2011年2月28日月曜日

身体を動かせば,意識は異なるモードに変わる

土曜日,日曜日は久しぶりに
心理的にゆっくりと過ごせた.
金曜日には,稽古に行って十分
汗も流せたし.

身体を使うと,頭の働きが
異なるモードに入ることがわかる.
こうして机の前に座って仕事をしているときは,
身体の状態で,自分の意識や思考が変わるとは
思わないのだけれど,稽古のあとには,
やはり変わっていると感じる.
それは,あくまでも事後的にしかわからないのだけれど.

無意識のうちに,私の感情や思考は
身体の状況に影響を強く受けている.
やっぱり疲れているときや腹が空いているときは
不機嫌になり易いし,一方,睡眠時間も
たっぷりとって,食後をゆっくりと過ごしたあとは,
心もおおらかになる.

問題は,自分が今,身体の影響をどのように
受けているか,ということを認識しづらいことである.
自分が腹を立てても,その原因は目前にある
直接のものであるとしか認識できず,
それがお腹が空いているからだ,とは
なかなか認識できないのである.
(自分が怒りやすくなっていると気づいて,
それが空腹のせいだと思うことは最近多くなっているけど)

運動すると意識が違うモードになる.
これも,運動してからしか認識できない.
運動する前は,どのようなモードになるのかが
実感できない.
だから,それが運動のモチベーションとは
なりにくいのである.

しかし,それではいけない.
今週末そう思った.
やはり稽古は行うべきである.
心と身体を整える作用が着実に得られる.
稽古する前には,その効果を実感することは
できないのだけれど,とにかく行うことが大切である.

3月になる.
時間も少しずつ自分のものになっていくだろう.
心身を鍛え直そう.
そうすれば,新しい心の状態が得られるはずなのである.

2011年2月24日木曜日

その研究は,社会にどう貢献するのか

昨日の午後は,卒業研究の発表会があった.
20名程度の発表を聞く.
一昨日の修士のものと比べ,やはり
4年生は4年生である.
未熟なところが多い.

前にも書いたと思うけれど,
4年生は,自分の進めている研究が,
その分野で,あるいは社会で
どのような貢献をするものであるのか,
よくわかっていないことが多い.

どうしても,まだ先生から与えられた
課題をこなしている,という姿勢から
抜け出せていないのである.
それは小学生の頃から,勉強といえば,
与えられた問題を解くことを意味してきたのだから
仕方がない.

しかし,大学の研究は違う.
社会への何らかの貢献を目指して
(それがたとえわずかなものであるとしても)
行っている.
その意義を認識していることは
研究者として大切なことなのだと思う.

知識としては,単に研究の背景を
知っているか,どうかの問題に
過ぎないのかもしれないが,
それは研究者の姿勢としては大きな
違いなのである.

ぜひ自分の研究が何に役立つのか,
広い視野をもって認識し,
励んでいただきたいと思う.

#今日は少し偉そうなことを書きました...

2011年2月23日水曜日

車を運転するという有能感が暴力性を引き出す

私が短気なのはもとからなのだけれど,
運転中は,ついつい腹を立ててしまうことが多い.
とはいえ,私は危険運転はしない.
感情的になってもスピードを出したり,
ハンドルを急に切ったりすることはない.
いつもより慎重になるくらいである.
それが少し自慢である.

しかし,世の中には危険運転が多い.
運転マナーの悪い車が多い.
それに腹を立てるのである.

運転席の窓ガラスを開けて,
たばこの吸い殻を投げ捨てる車.
列に並んでいるのに,
平気で割り込んでくる車.
本当に腹が立つ.

腹が立つのは,そのマナーの悪さに
原因があるのだけれど,
そうした人たちが,車に乗っているときだけ
傍若無人の振る舞いをする,ということが
気に障るのである.

車に乗っていない場合に,
同様にどこかで人が立ち並んで
行列を作っている時,
彼(彼女)は,その行列に堂々と
割り込んでくるだろうか.

車を降りているときでも,
同様にマナー悪く振る舞うのであれば,
それはその人の性格だから,
仕方ないと思い,腹はあまり立たない.
しかし,車に乗っているときだけ
急にマナーが悪くなるような人間であったら,
もう,本当に腹が立つ.

ジャイアンが乱暴なのはもともとだから,
まぁ,腹の立ち方は少ないけれど,
スネオやのび太が,金や未来の道具を使って
乱暴に振る舞うのであれば,
腹が立つ,ということなのである.

車に乗ることによって,有能感を持ち,
それによって,いい気になって
傍若無人になる,という種類の人間が大嫌いなのだ.

しかし,こうした心の傾向は多くの人に
見られるものである.
合気道の稽古では,剣や杖を武器として用いるけれど,
木刀を腰に持っただけで,目つきや態度が怖くなる人がいる.
木刀を持つということが,彼に有能感を与え,
心の暴力性を引き出すのである.

ナイフを隠し持っている人は,
いわんをや,である.
(一時期,中高生のバタフライナイフの話題があったけれど)

ジャイアンタイプの人が決して許されるわけではないが,
そうした無法な行為がケンカにつながり,
自分が痛い目に遭う可能性があるという,
そのリスクをその人はある程度覚悟している.
しかし,マナーの悪い運転者は,そうしたリスクを
考えていない.
茨城県で無理な追い越しをした車を追い回し,
結局運転手を殺したという事件があった.
やはりリスクはあるのである.

周囲の人を怒らせば,それなりのリスクがあることを
マナーの悪い人は覚悟して行動しなければならない.
そのリスクを考えれば,そんなひどい運転は
しないはずなのだが...

私がそうした人たちが嫌いな理由は,
自分もそうなのだからなのだろう.
確かにマナーの悪い運転はしないけれど,
なにかによって有能感を得て,
暴力性が引き出される可能性は,
私にも十分すぎるほどあるのである.
そんな自分を嫌っているからこそ,
そうした人たちに私は腹を立てるのだ.

まぁ,つまりは修行が足りないということなのだけれど.

#過去にもこの話題を書いている...

2011年2月22日火曜日

親は無くとも子は育つ.先生も無くとも学生は育つ

とにかく忙しい.
昨日は修士論文の研究発表会があり,
22名の修士2年生の発表を,
ずっと聞いていた.

今日も月末ということで,仕事が山積.
おまけに,学生の卒論や,投稿論文の
下読みもあって,自分の時間が全然とれない.

明日は明日で,卒論発表会.
学部4年生の成果を聞くことになる.
本当に,この目の前の仕事をどうやって
こなしていくか,難問である...

しかし,修士2年の発表を聞いていると,
さすが,と思わせられることが多い.
もちろん,そうではない人もいるのだけれど,
概して,しっかりと発表をしている.
頼もしい限りである.

学部4年生で研究室に配属したときには,
本当にスキルが無い.
研究態度が甘い.
だいたい頭を抱えさせられる.

それがどうだろう.
3年も経てば,このように立派になるのだ.
こうして学生が育つだけでも,大学が社会に対して
大きな役割を果たしていると思う.

とはいうものの,自分が教員として
どれだけそれに貢献しているかは
はなはだ怪しい.
「親はなくとも子は育つ」とはよくいうけれど,
研究室の中で学生が成長していくのも,
そうした状況である.
もちろん研究の相談や論文の書き方などは
指導するけれど,研究者としての心構えなどは
彼らは自然に身につけているような気がする.
いつのまにか,研究の進め方の勘どころを
マスターしているのだ.
いつも私は彼らに小言を言っているけれど,
やっぱり彼らは才能があるということなのだろう.

今日も,研究室のOB二人が,
リクルートではあるけれど,訪問してくれた.
もうすっかり大人である.
あぁ,人は成長していくのだと
あらためて実感した.

思うのだけれど,私になんて恩を感じなくていい.
(本当に何もしていないし...)
勝手に自分で成長したのだと
思ってくれればいいと思う.
みんなが元気でやっているとの便りを聞くのが
一番嬉しい.

親と同じである.
子供に感謝を要求する親はいない.
学生に感謝を要求する教員もいないのだと思う.

2011年2月18日金曜日

大相撲は「プロレス的」である

大相撲の八百長問題が大変なことになっている.
大阪市も春場所の中止の影響で困っている.
大相撲ファンも悲しんでいるのだろう...か?

実際,大相撲ファンであるならば,
八百長が存在したことなど,ずいぶん前から
わかっていたはずなのではないかと思う.
ずいぶん前から雑誌で何度も取り上げられていたし,
星のやりとりなんて,統計を取ればわかることである.
(実際,どこかの本にそうした統計が載っていた)

しかし,私が言いたいのは,
そういう星のやりとりについてではなくて,
相撲は純粋な格闘技ではないのではないか,
ということである.
ある意味,プロレス的なところがあると
いいたいのである.

ここで「プロレス的」といっているのは,
ある程度勝負の筋書きが決まっているという,
現在問題になっている八百長ということではなくて,
ルールにはない,暗黙の了解のもと
試合をしている,という点である.

プロレスというのは,世界最強の格闘技を
標榜してはいるけれど,技術自体はショー的に
味付けされている.
相手の技を受けてあげたり,
うまくかかるようにしてあげたり,
そうした「あ,うん」の呼吸というか,
暗黙の了解のもと,試合がなされている.

では,もしも本当に実戦的な技を用いたら
どうなるだろうか.
まずは観ていて人気のでないショーになるに違いない.
一部の人にしか,レスラーがかけている技が
理解できないだろう.
また寝技が主体となって,マットの上で,
ずっと関節の取り合いが続くことになるかもしれない.
これでは,テレビ中継はされないだろう.

次に,レスラーに故障者が続発して,
興行が成り立たなくなるに違いない.
実は,実戦的なプロレスを目指した団体が,
UWFの解散のあと,存在した.
船木や鈴木が立ち上げたパンクラスである.
パンクラスの選手は,それまでのアンコ型の
レスラー体型ではなく,一流のアスリートの体格を
していた.
それは,パンクラスのマット上で行われる試合が,
純粋にスポーツ格闘技であることを示していた.
実力対実力のガチンコであることを信じさせてくれていた.

しかし,試合はときに凄惨なものになった.
リングがなってから,1分程度で試合が終わることもあった.
レスラーが飛びかかって,顔面への膝蹴りを
何発か入れて相手がダウンしたのである.

そうなのだ.
あんな体重が100kgを越えた人たちが,
鍛えた力とスピードで本気でやり合ったら,
勝負は一瞬でついてしまうだろうし,
まともに技を受けてしまったレスラーは壊れてしまうのである.

実際,パンクラスの興行は1ヶ月に一回だったと記憶しているが,
それでも選手は度重なるケガで,試合出場を断念することも
しばしばだった.
(そのたびに海外から選手を連れてくるのだけれど,
なかなかガチンコに応じてくれる選手は当時少なかった)
途中からルールが変わって,ヒールホールドが禁止になったり
したけれど,やっぱり選手のケガは大きな問題になっていた.

その他のプロレスだって,本気でやり合ったら
そうなってしまうのである.
それどころか,すぐに死人が出てしまうに違いない.
だから,そうならないように暗黙のルールが存在するのである.
そして間違ってケガをさせてしまうと,
それは本当に怨恨となって残っていくのである.

#ここで,プロレスラーが弱いといっているわけではないことを
あらためて言っておく.
強すぎるから,人間が壊れてしまうのである.

さて,大相撲の話題に戻る.
力士だって150kgを越える体重を持つアスリートなのだ.
毎日身体と技を鍛えている.
胸をあわせてからのマワシの攻防などは,
本当にすごい技術だと思うし,
限定されてはいるけれど,投げ技など,
芸術の域に達している力士もいる.

しかし,しかしである.
本当に相手を倒すだけならば,
もっと他の手があるのではないだろうか.
代表的なものは張り手である.
力士の張り手の破壊力は想像しただけでぞっとする.
これを顔面にもっていけば,必倒の技となるだろう.
旭道山なんて,わざと張り手をアゴに当てて,
脳震盪が起こるように必殺の技として使っていた.
たとえ大型力士であろうとも脳震盪は起こってしまうので,
KOされるのである.
しかし,張り手は邪道などといわれて
積極的に使うことはされていない.
プロレスと一緒で,もしも張り手で勝って,
相手に悪印象を与えたら,仕返しが怖いからである.
その他にも,サバオリなんて技も使われないし,
引き技で勝ったりすると,勝ち方が汚いなどと
いわれたりする.
このようにして,そうした技が封印され,
暗黙のルールが成立するのである.

力士が本気でやったら,
やっぱり人は壊れるでしょう...
そんなの誰も見たくないのである.

ということで,大相撲というのは,
やはりいくぶん「プロレス的」なのである.
暗黙の了解のもと,行われる格闘技なのである.
それは,力士が強すぎるのだから仕方がないのである.

2011年2月17日木曜日

シューベルト,即興曲集(内田光子)を真夜中に聴く

ピアニストの内田光子さんがグラミー賞を
受賞したそうである.
おめでたい話である.

受賞は,モーツァルトのピアノコンチェルト23,24番の録音.
クリーブランド管弦楽団との弾き振り(指揮者無しで,
ピアノ演奏者が指揮をする)とのことである.

私は内田さんの録音は,モーツァルトのピアノコンチェルト
(指揮はジェフリー・テイトで,イギリス室内管弦楽団の録音)と
シューベルトの即興曲集あたりしか持っていないけれど,
日本が世界に誇る演奏者であることは間違いないと思う.

それは,シューベルトの即興曲集の録音を聴いてもわかる.
私は,このCDを夜に聴くことが多い.
静まりかえった真夜中に,沈黙から始まる演奏.

ほんとうにそうなのだ.
このCDは,プレーヤーがタイムカウントを始めても
音が鳴り出さないのである.
思わず耳を澄ましてしまう.
そして,それが始まる.
ずっと続く緊張感.
それでいて甘い匂いのようなものが,
部屋の中に広がっていく.
これがたまらなくて,私はこのCDをひっそりと
夜に聴くのである.

内田さんは,「シューベルトには死の匂いがする」などと
どこかで語っていたように記憶しているけれど,
それが甘い匂いの中に感じられる演奏なのである.
(アファナシエフの演奏(後期ピアノソナタ3曲の録音)で
感じられる絶望感とは違う)

ただ気軽に聴ける音楽ではない.
内田さんの演奏にはどこか生死がかかっているような
印象をうける.
それでいて切迫したものはあまり感じられず,
音楽としての美しさも失われていないのだけれど,
緊張をもって聴かなければならない音楽だし,
聴き終わった後に,単なる爽快感だけでは終わらない,
長い思索から抜け出したような,そんな気分になるのだ.
音楽を通じてなにかが確かに伝わる.
そんな希有な演奏家であることは間違いないと思う.

実は,ずっと彼女の録音した
シューベルトの最後のピアノソナタ(19, 20, 21番,2枚)が欲しくて
たまらないのだけれど,財政事情で我慢している(涙).
あぁ...いつになったら購入できるのだろうか.

#もうひとつ,高橋アキの同じソナタの録音CDも
欲しいんだよなぁ...

#リヒテルの20番の録音てやっぱり無いのかな...

2011年2月16日水曜日

君は身体を鍛えなさい.なぜなら君はレスラーだからだ.

カール・ゴッチといえば,私たちの世代にとっては,
「プロレスの神様」である.
私のようにプロレスに興味がなかったものでさえ,
その存在の大きさを知っている.
彼が猪木やUWFを中心としたレスラーを通じて
日本のプロレス界に与えた影響は
計り知れないほど大きい.

とはいえ,現在の若者で彼を知っているものは
少ないだろうと思うけれど.
マンガ「修羅の門」で,フランク・クラウザーのモデルとして
少し知られているかもしれないが...
(「修羅の門」だって,最近連載が再開されたけど,
もう10年以上も前のマンガなんだし)

彼は,いわゆる「蛇の穴」の出身で
(有名なプロレス道場.タイガーマスクの
出身が「虎の穴」というのはここに由来)
キャッチ・アズ・キャッチ・キャンというスタイルの
レスリング(関節技が多様)を行っていた.
プロレス界におけるジャーマンスープレックスホールドの
創始者といわれている.
(技自体は,ベリー・トゥ・バックのスープレックスとして
昔からある)

彼は格闘技としてのプロレスを追究していたようで,
24時間,どうやったら人を素手で殺せるかをずっと
考え続けていたといわれている.

彼には名言・金言が多いのだけれど,
私が大好きなのは次の言葉である.
これは,彼の弟子の一人である藤原喜明の
関節技の本(昔はそういう本も買っていた)に
紹介されていたものである.
(ちょっと詳細は忘れているのだけれど)

「大工はノミを磨き,石屋はハンマーを磨く.
君は身体を鍛えなさい.なぜなら君はレスラーだからだ」

専門家たるもの,仕事のためのツール,技術を
磨くことは最低限のことである.
しかし,ともするとそれを忘れてしまうことも多い.
私の仕事にとって,そのツール・武器とはなになのか.
そう考えれば,自ずとなにをすべきかが見えてくる.




#おまけの話をいくつか.

ゴッチは,格闘技にはチェスプレイヤーのような頭脳が
必要だと言っている.
それだけの頭脳を使って,格闘技を行っているものが
どれだけいるのだろうか...

ゴッチは,靴ひもを20分かけて結んでいたと言われる.
靴ひもの重要性を考えれば,それだけの時間を
かけても惜しくはないということだろう.
では,私はなにに時間をかけるべきか.

2011年2月15日火曜日

雪道の歩き方

昨日は,出張に行った多治見も
ひどい雪だったけれど,
東京も相当積もったらしい.
夜中1時のNHKニュースを見ても,
まだJRの運行について話していた.
今日のニュースでは,やはり何人かの
人たちがすべって転んでけがをされたらしい.
お気の毒である.

私は一応新潟雪国出身と言うことで,
新潟に住んでいた当時は,
東京はなぜ5cm程度の積雪で,
大騒ぎするのだろうと思っていた.

東京の大学に行って,その理由がわかった.
そもそも雪が降ることが想定外なのだ.
だから全然準備ができていない.
心理的にも装備的にも.
だから仕方がないのだとようやく
わかったのである.
以下に,少しだけ雪道を歩くコツをご紹介.
(当たり前のことですが)

(1) パターンがあるソールの靴を履く

まずはなにはともあれ,靴を選ぶことである.
雪が降るのであれば,
底がツルツルの(すなわちパターンが
入っていない)革靴を履くというのは
あまりにも無謀なのである.
滑るのは当たり前.
コントロールが効かないから
スケート靴よりたちが悪いことになる.

女性はその上,ヒールなんて
履いたりしているから,
とても雪耐性が低い.
スカートで転んだりしたら,
目も当てられない.
そもそもスニーカー以外に
ソールにパターンがある女性用の靴は
あるのだろうか...

(2)足の親指(第1指)の先に意識を
集中して歩く

昨晩,出張から大学に帰る途中,
北千里の駅からの長い坂でも
シャーベット状の雪がずいぶん残っていて,
それで,足を取られている人を
結構多くみた.
スニーカーのような靴を履いていてもである.
こうした人たちは歩き方が悪い.

だいたいのところ,姿勢が後傾している.
重心が後ろに寄っていると,
足を前に投げ出すように歩き,
見た目もずいぶん悪いけれど,
バランスもずいぶん悪いことになる.
少し足が滑ると後ろにつるりと
おしりをつくことになってしまう.
女性はヒールを履くと,そうしたことは
少なくなるのだけれど,雪の日にスニーカーを
履くとすぐに歩き方が汚くなる.
男性は特にひどい.
柔道部でもあるまいし,がにまたで
後傾して歩く人が本当に多い.
これは,雪が降っていなくてもやめた方がいい
歩き方である.

足の親指の先を意識して歩くことで,
前傾気味になるだけでなく,
身体のバランスが良くなるはずである.
これは合気道での姿勢の基本なのである.
ぜひオススメしたいのである.

(3) 後ろに足を蹴り出さない

またよく見かけるのがズボンの後ろの裾に
泥が跳ね上がっている人である.
これは,歩くときに足を陸上競技のように使って,
足首を反して後ろに蹴り出して歩いている
証拠である.
これでは転びやすいのも仕方がない.
後ろ足で蹴り出したときに後方に足が滑りやすくなる.
これは学校の体育教育の悪影響かと思う.
普通に歩けば,後ろへの蹴り出しは
ほどほどになるはずである.
私が雪の上を歩くときには,後ろ足の
すべり具合を感じながら後ろに蹴り出さずに
歩いている.これはそんなに難しいことではなく,
前に重心が倒れるように歩けばそれができる.
そのようにすれば,足跡は靴のあとが
くっきりと残るようになって,滑らずに歩けることになる.

(4)ポケットから手を出して歩く

あとは,寒いからといって,
ポケットに手を入れて歩かないことである.
これは,非常にバランスがとれなくなって
転びやすくなるだけでなく,転んだときに
手で自分をかばうことができない.
手袋をすればいいことなのだけれど,
それをいやがる人が多いということなのだろう.

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その他にも轍を歩くとか,足の抜き方を
垂直に持ち上げるようにするとか,
もっと雪が積もった場合のノウハウもあるのだけれど,
これは関西では使うことがないだろう.

小学校時代は,長岡に住んでいたので,
ミニスキー(懐かしいなぁ)を履いて
遊び回っていたので,滑る,滑らないの
コントロールは,少しは身についていると思っている.
(学校にミニスキーで行くのが夢だったなぁ.
もちろん禁止されていたけれど)

自動車の運転でも,危険運転を見かけた.
路面が凍結していなくても,シャーベット状の
雪は非常にすべりやすい.
それなのに,高いスピードでカーブに入って,
カーブ途中でブレーキを踏んでいる車を
何台か見かけた.
少し間違えばスリップする.
スタッドレスでも油断はできない.
巻き込まれたくないものだと,
昨晩つくづく思った...

とにかく雪が降ったら自己防衛第一に
振る舞うべきである.
できれば外に出ないのが一番.
こたつでみかんか,鍋が吉かと.

2011年2月14日月曜日

ヴァンアレン帯チョコレート

今日はバレンタインデーだった.
家庭と職場でお気遣いのチョコレートをいただいた.
どうも有難うございます.
美味しくいただかせていただきます.

さて,先週,ヴァンアレン帯 チョコ と
オヤジギャクを吐いたのだが,
「ヴァンアレン帯」をわかってもらえず,
がっかりした.

「バンアレン帯チョコレートなw」と
江口寿史氏がTwitterでつぶやいていた.
(これはすごいことなのだ!)
このギャグも,歴史の波に消えゆく運命か.

あぁ,昭和は遠くなりにけり.
「すすめ!!パイレーツ」も遠くなりにけり.
(パイレーツといっても,女の子二人組じゃないよ)

病の三連休,そして核融合科学研究所出張

三連休は体調が悪く,家でずっと寝ていた.
息子も熱を出すし,うちの奥さんもずっと
頭痛がひどく,家族としては散々な連休だった.

私も10日くらい前から続く頭痛がひどく,
ぐったりとしていた.
この頭痛は後頭部から頸部にかけての
スジが痛むようなもので,肩胛骨のスジまで
関連して痛んだ.
首も右を向くことができないくらいだった.

しかし,この連休,ずっと静かにしていられたおかげで,
ずいぶんと楽になった.
首もなんとか回るようになった(借金の話ではない).
ただ相変わらず肩こりはひどい.
これは,やっぱり疲れと風邪から来ているようだ.

胃痛もひどく,突き刺すような痛みが
繰り返し訪れて,食後は動けなくなることが
しばしばだった.
それもなんとか今はひいた.

ということで,今日は岐阜 土岐市にある
核融合科学研究所を伊瀬先生とともに訪れた.
といっても,降りる駅はJR中央線の多治見で,
市をまたいで,研究所に行くことになる.

研究所には,私の大学時代の先輩である
C先生がいらっしゃって,今日も
いろいろとお話しさせていただいた.
C先生は,大学時代と変わらない.
だからついついこちらも
昔の気分になってしまう.
こうした関係を続けていただいているのには,
本当に感謝したい.

打ち合わせも終わって,研究所の玄関で
帰りのバスを待っていると,「あれ」という
聞き覚えのある声がする.
振り返ると,前の職場で大変にお世話になった
Kさんがいた.
研究関係で,滞在されているらしい.
眼鏡がかっこいい.
いやぁ,できる人風で(実際,できる人なのだけれど),
いいなぁ.
こうやって,ゆかりのある人と会えるなんて,
今日はとても幸せな気分で出張を終えたのである.

帰りは大雪の中,新幹線も遅れて大変だったけれど,
いろいろな人たちに会えて,気分は上々であった.
こうした職場にいられることを幸せに思う.


2011年2月10日木曜日

宗教の果たす役割:エクソシスト急募,島村菜津

先日紹介した「エクソシストとの対話の作者が再び
エクソシストについて書いた本が昨年夏に
出版されたことを知り,早速読んでみた.

エクソシスト急募」,島村菜津

イタリアで急増するエクソシストと
その背景について取材をもとにまとめた
ノンフィクションレポートである.

幾分かは前作と内容が重複しているが,
前作が書かれた1998年から本作の2010年までの
社会情勢の変化もわかって興味深い.

やはり今回もカソリックだけではなく,
心理学者とのインタビューや
悪魔崇拝(サタニズム)とされる宗教の
代表者とのインタビューも収録されている.

結局のところ,現代はどの国でも,
うつ病などの精神疾患が増加しているが,
差別が起こりうるとして精神病院を廃止しつつある(!)
イタリアでは,精神疾患と判断されるよりも
「悪魔憑き」としてエクソシストに救いを求める人が
多いということらしい.
「悪魔憑き」というのは,長い宗教史において
文化的に認められる現象であり,
「悪魔憑き」された人間は,試練という意味で
宗教的に特別な人間になることでもある.
そうした背景が,エクソシストがとても足りない,という
状況を生み出しているらしい.

著者も感服しているという最大のエクソシストであった
カンディド神父の,

「その人の心が癒えることが,
むしろ病の癒しよりも重要なのだ」

という言葉が,エクソシズムの役割を示している.
心理的な癒しを与える意味で,伝統に則った
エクソシズムは,安心できるに違いないのである.

ところで,著者による心理学者のインタビューにおいて,
心理学者が,「悪魔憑き」において患者の示す
特異な能力(習ったことも無い言語を完璧に理解する,
身体に聖痕や文字が浮き上がる,
感覚が異常に鋭くなるなど)は,科学的に
実証できるものが多い,と話しているのだけれど,
その中で,「ポルターガイストだって,思春期の
女性の周辺で良く起こる」みたいなことを言っている.

いやいや,「ポルターガイスト」現象は,
科学的には実証できてないって,と思わず
突っ込みを入れたくなった.
もしそんな現象が科学的に証明できたりしたら,
この世の中のパラダイムが変わってしまうだろう.

とはいえ,この「エクソシスト急募」も,
大変面白く,人に自信をもってオススメできる佳作である.
(新書ということで,あっという間に読めるし)
誰か日本で「狐憑き」について,
調査報告してくれないかなぁ.


#「エクソシストとの対話」は大変な力作で
オススメなのだけれど,どうも現在絶版らしいことを知った

2011年2月9日水曜日

この世界に確かなことがある.歴史が教えてくれた...人は殺せる,ということだ

今朝,ラジオからニーノ・ロータの
「ゴッドファーザー 愛のテーマ」が流れてきて,
それを耳にして以来,
今日は朝から,気分(だけ)はドン・コルレオーネである.
(アル・パチーノのマイケルではなく,
ロバート・デ・ニーロのヴィト・コルレオーネでもなく,
やっぱりマーロン・ブランドのドン・コルレオーネなのだけれど)

最近,「ゴッドファーザー」シリーズを観ていないことに
気づいて,無性に観たくなる.
(実は,PART IIIは一度も観たことがないのだし)
コッポラ(もちろんお父さんの方)は,このシリーズを
監督しただけでも映画史に名を残す価値がある.

ゴッドファーザーシリーズは人生がBitterであることを
表現した実に傑作シリーズで(PART I&II),
それを実感させる名セリフが
あちらこちらに宝石のように散りばめられている.

しかし,今日思い出したのは,
もっと殺伐としたこのマイケルのこのセリフ
(PART IIだったかな)

「この世界に確かなことがある.
歴史が教えてくれた.
...人は殺せる,ということだ」


"If anything in this life is certain
- if history has taught us anything
- it's that you can kill anybody."

(ウェブでこのセリフの原文をさがしてみた.
ちょっと日本語とニュアンスが違う)

このセリフは,岡田准一主演の
ドラマ「SP」の中でも出てきたので,
覚えている人もいるかもしれない.

なんという非情な言葉だろう.
映画の殺伐とした雰囲気が良く出ている.
マイケルはあんなに優しそうな若者だったのに,
映画の最後には,悲痛な顔をした
組織のボスになっている.
大きな格を感じさせたドン・コルレオーネとの
時代の違いを感じさせる.
う~む,そう感じるさせるだけでも
この映画が名作であることを証明しているなぁ.

私が憧れるのは,やはり
悲しみを背負ったマイケルではなく,
人のあたたかみさえ感じさせるドン・ヴィト・コルレオーネなのだ.

あぁ,ゴッドファーザーが観たい...
頭の中に愛のテーマが鳴り響いている.

2011年2月8日火曜日

就職のセンター試験を設けたらいいのに

昨日の就職試験の話の続き.

ふと考えてみたのだけれど,
センター試験のようなものを
就職活動にも設けたらどうだろう.

企業の出資を集めて
(あるいはリクルートみたいな会社が)
センター試験のように一斉に
試験を受けるのである.
その学力試験結果を持って,
各社を受ければ良いのではないかと思う.

もちろん,学力だけでは測れない人材が
欲しいという企業も多いことだろう.
そういった企業は現在の大学のように
AO入試,一芸入学などを行えば良い.

いずれにしろ,実力がない学生をふるい落とすのに
やっぱり試験が一番効率が良いのではないだろうか.

ただ受験科目はかなり広範囲にわたるだろう.
学生は,希望する企業が求める科目を選択し受験する.
そしてその結果を持って,就職試験に臨むのである.
一般常識という科目があったっていいし,
もちろん,法学,経済学といった科目があってもいい.
大学でどれだけそうした専門科目を勉強したかが
わかるような試験が必要なのだ.

もちろん,バラエティに富んだ人材が欲しいというのが
企業だろうから,試験を考慮しなくても
それは企業ポリシーにあった学生を採用すれば良い.
学生だけに限らない.
企業は実力のある人材が欲しいのであれば,
新卒にこだわらずに,その試験結果で判断できるのである.

これは夢のような話だけれど,
現在の就職試験のしくみよりはマシかと思う.
学生たちもより勉強するだろうし.
そんなふうに産業界も動いてみたらよいのに,と思うのである.

2011年2月7日月曜日

就職試験で学力を測るためには

学生のみなさんはテスト期間である.
みなさん,単位取得のために一生懸命
テスト勉強をしているものと思う.

でも,ほんとだったら,私だってテストをやりたくない.
テストを作るのも,採点するのも,
かなり大変なのだから.

しかし,他に良い実力の測り方がないのである.
こればかりは面接で,という訳にもいかない.
多人数の能力を,効率よく短時間で測定するのには
やはりテストが一番よいのだ.いまのところ.

学力の試験はそれでいい.
しかし,就職試験はどうだろう?
現在は,学力試験と違って面接が重視されているようだ.
本当にそれで実力を測ることができるだろうか?
それでできるのは,面接試験の短時間だけ
うまく振る舞えるように,練習をしたかどうか,
だけではないだろうか.
(まぁ,ある程度コミュニケーション能力は
測ることができるかもしれないけれど)

本当に学力試験を行えば良いのに,と思う.
それは一般常識とかではなくて,
本当に専門科目のテストを.
仕事の現場が要求する知識を問う問題を.
人事にそのためのテストを作成する能力がないのであれば,
本来人を選別することなど,難しいのではないだろうか.

結局他に手段がなければ,人の学力を測るのは,
「学歴」ということになる.
これは,テストをするよりも,まだ悪いような気がする.
(まぁ,研究系だと,どの研究室出身か,ということは
重要視されたりするのだけれど)
しかし,現状,就職活動では,それが効率の良い
選別方法なのだろう,とも思う.

聞くところによれば,ある企業へのエントリは
インターネットのおかげで,優に5000を越えるという.
(そりゃそうだ.学生ひとりひとりが50社を越える企業に
エントリするというのだから)
そのうえ,エントリシートの内容や面接試験の回答は,
このインターネットのおかげで情報が共有化され,
均質化していることは間違いない.
だれも同じような回答,同じようなレベルなのだ.
差がつかない.
人事の人は,人を選ぶのに,
結局「学歴」しか頼るものがないのだろう.

学生の立場に立ってみれば,
「学歴」で勝負できなければ,学歴の他に,
自分の実力を客観的に示せるものを
身につけなければならない.
資格とか,TOEICとか.
(TOEICが高得点でも,会話ができないと困るのだけれど)

学生がいくら学歴重視反対といっても,
それに対抗するなにかを示さなければ,
結局大学時代遊んできたとしか
思われないのだろう.
(大学1年からしっかりと展望を持って
資格をとるなどする努力が求められている)

厳しいなぁ.
情報の共有によって,誰もが同じレベルの回答をする中で,
優秀な人材を選ばなければならない.
人事はそれはそれで不幸なのだとは思うのだけれど,
今の状況は,なんとかならないかと思う.
学生も企業も不幸で,誰も喜ばないのである.
(喜ぶのは就職斡旋業者ばかり)

打開策として,本気で企業も
独自の学力試験を実際に行ってみたらよいと
思うのだけれど...

2011年2月4日金曜日

SiC素子はSi-IGBTの天下を覆せるか

本日は,産総研の岩室様より,
Si-IGBTやSiC素子開発に関するご講演を
GCOEの活動の一環として,いただいた.

Si-IGBTがなぜここまで隆盛を誇っているのか,
その理由を,エポックメイキングな
IGBTの技術開発成果を交えながら
まずご紹介いただき,その後,
なぜ今,SiC素子なのか,
それをお話いただいた.

非常に面白かった.
岩室様の軽妙な語り口によって,
2時間にも達する講演時間が
実に短く感じられた.

講演を聴いて面白かったのは,
IGBTにユーザが飽き始めているのかも
しれないということ.
IGBTが市場に登場したのは1985年のこと.
東芝が世界に先駆けて製品化した.
その後25年が経ったが,Si-IGBTの
次の素子は未だ立ち上がってきていない.
しかし,Si素子の性能もそろそろ
物性値から制約される限界に達し始めている.
だから,SiC素子やGaN素子に期待する,
というのはわかるのだけれど,
25年もSi-IGBTを使ってきたので,次の素子を使いたい,
すなわち,単にユーザがSi-IGBTに飽きてきたのも,
SiC素子を期待する理由として十分成り立つ,
というところが興味深かった.

私が大学の研究室に所属した頃,
大学でもIGBTが使用されるようになっていて
(1989年頃だから,2nd Generationの頃だろう)
モールドされた大きな黒いブロックが
半導体素子だと聞かされて,
トランジスタやオペアンプしか見たことがなかった
私はずいぶんと奇妙に思ったものである.

その後,後輩がそのIGBTを用いて,
電流形の変換器を製作したのだけれど,
しばしば素子が破損していたのを思い出す.
あの頃,まだまだIGBTは壊れやすかったのだ.
当然,スナバもつけていたのだけれど.

その状況は,私が日本原子力研究所で
やはり電流形変換器を研究していた頃も
あまり変わっておらず,
試験をしているとIGBTが火を噴いて,
大きな音とともに回路が壊れるということも
何回か経験した.

それに比べると,現在大学で使用している
IGBTから素子は,ずいぶんと小さくなったし,
そしてなにより壊れなくなっている.
(とはいえ,ずいぶんと壊すのだけれど)
今日のご講演でもいわれていたのだけれど,
パワー素子は壊れないことが一番大切なのだ.

SiC素子が市場に登場するのも
もう間近である.
しかし,SiC素子はスイッチングが高速すぎて
過電圧が発生し,また寄生容量と通して
サージ電流が大きく流れてしまい,
破損にいたることが少なくないという.

昔のSi-IGBTと同じ状況だ.
SiC素子がいつかSi-IGBTの天下を覆すことが
できるだろうか.
300年続いた徳川の世を終わらせた
坂本竜馬のように,
25年続くこのSi-IGBT天下を
終わらせることができるだろうか.

早く新しい世の中を見てみたいものである.

2011年2月3日木曜日

節分,方相氏

今日が節分であることを,今朝知る.
関西に来て,豆まきとともに恵方巻の習慣も
ずいぶんと身近になった
(とはいえ,恵方巻も今は全国区らしいけれど)

節分の日に,豆まきを行う神社や寺社は
多いけれど,追儺式を行うところもある.
この追儺式といえば,方相氏.
岡野玲子の漫画「陰陽師」にも出てくるから,
ご存じの人も多いだろうけれど(って,知らない?),
四つ目の異形の神(?)である.

四つ目の姿は,鬼にしか見えないのだけれど,
この方相氏が四方の悪鬼,厄災を祓ってくれる
ことになっている.
どうも後年は,その見た目の悪さから
方相氏自身が鬼として払われるところもあるらしいけれど,
平安神宮の方相氏の面などを見ると,なかなかどうして,
意外に愛らしくて,人気が出そうなものである.
もう少し知名度が上がればいいのに,と
思って今日は紹介した.
(やっぱり知らない人が多いのだし(笑))

しかし,追儺式は新しい年を迎えるにあたっての
厄祓いなので,大晦日に行うのでは...と思うけれど,
節分は古来新年を迎えることを意味するから,
この日に行われるのだろう.

平安時代,鬼は厄災をもたらすものであったから,
こうした具体的な儀式によって
少しでも心の安らぎや希望が持てることが
大切だったのだろうと思う.

新年を迎え,厄災が払われるよう,
「鬼は外,福は内」と深夜にひっそり
やってみようか.
方相氏のお面をかぶって.

#滋賀県の近江神宮の方相氏の面は6つ目であるそうな.
そういえば,追儺式はお寺でもやっている.
神事ではないのかな.

2011年2月2日水曜日

別世界の人

この世の中には,すごく不思議な雰囲気を
まとっている人がいて,
一緒にいても,今この時間にその場所に
この人はいないのではないか,と感じてしまうことがある.

心ここにあらず,という悪い意味で
そういうことを感じる人もいるけれど,
そうではなくて,この浮世とは別の時間を
過ごしているのではないかと
思える人がいるのである.

オーラと呼ばれるものともちょっと違う.
一段階上の世界の住人と感じさせる
格の高さを持っているのである.

そうした一流の人を何人か見たことがある.
なにが違うというのだろうか.
その人の佇まいは,明らかに凡人とは異なっている.

そんな人になりたい,などと
たいそうな考えは持っていない.
しかし,なにが違うのか,それが知りたいと
ずっと思っているのである.

2011年2月1日火曜日

エクソシスト,憑き物落とし

今日もまたエクソシズムの話.

日本にも,「狐憑き」,「犬憑き」という話があって,
それを祓うということを行う人がいる.

日本の古武道にも,そのようなことを
行う流派があって,
たとえば,
(...と言おうとして,
いろいろと問題があるかもしれないと
思い直して,日本でも最も古い武道の
流派のひとつということにしておく)
ある流派の方のインタビューが
雑誌に掲載されていたのを覚えている.

その人は,先輩からその役目を
引き継いで,「祓いもの」をしていた.
武術なので,印を結んだり,
居合を抜いたりすることによって,
憑き物をを落とすのだという.

あるとき,女の子に狐が憑いた.
それで呼ばれて祓いにいったのだけれど,
なんと全然歯が立たず撤退.

その人は,自分のこれまでの
修行は何だったのかと反省し,
先輩にも聞きに行き,
たばこもやめ,
滝行もし,伝書を開いて,
再び憑き物落としに向かった.

その日は,いつもの刀ではなく,
特別な刀を携えていったのだという.
そして,その女の子に対峙した瞬間,
「今日はこの前より長いやつを持ってきたな」と
言われたのだという.
素人が一般に刀の長さを
ぱっと見で把握することは難しい.
だからこそ,その人は
背筋がぞっとしたのだという.

しかし,最終的には
憑き物を落とすことに成功したということである.

私はこのインタビューを読んで
そんなものかな,と
あまり不思議に思わなかった.
武術というのは,当時は
最新の技術と知識の統合であり,
戦う術だけでなく,土木や医療,
まじない,などを当然含むものであった.

有名な剣術のひとつであるY流を
修行している先輩が,私の後輩が
けがをしたときには,
すかさず印を結んで痛み止めを
施すのを見たこともある.
武術とはそうしたものなのだろう.

昨日紹介した著名なエクソシストで
あったカンディド神父も
儀式の際に怖いと思ったことが
一度あったのだという.
儀式によって,机がひとりでに動こうが,
明かりが消えようが,怖いとは
思わなかったらしいけれど,
心の中に浮かんだ言葉を
ずばり当てられてしまったときに
恐怖を感じたのだという.
先の話の刀の長さを見極めた話といい,
そうした状況にある人は,
感覚が異常に鋭くなるのかもしれない.
そんなことを思う.

私はそうしたことに
あわないで一生を終えることが
できたらと思っているのだけれど.