2011年4月28日木曜日

ステキな加速度付き金縛り

私はオカルトの話が大好きなのだけれど,
残念なことに(幸いなことに?)そうした事象に
遭遇したことがない.
(気がつかないだけなのかもしれないが)

それでも「金縛り」は,たまに体験することがある.
それは睡眠中に起こる.
大抵は,息ができなくなってて苦しくなり,
それで意識が覚醒したように感じる.
呼吸をなんとかしようとするのだけれど,
身体が言うことをきかない.
胸が動かない.
このときには,自分が金縛りに遭っていると
認識している.

窒息状態が続いてどんどん我慢ができなくなると,
結構つらくて,このまま死ぬのかなとふと思ったりもする.
そして,意識がふっと消えて,
次の瞬間,目が覚める.
そんな風に金縛りが解ける.
動悸はしばらくおさまらないが,
心身の緊張は一気に緩和して,
なんとか生きていることに感謝する.
そして,意識と身体がクールダウンしたあとに
また眠りにつくのだ.
だいたいこんな感じの繰り返しである.

たぶんこの場合の金縛りは
よく言われるとおり,
意識と身体の覚醒の度合いが違うことに起因していて,
そのズレから一種のパニック状態に陥っているのだと思う.
だから,疲労がたまっているとき,
あるいは寝過ぎのとき(笑)に,
金縛りが起こりやすいのも納得できる.

しかし,先日はこれまでに経験したことのない
金縛り(?)にかかった.
やはり布団の中であおむけになって眠っていたときに
それは起こったのだけれど,
夢かうつつか,自分の身体が右の側面全体から
力を受け,水平方向に押されたのである.

誰かの手で押されたという感覚ではなく,
右側に突然壁ができて,その壁が自分の方に
スライドしてきた感じ.

あまりのリアルさに,これは絶対身体が布団ごと
50cm程度移動したと思った.
当然,目が覚めて周囲を見回す.
私は電灯をすべて消して寝るので,
最初よくは見えなかったけれど,
徐々に目が暗闇になれてくると,
布団の場所は寝る前と変わっていなかった.
動いていないのが当たり前といえば,当たり前なのだけれど,
自分が受けた加速度のリアルさに,
自分が寝たままの位置にいたことが信じられなかった.

釈然としない気分がちょっとの間あって,
ようやくそれが金縛りだったと理解した.
いやぁ,こんな金縛りってあるんだ...

しかし,静止状態のまま,
あそこまで3D的な加速度を実感できるなんて,
どのような精神的働きがあったのだろうか.
それが不思議で仕方がない.
まさか,三半規管がゆれたわけではなかろうし...

妖怪のしわざといわれても,
信じてしまいそうなほどのリアリティ.
(いや,妖怪自体がリアルじゃないって(笑))
こんな経験をして,恐ろしくなるのではなく,
逆にワクワクしてしまった.
ぜひ原因を調べて,なにかに利用できないものかなと思う.



#三谷幸喜の新作の映画は,
「ステキな金縛り」.
なにか金縛りが流行りそうな気がする.
(しない,しない)

#妖怪と言えば,現在,昔懐かしい
「ドロロンえん魔くん」の新作アニメが
放映されている.
深夜でなければ見たいのだけれどなぁ.
昭和テイスト満載とのこと.

「昭和か.なにもかもが懐かしい...」
(このギャグももうすでに使ったような...)


#金縛りは,武道の呪術的な側面の
技術として存在していた.
現在も修験道の「不動金縛りの術」などとして
残っている(と思う)

2011年4月27日水曜日

蓄電池はスマートグリッドのキーテクノロジーだけど

スマートグリッドという概念は,
電力設備が古くなってきて,電力品質(停電など)が
悪くなってきたアメリカにおいては,
それを改善するための方策としてあるが,
電力品質の高い日本においては,
いかに太陽光発電や風力発電の大量導入を実現するか,
その方策のひとつとして考えられてきた.

そして,震災後の現在,さらに電力の品質の中でも
安定供給,安全という面が注目されていて,
スマートグリッドへの期待もこれまで以上に
高まっていることは間違いない.

その安定供給,安全という品質を実現するために
不可欠なのが,このブログでも何度も言及している
蓄電池(バッテリ)である.
本日は,研究室の引っ越し後の荷物の開梱もそこそこに,
通信やバッテリなどを開発している会社の方が
講演者である勉強会に参加してきた.

やはり震災後,バッテリは注目を集めているとのことで,
震災前は,バッテリは太陽光発電や風力発電の
雲の影響や風の変動による短時間の出力変動を
補償するために用いられることが主に期待されていたけれど,
震災後の計画停電があった現在は,
電力のピークシフトや防災電源という役割への
期待が高まっているのだということである.

バッテリには,NaS電池,Li-ion電池,ニッケル水素電池,
レドックスフロー電池,鉛蓄電池などがあるけれど,
なんといっても車載バッテリとして出回っている
鉛蓄電池が安価で入手しやすいわけで,
それで大量の電力を貯蔵できないかと,
まずは誰でも考える.

しかし,鉛蓄電池の使い方は
通常時満充電の状態にしておいて,
非常時に放電するというのが従来の
方法だったから,太陽光発電や風力発電の
出力変動補償のような部分的な充放電を
繰り返す用途には,向いていないのである.
あっという間に寿命が来てしまって,
いわゆるバッテリが上がった状態になる.

一方,従来の使い方で,もっともわかりやすいのは
停電時の電源のバックアップである.
今回の震災でも,福島の原発において
外部電源がダウンしたあとも,
蓄電池があったおかげで,制御棒が入り,
電池の続く限り,冷却装置などは動き続けていた.
このように非常用電源としての役割がこれまで
大容量蓄電池に期待されるものだった.

実は,私は前の職場で核融合試験装置JT-60の電源の中でも,
非常用操作配電設備の担当だったから,
鉛蓄電池にはなじみがある.
JT-60は大変大きな電力を使う実験設備だったから,
それはそれは大量の蓄電池が非常用電源として
用意されており,それも万一の場合に備えて
二重化されているので,通常必要な電力量の
2倍の鉛蓄電池を管理していた.
小学校の体育館の半分くらいの大きさの部屋に
鉛蓄電池2系統があって,それが寿命管理のために,
エアコンで温度管理されているのである.
こうした大きな空調管理された部屋が必要なのも
大きな欠点であった.

そのうえ,その頃はまだ古い型式の蓄電池だったから,
鉛蓄電池のキャップを一個一個開けて,
電解液の比重を測って劣化をチェックしていた.
(とはいえ,この作業は運転管理をお任せしている
業者の人にお願いしていたのだけれど.
それでもたまに一緒につきあって回ると,
優に二日間の作業であった)
このようにメンテナンスが大変なのも鉛蓄電池の欠点である.

しかし,低価格というメリットのために,
大容量用途にはやはりこれまでは鉛蓄電池であったのだ.
こうした蓄電池はまさかのときのために,
いつも一定の充電状態に管理されている.
また,その方が寿命が延びると言われている.
鉛蓄電池の更新には多大な費用がかかるから.
部分的な充放電を繰り返すのはもってのほかだった.

しかし,先に述べたように現在は部分充放電を繰り返す
運転が求められている.
本日の講演の中でも充放電回数を10000回まで
増やした改良型の鉛蓄電池が紹介されていた.

また別のバッテリメーカが
3時間程度の電力を維持する蓄電池電源を
先日発表している.
3種類のラインナップのうち,一番小さいものは
600W,3時間の維持ができて,価格は150万円.
その装置が小型であるので,たぶん
リチウムイオンバッテリを使用しているのだろう.
そして,1.8kWhの電力を毎日繰り返し充放電しても
大丈夫なように作られているものと思われる.
1.8kWhの充放電だが,使用している電池
そのものの容量はもっとずっと大きいと予想され,
そのために価格もずいぶんと高めのようだ.
(もちろん,常時充電し,停電時,一定周波数
一定電圧を発生する(CVCF)半導体電力変換器の価格も
込みの値段であるけれど)
しかし,ちょっと家庭で簡単に購入できる
価格ではない.

今後,太陽光発電や風力発電を大量導入しようする
日本のスマートグリッドには,蓄電池が不可欠である.
しかし,その蓄電池はいまだに高価で,
性能も十分ではない.
(たとえば,もっとエネルギー密度を上げないと,
小型はできない)

この問題点は,十分認識すべきで,
軽々しくこれまでの原発の代わりに,
蓄電池が不可欠である太陽光発電や風力発電を使えばよい,
などとはいえないのである.

#これまでも電力,蓄電池,自然エネルギーについて
記事を書いています.

こちらからどうぞ

#今日のプレゼンの論点は,
バッテリの制御のためのインターフェースの
標準化が,いろいろな方式があるために,
頭を悩ませている.
また,標準化という面では,日本は
またまた欧米に大きく遅れている,というものだった.

#また本日の講演者は、スマートグリッドを
プレゼン資料内ではSGと表記し,
発表では「スマグリ」と呼んでいた.
すでに業界ではそんな呼称なのだろうか.
「ハマグリ」と間違う人はいないのかしらん.

2011年4月26日火曜日

ネットが無ければ仕事もできないのか

今日から研究室の引っ越し.
今の建屋の2階から
廊下でつながった別の建屋の2階の引っ越すだけだから,
他の研究室に比べればずっとラクなのだけれど,
とにかく朝から移動につぐ移動.
とはいえ,私は周りでオタオタしていただけなのだけど.

実は,本日は実験室の引っ越しがメインで,
居室の分は明日だったのだけれど,
業者の方に頼み込んで私の机とPCだけ
今日運んでもらった.

というのも,朝から引っ越しで,
PCを立ち上げることもできず,
机の中の書類も触れることができず,
なにも仕事ができなかったからなのだ.
途中,講義もあったけれど,
(その分は,昨日中に準備していたが)
そのあとは,手持ちぶさたなのである.
仕事をしたくとも,仕事ができない.
そんな状況に耐えられなくて,
業者の方に無理をお願いしたというわけなのである.

現在の仕事が,PCとネットに
どれだけ依存しているかをあらためて思う.

エンジニア ネットがなければただの人

という川柳を,どこかの本で読んだけれど,
まさにその通り.
ネットに頼らないで研究することは
もちろん大切なのだけれど,
その他の雑務はネットに大きく依存していいる.
雑務の多くは電子メールの送受信なのだ.
(結局,雑務とは仕事のキャッチボールなのか)

かといって,PCがなければ研究も進まないのも事実.
研究がこんなにPCに依存する状況で良いのかと,
少し不安に思う.
PC無しでは,私もやっぱりただの人なのだろう...


しかし,まずはPCがネットにつながり,
こうしてブログを書くことができるようになった.
それだけでもずいぶんほっとしている.
自分のネット依存症にも,ちょっと辟易する.

2011年4月25日月曜日

厳しい稽古こそ

金曜日,土曜日と久しぶりに合氣道に集中して
取り組むことができた.

金曜日は毎週定例の稽古なのだけれど,
少しハードに動いた.
というのも,土曜日に参加させていただいた
講習会に備えて,身体の調子を整えたかったためである.

ばりばりと受け身をとった気がする.
とはいえ,翌日土曜日の稽古も少しハードになることが
予想され,どこまで金曜日に動いていいものか,
この歳になると見当もつかず,
少し怖かったのも正直なところだったけれど...

金曜日は2時間程度動いた.
なんとか身体についているサビの半分は
落とすことができたのではないかな.
身体もそうなのだけれど,意識の広がりが
戻ってきたというところがうれしい.
私が稽古している合氣道は特に氣の持ちようが
大切なのである.
毎週のように稽古しているはずだけれど,
心のハリが違っていたのだろう.
のびのびとした気持ちで身体を動かせる感覚を得て,
少しほっとした.

そして土曜日の審判員講習会.
私は審判員ではないのだけれど,
今回はおまけで参加させていただいた.
(過去に務めさせていただいていたということで)

午前中2時間,午後3時間,みっちりと
東京から九段のO先生をお迎えして稽古する.
久しぶりに緊張感のある稽古ができて
本当にうれしかった.
実は,O先生には,私が大学で合氣道を始めて以来だから,
もう25年もご指導いただいている.
私は本当に不肖の弟子である...

先生の厳しいご指導に身体と心が緊張と
喜びでしびれた.
いいなぁ,やっぱりバシバシと稽古するのが
うれしくてしょうがない.
また技の奥深さが面白くてしょうがない.

心配していた体力もなんとか持って,
集中力も最後まで維持したまま,講習会は終了.
なんというすがすがしさ.
こんな稽古が一年のうちに何回できるだろうかと思うくらい.
翌日は疲労と筋肉痛でほとんど動けなかったのだけれど,
心は幸せ一杯であった.

こうした厳しい稽古が嫌いな人もいる.
「自分はほめてもらって伸びるのです」
なんて,平気でいう人もいる.
そんな,なぁなぁな師弟関係なんてあるのだろうか.
自分をほめる人は敵と思え,とまで言われているのに.

最近の若い人に,「ほめてクレクレ」君が多いというのは
一体どういうことなのだろう.
これでは,(大学もそうだけれど)職場の上司も
本当にご苦労されているのではないだろうか.

やはり学びの場は,ある程度の緊張感をもって,
厳しさも,時には必要ではないかと思うのである.
そうやって学校では教育を受けていないのだろうか.
私が子供の頃はそうだったような気がする.

まぁ,私の小学校の息子が受けている授業の様子など聞くと,
期待はできそうにないように思えるのだけれど...
子供たちは実に小さい頃からスポイルされている.
(そして,そうしているのは私たち大人であるけれど)

2011年4月22日金曜日

音楽を聴くことによって救われるということ

昨日,ラジオでバッハのマタイ受難曲の終曲「涙ながらに跪き」
流れていて,すぅっと肩の力が抜け,
救われた気持ちになった.
静寂に収束していくような,そんな浄化作用を感じる.

私はキリスト者ではないけれど,
人が神様に祈る気持ちは好きである.
神様はいるのかどうかはわからないけれど,
大いなるものに祈るしかない,という気持ちは
よくわかるような気がする.

キリスト教というのは,布教していく際に,
あの大きな伽藍をもつ教会と,
こうした美しい楽曲が持つ人々に
畏れと癒しを与える効果をうまく利用してきたと思う.
一種の文化的な侵略なのかもしれないけれど.

ただ作曲者たちは,本当に神様を信じていたのではないかと思う.
その良心こそが,私も信頼できるものであり,
それだからこそ,人々は美しさを感じ,感動するのだろう.

(少し脱線するけれど,なぜ人は目に見えない楽曲を
「美しい」と感じるのかも大変興味深い話題ではある)

ずいぶん前のことだけれど,日曜日のニューヨークを
訪れていて,街の大きな教会を見学したことがある.
教会の中ではミサが開かれていたけれど,
外部からの参加も自由と入り口に書かれていた.
ホールの中に入っていくと,
それはたいへん大きな教会で,多くの人が,
椅子に並んでじっと祈りを捧げていた.
私もいくぶん敬虔な気持ちになり,片隅の椅子に
腰をかけてしばらく静かにしていた.

教会の中には実に美しい音楽が流れていたのだけれど,
それがバーンスタインのチチェスター詩編の中の
一曲だとは知らなかった.
一緒にいた方が教えてくださった.
私は,その美しさに言葉もなく
ただ聴き入るのとともに,
バーンスタインという現代作曲家の音楽が
すでにこうして教会という保守的な世界で
取り入れられていることに驚いていた.
欧米での宗教という文化の背景は根深い.

しかし,キリスト教に限らない.
どこの国の宗教であっても,
神に捧げられる音楽は美しい(静寂とは限らないけれど).
その根底には,人が祈るという行為の中の良心が
あるからだと思う.
私たちはその音楽を聴くことによって,
それに触れることができ,救われるのだ.


昨日の朝は,出勤途中,FMのラジオから流れる
シューベルトの交響曲「グレイト」を聴いて救われた.
いつのときでも,私は音楽に救われている.
音楽の神様は誰にでも微笑みかけてくれている.

震災に遭われた方々にも,
この音楽を届けることができたら,と思う.



#N響アワーでメータ&N響のチャリティコンサートを
放映していたので見ていた.
ベートーベンの第九交響曲の第一楽章が終わり,
一息ついたところで,第四楽章が始まった.
私は怒りで言葉が出てこなかった.
第二,第三楽章を飛ばして放送するなんて.
もう,あまりのショックにテレビを消した.
第二,第三楽章の無い第九がこんなに
つらいものだとは思わなかった.
(Twitterで,BSプレミアムでの放映があることを
教えてもらいました)

2011年4月21日木曜日

反「断捨離」

来週の火曜日,水曜日は,
研究室の引越である.
学舎が経年で耐震強度が問題となり,
それで補強された隣の隣の建屋に引っ越すのである.

骨格は,昭和40年頃に建てられた
当時のままなのだけれど,
内装はそれなりに綺麗になっているから,
少しうれしい.
今の建屋はずいぶんとボロだったからなぁ...


というわけで,今週は引越準備で
てんやわんやなわけで,
今日も何冊,本を段ボールに詰めたことか.
単に詰めるだけならばまだしも,
特に書類を取捨選択して整理するという
作業が大変なのである.

しかし,こうした機会でもなければ
ファイル・冊子類はたまっていく一方だから,
腰を据えて今回は取り組むことにしている.

過去の書類というのは,いろいろ想い出があって
なかなか捨てられないものだと思っていたのだけれど,
最近は,「断捨離」という言葉が流行しているようで,
ものを捨てるということが良いように思われるようだ.
それが,流行のライフスタイルらしい.

しかし,私は「断捨離」には全く反対である.
できるならば,できるかぎり,
想い出の品は所持しておくべきであると思っている.

モノを捨てるということは,
それに関する思索を止めることなのではないだろうか.
だから,すっきりするのである.
そりゃぁ,脳の負担が減るのだから.

しかし,それは良いことなのだろうか,と思う.
モノを見て想い出を楽しむことまでも
(モノを捨てることによって)捨ててしまうのが,
良いことなのだろうか.
確かにこれは執着といえば執着だから,
過去にこだわるという悪い面を持つ.
しかし,モノにまつわる思索にふけることは
そんなに悪いことのようには思えないのである.

しかし,現代の多くの人は,そうではないらしい.
モノを捨てることが,良い生活の基本らしい.
しかし,それはただ面倒くさいことを
切り捨てているだけなのではないだろうか

今回の研究室の引越を見ていてもそう感じる.
学生たちは,研究室の回路や道具,部品などを
整理してくれているのだけれど,そのうち「面倒くさい」から
まだ使えるモノまでどんどん捨てようとする.
理由は,「面倒くさい」からなのである.
そして,注意すると,
自分はこんなモノなど再利用しない,
というのである.
(だから,「誰が使うんですか」とすぐに訊く)

モノをどんどん捨てるということには
私ははっきりと違和感を持つ.
私がモノを捨てるのは,
所有しておくスペースの問題のためであり,
あくまでも仕方なく,という理由なのだ.
同じ捨てることでも,考え方が全く違う.
それを,よく考えること無しに,
簡単にモノを捨ててしまう,若い人たちには
腹が立つのである.
どうも彼らが育った文化背景は,私とは違うらしい.
親は私と同世代だと思うのだが...

とはいえ,今回は私もずいぶんと書類を整理した.
書類をたくさん捨てたのだ.ふふふ.

しかし,私には強い味方があったのだ.
スキャナー ScanSnap S1500.
参照する頻度の少ない書類
(特に過去の仕事に関する書類など)を
どんどん電子化した.
これで安心して書類が捨てられる.
OCRもついているので,
検索も簡単にできるようになったし.
あとはハードディスクのバックアップをとれば万全だ.
これで私の書棚はずいぶんと「空き」ができたはずだ.

どこかで昔読んだ.
ちゃんと整理をするには,十分なスペースが必要だと.
研究室を引っ越してからは,私の本棚は
いつも綺麗になっていることになるだろう(期待).
そして書類をどんどん電子化する.
ファイルは構造的に保管され,検索も容易.
あぁ,なんて理想的!
(まだファイル管理の方法が定まっていないのだけれど)

こうしたモノの整理ができるなんて,
時代は全く変わったものである.

2011年4月20日水曜日

電力とエネルギーと蓄電池と

電力とエネルギーの区別がつかない,という人も
多いようなので,ここで少し簡単に説明したいと
思います.

電気を水に,蓄電池を水を貯める水槽に
例えて考えてみましょう.

まず,水槽といえば,水をどれだけ貯めておけるか
ということが注目されると思います.
この貯められる水の量が蓄積エネルギーに相当します.

次に水槽の下部に蛇口がついているとしましょう.
水槽に水が貯まっていれば,蛇口を開けると
水が流れ出てきます.
大きな蛇口であれば,水は大量に流れて出て来るし,
小さな蛇口であれば,水は少しずつしか流れ出てきません.
この流れ出る水の量が電力に相当します.

この場合,異なる大きさの蛇口から
水の流れ出る量を考えるときに,
ある一定時間内に流れる量で比較すれば
都合がいいですよね.
そこで1秒間に流れる水の量を「流量」と呼んで,
どれだけ短時間に水を引き出せるか,という
指標にします.

これを電気に直すと,
水の量がエネルギーで,
流量が電力になりますから,
電力というのはどれだけ短時間に
エネルギーを取り出せるのかという指標になります.
そして蛇口に相当するのが半導体電力変換器
(一般にはインバータ)なのです.

だから,どんなに水槽に水が貯まっていても
蛇口が小さければ,流量を稼げないように,
どんなに大きなエネルギー容量を持つ蓄電池でも,
そこについている半導体電力変換器の能力が低ければ,
大きな電力を出力することができないのです.
(実際には,電力は蓄電池の特性にも依存しますが)
つまり,蓄電池と半導体電力変換器は,
蓄積エネルギーと電力にそれぞれ関係し,
セットで能力を発揮するわけです.

さて,私たちが電力の話をするときには,
エネルギーという言葉をあまり使いませんよね.
「電力量」という指標を使って,
電力料金を計算しているはずです.
では,エネルギーと電力量はどこが違うのでしょうか?
ということになりますが,実は一緒です.
水槽の例えで言えば水の量です.
しかし,流れ出てくる水の量を量る時間が違います.
エネルギーの場合は1秒単位で測定しますが,
電力量の場合は通常1時間単位で考えます.

電力は1秒間あたりに移動するエネルギーの量を
示します.
だからエネルギーの量は電力を
積算することによって計算することができます.
エネルギーの単位はジュール(J)です.
電力の単位はおなじみのワット(W)ですが,
これは1秒あたりのエネルギーということで,
ジュール毎秒(J/秒)とも表すことができます.
逆に電力が一定でしたら,電力×時間で
エネルギーが計算できます.
たとえば1キロワットが1秒出力されたら,
1キロジュールというわけです.

さて,電力量はどう計算するのでしょうか.
おなじ電力×時間ですが,
1時間という単位で考えるので,
1キロワットを1時間出力した場合には,
1キロワット時すなわちキロワットアワー(kWh)となります.

これでみなさん,電力料金の請求書で
お馴染みの単位となるわけです.
因みに現在の電力料金は,1kWhあたり
およそ二十数円になっていると思います.
(電力料金は,契約電力によっても変わります)


しかし,エネルギーであれ,電力量であれ,
電力を時間で積算していくことには
かわりありません.
そういえば,昔のタイプの電力計は
積算計とも呼ばれていましたよね.


では,1kWhは何ジュールなのでしょうか.
ジュールは一秒で積算していくのでした.
ですから,1時間=3600秒で計算して,
3600キロジュールということになります.

このように,電力と電力量は間違いやすいのですが,
水の流量と貯水量の関係にあると覚えてもらえば
わかりやすいと思います.


ところで,蓄電池の性能は,
まずは蓄積エネルギー(電力量)と
電力で決まります.
どれだけ多くの電力量を貯蔵できるか,
そしてどれだけの大きな電力を出力できるか,
そのために,リチウムイオン電池などの
新型電池が開発されてきたわけです.

その他,蓄電池には,効率が高いことが望まれます.
蓄電池の損失は,水槽がひび割れしていて水漏れすることに
相当します.
この場合,貯めた分の水100%を取り出して使うことはできません.
10%どこかに水漏れしていたら,使える水の量は90%.
すなわち,効率は90%ということになります.

また寿命も重要です.
水を入れたり出したりしている間に,
ひび割れは大きくなっていきます.
出し入れする回数が多いほど,
また,その水量が多いほど,ひび割れは大きくなりやすく,
寿命は短くなっていきます.
携帯電話や携帯音楽プレーヤーの電池の
持ちが悪くなるのはこれにあたります.

ということで,高性能の蓄電池というのは,
上記のポイントが優れたものをいうわけです.

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今回は,電力とエネルギー(電力量)の概念の違いから,
蓄電池の性能の話を,蓄電池を水槽に例えて
説明してみました.

電気系の大学生には,普通こんな話はしないので,
なかなか大変でした...

2011年4月19日火曜日

なぜ太陽光発電には蓄電池が不可欠なのか

先日書いた原発1基分の太陽光発電が
どのくらいの量になるか,という記事について,
いろいろとコメントをいただき,有り難うございました.

これからいただいた技術的なコメントに対して
私の考えを少しずつ書きたいと思います.
(数日に分けて,とびとびで)

Q. 太陽光発電はピーク電力に使用すれば
良いので,蓄電池は不要なのではないか.

A. 太陽光発電が将来大容量導入され,
総発電量のある程度以上を占めるようになれば,
蓄電池は必要となります.
まして原発の代替として,太陽光発電を考えるのであれば
安定な供給実現のために蓄電池は不可欠です.
(そうでなくても,電力系統の安定性のために必要)

確かに太陽光発電は,夏場の需要のピークに近い時刻に
最大の発電量が見込めますから,なんだか良さそうに思えます.
しかし,以下の問題があります.

1)夏場でも発電ピーク時と需要ピーク時には,
数時間のズレがあるのをどうすれば良いのか.

2)冬場の需要のピークは夕方16:00以降にあるが,
どうするのか.

3)そもそも雨や曇りだったら,どうするのか.

1),2),3)の問題を解決するために,
蓄電池が必要なのです.
そうでなければ...
計画停電などの対策が必要になります.

特に3)の問題が厄介です.
日本には梅雨があり,10日くらい
雨や曇りが続いたりします.
この間,蓄電池は太陽光発電の代わりに
電力を供給しなければなりません.


電力は発電する量と使用する量(負荷)が
バランスしていなければならないという原則があります.
バランスが崩れると周波数が変動し,
それが許容量を越えると
系統内の発電所が次々と切り離されていきます.
(実は,風力発電,太陽光発電も,一斉に切り離されてしまう,
という問題を持っています)
電力が足りなければ,停電に至るのです.


たとえば,家庭の電力消費の20%を
太陽光発電で賄うとします.
家庭の一日の電力消費はおよそ10kWhですから,
その20%を10日分,すなわち20kWhの電力貯蔵が
必要となります.
そして,その電力を,雨の日が続く前の日までに,
貯蔵しておかなければならないのです.
(当然,毎日夜間に使う電力は別に使っています)
S社製の1.6kWhのリチウムイオン電池ユニットが
50万円程度ですから,どれだけ大変なことか
わかると思います.

電気を使わなければいい,という意見をよくネットで見かけますが,
(もちろん節電努力は最大限行うべきですが)
工場などの産業,病院や学校などの公共施設などは
どうすればよいのでしょう.
工場などでは,20%電力を使用できなければ,
20%ラインが稼働せず,20%損失が生まれることになります.
それは回りまわって,経済全体に波及し,
私たちの給料や雇用に影響を及ぼすことになるのでしょう.


実際には,雨季に関わらず,
晴れていても雲がかかれば,
太陽光発電の出力は大きく変動し,
太陽光発電の発電カーブはまるで櫛の歯のように
ギザギザになってしまい(出力が急激に増えたり減ったりする)
これも蓄電池などで補償することが必要だと言われています.
さもなければ,電力系統の電圧や周波数を適切に
制御することができません.

現在は,太陽光発電の出力の変動は
電力会社が自社の発電設備などで吸収しています.
しかし,今後太陽光発電が占める割合が増加すれば,
電力会社の調整力では不足することになることが予想されます.
結局,太陽光発電を導入する事業者などが独自に
蓄電池などの電力補償装置で補償することが求められるでしょう.
(風力発電も同様です)


このようにコストはかかりますが,
太陽光発電で安定した電力供給を得るためには,
蓄電池のような電力貯蔵装置は不可欠なのです.
セットで考えなければなりません.

2011年4月18日月曜日

学会の果たす役割

先週金曜日は,午前中に
長岡技術科学大学から学生2名が研究室の
見学に来てくれて,その対応をする.
学生の能力は,どれだけ気の利いた質問ができるかで
測ることができるけれど,今回の2名も
たいへん素晴らしかった.
長岡技科大のI先生のところの研究室の
学生は昨年も見学に来てくれたのだけれど,
そのときもさすがと思ったことを覚えている.
I先生の研究室のレベルの高さを感じる.
(こちらも負けないようにしなければ...と少し思う)

午後から,電気四学会関西支部
平成23年度総会およびその後の役員会
出席のため,大阪梅田 中央電気倶楽部へ.
電気学会の評議員として今後2年間活動する予定である.
私は学会が日本の電機業界に果たしている役割は
多くの人が認識されているよりも大きいと思っているから,
微力ではあるけれど,努力はしたいと思う.
(まぁ,あくまでもできる範囲ですが)

そして土曜日は,パワーエレクトロニクス学会の総会.
会場は,前日に続けて中央電気倶楽部である.
これで2年間務めた学会庶務幹事の仕事も
無事引継である.
まずはホッとした.
正直,私の仕事には時々ポカがあるのだけれど,
そうした失敗も皆様にカバーしていただいて,
研究会が開催されなかった,とか,
論文誌が発行されなかった,とか,
そうした致命的な結果にならなかったのは幸いである.
本当に関係各位に心より感謝いたします...

電気学会でも,パワーエレクトロニクス学会でも,
今後の日本の復興について話題が出て,
その中で,私が関係しているパワーエレクトロニクスという
技術の果たすべき役割は大きい,と多くの研究者,
技術者が考えている.
これまでは確かに「利益を上げるためには」と考えるのが
大きかったけれど(もちろん,今後もそうなのだけれど),
日本を支える,という観点がこれまで以上に重要になると
いうことをあらためて感じた.

今回の地震の影響で,部品の調達がままならず,
関西でもなかなか大変というお話もあちらこちらで
耳にしたが,関東が大変な今,そしてこれからを
関西が支えていかなければならないと思う.

学会というのは,もちろん研究開発の情報交流の
場であるけれど,このような状況において,
意見を自然とまとめる場という役割も
果たしていることを実感した.

学会というのはボランティアで支えられていて,
その活動に役員として携わるのは結構大変なのだけれど,
こうした学会の役割を考えてみると,
やはり活動を支えていかなければならない,と思う.

2011年4月13日水曜日

年年歳歳...

昨日は,花冷えというほどでもなかったけれど,
少し肌寒い中,外で研究室の花見BBQを行った.

新しく研究室のメンバーとなった
修士1年,海外からの研究生を迎えての飲み会である.
毎年,この時期に開いているのだけれど,
一年が過ぎるのは本当にあっという間だと思う.

毎年,花が咲くのは同じだけれど,
こうして桜の木の下で,
(実際は,桜の木の近くの場所だけど)
酒を酌み交わす人は
年々変わっている.
ただ教員だけがその顔ぶれが変わらない.
道標の目の前を大勢の若い人たちが
過ぎ去っていくのみである.

毎年,この時期になるとそんなことを思う.

年年歳歳花相似
歳歳年年人不同





2011年4月12日火曜日

スマートグリッドのHEMSが抱える課題

スマートグリッドの一要素として,
スマートハウス,すなわち
Home Energy Management System (HEMS)への
注目が高まっているようだ.
(ちなみに,オフィスビルのエネルギー
マネジメントシステムはBEMS,
コミュニティとかクラスタとか呼ばれる地域の
システムは,CEMSなどと呼ばれる)

これが日本の電力業界において,
なにが画期的なことになるかというと,
需要家の負荷遮断を行う可能性がある,
ということである.

これまで日本の電力という世界においては,
勝手に需要家への電力供給を停止するなどということは
電力会社の矜持にかけてもあり得なかった.

(だから今回の計画停電は,電力会社としては
忸怩たる思いであったろうと推察される)

家庭内の電気機器についても同様で,
電力会社の都合で,勝手に機器をオン・オフ
するなんて,とても許されるものではなかった.

それがHEMSが導入されれば,
優先度の低い負荷(たとえば洗濯機とか,
食器洗い機とか)を,電力需要のピーク時に
停止することによって,需要のピークカットあるいは
ピークシフトが可能となるのである.
(もちろん,需要家の了解のもとでだけれど)

もちろん,普及のためにはいくつも課題がある.

たとえば,導入が検討されているアメリカなどでは,
リアルタイムで電力価格が変動する地域もある.
すなわち,電力需要のピーク時には電力単価が高くなり,
深夜などは低くなる.
したがって,HEMSが導入されている需要家は,
ピーク時での電力消費を抑制することによって,
電気料金を低く抑えることができるのである.
一方,電力会社も電力の供給不足を軽減することができる.
どちらも利益が生じる構造になっている.

一方で日本ではどうか.
負荷が勝手に遮断されて,不便を被るのは需要家である.
もしもアメリカのように電力料金でメリットがでないのであれば,
需要家はHEMSを導入するインセンティブが与えられない
これでは普及は進まないだろう.
日本では,リアルタイムで電力価格を変動させるのは
難しそうだから(スマートグリッドで高速な通信網が導入されれば
可能かもしれないが...),契約電力が安価になるなどの
インセンティブを与えることが必要だろう.

次の問題は,規格の問題である.
これについては以前に記事を書いたので,
そちらを参照されたい.

スマートハウスへの遠く長き道

また,通信の問題も大きい.
各家庭と電力会社を直接接続するのは,
その通信量や扱うデータの膨大さから
ほとんど不可能だろう.
したがって,階層構造で情報を統合し,
あるいは中央から指令を出すようなシステムになる.
しかし,それでも通信データの量は非常に多くなることが
予想される.

どこかで,日本のスマートグリッドは通信を30分おきに
しかできないのは,遅れているなどという批判の記事を
読んだけれど,たとえば1秒おきにしたとして,
増大するデータをどう処理するつもりなのか.
また,現在,日本では電力の需要は30分間で考えるのが
一般的である.だから,日本のマイクロ(スマート)グリッドでは
そのように設定されているのである.

また通信には,セキュリティの問題がつきまとう.
スマートグリッドには専用回線を使用するべきだという議論が
アメリカでは強い.特にエネルギー・電力への
テロに関して不安が大きいようである.
しかし,専用回線を引くとしたら,
どれだけの設備が必要になるのか...

ということで,最大の課題はやっぱりコストである.
(そんなこといわなくてもわかりきっていることなので,
書きたくないのだけれど...)

少し考えればわかるように,負荷遮断を実現するためには
家電がHEMSからの指令を得て,
勝手にオン・オフするという機能を負荷することが必要である.
先に述べた規格が決定していることが前提であるが,
その機能のために(通信など),新たなコストが必要となる.

あるいはそれぞれの機器ではなく,
インテリジェントな配電盤を導入するという手もある..
しかし,そのためには各コンセントに対応してひとつずつ,
制御可能なスイッチが必要となる.
これもかなりのコスト高となるだろう.
また,アイロンや電気ストーブなどは,勝手にスイッチが
入って危険な状況になるということも考えられるから,
接続には注意が必要になったりする.

それぞれに,インテルが開発しているような
スマートグリッド用のAtomプロセッサーが搭載されるとしたら,
どれだけのコストが必要か.
それを誰が負担するのか.
それだけのメリットを需要家は享受できるのか.

そうした議論を踏まえた上でなければ,
HEMSの普及は進まないのではないか.
スマートグリッドはあったら便利で,
誰もが期待しているけれど,
こうした課題を解決していく必要があることも
忘れてはいけない.

#その他にもスマートグリッドについての記事書いてます.

電気学会関西支部講習会「スマートグリッド」

マイクログリッド導入のメリットは

電気学会電力・エネルギー部門大会(九州大学)

#スマートグリッドで重要なのは,ICT技術である.
2000年代になって,アメリカでのPC関係における
IPアドレスの増加は飽和してきた.
そこで,Intelなどは新たな市場を家電に求めた.
各家庭,いや家電一個一個にIPアドレスを付与すればいい.
それがすなわちスマートグリッドである.
スマートグリッドは,そんな風に始まったと言われている.
スマートグリッドは,電力業界というよりも
ICT業界先行で進められているようだ.

2011年4月11日月曜日

人はなぜ専門家の意見を信じないのか

とうとう1ヶ月が経ってしまった.
黙祷.

私がTwitterを見ていたのは,
震災後のこの状況において,
なぜ専門家が安全だといっても信じない人が多く存在し,
他の,ソースが確かではない情報(一番ひどいのはデマ)を
信じる人が多いのか,ということに
興味があったからなのだけれど,
いくつかと思うところがあるので,
少しまとめてみる.

-----------------------------
#デマについては,たとえば下記によく
まとめられている.
http://www.kotono8.com/2011/04/08dema.html
このブログの記事に載っているものが,
本当にデマなのかどうかも,
また判断する必要があるけど.
-----------------------------


まず,人には,起こりうる最悪の状況を想定して,
最も被害が小さくなるように行動する,という,
どこかの経済理論にあったような傾向がちゃんと
あるということ.

専門家や政府に「安全」だといわれても,
それが絶対に「安全」であるとは限らない.
いや,ほとんど「絶対安全」ということはあり得ないわけで,
そうした状況においては,人はやっぱり最悪な状況を
想定して,最小の被害になるように行動するものである.
(ゲーム理論的.
まぁ,過去にも専門家や政府が言ってきたことが
誤りだったという事例も多々あるし)

しかし,そこで問題なのは,そうした場合に人は
極端な行動に走りやすいということではないかと思う.
「安全」だというならば,「事故の確率ゼロを証明しろ」と
いって,工学的に(いや,常識的に)不可能だったり,
論理的におかしなことを要求して,
それができない,と非難したりする.
また,安全だと言われていても福島県産の農作物だ
というだけで,購入を控えてしまう.
もっと,冷静に行動し,議論できたら良いのにと思う.
(たとえば,「リスク」という概念を考えるとか)


次に思うのは,先のブログ記事にも書いたけれど,
「オカルト」と同様で,人は自分の願望が投影された話を
信じやすいということ.
逆に「ひょっとしたら」という話にも弱い.
これはよく心理学などの本に紹介されている事実である.

さらに,そこに,電力会社の陰謀論などが出てくると,
正義感がはたらいて,絶対に許すまじ,
などと感情的になりやすい.
その正義感につけこんで煽る人も多いようだ.


また,利害関係に無い第3者の意見は信じられやすい,
ということも影響しているのかと思う.
その人が,社会ステータスがあればなおさらである.
しかし,専門家でない素人の意見の方が信じられる,
というのもおかしな状況だとは思わないのかなぁ.

そして最後に,逆に説明する側の専門家に足りないと思うのは,
人を納得させるだけの物語(ストーリー)である.
安全だ,安全だと数値だけを論じてみても,
やはり信じてもらう人は限られる.
(理系の考え方,基本的な知識を持っている人は
それで十分だと思うけれど)
人は客観的事実だけを見て判断するのではなく,
その事実が語られる前後の文脈が大切だと思う.

ネットに広まった怪しい話であっても,
ソースは全然信用できないけれど,
ストーリーは良くできていたりする.
また,人の良心に訴えかけるようなエピソードを
絡めることによって,それを疑うことは
自分の良心を試されていることのように
感じさせるように良く話ができていたりする.

しかし,それでいて,客観的科学的論拠が示されていない.
たとえば,ある記事を読んでみたら,
「チェルノブイリでは人々が現在も亡くなっている,と紹介し,
その理由として,
「長期の低放射能の影響であると私たちは直感でわかったのです」
みたいなことが述べられている.
しかし,直感では放射能との相関を示すことはできない.
積み重ねられたデータによってのみ説明されるべきである.
(たとえば,チェルノブイリ被爆者の甲状腺がんについては,
その有意な相関が示されている)
しかし,彼らの献身的な努力は賞賛すべきものだから,
そうした非論理的な説も否定しづらくなってしまう.
そうした心理的な力が,ネットの記事の
あちらこちらで働いているようだ.

平常時,専門家の意見を求める人たちが,
なぜ今は,こうも専門家を疑うのか.
確かに,過去にも専門家が過ちを犯していたという事例が
少なからずあることも原因だと思うけれど,
冷静さが欠けた意見が多いことをみると,
やはりなにかしらの心理的なバイアスが
はたらいているのだろうと思う.


では,いったい,どうしたらよいのだろうか,と私も思う.
良い案は思いつかない.

ただ,ちょっとやそっとのことで,こうした傾向からは
逃れることはできなそうだ.
日頃から自分の頭で考える,判断する,という
練習をしておかないと,いざというときに役立たなそうではある.
(いま,私の頭も全然役に立っていないし)

もっと学校などで,こうした不確定な状況下における
行動の方法などを教育したら良いのではないか.
特にインターネット上に氾濫する情報の中で,
玉石を見分け,自分の頭で考え,
冷静に合理的に行動ができるためにはどうしたら良いのか,
そうした課題とそれに対する教育が日頃から必要なのだろうと思う.
そして,それは小中学校の頃から行うべきなのだろう.

ただ,それは日本という文化背景の中では,
相当に難しいのだろうけど.



#(情報の信頼性に関する余談)

メディアが大手だからといって,情報が信頼できるとは限らない.
今回も,ニューヨークタイムズなどで,いろいろとおかしな情報が
報道されており,それらについてネット上でも批判されている.

JCO事故のときだって,CNNはJCOの建屋の天井が爆発で
吹き飛んだなどと報道していて,隣の事業所にいた私は驚いて
4階の窓から見たけれど,そんな事実は全くなかった.
NYTやCNNだからといっても,信頼できるとは限らないのだ.

2011年4月8日金曜日

セカンドインパクト.第2使徒襲来.

昨日,セカンドインパクト.
第2使徒襲来(ネタが古い),という感じで,
久しぶりに花粉症の症状がひどかった.

10年以上前,初めて花粉症の症状が
出たとき以来の,ひどい症状だった.

鼻水が滝のように流れ落ち,
目は涙であけることができず,
数分とあけず,くしゃみが出続けた.
当然,頭痛もひどくなって,
本当につらかった.

仕方なく鼻炎止めの薬を飲んだら飲んだで,
まるでブラックジャック(医者じゃないです)に
後頭部を殴打されたかのような眠気.
夕方少し横になってようやくおさまったけれど,
そのうち腹も痛くなって,ずいぶんと散々な状態だった.
正直,仕事があまり進まなかった...

しかし,この数年,花粉症の症状は
あるはあったけれど,それほどひどいものではなく,
これは将来に向けて,良い感じだ,と思っていた.
今回のことは,突然身体に裏切られた感じである.

現在は,スギ花粉のピークは過ぎているはずなので,
ヒノキ花粉なのだろうか?
10年ほど前に自分のアレルゲンを調べたところ,
スギ花粉だけで,ヒノキは大丈夫だったのだが,
とうとうヒノキについてもスレッショルドを越えて
しまったのだろうか...
第1のアレルゲンにようやくケリがつきそうだったのに,
第2のアレルゲン襲来である.
あぁ,また苦闘の日々が始まるのだろう.

身体もだるい.
これが単なる風邪だったら,うれしいのだけれど.
(今日は愚痴だけです.すみません)


#昨晩の地震も大きかったようである.
被災されている方々,そして被災地および原発等で,
作業にあたられている方々がご無事でありますように.

2011年4月7日木曜日

自然エネルギーへの過大な期待は逆効果.自分で手を動かして計算してみよう.

最近のTwitterとかのつぶやきのトレンドを見ていると,
自然エネルギーへの期待が大きいことがよくわかる.

原子力発電所は悪くないとは思うけれど,
たぶんこの先,日本では作ることは難しいだろうと思うし,
私自身の研究が,分散電源にも強く関係しているから,
この興味の高まりは嬉しいことではあるのだけれど,
Tweetのやりとりを見ていると,どうも違和感を覚える.

風力や太陽光だけではなく,
地熱や太陽熱,潮力,波力,などなど,
いろいろな発電方法が話題に上っているのは
いいけれど,なぜそれが普及していないのか,
真面目に考えている人が少ないように思う.

これだけインターネット全盛の時代なのだから,
ちょっと調べればわかるはずなのに.
その「ちょっと」をおろそかにしている人が多いのでは
ないだろうか.

そうした人たちに多いのが,
政府や電力会社の陰謀論である.
電力会社の既得権益を守るために,
そうした新エネの事業をわざと無視しているのだという.
日本はそうした陰謀によって動かされているのだと
本当に思っているのだろうか?
NEDOなどの政府の活動を知っているのだろうか.

確かに電力会社は多分に閉鎖的で保守的であることは
多くの人が認めるところだけれど,
それでも利益を追求する企業であり,
市場原理によってある程度影響を受けるのである.
(一方で私は,電力は社会共通資本だから市場原理で価格等が
決まっても困るとは思うのだけれど)

本当に経済的に成立し,そこに
大きな利潤が生まれるのであれば,
まずは電力会社がその事業に手を出すはずなのである.

そして,他企業だって参入しているはずなのである.
制度・規制の壁だって,社会に訴えれば,
なんとかなるのではないだろうか.
電力の自由化は確かに遅々として進んでいないけれど,
本当にそこに利潤があるのであれば,
働きかけによって,制度は変わるものではないだろうか.

では,なぜ自然エネルギー発電の普及が
思うように実現されていないのか.
そんなことは,ネットを検索すればすぐにわかる.
技術的な問題も山積しているし,
コスト的な問題が全然解決されていない.
(まぁ,後者が大きく足かせになっていることは
間違いないけど)
その調査・確認の手順を怠っている人が多いと思う.
ちょっと手計算をすればわかるはずなのに.

いや,具体的な課題を調べる前に,
そんなにいい技術であれば,
なぜそれが普及していないのか,という
当たり前の疑問を考えないのだろうか.


海外ではこういうレポートがあったが,
日本では無視されている,などという話も
よくつぶやかれている.
海外だからといって,まずそのソースは
確かだと信頼しても大丈夫なのだろうか.
メディアはその特性上,一般的なものとは
異なるものを記事に取り上げやすい.
そのバイアスを考慮しているだろうか.

日本においてでも,どこかの社会ステイタスをもっている人が
発言したからといって,それを頭から信じて良いものか.
自分の頭で考えてみることも必要なのではないだろうか.
誰かを悪者にすることで,考えることを止めていないだろうか.

そういう意味で,テレビの解説に呼ばれた
大学の先生方がああいう慎重な話しぶりになるのは
仕方がないと思うし,だからこそ信頼がおけると
私は思っている.

信頼すべきものは,学会誌などに査読を経た
論文であるような話が良い.
(しかし,学会誌に掲載されたからといって,
その話がその学会で認められたわけでもないことも
注意しなければならない.
いろいろ議論の対象になっている論文もあるし)

次に政府や公共機関が発表しているデータが
やはり信頼性が高い.
多くの人の目に触れるので,結果がおかしければ,
異議をとなえたり,検証をしたりする人が出てくるから.

そうした論文やデータを,
陰謀によるでっち上げだといって,
それこそ無視して信じず,門外漢の記者の取材を信じる,
という方が,少し変なのではないだろうか.
(もちろん,記者の取材の中にも
貴重な事実を指摘するものも少なくないけれど)

こうした状況を見ていると,
人はなぜオカルトを信じるか,という話を思い出す.
オカルトで語られる話は,実は人々の願望が
そこに反映されている.
「あったらいいな」というバイアスのために
(たとえば,死後の世界があるとか,
死者に再び会えるとかという願望)
いつもは常識によって冷静に判断できる人たちが,
あっさりとオカルトを信じてしまう.
同様の心理が,この自然エネルギーの議論に
働いているような気がするのである.
また,陰謀論は都市伝説に他ならないし.

とにかく,自然エネルギーに関わる技術は
今後も注力して研究開発が進められるべきで,
また世界のエネルギーもそちらの方向に進んでいくことは
たぶん間違いないと思うけれど,
すべての技術が花開くというわけではない.
どの技術が生き残るかは,市場(と運)が
決めてくれるはずである.
経済的に成り立たない技術は,いずれにしろ
ついえていく運命にあるのである.
(まぁ,原子力は経済的に成り立っていても,
終わりそうだけれど...)

太陽光発電が原子力発電よりもコストが低くなったとの計算が
雑誌に掲載されているとの話をTwitterで教えてもらった.
経済的な計算は本当に難しいし(前提条件で大きく変わるし),
私はそちらの専門家ではないので,どうこういえないけれど,
もしも本当にそうであるならば,今後太陽光発電が普及する,
ということ,それだけでいいのではないだろうか,と思う.
(もちろん技術的な課題は解決されなければならないが)

今後も数多くの多様な技術が研究され,
市場などによって淘汰されていく.
本当に有望な技術がちゃんと生き残る.
そこは安心していて大丈夫ではないかと思う.

むしろ現在の人々の過剰な期待によって,
技術がつぶされることを
危惧しなければならないだろう.
日本のメディア,人々は,熱しやすく冷めやすい.
ブームが去ったあとの,あの冷淡さは恐ろしく,
これまで応援されていたものが,あっという間に
逆に悪者にしたてられることも多々あるからである.
私たちは,少し大人になって,
技術の発展を長い目で見ていかなければならないと思う.

2011年4月5日火曜日

家庭・オフィスでの節電がカギになるだろうけれど

いいなぁ.化学工学会.
こうした提言を短期間でまとめて公表できるところに,
学会の力を感じる.

化学工学会「大震災による東日本の電力不足に関する緊急提言」
http://www.scej.org/content/view/1160/27/

この提言にもあるとおり,夏に向けての節電は,
電力消費の時間シフトが鍵になると私も思う.
今回の節電は総量規制ではなく,
ピークとなる時間帯の電力需要を低減できればよいので,
石油ショック時に行われた節電よりも,少しはマシである.
まずは夜間に照明を消せ,と言われることはないだろう.

現在,産業界においてピーク時電力の25%の低減に向けた
検討が進めれらていると報道されている.
夏場は,9:00~16:00程度がずっと電力需要が高いから,
昼間のピーク時間をシフトした操業,
あるいは夜間の操業などがまず検討されるだろう.
また,夏季長期休暇も視野に入れられていると思われる.

しかし,産業界で25%の低減ができたとしても,
産業界の電力消費の割合は全体の4割程度だから
全体の電力消費からいくと10%程度低減されるに過ぎない.
全体で6000万kWのうちの1000万kWだから1/6,
すなわち17%程度は低減しなければならないことになる.
あと7%は,民生と運輸関係でなんとかするしかない.

運輸は,昼間の間引き運転で対応するしかないだろう.

問題は,民生である.
私たちの家庭やオフィスなどでの節電である.

ご存じの通り,日本の省エネ技術は世界のトップレベルにあって,
だからこそ逆に,これ以上省エネをしろ,といわれても
なかなか省エネできないのである.

また,省エネ技術の発展によって,実際に家庭用の
電力消費量は減少してきただろうか?
答えは,全く逆である.
資料によれば
http://www.fepc.or.jp/present/jigyou/japan/sw_index_04/index.html
2009年の電力消費量は1985年の1.3倍以上にもなっている.
なぜだろうか.

これは,私たちが電気機器を多く使うようになったからに
他ならない.
確かにテレビや冷蔵庫の消費電力は低減されたけれど
1985年に比べ,テレビの大きさはどれだけ大きくなっただろうか.
また冷蔵庫の容量はどうだろう.
お湯を沸かすのにも電気を使っていないだろうか.
電気はクリーンで扱いやすいので,どんどんその用途が
広がってきたのである.
(そして契約電力も増大し,60A,70Aでも驚かなくなった)

心配なのは高層ビルのオフィスである.
高層ビルには,たくさんの人たちが活動していて,
それに伴う発熱量は相当なものである.
こうしたビルは,空調無しでは
成り立たないのではないだろうか.
特に,夏場は.
せいぜい設定温度を上げるくらいしか手が無いだろう.
いったいどれだけオフィスががんばれるのか.
昼間オフィスで働けなくなったら,
どれだけ経済活動に影響がでるのだろうか?


しかし,とにかくやるしかないのである.
今年の夏では,準備時間も短く,
発電電力の増強も限られるだろう.
節電で乗り越えるしかない.

私は,精神論が大嫌いなので,
(根拠も無しに,できるとかいうのが嫌い)
それらに頼らず,節電できる社会システムを
設計するのが必要だと思うのだけれど,
この夏ばかりは人々の良心に頼らざるを
得ないのかもしれないと思うのである.


#意外に電力消費で多いのが,
サーバなどの情報機器である.
現在,全国の電力消費量に占める割合は5%にもなっている.
(2025年には20%にもなるとNEDOは言っている)

#たとえば,昼間はTV放映をしないとかすれば,
TVの消費電力はぐっと減るだろう.
(そしてテレビ局はつぶれるだろう)

#電力自由化が行われた際に,
あちらこちらで,それなりの大きさの自家発電設備が
導入されたはずである.
この数年は燃料費の高騰により,電力会社から
電力を購入した方が安かったので,
休ませている設備が多かったと思うけれど,
それらを復旧させることは当然考えられているのだろう.
しかし,それでも発電量は少ないのだろうなぁ.


2011年4月4日月曜日

研究者はリアリストでなければいけない.不都合な真実からも目をそらしてはいけない.

なんと,Twitterを再開した.
実は,ECCE2009の際(2009年の秋)に始めてはいたのだけれど,
友達も少ないし(笑),フォローしてくれる人もいないので,
1年半程度休眠していたのだ.
それが,先週からつぶやく気になった.

実は,Twitterは情報収集のために,これまでも
数人かのブロガーやいくつかのHashtagについて
ツイートをずっとのぞいていたのだけれど,
いろいろ見ているうちに,少し腹が立ってきて,
誰も私のつぶやきなど気にしないにしても,
自己満足でいいからつぶやこうと思ったのである.

なにに腹を立てたか,ということなのだけれど,
あまりにも無責任だったり,考え無しで,
誰かを悪者にしようとするつぶやきが多いからなのだ.

経済の分野でもそうである.
なにか不況や不祥事になれば,誰かを「悪」に仕立て上げ,
(とはいうものの,責任はあるのだけれど)
それを叩くことによって,自分たちの鬱憤を晴らそうという
人たちがいる.
自分たちは,線引きされたこちら側で,
被害者として立ち回り,「悪者」を血祭りにあげる.
しかし,彼らは,その悪者を叩くことによって,
自分の身にも火の粉が降りかかってくることを考えない.

また,そうした「悪者」が活躍してきたシステムを
自分たちが支え,またそれに依存してきたことも考えない.

経済なんて,どこかを叩けば,回り回って
自分のところに影響が出てくることなんて,
少し考えればわかることなのに.

電力の分野でも同じことが言えるのではないだろうか.
なぜ太陽光発電や風力,そしてその他の分散電源の
普及が進んでいないか,そこには理由があるはずなのである.
(ネットで検索すれば,すぐにわかるはず.
本当に問題が無ければ,誰かが事業化しているはずなのだ)
決して誰かの陰謀によって,
普及が妨げられているわけではないのだ.


分散電源導入にはコストがかかるのであれば
電気代を高くすればよい,などとも簡単には言えない.
(しかし,そうせざるを得ないだろうけれど.
また太陽光発電では,すでに私たちが
その電力の買い取りコストを広くうすく負担している)
日本の電気料金の高さは,世界でもトップレベルである.
関東の電気料金が今の2倍になったら,
成り立たなくなる企業,工場も多々あるに違いない.
関西,海外などへの他地域への移転が加速していくだろう.
それによって,地域の雇用がどう変化するのか.


省エネや節電のために,生活スタイルを変えれば良い,
というのはたやすい.
確かに私たちの生活や態度は変えていかなければならないだろう.
しかし,今,25%の節電によって,経済活動をはじめとする
私たちの生活にどれだけの影響があるのか,
本当に想像できるならば,軽々しくは言えないのではないか.
工場の生産量が25%落ち,オフィスビルでも成果が25%落ち,
運輸・交通量も25%落ちる.
(まぁ,今回は総量規制ではないので,
努力によって,そこまで落ち込まないだろうけれど)
大変なことになりそうだと,これこそ容易に想像がつく.
経済と一緒で,どこかを叩けば,回り回って
私たちの生活に影響がでるのだ.


電力は,私たちの生活,産業,運輸の基盤だから,
よくよく考えていかなければならない問題なのである.

なのに,誰かを悪者にすることにし,
制裁を加えることによって,
自己満足している人が多いような気がする.
そうした人たちに腹が立つ.
だから,Twitterを始めたのである.


研究者はリアリストでなければならない.
現実には,不都合な真実があるのだ.
それから目をそらさず,興味がある人たちには,
それをわかってもらえるようにしたいと思う.

#と,意気込んで書いてみたはいいけれど,
Twitterには,期待しないでください.
また,個人的なつぶやきも適度に混ぜていきます.
だって,そうでなければ,「つぶやき」じゃないよ.

2011年4月2日土曜日

2011年のエイプリルフール

今年の4月1日のウソは
現在の状況が状況だけに,
電力系のものがつきづらく,
なにかお茶を濁すようなものになってしまった...

もちろん,昨日の記事のうち,
「---」以降は,ウソです...
一部の人にしか受けない,
内輪ギャグになってしまったことを反省いたします.

みんなが幸せな気分に
なれるようなウソをつけるよう,
さらに「ウソ道」に精進いたします.

これまでのエイプリルフールのウソ

2009年4月1日 人間の共振現象

2011年4月1日金曜日

パワエレの系統

ついこの前,年が明けたと思ったのに,
今日はもう4月1日.
年度始まりである.
なんと月日の経つのが早いことか.
私の髪の毛に白いものが混じり始めたのも
仕方がないことかと思う.
「白頭掻いて 更に短かし」(涙)

年度始めということで,
今年度も決められたことを行う.
PCのバックアップや
メールやフォルダの整理.
あと一ヶ月後に研究室の引越を控えているので,
紙ファイルの方も整理中.
これを契機に身の回りをすっきりとしたいものである.

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さて,こうした区切りの際に,自分の研究の立ち位置を
確認しておく,というのもいいことである.
とはいうものの,すでに外部からは,「三浦は~系」などと
カテゴライズされているのかもしれない.

パワーエレクトロニクス(「パワエレ」と呼ぶ)の分野においても,
その研究対象などによって「~系」と呼ばれることがある.
まぁ,これは業界用語であって,一種の隠語なので,
表に出てくることは少ないのだけれど,
今日は少し紹介してみることにする.

まず,パワエレの研究対象にも地域性があったりする.
そこで,「大阪系」などと呼ばれたりするのは,
カテゴライズの基本である.

パワエレには,ソフトスイッチングという損失を低減する
技術があって,研究が進んでいるのだけれど,
こうした人たちを「ソフトパワエレ」と呼び,
そうでないひとを「ハード」と呼んだりもする.

重電系のパワエレは「ヘヴィ」だし,反対は「ライト」.

また,変換器の核心技術(回路方式)などを研究しているグループは,
総じて「コア」と称される.
「~コア」という呼び方もあって,たとえば,
主回路部品を研究している「ハードコア」とか
呼ばれる人たちがいて,
特に金属製鉄心を研究している人たちは「メタルコア」と呼ばれる.

最近規制が話題になっている電磁波ノイズ問題を指向している
人たちは,"EM oriented" -> "EMO"と呼ばれる.
そしてEMIノイズを考えて素子や回路を
どのようにパッケージング(実装)するか,
ケーシングするかを研究している人たちは「ハウス」である.

その他,先進的な素子を使う回路を研究している人は「プログレ」だし,
郊外の分散電源用電力変換回路だと「カントリー」だったりする.

種々なスタイルがあり,それらの
呼び方は時代とともに変わっていく.
新しい潮流は,いつの時代でも生まれてくる.
次のパワエレは何系なのだろうか?