2011年4月11日月曜日

人はなぜ専門家の意見を信じないのか

とうとう1ヶ月が経ってしまった.
黙祷.

私がTwitterを見ていたのは,
震災後のこの状況において,
なぜ専門家が安全だといっても信じない人が多く存在し,
他の,ソースが確かではない情報(一番ひどいのはデマ)を
信じる人が多いのか,ということに
興味があったからなのだけれど,
いくつかと思うところがあるので,
少しまとめてみる.

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#デマについては,たとえば下記によく
まとめられている.
http://www.kotono8.com/2011/04/08dema.html
このブログの記事に載っているものが,
本当にデマなのかどうかも,
また判断する必要があるけど.
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まず,人には,起こりうる最悪の状況を想定して,
最も被害が小さくなるように行動する,という,
どこかの経済理論にあったような傾向がちゃんと
あるということ.

専門家や政府に「安全」だといわれても,
それが絶対に「安全」であるとは限らない.
いや,ほとんど「絶対安全」ということはあり得ないわけで,
そうした状況においては,人はやっぱり最悪な状況を
想定して,最小の被害になるように行動するものである.
(ゲーム理論的.
まぁ,過去にも専門家や政府が言ってきたことが
誤りだったという事例も多々あるし)

しかし,そこで問題なのは,そうした場合に人は
極端な行動に走りやすいということではないかと思う.
「安全」だというならば,「事故の確率ゼロを証明しろ」と
いって,工学的に(いや,常識的に)不可能だったり,
論理的におかしなことを要求して,
それができない,と非難したりする.
また,安全だと言われていても福島県産の農作物だ
というだけで,購入を控えてしまう.
もっと,冷静に行動し,議論できたら良いのにと思う.
(たとえば,「リスク」という概念を考えるとか)


次に思うのは,先のブログ記事にも書いたけれど,
「オカルト」と同様で,人は自分の願望が投影された話を
信じやすいということ.
逆に「ひょっとしたら」という話にも弱い.
これはよく心理学などの本に紹介されている事実である.

さらに,そこに,電力会社の陰謀論などが出てくると,
正義感がはたらいて,絶対に許すまじ,
などと感情的になりやすい.
その正義感につけこんで煽る人も多いようだ.


また,利害関係に無い第3者の意見は信じられやすい,
ということも影響しているのかと思う.
その人が,社会ステータスがあればなおさらである.
しかし,専門家でない素人の意見の方が信じられる,
というのもおかしな状況だとは思わないのかなぁ.

そして最後に,逆に説明する側の専門家に足りないと思うのは,
人を納得させるだけの物語(ストーリー)である.
安全だ,安全だと数値だけを論じてみても,
やはり信じてもらう人は限られる.
(理系の考え方,基本的な知識を持っている人は
それで十分だと思うけれど)
人は客観的事実だけを見て判断するのではなく,
その事実が語られる前後の文脈が大切だと思う.

ネットに広まった怪しい話であっても,
ソースは全然信用できないけれど,
ストーリーは良くできていたりする.
また,人の良心に訴えかけるようなエピソードを
絡めることによって,それを疑うことは
自分の良心を試されていることのように
感じさせるように良く話ができていたりする.

しかし,それでいて,客観的科学的論拠が示されていない.
たとえば,ある記事を読んでみたら,
「チェルノブイリでは人々が現在も亡くなっている,と紹介し,
その理由として,
「長期の低放射能の影響であると私たちは直感でわかったのです」
みたいなことが述べられている.
しかし,直感では放射能との相関を示すことはできない.
積み重ねられたデータによってのみ説明されるべきである.
(たとえば,チェルノブイリ被爆者の甲状腺がんについては,
その有意な相関が示されている)
しかし,彼らの献身的な努力は賞賛すべきものだから,
そうした非論理的な説も否定しづらくなってしまう.
そうした心理的な力が,ネットの記事の
あちらこちらで働いているようだ.

平常時,専門家の意見を求める人たちが,
なぜ今は,こうも専門家を疑うのか.
確かに,過去にも専門家が過ちを犯していたという事例が
少なからずあることも原因だと思うけれど,
冷静さが欠けた意見が多いことをみると,
やはりなにかしらの心理的なバイアスが
はたらいているのだろうと思う.


では,いったい,どうしたらよいのだろうか,と私も思う.
良い案は思いつかない.

ただ,ちょっとやそっとのことで,こうした傾向からは
逃れることはできなそうだ.
日頃から自分の頭で考える,判断する,という
練習をしておかないと,いざというときに役立たなそうではある.
(いま,私の頭も全然役に立っていないし)

もっと学校などで,こうした不確定な状況下における
行動の方法などを教育したら良いのではないか.
特にインターネット上に氾濫する情報の中で,
玉石を見分け,自分の頭で考え,
冷静に合理的に行動ができるためにはどうしたら良いのか,
そうした課題とそれに対する教育が日頃から必要なのだろうと思う.
そして,それは小中学校の頃から行うべきなのだろう.

ただ,それは日本という文化背景の中では,
相当に難しいのだろうけど.



#(情報の信頼性に関する余談)

メディアが大手だからといって,情報が信頼できるとは限らない.
今回も,ニューヨークタイムズなどで,いろいろとおかしな情報が
報道されており,それらについてネット上でも批判されている.

JCO事故のときだって,CNNはJCOの建屋の天井が爆発で
吹き飛んだなどと報道していて,隣の事業所にいた私は驚いて
4階の窓から見たけれど,そんな事実は全くなかった.
NYTやCNNだからといっても,信頼できるとは限らないのだ.

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