良く書かれているなぁとの印象を持った一冊。このほかにも、「分かりやすい説明」の技術,「分かりやすい表現」の技術、の姉妹編あり。平易な文章で、極めて実践的に書かれている。

2010年8月18日水曜日

「別マ」を買っていた頃

まだまだ暑いので,マンガの昔話を.

小・中・高・大とマンガにかなり傾倒していたわけで,
その範囲は少年・青年マンガだけでなく,
少女マンガもそれなりに読んでいたりした.

中学校時代は,最も少女マンガを読んでいた頃で,
その頃は「別冊マーガレット」も買っていたりしていて,
とにかく手当たり次第,男女問わず,
面白いマンガをさがしていた.

その頃の「別冊マーガレット」(「別マ」と称される)といえば,

「伊賀野カバ丸」
「ダンシングジェネレーション」
「いらかの波」
「机をステージに」「ホットロード」「瞬きもせず」

あたりが連載されていて,

「いつもポケットにショパン」

はすでに連載が終わりあたりだったかな...
「別マ」が一番面白かったなぁ.

もちろん,「フレンド」系も読んでいて,

「生徒諸君!」
「はいからさんが通る」
(ちょっと古いけど単行本は全部読んだかな.
もちろん番外編も)

とか,「花とゆめ」系でいくと,

「ガラスの仮面」
「スケバン刑事」
「紅い牙・ブルーソネット」
「パタリロ!」
「超少女明日香」

なんてあたりが,すぐに思い出される.
しかし,まだまだ読んでいないマンガが多いことよ...

「ぼくの地球を守って」
「花のあすか組」

あたりは読みたいなぁ...
実は,少女マンガすぎるものはやっぱり苦手
なのだけれど,結構クールなストーリーのマンガも多い.
萩尾望都をあげるまでもなく,SFも優れたものが
多かったりする.

男はどうも女子マンガを軽視する傾向にあったけれど
(今は違うかもしれないなぁ)
面白いマンガはやはり面白かったのである.
実のことをいえば,
少女マンガと言えば,やはり怪奇ものなのだけれど...

とにかく,少女マンガといって読まないのは
もったいないのである.
私もまだまだ未読の作品が多い.
いつか時間を見つけてゆっくりと読みたいなぁ,
と思っているのである(いつ?どこで?)

2010年8月17日火曜日

格闘マンガを読んで稽古に行こう

お盆休みも終え,今日から出勤.
なのにこの酷暑.
今年の夏は暑いなぁ.

ということで,今日は少しだけ(自分向けに)
元気の出る話題を.

大学生くらいまでは,マンガというのが
私の生活にすごく,すごく大きな割合を占めていて,
小中高校生の頃は,週末は立ち読みに
本屋に通ったものである(本屋さん,ごめんなさい).

例えば,「愛と誠」や「はいからさんが通る」,
「男組」,「あしたのジョー」あたりは,本屋さんで全巻読み通した.
午前中に出かけていって,一度昼食を食べに帰宅して,
それから午後からまた立ち読みしに行くなんてこともあった.

と昔の話は別にして,
マンガというのは読むと元気が出るのが一番である.
特に,格闘技系のマンガは読むと稽古やトレーニングを
したくなるので,重宝したものである.
(映画の後に,主人公の真似をするのと,
心情的にはだいたい一緒(笑))

高校時代から大学時代にかけて読んだ
格闘技系マンガをあげてみると,

「空手バカ一代」...とにかくバイブル(笑).
「1,2の三四郎」...ヒンズースクワット.
「六三四の剣」...熱血.
「風と剣」...しぶい.
「momo太郎」...古武術の先駆け.
「熱風KIDS」...真神流.
「拳児」...猛虎硬爬山.
「なつきクライシス」...おすすめ.女子高生空手家.


ボクシングマンガでは,「ジョー」の他に,

「がんばれ元気」...アッパーストレート.
「はじめの一歩」...デンプシーロール.
「タフネス大地」...頭をつかえ.
「BB」...爆弾.
「ZERO」...ボクシングではこれが一番おすすめ.


あとは「鉄拳チンミ」とか,「コータローまかりとおる」とか,
「リングにかけろ」,「弥生の大空」ちょっと離れたマンガも多数.
(怪しいマンガもいっぱいあるなぁ.「空手三国志」とか...
「バキ」あたりもかなり怪しいし)

しかし,大学時代に一番面白かったのは,

「修羅の門」

かな.
不敗の古武術を駆使する少年が,
世界の強者と戦っていくマンガ.
すでに何人か殺しているところがすごい.
バイトでの稼ぎを1~5巻購入にあてた覚えがある.
合氣道部の後輩に紹介したところ,
彼もすぐに同じことをしていたっけ.
とにかく月刊マガジンが面白かった時代のマンガである.
(今も面白いのかもしれないけれど)

このマンガは,いろいろあって(笑)
連載が中止されていたのだけれど,
なんと13年ぶりに連載が再開するらしい.
いったいどうなることやら.
しかし,40歳を過ぎても楽しみにしているのだから
我ながらあきれてしまう.

とにかく読むと元気が出る.
そして道場に行って,サンドバッグを叩きたくなる.
そんなすばらしいマンガなのである.
再開を心待ちにしている.




2010年8月10日火曜日

パワーエレクトロニクス学会,J-PARC・産総研見学会,第184回定例研究会

先週の金曜日,土曜日はパワーエレクトロニクス学会の
見学会,定例研究会が開催された.
私は庶務幹事ということで準備を進めてきたのだけれど,
宿泊付きの見学会,研究会ということで
うまく開催できるかどうか,最後の最後まで心配しどおしだった.
(いやぁ,小心者なのです)

そんな心配をよそに,見学会,研究会ともに,
皆様のご協力のおかげで,本当にうまくいった.
心より御礼申し上げます.

見学会の一カ所目は,
日本原子力研究開発機構(JAEA)の大強度陽子加速器J-PARC.
残念ながら加速器のマグネットが並ぶトンネルなどは,
実験のため放射していて見ることができなかったけれど,
クライストロンの電源や中性子源からのビームラインが並ぶ
研究施設,さらにはカミオカンデにニュートリノを放出する
試験施設まで見学することができて,大変勉強になった.

JAEAは,私の前の職場であるけれど,私が勤めていたのは
那珂研究所の核融合実験施設だから,
J-PARC施設を見学したのは
実は今回が初めてなのである.
うーん,施設の雰囲気から少しずつ感じられる
核融合とのフィロソフィーの違いがあるような気がする.
ただ電源等の制御システムがいまだにVMEであるように見えた.
(実際は,C-PCIなのかもしれないが,外見はVMEそっくり)
VME/CAMACなどは前時代の遺物と思っていたけれど,
もしもまだ現役であるならば驚きである.

二カ所目は,産業技術総合研究所.
次世代のキーデバイスであるSiC素子に関連する施設である.
残念ながら当日はトラブルのため,施設を見学することが
できなかったのだけれど,その代わり,SiCの結晶から
ウェハ,素子を用いたチョッパ,インバータと,
貴重な実物を目前にすることができた.
産総研では,結晶からウェハ作成,そして素子作成,
変換器作成まで一貫して研究を行うことができることが
強みであり,現在日本の,いや世界的にも
重要な開発拠点となっている.

もちろんパワーエレクトロニクス学会というくらいだから,
参加者は興味津々.
いろんな,本当にいろんな質問が説明していただいた方に
飛んでいた.
SiC素子は性能が良すぎて,いろいろと逆に不都合が生じるとの
説明に感心するやら,驚くやらで,
いやぁ,いろいろ考えることがあったなぁ.

土曜日は朝から定例研究会.
見学内容に合わせて,SiC素子を用いた大容量変換器の開発に
関する講演や,J-PARCの電源の開発に関する報告などがあって,
これまた非常に興味深いものになった.
いつもは関西で開催されることが多いパワーエレクトロニクス学会の
研究会だけれど,今回は筑波開催ということもあって,
関東からの参加者も多く,それが大変うれしかった.

また,見学会,研究会を通じて,大変興味深かったとの
ご感想を参加者からいただいて,準備を進めてきた側としても
心からうれしかった.
本当によかった,よかった.

旅行やそれに関わる記事についてはまた別の機会に.
でもお盆休みも近づいているので更新は
飛び飛びになると思います.

2010年8月5日木曜日

夏バテでノイズ耐性が低くなる

夏バテでぐったりしている.
昨晩は,あまりの頭痛で吐き気がして,
夕食も食べずに
そのまま帰宅してしまった.
だからブログ更新はなし.
すみません...

今日はもう大丈夫.
というよりも,明日はパワーエレクトロニクス学会の
見学会で,茨城県東海村に出張である.
ぐったりしてなんていられない.

しかし,疲労にはまずは睡眠である,ということを
実感する.
昨晩は,とにかく早く寝た(23時には就寝).
すると今朝はだいぶ復活した.
夏バテにはビタミンなどというけれど,
一番効くのは睡眠なのである.

夏バテというのは,精神状態にも
相当影響する.
私が昨日思ったのは,脳のノイズ耐性が
低くなっているということ.
とにかくノイズに耐えられない.
音楽もポップスを聴くことができない.
クラシック音楽でも,ロマン派を聴くことができなかった.
(チャイコフスキーなんてもってのほか!)

そんな私を救ってくれたのはやはりバッハ.
バイオリン,無伴奏パルティータ集.
(ちなみにG.クレーメルの古い方の録音)
氷のように澄み切った音の響きが
なんとか私に落ち着きを取り戻してくれた.
ありがとう,バッハ...

バッハの器楽曲は,ノイズレベルが低い.
業界用語でいうと,THD(総合ひずみ率)が低く,
純粋な正弦波に近い.
そんなイメージである.

私の頭はどうもノイズに弱い電子機器らしい.

2010年8月3日火曜日

「できない」とも言わない

私の習っている武道では,

「できない」

というのもNGワードである.
ある技に挑戦するとき,「できない」と思ってやるのでは,
できるものもできなくなってしまう.
やる前から,あきらめていることになる.

日常生活でも「できない」とすぐにいうのは
あまり良くない.
(もちろん,仕事を断るときには「できない」と言う
必要があるけれど)
課題やプロジェクトがある際に,
最初から「できない」などと言っていては,
成功する可能性が小さくなってしまう.
また部下もついてこなくなるだろう.

なにか事に当たる際には,
「できる」と言って,成功を信じて
断固実行あるのみである.
最悪の結果を考えて万全の対策を講じておくのは
もちろんなのだけど,不安や心配で
気を小さくしていては,健全な判断をくだすことが
できなくなってしまう.
大胆かつ細心に事をすすめるためには,
まず自信を持つことが大切なのだと教わるのである.
(すべての可能性を考えて準備万端整えてこそ,
そうした心境になるのだけど.
まさに万事を尽くして天命を待つのである)

でも,できない技はできない.
それを「できる」というのは嘘をつくことになる.
では,どう言えばよいか.

「未熟なので」

と答えればよいと教わっている.
現在はできないけれど,いつかできる可能性があることを
示唆している.
自分で自分を否定することを避けることにするのだ.

このように私が習っている武道では,
日常生活万般にわたり,稽古しなければならないと
指導される.
口やかましいということなかれ.
日常に活かせない武道など,現代に習う意味など無いのだ.

2010年8月2日月曜日

「難しい」と言わない

私が習っている武道では,

「むずかしい」

というのはNGワードとなっている.
技を習うと,ついつい「難しい」と
いってしまうのだけれど,
(やっぱり習熟には時間がかかるし)
私が習っている武道では,
言葉が心と身体に及ぼす影響を重視するから,
こうした言葉を発したときには,
誰かが注意することになる.

なにかPositive Thinkingクラブみたいで,
ちょっと怖い(笑)感じもするけれど,
実際のところ,稽古によって感覚が鋭敏になると
「難しい」と言ってしまうことで,自分の
心と身体の状態が変わってしまうことを,
実感できるのだから,そうしたことは
怖くていえなくなるのである.
(ちなみに,初心の方にも,その効果を実感して
もらう稽古法がちゃんと用意されている)

今朝,息子の算数の問題がわからないというので,
いろいろと解説してあげた.
(小学生の内容であれば,かろうじてまだ
教えることができるのだ)
考え方を教えた後に息子が

「難しい問題なんだ~」

と言った瞬間,彼の心と身体の状態が変わっていた.
すなわち,「難しい問題だから解けなくてもいいんだ」
という甘えが発生している.
顔の表情もぐっと緩んでいる.
これでは,知らず知らずのうちに,
自分の能力に制限をかけているようなものである.

発した言葉はいろいろな人に影響を与えるが,
もっともその効果が大きいのは自分に対してである.
ひどい言葉は,自分をもっとも傷つける.
そしてそれから逃げることはできないのである.
(一方,他人の言葉は自分でシャットアウトすることもできる)

自分が自分を傷つける,
自分に足かせをかけている言葉は,
案外に多い.
気づかないうちにうっかりと使っているのだ.

古来,「言霊(コトタマ)」と呼ばれるものは,
このような以外に実際的な効果を実感した
人たちの間から起こった概念なのだろうと思う.

反省してみると,自分だけでなく,
子供にもひどいことを言っているような気がする.
気をつけねば...