2011年12月30日金曜日

iPhoneを探す: iPhoneが無ければダメ人間

昨日,iPhoneを忘れて出かけてしまった.
バスから降りて,手元に無いことに気づいた.
自宅に置き忘れたのか,途中で落としたのか,
全然覚えがない.

以前,携帯電話を落としてしまったときは本当に往生した.
結局,Softbankに電話して,場所を探してもらったのだけれど,
「一番近いアンテナのポイントから700m圏内にあります」と
言われたって,半径700mの円の中をすべて探すことは
実質不可能である.
その上,「ポイントはどこにあるのですか」と尋ねても,
「それはわかりかねます」としか答えてもらえないのだから,
本当に困ったものである.

しかし,今回は大丈夫であることを知っていた.
iPhoneには,「iPhoneを探す」というアプリがインストールされていて,
それが動いてさえいれば,iPhoneが現在どこにあるのかも,
そこにメッセージを表示させることも,最悪データを消去することも
できるようになっているのである.

学校に着いてPCでiPhoneを探してみる.
IDを入れて探すだけ.
案の定,自宅に青いマークが着いたマップが出て,
一分前に位置を確認したというメッセージが表示された.
iPhoneを自宅に忘れてきたであろうことが分かる.

いやいや,こんなに素晴らしいアプリができているとは.
本当に感心した.
特に物忘れの多い私にとっては,ありがたいツールである.
これで,どれだけ多くの人が助かっていることか.

使い方は簡単.
「iPhoneを探す」というアプリをダウンロードして
インストール.
設定で,「位置情報サービス」で,アプリを動くように
しておけばよい.
無くしたときには,icloudにアクセスして,
IDその他を入力すれば,すぐに探してくれる.
iPhone 4Sでは,最初からインストールされていて,
動作するようにデフォルトで設定されている.
iPhoneが売れるのもわかるような気がする.

しかし当日,私はこうしたアプリがあることを知っているにも
関わらず,本当に不安になっていた.
iPhoneを落としたかどうか,よりも,
iPhoneを使えないことが私をとにかく不安にさせたのである.

新大阪の駅にいたのだけれど,
どうやって大学に戻れば良いのかもわからない.
どこで昼食を食べて良いのかもわからない.
それどころか,iPhoneが無いと,次に何をしたらよいのかさえわからない.
私の生活は,すでにそこまで来てしまっているのである.
iPhoneが私のすべてを管理しており,
iPhoneによってネットにつながることのできない状況が,
私の有能感を無力化し,不安このうえない心持ちにさせる.
いまやiPhone無ければ,ダメ人間なのである.

今回,iPhoneを忘れたことによって痛感したのは,
このダメ人間ぶりなのである.
来年は,もう少しマシな人間になろうと思うのである.


2011年12月29日木曜日

今回は本当に雑談

今年もあと少し,ほんの少しで終了する.
いつもこの時期は,やり残したことの
数多さにがっかりするのが常である.

今年も例年と変わらない.
いろいろと考えることばかりである.
ただ,考えてばかりいると
気難しい顔になるので,
(ただでさえ,器量が悪いというのに)
少しは良かったことをここに書いておく.

今年は10kgダイエットに成功した.
5月から8月頃にかけて10kg程度体重を減らし,
その後,現在までその体重を維持している.
ふふん,少し自慢である.

秘訣は?と聞かれても特になし.
一時期走っていたけれど,最近は
その時間が取れていない.
しかし,体重は増加していない.
結局食べていないということなのだろう.
確かに,食事の量のバランスは
無意識にとっているような気がする.

しかし,減量して健康なのかどうかは
はなはだ疑問である.
残念ながら体力は少し衰えたような気がする.

武道を稽古する際に,明らかに
技の質量が減っている.
これではいかん.いかんのである.

来年は稽古もぜひ充実させたい.
体力がなければ集中力がつかず,
それが結局仕事の質・量を制限しているように
思われる.
結局人間とは,心と身体は同一なのだ.
どちらが欠けても,能力を発揮できない.
それを今年は痛感した.

私が稽古している武道では,
心を鍛える方法も教わっている.
来年は,そうした稽古にも心を配っていきたいと思う.

今回は本当に雑談でした.

来年からは,たまには,もう少し
役に立つ記事も書いていく予定です.

よろしくお願いいたします.



2011年12月22日木曜日

キラキラしたクリスマス物語を読む時間を

クリスマス・シーズン,私のお決まりのブログ記事といえば,
ジョージ・セルのベートーベンの第九の話なのだけれど,
もうひとつ,毎年のように書いているのが,
C. ディケンズの「クリスマス・キャロル」の話なのである.

2009年のクリスマス・キャロル
2008年のクリスマス・キャロル

今年は,iPhoneのiBookで読んでみたい.
もちろん無料でダウンロードできる.
ただし,英語で,iPhoneの辞書を使えるのだけれど,
どうも英英辞書でしか引けないらしい.
ちょっとつらい.
まぁ,贅沢は言わないので良いのだけれど.

他のクリスマス物語といえば,
T. カポーティの「クリスマスの思い出」
最後の方で,主人公は大人になっていくのだけれど,
そこらへんの描写が切なくてたまらないのである.

そして短編では,ポール・オースターの
「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」
もちろん,映画もオススメなのだけれど,
村上春樹と柴田元幸による翻訳比べが
載っている「翻訳夜話」(文春文庫)も素晴らしい.

あぁ,今年のクリスマスはいろいろあって,
いつもの年と違うのだけれど,
こうした,キラキラした物語を読む時間を
なんとか持ちたいと思う.

少し早いけれど,みなさま,

Merry Christmas!

2011年12月21日水曜日

佐野元春,Christmas Time in Blue, J. Lennon, Happy Xmas (War Is Over)

今日は,

佐野元春
"Christmas Time in Blue ~聖なる夜に口笛吹いて~"

を耳にした.

昨日の山下達郎の「クリスマスイブ」に続いて,
カチカチの鉄板クリスマスソングである.
あぁ,世はクリスマスなのである.

実は,佐野元春の曲の聴く前に,

John Lennon
"Happy Xmas (War Is Over)"

をやはりラジオから聴いていたのだけれど,
佐野元春の曲は,この曲への
オマージュであることにやっと気づいた.
なんと,佐野元春の収録アルバム
カフェボヘミア」のリリースから
20年が過ぎ去っている.
なんと私は鈍感だったのだろう.

"愛している人も愛されてる人も
泣いている人も 笑っている君も
平和なも 戦っている街も
メリー・メリー・クリスマス
Tonight's gonna be alright"

この歌詞なんて,まさにレノンの歌じゃないか.
全く気づかなかった...

いやはや.
自分がどれだけ曲をいい加減に聴いているか,
いやになってしまう.

2011年12月20日火曜日

ベートーベン 「第九」,セルの録音が好き

とにかく,忙しい.
全然時間がとれない.
ブログの更新も滞っております.
すみません.
(だから,一体誰に謝っているのか)

昨日,車に乗って移動中に,
この冬初めて,

「クリスマス・イブ」(山下達郎)

をラジオで耳にした.
今年は忙しすぎて,この曲を聴くのが
ずいぶんと遅くなってしまったようだ.
いつもの年だったら,11月には
どこかで流れているのに気づいていただろうに.

少し前,年末気分を盛り上げるために,
通勤中に,「第九」のCDをかけた.

ベートーベン 交響曲第9番
ジョージ・セル,クリーブランド管弦楽団

私は第九のCDを,カラヤン,バーンスタイン,ベームなど
たぶん10枚近く持っているはずだけれど,
ついつい手にしてしまうのは,このセル版だったりする.

この演奏は,重くないし,軽すぎない.
カラヤンの録音などは,もう第1楽章から
大スペクタクルになっているわけだけれど,
セルのものは,上品さを保っている.
バーンスタインのように,熱く人類愛を語る
わけでもない.
そこがいい.
純粋な音楽として演奏しているような気がする.
くずれることもないし,音楽が逸走することもない.
一番しっくりくるのである.

でも,生だったら熱い演奏がいいかもしれない.
私は一度だけしか,この曲の生演奏に触れたことがないが,
やっぱり感動した覚えがある.

ずいぶん前の話だけれど,オケは日フィルだったかな.
いまをときめく佐渡裕氏の指揮だった.
指揮台の上で飛び跳ねて,汗が飛び散っていく姿を見て,
ちょっとやりすぎじゃないの,とは思ったけれど,
オケも合唱もそれに引っ張られて,
ずいぶんと熱い演奏だったことを覚えている.

でも正直言うと,第4楽章よりも1~3楽章の方が好き.
特に第1楽章が好きだったりする.
音の密度がぎゅっと締まっているような気がする.
そののち,爆発するような.
いいなぁ,
やっぱりベートーベンというのは天才だったのだなと
つくづく思う.

ただ,第九は疲れているときに聴くものではないようだ.
この音楽は,集中することを聴くものに強いるところがあるから,
終わった後,ぐったりしてしまう.
もちろん,大きな満足感はあるのだけれど.

いつかゆったりとした気分でこの曲を聴きたいものと思う.
そうすれば,第4楽章も素直に感動できるのかもしれない.

#しかし,ほぼ毎年,私は同じような記事を書いているらしい.
そのたびにセルの第九を聴いているらしい.トホホ.

2007年の第九
2008年の第九
2009年の第九


2011年12月7日水曜日

まるで幽霊のように歩いてくる

今日は,中央電気倶楽部で開催された電気学会
関西支部の講演会「エコシティプロジェクトの
取り組み状況と関連技術」に参加した.
「けいはんなエコシティ」をはじめとする
スマートコミュニティへの取り組みの紹介や
太陽光発電導入への課題の話があり,
たいへん興味深かった.

特にJR西日本殿の省エネルギーへの
取り組みの紹介が面白かった.
電車の運行に関する省エネは,もちろん,
車両の改良などで実現しているのだけれど,
駅舎での省エネも努力されている.
今日は,各鉄道会社の使用電力に占める
運転用電力(車両)と付帯電力(駅舎)の割合や,
駅舎の使用電力の割合(照明とかエレベータとか)も
紹介されて,特に興味深かった.
夏に節電で,エレベータやエスカレータの運転が
止められていたが,それがどれだけの
節電につながるのか,また人が来ないときに
エスカレータのスピードが減速されているが,
それがどれだけの節電につながるのか,
こういった興味に答えていただける講演で,
すごく面白いものだった.
みなさんも興味があるでしょ?

講習会も終了し,梅田から北千里まで電車で
戻ってきたのだけれど,大阪大学というのは,
北千里の駅からずいぶん歩く.
20分くらいかな.

夕方6時半を過ぎていたので,
すっかり道も暗い.
私も若くはないので,足下に気をつけながら
歩いていたのだけれど,前から歩いてくる
人たちに目を向けて思わず笑ってしまった.

暗がりの中,携帯電話を見ながら歩いている人が多い.
そうすると携帯電話のディスプレイの明かりが,
歩いている人の顔を下から照らすことになる.
すなわち,暗闇の中で懐中電灯で自分の顔を
下から照らして,人を驚かせるいたずらがあるけれど,
あれと同じである.
懐中電灯の代りに携帯電話で顔を照らしているのだ.

すれ違う人,すれ違う人が下から顔を
携帯電話で照らしている.
特に女性がすれ違うときには,
携帯電話に顔を向けながら,注意をこちらに
向けるために上目遣いでこちらを見る.
まるで幽霊映画の一場面である.
歩いている女の人は,こちらにそんな風に見えているなんて
思いもよらないだろうが,
こちらはずいぶんと楽しませてもらった.
(貞子かと思う人もいた)

いやぁ,携帯電話はついつい夢中になってしまうけれど,
常に人の目にどのように映っているかは考えないといけないなぁ.
特に,夕方の携帯電話は気をつけなければと思う.
というか,そもそも歩きながら携帯電話を操作するのは
危ないからやめた方がいい,ということなのだろうけど.


2011年12月6日火曜日

就活と卒業をてんびんにかけたら

就活といえば,大学は企業の活動に
あまり良い顔をしていない(少なくともうちの大学では).

なぜならば,大学の講義がある平日に,
平気で企業説明会を行い,
学生に講義を休ませることを強いているからである.

それでいて,大学には学生の学力低下の不満を言う.
本当にひどい話である.

昨年も同様の議論があって,ある企業の人が,
大学の授業がつまらないから,企業の説明会に
学生たちは参加するのだ,とコメントしているのを見た.

私はこれは違うと思う.
学生たちは,単純に損得勘定で動いているのだ.

確かに私が行う講義が面白いとは言えないかもしれない.
しかし,講義は自らの実力を養うために重要なものだ.
少しでも向学心があれば,学生たちも出席してくれる.

しかし,卒業後何十年(?)か働く企業の説明会と
いま現在の知的好奇心を満たすためにの講義とを
てんびんにかけたら,
たぶん私が学生だって,企業の説明会の方を選ぶだろう.
つまりは,自分の人生にとってどちらが得かということが
判断基準なのだ.

先に挙げた企業の方には次のように言いたい.
もしも大学が,「就職活動のために講義を休むことあれば,
卒業をさせない」などという(無理な)条件を挙げたら,
ほとんどの人は企業の説明会には出席しなくなるだろう.

企業への就職が,大学の卒業が条件である限り,
大学の講義に出席する方が優先度が高くなるはずだからである.
そのような状況では,企業の説明会は講義が少ない
土日に開催されることが,自然と多くなるだろう.
私は大学がこのようなヘンな条件を出す前に,
企業が自主的にそうしてくれることを望む.

現在は,ただ大学が学生たちに対し,
学業をおろそかにして,就活をすることを
大目に見ているだけなのだ.
それが,この学生たちにかなり不幸な状況を作り出している.
いつか,根本的な対策が打たれるのではないか,
いや,そうなることを私は祈っている.

2011年12月5日月曜日

就活を始めるにあたり,必要な3つのツール

就職活動が始まった.
大学教員としては,いきすぎた就活は
正直快く思っていないのだけれど,
(講義がある平日に,平気で説明会を開く.
この件については,いつか別記事で)
こんな世の中だから仕方がない.
学生のみなさんは頑張るしかないのだろう...

そんな話をある学生としていて,就活を始めるにあたり,
まず必要なものはなにかという話になった.
私が学生だった頃はバブルだったので
たいした就活はしていないのだけれど,
いま,私が就活するのであれば,
まず以下の3つを揃えると思う.

(1) 手帳

いまどきの学生ならば,スケジュール管理は
スマートフォンで,という人が多いと思うけれど,
私は紙の手帳を推す.
それも,100円ショップで売っているようなものではなく,
少なくとも1000円以上はする手帳をオススメする.

その理由は,少なくともすぐに2つ挙げられる.
まずはじめは,紙の手帳にはスケジュールだけではなく,
いろいろなメモを残すことができる.
文字だけではなく絵もあるだろうし,
付箋を貼っておくこともできる.
だから,カレンダー部だけではなく,
種々な書き込みができるスペースが多い手帳がいい.

私の愛用の手帳は,「ほぼ日手帳Weeks」.
以前は「ほぼ日手帳」を数年間使用していたが,
1日に1ページを書き込むほどのイベントは
私の日々には起きないので,1週間で1ページの
方眼ページが使用できる「Weeks」ぐらいがちょうど良い.
もちろん手帳の後部には75ページも方眼ページがあって,
アイデアや議事メモを書くのに重宝している.

次の理由は,いまだにスマホなどでスケジュールを
管理する人に眉をひそめる年輩者も多いということである.
説明会も終わり,担当の方々と話をしたりする.
そこで次の予定の話が出てきたときに,
手帳とペンをさっと出す学生と,
スマホ(または携帯電話)を出す学生のどちらの方が
好印象だろうか?
私はどちらも構わないのだけれど,
やはり手帳とペンの方が(とくに年輩者に)親近感を
持たれやすいのは事実のようである.

たしかにスケジュールがどんどん変更される場合には,
紙の手帳よりもずっと電子的なツールの方が便利である.
メールからのコピペも楽だし.

しかし,それでも私は紙の手帳の使用をオススメする.
もちろん,Quo Vadisでも,産能手帳でも,高橋の手帳でも良い.
使いやすいものを使えばいいが,とにかく紙の手帳に
ペンを使って書き込むのをオススメするのだ.
(私は,紙の手帳とスマホを併用しているが)


(2)ちょっと高級なペン

手帳の次はペンである.
これも100円程度のボールペンではない.
少なくとも500円程度の見栄えが少しはするものが良い.
私は使い勝手の良さから,JET STREAM3を使用しているが,
もしも私が「営業」を仕事にしているのであれば,
もっと高級ペンを使用することだろう.

やはり使用している手帳とペンの印象は強い.
安っぽいペンでは,相手の信用を得られにくいように思う.
私は,もうどうでもいいと思っているところもあるので(笑),
数百円の多色ペンを使用しているが,
(以前はパイロットのReporter4を愛用していた)
見栄えを気にするならば,Ramy2000あたりを使用すると思う.
(ただし,20000円程度はする)

やはり,かっこいい手帳,かっこいいペンは,
使用している人の印象をよりよくする.


(3) 名刺入れ

少し忘れてしまいそうなのが,この名刺入れ.
入れるのは自分の名刺ではない.
就活でもらった人の名刺を入れるのである.

就活の中で,いろいろな人から名刺をもらうことになるだろう.
まずは,両手で名刺をいただくこと.
次にその名刺はどこにしまうべきなのだろうか?
スーツのポケット?
最悪なのは,ズボンの後ろポケットに入れてしまうこと.
相手の名前(名刺)を尻の下にしくことになってしまうので,
失礼であること極まりない.

やはり名刺入れに,しまうのがいい.
この名刺入れはあまり価格が高くなくて良いのではないかと思う.
100円ショップの製品でも.
とにかく,相手の名刺を粗末に扱わないことが大切.
ちなみに名刺に,もらった日付などをメモすることも多いが,
もらった相手の目の前で書き込むのは
失礼にあたることが多いから気をつけよう(老婆心ながら).


ということで,以上3点が私のオススメする就活必須ツールである.

もちろん,スーツ,鞄,靴,その他も必要である.
それぞれについては,また別の機会に...

2011年12月1日木曜日

新しい手帳

今日から12月である.
手帳を新しいものに変えた.

予定が書かれていない手帳は,
目に美しく,そして紙がぱりっとしていて
ただそれだけで,うれしいものである.

けれど,私の手帳はすでに書き込みが一杯.
私の未来はもう真っ白ではない.
汚れている,とは言わないけれど,
純粋無垢ではない.
予定が所狭しと並んでいる.
それを見て,ため息をつく.

来年も今年の継続に過ぎないことを
この手帳は示している.

しかし,これではいけない.
不連続断面をどこかで作る必要がある.
日常においても,仕事においても.

不連続な境界を作り,
それを飛び越える努力が必要だ.

まずは空間をひずませなければ.
環境を変えていこう.
そこに臨界点が発生し,
今のこの私の世界は破綻する.
そのあとに新しい世界を創造するのだ.

いまは冥い.
しかし,世界の綻びから光が差すこともあるだろう.
その綻びも自ら作らなければならない.
新しい手帳はその手順を示すものでなければならない.

#ちなみに私の新しい手帳は,
「ほぼ日手帳Weeks」の黒です.
昨年から愛用してます.

#今日から,就職活動も解禁のようです.
本当にいまの時代の学生はたいへんです.

2011年11月29日火曜日

宝くじの期待値

年末ジャンボ宝くじが発売された.
実は,私はほとんど宝くじを買ったことがない.

しかし,公務員の給料減額というニュースを聞くと,
買いたくなる気持ちにもなる.
はぁ...

先日も,同じ専攻の先生とこの宝くじの話をしたのだけれど,
結局二人とも「期待値」を計算しようとしてしまい,
買うのをあきらめた.
期待値」が低すぎるのだ.

「期待値」というのは...と説明すると長くなってしまう.
詳細は「確率・統計」の教科書を見てもらえばいいのだけれど,
簡単にいうと確率変数と確率の積をとったものの和なのである.

宝くじでいえば,確率変数は当選金額になり,
期待値は,「平均的に」得られる見込みの金額ということなる.
これはあくまでも「見込み」の値であり,
自分が得ることができる金額ではない.
ただ,どれだけ期待できるかという指標であり,
期待値が高いほど,自分が得られる「見込み」金額が
高いということになる.

では,実際の宝くじはというと...
それもネットで検索すればいろいろと計算された結果を
見ることができるから,そちらを参照してもらえばいいけど,
まずは,宝くじ1枚,300円として10枚連番で買えば,
10%の確率で300円は当たるから,
これで,30円 (= 10% * 300円).
その他,1等までを各金額と確率を足しても,
だいたい150円までには届かない.
つまりは,期待値はおよそ50%の金額なのである.

こんな計算してみたら,やっぱり宝くじは買えなくなってしまうのだ.

これに対して,競馬はどうか.
競馬は,たしか利益率が25%程度だから,
75%は賞金として分配されることになる.
宝くじよりはずっとマシということなる.

しかし,こんな風に計算してみても始まらない.
宝くじを買う人に,いくら確率の話をしても仕方がないのだ.
宝くじを買う人は,別の理由で買っているのだから.

ただ,私はやっぱり買えない,ということなのである.
でもやっぱり夢を見たい...と思うのも正直なところなのだけれど,
10枚買う金額,3000円があったら別のことに使ってしまうのだ(笑)

2011年11月28日月曜日

「エンジェル・ウォーズ」:この後味の悪さをどうしたらよいのだろう?

「エンジェル・ウォーズ」("Sucker Punch")を観た.

期待して観たのだけれど,途中で一緒に観ていた
子供たちは飽きてしまった.

そして,後味がすこぶる悪い映画だった.
う~ん,まだ気分の悪さが残っている.

観るべきものは戦闘シーン.
子供たちが言っていたのだけれど,
まさに「ゲームの世界」としか言いようがない
幻想の世界で戦いが繰り返される.

女の子たちが銃を構え,
オークと呼ばれるゾンビをひたすら
打ち倒していく.
あるいは日本刀を振るい,切り倒していく.
それがCGの世界で繰り広げられる.
(たぶん監督は日本アニメのオタクに違いない)
すごいは,すごいのだけれど,
話自体が暗く,観ていて辛いものなので,
どうも吹っ切れない.
そしてどう考えてもハッピーエンドではない最後.
女の子が活躍する単純なおバカ映画ではなかったらしい.

また,インセプションのように夢と現実の
世界の相克という話でもなかった.
この消化不良の気持ちをどうしたらよいのだろう?

唯一の救いは,Emily Browningが
微妙な感じで役柄にぴったりあっていたことだろうか.
美人という感じでもないし,今回もすごい化粧である.
しかし,彼女があってこそ成立した映画なのは間違いない.
(Castingした人は慧眼だ)

ということで,彼女の魅力が点数の理由ということで,
恒例の評価は...

★★☆☆☆(星二つ.五つが満点)

子供たちは,"X-MEN"や"The Sixth Sense",
"007 悲しみの報酬"なども観ていた.
たぶん私より息子の方がずっと映画を観ている...

2011年11月25日金曜日

ハーモニー,伊藤計劃: 善意に満ちあふれたディストピア

「もし聖人ばかりの世界がこの世にあるとしたら
そこは「地獄」という名で呼ばれるだろう」

という銀河鉄道999の言葉を
この本を読み終えたとき思い出した.
(どこの星での言葉だったか忘れたけれど)

「ハーモニー」(伊藤計劃,ハヤカワ文庫)

それは善意で満ちあふれた閉塞しきった世界.
伊藤計劃が描いた世界はまさにそうしたものだった.
健康であることが要求される近未来.
自分たちはリソースなのである.
その世界では,医療分子を体内に入れることにより,
病気のほとんどを予防できることが実現している.

しかし,異端はどの世界にも存在し,
主人公の親友だった少女は,
その閉塞しきった世界を変える存在となっていく.

伊藤計劃の前作「虐殺器官」がたいへん素晴らしい作品だったので,
この第2作であり,最後のオリジナル作品も期待して読んだ.
しかし,正直にいうと期待を持ちすぎて読み過ぎたせいか,
ちょっと「甘い」という印象が残った.

まずは主人公が女性というのが,
感情移入できない理由のひとつだったのかもしれない.
3人の女性の友人関係がこの作品のキーとなるのだが,
いまひとつ共感できなかった.
また,そこから導き出される結末も
もっとハードボイルドなものがよかったような気がする.

しかし,さすがに日本SF大賞受賞作品.
また,フィリップ・K・ディック審査員特別賞をとるだけのことはある.
いろいろと考え抜かれた設定が興味深い.

人間の尊厳とはなにか.
意識とはなにか.
そうした問いに対する答えが
設定された異常な世界で展開していく.
SFというジャンルでなければ,
このような特殊な状況下での
テーマは書けないのだ.
この作品は,ちゃんとそうしたSF文学たる要求に応えている.

私としては,もっと圭角のある「虐殺器官」の方を好むが,
この作品自体の面白さは,やはり否定しようがない.
つくづく伊藤計劃という作家の才能と,
その早すぎる死を思う.

#しばらく前に読んだ作品なのだけれど,
ようやく感想が書けた.
「虐殺器官」からおよそ半年後に読んだことになる.

2011年11月24日木曜日

クイズ王はいまの時代モテない

しばらく体力,気力が消耗していて,
ブログの更新が滞っていました.

少しずつ復活しつつあります.
このブログの更新ももう少し頻繁に行われると思います.

さて,いろいろと書きたいことはあるのだけれど,
今日は昨日見たクイズ番組の話.

TBSでクイズ王を決めるという番組を放送していた.
同局の昔の番組,筋肉番付を思い出す.
クイズを格闘技のように演出することで,
スターをまた生み出そうとしている.
そうした演出の薄っぺらさは見えるのだけれど,
実際に出演している人たちが,私もよく知っている
クイズ界の伝説の人たちばかりだったので,
子供たちと一緒に,結局最後まで手に汗を握って
見てしまった.

私は,石野まゆみさんを応援していた.
そう,私も20代の頃,彼女も当然20代で,
クイズ界のクイーンとして彼女は君臨していた.

昨日驚いたのは,いまだに
その頃の実力を(往時の何%かは知らないが)
維持し続けていたことである.
テレビの紹介で,クイズで有名な人たちの
サークルがあって,いまもなお,知識と
クイズの技術を磨いているのだという.
本当に素晴らしい.

残念ながら,彼女は20歳の京大生に
決勝戦で負けてしまったのだけれど,
彼女の活躍は,なぜか知らないけれど,
私も元気にしてくれたように思う.
(おじさんだって,やればできるかも)

ただ昨日思ったのは,クイズはこれから
流行るかどうかは疑問だということ.
ゲストの石坂浩二さんは,これをTBSの
看板番組にして欲しい,とコメントしていたけれど,
今の時代,いわゆる「物知り」の価値が
どんどん低くなっているだけに,それほどクイズに
人気は出ないのではないかと思うのである.

なぜって,わからないことがあっても
すぐにネットで検索できるから.
時間は少しかかるかもしれないが,
パソコンやスマートフォンさえ使えば,
昨日番組で出されたクイズにほとんど
正解できるはず.

雑学でモテるというのは,私たちが学生時代,
すなわちバブルの時代で終わったのではないか,
と思う(残念ながら).
私も当時,頭に詰め込んだくだらない雑学も,
いまやほとんどお役ご免だし...

いや,まてまて.
こんな時代だからこそ,そうした情報端末に
頼らず,あそこまで回答できる人たちに
尊敬が集まるのかもしれない.
そうだったらいいな.

実は私も,石坂浩二さんと同じように,
クイズ番組の人気が復活して欲しいと
思っている一人なのだから.
なにはともあれ知識は人生を楽しくしてくれるのは
間違いないことだし.

2011年11月8日火曜日

夢で稽古も夢でない

昨日,久しぶりにはっきりとした夢を見た.

合氣道の藤平光一先生が夢の中でほほえんでいらっしゃった.
目が覚めたあとで,あまりの生々しさに驚いたほどである.

なぜこんな夢を見ることができるのか,
人間の意識は本当に不思議である.

ただ夢で体験したことと,実際に体験したこととの
区別は身体はできないらしい.

夢だと分かっていても,
身体は先生にお会いするときのように準備していた.

夢で稽古するということも可能なのかもしれない.

2011年11月7日月曜日

天人五衰

仏教によれば,死後に六つの世界があって,
その最上界が「天上界(天道)」である.
(ちなみにその他は,「人間道」,「修羅道」,「畜生道」,
「餓鬼道」,「地獄道」)

天上界というのは,いわゆる天国で,
そこには天人(天女)が住んでいる.
もちろん,苦しみが無い世界で,
毎日楽しく暮らしているのだという.

しかし,そんな彼らにも悩みがある.
彼らも「老い」,「死」からは逃れることができないのだという.
そして,「死」の前兆として,5つの変化が
訪れるのだといわれている.

「衣服が垢で汚れる」
「髪飾りの生花が枯れる」
「身体が汚れてにおうようになる」
「腋の下から汗が流れる」
「自分の席に戻るのをいやがる」

これらを天人五衰と呼ぶ.
いくら天上界に住んでいても,
こうした苦しみ(煩悩)から逃れることができない.
なんと悲しい話だろう.
結局悲嘆に暮れて死にいたり,
また別の世界に生まれ変わらなければならないのである.

この話でまず思い出すのは,三島由紀夫の
「豊穣の海」の第4巻ではないだろうか.
残念ながら私は未読なのだが...
いつか読んでみたいと思っている.

次に,この話が強烈に印象に残っているのが,
京極夏彦の「魍魎の匣」である.
素敵な女の子もいつか衰えていく.

女の子が美しさの絶頂にあるときに殺してくれる
死神(ブギーポップ)の話もそんな苦しみから生まれたに違いない.

天人五衰の話は,天国に生まれても,
また別の世界に輪廻することを示している.
この輪廻転生のリンクから外れるためには,
「悟る」ことが必要であり,それができるのは
悲喜こもごも経験できる「人間界」だけである,というのが
仏の教えということらしい.
(だからこの世に生まれてきたことを感謝する)

日本には,昔から諸行無常という考えがある.
こうした天人五衰の話もそんなところから
日本人に受け入れられ易いのだろうと思う.

先日,父の一周忌のときに住職が天人五衰の話を
されたのを聞いて,いくらか思い出したので,
少し文章を書いてみた.




2011年11月2日水曜日

キコリとキツネ

イソップ物語.

狩人に追われたキツネが,
キコリに出会ってかくまってくれと懇願する.
キコリは,キツネを自分の家にかくまうけれど,
狩人がやってくると,口では「知らない」と言いながら,
キツネは家にいると,こっそりと合図で示していた.
しかし,狩人は慌てていたのでその合図に気づかず
行ってしまった.
キツネは,キコリの家から挨拶もせずに立ち去ろうとすると
キコリはキツネに「お礼もないのか」という.
そしてキツネはキコリに対して,
「こころと態度が同じであればお礼もしたでしょう」と
捨てゼリフを吐いて行ってしまった.


最近,こんな話を思い出した.
いくら恩を受けても,心が異なっていれば,
それは礼をするに値しない.

少なくとも私はそうでないようにありたい.

2011年11月1日火曜日

父の一周忌

父の一周忌で新潟に帰省していた.
あっという間の一年だった.

父の不在は,まるで地面に口を開けた穴のように,
時間と共に強く感じられるようになった.

父はよく二階で寝ている私を起こすのに,
階段の下から私の名前を呼んでいた.

父が倒れて介護が必要になったあとも,
私のことを階段の下で呼んでいた.

その声をふと想い出す.
階段の吹き抜けに響く父の声が聞こえる.

父は倒れてからも,洒脱で笑顔を絶やさなかった.
その姿がいまでもその声とともに想い出される.

父には本当に親不孝だったと思う.
父がいなくなった今,すでにそれをつぐなうことはできない.
穴は開いたままなのである.

2011年10月27日木曜日

心の中の音読

今年は本を50冊くらい読もうと思っていたのだけれど,
残念ながら,現在までで15冊しか読んでいないらしい.

また,私は季刊の「考える人」(新潮社)という雑誌を
読んでいるけれど,3ヶ月間でなんとか一冊
読み切れるかどうかという感じである.

つまり,何が言いたいかというと,
私の本を読む進むスピードはずいぶん遅い,
ということである.
残念ながらそれは認めなければならない.

確かに,一日に読書に割く時間というのは
少ないけれど,その根本として読む速度が
遅いというのは致命的である.

では,なぜ遅いのか?
それはやはり心の中で音読しているからであると私は思う.

逆に速読術というものもある.
(私は何度かトライしてみようかと思ったことがある)
有名な方法のひとつにフォトリーディングという技術がある.
これは頭の中にページをちょうど写真のように
画像を取り込んでいくように読む方法である(らしい).

だから,「本」という字をみても,「ほん」という音を
経由して「本」というものをイメージしない.
「本」という字から直接「本」の実物・概念をイメージ
するのである.
だから早い.
画像イメージから画像イメージへの直接変換なのである.
それが私の場合,いちど音声データに変換されてから
画像イメージにつながる.
一ステップ分(それが大きいのだが)遅れるのである.

確かに「画像ー画像」変換を練習すれば,
それも体得できるかもしれないけれど,
最近,小説を読むようになって思うのは,
やはり文体はリズムであるということ.

各作家独自のリズムが文章にあって,
それが小説の読みやすさや,親密さ,
あるいは難しさを構成しているのだ.

私の心に素直に入ってくる文章は,
私のもつ話し言葉のリズムに近いような気がする.
(もちろん,それは,結論先行主義で,
短文で構成されるものなのだけれど)
もちろん,それだけではなく,長文で構成された
文章の味わい深さもいい.
作家は,こうした文章の持つリズムを工夫して
執筆しているのに違いないのである.

これ読むのにをフォトリーディングではもったいない.
詩と同じく,心の中で音読するのがいいと思う.
ひとり朗読会なのだ.

技術書やハウツー本はフォトリーディングがいい.
しかし,文芸書はやっぱり心の中の音読を離れることができない.
私が遅読なのは仕方がない,と自らあきらめているのである.

#でも,今年中にあと5冊は読みたいな.

2011年10月26日水曜日

玄き月に思う

とにかく忙しかった.
それもなんとか昨晩で一段落した(?)ので,
ブログも復活.

今日は近況を.

まず,iPhone 4Sを手に入れた.
これは,素晴らしい.
CLIEなどのPDAを使用していた頃が遠い昔に思われる.
これさえあれば,ひとまず用が済む端末に仕上がっている.
見た目が美しいのも気に入っている.
(ケータイの野暮ったさはあまり気に入っていなかったので)

ケースも買った.
moshi の iGlazeというもので,
背面が黒,サイドが銀色のもので,
これも最小限のカバーとなっていてうれしい.
このカバーはAmazonで通信販売で購入したのだけれど,
コンビニで支払い,受け取りができるので,本当に楽である.
世の中,本当に便利になってきた.
(ケースの色については,うちの奥さんからは
平々凡々だと酷評されたけれど...)

実は,iPhone 4Sは40半ばのオジサンには
いろいろ手に余る高機能ぶりなのだけれど,
気長に使いこなそうと思っている.

次に,昨日気づいたこと.
大学の吹田キャンパスの近くには,
岡本太郎の「太陽の塔」で有名な万博公園がある.
そこには,ホテル阪急エキスポパークというホテルが
あるのだけれど,そこで昨日,今日と
将棋の竜王戦の第2戦が行われていた.
結果は,渡辺竜王が丸山九段を破って2連勝とのことだけど,
会場解説なんて行って聞いてみたかったなぁ,と思う.
入場料は1000円なのだけれど,有名な棋士が
多く見られたかもしれないし...
一度そうした雰囲気を味わいたかった.
いけなくてちょっと残念...

さて,最後に月の話.
今日は新月ではないけれど,ずいぶんと月が冥い.
新月は明日あたりだろうか.
以前にも書いたけれど,月は死と再生の象徴である.
新月の暗黒は,次のなにかが生まれ出づるための混沌である.

暗さは玄さである.
玄とは,老子も言うとおり無から有を生み出す状態であり,
玄牝は生命の誕生を司る.
玄武も黒.
混沌とした暗黒は,誕生の光を次に迎えるための
前段階なのである.

現在の暗さに絶望してはいけない.
それは再生を迎えるための積極的な死なのだろう.
月はそれを教えてくれる.


2011年10月13日木曜日

マーフィーの出現をふせげ!

トラブル続きである.

自分が起こしたもの,確認不足だったもの,
別の原因によるもの,それらが一斉に発生している.
本当にこれらの発生確率はポアソン分布に従うのだろうか.

マーフィーの法則はこのブログでも
何度か話題にしているけれど,

「トラブルが起こる可能性があるなら,
トラブルは発生する」

というような経験則である.
また,

「トーストを落とした際に,ジャムが塗られた面が
下である確率は,敷かれた絨毯の値段に比例する」

なんてものも有名だ.

結局,起こりうる失敗は起こりうるのであり,
そのとき私たちは,「マーフィーが現われた」などという.

彼の出現を防ぐためには,
毎日を注意深く生きていかなければならない.
起こりうる失敗の芽を,すべてつぶしていかなければならない.
それは安全の考え方と同様である.

機器の安全性を99.9%から,99.99%に上げるためには,
それまでにかかった費用と同じくらいの費用を要するのだ.
つまり,マーフィーの出現確率を0.1%から0.01%まで
下げるためには,これまでと同じくらいの努力が必要となる.

それでも私たちは彼の出現を防がなければならない.
いや,彼を殺さなければならない.

そのためには,Angel Whisperに謙虚に耳を傾け,
彼を出現を防ぐ努力を惜しんではならない.
いまの状況は,これらを怠っていたからかもしれない.
バタバタしている毎日の中でも,
冷静さを失わずに努力していきたいと思う.

2011年10月11日火曜日

iPhone 4Sは売れているのか?

iPhone 4Sのガッカリ感については,
すでにこのブログに書いているのだけれど,
もう瀕死の私の携帯電話(もう4年以上使用している)が
猶予を許さない状況であるのもあって,
うちの奥さんにバカにされながらも,
iPhone 4Sを土曜日に予約してきた.

実は予約する前に,別の家電量販店に行く用事があって,
開店早々の状況を見たのだけれど,
土曜日の時点では,iPhone4Sの予約のために
順番を並んで待っている人は皆無であった.

同じ土曜日に,自宅の近くのソフトバンクのショップで
私は予約したのだけれど,
日曜日,別の用で再びそのショップに出掛けて
店員から得た情報によれば(奥さん経由),
どうもそのショップでは,150名を越える予約があったらしいけど,
他店からヘルプで来ているその店員の職場では,
ほとんど予約が無いらしい...
ネットのニュースでは,東京の方では
人が並んでいるというし,
米国では,空前の売れ行きだというのに,
一体どうなっているのか.

私の予想では,結局関東の方へiPhone4Sは優先され,
関西は入手がおくれるのではないかと思う.
また,私のように機種変更の場合は,さらに
優先度が低くなるため,入手できるのは11月か.

ただでさえガッカリ感,大なのに,
そのようなことになると,さらにダメダメ感が増す.
あぁ,せめて早く使えるようになればいいのに...

愛憎こもごもで,
ショップからの連絡を待っている状況.

2011年10月6日木曜日

ジョブスは日本に生まれなくて良かった

今日はこの訃報でもちきりだった.
Steve Jobsが亡くなった.
56歳の若さだったという.

私のように,以前アップルの製品を使う人たちが
鼻についていたような人間であっても,
彼がいなくなると本当に寂しく感じる.

博士課程の学生時代,私の机には
MacのClassicが乗っていた.
それまで,UNIXやMS-DOSなどの
コマンドラインでPCを操作していたのだから,
MacのGUIには,ずいぶん感激した.
フロッピーディスクを取り出す操作は,
フロッピーディスクのアイコンをゴミ箱に捨てれば良かった.
なんとスマートな操作であったことか.

残念ながら容量不足で,博士論文は
MS-DOSマシーン(Dynabookのラップトップ(!))で
TEXで書くことになったのだけれど,
それでもMacは確かに使いやすかったと思う.
(論文締切寸前にSad Macが現われて,
Hard DiskがCrashしたときは,本当に泣きそうだったけど)

Appleというのは,本当にスマートだった.
(でも,Appleがスタンダードだった核融合研究界においても,
私は上司とともに反旗を翻し,Windows95に乗り換えたのだけれど...)

しかし,今回思ったのは,ジョブスのような人は,
日本では決して生まれなかっただろうということ.
ガレージからPCを製作したという話は有名だけれど,
たとえばitunesひとつとったって,
音楽のネット販売なんて,日本では全然話が
進まなかっただろうと思う.
今だって,著作権問題がうるさくて世界でも最も
閉鎖的な市場のひとつになっている.
なのにitunesでは,ビートルズでさえ購入できるのだ.

アメリカという国のすごいところは,
みんなが「将来はそちらの方向に進むのが
正しいだろうなぁ」と思ったら,ちゃんとそちらの方に
社会や制度が変わっていくところである.
ネットの制度もどんどんアメリカでは変わっていった.

一方,日本ではどうだろう.
既得権益者の保護のために,市場は閉鎖的で,
そのうちに縮小してダメになっている...
こんな社会制度の中では,
いくらジョブスでも成功しなかったに違いない.

そもそも学歴を持たない彼が成功したのもそうだ.
アメリカという国に彼が生まれなければ,
いまのこの世界は無かったのだ.
そう思うと,その幸運を有り難く思う.

彼が日本に生まれなくて良かったと思うとともに,
この国の将来の暗さも思うのである...

2011年10月5日水曜日

iPhone 4Sには,ほんとうにガッカリ.

iPhone5ではなかった.
こんなにがっかりしたのは久しぶりである.

他の人とは違う携帯電話が欲しい.
あるいは自分がアーリーアダプタとはいわないまでも
先行したユーザーでありたい.
そう思っていたのに...

なぜiPhone4Sに魅力を感じないか.
それはなんたって,外見がiPhone4と
区別がつかないからである.
これじゃ,あの人と同じものを私も持っている,
ということになってしまう.
人と違うものを持っている,ということが大切なのだ.
それがブランドの価値である.

とにかくカッコなのである.
いくらiPhone4よりも処理速度が速く,
便利な機能がついていようとも,
見た目がいっしょならば,魅力半減なのだ.
本当ならばそんなもの買いたくない!

しかし...
私の携帯電話はすでに限界だ.
電池が疲れ果てていて,通話をすると
数分で電池が切れてしまう.
今は専らメール端末として使用している.
もう換えなければ仕方がないのだ.
(電池を交換するのも癪なのだ.
すでに一度交換しているし)

仕方がない.
iPhone4Sの購入を検討しよう...
でも,なにかiPhone5が来年早々発表されそうな予感.
それが待てる余裕がある人は,
今はiPhone4Sに手を出さないのだろうなぁ.
悔しいなぁ.

iPhone5ではなく,iPhone4Sの発表だったということで
Appleの株価が一時下がったというニュースが
あったけれど,本当にがっかり.
せっかくAppleの製品に10年以上ぶりに
魅力を感じようとしていたのに.
はぁ...(ため息ばかり)

2011年10月4日火曜日

卒業生のL君の来訪に思う

今日,突然に研究室の卒業生のL君が
研究室を訪ねて来てくれた.
彼も卒業以来,初めて大学に来たとのことで,
本当に久しぶり.
会えてとてもうれしかった.

彼は中国からの留学生で,
卒業後中国の企業に勤めているのだ.

彼も私も少し歳を取り,
そして脂肪を少しつけたようだったけれど,
外見はあまり変わりないように見え,
とりあえずは,お互いの達者を喜ぶ.

彼が勤めている企業は,
中国でも注目されている急成長企業で,
裁断機においては,たいへんなシェアを
世界的に持っているらしい.
その企業のNo.2の地位にいるというのだから,
たいへんな成功といっていいだろう.
自分のことのようにうれしいばかりである.

彼と彼の仕事の同僚の方のお話を聞いていると,
企業の理念や社員マナーの徹底,
そして戦略など,私たちが日頃中国企業に対して
抱いているイメージと全く違う.
むしろ日本企業よりも日本らしい.
だからこそ,世界的に信頼を得て,
短期間で大きく成長したのだろうと思う.
そうしたことが,話のはしばしに感じられた.

しかしなによりうれしかったのは,
L君の話しぶりや様子からして,
彼の生活は充実していると感じられたことである.
卒業生が活躍してくれるのがなによりもうれしい.

どの卒業生でもそうである.
L君のように成功しなくてもいいけれど,
毎日が充実して過ごしているのであれば
それが一番うれしく感じる.

(私も少しは教員らしい感情を持つようになったか)

ひとつ心配なのは,L君の健康である.
働き過ぎで身体をこわさなければ良いが.

次に会うのがまた楽しみである.
それまで,再見!


2011年10月3日月曜日

学生たちの能力を発揮させるモチベーションはどこにある?

ときどき同じテーマについて書いているのだけれど,
今回もまた書く.

先の電力システム研究交流会は,学生が主となって
研究発表や討論会を運営するのだけれど,
いつもは教員に任せきりな学生たちも
このような機会には,たいへん素晴らしい働きを見せてくれる.
私は,こうした機会に彼らの能力に感動するのだけれど,
それとともに,できるのならば,いつもそうしろよ,と
不平不満も言いたくなるのである.

彼らはやればできるのである.
要は,私たち教員が彼らを信じて
手綱を任せる覚悟さえすれば,
彼らの能力は自主的に発揮されるのである.
今回の交流会だけではない.
そうしたケースを私は何度も見てきた

では,なぜ私たちはすべてを任せないのか?
その大きな理由のひとつに,
彼らのがんばりが長続きしないことがある.

彼らの非常な努力は,今回のこのイベントだけだ,
と思っているからこそ,なされている.
それが日常的に(そう,私たちの業務のように)
行われるようになったら,たぶんうまくいかないだろう.
彼らを努力に駆り立てるうまい動機がないのだ.

楽しいイベントであっても何度も繰り返されたら,
たぶんモチベーションはどんどん下がっていくだろう.
まして私たちのように仕事だとあきらめてやるのでもない.

逆に言うと,そうしたモチベーションをもちうる
環境を学生のみなさんに与え続けることができたなら,
私たち教員はなにもしなくてもいいことになる.

う~ん,なにかよいアイデアはないだろうか.
彼らは能力が無いのではない.
モチベーションが適切に与えられていないだけなのだ.

#このテーマ,なんども繰り返しているなぁ...

2011年9月30日金曜日

時代劇,殺陣の豪快さといったら若山富三郎ではないだろうか

父は時代劇が好きだった.
その影響なのか,私も時代劇が大好きである.
とはいえ,最近はテレビも映画も全然観ていないが.

時代劇と言えば殺陣である.
これについては,誰の殺陣が一番すごいか,
などという話題が,時代劇ファンの間では
必ずといっていいほど出てくる.

私も多くの時代劇を見たというわけでもないから,
どれが一番だと断言することはできないのだけれど,
現役の時代劇俳優で,まず殺陣がかっこいいと思うのは
暴れん坊将軍こと松平健である.
スマートでかっこいいのに,気持ちがちゃんと斬っている.
また刀さばきの正確さ.
ここがまた魅力的である.

一方,本格的だなぁと感じるのは,
なんといっても榎本孝明.
ひとつひとつの技が本当らしく感じられる.
そして重い.

そして,最近残念ながら殺陣を見る機会が少ないけれど,
滝田栄.実は剛剣の使い手である.

榎本孝明,滝田栄に共通するのは,
私生活においても武道を稽古し,熟達の腕の持ち主だと
いうことである.

しかし,映画の殺陣は,「本格的」というだけではいけない.
やっぱり華がなければ.
ケレンミが必要だ.

昔で言うと,三船敏郎.
やっぱり豪快な殺陣である.
(香取神道流とか指導を受けていたとか)

次に,勝新太郎.
座頭市は,もう芸術の域である.
あの呼吸といい,太刀さばきといい,
そしてわざとみせるかっこ悪さといい,
すべてがスクリーンに栄えている.
(座頭市では,合氣道の開祖 植芝盛平先生に
指導を受けていたとか)

そしてなんといっても,若山富三郎.
初めて若山富三郎の殺陣を見たのは,
沢田研二主演の「魔界転生」だったろうか.
なんという豪剣.そして鋭さ.
あの体格にして,軽やかな体裁き.
聞くところによると,若山富三郎は
かなりの武術の遣い手だったらしいけれど,
あまり話題になっていない.
こっそりと稽古していたらしいのだ.
子連れ狼も萬屋錦之介よりも前に主演しており,
その殺陣も本当に素晴らしい.
とにかく強い,強い.
まだその殺陣を見たことがない方には
ぜひ見て欲しい.
きっとその凄さに驚き,ファンになってしまうだろう.

それにしても,今の時代劇の少なさは悲しいかぎりである.
その上,時代劇俳優という人が少なくなってしまった.
水戸黄門も終わってしまったし,
なにか,また時代劇ブームは起こらないだろうか...

#石橋蓮司の殺陣も地味だけれど素晴らしいんだなぁ.
(彼は居合道なのかな)
最近の若い俳優では...
名前が思いつかないのが悲しい.



2011年9月29日木曜日

PDAの時代がやってきた.iPHONE5はまだか.

昨日,梅田駅のOSAKA CENTRAL CITYを歩いていて
思ったのだけれど,携帯電話を片手に
画面を見ながら歩いている人がなんと多いことか.
みなメールを見たり,情報を検索したり,
情報端末として活用しながら歩いているのだろう.

6,7年前まで私は電子手帳を愛用していた.
実際には電子手帳ではなく,
PDA(Personal Digital Assistant )と呼ばれていたが.
SONYのCLIEで,SONYが日本のPDA市場を席巻したあと,
「SONYにはPDAの市場は狭すぎた」と行って
撤退してしまい,日本市場は急速にしぼんでいった.

以来,私は紙の手帳に逆戻りした.
携帯電話のスケジュール管理機能も,
メール機能も全然使い物にならなかった.

逆に,PDA利用者としては,いつ日本で
PDAに通話機能が付くのか,楽しみにしていたのだ.
(米国でTREOが出たときはうらやましかったなぁ)

そして今.そのときは来た.
スマートフォンこそ,私が求めていた端末なのだろう.
私のこの旧携帯電話を早く替えたい.
はやく次のiPHONEよ,発売されろ.
今はそれだけが楽しみだったりする.

2011年9月28日水曜日

スマートグリッド,現場と世間の温度差

今日から3日間にわたって開催される
電気学会 電力技術・電力システム技術合同研究会に
参加するために,梅田に行く.

私が今日聴いたのは,蓄電池応用のセッション.
もちろん,風力・太陽光発電のために蓄電池を
使って電力の変動を抑えたり,電力のピークを削ったり,と
今後スマートグリッドを進めていく上で,
必要不可欠な研究なのだけれど,
ちょっとマスコミでの取り上げられ方とは温度差がある.

マスコミや,ネットでよく見かける自然エネルギー推進派の
議論の勢いでは,今日か明日にでも,
そうしたスマートグリッドの技術が実現しそうだけれど,
実際には技術的課題は山積しているのである.

現場はそれを分かっている.
期待をされているのは分かっているのだけれど,
解決しなければならないことはまだまだたくさんあるのだ.
もちろん研究者としては粛々と研究を進めるしか
できることはなく,鋭意努力を続けているわけだけれど,
世間との温度差は少し悲しい.

まぁ,自然エネルギー推進派の方々は技術的には
非常に楽観的な見通しを持つ人が多いので,
今後,予算が投入されれば近いうちに解決されると
いうのだろう.
ちょっと無責任な感じもする.

とにかく,電力は今もっとも期待されている技術分野の
ひとつであることは間違いなく,追い風も吹いている.
世間の風当たりが強くなる前に,どこまで研究開発を
進めておけるか.
それが私たちが今覚悟しておかなければならないことだろう.
いずれ返りの風が吹く.

2011年9月27日火曜日

百歩神拳

先日,ある人に武術の稽古の秘訣だと
思われることを書いた紙一枚をいただいた.

その内容については,いろいろと考えるところも
あるのだけれど,その書き付けの最後には,
「百歩神拳」の文字があった.
思わず絶句.
久しぶりにこの言葉を見て,うれしくなった.

私の記憶が確かならば,
私が初めてこの言葉を知ったのは,

「マカロニほうれん荘」(鴨川つばめ,秋田書店)

の登場人物である膝方歳三(「トシちゃん」)が
実は中国憲法の使い手で,彼が
離れた敵(つまりは,総司か,きんどーさん)に
対して使うギャグである.
そう,これは手を触れずに
相手を倒す技なのである.

伝説によれば,深い井戸の水面に向かって
突きの稽古をしていると,
いずれ水面に波が立つようになり,
その後威力が増していくと,
相手が離れていても突きで倒すことが
できるようになるのだという.

気功の一種であると思われるが,
この伝説は確か「闘将!ラーメンマン」,いや
「キン肉マン」にも紹介されていたかもしれない.

現実にはどうか,といえば,
新体道の青木氏が以前「遠当て」と呼ばれる
離れた相手に影響を及ぼす技法を公開したことがあるが,
それは,物理的な威力ではなく,
どうも意識の同調を利用して倒すような技のようであった.

やってみればわかるのだけれど,
実際には,拳の直前に置かれたろうそくの火を
消すことさえも相当に難しい.
それが百歩離れたところなど,とてもとても...

しかし,いただいた武術の秘訣には
その言葉があった.
実はまだよく読んでいないのだけれど,
「百歩神拳」の言葉に懐かしさを感じ,
うれしくなってしまったのである.
しかし,今はめっきりこの言葉を使う人は
少なくなったよなぁ.
(というか,この技自体知っている人が少ないし)

2011年9月26日月曜日

スチームパンクSF萌え,電力システム研究交流会@川越火力発電所

9月22日,23日は電力システム研究交流会に参加する.

電力システム研究交流会とは,大阪大学の2研究室の他,
北海道大学,横浜国立大学2研究室,広島大学の合計6つの
電力システムを研究している大学研究室を中心として
開かれている学生たちの交流を目的とした会である.
2年ぶりの参加である.

もともとは,FRIENDS (Flexible, Reliable and Intelligent Electric
eNergy Delivery System)という現在で言うところの
Smart Gridを先取りした高機能な電力システムの研究会を
始まりとしており,今回の開催で10回を数え,今年は
三重の川越火力発電所の見学,そして名古屋の会場で
研究発表会,討論会が行われた.

22日は,世界最大級の出力を誇る(日本では2番目の大きさ)
中部電力 川越火力発電所を見学させていただいた.
こちらはLNG火力発電で,1,2号機で700MWが2機,
3,4号系列で1701MWが2系列,総出力4802MWということに
なっている.

そのうち,高効率コンバインドサイクル発電方式を
採用した3号機系列を見学させていただいた.
資料によれば発電機効率は53.9%にも達するとのことである.
3号機系列は7軸の原動機-発電機で構成されていて,
当日は6番目の原動機-発電機が定期点検中となっており,
タービン部が解体されているのを見ることができた.

発電所というと,電気屋の範疇に思われそうだけれど,
それは,発電機や変圧器以降の範囲のみ.
基本的には,ボイラやタービンが主役である.
すなわち機械系の現場なのである.

発電所内には燃焼器(撮影不可)やタービンブレードなども
設置されていて,日頃,電気系の私たちは
目にすることの機会が少ない機器を
細かく見学することができた.


スチームパンクというSFの分野がある.
蒸気機関で動くのに,高度な科学技術が実用化されて
いるという,アンバランスな世界を舞台にしたSFで,
たとえば,「鋼の錬金術師」とか「スチームボーイ
(大友克洋監督のアニメ映画)」などが代表的なものだと思う.

今回の見学で,燃焼器やタービンを目の前にして,
スチームパンクSFのファンだったら,
たいへん"萌え"そうだなぁ(死語)と思っていた.
きれな曲線を描いた配管を見ていると,
いまにもスチームが噴き出しそうだし(ウソ),
ガフン,ガフンとなにか音を立てそうである.
(実際にはタービンは内燃機関だけど.
そしてその音は,建物に吸音器,吸音壁を
採用しなければならないほどうるさい.
作業をされる方は耳栓をするというが,
それでも一日いたらたいへんだろうと思われる.
ちなみにタービンおよび発電機の回転速度は3600 rpm,
したがって発電機は2極機(1極対)である(笑))

自分も見学で大いに盛り上がった.
ちょっと興奮しすぎたらしく,続いて見学した電力館では,
疲れてほとんど動かなかった.
意外に私もスチームパンクSF萌えらしい.

2011年9月21日水曜日

台風,休校.困るのは親なのだ.

今日も台風である.
大阪は既に雨が上がっているけれど,
夕方から関東はたいへんなことになっているらしい.
被害を受けていらっしゃる方々にはお見舞い申し上げます.

さて,うちはといえば,昨日に引き続いて,
気象警報が発令されているために,
小学校はお休み.
なんと3連休に続いて2連休,
トータルで5連休となってしまった.
家でだらけているに違いない(笑).

しかし,こうした状況で困るのは
共働きなどの家庭で,いつもだったら子供が
学校に行ってくれているからいいのだけれど,
家にずっといるとなると,昼食の心配や
小さい子供の場合は,面倒を見てくれる人が
必要となる.

以前の新型インフルエンザによる休校のときも
同様の問題が起こっていたけれど,
なんとかできないものかと思う.
シングルの子持ちの親なんて,
本当に台風がうらめしく思っているに違いない.

むしろこういうときは,職場に臨時の
子供を預ける場を作って,
親が子供を職場に連れてくればいいのに,と思う.
もちろん,そうした対応ができない職場もあるだろう.
それでも,それなりの数の職場で
子供を連れてくることができるならば,
ずいぶんと多くの親が助かるのではないかと思う.
あとは社会全体で子供の面倒をみる,という価値観が
どれだけ私たちの間に根付くか,ということだろう.

子供たちにとっては,学校が休みになって
天国なのだろうけれど,親たちにはそうでない,というお話.
本当になんとかならないのだろうか.


2011年9月20日火曜日

台風ふたたび

台風である.
前回の台風は,関西に上陸するといいながら,
和歌山や奈良などの近畿の方にそれていった.
今回は名古屋がたいへんらしい.
被害が少しでも少なければいいのだけれど,と思う.

子供たちは,気象警報のおかげで
小学校がお休みだった.
3連休のあとのお休みなので,つごう4連休.
大喜びなのである.

私はといえば,大阪はあまり雨が降っていないので
(それでも降っているけど,名古屋などに比べれば
普通の雨である) いつも通りの仕事.
まぁ,道路は渋滞していて,いつもは朝,50分くらいの
通勤時間が,1時間30分以上かかったけれど.

ただ,明日は伊瀬研究室恒例の
見学旅行が計画されていたのだけれど,
それが台風で中止になってしまった.
兵庫の山奥の揚水発電所が見学先だったのだから,
仕方がないか.
(もうひとつ加西市の三洋電機 グリーンエナジーパークも
見学する予定だったけど)

今回は名古屋がたいへんなことになっている
ということだけれど,実は明後日は名古屋に行く
予定なのである.
すべておさまってくれているといいのだけれどと思う.

合氣道をともに学んでいる学生が,
ボランティアで和歌山に行ってきた話を聞いた.
民家にも土砂が流れて込んで
たいへんなことになっているらしい.
土砂をかき出して家の中を洗おうにも,
上水道がストップしているために,水が使えない.
その学生は,川までバケツで何度も水を
汲みにいったのだという.
おかげで腕がパンパンに張った,と,その彼は,
日焼けした顔で(しかし,眼鏡のツルの跡が白く残った顔で)
笑いながら話してくれたのだけれど,
本当に彼のような人を素晴らしいと思った.

こうした天災は人々に試練をもたらす.
でもそれでも天を恨まず,
もくもくと自分のできることを行う人たちがいる.
そうした人を私は尊敬する.

2011年9月19日月曜日

チャンドラーの小説がある世界:さよなら,愛しい人


聴き始めたら,聴くことを止めることができない
音楽がある,ということを記事に書いたけれど,
当然のように,読書にもそうした本がある.
そう,読むのを止めようにもやめられず,
ついつい次のページをめくってしまう,
そんな魅力的な本が.

最近もそうした本にめぐり合うことができた.

「さよなら,愛しい人」(R.チャンドラー,村上春樹訳)

原題は,"Farewell, My Lovely"であり,
長い間親しまれてきた清水俊二の旧訳では,
さらば愛しき女よ」というタイトルであった.
これは2009年の村上春樹の手による新訳である.

私は,確か清水訳をもうずいぶん昔,
大学時代に読んだはずなのだけれど,
もう詳細などすっかり覚えていない.

しかし,先行して出版された同じく村上春樹の手による
新訳「ロング・グッドバイ("The Long Goodbye")」が
あまりにも素晴らしいものだったから,
今回もかなり期待して(しかし文庫化を待って),
本を手にしたのである.
(「ロング・グッドバイ」については,
村上春樹がいうように,本当に夢のような作品で,
これについては,いつか記事を書きたいと思うのだけれど,
自分の思いのたけがありすぎて,なかなか筆が進まない)

村上春樹があとがきで述べているように,
この作品のフィリップ・マーロウは,
「ロング・グッドバイ」に描かれてる彼より,
明らかに若さを感じさせる.
本作は1940年に,「ロング・グッドバイ」は1954年に
書かれていて,その間の14年間の年月は,
やはりマーロウを熟成させているらしい.

とはいえ,若いから魅力がないというわけでもなく,
それはそれで無茶をやるマーロウは素敵だし,
(今回は,特にマーロウの冒険譚となっている),
チャンドラーの筆も冴え渡り,出てくる登場人物,
すべてに奥深さが与えられ(それが小さな虫であっても!),
その陰影がまた物語を魅力的にしている.
確かにチャンドラーの人物や風景の描写は,
ときに執拗なくらいなのだけれど,
村上春樹の文体とあいまって,全然くどく感じられない.
詳細がしっかり書きこまれていても,
そこに嫌味を感じられない,そうした文章が
チャンドラーの筆力によって成立している.
それがこの物語の最大の魅力なのではないかと思う.


個人的に思ったのは(感想などみな個人的なものだが),
本作のマーロウのセリフも皮肉だらけなのだけれど,
そしてそれは若さも手伝って
しばしば饒舌になっているのだけど,
それでもやはり洒脱な会話として成立している.

彼に憧れる私も皮肉屋であることは
変わりがないのだけれど,洒脱さに欠け,
嫌味だけが残ってしまうようだ.

この違いは,やはり男としての魅力の欠如が
原因となっているらしい.
マーロウ,やはり君は男なのだ...

それともう一つ,言わせていただくならば,
洒脱な会話として成り立つためには,
会話の相手も,皮肉を理解し,
当意即妙な受け答えをしてもらわなければならない.
しかし,そんな人,小説の中にしか
見当たらないのが,現実なのである.
マーロウが現代に生きていたとしても,
私の生活環境では,ずいぶんとやりにくいに違いない.
(そんな風に私は自分を弁護するのであるが)

文庫本のオビには,訳者あとがきから,
次の言葉が引かれている.

「チャンドラーの小説のある人生と,
チャンドラーの小説のない人生とでは,
確実にいろんなものごとが変わってくるはずだ.
そう思いませんか?」

さすが村上春樹.
私もまったくそう思う.
あなたがチャンドラーの小説に触れたら,
なにかが変わることは間違いないのである.
それは,チャンドラーの小説がある世界なのである.


2011年9月15日木曜日

聴くことを止めることができない音楽

音楽評論家である岡田暁生氏の

「音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉」(中公新書)

の中には,音楽の好ましい聴き方として,
耳を傾けるのをやめることができない,という状態が
紹介されている.

私もこの状態がよくわかる.
ラジオを切ろうとしようにも,
音楽が気になってスイッチに手を伸ばすのを
ためらってしまう.
そういう状態にあるとき,自分は音楽を
真剣に聴いていると思えるのである.

いつだったか,車中でNHK-FMを聴いていて,
たぶん「現代の音楽」という番組だったと思うのだけれど,
ゲストが作曲家の原田敬子氏で,
彼女の作品を取り上げて流していた.

"wa-ta-ri I"(原田敬子,演奏 アンサンブル・モデルン)

の演奏に運転中ではあるけれど,
耳が離れなくなった.
響きを大事にする音作りで,曲が進むにつれ
空間が広がっていくような感覚を覚えた.
あぁ,自動車の中ではなく,
今,ひとりの部屋で聴くことができていたなら...と
そう思わずにはいられない音楽だった.
書店に寄る用事があったのだけれど,
曲が終わるまでしばらく駐車場で車の中にいたくらいである.

その際の,司会の西村朗氏との会話で原田氏は,

「音の残響を聴くのではなく,
予兆(予聴?)を聴くような音楽」

と発言されていた.
これには西村氏もまったく感心されていて,
それには高度な作曲技法が要求されるだろうと
コメントしていた.
さらに西村氏は,音楽の中に,なにかの「気配」を
感じることができることの可能性について発言されていた.

「予兆を聴くような音楽」.
私もこの言葉にはすっかり参ってしまった.


だいたい人間というものは,
問題が提示されるとその答えを求めてしまう特性をもつ.
音楽における「ドミナント解決」なども,そのひとつの表れだと思う.

しかし,それは常に音が鳴って,その後の話である.
一方,彼女は音が鳴る前に,
その予兆に耳を澄ますような音楽を作りたいと言っているのだ.
逆の発想というべきか.

確かに,解決を無意識に求めてしまう人間ではあるが,
音が鳴る前にその予兆を無意識に求めてしまうような
音作りも可能なのかもしれない.

結局,私はその後原田氏の作品集のCDを購入して,

彼女が求める音楽とはどういうものかを確かめてしまったのであった.




2011年9月14日水曜日

ハードボイルドは遠くなりにけり

昨日は,午後から出張したのだけれど,
その移動中の電車の中での話.

学生と読書の話になって,
私が再び読んでいる

"The Long Goodbye" (レイモンド・チャンドラー,村上春樹訳)

を紹介したところ,どうも学生の返事があいまいだった.
彼は,フィリップ・マーロウを知らなかった.

そこで,私はフィリップ・マーロウは
有名なハードボイルド小説の探偵であることを彼に説明し,

"If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive."

「タフでなければ生きていけない.
優しくなければ生きている資格がない」


という有名な言葉を紹介した.
そしたら,学生と反対側の私の隣に座っていたおばさんが,

「ハハハ」

と笑い出した.私はびっくりして,

「どうしたんですか?」

と尋ねると,おばさんは,

「いまどき,そんなことをいう男の人がいるなんて.
ハハハ」

と笑う.私は,それは小説の主人公のセリフだと説明し,
本の中の"The Long Goodbye"が書かれた年をさがしてみた.
それは1953年だった.

おばさんは,そのころの男の人は,
そんなことをいったものだ,とまだ笑いながら言っていた.

私は,いまだに60年近く前に書かれた小説の
主人公に憧れているのだ.
そして,時代はずいぶんと変わり,
彼のセリフはもう笑い事にしか聞こえないらしい.

ハードボイルドも絶滅危機種に認定は確実である.

あぁ,昭和は遠くになりにけり.

2011年9月12日月曜日

中秋の満月に憑かれる

中秋の満月である.
大阪でも雲の切れ間に,まんまるな月が
のぞいて見えた.
今日の月は,名月なのだ.

満ち欠けする月は,不死の象徴であった.
新月は生命の終わりとともに,
玄い空間から新しい命が生まれる
始まりでもある.

一方,満月は,人の最盛期を思わせる.

この世をば わが世とぞ思ふ
望月の 欠けたることも なしと思へば

と詠んだのは,藤原道長.
残念ながら,彼の満月も欠けることを
避けることはできなかった.

かぐや姫も,月に帰る際に,
帝に不老不死の薬を残したといわれている.
しかし,かぐや姫なきこの世では,
不老不死も意味がないと,
最も高い山の頂上で燃やしてくれと頼んだ.
その山が富士であり,その薬を燃やした煙は,
天に向かって立ち上り,尽きることがなかったという.
(不尽の山,すなわちフジ)
やはり,月と不老不死は関係が深いのだ.

#ちなみに,かぐや姫を月に帰らせないために,
帝は侍をその山に沢山登らせたともいわれている.
すなわち,士が富む山,富士山という話.
もちろん,不死の山で,フジという話もあるけど.

さて,こんな月夜に聴きたいのは,

シェーンベルクの

月に憑かれたピエロ

なかなか前衛的な歌曲なのだけれど,
先日,初音ミクが唄うバージョンを聴いて,
その秀逸さに驚いた.
いやいやこうした雰囲気も思いがけず良い.

月はやっぱり少し壊れている人間にふさわしい.
人の狂気を誘うものなのだ.




#初音ミクのバージョンでは,第7曲もいい
(ネギ吹いているし)

2011年9月10日土曜日

てんさぐの花

那覇のホテルで泊まっていた晩に,
部屋でテレビを見ていると,
NHKの「SONGS」という番組はちょうど
沖縄特集だった.
夏川りみx玉城千春という組合せで,
そこにヴァイオリニストの宮本笑里も加わって,
沖縄の唄を特集していた.

そこで,二人が唄ったのが,

「てんさぐの花」

だった.
私の大好きな唄である.

この唄を初めて知ったのは,
たしか小学校の音楽の時間.
教科書に載っていた歌である.

てんさぐの花は爪先に染めて
親のいうことは心に染めなさい

という印象的な歌詞が,せつなげな美しい沖縄音階の
メロディーに乗って唄われる.

あぁ,いいなぁ.
ベッドの上でうっとりした.
このときは,沖縄に来ている実感を持った.
(いや,番組は大阪でも見ることはできるのだけど(笑))

てんさぐの花はホウセンカのこと.
親の教えを心にとめよという
ちょっと説教的な歌詞なのだけれど,
その続きがあったのを初めて知った.
(番組の字幕をさらに意訳してあります)

天の星は数えるなら数えられるけど
親のいうことは数えられない(ほど多い)

夜に走らす舟は天の星を見るけれど
親はいつでも私をみている

本当に素朴な歌詞である.
ますますこの唄が好きになった.
この唄を「ちむにすみり」

2011年9月9日金曜日

電気学会 産業応用部門大会@沖縄 那覇

昨日まで,電気学会 産業応用部門大会に参加するため,
沖縄 那覇に行っていた.
月曜日からの滞在だから3泊4日ということになる.

家族のものにも,「いいなぁ」といわれるのだけれど,
実際は,朝から夕方まで会場の琉球大学にずっといるわけで,
観光などできるはずもない.

夕食は少し学生たちと飲んだりしたけれど,
昼食は琉球大学の学生食堂でラーメンやカレーだったので,
どうも那覇に行っていたという実感がない.

私にとって沖縄は,空手発祥の地で,
憧れの場所であった.

空手は中国から渡ってきたと思っている人も
多いと思うけれど,影響はたいへん強く受けていても,
沖縄にはもともと「手(ティー)」と呼ばれる武術があって,
それが長い間に進化を遂げてきたものといわれている.

しかし,「ティー」と空手はやはり違い,
「ティー」のすべてが沖縄空手として普及しているわけではない.
また,沖縄空手のすべてが本土に伝わったわけではない.
やはり秘伝は存在し,伝えられていない技術は存在する,
といわれている.
また,そのため「ティー」は幻の武術と呼ばれ,
いまだに研究している人も多い.

沖縄空手にも,土地土地のスタイルがあって,
首里,那覇,泊などにそれぞれ独自の型が残されている.
現代において,ようやく「ムチミ」,「チンクチ」,「ガマク」などの
空手の技術用語が書籍等に見られるようになったけど,
まだまだその詳細はつまびらかにされていないように思われる.

...ということで,私もそうした技術をいつか調べてみたいとは
思っているけれど,今回調査したのはもちろん
パワーエレクトロニクスである.

今回の大会は参加者が1100人を越え,
たいへんに盛況なものであった.
パワーエレクトロニクス,モータ,電車,スマートグリッドなど,
現代の社会が必要とする技術が,すべてそこに
そろっているような状況である.
(まぁ,社会のニーズがあるから,研究しているわけなのだけれど)

初めて参加した学生たちも,
ずいぶんと刺激を受けたようである.
私もそうだった.
かたや「同じようなことをやっている」と安心し,
その一方で「先に進まれている」と悔しく思う.
そうした刺激が,次の研究への駆動力になるのである.

しかし,パワエレもいいけれど,
空手も研究したいなぁ...

#ちなみに,私は空手の専門家ではありません

2011年9月2日金曜日

台風が来ると

台風直撃である.
どうも関西地方の頭上を越えて
日本海に抜けていくことになるらしい.
大阪ももう雨が降っていて,
風もずいぶん強い.

台風になると,不謹慎なことだけれど,
なぜか興奮してしまわないだろうか.
これは,気圧が低くなって
その影響を受けるから,なのかもしれない.

しかし,興奮するのは私だけではなさそうなのは,

台風クラブ」(相米慎二監督,1985)

という映画があることからも知れる.
(実は,私は未見なのだが)
これは台風の直撃とともに,中学生が学校に閉じ込められ,
らんちき騒ぎをするという内容らしい.
若き日の工藤夕貴や大西結花が出演している
名作とのことである.

しかし,気分が変わるのは気圧のせいだけではないと思う.
私たちはときどき破壊的な出来事を心の
どこかで期待してしまうのではないだろうか.
これまでの自分が接続されていた世界が破壊され,
あらたに再生される世界で,
自分はすべてのしがらみから解放されて新しい心でやり直す.
そんな願いが,どこかに存在しているのではないかと思う.
ちょうど,リセットボタンを押すような願いが.

もちろん,そんなことはあり得ず,
台風が来ようが来まいが,
私たちは昨日までの世界を引きずって,
明日も生活していかなければならない.
社会的存在ありえずして自分はあり得ず,
すべてのしがらみから解放されるというのは,
決して叶わぬ夢なのだと思い知らされる.

それでも私たちは,この平凡な世界から
抜け出したいと思ってしまう.
こうした破壊と再生への願望は
古代から誰もが抱いていたに違いない.
そうでなければ,シヴァ神のような破壊の神は
生まれなかったに違いないから.

2011年9月1日木曜日

息子のゲルマニウムラジオ

昨日で楽しかった夏休みも終わり,
今日から子供たちは学校に行った.
(ちなみに,大学教員は8月が最も忙しい時期で,
ほんとうにたいへんでした)

息子は,夏休みの自由工作ということで,
ゲルマニウムラジオを作ってもっていった.
一度,学校で理科の時間に作ったらしいのだけれど,
あまりよく聞こえなくて,そのうえイヤホンを
もらえなくて,結局あまり感動無く終わってしまったらしい.

そこで,この夏は私と一緒にラジオを作ったのである.
ゲルマニウムラジオで一番の問題は,
クリスタルイヤホンである.
なかなかこれが売っていない.
今回は,日本橋の電気街に行った際に,
パーツ屋をさがして,ようやく入手したのである.

クリスタルイヤホンは,以前は圧電効果をもつ
結晶(通称:ロシェル塩)を使用していたのだけれど,
最近ではそうしたものはほとんど入手できないらしく,
私も結局代替品として,セラミックイヤホンを使用した.
(それでも1個400円位して高い!)

もっとも単純な構成として,330uFのインダクタンス,
中波用のポリバリコン(これがまた400円位して高い!),
ゲルマニウムダイオード,セラミックイヤホン,
およびビニール線でラジオを製作した.
基盤の代りに,板の端切れを用い,
はんだは使わずに,画鋲で端子同士を接続した.
アンテナは,ビニール傘に20mほど導線を巻き付けて
製作したループアンテナとした.

まず,第1日目.
息子がやっとのことで製作したラジオを
家の庭で試してみる.
...全然鳴らなかった.

2日目.
接続が悪い,あるいは部品が悪いのかと思い,
大学にもってきて,試してみる.
少し聞こえた.
NHKの第1と第2の2局だった.
自宅のある兵庫の山奥では電波が弱く,
聞こえなかったということか.

3日目.
枚方市のある駐車場で,息子とともに試す.
少し聞こえることを確認.
傘アンテナの方向を変えたり,向ける方角を変えて,
電波の強いところを探してみる.
駐車場のガードレールの止め金具にアース線を
接続した瞬間,息子が「よく聞こえる!」と叫んだ.
結局のところ,アンテナとアースの大きさが
ゲルマニウムラジオでは一番大切ということか...
ようやく息子も安心する.

4日目.
再び自宅で息子がラジオを試したとのこと.
2階のベランダで,ベランダの手すりに金属部に
アースをつけたところ,やはり2局を受信することができたという.
私が夜に帰宅すると,喜んで話してくれた.

よかった,よかった.
これで,息子も自信をもってくれたようだ.
もしもあのままラジオが鳴らないまま終わったら,
電気工学に悪い印象をもったままになったかもしれない.
それはなんとかかろうじて防ぐことができた.

私の経験では,クリスタルイヤホンから音が漏れるほど
よく聞こえたものだったけれど,最近はどうもラジオ局も
出力を弱くしたのか,それともビルなどの影響で
聞こえづらくなったのか,どこで聞いても音が小さい.

以前にも書いたけれど,いつか

「ぼくらの鉱石ラジオ」

に紹介されているような素敵なラジオを私も
製作したいものである.
まずはアンテナをもう少し工夫しよう.
また実は今回うまく行かなかったのだけれど,
単なるインダクタンスの代りに,
バーアンテナのコイルを使って,Q値の高い
ラジオにしたいものである.

しかし,ゲルマニウムラジオって,やっぱり
夢があるなぁと,今回あらためて思った.
なんといっても,すべてがPassive素子なのだ.
この空中に行き交う電波のエネルギーだけで
音が鳴るというラジオなのである.
いいなぁ.
今度はLEDもチカチカ光らせる,
かっこいいラジオを作ろう.
(もちろんLEDもPassiveで光る)

はんだごてを自宅でも買おうかな...

2011年8月31日水曜日

光車よ,まわれ!: 同じ時代を共有した人は


ブログをしばらくお休みしていましたが,
再開したいと思います.
しばらくは毎日ではなくて,ときどきの
更新になると思いますが.

今回は,久しぶりに本の話.
紹介するのは,

光車よ,まわれ!」(天沢退二郎,ポプラ社ピュアフル文庫).

児童文学である.
私は小中学生時代,結構な数の児童文学を読んだような気がする.
それも,ファンタジーとかSF,怪奇ものなどばかりで,
「古典」はほとんど読まなかった.
(まぁ,「西遊記」や各国の神話は読んだけれど)
だから図書館にいっても,「時をかける少女」や
時間砲計画」,「夕映え作戦」,「なぞの転校生」などなど,
NHK少年ドラマシリーズに出てきたような作品ばかり好んで,
こっそり(なぜかこっそり(笑))読んでいたような気がする.
(その他,推理小説も読んでいたかな)

そんな私なのだけれど,この名作と呼ばれる作品は未読だった.
読むと怖くてトラウマになるなんていわれていて,
食指が動かなかったわけではないのだけれど,
いつのまにか廃刊になっていて,読む機会がなかったのである.

それが最近,ポプラ社から文庫になっていることを知った.
早速,購入し読んでみた.
やっぱり面白い.期待に応える面白さだった.

いきなりの「つかみ」からしていい.
小学6年生の主人公の教室に遅刻してやってきた3人の友達が,
いきなり化け物なのである.
息を止めて見つめてしまう主人公.
しかし,気づくと彼らはもとの友達の姿になっている.
でも,それが怪異の始まりだった...

かなりのダークファンタジーである.
救いも少ない.
人も死ぬ.
多くの謎は,謎のままに残される.
私は村上春樹の小説を思った.
児童小説にしては,あまりに暗い.
確かに描写はあふれるほどの詩情に満ちた
イメージで満たされている.
美しいといえば,美しい.
しかし,どこか黒き闇が忍び寄っている.
これをもし私が小学生時代に読んでいたら,
この恐ろしい世界観に耐えることができたろうか.
(読んでおけばよかったと後悔はしているけれど)

実は,息子にも読んでもらった.
彼には少しピンと来なかったらしい.
Web上の感想を見ても,絶賛する人と,
それほどでもなかったという人に2分されるようである.
そして,それほどでもない,という人たちは,
「子供の頃に読めば」という意見を述べていることが多い.
どうも共感できない人は,
私と育ってきた環境が違うような気がするのだ.

この作品には,まだ舗装されていない道にある水たまりや,
電話を借りに大家さんのところへ行く,
あるいは親が働いている間に子供が食事を準備するなど,
私が小さい頃の時代が描かれてる.
そう,この作品が書かれたのは1973年.
その時代が描かれているのである.

子供たちには,秘密基地とよばれる隠れ家がある.
そして商店街の長屋と狭いアパートの家族生活.
それらに郷愁を感じ得ない人たちには,
この作品の持つ影の濃さを感じ取れないのではないかと思う.
それが共感できるかどうかの分かれ目なのだろう.
私の息子も,そこらへんには全く共感できなかったに違いない.
私は主人公の一郎(母子家庭らしい)の生活だけでなく,
男勝りの女の子の主人公龍子にも,
あーいたよな,こんな子,と思わずうなづいてしまいつつ
本を読み進めていた.

私にも秘密基地があったし(家出したときはそこに隠れていた),
女の子と男の子も,別に分け隔て無く遊んでいた.
あのころの自分に戻って,もう一度冒険できる小説なのだ.

果たしてこの小説はハッピーエンドなのだろうか?と思う.
いややっぱり違う.
児童小説ではあるけれど,世界は不条理にあふれていて,
闇が私たちのすぐそばにあるという存在感を
強く残した結末となっている.
だからこそ傑作となり得ているのだろう.

1960年から1970年代前半に生まれた人たちに
ぜひおすすめしたい一冊である.
残念ながら,今の子供たちには感動は
その大人たちの20~30%だろう.

2011年8月12日金曜日

夢の世界での経験は,現実世界の私に影響を与えている

映画"Inception"の話は,夢と現実の狭間に
起こるものだが,同じテーマを取り扱った話は多い.

映画"Matrix"が電脳世界と現実世界を行き来するものだし.
"Sucker Punch"(邦題「エンジェル・ウォーズ」)が,
夢の世界での話だったらしい(未見なのだけれど).

しかし,最近の話ばかりではない.
邯鄲の夢」とか,「胡蝶の夢」とか,
中国の話にも昔からある.

特に,邯鄲の話は,Inceptionに良く似ている.
夢の世界で栄華を極める人生を生きた邯鄲は,
現実に戻ってきて,栄達の夢を払うことができたという.

Inceptionでも,主人公とその妻は
夢の世界で,ともに年を取っていく.
妻は夢の世界が現実なのだと思い込んでいく.

結局のところ,夢の世界で経験したことは,
自分が経験したことに違いないのだ.
小説を読めば疑似体験ができる,と良くいわれるが,
夢の場合はさらに現実に近い体験をしていると思われる.
ただそれが記憶されているか,どうかなのだと思う.
そこでは,夢での体験に合理性があるか,どうか,
なんて関係ないのである.

潜在意識には,善悪もなく,合理的非合理的の区別もない.
自分が経験すれば,脳はそれを経験するのである.
そう考えると,自分が(覚えていないけれど)
夢で何を経験しているかということが怖い.

記憶に無いから,平静を保っていることができるのかもしれない.
実際に,その経験の記憶があったらどうだろう.
いや,記憶が無くても,私の人格形成やモノの考え方に,
自分でもわからないうちに,文字通り無意識的に
影響を与えているのだろう.
それが怖い.

では,その潜在意識を私はコントロールすることはできるか.
ということになるのだが,「それは,可能である」,
というのが私の持論である.
まぁ,その方法はまたいつか議論することがあるでしょう.

ということで,今日も素晴らしい夢を.

"Golden Slumbers fill your eyes."

2011年8月10日水曜日

Inception: 登場人物のプロフェッショナルに憧れる

映画をめっきり観なくなった.
DVDを借りてきても,とても家で観る時間が無い.
しかし,夏休みということで子供たちが借りてきた
DVD4枚のうち,1枚を何とか観ることができた.
(結局,小さなPCの画面で観たのだけれど...)

"Inception"
(クリストファー・ノーラン監督,
レオナルド・ディカプリオ主演,2010)

である.
前から観たいと思っていたから,
なんとか睡眠時間を削って,
鑑賞時間を確保したのである.

久しぶりに,話自体が面白いSF映画に出会った.
潜在意識の世界における夢の話で,
その複雑な設定が知的好奇心をそそる.
多層化した夢の世界の中で,
ある法則(荒唐無稽だけれど)にしたがった制約の中で
主人公たちは"Inception"と呼ばれるミッションを果たしていく.
(主人公たちは,人の夢の中に侵入して,
アイデアを盗むのが仕事("Extract").
それに対して"Inception"は,アイデアを植え付けること)

クリストファー・ノーラン監督の構想だというけれど,
こういう世界観が描ける才能が素晴らしい.
ゾクゾクしながら子細も見逃さないように
集中して観てしまった.

私が惹かれたのは,登場人物がすべて
スタイリッシュなこと.
主人公とともにミッションを果たす仲間が
みなプロフェッショナルで,各自の役割を
困難が次々と生まれる中,果たしていくという姿に
憧れを感じた.

特に,アーサー(Arthur)役のJoseph Gordon-Levitt
かっこいい.
第2層の夢で発生する困難にもかかわらず,
プロとして着実にミッションを果たす.
格闘シーンも素晴らしく,彼のことが好きになった.

ディカプリオもいいのだけれど,
ちょっと今回は弱さも見せていて,
あまり共感できなかった.

もうひとり,イームス(Eames)役のTom Hardy
とぼけていてかっこいい.
これもまたプロフェッショナルとして描かれている.

とにかく誰もがプロでかっこいいのだ.
映画の登場人物に憧れるということを
久しぶりに経験した.
こういう映画は本当に観て良かったと思える.

内容も複雑で大人向けのSFである.
今回は,星5つのおすすめ!
★★★★★(5つ星が満点)

#最近では,子供たちの上映会につきあって,
「ヒックとドラゴン」も観た.
まぁまぁ,という感じ.
すべてがハッピーという結末になっていないのに好感.
3Dで観たらすごい映像だったかもしれないけれど,
私が観たのは残念ながらスクリーンは小学校校舎の壁だった.
しかし,英語タイトル"How to train your dragon"の方が
ずっと内容に合っているのだけれど,どうして邦題は
こんな風になってしまうのだろう.
採点は,星3つ.
★★★☆☆(5つ星が満点)






2011年8月9日火曜日

音のない花火

久しぶりに花火を見た.
一週間ぶりにジョギングにでかけた
昨日の夜のことである.

研究室を出てキャンパス内を走り始めると,
「ゴロゴロ」とカミナリのような音が聞こえた.

「これは走っている最中に雨に降られるかも」

と覚悟して
(とはいえ,40分間も走れば雨に降られたように
汗でビッショリとなるので変わらないのだけど)
走っていたのだけれど,空は全然雨が降りそうにない.

不思議だとは思いながら,夕方の風に吹かれながら
気持ちよくキャンパスを出て歩道を
走っていたのだけれど,いつもより車の数が多く,
それも動きが鈍いような気がしていた.
その上,パトカーも出回っている.

なにかおかしいと思っていると,
「ドンドン」と連続した花火のような音がする.
モノレールの下から西の方向を見ると
こんもりとした黒い林の上の方に,
すすきの尾花の先のような花火の先端が見えた.
やはり,花火だったのだ.

そのまま阪大病院のモノレールの方へ
走っていくと,歩道に人が集まって,
みんなで茨木方面の空を眺めている.
イスを並べて見ている人もいた.

携帯電話を花火に向けて写真を撮っている人も多く,
その前を,走り抜けていくのは,なんだか気が引けた.

子供たちも花火にはしゃいでいる.
ただ花火から見ている場所までは距離があるらしく,
花火が開いてから音が聞こえるまでには
少し時間があった.
その音も少し丸くなっているようで,
どうも迫力に不足している気がした.
花火はやっぱり音なのだと思う.

私は,幼い頃,新潟県の長岡市で過ごした.
長岡市といえば,花火大会で有名である.
毎年8月の2,3日に信濃川の河川敷では,
絶対に東京や大阪の都会では上がらないような
尺玉(10号玉)が普通に打ち上げられている.
長岡では,1尺玉,2尺玉は当たり前で,
三尺玉がハイライトとなる.
三尺玉(30号玉)ともなると,花火が開いたときの直径は
550 mにもなるという(打ち上げ高さは,600m!).
(新潟県の片貝町ではなんと四尺玉なのだ)

だから音が全然違う.
花火の音は腹で受け止めるものなのである.
「ドーン」となって,腹に「ズシーン」と響く.
身体全体で花火を感じる.

実はもう小学校4年生以来,長岡の花火は見たことが
ないのだけれど,その頃は三尺玉が上がる前には
町中にサイレンが鳴り響き,家々は電灯を消して
そのときを待つものだった.

そして打ち上げ.
空一杯に三尺玉は広がり,まさに満天の星の火花が
ストップモーションのようにゆっくりと消えていくのである.
家のガラス窓は三尺玉を恐れているように
ビリビリと震えて,急に静かになる.
祭りの終わりがやってくる.

だから東京で隅田川の花火大会を見ても,
綺麗だなとは思ったけれど,残念ながら
なにか物足りなかったという印象だけは覚えている.
あぁ,また身体中で花火を楽しみたいなぁ.

一方で,音のない花火という話も思い出す.
高橋葉介の「夢幻紳士 怪奇編」の一編では,
花火の幽霊を,幽霊たちが楽しむのである.
花火といっても,それは幽霊だから音がしない.

音がしない花火を,音もせず幽霊たちが眺める.
そんな不思議に場面があったと覚えているのだけれど,
なぜかしら昨日,それが思い出された.

しかし,その漫画の話も,鈴木清順監督の
なにかの映画で,同様に音のない花火のシーンに
発想を得て書かれたものだと,著者も書いていたのだけれど.

音で感じるべき花火が,静寂の中で開く.
そんな幻想的な場面を思い浮かべて
昨日は走っていた.

#昔は,「夢幻紳士 怪奇編」もいろいろと持っていたのだけれど,
大学卒業と同時に全部後輩たちに分けてあげてしまった.
数百冊の漫画本が,いまとなっては少し惜しい...


2011年8月3日水曜日

身体感覚が優位であること

人間には得意なモダリティ(modality,五感)があるという.
一般的には,視覚が優位である人は思考が速いとか,
聴覚が優位である人はじっくり考えるとか,
そんなことがいわれている.

NLP(神経言語プログラミング)では,
人が話す言葉の中にも,その人の優位な
モダリティが何であるのかを示すものが
含まれているのだという.

たとえば,
「見通しが良くなった」とか,
「あなたの意図するところがよく見えない」とか,
「お先真っ暗だ」などと,
視覚に関係する言葉を良く用いる人は,
視覚が優位であるとか,

「心の琴線に触れる」とか
「It sounds good!」などの言葉が多ければ,
聴覚優位の人である,というようなものである.

もちろん,ある感覚だけが優位であるという人は少なく,
いろいろな感覚を場合場合に応じて強く使っている
とのことなのだが.

私はといえば,五感のうち
視覚,聴覚,身体感覚が強いような気がする.
特に身体感覚は人よりも優位であるような気がする.

だから
「ぐっときた」
「腑に落ちない」
「頭にきた」
などという言葉を多用しているような気がする.

武道の稽古やスポーツの練習をしている人は
特に身体感覚を大事にするので,
そうした感覚が発達するのではないかと思う.

イメージトレーニングをすれば,
身体中の筋肉が動き,じっとりと汗が出てくる.
身体では,実際に技を行っているような感覚がある.
再生される身体感覚.
そんな繰り返しが,身体感覚を発達させ,
自己暗示にかかりやすい体質に変化させていく.
(スポーツ,武道の世界では自己暗示は
必要不可欠な技術である)

実は今日,久しぶりにジョギングすることができた.
少し気分が晴れる.
体温が上がり,汗をかく.
脈拍も上がって,身体のギアが上がっていくことを実感する.
身体の感覚が,気持ちや感情に与える影響は強烈だ.
それにあらがうのは難しい.
だからこそ,身体を動かすことは
精神衛生的に大切なのだろう.
そして,身体感覚が優位である私には
その効果は絶大なのだろう.

走ることによって,自分は脳や心からだけで
できているわけではなく,身体と不可分であることを
実感することができる.
結局,人間も動物でしかないのだ.


2011年7月28日木曜日

格闘漫画「修羅の門」がいい

今日は疲れたので,元気の出る話題を.

連載が13年ぶりに再会した「修羅の門」
いいなぁ.こういうシンプルな格闘漫画.
こういう漫画を読むと,稽古に励もうという気になる.

私はずいぶん昔に「世界最強」の夢をあきらめたけれど
(というか,男は誰でもそれを目指すのでは...)
漫画の世界ではそれが正々堂々と追求できる.
そして,それがきれいごとで済む.
これが素晴らしい.

武道の世界というのは,私も少ししか知らないけれど,
ドロドロとした部分がかなりある.
そもそも人を倒す(殺す)技ばかり考えている人が
性格が素晴らしいなんてことは,
めったに無いのではないか.

しかし,そんなことには関係なく,主人公が
強さを追求するその純粋さがうれしいのだよなぁ.

漫画はいい.
こうして夢を与えてくれるから.
努力しようという気力を与えてくれる.
たとえ私のようなロートルに対しても.

2011年7月27日水曜日

地熱発電普及の問題は


大震災以来,原子力の代替エネルギーの議論が
活発に進められているが,地熱発電に期待する意見も多い.
しかし,現在の地熱発電の総設備容量は53.5万kW程度と,
2000万kWを越える推定資源量に対して,たいへん小さい.

私も地熱発電には詳しくないのだけれど,
その普及が進んでいないということは,
なにか障害があるということなのだ.

今月の雑誌「OHM(オーム)7月号」(オーム社)の特集は
なんと「地熱発電」である.
「地熱発電Q&A20」という記事で,基本的な疑問が
部外者である私たちにもたいへんわかりやすく説明されている.

詳細は記事を読んでいただくことにして,
地熱発電の普及を妨げている障害
次の3つであることが述べられている.

1) コスト
2) 国立公園
3) 温泉

(このほか建設までに長い期間を要することも
問題としてあげられているが)

第1に,コスト問題であるが,地熱発電の場合,
その5割が掘削コストによって占められるのだという.
まず掘削してみなければ分からない部分もある.
掘削してみて「はずれ」ということだってあり得る.
地下データの少ない地域では5割近くの失敗井が
生じてしまっているとのことである.
そのたびに数億円の損失が生じるのである.

また,地熱資源がうまく発見できたとしても,
蒸気を取り出す井戸や,水を還元する井戸は,
通り道が詰まってしまうので,2~3年ごとに
1本程度井戸を掘り直す必要があり,そのコストも
必要である.

とはいえ,一度資源を手に入れて,
うまく運用さえすれば,燃料費は不要なので
ランニングコストは低く抑えられ(追加掘削費),
結局発電コストは13~16円/kWhとなるのだという.
(資源エネルギー庁の1993~2004年の平均値のデータであると
記事には紹介されている)
太陽光発電のコストが50円/kWh以上であることに比べ,
十分に低い
しかし,それでも他の火力,原子力に対しては
コストが倍以上も高く,現在の電気料金では
採算がとれず,たとえ固定価格買取り制度が採用されたとしても
20円/kWhの買取り価格設定でも,採算がとれる発電所は
少ないだろうとしている.


第2に国立公園問題.
1972年の旧通産省と旧環境庁との覚書により
国立公園内には地熱発電所を新規に建設しないことになっており,
これによって,地熱資源量の8割以上が使えない,とのことである.

第3に温泉問題.
温泉資源の枯渇の恐れより,地元に反対運動が起こり,
建設が進まないとのことである.
実際には,うまく運用すれば温泉資源の枯渇は免れるとのことだが,
地元の反発が大きければ,やはり建設はできないのである.

コストの問題は,技術的なことであって,
今後将来改善される,
あるいは状況が変わる(電気料金が高騰するとか)
こともあり得るので,継続して研究開発が
進められるべきだと思うけれど,
国立公園問題,温泉問題については,
なかなか難しいのではないかと思う.

地熱資源が豊富に存在し,
そして技術的に(コスト的に)成立するようになっても,
利権が絡めば,事は進まないのである.
この問題が解決されない限り,地熱発電の普及は
進まないだろう.

そんな社会的な問題はなんとかできる,という人が
エコ推進派には多いけれど,地元の人たちの同意と
協力を得るためには,長い時間がかかり,
やっぱりこうした問題はたいへんに難しいのである.
(浮体式の洋上風力発電なども話題だが,
技術的には可能であるけれど,日本では
漁業権の問題があって,地熱発電同様に
難しいのではないかと私は思っている)

しかし,日本が地熱資源に恵まれていることは間違いがない.
社会的状況が変わることもあり得るだろう.
研究開発は粛々と進めていっていただきたいと思う.

#7月号のOHMでは,もっともっと詳しく
あるいはわかりやすく地熱発電について
説明されている.
代替エネルギーを議論するならば,
最近のOHMをまとめて読まれるだけでも
ずいぶんと勉強になるので,おすすめである.

#7月号のOHMでは,小水力発電についても
特集記事が掲載されている.
こちらもやはりコストが見合わないのが問題.

2011年7月26日火曜日

劣化は世界の終わり

最近では,以前美しかった女優やアイドルが年をとって,
その美貌が衰えていった場合に,それを「劣化」と呼ぶらしい.
ひどい言い方だとは思うけれど,
うまいなぁとも思ってしまうのである.

私もつい最近,昔のアイドルがおばあさん役で
CMに出演されているのを見て,たいへん驚いた.
確かに,おばあさん役がふさわしい感じだった.
...私も年をとるわけである.

ネットである若い女性ががつぶやいていた言葉が,

「劣化は世界の終わり」

である.なにか,年をとることが絶望につながっている.
少し悲しい...

実際には,美しく年をとっていく人もいる.
そのように内面の美しさが表われるように年を経ていく女性は
私も素敵だと思うけれど,そうした人は少ないのだろうか.
そのような年の取り方は難しいのだろうか.

確かに,アンチエイジングとして若づくりも大切かもしれないけれど,
人には,そんなことには左右されない美しさがあると私は思う.
加齢していくことは恥ずかしいことではない.
むしろ人としての魅力を増していくことであるのだ.
ただそうした美しさを身につけるのは一朝一夕のことでは
できないのであろうことは予想できる.
毎日の絶え間ない心がけだけが自分の美しさを磨いていくのだろう.

往年の女優やアイドルのみなさんでも
やはりその努力の差が現われているように思われる.
もっとも美貌に敏感であるはずの人たちでさえ,そうなのである.
いわんや私たちをや,である.
「劣化」ではなく,「熟成」となるように,私も精進いたします.


2011年7月25日月曜日

「世界最強」をあきらめたときにアマチュアになる

武道の世界においては,プロフェッショナルとアマチュアの境界は
厳然として存在している.

それはたとえば相撲であったり,将棋であったり,
圧倒的な実力の差として存在している.
(そうでない場合は,「プロ」を名乗る資格が無いのではないだろうか)

では,その「線引き」はどのように決まるのだろうか.

私は,武道の世界においては,
それは,「世界最強」を断念した瞬間なのだとふと思った.

「世界最強」を目指して,毎日,どの瞬間にも,
人を倒すという技術を極めようとする努力を
継続しつづけてはきたけれど,自分の才能と
技量の限界を感じて,どこかで疲れてしまい,
「なにか」をあきらめてしまうのだ.

「最強」の追求には,「技の洗練」とは別の
「なにか」が存在し,それが不可欠である.
それが「なにか」,具体的に説明することは
たいへん難しいのだけれど,
それは確かに存在し,自分を突き動かし続ける動力で
ありつづけていたのだ.
しかし,それが失われてしまう.
そのとき,「世界最強」を断念する.

もちろん,勝負というものはその設定条件に
大きく影響を受けるので,「世界最強」という定義そのものが
あいまいであり,むしろそれは幻想に近いものだといえるだろう.
その場合,求めるものは「世界最強」から「絶対不敗」に変わる.
だが,「世界最強」と「絶対不敗」の間には大きな隔たりがある.
前者を「夢」「野望」とすると,後者は「悟り」というべきか.
後者の方が良いような気もするけれど,
前者の「夢」を追い続けていきたい気もする.

その「夢」をあきらめた瞬間に,
プロへの道を断念するのだとしたならば,
私はなんと早期にアマチュアの道を進み始めたのだろう.
自分の才能の限界を感じるのは早かったなぁ...

しかし,こうして「世界最強」をあきらめた人は
武道の稽古をなんのために継続するのだろうか.
そして,どうやってその矜持を持ち続けていけばよいのだろうか.
そして私は一体なんのために稽古を続けているのだろうか.

私は到底プロにはなれない.
道場の看板を命がけで守ろうなどという覚悟もない.
ただただ自分の技を磨くだけが目的となっている.
しかし,それでよいのだろうか.
この先,なにを考えていくべきなのか.

武道は,スポーツと異なり「気晴らし」ではないならば,
アマチュアはなんのために稽古を続けていくのだろうか.
私はこの先何を目的として...

2011年7月20日水曜日

「勿嘗糟粕」

しばらく仕事,私事ともに忙しくて,
なかなかブログの記事がかけなかった.
いろいろと考えは浮かぶのだけれど,
それを書き留めておく時間が無い.
もう少しメモを充実させようと思う.

昨晩,考えたのは,ある研究分野,
あるいは産業分野の成熟ということ.

ある分野が切り拓かれはじめたとき,
そこに乗り込んでいく人は勇気ある開拓者,
フロンティアである.
そして彼らは,なんでもかんでも自分自身の手で
準備しなければならない人々である.

しかし,そのようになにもかもを知らなければ
ならないからこそ,素晴らしい発明や革新を
彼らは成し遂げることができたのではないかと
思うのである.
専門家ではない,横断的な知識と技術を
もっていたからこそ,そうした偉業を
成し遂げることができたのだ.

フロンティアには伝説の英雄がいる.
たとえばパワーエレクトロニクスという分野にも
そうした人たちがいた.
彼らは素子を作り,またそれをうまく動かすための
駆動回路も工夫し,そしてもちろんそれらを
活用するための回路も研究した.
それらはすべて一連の知識と技術の中で
進められるべき,研究と開発であった.

しかし,時は流れ,その研究分野,あるいは
産業分野は成熟していく.
そこで起こるのは,分業化であり,階層化である.

研究する対象は,徐々に専門化が進み,
それだけをテーマとする研究者が増えていく.
(逆に言えば,それだけをテーマにしても
やっていけるようになる)
素子は素子屋が作り,
駆動回路はその専門家が検討し,
主回路は主回路で,直流変換回路,インバータ,
整流回路と細分化して,それぞれに研究者がいる.
そうしなければ,深く研究を進めることができなく
なるのだろう.
しかし,その反面,研究は重箱の隅をつついたような
些末なものに分化していってしまう.
フロンティアがもっていたような
分野を網羅するような大きなビジョンをもつことは
難しくなっていく.
それとともに野望もしぼんでいく...

現在は,そうした成熟した分野が数多くある.
そうした分野では,研究だけでなく産業も分業化し,
結局はニッチなところで棲み分けていくような状況に
陥っているような気がする.

それはある意味,仕方がないと思うが,
それでは研究者,技術者は面白くない.
私たちに必要なのは,未開の分野なのである.
私たちがフロンティアとなれる未踏の領域なのである.
冒険者として大いに活躍してみたいと思うのである.

現在,大阪大学学長室に掲げられている額には,


「勿嘗糟粕」
(糟粕を嘗むる勿かれ)


という初代総長 長岡半太郎の言葉があるという.
これは酒を搾り取ったあとの残りカスである糟粕を嘗めるな.
すなわち他人が切り拓いた研究で食べていくのではなく,
新たな分野を切り拓いていけ,との意味である.

まさに,私の思うところであったわけであるけれど,
ではどうするか,というと...
まぁ,毎日悩んでいるわけなのである.

2011年7月13日水曜日

コジェネ普及の鍵は

CO2削減の高効率な発電システムとして,
コージェネレーションシステム(コジェネ)が注目を浴びている.

コジェネとは,主に化石燃料を使用して原動機を駆動し,
電力を発電するとともに,原動機の排熱を利用して,
冷暖房や給湯などの熱需要に熱エネルギーを供給する
システムである.
熱電併給などと呼ばれる.

原動機としては,ディーゼルエンジン,ガスタービン,
ガスエンジンなどが産業用に従来から使用されてきたが,
最近では家庭用で燃料電池を用いる場合
(エネファームと呼ばれるようなシステム)も増えている.
ずいぶん身近な存在になってきた.

コジェネのメリットは,まず需要地で発電できるため,
現在のように遠隔地で発電した電力を都市部に
送電するのに比べ,発電ロスを低減できることである.

もちろん,熱エネルギーも供給できるので,
総合的な効率が改善できることが魅力である.
総合効率は,たとえば家庭用燃料電池コジェネ
の場合,
60%を越えるものもある.

しかし,ここには盲点があって,
この高い総合効率は,排熱が高い効率で
利用される前提で計算されていることに,
注意しなければならない.

総合効率というのは,一般的に発電効率と
排熱利用率を足しあわせて計算される.
すなわち,

(総合効率)=(発電効率)+(排熱利用率)

となる.それぞれの効率は,

(発電効率)=(発電電力量)/(燃料消費量)

(排熱利用率)=(排熱利用量)/(燃料消費量)

と計算される.
(アメリカでは,排熱利用量を0.5乗する場合もある)

燃料電池システムでは発電効率は30%を越える程度だから,
排熱利用率も30%を越えないと,総合効率は60%を
越えないことになる.
したがって,総合効率を高めるためには,
どれだけ排熱を効率よく利用するかにかかっているのだ.

しかし,そうした熱需要がどれだけあるのだろうか.
特に家庭用コジェネでは,熱需要がなかなか無いのが
悩みの種なのである.
ヨーロッパやカナダなど,暖房などの給湯需要が高い場合には
コジェネはたいへんに威力を発揮する.
しかし,日本,たとえばこの暑い大阪などでは,
残念ながらそうした熱需要は低い.
家庭用コジェネでもお湯を作って貯湯槽がいっぱいに
なってしまうと,発電を止めてしまうようになっている.
現在はコジェネで発電した電力は,太陽光発電と違って,
余っていても電力会社は買ってくれないが,
買ってくれるようになっても,お湯が一杯になってしまったら,
もう発電できないのである.
(お湯を捨ててまで発電するというのは,本末転倒である)

比較的低容量のガスエンジンコジェネがよく導入される先は,
病院,スーパー銭湯,ラーメン屋というのもわかる.
日本はコジェネには暑すぎる国なのである.

とはいえ,震災後,コジェネの需要はたいへんに高まっている.
家庭では難しいかもしれないが,ビルなどでは
冷房に熱エネルギーを使用することもできる.
また近所の家庭間で熱エネルギーも融通できれば,
さらに利用度が高まるだろう.
今後,どのように排熱を利用するか,そのアイデアが
コジェネの普及を決めるに違いない.

太陽光,風力発電などの出力変動補償に
出力制御可能なコジェネを利用するアイデアも出てきている.
魅力はさらに増すだろう.

2011年7月12日火曜日

人の話をただ「聞く」という技術

自分が苦手だと思うことに,
人の話を聞く,というものがある.
最近,特にそう思う.
そろそろ反省すべき時期に
なったのではないかと思い始めている.

人が話そうとする物語を
理解することは私は得意な方だと思う.
人の意図を理解し,それに応じた
答えを用意する.
まぁ,周囲の人たちは私の能力に不満が
あるだろうけれど,私自身としては,
結構そうしたところは得意だと思っている.

では,私が足りないと思う「聞く」という行為は
どういったものか.
それは,「相手の心に寄り添って」話を聞く,
ということである.

私は,感情的になって議論する人を軽蔑する.
議論の場において,怒ったり,泣いたり,
そうした感情をあらわにする人を私は相手にしたくない.
議論においては,そうした時間は無駄となる.
私には,「ガス抜き」につきあっている暇も
我慢もないのである.

しかし,世の中には議論を目的とせず,
ただ話を聞いて欲しい,というためだけに
話すということがあるようである.
私は,人とコミュニケーションをとるのは,
自分の考えを相手に伝えるという目的があるからだと
思うのだけれど,相手のリアクションを求める要求は薄く,
ただ話を聞いてもらうだけで良いということもあるようなのだ.
一般的には,「悩みを聞いてもらう」というようなことだろうか.
「話を聞いてもらって,すっきりした」などというセリフが
聞こえてきそうなシチュエーションである.
(もちろん,そこには自分がこれだけ苦労していることを
知って欲しい,という要望があり,ちゃんとした
コミュニケーションの目的はあるのだけれど,
相手の反応をあまり期待していない状況)
私は残念ながら,これまでそうした「聞く」という行為に
重きを置いてこなかった.
目的もなく人の話をただ聞くなんて,まっぴらご免だった.
(だから,女の子にもてなかった?(笑))

実は,私は幸いというか,薄っぺらな人生だからというか,
悩みを人にただ聞いて欲しい,と思うようなことはない.
少なくとも記憶にはない.
もちろん,そうした状況もあってしかるべきだろうけれど,
悩みをただ聞いて欲しいということは今後も私には
なさそうな気がする.
私だったら,そのような場合,
相手にアクションをしてもらうことを目的として話をするだろうから.

しかし,最近,ただ聞くという行為も,
相手の負担を軽くするという目的において,
やはり重要なのではないかと思うようになってきたのである.

ひとつには,浄土真宗の影響がある.
私の父が亡くなって,少しだけ浄土真宗が身近になった.
宗教が現代に果たすべき役割ということには,私は
懐疑的ではあるのだけれど,浄土真宗ではこの「聞く」ということを
重要視しているようである.
(そこがいかにも大乗的だと思う.
もう少し修行重視の宗派(たとえば曹洞宗とか真言宗とか)だと,
自らの実現の方が先に来るような気がする.
衆生の救済は,まず自分が悟りに近づいてからの話,という
印象がある)
話し終わった相手が「救われた」と思うような
話の聞き方とはどのようなものか.
興味がある.
(余談ではあるけれど,現在「考える人」に連載中の
「親鸞と日本主義」は面白いなぁ)

村上春樹の小説にも,村上氏自身が
人の話を良く人であっただろうと感じさせる文章が
ところどころに見られる.
子供時代の回想で,失語症のようになってしまった主人公に,
言葉を話さなければ,なにも存在しないなどと
医者に言われた話は,どの小説だったろうか.
また別の小説では,大学時代,いろいろな人の話を聞いたという
ことが書かれている.

また,「聞く」ということで真っ先に思い出すのは,
村上春樹氏と一緒に本を出したこともある
「河合隼雄」氏である.
彼に会った人たちは,みな彼を「聞く」ことのプロだという.
彼の「聞く」技術とは,一体どんなものだったのか.

たぶん,それで救われたような気持ちになるのだから,
少なくとも話している人の気持ちに寄り添っているような
聞き方なのだろうと想像がつく.
しかし,私は人に話をただ聞いてもらうという経験が無いために,
どうすればよいのか,ということがわからない,ということに
あらためて気づきもする.

それでもこれまでの人生,自分はしゃべりすぎて生きてきたような気がする.
もう少し無口に,人の話にただ耳を傾けるというようなことも
良いのではないかと思っているのである.


2011年7月11日月曜日

世俗を離れ,山に籠もるのが真の修行か


若い頃,山に籠もって修行をするのが夢だった.
世俗を離れ,ひとり山中で自分を見つめ直し,
武道の稽古と読書三昧で1年程度は過ごす.
そんなことを夢見ていた.

それは,まずは吉川英治の「宮本武蔵」
影響されていたのだろう.
(今なら「バガボンド」なのだろうが)

次に,大山倍達氏の「空手バカ一代」
かの傑作漫画によれば,大山氏は
若い頃,清澄山に籠もり,立木を叩いて
自然石を割るなどして修行を行い,
開眼したと言われている.
人里恋しくて,山から下りようとする自分を戒めて,
川に自分の顔を映して片方の眉を
切り落とすというシーンがある.
そこで,「バカよ,バカよ」と自分を
空手バカと笑うのである.
まぁ,実際はどうだったのかよく知らないけれど,
大山氏も山に籠もる際に,吉川英治の
「宮本武蔵」を持ち込んだのだそうである.

若い頃に,世俗を離れて山に籠もる,ということは,
特別なことではなくて,たとえば村上春樹の
「海辺のカフカ」においても主人公が
山のロッジでしばらくトレーニングと読書に三昧な
日々を送ることになっている.
やはり誰もが一度はそんなことを夢見るのだ.

今の私も実は,たまにはそうした夢をみる.
しかし,山に籠もったところで何も変わらないだろうということも
もう良くわかってしまってもいるのである.
山に籠もったことによって,私の何が変わるのだろうか.
それがもうわからない.

私という存在は社会があってはじめて認められる.
人とのつながりがなければ,私という人間は
ほとんど意味がないだろう.
それを,人間関係を断ち切ることによって,
なにが得られるというのだろうか.

私が大嫌いなものに「本当の自分さがし」というものがあるが,
山に籠もって見つけようとするものは「自分」なのではないだろうか.
日常生活の自分から逃れようとする弱さでしかないのではないだろうか.

もちろん,トレーニングや武道の修行で,
具体的な目標があるのであれば問題ない.
しかし,心が何か変わることを期待して
山に籠もるのであれば,日常生活からの逃避と変わらないのである.

私はいつのまにか,山に籠もる夢に魅力を感じなくなってしまった.
それは,陽明学の「事上磨錬」という思想
出会ったからかもしれない.
実際の毎日における修行こそ,真の修養となる,というその教えに
強く惹かれたのである.

この陽明学についても,いろいろ思うことがあるのだけれど
(たとえば日本と中国とでは,陽明学が異なってきていて,
日本の陽明学は,非常に先鋭で過激なものになっている,など)
また機会をあらためて,書きたいと思う.

ということで,ここ少しばかり内省することが多かったので,
こんな感じのつまらないブログ記事が続くと思います.
すみません.

2011年7月6日水曜日

和田慎二さんの訃報に思う: 海槌麗巳@スケバン刑事 は素敵だった

今日の夕方,大阪は雨.
昼間のストレスを発散に,
外に走りに行けないのが本当に残念.
「走る」ことの素晴らしさを,
走れない雨の日に思う.

さて,本日ニュースで知ったのだけれど,
漫画家の「和田慎二」氏が急逝されたのだそう.
ご冥福をお祈りいたします.

私が少女マンガも読んでいたという話
前にもしたけれど,
少女誌であっても少年誌顔負けの
アクションマンガもいくつかあって,
それはそれで楽しみにしていたものである.

その中のひとつが,「スケバン刑事」.
和田氏の作品である.
もちろん,「スケバン刑事」だけではない.
超少女明日香」シリーズ(別マ?花とゆめ?)や,
ピグマリオ」(なぜか合氣道部の部室にあった),
怪盗アマリリス」シリーズなんてずいぶん読んだ.
(いや,今は内容をほとんど覚えていないのだが...)

好きだったのは「超少女明日香」シリーズ.
一種の変身ヒロインものといえると思うのだけれど,
通常時のお手伝いさん(断じて,「メイド」ではない)と
変身時の姿とのギャップがいいんだなぁ.

しかし,もっとも好きな登場人物は誰かといえば,
それは断然「海槌麗巳(みずちれみ)」.
スケバン刑事における主人公 麻宮サキの
最大・最悪の敵である.

斎藤由貴主演のテレビシリーズ
「スケバン刑事」では,高橋ひとみさんが
レミを演じられていたけれど,
サキを挑発する高笑いが忘れられない.
(「ホホホ」と笑う)

原作の方もたいへん魅力的.
あの吊り上がった三白眼がたまらない.
悪の信奉者であり,自分の妹たちも
容赦なく切り捨てる.
サキの最大のライバルにして,実は「友」.
そんな設定もよかったなぁ.

もう麻宮サキが活躍するのを
見ることができないかと思うと本当に寂しい.
あの独特な絵柄が懐かしい.
こうやってひとつずつ私の青春も終わっていく.

#研究室の学生に和田氏のことを尋ねたら
全く知らず,代表作を教えてあげたら,
「あぁ,昔の漫画家の方ですね」と言われた(涙)

2011年7月4日月曜日

ダイエットに必要なものはなにか

それは,時間と余裕である,と断言しよう!

強い意志などというものを持ち合わせない私だが,
この1ヶ月で5kg以上やせた.
その私がダイエットに必要だったものは,
時間である.
そして,カリカリしないだけの余裕である.

そして,それらはこの日常生活において
もっとも確保するのが難しいものなのだ.

私のダイエットの手段は,
岡田斗司夫氏考案の「レコーディングダイエット」,
そして「ジョギング」である.

「レコーディングダイエット」というのは,
本も出ているし,実践者も多いので,
ネットで調べればわかると思うのだけれど,
まずは自分の食事のカロリーを記録して,
ある値以下に抑えようというものである.

私の家のタニタの体重計が私の
基礎代謝量が1500~1600程度だと教えてくれるので,
毎日の摂取カロリー量を,1600程度に抑えた.
といっても,私は最近あまり食欲がないので,
あまり苦もなく制限することができた.
どうも私は量にはあまりこだわらない人らしい.
(しかし,美味しいものは食べたいのだが)

ただ甘いものの摂取量はずいぶんと減った.
これはストレスが少なくなったからだと思われる.

ということは,仕事が楽になったってこと?
それは全く変わらない.
ではどうしたかというと,「ジョギング」したのである.
週3回を目処に40分程度ジョギングを行う.
「ランニング」ではなく「ジョギング」
これが大切である.
楽に,楽しく走る.
走って気持ちよくなければ,次に走ろうという気にならない.
まだまだ走れる,というところで走るのを
止めるのも大切である.
良い状態を継続する工夫も必要だ.

走ることによって,ストレスはずいぶん発散されているように思う.
気分の転換にもなるし.
(これで発想も豊かになるといいのだけれど...)

このストレスの低減が,甘いものの摂取量を
減らしているようだ.
いままでは,甘いものを食べることによって
得られる満足感によって,
ストレスとのバランスをとろうとしていたらしい.
そのために太ってしまっていたのである.
それがジョギングによって,他の満足感が得られるので,
甘いものに頼らなくても良くなった.
もちろん,ジョギング自体もカロリーを消費するので,
一石二鳥である.

ただ,このジョギングには大きな欠点がある.
それは時間を使うことである.
走るための時間を確保しなければ,
ジョギングができない.
これが一番の問題である.
晴れた日の夕方に1時間程度の時間を確保する.
それが簡単にできれば良いのだけれど,
そんなことはないことは多くの人が知っている.
その難しさがダイエットのハードルである.

時間は作るものだと考えても,
そこにはそれなりの「余裕」がなければならない.
心の余裕がなければ,
走る時間を確保することができない.
確保することに罪悪感を感じてしまう.
これがまたダイエットのハードルとなる.

村上春樹氏は,一日はもともと23時間だと考えて,
ランニングに1時間をちゃんと割り当てている.
私もそのように考えることにした.
余裕をもって,24/23倍の密度で毎日の時間を
過ごせばよい.
そう考えて,今後もぜひジョギングを
継続していきたいと思っている.

ダイエットは全然つらくなかった.
しかし,考え方を変えて,時間を確保する必要があった.
そしてそれには余裕が必要だった.
思いもかけず,ダイエットは生活を変える原動力と
なっている.
いい感じだ.
もう少し続けてみよう.

2011年6月30日木曜日

夏休みの小中学生向けの電気教室のオススメ!

子供たちに科学技術のリテラシーを,という記事を書きましたが,
この夏休み,子供たちが電気に興味を持ってもらえるような
電気工作,ロボットの実演,そして先生のための理科教室が
電気学会 関西支部の主催で開催されます.

参加費は無料,または1000円です.
実際に行う工作では,ずっと参加費より高価なものが作れます.
そんなことからもお得感満載.
夏休みの小中学生のみなさん,そして教員の皆様に
ぜひオススメの教室となっております!!!

■オススメ第1弾!
小・中学生のための電気教室「さわってつくって楽しもう!なぜなにでんき?」



日時 2011年08月10日 9時45分~ 15時30分
会場 大阪市立科学館
午前の部: 9時45分~12時00分(集合  9時30分)
午後の部:13時15分~15時30分(集合 13時00分)



対象 小学生(4~6年生)および中学生
(小学校3年生以下の方はご遠慮ください。)
募集人数 午前・午後の部 各50名(定員になり次第、締切ります。)
参加費 1,000円(当日、受付で申し受けます。)


スケジュール   (午前の部)    /  (午後の部)
 9:45~10:15/13:15~13:45 電気の説明、ビデオ上映
10:15~11:40/13:45~15:10 ロボット実演と太陽電池で
                        動く模型の製作
11:40~12:00/15:10~15:30 模型の試運転、まとめ


#ソーラーカーを作る予定です.
その他,ロボコンで全国大会準優勝の和歌山高専のロボットの実演もあります!
定員残りわずかです.希望する人はお早めに.


詳細とお申し込みはこちらから(電気学会のウェブページにジャンプします)






■オススメ第2弾!
「小・中学生のための見学会と手づくり教室 in Panasonic Center



日時 2011年08月02日 10時00分~ 12時45分
会場 パナソニックセンター 大阪
住所 大阪府大阪市中央区城見2丁目1番61号
(地図はパナソニックセンター大阪のホームページをご覧ください)
地図 Link http://panasonic.co.jp/center/osaka/access/index.html



対象 小学生(4年生~6年生)および中学生
(ただし、保護者と一緒に参加できる人に限ります)


人数 先着24名(保護者を含め48名)
参加費用 無料
スケジュール 10:00       集合(パナソニックセンター大阪 2階入口)
10:10~11:00 ショウルーム見学
11:00~12:00 手づくり乾電池教室
12:00~12:45 手づくりモータ教室


#パナソニック様のご協力で,乾電池とモータを手作りします.
パナソニックセンターも最新の家電が見学できて,オススメです!



>詳細とお申し込みはこちらから(電気学会のウェブページにジャンプします)


■オススメ第3弾!
電気学会関西支部 基礎技術講座
「小学校・中学校教員のための理科教室」



日時 2011年07月23日 13時30分~ 17時00分
会場 中央電気倶楽部  513号会議室
住所 〒530-0004 大阪市北区堂島浜2-1-25
地図 Link http://www.chuodenki-club.or.jp/


内容
1)永久磁石を使った面白実験
2)電磁誘導と何でもスピーカー 
3)超かんたんモーターからクリップモーター
会費 1,000円
定員 30名(定員になり次第、締め切らせていただきます)


#この企画は対象は大人の方です.
理科を教えていらっしゃる教員の方,
おもしろ理科実験のネタを探している方,
ぜひ参加してみませんか?







以上,オススメの教室でした.
(実は私,電気学会関西支部で委員を務めておりまして,
宣伝させていただきました...)

小中学生のうちから科学技術のリテラシーを

今回の原子力や放射能の問題,
そして再生可能エネルギーに関する話題などを
見ていると,科学技術に対するリテラシーが
低い人が多いのではないかと気になっている.

それは,原子力推進,反原発にかかわらず,
感情的に話を進めているのだけれど,
データの見方や論理的な考え方のスキルが
足りない人が多いような気がする.

それはあくまでもリテラシーというか,
考え方のイロハであって,
別に原子力や電力の難しい知識の有無は関係ない.
まずは,事実にそって考えるという基本的な技術が
足りないような気がする.

どうしてこんなことになってしまったのだろうか.

難しい単位(SvとかmSvとか)が出てきたらもう考えるのを止める,
あるいは少し科学的な話題になったら,
もう頭が働かなくなる,そんな人が多いようであったら
(ネット上を見ているとそんな人が少なからずいる)
それでは今のような状況においては,
どのように行動・判断したらよいのか,
わからないだろう.

どこかでそうした人たちはスポイルされてきたのである.

理科の知識などは中学校までで十分だと思う.
しかし,そこにまでも至っていない.
小中学校において,「理科嫌い」が形成され,
一生,理科とは縁なく過ごしたいと思う人が
作られてしまっているのではないだろうか.

最近の子供たちの「理科離れ」の原因は
そうした「理科嫌い」を増やしてしまう学校に
あるのではないかと思ってしまうのである.

まず,小学校の教員になる人に,どれだけ
理科が好きな人がいるのだろうか.
基本的に文系出身で,理科は苦手だった人が
多いのではないだろうか.
そうした人たちが理科を生徒に熱心に教えてくれて
いるのだろうか.
生徒というのは,先生のやる気を本当に良く
察するものだということは,この私も実感している.
理科が嫌いな先生が教える理科を,
生徒たちは一体好きになってくれるのだろうか.

次に,そうした教員の人たちの思想に
バイアスがかかっているのではないかと,
危惧している.
すなわち,科学技術への不信を必要以上に
強調して教えているのではないかと思うのである.
私の周りの子供たちに聞いても,科学は人を幸福にするとは
思っていないらしい.

確かに,科学技術には公害や今回の事故のように
負の面が存在し,時にゆきすぎた科学技術は人に
災いをもたらす.

しかし,それ以上に私たちは莫大な恩恵を科学技術から
受けていることを忘れている.
この20~30年間においても,どれだけ科学技術が
進展したおかげで,私たちが安全,安心に暮らすことが
できるようになったか,考えてみればすぐにわかる.
どれだけ多くの病気が治るようになったか.
どれだけ多くの情報に触れることができるようになったか.
そうした自分たちに都合の良い便利さは忘れて,
負の面ばかり強調する.

もちろん,負の面は限りなくなくすよう,
努力しつづけなければならない.
だが,科学技術を悪者にして,その解決手段を
敬遠するのであっては,これまでの人類の発展は
どういうことになるのか.

私が若い頃は,やはり科学技術への不信が
社会にずいぶん広がっていて,
科学技術を悪者にすることが,「知識人」の条件である
ような風潮があった.
社会の実情を知らずに教員になった人たちには,
そうした理想主義者が少なからずいるのではないだろうか.

最後に,教員の仕事が忙しくて手間のかかる理科教育に
まわす時間が少なくなっていることもあるのかもしれない.
子供たちがもっとも興味を示すのはやはり実験,実演だろう.
だが,それには準備が少なからず必要で,
現在のような学校の雑務の多さを考えると,
その準備に時間を割くことが難しいのだろうと想像する.
なんたって,大学の教員でさえ,雑務につぶされているのだから.

しかし,なんとか小中学校の先生には
ぜひとも頑張っていただいて,
理科好きな生徒を増やしていただきたいと思う.
また,そんなに理科好きでなくとも,
データの見方,科学的原理にそった考え方,
そうしたリテラシーをぜひ生徒たちに
身につけさせていただきたいと思う.

私は,まだ夢を見続けていて,
日本は今後も科学技術が核となって,
世界で活躍する国であって欲しいと思っている.
そうした国民の科学技術のリテラシーは
高いものでなければならないと思う.
なんとか,なんとか小中学校で頑張って欲しい.
残念ながら大学生では遅すぎるのである.

2011年6月29日水曜日

どんぶりくらい箸で食え

学食でのこと.
レジに並ぶと,先に男子学生が焼肉丼かなにかの
どんぶりメニューを持って並んでいた.

ふとみると,どんぶりの上にスプーンが.
箸ではない,スプーンが置いてあった.

トレイを見ても箸は見当たらない.
そう,この男子学生はどんぶり飯をスプーンで
食べるのである.

少しショック.
女子学生が,どんぶり飯をかき込むのが
恥ずかしいということで,スプーンを使うというのであれば,
まだ許す(私の偏見入ってます?).

しかし,大の男が,どんぶりをスプーンで食べるとは...
もうなんというか,悲しい.
彼は,箸で食べることに抵抗があるのだろう.
汚く見えるからだろうか?
それとも箸の使い方がうまくないから?
いずれの理由にしても,イヤだな.

もしも私の娘が彼氏を連れてきて,
そんなやつだったら,絶対に交際は認めないな.
あぁ,いやだ,いやだ.
やっぱり男ならどんぶり飯くらい豪快に食べて欲しい.
あるいは,美味しそうに,品よく(別におしとやかに,
というわけではないが)食べて欲しい.
これは,私の個人的な趣味なのだろうけれど.

2011年6月27日月曜日

遠のく関西復活の夢

連日,国内企業の海外移転の話題が
ニュースで取り上げられている.

電力不足を口実に,いままでなんとか
日本に留め置けていた企業が
一斉に海外シフトへ向かっている.

この状況は今回の電力不足だけが原因では
無いかもしれないが,きっかけになったことは
間違いないと思う.

海外シフトしていくのは,現在の経済の構造上
仕方がないのだ,というのは簡単だけど,
そこで雇用されている人たちの問題,
ひいては景気の後退について思うと,
悲しくなってしまう.
私は全然経済の専門家ではないけれど,
今回の企業移転が大きな影響を与えることくらいは
容易に想像がつく.

実は,今回の関東の電力不足の問題で,
密かに思っていたことがある.
関東,東北の電気料金が増加するだろうから
企業の海外へのシフトが始まるだろうとは思っていたけれど,
それでも国内工場への魅力をまだ持っている企業も
あるに違いない.
そうなれば,電力がそれなりの電力料金で潤沢に使用できる
関西エリアへの移転も進むだろうと思っていたのである.

やはり関西の景気はこれまであまり良くないようである.
それが今回のことをきっかけに,関西工業地帯が
復興するのではないかと思っていたのである.

しかし,関西電力も同様に15%の節電を
呼びかける状況に至っては,
この関西復活の夢は残念ながら大きく遠のいてしまったようだ.
関西にわざわざ移転してこようという企業はないだろう.

みんながこの道を選んだのであれば仕方がない.
しかし,学生や私の子供の将来を思うと,
ずいぶんと心が暗くなる.
若い世代は今後どのような世界を夢見るのだろうか.

2011年6月24日金曜日

脱原発・日独伊三国同盟

エネルギーは,経済的観点から決定されるのがよく,
政府等の介入はあまりよろしくないのではというのが,
私の考えなのだけれど,実際はそのようにならないらしい.

脱原発の方向性はいいけれど,
現在稼働している原発は使えるだけ使って,
それから止めればよく,
脱原発は20~30年のスパンで行えば進めていけば良いと
思うのだけれど,そうはならないかもしれないと思えてきた.
一時の感情によって決断を誤る拙速は避けたいものである.
(孫子には,「拙速はあっても,巧久はない」とあるけれど,
それは戦争についての話であって,
ここでは拙速はさけるべきだと思う)

もう少し,感情的な議論から離れて,
現実的な方向に,世論が向かわないかと思う.
世の中の人たちは,この夏の電気代の上昇に
納得したのだろうか?そしてこの夏の暑さにも?
一般人も企業も?

ちょっと今は感情的になりすぎているような気がする.
これは国民性なのかも.

まず,脱原発を打ち出したのはドイツであった.
次は,イタリア.
そして,日本というわけで,三国同盟を思い出す.
このように世論が感情的に大きく揺れ動く国民性というのは,
戦前から変わらないのかもしれない.

しかし,他国から安定な電力を購入できる
欧州とは日本は違う.
日本は,ひとつ間違えば停電が待っている.
経済の後退が目に見えている.
もっと現実的な方向に進んで欲しいと思う.

#まずは夏にエアコンを十分に動かしたい.
高層ビルなどは,個人の我慢でなんとかできる
暑さではなくなるのではないだろうか.

2011年6月23日木曜日

最近の電力関係の話題から

最近,私の考えをブログ記事にまとめるだけの
余裕が無いので,下記のとおり少しずつ書いておきます.
個別の話は,またあらためて書きたいと思います.

【復興住宅への太陽光発電】
復興住宅に優先的に設置するというニュースがあった.
太陽光発電が,集中的に大量に設置されると,
まずは配電線の電圧上昇を招くという問題が引き起こされる.
(もちろん,その後はもっと他の問題も大きくなるが)
解決策が示されていないと思うのだが(学会でも
研究発表がされている段階),一体どうするつもりなのだろう.
電力会社はそれを受け入れたのだろうか.
太陽光発電に投入するお金があったら,
もっと別の復興目的に使ったら良いと思うのだけれど...

【再生可能エネルギー全量買取り】
新エネ法が本当に可決されたら,メガソーラでもうけようと人と,
電機メーカ,施工業者などは,喜ぶだろう.
太陽光発電設備を導入できない人たちは
黙って電気料金の値上げを受け入れるしかない.
しかし,固定価格買取り制度が
本当に新エネ導入の解決策なのか,疑問に思う.

【太陽光発電による配電系統の電圧上昇と全量買取り制度】
太陽光発電が集中的に配電系統に導入されると,
その系統の電圧が上昇して問題をきたす.
したがって,戸別に導入された太陽光発電システムは
電圧がそれ以上上昇しないように,発電量を
抑制することになる.
そうすると,変電所からの距離や負荷の状況によって
他の家に比べて,太陽光発電の発電量を
抑制してばかりいる家が出てくる.
発電した電力を電力会社が買い取ることによって,
発電システムへの投資を回収するのだから,
この発電を抑制しがちな家にとっては,
この状況は大きな不利益である.
これをどう解決するのか?

【原発停止】
新エネはまだ代替にならないから,火力で頑張るしかない.
CO2削減目標の達成は難しくなるだろう.
燃料代が高くなるし,電気料金が高くなるのは避けられない.
そして何より電力の安定供給が確保されなければ,
企業は海外に逃げていくだろう(昨日も日本電産が海外に
シフトしていくというニュースがあった).
これからまた経済がシュリンクしていく.
これがみんなが望んだ結果なのかと思う.

【節電】
ピークは節電しないといけないと思うけれど,
総量はそんなに厳しくしなくてもいいのではないかと思う.
大学も節電に乗り出したけれど...

【送配電分離】
送配電分離によって,電気料金が安くなるというロジックがよくわからない.
ただでさえ,電力会社の送電部門は,電力の安定供給のために,
設備拡大の指向がある.
設備投資が加速していくときに,これを誰が止めるのだろうか?
そして,その投資はどこで回収されるのだろうか(もちろん,電気料金だけど)
発電所の計画とだれが,どのように整合性をとっていくのだろうか.

そして誰が発電部門に参入するのだろう?
工場などのIPPは参入するとしても,その発電量はたかがしれている.
例え彼らが安価な電力を供給できるとしても,それは一部に限られるだろう.
その他は,メガソーラだろうか?
そもそも日本の電力市場は,今の節電の状況でなくとも,
人口減少,そして景気の後退(これは今後加速しそうだけれど)によって,
どんどん縮小していくことが予想されている.
この市場に参入しようとする企業は誰なのだろう.
疑問に思う.

【電力の選択購入について】
もう原発はイヤ.
少しくらい高くても新エネルギーで発電された電力を使いたい,
という要望も理解できる.
それができたら理想的だ.

技術的には,同じ送配電線を使用する限り,
電力を区別することはたいへんに難しいが
(含まれている成分の割合はわかるだろうけれど),
別個の送配電線(自営線)を独立に
新エネルギーに割り当てれば可能となるだろう.
まぁ,送配電線設備は巨額のコストがかかるだろうし,
(したがって,発電,送配電ともにコストが高くなるので,
電気代はずいぶん高くなるだろう)
電力品質はずいぶんと悪くなるだろうけれど,
それを希望して購入するのだから問題ないと思う.

そうした電力にこだわる人は,
雇用先も新エネルギーで発電された電力を使って
いなければ,気が済まないはず.
だから,その雇用先の企業も,値段の高い電力を使用するので,
経営は苦しいだろうけれど,そうした企業の製品を選択して購入する
人たちによって支えられるだろう.

その他,インターネットも交通・運輸も切り離して
考えることになるだろう.
これらは相当量の電力を消費しているけれど,
彼らの電力も原発由来は許せないだろうから.

電力の発電由来を選択できる世界.
まさに理想郷である.


ということで,結構ブルーになっているのでした.