2011年4月25日月曜日

厳しい稽古こそ

金曜日,土曜日と久しぶりに合氣道に集中して
取り組むことができた.

金曜日は毎週定例の稽古なのだけれど,
少しハードに動いた.
というのも,土曜日に参加させていただいた
講習会に備えて,身体の調子を整えたかったためである.

ばりばりと受け身をとった気がする.
とはいえ,翌日土曜日の稽古も少しハードになることが
予想され,どこまで金曜日に動いていいものか,
この歳になると見当もつかず,
少し怖かったのも正直なところだったけれど...

金曜日は2時間程度動いた.
なんとか身体についているサビの半分は
落とすことができたのではないかな.
身体もそうなのだけれど,意識の広がりが
戻ってきたというところがうれしい.
私が稽古している合氣道は特に氣の持ちようが
大切なのである.
毎週のように稽古しているはずだけれど,
心のハリが違っていたのだろう.
のびのびとした気持ちで身体を動かせる感覚を得て,
少しほっとした.

そして土曜日の審判員講習会.
私は審判員ではないのだけれど,
今回はおまけで参加させていただいた.
(過去に務めさせていただいていたということで)

午前中2時間,午後3時間,みっちりと
東京から九段のO先生をお迎えして稽古する.
久しぶりに緊張感のある稽古ができて
本当にうれしかった.
実は,O先生には,私が大学で合氣道を始めて以来だから,
もう25年もご指導いただいている.
私は本当に不肖の弟子である...

先生の厳しいご指導に身体と心が緊張と
喜びでしびれた.
いいなぁ,やっぱりバシバシと稽古するのが
うれしくてしょうがない.
また技の奥深さが面白くてしょうがない.

心配していた体力もなんとか持って,
集中力も最後まで維持したまま,講習会は終了.
なんというすがすがしさ.
こんな稽古が一年のうちに何回できるだろうかと思うくらい.
翌日は疲労と筋肉痛でほとんど動けなかったのだけれど,
心は幸せ一杯であった.

こうした厳しい稽古が嫌いな人もいる.
「自分はほめてもらって伸びるのです」
なんて,平気でいう人もいる.
そんな,なぁなぁな師弟関係なんてあるのだろうか.
自分をほめる人は敵と思え,とまで言われているのに.

最近の若い人に,「ほめてクレクレ」君が多いというのは
一体どういうことなのだろう.
これでは,(大学もそうだけれど)職場の上司も
本当にご苦労されているのではないだろうか.

やはり学びの場は,ある程度の緊張感をもって,
厳しさも,時には必要ではないかと思うのである.
そうやって学校では教育を受けていないのだろうか.
私が子供の頃はそうだったような気がする.

まぁ,私の小学校の息子が受けている授業の様子など聞くと,
期待はできそうにないように思えるのだけれど...
子供たちは実に小さい頃からスポイルされている.
(そして,そうしているのは私たち大人であるけれど)

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