2011年3月19日土曜日

正しい知識に基づいて,分別のある行動をとろう

本日出勤してきている.
土曜の夕方は生協の食堂もお休みなので,
学外のレストランに夕食を食べに行った.
帰りにスーパーによると

「東北大震災のため,
節電をしております.
ご理解をよろしくお願いいたします」

との張り紙が.
(言葉は少し違っていたかもしれませんが)

だから,関西で節電をいくらしたって,
ある電力以上は関東に送れないのだって.
テレビやラジオ,インターネットでこれだけ
アナウンスされていても,このような誤解が
平気でまかりとおっている.
悪影響のある善意である.

私の家の近くのスーパーでも,
乾電池や水などが大変品薄なのだという.
これだけ買い占めはやめよう,とか
関西の方では十分に商品がある,とか
政府をはじめ,アナウンスされているにも
関わらず,感情的になってそうした行動に
出る人がいる.

私はそうした感情的な行動が嫌いなのである.
日本ではそうした感情的な行動が,
ときに許されている雰囲気がある.
しかし,私はそうした行動は恥だと思っている.

だから感情的な議論というのにも
全くつきあいたくないと思っている.
感情的になることと,建設的な議論が
できるかどうかは全く別物である.
むしろ悪い影響を与えることがほとんどである.

私は話し合いをしていて,
相手が感情的になると,本当に嫌になる.
時間の無駄になるから,さっさと
話を切り上げて,その場から立ち去りたくなる.
感情的になるのは,単にその人が
腹を立てて,そのはけ口を求めているに過ぎない.
そんな「ガス抜き」につきあうのは,
まっぴらごめんなのである.

しかし,日本の文化というのは,
そうした無駄に感情的になるのも
許しているところがある.
(もちろん,私は感情を否定しているのではない.
感情は優先されるべきときもあるが,
それによって,建設的な議論ができなくなるのが
耐えられないと言っているのである)

しかし,もうそろそろ私たちも大人に
なるべきときではないか.
感情と議論は別物として取り扱い,
いかに建設的な結論を導き出すかということを
考えるべきではないかと思う.

実は,このことは今後の原発の議論についての
危惧である.
今回の事故が収束したのち,当然
今後の我が国の原子力行政について議論が
されることになるだろう.
そこで出てくるのが,これまでも繰り返されてきた,
感情的な議論である.
(議論と呼ぶにも値しない一方的な主張といった
方が正しいような気がするが)
リスクという概念を用いた冷静な議論が
いつも押しつぶされる.
安全,ということを主張するならば,
リスクという尺度をよく考えるべきである.
もちろん,安心が大切,という意見もよくわかる.
しかし,冷静に,定量的な検討が,
今後のエネルギー政策に必要なのだ.

日本人は,先に挙げたように,
感情的な行動にでることが多いような気がする.
もうそろそろ大人になるべき時なのだ.
私が憎むのは,「無知・無分別」である.
正しい知識に基づいて,分別のある行動を
とりたいと思う.
(私も全然できていないのだけれど)
大変な今の時期だからこそ.

#冒頭のスーパーは,単に今回の状況に
便乗して節電し,光熱費を浮かしたい
だけなのかもしれない

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